Joseph Henrich『文化がヒトを進化させた 人類の繁栄と〈文化−遺伝子革命〉』第2刷

 ジョセフ・ヘンリック(Joseph Henrich)著、今西康子訳で、白揚社より2019年9月に刊行されました。第1刷の刊行は2019年7月です。原書の刊行は2016年です。本書はまず、現代人がいかに文化に依存しているのか指摘したうえで、人類の進化における文化の役割の大きさを強調します。人類の「成功」の要因は個体の認知能力ではなく、共同体の集団脳(集団的知性)にある、というわけです。モラルの起源に関する書籍を読んだ時(関連記事)、それ以前から社会的規範も進化の原動力となり得る、と考えていたので、とくに違和感はありませんでしたが、その延長線上で考えれば、社会的規範も含まれる文化が人類の進化に大きな役割を果たしてきた(自己家畜化)と想定することは、私にとってひじょうに受け入れやすい見解です。人類の進化における文化的要因を重視した論考に関しては、「他者との意思伝達能力や道具の製作・使用などの文化的要因も重要な選択圧となり得る、との見解は妥当だと思います」と述べています(関連記事)。

 しかし、それを1冊で豊富な事例とともに改めて体系的に論じた本書は、現代人の学習には性別や民族などで自分と類似したヒトを真似る傾向があることや(P77~80)、心の理論(メンタライジング)の発達は、他者を騙して操り利用するためというよりは、学習効果を高めることが選択圧になったこと(文化的知性仮説)など、さまざまな知見を新たに得られたこともあり、私にとってたいへん有益でした。多くの知見を一つの記事でまとめるだけの気力も見識ないので、今後何度か再読していくつもりです。また、最近の日本社会の諸問題を踏まえた上での「実用的な」知見もあり、たとえば、現代人の高い模倣能力が有名人の自殺の後に連鎖的自殺を招来しやすい、ということです。これは以前から指摘されていましたが、進化的な基盤がある根深い問題で、その観点からの対策が必要なのだと思います。

 現生人類(Homo sapiens)へとつながる人類進化のある時点以降、文化が大きな選択圧になったことは確かでしょう。子供期仮説に云う、定まったやり方を他人からそのまま学ぶこと(一方的学習)を社会学習、自分で試行錯誤したり疑問を持ったりしながら学ぶこと(自立的学習)を個体学習と定義すると(関連記事)、文化の蓄積により個体学習よりも社会学習の方がずっと有利になり、社会学習能力を高めるような選択圧が生じた、と考えられます。それが、現生人類の生得的な形態・生理・認知能力・志向の形成に大きな役割を果たしてきたことは間違いないでしょう。モラルの起源をめぐる議論でも指摘されていますが、人類の規範真理もこのように形成されてきたのだと思います。

 では、人類進化の初期において、社会学習能力を高めるような選択圧がどのように始まったのか、という問題が提起されます。文化がさほど蓄積されていない段階では、社会学習能力を高めるような選択圧が生じにくいと考えられます。たとえば、社会学習能力の向上につながりやすい脳容量の増大は消費エネルギー量の増加をもたらすので、文化的蓄積が少ない時点では適応度を高めるとは考えにくいところがあります。人類以外の動物で「文化的」行動を取る種は少なくありませんが、おそらくはこうした制約により、現生人類など後期ホモ属のように体重比で大きく脳容量を増加させた種は存在しないでしょう。

 なお、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と現生人類との技術の違いについては、潜在的(生得的)能力よりも、むしろ集団規模と社会的結びつきにあったのではないか、と推測されています。ネアンデルタール人の技術が現生人類よりも「劣っている」ように見えるのは、ネアンデルタール人よりも現生人類の方が集団規模は大きく、広範な社会的つながりも密だったからではないか、というわけです。ただ、現生人類とネアンデルタール人との分岐が50万年以上前だとすると、認知能力などで重要な違いがあった可能性は低くないように思います。本書は、武力闘争も含めて集団間競争が文化進化に大きな役割を果たしてきた、と強調します。

 本書は、人類進化において文化が重要な役割を果たすようになった段階を、「進化のルビコン川」と呼んでいます。人類はどのように「ルビコン川を渡った」のか、本書は興味深い仮説を提示します。まず本書は、この移行がある時点で一気に起きたのではなく、前進と後退を繰り返していた時期が長かったのではないか、と推測します。その上で本書は、人類が「ルビコン川を渡った」時期に関して、アウストラロピテクス属はどの非ヒト現生類人猿よりも文化的情報を集めるになっていたものの、境界線を越えたのは180万年前頃のホモ属のようだ、と推測しています。確かに、この前後には、脳容量の増大や現代人のような(首から下の)形態のホモ属が出現し、アシューリアン(Acheulian)の握斧のようなより複雑な石器も出現しています。

 次に本書は、「始動時の問題」を取り上げます。遺伝的進化を促すほどには文化が蓄積されていない段階で、どのように文化進化が始まるのか、という問題です。この問題ために、ヒト遺骸の種では累積的文化進化がなかなか起きない、と本書は指摘します。そこで本書は、脳容量を変えずに文化の規模や複雑を増せれば、他者から学ぶべき適応的事象が社会に豊富に存在するようになり、社会的学習能力を高める遺伝子にコストをかけても採算がとれる、と推測します。さらに、母親以外の子育て支援により、脳容量増加のコストを下げることも可能で、両者が絡み合って強化し合った、と本書は指摘します。

 この背景となるのは、地上での生活時間が長くなり、樹上よりも多様な資源を得られる環境でより複雑な道具を製作するようになり、また他者との接触機会が増えたことです。地上での生活が長くなったことにより、捕食圧が高まったことも重要となります。これにより、群れの拡大が促されます。こうした進化の過程で300万~200万年前頃に気候変動により環境が不安定になり、社会的学習能力の強化を促す選択圧が強まったのだろう、と本書は推測します。

 ここで重要なのは、脳容量増加により、出産・育児での母親のコストが高まったことです。当時の人類はこのコストを、つがい形成による父親側(やその親族)の子育て支援により低下させました。母親以外が子育てに関わることにより、社会的学習がさらに進むとともに、血縁認識が一層発達し、集団間対立の緩衝材となり、より大きな集団の形成の基盤なります。チンパンジーでも、群れの規模が大きくなるとつがい(的なもの)を形成することがあり、大規模集団ではつがい形成の萌芽現れるかもしれない、と本書は推測します。つがい形成には、それまで散り散りだった血縁個体を結びつけ、家族のような血縁ネットワークを形成する力がある、と本書は指摘します。なお、本書は人類がこの頃に排卵隠蔽戦略をとるようになった、と推測しますが、おそらく人類と近縁な現生類人猿との関係からして、大型類人猿では元々発情徴候が明確ではなく、チンパンジー属の方こそ特異的(派生的)な進化が起きたのではないか、と思います(関連記事)。


参考文献:
Henrich J.著(2019)、今西康子訳『文化がヒトを進化させた 人類の繁栄と〈文化−遺伝子革命〉』第2刷(白揚社、原書の刊行は2016年)

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