イヌの家畜化のシベリア起源説
イヌの家畜化の起源に関する研究(Perri et al., 2021)が公表されました。イヌは最初の家畜化された種で、更新世に人類と家畜関係に入ったことが知られている唯一の種でもあります。古代のイヌ遺骸と古代人の考古学および遺伝的記録に関する最近の遺伝的分析では、特定のイヌのミトコンドリア系統の時空間的パターンはしばしば、異なる年代と場所における人類集団の既知の拡散と相関する、と示されてきました。たとえば、古代の近東およびヨーロッパのイヌのミトコンドリアDNA(mtDNA)研究では、イヌが農耕民とともに近東から拡散した時に、特定のmtDNAハプログループ(mtHg)がヨーロッパに到来した、と示されました(関連記事)。ニュージーランドで最初のイヌは、新たに到来したポリネシア人に連れて来られました。古イヌイット集団が5000年前頃に北アメリカ大陸北極圏に移動してきた時にもイヌを伴っており、この時のイヌは新たな特有のmtHg-A2aを有していました。その後、1000年前頃となるイヌイット集団のこの地域への到来には、新たなmtHg-A1aおよびA1bを有するイヌ集団の到来が伴っていました。
人類の拡散と特定のイヌ系統との間のこれらの相関は、ずっと早く、おそらくはイヌがユーラシアのハイイロオオカミの祖先から家畜化された後に始まったかもしれませんが、家畜化の起きた正確な場所とその回数は不明なままです。1万年前頃までにアメリカ大陸で考古遺伝学的に報告されたイヌの存在から、イヌはアジア北東部からベーリンジア(ベーリング陸橋)を横断してアメリカ大陸へと初期人類集団と共に移動してきた、と示唆されています。現在の考古学および遺伝学の証拠に基づくと、この移動は15000年前頃以前に起きた可能性が高そうです(関連記事)。本論文は、後期更新世のシベリアとベーリンジアと北アメリカ大陸の記録と新たに利用可能になった証拠を利用して、アメリカ大陸最初の人類がイヌとともにアメリカ大陸で拡散していった、という可能性を評価します。この分析により、この拡散過程をよりよく理解し、家畜イヌの時空間的起源の仮説を提示できます。
●最初のイヌ
多くの考古年代測定手法が適用され、イヌの家畜化の年代と地理を確立するために、オオカミとイヌと人類との間の相互作用が報告されてきました。これらの研究ではまず、イヌが最初の家畜化された動物で、更新世に人類と家畜関係に入った唯一の種だった、と示されました。次に、イヌの起源となった特定のオオカミ集団は絶滅したようだ、と示されました。最後に、現代および古代のイヌとオオカミの遺伝学および考古学の証拠から、イヌの家畜化はユーラシアで起きた、と示されました。イヌと人類の関係が始まった環境、年代、独立して起きたかもしれない家畜化の回数と(単一もしくは複数の)場所を含む、イヌの家畜化の他の多くの側面は未解決です。
家畜化につながった人類とオオカミの相互作用の変化は、さまざまな手法で扱われており、最初の認識可能な家畜イヌがいつ出現したのか、議論が続いています。最初の一般的に受け入れられているイヌの年代は15000年前頃で、ドイツのボン・オーバーカッセル(Bonn-Oberkassel)遺跡で証拠が得られました。しかし、古代のイヌ科遺骸の形態学・同位体・遺伝学・文脈的評価に基づいて、家畜イヌは早くも4万年前頃には存在した、とも主張されています。しかし、これらの潜在的な家畜化の標識は、オオカミと初期の家畜イヌは相互に区別が困難かもしれない、という事実のため確実ではありません。
たとえば、歯の密集や頭蓋の大きさや鼻の長さの縮小のような、家畜化を識別するのに用いられてきた一般的な形態学的特徴は、イヌとオオカミを明確な区別できないことがよくあります。同位体特性や食性の推測は、初期のイヌを識別するのに用いられてきましたが、同位体の変動がオオカミの食性としばしば一致することを考慮すると、疑問視されてきました。さらに、これらの提案された初期のイヌの遺伝的分析では、初期のイヌが古代もしくは現代のイヌと同じ系統に属していない、と示されてきました。複数の研究からのゲノム推定では、イヌの祖先となった系統を含めてオオカミ系統内の分岐年代は40000~27000年頃となりますが、この年代が家畜化過程の開始を反映している可能性は低そうです。また、家畜イヌの存在が主張されている遺跡に関しては、生きて繁殖するイヌ集団の存在を示唆する特徴である、肉食獣の噛んだ痕跡もしくは仔イヌが欠如していることに基づいて、疑問が呈されてきました。
したがって、ベルギーのゴイエット(Goyet)遺跡における家畜イヌの存在という主張は、その頭蓋と歯の形態がオオカミである可能性を除外できないので、議論されてきました。これらイヌ科のmtDNA分析でも、遺伝的にあらゆるイヌのmtHgとひじょうに異なる古代ヨーロッパのオオカミ系統に分類される、と示されました。同様に、シベリアのサハ共和国のウラハーンスラー(Ulakhan Sular)遺跡やトゥマット(Tumat)遺跡、アルタイ地域のラズボイニクヤ(Razboinichya)遺跡、シベリア北極圏のベレリョフ遺跡(Berelekh)、ヨーロッパロシアのコステンキ-ボルシェヴォ(Kostenki-Borshchevo)遺跡群の一つであるコステンキ8(Kostenki 8)遺跡、シベリアのシスバイカル地域のエリゼーヴィッチ(Eliseevichi)遺跡で提案されてきた旧石器時代のイヌ科遺骸の遺伝的分析では、これらのイヌ科はイヌというよりは古代および現代のオオカミと密接に関連している、と示されてきました。
チェコ共和国のプシェドモスティ(Předmostí)遺跡のイヌと主張されている遺骸の少なくとも1点も、イヌよりもオオカミの方と遺伝的類似性を示します。これらのイヌ科遺骸の家畜化との指摘も同様に、その歯と頭蓋の形態に基づいて疑問視されてきました。プシェドモスティ遺跡のイヌと主張されてきた遺骸の、食性の同位体および歯の微視的使用痕分析も、地元のオオカミ集団の変動範囲内に収まるかもしれません。さらに、プシェドモスティ遺跡では、肉食獣の噛んだ痕跡もしくは仔イヌの証拠が欠けており、プシェドモスティ遺跡におけるイヌ集団の存在にさらなる疑問を提起します。後期更新世のイヌに関する全ての主張の課題は、いくつかの証拠にわたって、疑問を呈されている標本が明確に同時代のオオカミと区別できる、と決定的に示すことでした。本論文では保守的手法が採用され、分類学的状態が明確に家畜化されているイヌ科遺骸のみが含まれます。
形態学・遺伝学・同位体・文脈的証拠の集中に基づくと、最初の一般的に受け入れられている家畜イヌ遺骸は、ドイツのボン・オーバーカッセル(Bonn-Oberkassel)遺跡で発見された15000年前頃のものです。この若いイヌの形態および遺伝子は、明確に地元のオオカミと区別されます。このイヌがヒトと共に葬られ、疾患後に世話を受けた証拠からも、イヌと示唆されます。同時代の家畜イヌに関しては、フランスやドイツやイスラエルやイタリアやスイスの遺跡でも主張されています。形態と文脈に基づくと、追加のイヌかもしれない遺骸は、アフォントヴァゴラ(Afontova Gora)やディウクタイ洞窟(Diuktai Cave)やヴァーホーレンスカイア・ゴラ遺跡(Verkholenskaia Gora)といった更新世のシベリアの遺跡に存在するかもしれませんが、まだ確定されていません。アメリカ大陸では、最初の確認された考古学的なイヌ遺骸は、形態と遺伝と同位体と文脈の証拠に基づくと、1万年前頃となるコスター(Koster)およびスティルウェル2(Stilwell II)遺跡に由来します。
遺伝的観点から、何百もの古代および現代のイヌ科のミトコンドリアおよび核のゲノムが配列されてきました。核ゲノムデータの分析では、全てのイヌは遺伝的に均質な集団で、主要な3祖先系統からさまざま程度の系統構成要素を有している、と示唆されています。それは、ユーラシア西部系統(おもにヨーロッパとインドとアフリカのイヌで見られます)と、アジア東部系統(たとえばディンゴ)、北極圏系統(たとえば、ハスキーや古代アメリカ大陸イヌ)です。数十頭の古代イヌのゲノムに関する最近の研究では、少なくとも11000年前頃までに、これらの系統が全て確立していた、と示唆されています(関連記事)。
mtDNAデータでは、現代のイヌの大半が4単系統mtHg(A・B・C・D)の1つに分類され、それはmtHg-Aと示唆されています。最近の古代DNA研究では、北極圏より南方のアメリカ大陸における先コロンブス期の全てのイヌは特有のmtHg-A2bを有しており、これはアメリカ大陸の内外の現代のイヌでは事実上消滅しています(0.5%)。mtHg-A2b内では、4系統の追加のよく裏づけられた単系統下位mtHgがあり、mtHg-A2b1・A2b4はアメリカ大陸でしか見られません。これら4系統のmtHgのうち、A2b1はカリフォルニア州のチャネル諸島からアルゼンチンまでアメリカ大陸全域に存在しますが、他の3系統は現在のデータを考慮すると、地理的に限定されています(図2)。
分子時計分析により、mtHg-A内の分岐と関連する年代が明らかになりました。まず、基底部に位置するmtHg-A1bとA2A間の分岐は、22800年前頃(95%信頼区間で26000~19700年前)です。この年代は、イヌのミトコンドリア2系統間の最古となる既知の合着(合祖)を表しており、イヌは考古学的記録における最初の出現に数千年先行して家畜化された、と示唆されます。この推定年代は、オオカミとイヌとの間の後の遺伝子流動に影響を受けたかもしれませんが、これらのmtHgはあらゆる古代もしくは現代のオオカミで見られず、オオカミとイヌの混合は一般的ではなかったようなので、その可能性は低そうです(関連記事)。この早期の年代から、イヌは人類がアメリカ大陸に到来する前までに家畜化された可能性が高い、と示唆されます。以下、本論文の図2です。
●アメリカ大陸における最初の人類
アメリカ大陸最初の人類の起源に関する理解は、アメリカ大陸とアジア北東部における新たな遺跡の特定と古代DNA研究により、過去10年で飛躍的に発展しました。ゲノムの証拠からは、アメリカ大陸先住民系統はアジア東部集団の祖先と3万年前頃(95%信頼区間で36400~26800年前)に分岐したと推定されています。核ゲノムデータに基づくと24000年前頃(95%信頼区間で27900~20900年前)、mtDNAデータに基づくと24900~18400年前頃(関連記事)、アメリカ大陸先住民系統は少なくとも2つの集団に分岐しました。一方はアジア北東端に留まったように見える古代旧シベリア集団(APS)で、もう一方はアメリカ大陸先住民の基底部系統になりました。両集団はその後別々に、シベリア北端の31600年前頃となるヤナRHS(Yana Rhinoceros Horn Site)と、バイカル湖近くのマリタ(Mal’ta)遺跡で検出された、古代シベリア北部集団(ANS)から遺伝子流動を受けました(関連記事)。
最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)に、アメリカ大陸先住民の基底部系統は、アメリカ大陸に拡散する前までアジア北東部で孤立していたようです。現時点では、この地域における他の集団とのその後の遺伝子流動の証拠はありませんが、遺伝的に見えない他集団との相互作用の可能性は除外されません。この孤立期間は、その推定される場所に因んで、ベーリンジア潜伏モデルとして知られています(関連記事)。核DNAとY染色体とmtDNAに基づくベーリンジア潜伏期間の推定値はさまざまですが、全体的に、ベーリンジアでの潜伏は2400~9000年間続いた可能性がある、と示唆されています(関連記事)。
現時点での証拠からは、このベーリンジア潜伏期間、おそらくは21000年前頃(95%信頼区間で21900~18100年前)に、このアメリカ大陸先住民基底部系統は少なくとも2つの区別できる集団に分岐した、と示唆されています。一方は古代ベーリンジア集団(AB)で、もう一方は祖先的アメリカ大陸先住民集団(ANA)です(関連記事)。ABとANAの両集団は分岐後にベーリンジア東部(現在のアラスカ)に拡散しましたが、その拡散の年代や、同時に移動したのかどうか、相互に分岐してからどの程度の期間一定の遺伝子流動を維持したのか、不明です。両集団はアラスカに到達しましたが、現時点ではABのゲノム証拠は、アラスカよりも南方もしくは9000年前頃以後のアラスカ集団では見つかっていません。
一方ANA系統は、15700年前頃(95%信頼区間で17500~14600年前)に北方系統(NNA)と南方系統(SNA)に分岐した後、氷床の南側の北アメリカ大陸に到達しました。NNA集団とSNA集団は、遺伝的にABと等距離なので、ANA がAB系統により表される集団から分岐した後に、NNAとSNAの分岐が起きたに違いありません。この分岐は、ANAがアラスカから南方へ移動していた時に起きた、と推測されます。
この分岐の推定年代と、アメリカ大陸の人類の考古学的証拠(関連記事)から、氷床より南方のアメリカ大陸への経路は太平洋沿岸に違いなかった、と示唆されます。氷床間の内陸経路(無氷回廊)という代替案もありますが、まだ氷床は開いておらず、人類に必要な動植物資源の証拠もこれを支持しません。どれくらい早く人類がアメリカ大陸に到達したのか、不明です。発見された最古の遺跡はアメリカ大陸で最古とは限らないため、考古学的証拠は下限年代しか提供しません。一方、早ければ27900年前頃かもしれない遺伝的推定値は、上限年代を提供します。なぜならば、移住過程はアメリカ大陸先住民の基底部の分岐の後であるに違いないからです。しかし、LGMに確実に先行するか、その期間中に居住されていたアメリカ大陸の遺跡がないことは、注目に値します。人類がアメリカ大陸の氷床よりも南方に到達すると、NNA系統の地理的拡大は比較的限定されていたようです。しかしSNA系統は、アメリカ大陸全域に拡散し、その過程で遺伝的に分岐していき、それは14100年前頃(95%信頼区間で14900~13200年前)には始まっていたようです(関連記事)。
●後期更新世の人類とイヌの系統分岐の一致
アメリカ大陸は人類が移住した世界最後の地域の一つで、北アメリカ大陸のイヌの古さに基づくと、アメリカ大陸最初の人類はアメリカ大陸に到来した時にイヌ科動物を伴っていた可能性があります。イヌは、人類が急速に北半球に拡散したのに役立ったかもしれない、より大きな文化的要素の一部でした(関連記事)。人類はイヌを伴わずにアメリカ大陸に到来できたかもしれませんが、イヌは人類と共にアメリカ大陸に拡散してきたに違いありません。また、人類集団が相互に分裂した時にイヌを連れて行った、と推測することも合理的です。したがって、それぞれの集団分岐を提携させることにより、後期更新世の移動の年代を特定できます(図1)。以下、本論文の図1です。
イヌと人類で得られた推定分岐年代の比較には課題があります。アメリカ大陸におけるイヌの導入と関連する年代はmtDNAデータに由来し、とくに祖先集団が大規模ならば、集団分岐に先行する祖先の合着事象を表します。しかし、北極圏以外の全ての古代アメリカ大陸のイヌは同じmtHg-A2bに分類され、これは古代シベリアのイヌ系統と16400年前頃(95%信頼区間で18600~14300年前)に合着します(関連記事)。これはアメリカ大陸におけるイヌの導入の上限年代を提供しますが、古代アメリカ大陸のイヌ系統の創始者と関連する集団ボトルネック(瓶首効果)の証拠から、この年代が実際には、古代のシベリアとアメリカ大陸のイヌの集団分岐に近いかもしれない、と示唆されます。mtHg-A2b間の最も深い合着事象は15000年前頃(95%信頼区間で16900~13400年前)にさかのぼります。mtHg-A2bがアメリカ大陸外では事実上存在しないことを考えると、この最も深い合着はアメリカ大陸のイヌの祖先集団で起きた可能性が高そうです。したがって、この年代は、アメリカ大陸とシベリアのイヌの分岐の下限に近いと解釈できます。
この年代は、アメリカ大陸への人類最初の移住年代とひじょうに一致しており、いくつかの重要な分岐結節点に共通しています。まず、イヌにおける最も深い分岐は26000~19700年前頃で、27900~20900年前頃となるAPSとANAおよびAB間の分岐と同年代です。この対応は、ANA系統が確立した頃には、イヌがすでに家畜化されていた、と示唆します。次に、mtHg-A2b(アメリカ大陸のイヌ)とA2a(シベリアおよびアメリカ大陸北極圏のイヌ)の合着は18600~14300年前頃で、mtHg-A2b 内の最古の合着事象は16900~13400年前頃で、アメリカ大陸先住民の主要な2系統(NNAとSNA)の分岐年代(17500~14600年前頃)と重なります。これは、アメリカ大陸における主要な人類とイヌの系統が同時に発生し、分岐したことを示唆します。北アメリカ大陸におけるイヌ遺骸の古さ(1万年前頃)と組み合わせたこの証拠と、前期~中期完新世(9000~5000年前頃)までにアメリカ大陸への後の人類の移住が欠如していること(関連記事)から、イヌは更新世にベーリンジアを横断し、mtHg-A2bが分散していった15000年前頃までに氷床より南方のアメリカ大陸に存在していたと示唆され、これはSNA系統の広範で急速な拡散と一致します。
ANAもしくはABのいずれかが、アメリカ大陸にイヌを導入したかもしれません。なぜならば、両集団によるベーリンジアの横断を裏づける考古学的証拠があるからです。しかし、両集団は同時にベーリンジアに到来しなかったかもしれません。ABは独特な細石刃・細石核石器技術と関連しており、これはシベリア東部の16800年前頃となるディウクタイ洞窟遺跡で見られ、ベーリンジア西部へと北東に拡大し、スワンポイント(Swan Point)遺跡に見られるように、最終的には14200年前頃にアラスカへ到達しました。しかし、その時点までに、ひじょうに異なる技術を用いる人類がすでに氷床より南方のアメリカ大陸には千年以上存在しており、アメリカ大陸全域に拡散し始めていました(関連記事)。時空間を越えた石器技術伝統(収斂の結果として類似の石器は容易に生まれます)間、もしくは石器と人類集団間のつながりを示すさいには常に注意が必要ですが、上記の証拠からは、ABがアラスカに到達するまでに、ANAとイヌはすでにベーリンジアを通過していた、と示唆されます。これは、ANAがアメリカ大陸にイヌを導入した最初の人類だったことを示唆します。
●シベリアにおけるイヌの家畜化
人類とイヌの集団分岐におけるこれらの類似は、イヌの起源に関して以前に提案された仮説の再評価を可能とする制約を課し、イヌの家畜化の年代と場所に関する仮説を提案します。一方では、イヌの祖先となった系統を含むオオカミ系統間の推定される分岐は、4万年前頃という家畜化の上限年代を提供します(関連記事)。他方、本論文では、イヌはベーリンジアをこの地域最初の人類とともに横断したと確認されたので、15000年前頃までに到達したというアメリカ大陸の人類の考古学的証拠は、イヌの家畜化の下限年代を提供します。イヌはアメリカ大陸では家畜化されなかった、と示唆する証拠(関連記事)と組み合わせると、イヌが15000年前頃以前にシベリアに存在した、と示されます。
人類の古代ゲノム研究では、この頃にシベリアとベーリンジア西部に存在した複数の遺伝的に異なる集団が特定されてきました。これには、ANSやAPS、21000年前頃にANAとABに分岐するアメリカ大陸先住民の基底部系統が含まれます(図1)。古代ゲノムデータからは、これらシベリアの集団間における23000年前頃以後、もしくは39000年前頃以降となるシベリア外の集団との顕著な遺伝子流動はなかった、と示唆されています(関連記事)。この時期に、北極圏および亜北極圏のシベリアとベーリンジアにおける遺跡は少ない、と示されています。まとめると、この証拠から、シベリアとベーリンジアにおける人類集団は小規模で、比較的孤立して暮らしていたに違いない、と示唆されます。ANAとABが(別々に)アメリカ大陸へと渡った時まで、これらの集団はその地に留まったようです。
シベリア外の共同体との相互作用がほとんどもしくは全くないとというこの証拠は、ANAが人類とともにアメリカ大陸へと渡ったイヌをどのように獲得したのか、という問題を提起します。考えられる理由の一つは、イヌはシベリアもしくはベーリンジア西部のどこかで、ANAがアメリカ大陸へと拡散する前の更新世にオオカミ集団から家畜化された、というものです。以前の研究では遺伝的証拠に基づいて、イヌがアジア東部かヨーロッパかアジア中央部のどれか、もしくはこれらの地域のどこか一つもしくは複数地域で独立して家畜化された(関連記事)、と示唆されてきました。イヌがユーラシア西部で家畜化されたならば、イヌがシベリアへと東方に拡大するには、人類の広範囲の移動が必要だったでしょう。これはあり得るものの、ユーラシア東西の人類集団がすでに39000年前頃(95%信頼区間で45800~32200年前)には分岐していたことを考えると(関連記事)、可能性は低そうです。
LGMにシベリアに存在したと知られている人類集団(ANA・AB・APS・ANSおよびその祖先系統)のいずれかが、家畜化されたイヌを飼っていたかもしれません。しかし、ANAと関連するイヌは、基底部系統ではなく北極圏のイヌとのクラスタを表しており、最初の家畜化されたイヌ集団ではない、と示唆されます。同様に、APSは家畜化されたイヌを飼っていたかもしれませんが、ANAとの相互作用のゲノム証拠はありません。ただ、両者が遭遇したものの、考古学や遺伝学には記録が残らなかったかもしれません。同じく、イヌはABにより家畜化されたかもしれませんが、現時点では、ANAとの相互作用の遺伝的証拠はありません。それにも関わらず、イヌは21000年前頃の分岐の前に祖先系統を共有していたことから、家畜化されていた可能性があります。
したがって、除去の過程および他のいくつかの理由により、ANSはイヌの家畜化過程を開始した可能性が最も高い集団を表します。たとえば、24000年前頃のマリタや17000年前頃のアフォントヴァゴラといったシベリアの遺跡のANS個体群は、これらの集団から古代のアメリカ大陸先住民およびユーラシア西部系統両方への後期更新世の遺伝子流動の証拠を示します(関連記事)。これは、イヌを異なる集団にもたらし、家畜化後の東西両方向への移動の仕組みを提供します。後期更新世のイヌかもしれない遺骸はアフォントヴァゴラ遺跡で特定されており、おそらくは基底部系統を表すものの、これらイヌ科遺骸のゲノムはまだ分析されていません。この仮説は、家畜イヌの単一起源を支持する最近の研究(関連記事)と適合しており、ユーラシア西部と近東とアメリカ大陸における15000年前頃までのイヌの存在を一致させます。
LGMにおけるシベリアでのイヌの家畜化は、この過程の妥当な背景を提供します。気候条件は、同じ獲物種への魅力を考えると、人類とオオカミの集団に退避地域内でのより近接した関係をもたらしたかもしれません。オオカミと人類は、おそらく相互の獲物の死肉漁り、もしくは人類の野営地のゴミに引き寄せられたオオカミに起因して、両者の相互作用が増加したことで、種間の関係の変化が始まり、ついにはイヌの家畜化につながったのかもしれません。アフォントヴァゴラ遺跡やディウクタイ洞窟のイヌを含む、シベリアの後期更新世のイヌかもしれない遺骸の最近確認された個体数は、この仮説の検証機会を提供します。
●まとめ
シベリアとアメリカ大陸の初期の人類とイヌ両方の考古学的証拠は希薄です。回収された少数の遺骸から古代DNAを分離して配列する能力は、最初にベーリンジアを東方へと移動してアメリカ大陸へと拡散した集団への新たな洞察をじょじょに提供しつつあります。イヌのmtDNAデータは単一の遺伝子座の歴史を反映しており、イヌ集団史の復元には核ゲノム配列が必要です。それにも関わらず、イヌのmtDNA系統の合着年代の推定からは、イヌと人類がシベリアからアメリカ大陸への集団の分岐と居住の相関した歴史を共有している、と示唆されます。より具体的には、アメリカ大陸に到来した最初の人類は、イヌを伴っていた可能性が高い、と提案されます。その後の各集団内の地理的拡散と遺伝的分岐は、人類とイヌがどこに行ったのか、示唆します。
シベリアとベーリンジアにおける人類とイヌの初期の遺伝的歴史の収斂から、ここは人類とオオカミが最初に家畜化関係に入った地域かもしれない、と示唆されます。イヌのmtHg-Aの最終共通祖先の最古の年代からは、この家畜化過程がすでに26000~19700年前頃までには始まっており、この年代は11000~4000年前頃というユーラシアの考古学的記録における最初の明確なイヌに先行します。この広範な地域は、限定的な発掘と組み合わされて、シベリアにおけるより早期のイヌ遺骸の欠如を説明するかもしれません。この仮説を検証するには、アフォントヴァゴラ遺跡のイヌ科遺骸のような、わずかな既知の推定されるイヌ遺骸の将来の分析が必要です。
オオカミからの出現以来、イヌは人類社会内でさまざまな役割を果たしてきており、その多くは世界中の文化の生活様式にとくに結びついています。将来の考古学的研究は、多くの科学的手法と組み合わされて、人類とイヌとの間の相互関係がどのように出現し、世界中に拡散するのに成功したのか、明らかにするでしょう。本論文で指摘されるように、イヌは人類にとってひじょうに身近な動物で、最古の家畜化された種と考えられ、関心が高いため研究も盛んなように思われます。最近も、肉の消費の観点からイヌの家畜化の初期段階を推測した研究が公表されました(関連記事)。本論文はイヌに関してはあくまでもmtDNAデータに基づいており、今後の核ゲノムデータの分析の進展により、イヌの家畜化過程がより詳しく解明されていくのではないか、と期待されます。
参考文献:
Perri AR. et al.(2021): Dog domestication and the dual dispersal of people and dogs into the Americas. PNAS, 118, 6, e2010083118.
https://doi.org/10.1073/pnas.2010083118
人類の拡散と特定のイヌ系統との間のこれらの相関は、ずっと早く、おそらくはイヌがユーラシアのハイイロオオカミの祖先から家畜化された後に始まったかもしれませんが、家畜化の起きた正確な場所とその回数は不明なままです。1万年前頃までにアメリカ大陸で考古遺伝学的に報告されたイヌの存在から、イヌはアジア北東部からベーリンジア(ベーリング陸橋)を横断してアメリカ大陸へと初期人類集団と共に移動してきた、と示唆されています。現在の考古学および遺伝学の証拠に基づくと、この移動は15000年前頃以前に起きた可能性が高そうです(関連記事)。本論文は、後期更新世のシベリアとベーリンジアと北アメリカ大陸の記録と新たに利用可能になった証拠を利用して、アメリカ大陸最初の人類がイヌとともにアメリカ大陸で拡散していった、という可能性を評価します。この分析により、この拡散過程をよりよく理解し、家畜イヌの時空間的起源の仮説を提示できます。
●最初のイヌ
多くの考古年代測定手法が適用され、イヌの家畜化の年代と地理を確立するために、オオカミとイヌと人類との間の相互作用が報告されてきました。これらの研究ではまず、イヌが最初の家畜化された動物で、更新世に人類と家畜関係に入った唯一の種だった、と示されました。次に、イヌの起源となった特定のオオカミ集団は絶滅したようだ、と示されました。最後に、現代および古代のイヌとオオカミの遺伝学および考古学の証拠から、イヌの家畜化はユーラシアで起きた、と示されました。イヌと人類の関係が始まった環境、年代、独立して起きたかもしれない家畜化の回数と(単一もしくは複数の)場所を含む、イヌの家畜化の他の多くの側面は未解決です。
家畜化につながった人類とオオカミの相互作用の変化は、さまざまな手法で扱われており、最初の認識可能な家畜イヌがいつ出現したのか、議論が続いています。最初の一般的に受け入れられているイヌの年代は15000年前頃で、ドイツのボン・オーバーカッセル(Bonn-Oberkassel)遺跡で証拠が得られました。しかし、古代のイヌ科遺骸の形態学・同位体・遺伝学・文脈的評価に基づいて、家畜イヌは早くも4万年前頃には存在した、とも主張されています。しかし、これらの潜在的な家畜化の標識は、オオカミと初期の家畜イヌは相互に区別が困難かもしれない、という事実のため確実ではありません。
たとえば、歯の密集や頭蓋の大きさや鼻の長さの縮小のような、家畜化を識別するのに用いられてきた一般的な形態学的特徴は、イヌとオオカミを明確な区別できないことがよくあります。同位体特性や食性の推測は、初期のイヌを識別するのに用いられてきましたが、同位体の変動がオオカミの食性としばしば一致することを考慮すると、疑問視されてきました。さらに、これらの提案された初期のイヌの遺伝的分析では、初期のイヌが古代もしくは現代のイヌと同じ系統に属していない、と示されてきました。複数の研究からのゲノム推定では、イヌの祖先となった系統を含めてオオカミ系統内の分岐年代は40000~27000年頃となりますが、この年代が家畜化過程の開始を反映している可能性は低そうです。また、家畜イヌの存在が主張されている遺跡に関しては、生きて繁殖するイヌ集団の存在を示唆する特徴である、肉食獣の噛んだ痕跡もしくは仔イヌが欠如していることに基づいて、疑問が呈されてきました。
したがって、ベルギーのゴイエット(Goyet)遺跡における家畜イヌの存在という主張は、その頭蓋と歯の形態がオオカミである可能性を除外できないので、議論されてきました。これらイヌ科のmtDNA分析でも、遺伝的にあらゆるイヌのmtHgとひじょうに異なる古代ヨーロッパのオオカミ系統に分類される、と示されました。同様に、シベリアのサハ共和国のウラハーンスラー(Ulakhan Sular)遺跡やトゥマット(Tumat)遺跡、アルタイ地域のラズボイニクヤ(Razboinichya)遺跡、シベリア北極圏のベレリョフ遺跡(Berelekh)、ヨーロッパロシアのコステンキ-ボルシェヴォ(Kostenki-Borshchevo)遺跡群の一つであるコステンキ8(Kostenki 8)遺跡、シベリアのシスバイカル地域のエリゼーヴィッチ(Eliseevichi)遺跡で提案されてきた旧石器時代のイヌ科遺骸の遺伝的分析では、これらのイヌ科はイヌというよりは古代および現代のオオカミと密接に関連している、と示されてきました。
チェコ共和国のプシェドモスティ(Předmostí)遺跡のイヌと主張されている遺骸の少なくとも1点も、イヌよりもオオカミの方と遺伝的類似性を示します。これらのイヌ科遺骸の家畜化との指摘も同様に、その歯と頭蓋の形態に基づいて疑問視されてきました。プシェドモスティ遺跡のイヌと主張されてきた遺骸の、食性の同位体および歯の微視的使用痕分析も、地元のオオカミ集団の変動範囲内に収まるかもしれません。さらに、プシェドモスティ遺跡では、肉食獣の噛んだ痕跡もしくは仔イヌの証拠が欠けており、プシェドモスティ遺跡におけるイヌ集団の存在にさらなる疑問を提起します。後期更新世のイヌに関する全ての主張の課題は、いくつかの証拠にわたって、疑問を呈されている標本が明確に同時代のオオカミと区別できる、と決定的に示すことでした。本論文では保守的手法が採用され、分類学的状態が明確に家畜化されているイヌ科遺骸のみが含まれます。
形態学・遺伝学・同位体・文脈的証拠の集中に基づくと、最初の一般的に受け入れられている家畜イヌ遺骸は、ドイツのボン・オーバーカッセル(Bonn-Oberkassel)遺跡で発見された15000年前頃のものです。この若いイヌの形態および遺伝子は、明確に地元のオオカミと区別されます。このイヌがヒトと共に葬られ、疾患後に世話を受けた証拠からも、イヌと示唆されます。同時代の家畜イヌに関しては、フランスやドイツやイスラエルやイタリアやスイスの遺跡でも主張されています。形態と文脈に基づくと、追加のイヌかもしれない遺骸は、アフォントヴァゴラ(Afontova Gora)やディウクタイ洞窟(Diuktai Cave)やヴァーホーレンスカイア・ゴラ遺跡(Verkholenskaia Gora)といった更新世のシベリアの遺跡に存在するかもしれませんが、まだ確定されていません。アメリカ大陸では、最初の確認された考古学的なイヌ遺骸は、形態と遺伝と同位体と文脈の証拠に基づくと、1万年前頃となるコスター(Koster)およびスティルウェル2(Stilwell II)遺跡に由来します。
遺伝的観点から、何百もの古代および現代のイヌ科のミトコンドリアおよび核のゲノムが配列されてきました。核ゲノムデータの分析では、全てのイヌは遺伝的に均質な集団で、主要な3祖先系統からさまざま程度の系統構成要素を有している、と示唆されています。それは、ユーラシア西部系統(おもにヨーロッパとインドとアフリカのイヌで見られます)と、アジア東部系統(たとえばディンゴ)、北極圏系統(たとえば、ハスキーや古代アメリカ大陸イヌ)です。数十頭の古代イヌのゲノムに関する最近の研究では、少なくとも11000年前頃までに、これらの系統が全て確立していた、と示唆されています(関連記事)。
mtDNAデータでは、現代のイヌの大半が4単系統mtHg(A・B・C・D)の1つに分類され、それはmtHg-Aと示唆されています。最近の古代DNA研究では、北極圏より南方のアメリカ大陸における先コロンブス期の全てのイヌは特有のmtHg-A2bを有しており、これはアメリカ大陸の内外の現代のイヌでは事実上消滅しています(0.5%)。mtHg-A2b内では、4系統の追加のよく裏づけられた単系統下位mtHgがあり、mtHg-A2b1・A2b4はアメリカ大陸でしか見られません。これら4系統のmtHgのうち、A2b1はカリフォルニア州のチャネル諸島からアルゼンチンまでアメリカ大陸全域に存在しますが、他の3系統は現在のデータを考慮すると、地理的に限定されています(図2)。
分子時計分析により、mtHg-A内の分岐と関連する年代が明らかになりました。まず、基底部に位置するmtHg-A1bとA2A間の分岐は、22800年前頃(95%信頼区間で26000~19700年前)です。この年代は、イヌのミトコンドリア2系統間の最古となる既知の合着(合祖)を表しており、イヌは考古学的記録における最初の出現に数千年先行して家畜化された、と示唆されます。この推定年代は、オオカミとイヌとの間の後の遺伝子流動に影響を受けたかもしれませんが、これらのmtHgはあらゆる古代もしくは現代のオオカミで見られず、オオカミとイヌの混合は一般的ではなかったようなので、その可能性は低そうです(関連記事)。この早期の年代から、イヌは人類がアメリカ大陸に到来する前までに家畜化された可能性が高い、と示唆されます。以下、本論文の図2です。
●アメリカ大陸における最初の人類
アメリカ大陸最初の人類の起源に関する理解は、アメリカ大陸とアジア北東部における新たな遺跡の特定と古代DNA研究により、過去10年で飛躍的に発展しました。ゲノムの証拠からは、アメリカ大陸先住民系統はアジア東部集団の祖先と3万年前頃(95%信頼区間で36400~26800年前)に分岐したと推定されています。核ゲノムデータに基づくと24000年前頃(95%信頼区間で27900~20900年前)、mtDNAデータに基づくと24900~18400年前頃(関連記事)、アメリカ大陸先住民系統は少なくとも2つの集団に分岐しました。一方はアジア北東端に留まったように見える古代旧シベリア集団(APS)で、もう一方はアメリカ大陸先住民の基底部系統になりました。両集団はその後別々に、シベリア北端の31600年前頃となるヤナRHS(Yana Rhinoceros Horn Site)と、バイカル湖近くのマリタ(Mal’ta)遺跡で検出された、古代シベリア北部集団(ANS)から遺伝子流動を受けました(関連記事)。
最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)に、アメリカ大陸先住民の基底部系統は、アメリカ大陸に拡散する前までアジア北東部で孤立していたようです。現時点では、この地域における他の集団とのその後の遺伝子流動の証拠はありませんが、遺伝的に見えない他集団との相互作用の可能性は除外されません。この孤立期間は、その推定される場所に因んで、ベーリンジア潜伏モデルとして知られています(関連記事)。核DNAとY染色体とmtDNAに基づくベーリンジア潜伏期間の推定値はさまざまですが、全体的に、ベーリンジアでの潜伏は2400~9000年間続いた可能性がある、と示唆されています(関連記事)。
現時点での証拠からは、このベーリンジア潜伏期間、おそらくは21000年前頃(95%信頼区間で21900~18100年前)に、このアメリカ大陸先住民基底部系統は少なくとも2つの区別できる集団に分岐した、と示唆されています。一方は古代ベーリンジア集団(AB)で、もう一方は祖先的アメリカ大陸先住民集団(ANA)です(関連記事)。ABとANAの両集団は分岐後にベーリンジア東部(現在のアラスカ)に拡散しましたが、その拡散の年代や、同時に移動したのかどうか、相互に分岐してからどの程度の期間一定の遺伝子流動を維持したのか、不明です。両集団はアラスカに到達しましたが、現時点ではABのゲノム証拠は、アラスカよりも南方もしくは9000年前頃以後のアラスカ集団では見つかっていません。
一方ANA系統は、15700年前頃(95%信頼区間で17500~14600年前)に北方系統(NNA)と南方系統(SNA)に分岐した後、氷床の南側の北アメリカ大陸に到達しました。NNA集団とSNA集団は、遺伝的にABと等距離なので、ANA がAB系統により表される集団から分岐した後に、NNAとSNAの分岐が起きたに違いありません。この分岐は、ANAがアラスカから南方へ移動していた時に起きた、と推測されます。
この分岐の推定年代と、アメリカ大陸の人類の考古学的証拠(関連記事)から、氷床より南方のアメリカ大陸への経路は太平洋沿岸に違いなかった、と示唆されます。氷床間の内陸経路(無氷回廊)という代替案もありますが、まだ氷床は開いておらず、人類に必要な動植物資源の証拠もこれを支持しません。どれくらい早く人類がアメリカ大陸に到達したのか、不明です。発見された最古の遺跡はアメリカ大陸で最古とは限らないため、考古学的証拠は下限年代しか提供しません。一方、早ければ27900年前頃かもしれない遺伝的推定値は、上限年代を提供します。なぜならば、移住過程はアメリカ大陸先住民の基底部の分岐の後であるに違いないからです。しかし、LGMに確実に先行するか、その期間中に居住されていたアメリカ大陸の遺跡がないことは、注目に値します。人類がアメリカ大陸の氷床よりも南方に到達すると、NNA系統の地理的拡大は比較的限定されていたようです。しかしSNA系統は、アメリカ大陸全域に拡散し、その過程で遺伝的に分岐していき、それは14100年前頃(95%信頼区間で14900~13200年前)には始まっていたようです(関連記事)。
●後期更新世の人類とイヌの系統分岐の一致
アメリカ大陸は人類が移住した世界最後の地域の一つで、北アメリカ大陸のイヌの古さに基づくと、アメリカ大陸最初の人類はアメリカ大陸に到来した時にイヌ科動物を伴っていた可能性があります。イヌは、人類が急速に北半球に拡散したのに役立ったかもしれない、より大きな文化的要素の一部でした(関連記事)。人類はイヌを伴わずにアメリカ大陸に到来できたかもしれませんが、イヌは人類と共にアメリカ大陸に拡散してきたに違いありません。また、人類集団が相互に分裂した時にイヌを連れて行った、と推測することも合理的です。したがって、それぞれの集団分岐を提携させることにより、後期更新世の移動の年代を特定できます(図1)。以下、本論文の図1です。
イヌと人類で得られた推定分岐年代の比較には課題があります。アメリカ大陸におけるイヌの導入と関連する年代はmtDNAデータに由来し、とくに祖先集団が大規模ならば、集団分岐に先行する祖先の合着事象を表します。しかし、北極圏以外の全ての古代アメリカ大陸のイヌは同じmtHg-A2bに分類され、これは古代シベリアのイヌ系統と16400年前頃(95%信頼区間で18600~14300年前)に合着します(関連記事)。これはアメリカ大陸におけるイヌの導入の上限年代を提供しますが、古代アメリカ大陸のイヌ系統の創始者と関連する集団ボトルネック(瓶首効果)の証拠から、この年代が実際には、古代のシベリアとアメリカ大陸のイヌの集団分岐に近いかもしれない、と示唆されます。mtHg-A2b間の最も深い合着事象は15000年前頃(95%信頼区間で16900~13400年前)にさかのぼります。mtHg-A2bがアメリカ大陸外では事実上存在しないことを考えると、この最も深い合着はアメリカ大陸のイヌの祖先集団で起きた可能性が高そうです。したがって、この年代は、アメリカ大陸とシベリアのイヌの分岐の下限に近いと解釈できます。
この年代は、アメリカ大陸への人類最初の移住年代とひじょうに一致しており、いくつかの重要な分岐結節点に共通しています。まず、イヌにおける最も深い分岐は26000~19700年前頃で、27900~20900年前頃となるAPSとANAおよびAB間の分岐と同年代です。この対応は、ANA系統が確立した頃には、イヌがすでに家畜化されていた、と示唆します。次に、mtHg-A2b(アメリカ大陸のイヌ)とA2a(シベリアおよびアメリカ大陸北極圏のイヌ)の合着は18600~14300年前頃で、mtHg-A2b 内の最古の合着事象は16900~13400年前頃で、アメリカ大陸先住民の主要な2系統(NNAとSNA)の分岐年代(17500~14600年前頃)と重なります。これは、アメリカ大陸における主要な人類とイヌの系統が同時に発生し、分岐したことを示唆します。北アメリカ大陸におけるイヌ遺骸の古さ(1万年前頃)と組み合わせたこの証拠と、前期~中期完新世(9000~5000年前頃)までにアメリカ大陸への後の人類の移住が欠如していること(関連記事)から、イヌは更新世にベーリンジアを横断し、mtHg-A2bが分散していった15000年前頃までに氷床より南方のアメリカ大陸に存在していたと示唆され、これはSNA系統の広範で急速な拡散と一致します。
ANAもしくはABのいずれかが、アメリカ大陸にイヌを導入したかもしれません。なぜならば、両集団によるベーリンジアの横断を裏づける考古学的証拠があるからです。しかし、両集団は同時にベーリンジアに到来しなかったかもしれません。ABは独特な細石刃・細石核石器技術と関連しており、これはシベリア東部の16800年前頃となるディウクタイ洞窟遺跡で見られ、ベーリンジア西部へと北東に拡大し、スワンポイント(Swan Point)遺跡に見られるように、最終的には14200年前頃にアラスカへ到達しました。しかし、その時点までに、ひじょうに異なる技術を用いる人類がすでに氷床より南方のアメリカ大陸には千年以上存在しており、アメリカ大陸全域に拡散し始めていました(関連記事)。時空間を越えた石器技術伝統(収斂の結果として類似の石器は容易に生まれます)間、もしくは石器と人類集団間のつながりを示すさいには常に注意が必要ですが、上記の証拠からは、ABがアラスカに到達するまでに、ANAとイヌはすでにベーリンジアを通過していた、と示唆されます。これは、ANAがアメリカ大陸にイヌを導入した最初の人類だったことを示唆します。
●シベリアにおけるイヌの家畜化
人類とイヌの集団分岐におけるこれらの類似は、イヌの起源に関して以前に提案された仮説の再評価を可能とする制約を課し、イヌの家畜化の年代と場所に関する仮説を提案します。一方では、イヌの祖先となった系統を含むオオカミ系統間の推定される分岐は、4万年前頃という家畜化の上限年代を提供します(関連記事)。他方、本論文では、イヌはベーリンジアをこの地域最初の人類とともに横断したと確認されたので、15000年前頃までに到達したというアメリカ大陸の人類の考古学的証拠は、イヌの家畜化の下限年代を提供します。イヌはアメリカ大陸では家畜化されなかった、と示唆する証拠(関連記事)と組み合わせると、イヌが15000年前頃以前にシベリアに存在した、と示されます。
人類の古代ゲノム研究では、この頃にシベリアとベーリンジア西部に存在した複数の遺伝的に異なる集団が特定されてきました。これには、ANSやAPS、21000年前頃にANAとABに分岐するアメリカ大陸先住民の基底部系統が含まれます(図1)。古代ゲノムデータからは、これらシベリアの集団間における23000年前頃以後、もしくは39000年前頃以降となるシベリア外の集団との顕著な遺伝子流動はなかった、と示唆されています(関連記事)。この時期に、北極圏および亜北極圏のシベリアとベーリンジアにおける遺跡は少ない、と示されています。まとめると、この証拠から、シベリアとベーリンジアにおける人類集団は小規模で、比較的孤立して暮らしていたに違いない、と示唆されます。ANAとABが(別々に)アメリカ大陸へと渡った時まで、これらの集団はその地に留まったようです。
シベリア外の共同体との相互作用がほとんどもしくは全くないとというこの証拠は、ANAが人類とともにアメリカ大陸へと渡ったイヌをどのように獲得したのか、という問題を提起します。考えられる理由の一つは、イヌはシベリアもしくはベーリンジア西部のどこかで、ANAがアメリカ大陸へと拡散する前の更新世にオオカミ集団から家畜化された、というものです。以前の研究では遺伝的証拠に基づいて、イヌがアジア東部かヨーロッパかアジア中央部のどれか、もしくはこれらの地域のどこか一つもしくは複数地域で独立して家畜化された(関連記事)、と示唆されてきました。イヌがユーラシア西部で家畜化されたならば、イヌがシベリアへと東方に拡大するには、人類の広範囲の移動が必要だったでしょう。これはあり得るものの、ユーラシア東西の人類集団がすでに39000年前頃(95%信頼区間で45800~32200年前)には分岐していたことを考えると(関連記事)、可能性は低そうです。
LGMにシベリアに存在したと知られている人類集団(ANA・AB・APS・ANSおよびその祖先系統)のいずれかが、家畜化されたイヌを飼っていたかもしれません。しかし、ANAと関連するイヌは、基底部系統ではなく北極圏のイヌとのクラスタを表しており、最初の家畜化されたイヌ集団ではない、と示唆されます。同様に、APSは家畜化されたイヌを飼っていたかもしれませんが、ANAとの相互作用のゲノム証拠はありません。ただ、両者が遭遇したものの、考古学や遺伝学には記録が残らなかったかもしれません。同じく、イヌはABにより家畜化されたかもしれませんが、現時点では、ANAとの相互作用の遺伝的証拠はありません。それにも関わらず、イヌは21000年前頃の分岐の前に祖先系統を共有していたことから、家畜化されていた可能性があります。
したがって、除去の過程および他のいくつかの理由により、ANSはイヌの家畜化過程を開始した可能性が最も高い集団を表します。たとえば、24000年前頃のマリタや17000年前頃のアフォントヴァゴラといったシベリアの遺跡のANS個体群は、これらの集団から古代のアメリカ大陸先住民およびユーラシア西部系統両方への後期更新世の遺伝子流動の証拠を示します(関連記事)。これは、イヌを異なる集団にもたらし、家畜化後の東西両方向への移動の仕組みを提供します。後期更新世のイヌかもしれない遺骸はアフォントヴァゴラ遺跡で特定されており、おそらくは基底部系統を表すものの、これらイヌ科遺骸のゲノムはまだ分析されていません。この仮説は、家畜イヌの単一起源を支持する最近の研究(関連記事)と適合しており、ユーラシア西部と近東とアメリカ大陸における15000年前頃までのイヌの存在を一致させます。
LGMにおけるシベリアでのイヌの家畜化は、この過程の妥当な背景を提供します。気候条件は、同じ獲物種への魅力を考えると、人類とオオカミの集団に退避地域内でのより近接した関係をもたらしたかもしれません。オオカミと人類は、おそらく相互の獲物の死肉漁り、もしくは人類の野営地のゴミに引き寄せられたオオカミに起因して、両者の相互作用が増加したことで、種間の関係の変化が始まり、ついにはイヌの家畜化につながったのかもしれません。アフォントヴァゴラ遺跡やディウクタイ洞窟のイヌを含む、シベリアの後期更新世のイヌかもしれない遺骸の最近確認された個体数は、この仮説の検証機会を提供します。
●まとめ
シベリアとアメリカ大陸の初期の人類とイヌ両方の考古学的証拠は希薄です。回収された少数の遺骸から古代DNAを分離して配列する能力は、最初にベーリンジアを東方へと移動してアメリカ大陸へと拡散した集団への新たな洞察をじょじょに提供しつつあります。イヌのmtDNAデータは単一の遺伝子座の歴史を反映しており、イヌ集団史の復元には核ゲノム配列が必要です。それにも関わらず、イヌのmtDNA系統の合着年代の推定からは、イヌと人類がシベリアからアメリカ大陸への集団の分岐と居住の相関した歴史を共有している、と示唆されます。より具体的には、アメリカ大陸に到来した最初の人類は、イヌを伴っていた可能性が高い、と提案されます。その後の各集団内の地理的拡散と遺伝的分岐は、人類とイヌがどこに行ったのか、示唆します。
シベリアとベーリンジアにおける人類とイヌの初期の遺伝的歴史の収斂から、ここは人類とオオカミが最初に家畜化関係に入った地域かもしれない、と示唆されます。イヌのmtHg-Aの最終共通祖先の最古の年代からは、この家畜化過程がすでに26000~19700年前頃までには始まっており、この年代は11000~4000年前頃というユーラシアの考古学的記録における最初の明確なイヌに先行します。この広範な地域は、限定的な発掘と組み合わされて、シベリアにおけるより早期のイヌ遺骸の欠如を説明するかもしれません。この仮説を検証するには、アフォントヴァゴラ遺跡のイヌ科遺骸のような、わずかな既知の推定されるイヌ遺骸の将来の分析が必要です。
オオカミからの出現以来、イヌは人類社会内でさまざまな役割を果たしてきており、その多くは世界中の文化の生活様式にとくに結びついています。将来の考古学的研究は、多くの科学的手法と組み合わされて、人類とイヌとの間の相互関係がどのように出現し、世界中に拡散するのに成功したのか、明らかにするでしょう。本論文で指摘されるように、イヌは人類にとってひじょうに身近な動物で、最古の家畜化された種と考えられ、関心が高いため研究も盛んなように思われます。最近も、肉の消費の観点からイヌの家畜化の初期段階を推測した研究が公表されました(関連記事)。本論文はイヌに関してはあくまでもmtDNAデータに基づいており、今後の核ゲノムデータの分析の進展により、イヌの家畜化過程がより詳しく解明されていくのではないか、と期待されます。
参考文献:
Perri AR. et al.(2021): Dog domestication and the dual dispersal of people and dogs into the Americas. PNAS, 118, 6, e2010083118.
https://doi.org/10.1073/pnas.2010083118
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