現生人類系統の起源に関する総説

 現生人類(Homo sapiens)系統の起源に関する総説(Bergström et al., 2021)が公表されました。本論文は、考古学にはほとんど言及していないものの、現生人類の起源やネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)および種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)との関係について、遺伝学(DNAとタンパク質)および形態学(化石証拠)的研究から現時点での諸見解を整理しており、引用文献も豊富なので、現生人類の起源について把握するのに適した文献だと思います。本論文は当分、現生人類の起源に関する基本文献となるでしょう。

 現代人は全員、過去への祖先の長い線を通じて歴史をたどります。現代人の祖先の一部は、化石記録で特定できる集団もしくは人口に生きていましたが、その他の祖先についてはほとんど知られていません。本論文は、過去へと現代人の系統をたどることにより、初期現生人類人口史の現在の理解を再調査します。現生人類の祖先が異なる時点で地理的にどこに居住していたのか、これらの祖先集団は現在の化石記録で表されるのかどうか、ということについて何が言えるのか、本論文は調べます。本論文はこの枠組み内で、現代人の系統が誕生した時空間的に単一の点のモデルに焦点を当てる、経験的もしくは概念的理由はほとんどない、と主張します。



(1)段階3:アフリカからの世界的な拡大

 アフリカの集団や個体群の現代の遺伝的多様性は世界のどの他地域よりも大きく、これは最初にミトコンドリアDNA(mtDNA)で観察されたパターンでした。化石形態の変化とともに、これは、アフリカ人の多様性の部分集合を有する人口集団が、規模の点でボトルネック(瓶首効果)を経て、その後で世界規模の拡大の創始者になった、と想定する「最近のアフリカ起源」の強力な証拠とみなされました。このモデルは今では、アフリカの初期化石(関連記事)、アフリカ外の古代型ヒト集団との交雑のゲノム証拠(関連記事)、アフリカ東部系統に最も近い完新世(過去12000年)における、アフリカ人系統内で入れ子式になっているように見えるアフリカ人のゲノム系統の大きな割合により強く裏づけられています。しかし、ユーラシアへの拡大の回数と年代に関しては、さまざまな仮説が提案されてきました。

 化石記録から、現代人も化石人類も含む現生人類の、アフリカからアジア西部および地中海東部(レヴァント)への初期の範囲拡大があったことは、長い間明らかでした。これら現生人類の初期拡大は、13万~9万年前頃となるイスラエルのスフール(Skhul)やカフゼー(Qafzeh)といった洞窟、9万年前頃となるサウジアラビアのネフド砂漠のアルウスタ(Al Wusta)遺跡(関連記事)の化石記録で報告されているように、でサハラ・アラビア地帯の好適気候条件期に起きた可能性があります。さらに古いものの、より断片的な現生人類化石は、18万年前頃となるイスラエルのミスリヤ洞窟(Misliya Cave)遺跡(関連記事)や、21万年前頃となるギリシア南部マニ半島のアピディマ(Apidima)洞窟遺跡(関連記事)で発見されています。

 アフリカ外の現生人類的な化石は、中国の広西壮族(チワン族)自治区崇左市の智人洞窟(Zhirendong)で10万年以上前のものが(関連記事)、湖南省永州市(Yongzhou)道県(Daoxian)の福岩洞窟(Fuyan Cave)で12万~8万年前頃のものが(関連記事)、スマトラ島で7万年前頃の歯が(関連記事)、ラオスで5万年以上前の頭蓋と下顎が発見されており(関連記事)、オーストラリア北部では65000年以上前の人工物が発見されています(関連記事)。ただ、これらのユーラシア東方における6万年以上前の初期現生人類の証拠に関しては、疑問も呈されています(関連記事)。

 したがって、アフリカとアジア西部を越える65000年前以前の古人類学的証拠と、アフリカ外の全現代人集団の大半の系統は6万~5万年前後に世界規模でアフリカから拡大した集団に由来する、というゲノム証拠との緊張が高まっているように見えます(図1)。主要な一連の証拠は、これまでに研究された全ての現代および古代の非アフリカ系現生人類のゲノムに見られるネアンデルタール人系統です。このネアンデルタール人系統は、単一の混合事象からの由来とほぼ一致しており(関連記事)、6万~5万年前頃と推定されています。この年代的枠組みは、シベリアや他地域の45000年前頃の古代現生人類遺骸のゲノムにおいて長いネアンデルタール人断片から明らかで(関連記事)、アフリカ外のmtDNAとY染色体(関連記事)の系統が55000~45000年前頃までに多様化した、という事実によりさらに裏づけられます。


●初期拡大仮説

 いくつかのゲノム研究では、別のより早期の世界規模の拡大からの系統がオセアニア(たとえば、オーストラリアとニューギニア)に存在し(関連記事)、アジア沿岸に続く他の「南方経路」仮説と一致する、と示唆されてきました。しかし、そのような分析は、これらオセアニアの集団における分岐したデニソワ人系統により混同される可能性があり、他の研究では、この系統の裏づけは見つかっていません(関連記事)。したがって、6万年前頃以前とされるアフリカとアジア南西部両方以外の現生人類の化石および考古学的記録は、後の主要な拡大の後に到来した人類で検出される系統に寄与しない、早期の拡散による遺伝的データと最もよく一致します。

 アフリカ外の現代人に関する理解への最近の追加は「基底部ユーラシア人」系統で、これは他の非アフリカ人系統とそれらが多様化する前に分岐し、おそらくはネアンデルタール人との混合が欠如していた、と推測されています(関連記事)。基底部ユーラシア人系統はおそらく6万年以上前に他の非アフリカ人系統と分岐し、モロッコの15000年前頃の個体群(関連記事)や、26000年前頃となるジョージア(グルジア)のズズアナ(Dzudzuana)洞窟で発見された2個体や、25000年前頃となる最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)の、ジョージア西部のイメレティ(Imereti)地域のサツルブリア(Satsurblia)洞窟の上部旧石器時代層堆積物で確認されており(関連記事)、ユーラシア西部とアジア南部に完新世に拡大しました。したがって、これらの地域の現代人集団における一部の系統は、6万~5万年前頃の世界規模の拡大前に分岐した集団に由来します。基底部ユーラシア人系統の起源は、アジア南西部とアフリカ北部の辺りに集中していた可能性が最も高く、6万年以上前にアフリカから遠く離れた地域の現生人類の証拠に結び付けられる可能性は低そうです。


●ユーラシアの絶滅ホモ属からの遺伝子流動事象

 ネアンデルタール人やデニソワ人といった絶滅ホモ属(古代型ホモ属)と現生人類との交雑には大きな関心が寄せられており、ネアンデルタール人とデニソワ人と現生人類との間の多数の混合事象が提案されてきました。しかし本論文は、現時点でこれらの事象のうち4つのみ(そのうち1つは現代人に寄与しませんでした)が、広範な合意を得ており、決定的に実証されたとみなせる、と主張します。


●ネアンデルタール人からの遺伝子流動

 最初の現生人類と絶滅ホモ属との混合事象の結果、サハラ砂漠以南のアフリカ以外の現代人集団のゲノムには約2%のネアンデルタール人系統がもたらされ(関連記事)、更新世のベルギーやシベリア西部(関連記事)や中国北東部(関連記事)の個体を含む、これまでにゲノムが分析された45000年前頃までの現生人類個体全員に見られます。ネアンデルタール人系統はこれら非アフリカ系現代人よりはずっと少ないものの、アフリカ東部および西部の現代人でも確認され、それは一度アフリカからユーラシアへ拡散した現生人類集団のアフリカへの「逆流」を反映しています(関連記事)。しかし、アフリカ中央部のムブティ人や東部のディンカ人のような一部のアフリカ人集団は検出可能なネアンデルタール人系統を欠いており、エチオピアの4500年前頃の個体(関連記事)や、アフリカ南部の2300~1800年前頃の個体(関連記事)や、マラウイの8100~2500年前頃の個体(関連記事)も同様です。

 アフリカ外のネアンデルタール人系統の地理的な遍在性から、混合はアジア南西部もしくはその近くで起きたと示唆されていますが、これまで明確な証拠は得られていません。ヨーロッパでは、ネアンデルタール人と現生人類との数千年もの共存(関連記事)が推測されているにも関わらず、後期ネアンデルタール人は現代人集団に遺伝的に寄与していないようです。ヨーロッパの後期ネアンデルタール人は、遺伝的にコーカサスのネアンデルタール人よりも、現代人に遺伝的に寄与したネアンデルタール人集団と近いわけではありません(関連記事)。

 現代人のゲノムにおけるネアンデルタール人系統の地理的分布の主要な特徴は、ユーラシア東部集団と比較して、ユーラシア西部集団では1/5~1/10ほど割合が低くなっていることで、アジア南部と中央部はその中間水準です。ただ、最近になってもっと違いは小さいのではないか、との見解も提示されています(関連記事)。この観察は複数の混合事象を反映している、とも提案されてきましたが(関連記事)、現時点で最も可能性の高い説明は、上述のネアンデルタール人系統を全くもしくは殆ど有していない「基底部ユーラシア人」集団による「希釈化」です。

 現代人のゲノムにおけるネアンデルタール人由来のDNA断片の比較から、非アフリカ系現代人の祖先集団と混合したネアンデルタール人集団の遺伝的多様性は低いものの、2~3個体以上が寄与したに違いない、と示唆されています(関連記事)。さらに、現代人のネアンデルタール人系統は遺伝子領域およびプロモーターの周辺で、約1/3が枯渇しており(関連記事)、それはおそらくネアンデルタール人の人口規模が小さいために蓄積された遺伝的負荷に起因する、と推定されています(関連記事)。ネアンデルタール人系統の減少は過去45000年の古代現生人類ゲノムでほとんど観察されておらず(関連記事)、自然選択によりネアンデルタール人と混合した最初期現生人類のゲノムにおける約10%のネアンデルタール人系統は、急速に現代人と同水準の約2%に低下した、と推測されています。したがって現時点では、ネアンデルタール人がより大きな拡大していく現生人類集団に吸収された、とする「同化」シナリオを除外できません。


●デニソワ人からの遺伝子流動

 第二の強く裏づけられた混合事象は、現代のオセアニア個体群における約3.5%のデニソワ人関連系統です(関連記事)。この混合事象に由来する系統はアジア南東部とオセアニア全域に存在し(関連記事)、アジア東部および南部集団やアメリカ大陸先住民集団ではごくわずか(約0.1%)です(関連記事)。シベリアのデニソワ人個体(関連記事)は、オセアニア現代人の祖先集団と交雑した仮定的な「南方デニソワ人」とはわずかに異なっているので(関連記事)、主要な問題は、この混合がどこで起きたのか、ということです。オセアニア現代人のゲノムにおけるデニソワ人由来の断片はネアンデルタール人由来の断片よりも長いので、デニソワ人との混合はネアンデルタール人との混合よりも後の55000~45000年前頃と推定されてきました(関連記事)。ネアンデルタール人系統と同様に現代のデニソワ人系統も、ゲノムの機能領域周辺で枯渇しているので、おそらくは負の選択の類似の過程を経てきた、と推測されます(関連記事)。


 現代人の系統における第三の強く裏づけられた混合事象は、オセアニア現代人の祖先集団と交雑したデニソワ人集団とは異なるデニソワ人集団からアジア東部現代人の祖先への遺伝子流動で、0.1%程度の割合で見つかります(関連記事)。アジア東部現代人の祖先集団と混合したこのデニソワ人集団は、シベリアのデニソワ人とより密接に関連しているようで(北方デニソワ人)、またアジア東部現代人集団では「南方デニソワ人」の遺伝的影響も見られます(関連記事)。したがって、アジア東部現代人集団は、2つの異なるデニソワ人関連集団にごくわずかな系統をたどることができます。


●アフリカ以外の古代の混合の頻度

 もう一つの強く裏づけられた混合事象は、ルーマニア南西部の「骨の洞窟(Peştera cu Oase)」で発見された4万年前頃の個体に由来し、4~6世代前にネアンデルタール人の祖先がいた、と推測されています(関連記事)。しかし、このネアンデルタール人との混合は、おそらく現代人には遺伝的影響を残していない、と推測されています。ネアンデルタール人とデニソワ人との間の混合の発見(関連記事)と合わせると、これらの少ないものの直接的な観察混合の観察は、現生人類とネアンデルタール人とデニソワ人の間の混合に対する、強い生物学的もしくは行動的障壁がなかったことを示唆します。

 さらなる古代の混合事象が提案されてきましたが、合意は不足しています。これらの提案された混合事象は、ネアンデルタール人(関連記事)やデニソワ人(関連記事1および関連記事2)や未知の古代系統(関連記事)からの追加の混合を含みます。これまでの研究で提案されてきたこうした混合事象から、これらの人類集団が接触する時はいつでも、現生人類集団と絶滅ホモ属集団との混合が頻繁に起きた、と考えられます。そうした混合の複雑さは確かに尤もですが、現在よく裏づけられている混合事象には上記のものだけが含まれる、と本論文は主張します。

 また現在のゲノムデータは、たとえばホモ・エレクトス(Homo erectus)や他の集団など、非アフリカ系現代人における実質的な未知の「ゴースト」古代型系統を裏づけません(関連記事)。そうした系統のより実質的な量は、一部の非アフリカ系現代人集団において他集団に対する祖先的多様体の過剰を惹起し、起源集団のゲノムへの直接的検証がなくても検出でき、デニソワ人系統で確認できる兆候です。以下、本論文の図1です。
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(2)段階2:アフリカ起源

 第二の主要な段階は現代人系統の多様化です。アフリカはおそらくこの過程の中心でしたが、近隣地域のアジア南西部は、過去数十万年の人口史の重要な地域として除外できません(関連記事)。しかし、ユーラシアのさらに遠方地域における現代人の多様性の起源は、とてもあり得ないようです。本論文では、30万~6万年前頃のアフリカの現生人類について知られていることを考察します(図2a)。その中で、過去10万年のアフリカ内の完全な置換シナリオのみを、現在では除外できます。


●アフリカにおける現生人類の起源の化石記録

 30万~15万年前頃のアフリカの人類頭蓋化石は、形態的に大きな多様性を示します(図2b)。対照的に、アフリカ全域で30万年前頃に出現した中期石器時代技術は、多様なヒト集団の行動の類似パターンを示唆します(関連記事)。モロッコのジェベルイルード(Jebel Irhoud)遺跡で発見された315000年前頃の人類遺骸(イルード1および2号)と、エチオピアで発見された195000年前頃のオモ・キビシュ2(Omo Kibish 2)遺骸(オモ2号)はよく現生人類系統に位置づけられますが、球状の頭蓋冠を欠いています。じっさい、現生人類との類似性を示す特定の歯や下顎の特徴にも関わらず、イルード1号が現代人よりもネアンデルタール人の方と類似している、との指摘もあります(関連記事)。

 現在利用可能な証拠に基づくと、球状の頭蓋冠は20万~15万年前頃以降にしか現れず、これは195000年前頃のオモ1号や、エチオピアの16万年前頃となるヘルト(Herto)の頭蓋(ヘルト1および3号)の時代ですが、21万年以上前となるギリシアのアピディマの部分的頭蓋や、24万年前頃となるケニアのグオモデ(Guomde)の部分的な頭蓋冠にも、球状の頭蓋冠が存在した可能性はあります。26万年前頃(年代は訂正されるかもしれません)となる南アフリカ共和国の断片的なフロリスバッド(Florisbad)頭蓋は、頭蓋冠の球状性の程度を判断するにはあまりにも不完全で、現生人類との関係は不確実です。

 現在利用可能な化石証拠は疎らなので、球状頭蓋冠や下顎の突出した顎やより狭く広がった骨盤のような「現代的」な形態的特徴一式を生み出した、30万~20万年前頃の特定の進化事象があったのかどうか、不明です。ある理論的根拠では、そのような特徴は現代の系統の最初の分離前に存在していた、と示唆されました。しかし、早期の分離がより漸進的であれば、以下に説明されるように、「現代的」特徴は後の遺伝子流動により一般的になったかもしれません。したがって、現代人系統の多様化の時期は、形質進化に対する弱い制約しか提供しません。


●現代人集団の構造の時間の深さ

 現代人系統の主要な識別可能要素は、アフリカ西部とアフリカ東部とアフリカ中央部熱帯雨林とアフリカ南部とアフリカ外の集団と関連する要素を含むものとして要約できます(関連記事)。多くのアフリカ人集団は、これらの要素のうち非アフリカ系統を含む1つ以上の系統を有しており、複雑な混合過程を反映している、と説明できます。これらアフリカの系統の多様化はおそらく、ネアンデルタール人およびデニソワ人の共通祖先との分岐後です。なぜならば、これら現代人系統間では絶滅ホモ属(古代型ホモ属)のゲノムとの関連性における古代のゲノムの違いは見られないからです。初期現生人類の多様化過程をより正確に理解することは、現生人類の起源の研究において主要な焦点です。

 現代人集団の構造の時間の深さを概念化する一つの方法は、他の個体群よりも一部の現代の個体群により多くの遺伝的系統を寄与した集団が存在した、最初の時点に焦点を当てることです。この時点より前にも構造は存在したでしょうが、それ以前のあらゆる集団は現代人全員と対称的に関連しています。現時点では15000年前以前のアフリカからの古代DNAが欠如しているため、この問題へのほとんどの洞察が、アフリカ現代人集団間の分岐年代の推定に由来し、さまざまな過程に依存しているので、かなりの不確実性と関連していることを意味します。

 アフリカ内の初期の分岐は突然の分裂ではなく、代わりにずっと漸進的なもので、数万年もしくは数十万年にわたる長期の遺伝子流動を伴っていたことが明確になりつつあります(関連記事)。分離過程の中間点として解釈できる推定値は、162000~104000年前頃と比較的最近の年代を示しているのに対して、遺伝子流動のない瞬間的な分離を仮定するモデルは34万~23万年前頃、遺伝子流動を含むモデルでは34万~125000年前頃を示します(図2c)。したがって、さまざまな手法は漸進的な分離過程のさまざまな側面を部分的に把握できるかもしれません。初期現生人類の人口集団構造の時間の深さを特定の時点の推定値で説明することに概念的な意味はなく、将来の研究では、その推定が分離過程のどの側面を反映しているのか、より明確にすることを目的とすべきである、と本論文は主張します。

 問題は、現代人集団の構造の出現時期をどう説明すべきか、ということです。現代人の遺伝的系統の大半は25万~10万年前頃に収束する可能性があり、それ以前、おそらく50万年前頃以前か、100万年前以前に分岐した集団に由来する系統のわずかな断片を有しています。多くの異なるシナリオが、共有された系統のこの観察された時間規模の根底にあるかもしれず、最近のアフリカ規模の置換モデルを却下すること以外に、現在のデータはそれらのシナリオの間を明確に区別できません(図2a)。


●アフリカにおける絶滅ホモ属との混合の可能性

 現代人集団間の構造の時間の深さに関する問題は、アフリカ内におけるより分岐した人類集団との混合という主張と密接に関連しています。13000年前頃のナイジェリアのイホエレル(Iho Eleru)遺跡化石や、25000~20000年前頃のコンゴ民主共和国のイシャンゴ(Ishango)遺跡化石といった、アフリカ西部および中央部の数少ないより後の化石の一部は、明らかな古代的特徴を示し、それは初期現生人類の形態のひじょうに遅い存続か、(現在観察される範囲外の形態を有する)絶滅ホモ属(古代型ホモ属)系統からの遺伝子流動を示唆します。

 いくつかの研究では、現代人の遺伝的多様性に基づいて、アフリカにおけるひじょうに深い人口集団構造の存在が示唆されており、これには、ネアンデルタール人やデニソワ人とは密接に関連していない、遺伝的に標本抽出されていない「古代」ヒト集団からの混合の示唆が含まれます(関連記事)。これらのゲノム研究では、「古代(archaic)」という用語が、本来の意味のように形態を参照するのではなく、むしろ早期の遺伝的分岐を示唆するために使われています。「古代」という用語は、「あまり進化していない」と誤解される危険性があるので、潜在的に問題があります(関連記事)。長年の使用を考えると、ゲノミクスの文脈ではこの「古代」という用語は、少なくともネアンデルタール人と同じくらい早期に、現代人系統の大半と分離したと明らかに仮定される集団のみ適用されるべきです。

 アフリカにおいてひじょうに分岐した系統を識別することが目的の研究のほとんどは、異常に長く、なおかつ他の断片とは深く分岐しているゲノム断片を探してきました。これらの観察は、シミュレーションにおいて古代型人類との混合のモデルに最もよく合致すると示されてきましたが、そのような断片がひじょうに多様なアフリカ人集団の分岐分布を表している、という主張を除外するのは困難です。したがって、「長期持続構造」と「古代型集団との混合」という概念は、モデルの連続体とみなされるかもしれません(図2a)。しかし、深い混合の裏づけは、現代人集団の連続体の稀で高頻度な末端における、ネアンデルタール人と共有される派生的なアレル(対立遺伝子)にも由来します(関連記事)。

 アフリカの人口史に関する一部のモデルは、ネアンデルタール人と同じ頃かそれ以前に現代人系統と分岐した系統からの遺伝子流動も含んでいますが(関連記事)、より単純なモデルは除外されていません。本論文の見解は、これらのさまざまな知見を古代型ホモ属との混合と言及するのは時期尚早で、直接的なゲノムが利用可能なネアンデルタール人やデニソワ人との混合と同水準には達していない、というものです。それにも関わらず、アフリカ内のひじょうに分岐した集団と現代人系統との混合は、初期現生人類の分離の観察された複雑な時期を説明するのに役立つかもしれません。


●現生人類の起源地の調査

 現時点での証拠では、現代人の共通祖先がアフリカのどこに居住していたのか、より正確に特定することは不可能である、と本論文は主張します。過去にどのように系統が分布していたのかを示す充分な時系列が欠如している場合、特定の地域に起源があることを示す強い一連の証拠は、現代人系統の大半がその地域のより大きな多様性内で「入れ子」になっていたならば、混合を説明しているかもしれません。しかし、そのような基準は現時点で現生人類の起源地としてアフリカを特定していますが、アフリカ内の特定地域を正確に示すわけではありません。

 別の理論的根拠では、遺伝的多様性の最高水準は拡大の起源地で見られると示唆されており、この「連続創始者」モデルは現生人類のアフリカ南部起源を示すのに用いられてきました。しかし、現代人の遺伝的多様性水準は、人口ボトルネック(瓶首効果)に起因する多様性の喪失だけではなく、混合に起因する多様性も反映しており、これは現代においてアジア東部と比較してのヨーロッパにおけるより大きな多様性パターンが、過去の人口集団に存在しなかったことにより示されます。さらに、主要なサハラ砂漠以南の人口集団の多様性水準は、相互に約10%以内で、強い地理的傾向はありません。最近の全ゲノム研究では、最高の遺伝的多様性を有する集団はアフリカ中央部のビアカ(Biaka)で、最近の混合を示します。

 アフリカ南部の人口集団が最も深い分岐時間を示し、進化史の系統樹的なモデルで最初の分岐の位置を占める傾向も、アフリカ南部が現代人の起源地である証拠として解釈されてきました。しかし、系統樹は遺伝的歴史の不充分な表現で、分岐事象は常に2つの対称的な子孫の分枝を有し、そのどちらも他者よりも祖先的ではありません。遺伝子流動を認めるより最近の研究では、少なくともアフリカ南部系統と同程度に分岐した系統が、アフリカ中央部と東部と西部に存在している、と示唆されました(関連記事)。

 さらに重要なことに、人類は20万年以上前に居住していた場所から移動してきた可能性が高いので、現在最も分岐した系統を有する人々の場所が起源地に対応する、という強い予測はありません。同様に、現代人全員の仮定的な母系最終共通祖先であるミトコンドリア「イヴ」は20万年前頃に存在していましたが(関連記事)、彼女もしくは父系となるY染色体「アダム」の存在した場所からは、全ての現代人系統の起源地を必ずしも予想できません。さらに、小さなミトコンドリアの歴史は、より大きなヒトの系図を通る多数の経路のうちの1つだけをたどります。ゲノムの他の多くの部分では、最も分岐した枝はアフリカの他の場所、あるいは時にアフリカ外で見つかります。

 これらの理由のため、現在のゲノムは、現代人の初期の祖先が存在した場所に関する充分な情報を単純に含んでいるわけではありません。最近、現代人の祖先はアフリカ大陸の大半で異なるものの相互に関連した集団に暮らしていた、という仮説への注目が増加していますが(関連記事)、そのような「汎アフリカ」起源仮説(図2a)は、同様にゲノム証拠に対しての検証が困難です。より豊かで地理的により代表的な化石記録と、より古い期間の古代DNAもしくは古代タンパク質が、アフリカ内のヒトの過去の分布により有益な情報をもたらすかもしれません。


●アフリカ全域における後期更新世の拡大の可能性

 アフリカ西部および中央部における深く分岐した系統を含む人口史モデルでは、これらの地域における第二の主要な系統はアフリカ東部集団と関連する傾向にあります(関連記事)。これを説明できる推測的な提案は、6万年前頃以後にユーラシアへ拡大した系統と類似した系統のアフリカ全域での拡大です。これは、アフリカ人および非アフリカ人系統が80000~65000年前頃に共通祖先を有していた、Y染色体ハプログループ(YHg)CT系統の拡大も説明できます(関連記事)。現代人のゲノムの断片間の分岐年代分析は同様に、ネアンデルタール人との混合を欠いているものの、非アフリカ人の祖先と関連する集団から研究された全アフリカ人集団へのかなりの混合を示唆しています。この系統はアフリカ大陸を離れなかったかもしれませんが、ユーラシアへの拡大と同時のアフリカ全域の拡大を表しているかもしれず(図2a)、その拡大はアフリカ現代人集団間で観察される複雑な遺伝的関係の主因だった可能性があります。以下、本論文の図2です。
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(3)段階1:古代型集団との分岐

 最も特徴的なネアンデルタール人化石としては、ヨーロッパで発見された25万~4万年前頃のものが知られており、シベリア南部までのアジアではより限定的な期間で発見されています(関連記事)。化石記録におけるデニソワ人の特定は現時点ではほとんど知られていませんが、10万~6万年前頃にチベット高原で存在していたことが堆積物のミトコンドリアDNA(mtDNA)により確認されており(関連記事)、中国の60万~20万年前頃の増加している化石記録は、アジアのより早期のホモ・エレクトスとの違いを示す標本が含まれています(関連記事)。

 中国の陝西省大茘(Dali)で発見された25万年前頃のほぼ完全な頭蓋はホモ・ハイデルベルゲンシス(Homo heidelbergensis)に分類されることもありましたが、巨大な眼窩上隆起や古代的な形状の頭蓋冠や少々現代的ではあるもののひじょうに広い顔面の組み合わせを示します。これは独特の形態で、おそらくは、エレクトスやハイデルベルゲンシスやネアンデルタール人の特徴も欠いている、遼寧省営口市の金牛山(Jinniushan)遺跡や安徽省池州市(Chizhou)東至県(Dongzhi County)の華龍洞(Hualongdong)遺跡で発見されたホモ属頭蓋冠のような他の中国の人類化石頭蓋に反映されています。

 したがってこれらのホモ属頭蓋冠は、甘粛省甘南チベット族自治州夏河(Xiahe)県の白石崖溶洞(Baishiya Karst Cave)で発見された16万年以上前の下顎(夏河下顎)や、台湾沖で発見されたホモ属化石「澎湖1(Penghu 1)」とともに、初期デニソワ人の候補を表している可能性があります(関連記事)。ネアンデルタール人とデニソワ人は現代人系統と分離した後に一部の系統を共有していますが、おそらくは40万年以上前に相互に分岐しました(関連記事)。

 ゲノム分析により、ネアンデルタール人とデニソワ人と現生人類系統に加えて、第四の、ひじょうに異なる系統が特定されました。この第四の系統は30万年以上前に存在したものの(図3)、現在では化石記録に見えるあらゆる集団とも関連づけられません。これはデニソワ人のゲノムに存在する「超古代型」系統と提案されています(関連記事)。主要な証拠は、ほとんど或いは全くネアンデルタール人との混合を有していないアフリカ人集団を含む現代人全員が、デニソワ人よりもネアンデルタール人の方とより多くの遺伝的多様体を共有していることで、とくに、初期現生人類で固定された多様体に関して当てはまり、デニソワ人ではこれらの多様体の頻度を希釈する古代型系統が存在します。

 この超古代型集団は、現生人類とネアンデルタール人とデニソワ人の共通祖先と140万~90万年前頃もしくはもっと早く分岐したでしょう(関連記事)。デニソワ人はひじょうに異なるmtDNA系統も有しており、この系統は現生人類および(後期)ネアンデルタール人とは140万~70万年前頃に分岐し(関連記事)、「超古代型」集団に由来する、と推測されています。この「超古代型」集団がエレクトスもしくはいくつかの関連集団に対応しているとの推測は魅力的ですが、その遺伝的分岐は遅くとも180万年前頃となるエレクトスの化石記録の最初の出現と一致するには、あまりにも最近のようです。ホモ・アンテセッサー(Homo antecessor)と関連した集団は、「超古代型」集団の代替候補の可能性があります。

 ネアンデルタール人とデニソワ人の共通祖先は、現代人の祖先と70万~50万年前頃に分岐した、と推定されています(関連記事)。この分岐は漸進的な分離過程というよりはむしろ突然だった、と示唆されていますが、50万年以上前以降の完全な遺伝的分離に反する証拠は、わずか45万~35万年前頃に分岐する現代人とネアンデルタール人のmtDNA(関連記事)と、Y染色体の類似の時間枠(関連記事)に由来します。この明らかな不一致は、母系もしくは父系の単系統遺伝(mtDNAおよびY染色体)では、45万年前頃以後のある時点でネアンデルタール人と現生人類の祖先間の遺伝子流動が生じた、と想定すれば説明できます。

 この遺伝的歴史の解明において重要なデータは、スペイン北部の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡(以下、SHと省略)で発見された40万年以上前のネアンデルタール人的な形態を示すホモ属遺骸からのDNAで、SH個体群は核DNAではデニソワ人よりもネアンデルタール人の方と類似性を示します(関連記事)。しかし、SH個体群はmtDNA系統ではネアンデルタール人と現生人類よりもデニソワ人の方と近く(関連記事)、早期ネアンデルタール人は全員このmtDNA系統を有していたものの、後に現生人類に近い系統からの遺伝子流動により置換された、と示唆されています(関連記事)。その後、ネアンデルタール人のmtDNA系統は27万年前頃に多様化していき、現生人類に近い系統からネアンデルタール人への遺伝子流動は27万年前頃以前に起きたと示唆されていますが(関連記事)、この多様性の一部がそれ以前に存在した可能性もあります。

 ネアンデルタール人において現生人類系統からの遺伝子流動は、シベリア南部のアルタイ地域集団では起きたものの、ヨーロッパ集団では起きなかった、と示唆されましたが(関連記事)、クロアチアのヴィンディヤ洞窟(Vindija Cave)遺跡で発見されたネアンデルタール人個体から得られた高品質なゲノムデータでは、ヨーロッパのネアンデルタール人でも現生人類系統からの遺伝子流動があった、と推定されています(関連記事)。代わりに後の研究では、これまでに研究されたネアンデルタール人全個体の祖先に、数%の現生人類からの遺伝子流動があった、と統計的に推測されています(関連記事)。そのような推論は、アフリカにおける古代型ホモ属集団との混合の分析と同様に、同じモデル化の課題の多くの影響を受けます。それにも関わらず、そのような遺伝子流動は、ほぼ20万年以上前となる現代人の系統の多様化前に分岐した集団に由来する必要があるでしょうが、母系もしくは父系の単系統遺伝の置換につながった同じ事象に対応している可能性があります。

 したがって、ネアンデルタール人とデニソワ人に遺伝的に寄与した可能性のある3系統が仮定されており、現代人との分岐の異なる程度の要素を有します。第一は「超古代型」系統で、100万年前頃に現代人(とネアンデルタール人とデニソワ人の共通祖先)系統と分岐しました。第二は元々仮定されていた「中期」古代型系統で、現代人の祖先とは70万~50万年前頃に分岐し、そこからデニソワ人とネアンデルタール人の系統が派生しました。第三は40万~20万年前頃となる「最近の現代人の祖先(と近い系統)からの遺伝子流動」です。

 「超古代型」系統はデニソワ人で(関連記事)、最近の遺伝子流動はネアンデルタール人で(関連記事)推測されていますが、ネアンデルタール人とデニソワ人の両方が異なる割合でこれらの系統要素を両方有していた、と想定することも可能です。デニソワ人とネアンデルタール人の両方が、「中期」古代型集団にその系統の大半を由来する、と一般的に考えられていますが、推定される古代型系統と現代人系統の70万~50万年前頃という分岐年代は、「超古代型」系統と「最近の遺伝子流動」系統の統計的平均に起因する可能性があります。この代替想定では、70万~50万年前頃のネアンデルタール人の祖先の「中期」集団と拡大は必要ありません。


●現代人と古代型ホモ属の最終共通祖先

 現生人類とネアンデルタール人とデニソワ人の系統の大半が50万年前頃に収束するならば、ゲノムはその共通祖先がどのような人類だったのか、情報を殆どもしくは全く提供しません。70万~30万年前頃の化石は、解剖学的に異なる多くのヒト集団を明らかにしており、この期間はヒト進化の「中期の混乱」と呼ばれてきました。中期更新世初期の化石を、現生人類とネアンデルタール人とデニソワ人の共通祖先集団を明確に表すものとして特定することは不可能ですが、おそらくはそうではない集団、つまりアジアのエレクトスやアフリカとユーラシア西部の顔面が派生的なハイデルベルゲンシスや、ネアンデルタール人的なSH個体群を特定することは可能です。現生人類の初期祖先のあり得る代替候補は、ヨーロッパのアンテセッサー、アフリカ北西部のティゲニフ(Tighenif)化石群、アフリカ北東部のブイア(Buia)資料です。

 現生人類の祖先はアフリカに50万年前頃以前に居住していた、と一般的に考えられていますが、ユーラシアに居住していた可能性を除外するのは時期尚早です。この期間のユーラシア起源は、現生人類とネアンデルタール人とデニソワ人と「超古代型」人類系統間の現時点で理解されている関係を説明するために、アフリカとユーラシアの間のより少ない移住も必要とするでしょう(関連記事)。ヨーロッパのアンテセッサーのプロテオーム解析(プロテオミクス)データは、遠い過去の古代タンパク質保存の可能性を示しており(関連記事)、アンテセッサーは現生人類とネアンデルタール人とデニソワ人の共通祖先と密接に関連していたかもしれないものの、歯のエナメル質のタンパク質により提供されたその系統情報は依然として低解像度である、と示唆されます。

 いずれにしても、アフリカ外での人類の一般的に受け入れられた最古の証拠は200万年前頃に近い年代で、ジョージア(グルジア)で発見されており(関連記事)、化石記録からは、チンパンジーとの共通祖先まで、この時点以前の全てのヒト祖先はアフリカに居住していた、と強く示唆されます。なお、本論文では言及されていませんが、石器証拠からは、レヴァントで250万年前頃、中国で212万年前頃の人類の存在が指摘されています(関連記事)。ただ、これらの初期出アフリカ人類が現代人の祖先である可能性は低そうです。以下、本論文の図3です。
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(4)今後の見通し

 現代人は過去数十万年(たとえば、20万年前頃)のアフリカ起源と一般的に理解されていますが、そうした「起源」が何を伴うのか、しばしばよく定義されていません。形態の進化、つまり、現代人の祖先が形態や行動や生理や認知能力の観点で充分に現代人と類似するようになった時を、遺伝的系統と区別することはますます重要になっています。代わりに、遺伝的観点からの定義は、特定の特徴一式の有無に関わらず、現代人の遺伝的系統のほとんどが特定の地理的領域で発見された期間に焦点を当てられます。

 現代人系統がいつ誕生したのかと尋ねることは、現代人の特徴を通じて定義されるように、いつどこで現生人類が誕生したのか、と尋ねるのとは異なる質問で、本論文で検討された最初の質問の答えは、後者について曖昧にしか情報をもたらさないかもしれません。したがって、現生人類の起源の厳密な定義は、継続的で複雑な、なおかつ多くの側面で未知の、深い現生人類の過去に関する性質を単純化する危険性があります。たとえば現在の証拠では、アフリカとアジア南西部が30万~10万年前頃の現生人類の起源地域として特定されますが、さらなる地理的正確さは提供されず、30万年以上前には、現代人の祖先がどこに居住していたのかについて、さらに不確実となります。

 今後10年間で、これらの洞察はおそらく、古人類学の現地調査の地理的焦点を、アフリカ中央部および西部やインド亜大陸やアジア南東部のような、以前には現生人類の進化の中心の周辺とみなされていた地域へと変えていくでしょう。アフリカ全域および他地域からのより時空間的に代表的な古人類学的および遺伝学的データが利用可能になるにつれて、本論文で説明されてきたように、現生人類の過去を通じての系統理解の洗練が可能になるでしょう。これまでの直接的な遺伝的分析の成功は、より広い古代の遺伝的記録の重要性を浮き彫りにします。これは、骨格資料からの古代DNAの回収(関連記事)、ヒト資料の断片的集合体の生体分子走査(関連記事)、堆積物DNAの分析(関連記事)、古代タンパク質解析(関連記事)における継続的な技術的改善を必要とするでしょう。この組み合わされた記録の学際的な分析は、間違いなく現生人類系統の起源についての新たな驚きを明らかにするでしょう。


参考文献:
Bergström A. et al.(2021): Origins of modern human ancestry. Nature, 590, 7845, 229–237.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-03244-5

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