後期新石器時代から鐘状ビーカー期のフランスの人類集団の遺伝的多様性
後期新石器時代から鐘状ビーカー(Bell Beaker)文化期のフランスの人類集団の遺伝的多様性に関する研究(Seguin-Orlando et al., 2021)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。後期新石器時代から青銅器時代にかけて、ヨーロッパ西部では重要な集団と社会の変化が起きました(関連記事)。これらはポントス・カスピ海草原(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)起源の牧畜民から在来集団への大規模な遺伝子流動を含み、それは低下していく狩猟採集民系統とアナトリア半島農耕民系統の拡大という複雑な相互作用に続く重要な事象です。
この移行は、現在のブリテン島(関連記事)やアイルランド(関連記事)やイベリア半島(関連記事)や地中海諸島(関連記事)やドイツ(関連記事)からの広範な古代ゲノムデータを通じて報告されています。しかし、そうした移行はフランスではほぼ見過ごされています。フランスではほとんどの焦点が中期新石器時代(63個体)に当てられており、例外は後期新石器時代の網羅率0.05倍の1個体です(関連記事)。これにより、紀元前3400~紀元前2700年頃にかけての主要な移行期間は遺伝的に標本未抽出となるので、狩猟採集民の持続と草原地帯移民の正確な時間枠は不明です。本論文はこれを改善するため、紀元前3400~紀元前1600年のフランスの古代人24個体のゲノム解析結果を報告します。
●遺跡と放射性炭素年代測定
本論文で新たにDNAが解析されたのはフランスのパリ盆地と南西部の遺跡の個体で、後期新石器時代と鐘状ビーカー(Bell Beaker)文化期と前期青銅器時代です。パリ盆地ではモンアイメー(Mont-Aimé)遺跡(11個体)、フランス南西部ではマスルージュ(Mas Rouge)遺跡(1個体)と花束洞窟(Grotte du Rouquet)遺跡(6個体)とBVP洞窟(Grotte Basse de la Vigne Perdue)遺跡(3個体)と亀洞窟(Grotte des Tortues)遺跡(4個体)です(図1A・B・C)。
直接的な放射性炭素年代測定では、モンアイメー遺跡の地下被葬者2個体は紀元前3400~紀元前2900年頃と示唆されました。花束洞窟の6個体は全員、モンアイメー遺跡の2個体とほぼ同年代です。亀洞窟の個体は、後期新石器時代となる紀元前3100~紀元前2900年頃の1個体(TORTD)と、紀元前三千年紀半ばの2個体(TORTCおよびTORTE)と、紀元前二千年紀前半の1個体(TORTF)です。この結果から、亀洞窟は後期新石器時代から前期青銅器時代まで集団埋葬地としてたまに用いられたと示唆され、以前の考古学的証拠と一致します。BVP洞窟も同様ですが、紀元前三千年紀半ばから紀元前二千年紀半ばまでと、より短い期間の使用です。以下、本論文の図1です。
●ゲノム解析
モンアイメー遺跡の3個体(2H10と2H11と1H13)では、歯周病など口腔疾患に関連する細菌のDNAも検出されました。これらの細菌は、健康な現代人や5700~120年前頃の個体でも確認されています。虫歯は、青銅器時代や産業革命という生活様式の変化に伴って初めて出現したわけではないようです。X染色体と常染色体の網羅率の比率から、13人が男性と推定されます。合計24個体のゲノムデータが得られ、平均網羅率は0.20~23.88倍です(中央値は0.96倍)。比較的高い網羅率は、13.91倍の2H10と23.88倍の2H11です。
●父系および母系と親族関係
同じ遺跡の個体は同じミトコンドリアハプロタイプを有しておらず、母系での関連性はないと示唆されます。対照的に、男性はほぼ全員Y染色体ハプログループ(YHg)I2a1で、例外は、モンアイメー遺跡の1個体(H2a1)と、BVP洞窟遺跡の4400年前頃となる1個体(R1b1a1b1a1a2a1)です。近いか不完全に網羅されているものの合致するハプロタイプは、フランス北部(Rixheim-Zac du Petit-Prince 遺跡のRIX2標本のR1b1a1b1a1a2と、Obernai PAEI遺跡のOBE3626-1標本のR1b1a1b1a1a2a5)と、フランス南部(Rec de Ligno遺跡のPIR3116B標本のR1b1a1b1a1a)の同時代の鐘状ビーカー文化および青銅器時代個体群で以前に報告されました。これは、侵入してきた草原地帯牧畜民からの混合を反映しているかもしれず、この侵入により、イベリア半島集団では、他の染色体がほぼ完全に置換されました(関連記事)。YHg-I2a1は以前には、ヨーロッパのさまざまな狩猟採集民集団で見られました。これは、2H11のような少なくとも一部のモンアイメー遺跡個体における、ヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)系統の存続を示唆しているかもしれません。
YHg-I2a1は明らかに高頻度で、後期新石器時代のフランス全体における一般的な優勢を反映しているかもしれません。しかしこれは、父系的に組織化された共同体を示唆しているかもしれません。なぜならば、個々の遺跡では個体群の間で共有されるミトコンドリアハプロタイプを示さないからです。これをさらに調べるため、124万の一塩基多型において遺伝的関連性のパターンが評価されました。その結果、モンアイメー遺跡の5個体が遺伝的に関連している、と示唆されました。地下墓2号では、父(2H10)と息子(2H17)は、別の男性個体(2HxC5x196x1131)とはより低い関連性でした。この3人は類似のY染色体ハプロタイプを共有しており、父系でのつながりが確認されます。
しかし、父(2H11)と娘(1H06)との関係も特定され、この2個体は解剖学的に成人と判断されました。少なくとも一部の女性が出生共同体に留まった可能性があることは、厳密な父系規則が守られなかったことを示唆します。あるいはこれは、少なくとも一部の女性が夫婦関係に関わっていなかったか、死後に父の共同体に遺骸が送還されたことも示唆しているかもしれません。分析をより多くの個体に拡張し、出生地の情報をもたらす同位体特性を統合することで、共同体における他の女性にもどの程度当てはまるのか、という評価に役立つでしょう。それにも関わらず、モンアイメー遺跡1および2の間に一親等の関係が存在することは、両墓地が厳密に同時代に同じ集団により利用されていたことを裏づけます。
●近親交配と集団の多様性
ホモ接合連続領域(ROH)内に含まれるゲノム断片は、親族内の結合を示しているかもしれません。ROH(runs of homozygosity)とは、両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じアレルのそろった状態が連続するゲノム領域(ホモ接合連続領域)で、長いROHを有する個体の両親は近縁関係にある、と推測されます。またROH内に含まれるゲノム断片は、ヘテロ接合性のゲノム規模水準の過小評価をもたらすかもしれず、そこから有効人口規模に関する情報が得られます。
モンアイメー遺跡における、親族結合内の存在を評価し、有効人口規模を推定する両方の目的で、ROHanが高網羅率の2個体(2H10と2H11)に適用されました。しかし、ROHゲノム断片は限定的で、キョウダイ間の近親交配が報告されているアイルランドのニューグレンジの巨石遺跡(関連記事)を除くと、他の新石器時代個体群間で観察されるものと同程度でした。これは、モンアイメー遺跡の親族内結合が、あったとしても限定的だったことを示唆します。ROHの推定されたヘテロ接合性は、ニューグレンジを除いて、他の高網羅率の新石器時代個体群ゲノムで見られるものと同等でしたが、ヨーロッパ西部の中石器時代狩猟採集民よりは大きい、と示されました。これは、狩猟採集共同体と比較して、人口拡大を可能とする新石器時代食料生産経済と一致します。
●DNAメチル化と表現型の推測
モンアイメー遺跡の高網羅率の2個体(2H10と2H11)と、以前に報告された4個体を用いて、中石器時代から新石器時代にかけて、重要なDNAメチル化の変化を経験したかもしれない遺伝子が特定されました。分析は組織固有の特徴を避けるため、歯に限定されました。遺伝子本隊内のDNAメチル化パターンは、新石器時代と中石器時代の組み合わせよりも、新石器時代個体群の組み合わせの間で一般的により類似している、と明らかになりました。しかし、新石器時代となるドイツのシュトゥットガルト(Stuttgart)遺跡の女性1個体は、この研究チームの実験室で処理された新石器時代となるモンアイメー遺跡の1個体(2H10)よりも、同じ実験室で処理された、中石器時代となるルクセンブルクのロシュブール(Loschbour)遺跡の男性1個体の方と密接と明らかになりました。これは、DNAメチル化の推論に影響を与える技術的なバッチ効果を示唆します。
これらの効果と性別特有の識別特性を避けるため、異なる実験室で最高の網羅率の男性個体群に分析が限定されました。中石器時代のロシュブール遺跡個体と比較して、新石器時代となるアイルランドのジャーポイント(Jerpoint)遺跡個体(ジャーポイント14)と2H11個体両方において、DNAメチル化が平均して少なくとも50%変化した、合計611の遺伝子プロモーターが特定されました。特定の機能分類で有意に濃縮されていないものの、これらは低メチル化よりも新石器時代に高いメチル化を受けている事例を多く含んでいました。具体的には、液性免疫補体の反応の最初の鎖となるC1Qbと、T細胞成熟に関わる重要なシグナル伝達分子であるLCKです。これらが歯や血液組織の制御の変化を反映しているのかどうか評価するには、さらなる研究が必要です。次に、DNAメチル化水準を用いて、高網羅率の2個体(2H10と2H11)の死亡年齢が推測されました。方法論の改善の必要はあるものの、2H10は29歳、2H11は42歳で死亡したと推定されます。
DNAメチル化パターンを用いて正確な表現型を推測することはできませんでしたが、高網羅率の2個体の90の遺伝子座の遺伝子型を用いることで、形態と色素沈着や行動や医学的表現型が推測されました。両個体とも乳糖不耐性で、rs653178におけるセリアック病や、rs1800497とrs2283265における嗜癖行動の増加増加や、rs4994における優れた持久力のリスクアレル(対立遺伝子)増加はありませんでした。両個体はおそらく茶色の目と黒髪を有していましたが、髪の太さに相乗効果を示すアレルは有していませんでした(rs4752566とrs3827760)。2H11はおそらく肌の色が濃く、2H10の肌の色はひじょうに薄くはないものの、濃い色との間の中間でした。興味深いことに両個体は、ドーパミンやノルエピネフリンやセロトニンといった神経伝達物質の酸化に関わる酵素をコードするモノアミン酸化酵素A遺伝子座で、異なるハプロタイプを有していました。これは、より高い酵素生産(rs3027407やrs909525)もしくはより低い酵素生産(rs1137070やrs1465107やrs2072743やrs6323)と関わるアレルの異なる組み合わせを伴います。これと、遺伝子と環境の相互作用の存在により、正確な表現型の結果を予測することは困難になります。しかし、この遺伝子座で観察された遺伝的差異は、両個体における攻撃的および衝動的行動を起こすさまざまなリスクを示唆します。
●モンアイメー遺跡の新石器時代個体群における不均一な中石器時代系統
本論文で新たにDNA解析された後期新石器時代18個体と、以前に報告された古代人2000個体との間の遺伝的類似性が特定されました。592998ヶ所の常染色体遺伝子座におけるユーラシア西部現代人796個体間の遺伝的変異を特徴づける主成分に古代の個体群を投影することで、フランスの全ての後期新石器時代個体はアナトリア半島農耕民(ANF)とヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)を分離する軸に沿って、以前に分析されたフランスの前期および中期新石器時代個体群とクラスタ化する、と明らかになりました(図3A)。この軸に沿って他の後期新石器時代個体群を分離すると、モンアイメー遺跡の父と娘の組み合わせ(2H11と1H06)は、WHGと、前期新石器時代となるインプレッサ・カルディウム複合(Impresso-Cardial complex、略してICC)のフランス南東部のペンディモン(Pendimoun、略してPEN)遺跡の個体(PEN_B)と、より密接な遺伝的類似性を示します。PEN_Bは、WHG系統の過剰を有すると報告されています(関連記事)。
外群f3統計とf4統計を用いると、1H06および2H11と遺伝的に最も密接な古代の個体群は、おもにアイルランドとブリテン島とフランスとイタリアとルクセンブルクの狩猟採集民である、と明らかになりました(図3B~F)。そのような類似性は、残りのどの後期新石器時代16個体でも検出されず、その16個体は遺伝的に、ヨーロッパ西部規模でより拡散していました(図3F)。D統計(ムブティ人、WHG、検証者、1H06もしくは2H11)でも、1H06と2H11におけるWHG系統の過剰が確認され、本論文でDNA解析された他の全個体と比較してより顕著です。D統計(ムブティ人、ANF、検証者、1H06もしくは2H11)では、これらの個体群におけるANF系統の相互の欠如が明らかになりました。以下、本論文の図3です。
教師ありADMIXTURE分析では、1H06と2H11のWHG系統は、それぞれ57.5±3%と、65.7±2.9%と示唆されました(図4B)。これは、本論文でDNA解析された他の後期新石器時代個体群では、WHG系統が18.5±1.6~28.8±1.7%であることと対称的です。新石器時代個体群がWHG およびANF系統で構成される qpADMでの集団モデル化でも、1H06と2H11両個体のWHG系統の過剰(それぞれ50.6±5.1%と63.3±4.1%)が裏づけられます。同等の過剰を示す個体は他の後期新石器時代個体群(9.9~29.9%)では見られず、PEN_B個体(51.6±4.8%)を除いて、フランスの前期新石器時代個体群では例外的です。マスルージュ遺跡個体(MAS15)と花束洞窟世紀個体(ROUQW)と亀洞窟遺跡3個体(TORTCとTORTDとTORTE)では、ANF系統のみで構成されるより単純なモデルが支持され、WHG系統はせいぜい限定的と確認されました。しかし、より複雑なモデル化は、第二の、以前に報告されたヨーロッパ西部に存在する狩猟採集民の遺伝的集団として、ベルギーのゴイエット(Goyet)遺跡で発見された19000年前頃のゴイエットQ2(Goyet Q-2)個体のような系統の存在を裏づけません。
次に、DATESの連鎖不平衡(LD)減少のパターンを用いて、2H11および 1H06個体内のWHG系統の有意な過剰が、最近の混合なのか古代の混合なのか、さらに単一の混合なのか複数の混合なのか、評価されました。2H11と1H06を除いてモンアイメー遺跡の全個体をANF系統とWHG系統の組み合わせとしてモデル化すると、混合年代はこれら個体群の39.5±8.5世代前(紀元前4300年頃)と推定されました(図4E)。2H11と1H06を対象にした同様のモデル化では、混合は1H06で17.2世代前と6.2世代前に起きた(紀元前4100~紀元前3800年頃)、と推定されました。これは、新石器時代集団と中石器時代集団との間の、紀元前3800年頃までの、かなりの期間(少なくとも5世紀)複数回の散発的な接触を示唆します。
興味深いことに、1H06とその父親である2H11のゲノム内で推定されるWHG系統からは、1H06の母親(2H11の妻)は平均して37.9%のWHG系統を有しており、現時点でのモンアイメー遺跡の他の個体群で推定される割合よりも大きい、と示唆されます。これは、モンアイメー遺跡のような、WHG系統の割合が個体によりさまざまな遺伝的に不均一な後期新石器時代共同体を裏づけます。重要なことに、本論文で推定された最も新しい混合年代は、以前にドイツのエスパーシュテット(Esperstedt)の中期新石器時代個体群内で推定された最も新しい混合年代より400年新しくなります。考古学的証拠は、狩猟採集民と新石器時代集団との間の紀元前4200年頃までの相互作用を裏づけます。そのような証拠は、フランス北部では紀元前4900年頃以後には見られないので、本論文の結果は、この地域における農耕の到来に続く狩猟採集民集団の文化変容過程を示唆しているかもしれません。以下、本論文の図4です。
●鐘状ビーカー文化と青銅器時代の人口変化
本論文のデータセットには、後期新石器時代18個体に加えて、フランス南部の亀洞窟遺跡とBVP洞窟遺跡(図1C)の鐘状ビーカー文化4個体と、前期青銅器時代2個体が含まれます。主成分分析では、鐘状ビーカー文化3個体は、親子関係の2H11と1H06を除いて、フランスの他の後期新石器時代個体群と重なります(図3A)。しかし、BVP洞窟遺跡の鐘状ビーカー文化期の1個体(GBVPK)と、前期青銅器時代となるBVP洞窟遺跡の1個体(GBVPO)および亀洞窟遺跡の1個体(TORTF)は、他の以前に報告されたフランスの前期~中期青銅器時代個体群(関連記事)とクラスタ化するものの、ロシア西部のサマラ(Samara)地域のヤムナヤ(Yamnaya)草原地帯牧畜民とのより密接な類似性を示す軸に沿って移動します。
D統計(ムブティ人、ヤムナヤ集団、検証者、GBVPKかGBVPOかTORTF)でも、両遺跡の他の個体の一部と比較しての、これら3個体におけるヤムナヤ系統の統計的に有意な過剰が示唆されます。教師ありADMIXTURE分析とqpADM での3方向集団モデル化では、これら3個体のゲノムにおける、WHGおよびANF系統に加えて、23.6±1.4%~42.1±4.7%のヤムナヤ関連系統の存在が確認されます(図4C)。これは、両遺跡から100km以内の遺跡群で発掘された個体群を含む、フランスの鐘状ビーカーおよび前期~中期青銅器時代個体群のゲノムで推定される25.9~54.8%のヤムナヤ系統と一致します。
LD減少パターンは、草原地帯由来の遺伝的系統が、GBVPKのようなヤムナヤ系統を示す最初の個体の年代から9.2±3.6~10.4±3.5世代前にフランス南部に入って来た、という年代推定を提供します(図4E)。この推定年代は紀元前2650年頃に相当し、紀元前2400年頃のブリテン島と紀元前2500~紀元前2000年頃のイベリア半島における有意な草原地帯由来系統を示す以前の報告(関連記事)よりも早くなります。しかし、本論文の推定は、最小限のWHGとの混合を示すモンアイメー遺跡個体群や、花束洞窟遺跡の個体群や、BVP洞窟遺跡および亀洞窟遺跡の個体群を含む、人口モデル化において考慮された後期新石器時代の代理にも関わらず、一貫していると明らかになりました。
また本論文のデータは、BVP洞窟遺跡個体群内の有意なヤムナヤ関連系統を有する個体と、そうではない個体との共存を明らかにします。これと、同時代の近隣地域(Dolmen des Peirières)の遺跡の鐘状ビーカー文化1個体(PEI2)で推定されるヤムナヤ系統の欠如は、草原地帯牧畜民と関連する個体群との非遍在的な混合を含む、フランス南部の鐘状ビーカー文化集団における複雑な遺伝的構成を裏づけます。これは、ヨーロッパ中央部における以前の報告と一致しますが、紀元前三千年紀後半に草原地帯関連系統により在来の遺伝子プールの90%が置換されたブリテン島(関連記事)とは対照的です。
本論文では、現在のフランスの埋葬遺跡の古代の被葬者24個体のゲノムが解析され、後期新石器時代から前期青銅器時代の集団におけるゲノムの変化が報告されました。フランス南西部の鐘状ビーカー集団は、草原地帯由来の遺伝的系統を、全員ではなく一部が示し、それは紀元前2650年頃となり、ヤムナヤ関連系統の最初の出現となります。モンアイメー遺跡の後期新石器時代個体群のゲノムは、中石器時代文化の証拠がもう存在しない年代における、新石器時代集団と中石器時代集団との間の複数回の散発的な接触の証拠を提供します。これは、中石器時代集団が少なくとも紀元前四千年紀の第1四半期までこの定期に存続したものの、その後には文化変容が続いたことを示唆します。
参考文献:
Seguin-Orlando A. et al.(2021): Heterogeneous Hunter-Gatherer and Steppe-Related Ancestries in Late Neolithic and Bell Beaker Genomes from Present-Day France. Current Biology, 31, 5, 1072–1083.E10.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2020.12.015
この移行は、現在のブリテン島(関連記事)やアイルランド(関連記事)やイベリア半島(関連記事)や地中海諸島(関連記事)やドイツ(関連記事)からの広範な古代ゲノムデータを通じて報告されています。しかし、そうした移行はフランスではほぼ見過ごされています。フランスではほとんどの焦点が中期新石器時代(63個体)に当てられており、例外は後期新石器時代の網羅率0.05倍の1個体です(関連記事)。これにより、紀元前3400~紀元前2700年頃にかけての主要な移行期間は遺伝的に標本未抽出となるので、狩猟採集民の持続と草原地帯移民の正確な時間枠は不明です。本論文はこれを改善するため、紀元前3400~紀元前1600年のフランスの古代人24個体のゲノム解析結果を報告します。
●遺跡と放射性炭素年代測定
本論文で新たにDNAが解析されたのはフランスのパリ盆地と南西部の遺跡の個体で、後期新石器時代と鐘状ビーカー(Bell Beaker)文化期と前期青銅器時代です。パリ盆地ではモンアイメー(Mont-Aimé)遺跡(11個体)、フランス南西部ではマスルージュ(Mas Rouge)遺跡(1個体)と花束洞窟(Grotte du Rouquet)遺跡(6個体)とBVP洞窟(Grotte Basse de la Vigne Perdue)遺跡(3個体)と亀洞窟(Grotte des Tortues)遺跡(4個体)です(図1A・B・C)。
直接的な放射性炭素年代測定では、モンアイメー遺跡の地下被葬者2個体は紀元前3400~紀元前2900年頃と示唆されました。花束洞窟の6個体は全員、モンアイメー遺跡の2個体とほぼ同年代です。亀洞窟の個体は、後期新石器時代となる紀元前3100~紀元前2900年頃の1個体(TORTD)と、紀元前三千年紀半ばの2個体(TORTCおよびTORTE)と、紀元前二千年紀前半の1個体(TORTF)です。この結果から、亀洞窟は後期新石器時代から前期青銅器時代まで集団埋葬地としてたまに用いられたと示唆され、以前の考古学的証拠と一致します。BVP洞窟も同様ですが、紀元前三千年紀半ばから紀元前二千年紀半ばまでと、より短い期間の使用です。以下、本論文の図1です。
●ゲノム解析
モンアイメー遺跡の3個体(2H10と2H11と1H13)では、歯周病など口腔疾患に関連する細菌のDNAも検出されました。これらの細菌は、健康な現代人や5700~120年前頃の個体でも確認されています。虫歯は、青銅器時代や産業革命という生活様式の変化に伴って初めて出現したわけではないようです。X染色体と常染色体の網羅率の比率から、13人が男性と推定されます。合計24個体のゲノムデータが得られ、平均網羅率は0.20~23.88倍です(中央値は0.96倍)。比較的高い網羅率は、13.91倍の2H10と23.88倍の2H11です。
●父系および母系と親族関係
同じ遺跡の個体は同じミトコンドリアハプロタイプを有しておらず、母系での関連性はないと示唆されます。対照的に、男性はほぼ全員Y染色体ハプログループ(YHg)I2a1で、例外は、モンアイメー遺跡の1個体(H2a1)と、BVP洞窟遺跡の4400年前頃となる1個体(R1b1a1b1a1a2a1)です。近いか不完全に網羅されているものの合致するハプロタイプは、フランス北部(Rixheim-Zac du Petit-Prince 遺跡のRIX2標本のR1b1a1b1a1a2と、Obernai PAEI遺跡のOBE3626-1標本のR1b1a1b1a1a2a5)と、フランス南部(Rec de Ligno遺跡のPIR3116B標本のR1b1a1b1a1a)の同時代の鐘状ビーカー文化および青銅器時代個体群で以前に報告されました。これは、侵入してきた草原地帯牧畜民からの混合を反映しているかもしれず、この侵入により、イベリア半島集団では、他の染色体がほぼ完全に置換されました(関連記事)。YHg-I2a1は以前には、ヨーロッパのさまざまな狩猟採集民集団で見られました。これは、2H11のような少なくとも一部のモンアイメー遺跡個体における、ヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)系統の存続を示唆しているかもしれません。
YHg-I2a1は明らかに高頻度で、後期新石器時代のフランス全体における一般的な優勢を反映しているかもしれません。しかしこれは、父系的に組織化された共同体を示唆しているかもしれません。なぜならば、個々の遺跡では個体群の間で共有されるミトコンドリアハプロタイプを示さないからです。これをさらに調べるため、124万の一塩基多型において遺伝的関連性のパターンが評価されました。その結果、モンアイメー遺跡の5個体が遺伝的に関連している、と示唆されました。地下墓2号では、父(2H10)と息子(2H17)は、別の男性個体(2HxC5x196x1131)とはより低い関連性でした。この3人は類似のY染色体ハプロタイプを共有しており、父系でのつながりが確認されます。
しかし、父(2H11)と娘(1H06)との関係も特定され、この2個体は解剖学的に成人と判断されました。少なくとも一部の女性が出生共同体に留まった可能性があることは、厳密な父系規則が守られなかったことを示唆します。あるいはこれは、少なくとも一部の女性が夫婦関係に関わっていなかったか、死後に父の共同体に遺骸が送還されたことも示唆しているかもしれません。分析をより多くの個体に拡張し、出生地の情報をもたらす同位体特性を統合することで、共同体における他の女性にもどの程度当てはまるのか、という評価に役立つでしょう。それにも関わらず、モンアイメー遺跡1および2の間に一親等の関係が存在することは、両墓地が厳密に同時代に同じ集団により利用されていたことを裏づけます。
●近親交配と集団の多様性
ホモ接合連続領域(ROH)内に含まれるゲノム断片は、親族内の結合を示しているかもしれません。ROH(runs of homozygosity)とは、両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じアレルのそろった状態が連続するゲノム領域(ホモ接合連続領域)で、長いROHを有する個体の両親は近縁関係にある、と推測されます。またROH内に含まれるゲノム断片は、ヘテロ接合性のゲノム規模水準の過小評価をもたらすかもしれず、そこから有効人口規模に関する情報が得られます。
モンアイメー遺跡における、親族結合内の存在を評価し、有効人口規模を推定する両方の目的で、ROHanが高網羅率の2個体(2H10と2H11)に適用されました。しかし、ROHゲノム断片は限定的で、キョウダイ間の近親交配が報告されているアイルランドのニューグレンジの巨石遺跡(関連記事)を除くと、他の新石器時代個体群間で観察されるものと同程度でした。これは、モンアイメー遺跡の親族内結合が、あったとしても限定的だったことを示唆します。ROHの推定されたヘテロ接合性は、ニューグレンジを除いて、他の高網羅率の新石器時代個体群ゲノムで見られるものと同等でしたが、ヨーロッパ西部の中石器時代狩猟採集民よりは大きい、と示されました。これは、狩猟採集共同体と比較して、人口拡大を可能とする新石器時代食料生産経済と一致します。
●DNAメチル化と表現型の推測
モンアイメー遺跡の高網羅率の2個体(2H10と2H11)と、以前に報告された4個体を用いて、中石器時代から新石器時代にかけて、重要なDNAメチル化の変化を経験したかもしれない遺伝子が特定されました。分析は組織固有の特徴を避けるため、歯に限定されました。遺伝子本隊内のDNAメチル化パターンは、新石器時代と中石器時代の組み合わせよりも、新石器時代個体群の組み合わせの間で一般的により類似している、と明らかになりました。しかし、新石器時代となるドイツのシュトゥットガルト(Stuttgart)遺跡の女性1個体は、この研究チームの実験室で処理された新石器時代となるモンアイメー遺跡の1個体(2H10)よりも、同じ実験室で処理された、中石器時代となるルクセンブルクのロシュブール(Loschbour)遺跡の男性1個体の方と密接と明らかになりました。これは、DNAメチル化の推論に影響を与える技術的なバッチ効果を示唆します。
これらの効果と性別特有の識別特性を避けるため、異なる実験室で最高の網羅率の男性個体群に分析が限定されました。中石器時代のロシュブール遺跡個体と比較して、新石器時代となるアイルランドのジャーポイント(Jerpoint)遺跡個体(ジャーポイント14)と2H11個体両方において、DNAメチル化が平均して少なくとも50%変化した、合計611の遺伝子プロモーターが特定されました。特定の機能分類で有意に濃縮されていないものの、これらは低メチル化よりも新石器時代に高いメチル化を受けている事例を多く含んでいました。具体的には、液性免疫補体の反応の最初の鎖となるC1Qbと、T細胞成熟に関わる重要なシグナル伝達分子であるLCKです。これらが歯や血液組織の制御の変化を反映しているのかどうか評価するには、さらなる研究が必要です。次に、DNAメチル化水準を用いて、高網羅率の2個体(2H10と2H11)の死亡年齢が推測されました。方法論の改善の必要はあるものの、2H10は29歳、2H11は42歳で死亡したと推定されます。
DNAメチル化パターンを用いて正確な表現型を推測することはできませんでしたが、高網羅率の2個体の90の遺伝子座の遺伝子型を用いることで、形態と色素沈着や行動や医学的表現型が推測されました。両個体とも乳糖不耐性で、rs653178におけるセリアック病や、rs1800497とrs2283265における嗜癖行動の増加増加や、rs4994における優れた持久力のリスクアレル(対立遺伝子)増加はありませんでした。両個体はおそらく茶色の目と黒髪を有していましたが、髪の太さに相乗効果を示すアレルは有していませんでした(rs4752566とrs3827760)。2H11はおそらく肌の色が濃く、2H10の肌の色はひじょうに薄くはないものの、濃い色との間の中間でした。興味深いことに両個体は、ドーパミンやノルエピネフリンやセロトニンといった神経伝達物質の酸化に関わる酵素をコードするモノアミン酸化酵素A遺伝子座で、異なるハプロタイプを有していました。これは、より高い酵素生産(rs3027407やrs909525)もしくはより低い酵素生産(rs1137070やrs1465107やrs2072743やrs6323)と関わるアレルの異なる組み合わせを伴います。これと、遺伝子と環境の相互作用の存在により、正確な表現型の結果を予測することは困難になります。しかし、この遺伝子座で観察された遺伝的差異は、両個体における攻撃的および衝動的行動を起こすさまざまなリスクを示唆します。
●モンアイメー遺跡の新石器時代個体群における不均一な中石器時代系統
本論文で新たにDNA解析された後期新石器時代18個体と、以前に報告された古代人2000個体との間の遺伝的類似性が特定されました。592998ヶ所の常染色体遺伝子座におけるユーラシア西部現代人796個体間の遺伝的変異を特徴づける主成分に古代の個体群を投影することで、フランスの全ての後期新石器時代個体はアナトリア半島農耕民(ANF)とヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)を分離する軸に沿って、以前に分析されたフランスの前期および中期新石器時代個体群とクラスタ化する、と明らかになりました(図3A)。この軸に沿って他の後期新石器時代個体群を分離すると、モンアイメー遺跡の父と娘の組み合わせ(2H11と1H06)は、WHGと、前期新石器時代となるインプレッサ・カルディウム複合(Impresso-Cardial complex、略してICC)のフランス南東部のペンディモン(Pendimoun、略してPEN)遺跡の個体(PEN_B)と、より密接な遺伝的類似性を示します。PEN_Bは、WHG系統の過剰を有すると報告されています(関連記事)。
外群f3統計とf4統計を用いると、1H06および2H11と遺伝的に最も密接な古代の個体群は、おもにアイルランドとブリテン島とフランスとイタリアとルクセンブルクの狩猟採集民である、と明らかになりました(図3B~F)。そのような類似性は、残りのどの後期新石器時代16個体でも検出されず、その16個体は遺伝的に、ヨーロッパ西部規模でより拡散していました(図3F)。D統計(ムブティ人、WHG、検証者、1H06もしくは2H11)でも、1H06と2H11におけるWHG系統の過剰が確認され、本論文でDNA解析された他の全個体と比較してより顕著です。D統計(ムブティ人、ANF、検証者、1H06もしくは2H11)では、これらの個体群におけるANF系統の相互の欠如が明らかになりました。以下、本論文の図3です。
教師ありADMIXTURE分析では、1H06と2H11のWHG系統は、それぞれ57.5±3%と、65.7±2.9%と示唆されました(図4B)。これは、本論文でDNA解析された他の後期新石器時代個体群では、WHG系統が18.5±1.6~28.8±1.7%であることと対称的です。新石器時代個体群がWHG およびANF系統で構成される qpADMでの集団モデル化でも、1H06と2H11両個体のWHG系統の過剰(それぞれ50.6±5.1%と63.3±4.1%)が裏づけられます。同等の過剰を示す個体は他の後期新石器時代個体群(9.9~29.9%)では見られず、PEN_B個体(51.6±4.8%)を除いて、フランスの前期新石器時代個体群では例外的です。マスルージュ遺跡個体(MAS15)と花束洞窟世紀個体(ROUQW)と亀洞窟遺跡3個体(TORTCとTORTDとTORTE)では、ANF系統のみで構成されるより単純なモデルが支持され、WHG系統はせいぜい限定的と確認されました。しかし、より複雑なモデル化は、第二の、以前に報告されたヨーロッパ西部に存在する狩猟採集民の遺伝的集団として、ベルギーのゴイエット(Goyet)遺跡で発見された19000年前頃のゴイエットQ2(Goyet Q-2)個体のような系統の存在を裏づけません。
次に、DATESの連鎖不平衡(LD)減少のパターンを用いて、2H11および 1H06個体内のWHG系統の有意な過剰が、最近の混合なのか古代の混合なのか、さらに単一の混合なのか複数の混合なのか、評価されました。2H11と1H06を除いてモンアイメー遺跡の全個体をANF系統とWHG系統の組み合わせとしてモデル化すると、混合年代はこれら個体群の39.5±8.5世代前(紀元前4300年頃)と推定されました(図4E)。2H11と1H06を対象にした同様のモデル化では、混合は1H06で17.2世代前と6.2世代前に起きた(紀元前4100~紀元前3800年頃)、と推定されました。これは、新石器時代集団と中石器時代集団との間の、紀元前3800年頃までの、かなりの期間(少なくとも5世紀)複数回の散発的な接触を示唆します。
興味深いことに、1H06とその父親である2H11のゲノム内で推定されるWHG系統からは、1H06の母親(2H11の妻)は平均して37.9%のWHG系統を有しており、現時点でのモンアイメー遺跡の他の個体群で推定される割合よりも大きい、と示唆されます。これは、モンアイメー遺跡のような、WHG系統の割合が個体によりさまざまな遺伝的に不均一な後期新石器時代共同体を裏づけます。重要なことに、本論文で推定された最も新しい混合年代は、以前にドイツのエスパーシュテット(Esperstedt)の中期新石器時代個体群内で推定された最も新しい混合年代より400年新しくなります。考古学的証拠は、狩猟採集民と新石器時代集団との間の紀元前4200年頃までの相互作用を裏づけます。そのような証拠は、フランス北部では紀元前4900年頃以後には見られないので、本論文の結果は、この地域における農耕の到来に続く狩猟採集民集団の文化変容過程を示唆しているかもしれません。以下、本論文の図4です。
●鐘状ビーカー文化と青銅器時代の人口変化
本論文のデータセットには、後期新石器時代18個体に加えて、フランス南部の亀洞窟遺跡とBVP洞窟遺跡(図1C)の鐘状ビーカー文化4個体と、前期青銅器時代2個体が含まれます。主成分分析では、鐘状ビーカー文化3個体は、親子関係の2H11と1H06を除いて、フランスの他の後期新石器時代個体群と重なります(図3A)。しかし、BVP洞窟遺跡の鐘状ビーカー文化期の1個体(GBVPK)と、前期青銅器時代となるBVP洞窟遺跡の1個体(GBVPO)および亀洞窟遺跡の1個体(TORTF)は、他の以前に報告されたフランスの前期~中期青銅器時代個体群(関連記事)とクラスタ化するものの、ロシア西部のサマラ(Samara)地域のヤムナヤ(Yamnaya)草原地帯牧畜民とのより密接な類似性を示す軸に沿って移動します。
D統計(ムブティ人、ヤムナヤ集団、検証者、GBVPKかGBVPOかTORTF)でも、両遺跡の他の個体の一部と比較しての、これら3個体におけるヤムナヤ系統の統計的に有意な過剰が示唆されます。教師ありADMIXTURE分析とqpADM での3方向集団モデル化では、これら3個体のゲノムにおける、WHGおよびANF系統に加えて、23.6±1.4%~42.1±4.7%のヤムナヤ関連系統の存在が確認されます(図4C)。これは、両遺跡から100km以内の遺跡群で発掘された個体群を含む、フランスの鐘状ビーカーおよび前期~中期青銅器時代個体群のゲノムで推定される25.9~54.8%のヤムナヤ系統と一致します。
LD減少パターンは、草原地帯由来の遺伝的系統が、GBVPKのようなヤムナヤ系統を示す最初の個体の年代から9.2±3.6~10.4±3.5世代前にフランス南部に入って来た、という年代推定を提供します(図4E)。この推定年代は紀元前2650年頃に相当し、紀元前2400年頃のブリテン島と紀元前2500~紀元前2000年頃のイベリア半島における有意な草原地帯由来系統を示す以前の報告(関連記事)よりも早くなります。しかし、本論文の推定は、最小限のWHGとの混合を示すモンアイメー遺跡個体群や、花束洞窟遺跡の個体群や、BVP洞窟遺跡および亀洞窟遺跡の個体群を含む、人口モデル化において考慮された後期新石器時代の代理にも関わらず、一貫していると明らかになりました。
また本論文のデータは、BVP洞窟遺跡個体群内の有意なヤムナヤ関連系統を有する個体と、そうではない個体との共存を明らかにします。これと、同時代の近隣地域(Dolmen des Peirières)の遺跡の鐘状ビーカー文化1個体(PEI2)で推定されるヤムナヤ系統の欠如は、草原地帯牧畜民と関連する個体群との非遍在的な混合を含む、フランス南部の鐘状ビーカー文化集団における複雑な遺伝的構成を裏づけます。これは、ヨーロッパ中央部における以前の報告と一致しますが、紀元前三千年紀後半に草原地帯関連系統により在来の遺伝子プールの90%が置換されたブリテン島(関連記事)とは対照的です。
本論文では、現在のフランスの埋葬遺跡の古代の被葬者24個体のゲノムが解析され、後期新石器時代から前期青銅器時代の集団におけるゲノムの変化が報告されました。フランス南西部の鐘状ビーカー集団は、草原地帯由来の遺伝的系統を、全員ではなく一部が示し、それは紀元前2650年頃となり、ヤムナヤ関連系統の最初の出現となります。モンアイメー遺跡の後期新石器時代個体群のゲノムは、中石器時代文化の証拠がもう存在しない年代における、新石器時代集団と中石器時代集団との間の複数回の散発的な接触の証拠を提供します。これは、中石器時代集団が少なくとも紀元前四千年紀の第1四半期までこの定期に存続したものの、その後には文化変容が続いたことを示唆します。
参考文献:
Seguin-Orlando A. et al.(2021): Heterogeneous Hunter-Gatherer and Steppe-Related Ancestries in Late Neolithic and Bell Beaker Genomes from Present-Day France. Current Biology, 31, 5, 1072–1083.E10.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2020.12.015
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