ネアンデルタール人に関する「ポリコレ」や「白人」のご都合主義といった観点からの陰謀論的言説
ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)についてTwitterで検索していたら、以下のような発言を見つけました。
いわゆる白人たちにネアンデルタール人の遺伝子が強く受け継がれていると判明したとたんにネアンデルタール人の想像図の画風が変化したのには爆笑したのを覚えています。あれは歴史に残して、末永くいわゆる白人を嘲笑するネタにしてあげるのがいわゆる白人文化を尊重することに役立つでしょう。
Twitterでも短く言及しましたが、このような発言に問題があることは、2018年(関連記事)と2019年(関連記事)に当ブログで取り上げました。上記のような見解は、日本語環境のネット上では、「リベラル」や「ポリコレ」に冷ややかな一部?の人々の間に「真実」として浸透しているように思います。こうした言説の浸透に大きな影響を与えたと考えられるのが、大手サイトにも寄稿しており、ネットでは反「リベラル」・反「ポリコレ」の「論客」の一人として認知されてきているように思われる白饅頭(御田寺圭)氏というアカウントです。御田寺氏は以前、
「ネアンデルタール人がヨーロッパ人と混血していた」という事実が明らかになった途端、ネアンデルタール人想像図がイケメン化した現象、僕は忘れません。
と発言していましたが、批判されたからなのか、現在では削除されています。ただ、この御田寺氏の発言時期は、批判の投稿日時から推測すると2017年10月なので、2017年1月に凍結されたTwitterアカウント(@juns76)の2015年7月頃となる以下の発言の受け売りに過ぎないかもしれません。
ネアンデルタール人、昔の復元画だと猿丸出しのアジア顔なのに、最近、コーカソイドの遺伝子にネアンデルタール人が混じってるとわかった途端、白人イケメン顔になってんの。ああいう隠蔽された欧州の人種優越主義凄い
上記の当ブログの記事でも述べましたが、ネアンデルタール人と現生人類(Homo sapiens)との違いを強調する見解に対して、それに慎重で、両者の類似性を指摘する見解が主張されるようになってきたことは確かです。しかし、それはネアンデルタール人と現生人類との交雑が明らかになった2010年以降ではなく、1990年代から本格的に始まっていました。そもそも、ネアンデルタール人の評価は19世紀の発見以来ずっと揺れ動いており、両者の類似と相違のどちらを強調するかも、その文脈で大きく変わりました。ネアンデルタール人と現生人類との類似性を強調する見解は、両者の交雑のずっと前の20世紀半ばから提示されていました(関連記事)。
また、1990年代以降のネアンデルタール人「見直し」論者の代表とも言うべきデリコ(Francesco d’Errico)氏やジリャオン(João Zilhão)氏にしても、ネアンデルタール人が現代人の主要な祖先であると考えているわけではなく、ネアンデルタール人と現生人類との交雑の有無とは関係なしに、ネアンデルタール人と現生人類との類似性を主張していきました。これらの知見からも、「白人(の祖先)」がネアンデルタール人と交雑していたと明らかになった途端に、ネアンデルタール人の復元(想像)図・像が「(白人)イケメン」化した、というような認識は的外れと言えるでしょう。
最初に取り上げた発言には続きがあり、
>RT:ネアンデルタール人の子孫は白人w
エライ美化されとるなw
復顔像技術で再現したんか?
との他アカウントの発言に対して、
このツイートに紹介されているもさね。
末永く保存して、末永く笑いものにしてあげるのが礼儀だと思うもさ。
との返信があります。それ以前の復元図との対比した「エライ美化されとる」画像とは、以下の復元図です(左側が旧復元図、右側が新復元図)。
しかし、この「エライ美化されとる」新復元図は、遅くとも2007年5月28日には公開されており、これはネアンデルタール人と現生人類との交雑が明らかになる3年前のことです(参考記事)。さらに、私が保存している同じ画像の日付から推測すると、遅くとも2004年9月には公開されています。これはネアンデルタール人少女の復元図なので、おそらく元ネタを提供した@juns76氏の想定する画像とは異なっているでしょうが、たとえば、以下のような「白人イケメン顔」のネアンデルタール人の復元像は、
2008年に3月18日から6月22日にかけて上野の国立博物館で開催された「ダーウィン展」で展示されています(参考記事)。以下の『ナショナルジオグラフィック』1996年1月号(関連記事)掲載のネアンデルタール人の復元図も、黒髪ではあるものの、「白人イケメン顔」的です(そもそも黒髪の「白人」は珍しくありませんが)。
繰り返しますが、2010年5月に、ネアンデルタール人と現生人類とは交雑しており、非アフリカ系現代人に遺伝的影響を残した可能性がきわめて高い、との見解が提示されて以降、ネアンデルタール人の復元図が「猿丸出しのアジア顔」から「白人イケメン顔」になったのではなく、それ以前から「白人イケメン顔」的なネアンデルタール人復元図は存在しました。「白人」の根強い「人種」差別主義的傾向は現在でもとても否定できないでしょうが(関連記事)、それをネアンデルタール人の復元図の変遷と直結させる根拠は乏しく、稚拙な陰謀論的発想と言うべきでしょう。
なお、上記の最初に引用した発言は、ネアンデルタール人と現生人類との交雑を指摘する記事に対する、以下の発言から派生した返信です。
これさあ、クロマニョン人はネアンデルタール人を絶滅させてないってことにしないと、白人のポリコレ的に心持ちが悪いから「そういうこと」にしたいんでねえか。
しかし、ネアンデルタール人と現生人類との交雑の解明に大きく貢献し、明らかに「リベラル」な価値観を有するスヴァンテ・ペーボ(Svante Pääbo)氏でさえ、著書(関連記事)で述べているように、2009年初頭の時点でも、ネアンデルタール人が現代人に遺伝的に寄与した、という見解に懐疑的でした(P243)。非アフリカ系現代人がネアンデルタール人からわずかながら遺伝的影響を受けているという知見は、「白人」の「ポリコレ」的観点とは基本的に無関係の遺伝学的成果で、この知見と「ポリコレ」を結びつけるのは、下衆の勘繰りというか稚拙な陰謀論的発想にすぎません。
ネアンデルタール人の復元図や現生人類との交雑といった知見に関して、反「リベラル」や反「ポリコレ」や反「白人」的観点と直結させてしまうのは、現代世界の重要な問題となっている陰謀論の人類にとっての魅力を改めて浮き彫りにします。確かに、「リベラル」的・「ポリコレ」的言説にも問題点はあるでしょうし、「白人」の根強い「人種」差別主義傾向は、現在世界で猛威を振るっている新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)による新型コロナウイルス感染症(COVID-19)で改めて示された、と言えるでしょう。「リベラル」的・「ポリコレ」的言説や「白人」の根強い「人種」差別主義傾向に対する批判は必要ですが、それを雑に学術的知見など多くの見解・事象にまで適用するのは、批判対象側にとって好都合になってしまうので、自重してもらいたいものです。
最近、映画に関しても、
ポリコレのせいで、西部劇も戦争ものも冒険活劇も丸ごとダメになったんやで。敵にして良いのはエイリアンか虫ぐらいだ。これが豊かな表現だと思いこむのは勝手だが。
といった雑な発言に対して批判が寄せられていました。「白人」の根強い「人種」差別主義傾向は論外としても、現在では「先進国」の「主流派」でほぼ体制教義になっている「リベラル」的・「ポリコレ」的言説を批判する必要もあり、そのさいに稚拙な陰謀論的発想で批判側の説得力を減じてはならない、と私は考えています。
いわゆる白人たちにネアンデルタール人の遺伝子が強く受け継がれていると判明したとたんにネアンデルタール人の想像図の画風が変化したのには爆笑したのを覚えています。あれは歴史に残して、末永くいわゆる白人を嘲笑するネタにしてあげるのがいわゆる白人文化を尊重することに役立つでしょう。
Twitterでも短く言及しましたが、このような発言に問題があることは、2018年(関連記事)と2019年(関連記事)に当ブログで取り上げました。上記のような見解は、日本語環境のネット上では、「リベラル」や「ポリコレ」に冷ややかな一部?の人々の間に「真実」として浸透しているように思います。こうした言説の浸透に大きな影響を与えたと考えられるのが、大手サイトにも寄稿しており、ネットでは反「リベラル」・反「ポリコレ」の「論客」の一人として認知されてきているように思われる白饅頭(御田寺圭)氏というアカウントです。御田寺氏は以前、
「ネアンデルタール人がヨーロッパ人と混血していた」という事実が明らかになった途端、ネアンデルタール人想像図がイケメン化した現象、僕は忘れません。
と発言していましたが、批判されたからなのか、現在では削除されています。ただ、この御田寺氏の発言時期は、批判の投稿日時から推測すると2017年10月なので、2017年1月に凍結されたTwitterアカウント(@juns76)の2015年7月頃となる以下の発言の受け売りに過ぎないかもしれません。
ネアンデルタール人、昔の復元画だと猿丸出しのアジア顔なのに、最近、コーカソイドの遺伝子にネアンデルタール人が混じってるとわかった途端、白人イケメン顔になってんの。ああいう隠蔽された欧州の人種優越主義凄い
上記の当ブログの記事でも述べましたが、ネアンデルタール人と現生人類(Homo sapiens)との違いを強調する見解に対して、それに慎重で、両者の類似性を指摘する見解が主張されるようになってきたことは確かです。しかし、それはネアンデルタール人と現生人類との交雑が明らかになった2010年以降ではなく、1990年代から本格的に始まっていました。そもそも、ネアンデルタール人の評価は19世紀の発見以来ずっと揺れ動いており、両者の類似と相違のどちらを強調するかも、その文脈で大きく変わりました。ネアンデルタール人と現生人類との類似性を強調する見解は、両者の交雑のずっと前の20世紀半ばから提示されていました(関連記事)。
また、1990年代以降のネアンデルタール人「見直し」論者の代表とも言うべきデリコ(Francesco d’Errico)氏やジリャオン(João Zilhão)氏にしても、ネアンデルタール人が現代人の主要な祖先であると考えているわけではなく、ネアンデルタール人と現生人類との交雑の有無とは関係なしに、ネアンデルタール人と現生人類との類似性を主張していきました。これらの知見からも、「白人(の祖先)」がネアンデルタール人と交雑していたと明らかになった途端に、ネアンデルタール人の復元(想像)図・像が「(白人)イケメン」化した、というような認識は的外れと言えるでしょう。
最初に取り上げた発言には続きがあり、
>RT:ネアンデルタール人の子孫は白人w
エライ美化されとるなw
復顔像技術で再現したんか?
との他アカウントの発言に対して、
このツイートに紹介されているもさね。
末永く保存して、末永く笑いものにしてあげるのが礼儀だと思うもさ。
との返信があります。それ以前の復元図との対比した「エライ美化されとる」画像とは、以下の復元図です(左側が旧復元図、右側が新復元図)。
しかし、この「エライ美化されとる」新復元図は、遅くとも2007年5月28日には公開されており、これはネアンデルタール人と現生人類との交雑が明らかになる3年前のことです(参考記事)。さらに、私が保存している同じ画像の日付から推測すると、遅くとも2004年9月には公開されています。これはネアンデルタール人少女の復元図なので、おそらく元ネタを提供した@juns76氏の想定する画像とは異なっているでしょうが、たとえば、以下のような「白人イケメン顔」のネアンデルタール人の復元像は、
2008年に3月18日から6月22日にかけて上野の国立博物館で開催された「ダーウィン展」で展示されています(参考記事)。以下の『ナショナルジオグラフィック』1996年1月号(関連記事)掲載のネアンデルタール人の復元図も、黒髪ではあるものの、「白人イケメン顔」的です(そもそも黒髪の「白人」は珍しくありませんが)。
繰り返しますが、2010年5月に、ネアンデルタール人と現生人類とは交雑しており、非アフリカ系現代人に遺伝的影響を残した可能性がきわめて高い、との見解が提示されて以降、ネアンデルタール人の復元図が「猿丸出しのアジア顔」から「白人イケメン顔」になったのではなく、それ以前から「白人イケメン顔」的なネアンデルタール人復元図は存在しました。「白人」の根強い「人種」差別主義的傾向は現在でもとても否定できないでしょうが(関連記事)、それをネアンデルタール人の復元図の変遷と直結させる根拠は乏しく、稚拙な陰謀論的発想と言うべきでしょう。
なお、上記の最初に引用した発言は、ネアンデルタール人と現生人類との交雑を指摘する記事に対する、以下の発言から派生した返信です。
これさあ、クロマニョン人はネアンデルタール人を絶滅させてないってことにしないと、白人のポリコレ的に心持ちが悪いから「そういうこと」にしたいんでねえか。
しかし、ネアンデルタール人と現生人類との交雑の解明に大きく貢献し、明らかに「リベラル」な価値観を有するスヴァンテ・ペーボ(Svante Pääbo)氏でさえ、著書(関連記事)で述べているように、2009年初頭の時点でも、ネアンデルタール人が現代人に遺伝的に寄与した、という見解に懐疑的でした(P243)。非アフリカ系現代人がネアンデルタール人からわずかながら遺伝的影響を受けているという知見は、「白人」の「ポリコレ」的観点とは基本的に無関係の遺伝学的成果で、この知見と「ポリコレ」を結びつけるのは、下衆の勘繰りというか稚拙な陰謀論的発想にすぎません。
ネアンデルタール人の復元図や現生人類との交雑といった知見に関して、反「リベラル」や反「ポリコレ」や反「白人」的観点と直結させてしまうのは、現代世界の重要な問題となっている陰謀論の人類にとっての魅力を改めて浮き彫りにします。確かに、「リベラル」的・「ポリコレ」的言説にも問題点はあるでしょうし、「白人」の根強い「人種」差別主義傾向は、現在世界で猛威を振るっている新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)による新型コロナウイルス感染症(COVID-19)で改めて示された、と言えるでしょう。「リベラル」的・「ポリコレ」的言説や「白人」の根強い「人種」差別主義傾向に対する批判は必要ですが、それを雑に学術的知見など多くの見解・事象にまで適用するのは、批判対象側にとって好都合になってしまうので、自重してもらいたいものです。
最近、映画に関しても、
ポリコレのせいで、西部劇も戦争ものも冒険活劇も丸ごとダメになったんやで。敵にして良いのはエイリアンか虫ぐらいだ。これが豊かな表現だと思いこむのは勝手だが。
といった雑な発言に対して批判が寄せられていました。「白人」の根強い「人種」差別主義傾向は論外としても、現在では「先進国」の「主流派」でほぼ体制教義になっている「リベラル」的・「ポリコレ」的言説を批判する必要もあり、そのさいに稚拙な陰謀論的発想で批判側の説得力を減じてはならない、と私は考えています。
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