ドイツの新石器時代集団の遺伝的構成
ドイツの新石器時代集団の遺伝的構成に関する研究(Immel et al., 2021)が公表されました。過去数年にわたって、大規模な古代DNA研究により、ヨーロッパの古代人および現代人の複雑な遺伝的歴史が明らかにされてきました(関連記事)。最近の研究は、とくに新石器時代の人口動態に焦点を当てています。紀元前5450~紀元前4900年頃となる均一な線形陶器文化(Linear Pottery、Linearbandkeramik、略してLBK)とともにヨーロッパ中央部全域で出現する最初の農耕民は、おそらく狩猟採集民と約2000年間共存していました。農耕民と狩猟採集民の両集団は近接して居住していたと考えられていますが、当初、混合は限定的でした(関連記事)。この状況は、初期農耕民による狩猟採集民集団に典型的なゲノム構成要素の遺伝子移入を通じて、紀元前4400~紀元前2800年頃に変わりました。
後期新石器時代は、強い地域的な多様化と分類の小単位の寄せ集め(たとえば、考古学的文化)により考古学的に特徴づけられます。後期新石器時代開始期に出現したヨーロッパ西部のそうした単位のうち一つは、紀元前3500~紀元前2800年頃となるヴァルトベルク(Wartberg)文化(WBC)と関連しており、これは紀元前3800~紀元前3500年頃となる後期ミシェスベルク(Late Michelsberg)文化(MC)から発展した可能性が最も高そうです。WBCはおもにドイツ中西部で見られます(図1)。WBCは隣接する地域とは異なる巨大回廊墓の巨石建築で知られていますが、パリ盆地とブルターニュ地方の同様の遺跡とひじょうによく似ています。いくつかの方向からの文化的影響を接続するWBCの中心的な地理的位置にも関わらず、WBC遺跡群の人類遺骸のゲノム規模データはこれまで調査されてきませんでした。
この研究は、ドイツのヘッセン州のニーダーティーフェンバッハ(Niedertiefenbach)町近くのWBC回廊墓に埋葬された、紀元前3300~紀元前3200年頃となる42個体のゲノム規模分析を行ないました。通常は特定の遺跡と期間の少数個体を含む他のゲノム規模古代DNA研究とは対照的に、本論文は、集団墓地を約100年間使用した埋葬共同体のある一時点を提供します。集団遺伝学と親族関係分析の実行に加えて、免疫関連のHLA(ヒト白血球型抗原)領域も調べられました。この手法により、ニーダーティーフェンバッハ町近くのWBC関連の人々遺伝的系統の復元だけではなく、後期新石器時代集団の免疫関連遺伝子の構成への洞察も得られました。以下、本論文の図1です。
●DNA解析
ニーダーティーフェンバッハ町近くのWBC回廊墓の個体群のうち、25個体で年代が測定されました。この25個体全ての年代は、紀元前3300~紀元前3200年頃と示唆されました。89個体のうち汚染を示す個体を除いた42個体のゲノムデータが、以下の分析で用いられました。これら42個体のDNA損傷パターンは、古代DNAに特有のものを示しました。血液媒介病原体の証拠は得られませんでした。遺伝的には、42個体のうち10個体が女性、25個体が男性で、7個体は性染色体の配列網羅率が欠落しているか低いため、性別を明確に決定できませんでした。そこで、骨格形態に基づいて、女性1個体と男性1個体が追加で識別されました。したがって、42個体のうち、11個体が女性、26個体が男性と決定されました。
まず、この42個体から得られた一塩基多型情報が、主成分分析を用いて、既知の古代人122集団のデータセットとともに、ユーラシア西部現代人59集団から計算された基本図に投影されました。ニーダーティーフェンバッハ個体群は、第一主成分でおもに狩猟採集民と初期農耕民との間の遺伝的変動により説明されるクラスタを形成しました(図2)。しかし、ニーダーティーフェンバッハ標本群は、集団内の高い多様性を反映す広範な遺伝的空間にまたがっています。一部のニーダーティーフェンバッハ個体は、ドイツのハーゲンのブレッターヘーレ(Blätterhöhle)遺跡(紀元前4100~紀元前3000年頃)の2標本と密接に集団化します。
4~8の系統構成要素(K=4~8)のADMIXTURE分析では、ニーダーティーフェンバッハ個体群への2つの主要な遺伝的寄与が示唆されます。一方はヨーロッパ狩猟採集民で最大化される系統構成要素で、もう一方はアナトリア半島の新石器時代農耕民で最大化される系統構成要素です。次に、f3外群統計を適用して、外群に対する、ニーダーティーフェンバッハ個体群と他の検証集団との間で共有される遺伝的浮動量が計算されました。共有される遺伝的浮動の最高量は、ニーダーティーフェンバッハ個体群とシチリアやクロアチアやハンガリーのヨーロッパ狩猟採集民との間で観察されました。
ニーダーティーフェンバッハ集団における新石器時代農耕民と狩猟採集民の遺伝的系統量を推定するため、qpAdmが実行されました。ニーダーティーフェンバッハ集団の可能性が高いモデルは、アナトリア半島起源の新石器時代農耕民とさまざまなヨーロッパ狩猟採集民の2方向混合として得られました。平均すると、新石器時代アナトリア半島農耕民系統が60%、ヨーロッパ狩猟採集民系統が40%です。ニーダーティーフェンバッハ集団の別の可能性が高い2方向混合モデルは、アナトリア半島農耕民系統(41%)とブレッターヘーレ遺跡個体群の組み合わせです。
次に、連鎖不平衡(複数の遺伝子座の対立遺伝子同士の組み合わせが、それぞれが独立して遺伝された場合の期待値とは有意に異なる現象)に基づく年代測定法(ALDER)を用いて、ニーダーティーフェンバッハ集団における、初期農耕民およびヨーロッパ西部狩猟採集民と関連する系統構成要素の混合年代が推定されました。本論文ではヨーロッパ西部狩猟採集民の代表として、ルクセンブルクのヴァルトビリヒ(Waldbillig)のロシュブール(Loschbour)遺跡の中石器時代個体が用いられました。ALDERでは、ニーダーティーフェンバッハ個体群の年代(紀元前3300~紀元前3200年頃)から14.85±2.82世代前の混合が推定されました。1世代を29年と仮定すると、ニーダーティーフェンバッハ共同体の遺伝的構成の出現年代は、紀元前3860~紀元前3550年頃のようです。以下、本論文の図2です。
表現型の再構築のため、皮膚の色素沈着と髪の色(rs16891982)、目の色(rs12913832)、デンプン消化(rs11185098)、ラクターゼ(乳糖分解酵素)活性持続(rs4988235)と関連する選択された一塩基多型が調べられました。配列網羅率の低さのため、調べられた個体全てで、これらの一塩基多型の全てが利用可能だったわけではありません。ニーダーティーフェンバッハ個体群のゲノムデータ分析に用いられた42個体のうち14個体は、rs16891982-Cアレル(対立遺伝子)を有しています。これは、濃い髪の色および皮膚の色素沈着の増加と関連しており、3個体は両方のアレル(CとG)を有していました。青い目の色と関連するrs12913832-Gを有しているのは3個体のみで、7個体は茶色の目と関連するアレル(rs12913832-A)を、8個体は両方のアレルを有していました。rs11185098の少数派アレル(A)は、デンプン消化と関わるアミラーゼ1(AMY1)遺伝子コピーおよび高いアミラーゼ活性と正の関連があります。Gアレルでホモ接合型なのは1個体のみで、6個体は両方のアレルを有していますが、Aアレルのホモ接合型を有する個体は見つかりませんでした。rs4988235の充分な網羅率を有する全個体はGアレルを有していました。Gアレルは祖先的ハプロタイプで、ラクターゼ活性非持続と関連しており、ニーダーティーフェンバッハ集団は乳産物を消化できなかった、と示唆されます。
ニーダーティーフェンバッハ個体群のHLAクラスIおよびIIアレルを決定するため、以前に開発された手法が適用されました。さらに、HLA 型判定ツールのOptiTypeも使用されました。両方の方法で一貫して見られたアレルのみが、分析の対象となりました。3個の古典的なHLAクラスI遺伝子座A・B・Cでのアレルと、無関係な23個体における3個のHLAクラスII遺伝子座DPB1・DQB1・DRB1の遺伝子型決定に成功しました。これら6個の遺伝子座それぞれについて、2つの最も一般的なアレルは、現代ドイツ人集団とは頻度で少なくとも9%異なり、95%信頼区間(CI)を考慮した場合でさえ、古代と現代のHLAアレルプールの間におけるかなりの違いが示唆されます。
代理一塩基多型を用いると、12個のアレルのうち7個で、既知のデータセットにおける経時的頻度を追跡できます。このうち5個、つまりHLA-B・C・DRB1のアレルは、ニーダーティーフェンバッハ標本群もしくは初期農耕民よりも狩猟採集民(47%以上)でずっと高頻度と観察されました(図3A)。この知見と一致して、これらのアレルは現代ドイツ人ではさらに低頻度で、HLA-C*01:02のように、その多くは統計的に有意でした。興味深いことに、このアレルはニーダーティーフェンバッハ個体群で観察されたHLA-Cアレル間で最も高い系統発生的相違のいくつかも示しました(図3B)。
所与のHLA遺伝子座における2個のアレルのアミノ酸配列間の相違の増加は、コードされたHLA分子多様体間のより大きな機能的違いの代理であり、提示された抗原のより大きな全体的範囲につながり、より高い免疫能力と関連しています。じっさい、HLA-C遺伝子型がC*01:02を含むニーダーティーフェンバッハ個体群は、このアレルを有さない個体群よりも、HLA-Cアレル間でより高い差異を示します。さらに、ニーダーティーフェンバッハ個体群におけるHLAアレルは、特定のウイルスペプチドセットに結合するようです。同様のパターンは、HLA-B遺伝子座の最高頻度アレルB*27:05でも観察されました。全体的に、これら2個のアレルと他のアレルの頻度の違いは、ニーダーティーフェンバッハ個体群とドイツ現代人との間のアレルプール構成における有意な違いにつながります。以下、本論文の図3です。
本論文は、29系統の異なるミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)と、Y染色体ハプログループ(YHg)I2に分類される5系統のY染色体ハプロタイプに注目しました。高解像度のY染色体ハプロタイプ情報が得られた男性16個体のうち10個体は、同じハプロタイプ(I2c1a1)を有していました。f3外群統計とREAD(Relationship Estimation from Ancient DNA)を用いて、親族関係分析が実行されました。両プログラムは、女性1人と男性2人の3人組を一親等(英語圏では親子とキョウダイ)の親族関係として特定しました(女性KH150622と男性KH150620およびKH150623、mtHgは3個体ともX2c1で、YHgは2個体ともI2a1a1a)。骨格形態分析では、これら3個体は全員乳児期(1~3歳)もしくは早期子供期(4~6歳)に死亡したと示されるので、親子関係は除外できます。したがって、この3人はキョウダイとなり、これは、それぞれのmtDNAハプロタイプとY染色体ハプロタイプとHLAアレル特性により裏づけられます。
●考察
ヨーロッパにおける、広大な地域の均質な物質文化により特徴づけられるLBKから、後のより多様な新石器時代社会への変化は遺伝的混合を伴っていた、と明らかに確認されています。しかし、この変化の根底にある集団の相互作用はまだ充分には解明されていませんでした。この混合事象は地理的にひじょうに局所化されており、異なる系統構成要素を有するさまざまな集団が関わっていました。これらの過程は、中期~後期新石器時代共同体で観察される、狩猟採集民系統の割合とmtDNA系統における増加につながりました。ヨーロッパにおいて何がこれらの広範な人口統計学的およびゲノム過程に影響を及ぼしたのか、現時点では不明ですが、気候変化および/もしくは社会的過程が要因とみなされる可能性があります。
本論文では、ドイツのニーダーティーフェンバッハ町近くのWBC回廊墓地で発掘された後期新石器時代42個体の共同体が調べられました。この共同体の放射性炭素年代は紀元前3300~紀元前3200年頃で、これはヨーロッパ中央部における草原地帯系統の到来のわずか数百年前となります。興味深いことに、草原地帯系統を有する混合の遺伝的証拠は観察されませんでした(たとえば、草原地帯系統を有する適切な2方向混合モデルや、草原地帯系統関連集団がヨーロッパ中央部や西部にもたらしたと考えられるYHg-R1bはありませんでした)。
ニーダーティーフェンバッハ集団は、狩猟採集民と早期農耕民のゲノム構成要素の混合を示します。比較的高い遺伝的な狩猟採集民の割合の連続的範囲(34~58%)は、驚くべきことです。混合年代推定からは、この2系統構成要素の混合は紀元前3860~紀元前3550年頃に起きた、と示唆されます。これらの結果から、寄与する集団自身がすでにどの程度混合していたのか、あるいはどの生存経済が採用されていたのか、推測することはできません。しかし興味深いことに、推定された混合年代は、後期MC(紀元前3800~紀元前3500年頃)における農耕拡大段階および社会的変化と一致します。
考古学的には、後期MCからWBCにかけてのよく記録された継続性があります。フランスとドイツの2ヶ所のMC遺跡のmtDNAからは、分析された個体群はすでに、農耕民と狩猟採集民両方に典型的なハプロタイプを含む混合された集団に属す、と示唆されています。明確な考古学的MC文脈からのヒトゲノム規模データセットは、まだ利用可能ではありません。考えられる例外は、ドイツのハーゲンのブレッターヘーレ遺跡の4個体のデータで、これは年代的(放射性炭素年代で紀元前4100~紀元前3000年頃)および地理的に後期MCおよび/もしくはWBCと関連しているかもしれません。しかし、ヒト遺骸があらゆる明確な文化的分類のない洞窟で発見されたことに要注意です。
本論文の分析では、ニーダーティーフェンバッハ集団は、ブレッターヘーレ遺跡個体群と最も密接に関連しているようです。ブレッターヘーレ遺跡個体群では、ニーダーティーフェンバッハ集団で観察された範囲内の大きな狩猟採集民系統構成要素(39~72%)を示します。さらに、ブレッターヘーレ遺跡個体群はニーダーティーフェンバッハ標本群における狩猟採集民構成要素の優れた代理です。また、本論文におけるニーダーティーフェンバッハ集団の混合年代は、ブレッターヘーレ遺跡個体群の混合年代(紀元前3414±84年という標本群の平均年代の18~23世代前)とひじょうによく類似しています。したがって、ブレッターヘーレ遺跡に埋葬された人々と、ニーダーティーフェンバッハ町近くの回廊墓に埋葬された人々との間には、遺伝的つながりがあるかもしれません。
ニーダーティーフェンバッハのWBC関連集団は、狩猟採集民系統の割合がひじょうに幅広い、遺伝的に多様な集団を表しています。この知見は、混合がその時点でまだ進行中だったか、数世代前に起きたことを示唆します。この想定は、混合年代分析により暫定的に裏づけられます。驚くほど大きな狩猟採集民系統構成要素から、その混合は排他的もしくはほぼ排他的な遺伝的狩猟採集民系統を有する個体群も含んでいた、と考えられそうです。利用可能な全ての一連の証拠を考慮に入れると、狩猟採集民構成要素の増加は、MCの統合期および/もしくはWBC開始期に起きた可能性が高く、混合していない在来のヨーロッパ西部狩猟採集民から拡大する農耕集団への直接的な遺伝子流動も含んでいた、と仮定されます。
ニーダーティーフェンバッハ標本の遺伝的データは、考古学および形態学の分析から得られた情報とともに、この回廊墓を使用した共同体に光を当てます。この7㎡の墓から少なくとも合計177個体の骨格遺骸が発見され、集団的なWBC埋葬のひじょうに高い占有率を反映しています。標本の遺伝的な性別分布からは、成人と亜成人における男性の過剰(70%)が示唆され、これは他の新石器時代集団では報告されていません。この研究は無作為な標本抽出戦略に従ったため、このような過剰は注目に値し、埋葬の偏りを反映しているかもしれません。年齢に関しては、ドイツの新石器時代墓地でよく報告されている、子供の少なさは観察されませんでした。表現型の復元から、検証された個体群はおもに濃い顔色をしており、遺伝的にはまだ、デンプンが豊富な食品もしくは乳糖を消化するようには適応していない、と明らかになりました。これらの表現型は通常、狩猟採集民と初期農耕民で報告されてきました。
全体的にゲノムデータからは、回廊墓はおもに、さまざまな近隣地域に居住していたかもしれない密接に関連していない人々により使用された、と示唆されます。この観察は、多数のmtHgにより裏づけられます。しかし、関連のある個体も埋葬され、上述のようにキョウダイと思われる3個体が確認されました。さらに、1種類のみの高頻度のY染色体ハプロタイプ(I2c1a1)の存在は、父系社会を示唆します。
ヨーロッパ中央部の新石器時代集団の健康状態を調査した研究と一致して、ニーダーティーフェンバッハ個体群は、栄養失調や伝染病など身体的ストレスを示唆する多くの非特異的な骨格傷害を示します。興味深いことに、病原体は検出されませんでした。この観察は、新石器時代には感染症疾患が比較的少なく散発的だったことを報告する、古代DNAに基づく知見と一致します。
ニーダーティーフェンバッハ標本で生成されたHLAクラスIおよびIIデータセットは比較的小さかったので、高度な統計分析はできませんでした。しかし、現代ドイツ人集団と比較して、アレル頻度におけるいくつかの顕著な変化が観察できました。興味深いことに、現在ではあまり一般的ではないアレルのいくつか(たとえば、A*02:01、B*27:05、C*01:02、DQB1*03:01、DRB1*08:01)は、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)やC型肝炎ウイルス(HCV)やA型インフルエンザウイルスやヘルペスウイルスなどウイルス性病原体に対するより高い耐性と関連しており、しばしば細菌感染もしくはその合併症に対するより高い感受性と関連しています。
HLAクラスIおよびIIの最高頻度のアレルを経時的に追跡すると、5個のHLA-B・C・DRB1アレルが狩猟採集民の特徴であるものの、後の農耕民の特徴ではない、と明らかになりました。したがって、ニーダーティーフェンバッハ標本におけるそれらの高頻度は、集団におけるかなりの狩猟採集民関連系統の割合を反映しているかもしれません。それらのアレルは、より高い配列の相違や提示された抗原の固有の種類などその機能的特有性のために、その時点においてこの頻度で維持されていたかもしれません。これらの特性は両方とも、多様なウイルスや他の病原体との戦いにおいて利点をもたらすはずです。後に、それらのアレルは相対的な適応度の利点を失ったかもしれません。たとえば、病原体が負の頻度依存選択の過程でこれら最も一般的なアレルに適応し、ペスト菌(Yersinia pestis)のような新たに出現したヒト病原体細菌に対する有益なアレルに置換された、といった理由です。かつて一般的だったHLA-C*01:02アレルについては、現在、感染性病原体素に対する保護効果は知られていません。したがって、HLA-C*01:02アレルが、新石器時代B型肝炎ウイルス(HBV)系統で報告されてきたように、病原性がなくなった、もしくは絶滅した病原体の防御で進化してきた、と推測するのは魅力的です。
別の注目すべき違いは、HLA- DRB1*15:01アレルに関するものです。これは現代ヨーロッパ人では広く見られますが(約15%)、ニーダーティーフェンバッハ標本群では見られません。このアレルを有していると、マイコバクテリア感染症(結核およびハンセン病)にかかりやすくなります。疾患研究では、一塩基多型アレルrs3135388-Tは、しばしばDRB1*15:01の遺伝標識として用いられます。既知の古代DNAデータセットでは、rs3135388-Tは分析されたヨーロッパの旧石器時代・中石器時代・新石器時代集団の全てで欠けている、と明らかになりました。rs3135388-Tは、青銅器時代に初めて出現したようです。それ以来、その最初の高頻度(20%)は現在の低水準に減少しました。この知見は、rs3135388-Tが末期新石器時代および青銅器時代に、ヨーロッパ人の遺伝子プールに草原地帯関連系統構成要素の一部として組み込まれたかもしれない、という興味深い可能性を提起します。古代人の標本規模が限られていることを考慮すると、これらの考察は推測に留まっており、さらなる古代人集団のHLAデータが利用可能になるまで、確証を待っています。
農耕の到来とその後の病原体暴露の変化は、初期農耕民の免疫遺伝子を根本的に変えた、と考えられています。ニーダーティーフェンバッハ標本の免疫反応は、ウイルス性因子との戦いに向けられているようです。このHLA特性がニーダーティーフェンバッハ集団固有の人口史(つまり、高い狩猟採集民系統の割合)にどの程度起因するのか、もしくは紀元前四千年紀の新石器時代共同体にどの程度典型的だったのか、まだ明らかにではありません。全体的に本論文では、現代ヨーロッパ人のHLAの種類が過去5000年のいつかというごく最近に確立され、集団混合により形成されたかもしれない、と示されます。
ニーダーティーフェンバッハ町近くの集団墓地に埋葬されたWBC関連個体群への包括的なゲノム科学手法の適用により、この墓地を約100年間使用したニーダーティーフェンバッハ共同体は遺伝的に異質で、新石器時代農耕民関連系統と狩猟採集民関連系統の両方を有していた、と明らかになりました。これら2構成要素の混合は紀元前四千年紀初めに起きた可能性が高く、ヨーロッパ西部におけるその時期の重要な人口統計学的および文化的変化を示唆します。またこの事象は、その混合集団と子孫の免疫状態にその後何世代にもわたって影響を及ぼしたかもしれません。
参考文献:
Immel A. et al.(2021): Genome-wide study of a Neolithic Wartberg grave community reveals distinct HLA variation and hunter-gatherer ancestry. Communications Biology, 4, 113.
https://doi.org/10.1038/s42003-020-01627-4
後期新石器時代は、強い地域的な多様化と分類の小単位の寄せ集め(たとえば、考古学的文化)により考古学的に特徴づけられます。後期新石器時代開始期に出現したヨーロッパ西部のそうした単位のうち一つは、紀元前3500~紀元前2800年頃となるヴァルトベルク(Wartberg)文化(WBC)と関連しており、これは紀元前3800~紀元前3500年頃となる後期ミシェスベルク(Late Michelsberg)文化(MC)から発展した可能性が最も高そうです。WBCはおもにドイツ中西部で見られます(図1)。WBCは隣接する地域とは異なる巨大回廊墓の巨石建築で知られていますが、パリ盆地とブルターニュ地方の同様の遺跡とひじょうによく似ています。いくつかの方向からの文化的影響を接続するWBCの中心的な地理的位置にも関わらず、WBC遺跡群の人類遺骸のゲノム規模データはこれまで調査されてきませんでした。
この研究は、ドイツのヘッセン州のニーダーティーフェンバッハ(Niedertiefenbach)町近くのWBC回廊墓に埋葬された、紀元前3300~紀元前3200年頃となる42個体のゲノム規模分析を行ないました。通常は特定の遺跡と期間の少数個体を含む他のゲノム規模古代DNA研究とは対照的に、本論文は、集団墓地を約100年間使用した埋葬共同体のある一時点を提供します。集団遺伝学と親族関係分析の実行に加えて、免疫関連のHLA(ヒト白血球型抗原)領域も調べられました。この手法により、ニーダーティーフェンバッハ町近くのWBC関連の人々遺伝的系統の復元だけではなく、後期新石器時代集団の免疫関連遺伝子の構成への洞察も得られました。以下、本論文の図1です。
●DNA解析
ニーダーティーフェンバッハ町近くのWBC回廊墓の個体群のうち、25個体で年代が測定されました。この25個体全ての年代は、紀元前3300~紀元前3200年頃と示唆されました。89個体のうち汚染を示す個体を除いた42個体のゲノムデータが、以下の分析で用いられました。これら42個体のDNA損傷パターンは、古代DNAに特有のものを示しました。血液媒介病原体の証拠は得られませんでした。遺伝的には、42個体のうち10個体が女性、25個体が男性で、7個体は性染色体の配列網羅率が欠落しているか低いため、性別を明確に決定できませんでした。そこで、骨格形態に基づいて、女性1個体と男性1個体が追加で識別されました。したがって、42個体のうち、11個体が女性、26個体が男性と決定されました。
まず、この42個体から得られた一塩基多型情報が、主成分分析を用いて、既知の古代人122集団のデータセットとともに、ユーラシア西部現代人59集団から計算された基本図に投影されました。ニーダーティーフェンバッハ個体群は、第一主成分でおもに狩猟採集民と初期農耕民との間の遺伝的変動により説明されるクラスタを形成しました(図2)。しかし、ニーダーティーフェンバッハ標本群は、集団内の高い多様性を反映す広範な遺伝的空間にまたがっています。一部のニーダーティーフェンバッハ個体は、ドイツのハーゲンのブレッターヘーレ(Blätterhöhle)遺跡(紀元前4100~紀元前3000年頃)の2標本と密接に集団化します。
4~8の系統構成要素(K=4~8)のADMIXTURE分析では、ニーダーティーフェンバッハ個体群への2つの主要な遺伝的寄与が示唆されます。一方はヨーロッパ狩猟採集民で最大化される系統構成要素で、もう一方はアナトリア半島の新石器時代農耕民で最大化される系統構成要素です。次に、f3外群統計を適用して、外群に対する、ニーダーティーフェンバッハ個体群と他の検証集団との間で共有される遺伝的浮動量が計算されました。共有される遺伝的浮動の最高量は、ニーダーティーフェンバッハ個体群とシチリアやクロアチアやハンガリーのヨーロッパ狩猟採集民との間で観察されました。
ニーダーティーフェンバッハ集団における新石器時代農耕民と狩猟採集民の遺伝的系統量を推定するため、qpAdmが実行されました。ニーダーティーフェンバッハ集団の可能性が高いモデルは、アナトリア半島起源の新石器時代農耕民とさまざまなヨーロッパ狩猟採集民の2方向混合として得られました。平均すると、新石器時代アナトリア半島農耕民系統が60%、ヨーロッパ狩猟採集民系統が40%です。ニーダーティーフェンバッハ集団の別の可能性が高い2方向混合モデルは、アナトリア半島農耕民系統(41%)とブレッターヘーレ遺跡個体群の組み合わせです。
次に、連鎖不平衡(複数の遺伝子座の対立遺伝子同士の組み合わせが、それぞれが独立して遺伝された場合の期待値とは有意に異なる現象)に基づく年代測定法(ALDER)を用いて、ニーダーティーフェンバッハ集団における、初期農耕民およびヨーロッパ西部狩猟採集民と関連する系統構成要素の混合年代が推定されました。本論文ではヨーロッパ西部狩猟採集民の代表として、ルクセンブルクのヴァルトビリヒ(Waldbillig)のロシュブール(Loschbour)遺跡の中石器時代個体が用いられました。ALDERでは、ニーダーティーフェンバッハ個体群の年代(紀元前3300~紀元前3200年頃)から14.85±2.82世代前の混合が推定されました。1世代を29年と仮定すると、ニーダーティーフェンバッハ共同体の遺伝的構成の出現年代は、紀元前3860~紀元前3550年頃のようです。以下、本論文の図2です。
表現型の再構築のため、皮膚の色素沈着と髪の色(rs16891982)、目の色(rs12913832)、デンプン消化(rs11185098)、ラクターゼ(乳糖分解酵素)活性持続(rs4988235)と関連する選択された一塩基多型が調べられました。配列網羅率の低さのため、調べられた個体全てで、これらの一塩基多型の全てが利用可能だったわけではありません。ニーダーティーフェンバッハ個体群のゲノムデータ分析に用いられた42個体のうち14個体は、rs16891982-Cアレル(対立遺伝子)を有しています。これは、濃い髪の色および皮膚の色素沈着の増加と関連しており、3個体は両方のアレル(CとG)を有していました。青い目の色と関連するrs12913832-Gを有しているのは3個体のみで、7個体は茶色の目と関連するアレル(rs12913832-A)を、8個体は両方のアレルを有していました。rs11185098の少数派アレル(A)は、デンプン消化と関わるアミラーゼ1(AMY1)遺伝子コピーおよび高いアミラーゼ活性と正の関連があります。Gアレルでホモ接合型なのは1個体のみで、6個体は両方のアレルを有していますが、Aアレルのホモ接合型を有する個体は見つかりませんでした。rs4988235の充分な網羅率を有する全個体はGアレルを有していました。Gアレルは祖先的ハプロタイプで、ラクターゼ活性非持続と関連しており、ニーダーティーフェンバッハ集団は乳産物を消化できなかった、と示唆されます。
ニーダーティーフェンバッハ個体群のHLAクラスIおよびIIアレルを決定するため、以前に開発された手法が適用されました。さらに、HLA 型判定ツールのOptiTypeも使用されました。両方の方法で一貫して見られたアレルのみが、分析の対象となりました。3個の古典的なHLAクラスI遺伝子座A・B・Cでのアレルと、無関係な23個体における3個のHLAクラスII遺伝子座DPB1・DQB1・DRB1の遺伝子型決定に成功しました。これら6個の遺伝子座それぞれについて、2つの最も一般的なアレルは、現代ドイツ人集団とは頻度で少なくとも9%異なり、95%信頼区間(CI)を考慮した場合でさえ、古代と現代のHLAアレルプールの間におけるかなりの違いが示唆されます。
代理一塩基多型を用いると、12個のアレルのうち7個で、既知のデータセットにおける経時的頻度を追跡できます。このうち5個、つまりHLA-B・C・DRB1のアレルは、ニーダーティーフェンバッハ標本群もしくは初期農耕民よりも狩猟採集民(47%以上)でずっと高頻度と観察されました(図3A)。この知見と一致して、これらのアレルは現代ドイツ人ではさらに低頻度で、HLA-C*01:02のように、その多くは統計的に有意でした。興味深いことに、このアレルはニーダーティーフェンバッハ個体群で観察されたHLA-Cアレル間で最も高い系統発生的相違のいくつかも示しました(図3B)。
所与のHLA遺伝子座における2個のアレルのアミノ酸配列間の相違の増加は、コードされたHLA分子多様体間のより大きな機能的違いの代理であり、提示された抗原のより大きな全体的範囲につながり、より高い免疫能力と関連しています。じっさい、HLA-C遺伝子型がC*01:02を含むニーダーティーフェンバッハ個体群は、このアレルを有さない個体群よりも、HLA-Cアレル間でより高い差異を示します。さらに、ニーダーティーフェンバッハ個体群におけるHLAアレルは、特定のウイルスペプチドセットに結合するようです。同様のパターンは、HLA-B遺伝子座の最高頻度アレルB*27:05でも観察されました。全体的に、これら2個のアレルと他のアレルの頻度の違いは、ニーダーティーフェンバッハ個体群とドイツ現代人との間のアレルプール構成における有意な違いにつながります。以下、本論文の図3です。
本論文は、29系統の異なるミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)と、Y染色体ハプログループ(YHg)I2に分類される5系統のY染色体ハプロタイプに注目しました。高解像度のY染色体ハプロタイプ情報が得られた男性16個体のうち10個体は、同じハプロタイプ(I2c1a1)を有していました。f3外群統計とREAD(Relationship Estimation from Ancient DNA)を用いて、親族関係分析が実行されました。両プログラムは、女性1人と男性2人の3人組を一親等(英語圏では親子とキョウダイ)の親族関係として特定しました(女性KH150622と男性KH150620およびKH150623、mtHgは3個体ともX2c1で、YHgは2個体ともI2a1a1a)。骨格形態分析では、これら3個体は全員乳児期(1~3歳)もしくは早期子供期(4~6歳)に死亡したと示されるので、親子関係は除外できます。したがって、この3人はキョウダイとなり、これは、それぞれのmtDNAハプロタイプとY染色体ハプロタイプとHLAアレル特性により裏づけられます。
●考察
ヨーロッパにおける、広大な地域の均質な物質文化により特徴づけられるLBKから、後のより多様な新石器時代社会への変化は遺伝的混合を伴っていた、と明らかに確認されています。しかし、この変化の根底にある集団の相互作用はまだ充分には解明されていませんでした。この混合事象は地理的にひじょうに局所化されており、異なる系統構成要素を有するさまざまな集団が関わっていました。これらの過程は、中期~後期新石器時代共同体で観察される、狩猟採集民系統の割合とmtDNA系統における増加につながりました。ヨーロッパにおいて何がこれらの広範な人口統計学的およびゲノム過程に影響を及ぼしたのか、現時点では不明ですが、気候変化および/もしくは社会的過程が要因とみなされる可能性があります。
本論文では、ドイツのニーダーティーフェンバッハ町近くのWBC回廊墓地で発掘された後期新石器時代42個体の共同体が調べられました。この共同体の放射性炭素年代は紀元前3300~紀元前3200年頃で、これはヨーロッパ中央部における草原地帯系統の到来のわずか数百年前となります。興味深いことに、草原地帯系統を有する混合の遺伝的証拠は観察されませんでした(たとえば、草原地帯系統を有する適切な2方向混合モデルや、草原地帯系統関連集団がヨーロッパ中央部や西部にもたらしたと考えられるYHg-R1bはありませんでした)。
ニーダーティーフェンバッハ集団は、狩猟採集民と早期農耕民のゲノム構成要素の混合を示します。比較的高い遺伝的な狩猟採集民の割合の連続的範囲(34~58%)は、驚くべきことです。混合年代推定からは、この2系統構成要素の混合は紀元前3860~紀元前3550年頃に起きた、と示唆されます。これらの結果から、寄与する集団自身がすでにどの程度混合していたのか、あるいはどの生存経済が採用されていたのか、推測することはできません。しかし興味深いことに、推定された混合年代は、後期MC(紀元前3800~紀元前3500年頃)における農耕拡大段階および社会的変化と一致します。
考古学的には、後期MCからWBCにかけてのよく記録された継続性があります。フランスとドイツの2ヶ所のMC遺跡のmtDNAからは、分析された個体群はすでに、農耕民と狩猟採集民両方に典型的なハプロタイプを含む混合された集団に属す、と示唆されています。明確な考古学的MC文脈からのヒトゲノム規模データセットは、まだ利用可能ではありません。考えられる例外は、ドイツのハーゲンのブレッターヘーレ遺跡の4個体のデータで、これは年代的(放射性炭素年代で紀元前4100~紀元前3000年頃)および地理的に後期MCおよび/もしくはWBCと関連しているかもしれません。しかし、ヒト遺骸があらゆる明確な文化的分類のない洞窟で発見されたことに要注意です。
本論文の分析では、ニーダーティーフェンバッハ集団は、ブレッターヘーレ遺跡個体群と最も密接に関連しているようです。ブレッターヘーレ遺跡個体群では、ニーダーティーフェンバッハ集団で観察された範囲内の大きな狩猟採集民系統構成要素(39~72%)を示します。さらに、ブレッターヘーレ遺跡個体群はニーダーティーフェンバッハ標本群における狩猟採集民構成要素の優れた代理です。また、本論文におけるニーダーティーフェンバッハ集団の混合年代は、ブレッターヘーレ遺跡個体群の混合年代(紀元前3414±84年という標本群の平均年代の18~23世代前)とひじょうによく類似しています。したがって、ブレッターヘーレ遺跡に埋葬された人々と、ニーダーティーフェンバッハ町近くの回廊墓に埋葬された人々との間には、遺伝的つながりがあるかもしれません。
ニーダーティーフェンバッハのWBC関連集団は、狩猟採集民系統の割合がひじょうに幅広い、遺伝的に多様な集団を表しています。この知見は、混合がその時点でまだ進行中だったか、数世代前に起きたことを示唆します。この想定は、混合年代分析により暫定的に裏づけられます。驚くほど大きな狩猟採集民系統構成要素から、その混合は排他的もしくはほぼ排他的な遺伝的狩猟採集民系統を有する個体群も含んでいた、と考えられそうです。利用可能な全ての一連の証拠を考慮に入れると、狩猟採集民構成要素の増加は、MCの統合期および/もしくはWBC開始期に起きた可能性が高く、混合していない在来のヨーロッパ西部狩猟採集民から拡大する農耕集団への直接的な遺伝子流動も含んでいた、と仮定されます。
ニーダーティーフェンバッハ標本の遺伝的データは、考古学および形態学の分析から得られた情報とともに、この回廊墓を使用した共同体に光を当てます。この7㎡の墓から少なくとも合計177個体の骨格遺骸が発見され、集団的なWBC埋葬のひじょうに高い占有率を反映しています。標本の遺伝的な性別分布からは、成人と亜成人における男性の過剰(70%)が示唆され、これは他の新石器時代集団では報告されていません。この研究は無作為な標本抽出戦略に従ったため、このような過剰は注目に値し、埋葬の偏りを反映しているかもしれません。年齢に関しては、ドイツの新石器時代墓地でよく報告されている、子供の少なさは観察されませんでした。表現型の復元から、検証された個体群はおもに濃い顔色をしており、遺伝的にはまだ、デンプンが豊富な食品もしくは乳糖を消化するようには適応していない、と明らかになりました。これらの表現型は通常、狩猟採集民と初期農耕民で報告されてきました。
全体的にゲノムデータからは、回廊墓はおもに、さまざまな近隣地域に居住していたかもしれない密接に関連していない人々により使用された、と示唆されます。この観察は、多数のmtHgにより裏づけられます。しかし、関連のある個体も埋葬され、上述のようにキョウダイと思われる3個体が確認されました。さらに、1種類のみの高頻度のY染色体ハプロタイプ(I2c1a1)の存在は、父系社会を示唆します。
ヨーロッパ中央部の新石器時代集団の健康状態を調査した研究と一致して、ニーダーティーフェンバッハ個体群は、栄養失調や伝染病など身体的ストレスを示唆する多くの非特異的な骨格傷害を示します。興味深いことに、病原体は検出されませんでした。この観察は、新石器時代には感染症疾患が比較的少なく散発的だったことを報告する、古代DNAに基づく知見と一致します。
ニーダーティーフェンバッハ標本で生成されたHLAクラスIおよびIIデータセットは比較的小さかったので、高度な統計分析はできませんでした。しかし、現代ドイツ人集団と比較して、アレル頻度におけるいくつかの顕著な変化が観察できました。興味深いことに、現在ではあまり一般的ではないアレルのいくつか(たとえば、A*02:01、B*27:05、C*01:02、DQB1*03:01、DRB1*08:01)は、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)やC型肝炎ウイルス(HCV)やA型インフルエンザウイルスやヘルペスウイルスなどウイルス性病原体に対するより高い耐性と関連しており、しばしば細菌感染もしくはその合併症に対するより高い感受性と関連しています。
HLAクラスIおよびIIの最高頻度のアレルを経時的に追跡すると、5個のHLA-B・C・DRB1アレルが狩猟採集民の特徴であるものの、後の農耕民の特徴ではない、と明らかになりました。したがって、ニーダーティーフェンバッハ標本におけるそれらの高頻度は、集団におけるかなりの狩猟採集民関連系統の割合を反映しているかもしれません。それらのアレルは、より高い配列の相違や提示された抗原の固有の種類などその機能的特有性のために、その時点においてこの頻度で維持されていたかもしれません。これらの特性は両方とも、多様なウイルスや他の病原体との戦いにおいて利点をもたらすはずです。後に、それらのアレルは相対的な適応度の利点を失ったかもしれません。たとえば、病原体が負の頻度依存選択の過程でこれら最も一般的なアレルに適応し、ペスト菌(Yersinia pestis)のような新たに出現したヒト病原体細菌に対する有益なアレルに置換された、といった理由です。かつて一般的だったHLA-C*01:02アレルについては、現在、感染性病原体素に対する保護効果は知られていません。したがって、HLA-C*01:02アレルが、新石器時代B型肝炎ウイルス(HBV)系統で報告されてきたように、病原性がなくなった、もしくは絶滅した病原体の防御で進化してきた、と推測するのは魅力的です。
別の注目すべき違いは、HLA- DRB1*15:01アレルに関するものです。これは現代ヨーロッパ人では広く見られますが(約15%)、ニーダーティーフェンバッハ標本群では見られません。このアレルを有していると、マイコバクテリア感染症(結核およびハンセン病)にかかりやすくなります。疾患研究では、一塩基多型アレルrs3135388-Tは、しばしばDRB1*15:01の遺伝標識として用いられます。既知の古代DNAデータセットでは、rs3135388-Tは分析されたヨーロッパの旧石器時代・中石器時代・新石器時代集団の全てで欠けている、と明らかになりました。rs3135388-Tは、青銅器時代に初めて出現したようです。それ以来、その最初の高頻度(20%)は現在の低水準に減少しました。この知見は、rs3135388-Tが末期新石器時代および青銅器時代に、ヨーロッパ人の遺伝子プールに草原地帯関連系統構成要素の一部として組み込まれたかもしれない、という興味深い可能性を提起します。古代人の標本規模が限られていることを考慮すると、これらの考察は推測に留まっており、さらなる古代人集団のHLAデータが利用可能になるまで、確証を待っています。
農耕の到来とその後の病原体暴露の変化は、初期農耕民の免疫遺伝子を根本的に変えた、と考えられています。ニーダーティーフェンバッハ標本の免疫反応は、ウイルス性因子との戦いに向けられているようです。このHLA特性がニーダーティーフェンバッハ集団固有の人口史(つまり、高い狩猟採集民系統の割合)にどの程度起因するのか、もしくは紀元前四千年紀の新石器時代共同体にどの程度典型的だったのか、まだ明らかにではありません。全体的に本論文では、現代ヨーロッパ人のHLAの種類が過去5000年のいつかというごく最近に確立され、集団混合により形成されたかもしれない、と示されます。
ニーダーティーフェンバッハ町近くの集団墓地に埋葬されたWBC関連個体群への包括的なゲノム科学手法の適用により、この墓地を約100年間使用したニーダーティーフェンバッハ共同体は遺伝的に異質で、新石器時代農耕民関連系統と狩猟採集民関連系統の両方を有していた、と明らかになりました。これら2構成要素の混合は紀元前四千年紀初めに起きた可能性が高く、ヨーロッパ西部におけるその時期の重要な人口統計学的および文化的変化を示唆します。またこの事象は、その混合集団と子孫の免疫状態にその後何世代にもわたって影響を及ぼしたかもしれません。
参考文献:
Immel A. et al.(2021): Genome-wide study of a Neolithic Wartberg grave community reveals distinct HLA variation and hunter-gatherer ancestry. Communications Biology, 4, 113.
https://doi.org/10.1038/s42003-020-01627-4
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