山田仁史「東南アジア古層の神話・世界観と竹利用」
本論文は、文部科学省科学研究費補助金(新学術領域研究)2016-2020年度「パレオアジア文化史学」(領域番号1802)計画研究B01「人類集団の拡散と定着にともなう文化・行動変化の文化人類学的モデル構築2019年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 28)に所収されています。公式サイトにて本論文をPDFファイルで読めます(P29-34)。この他にも興味深そうな論文があるので、今後読んでいくつもりです。
近年、全世界に分布する神話モチーフのビッグデータ解析が進んでいます。たとえば、ロシアのユーリー・ベリョースキン(Yuri Berezkin)氏は、ヨーロッパの9言語によるテキスト、約5万話のデータベースを自力で作成し、2150 ほどのモチーフを独自に設定して、主成分分析などによる成果を続々と発表しているそうです。またフランスのジュリアン・デュイ(Julien d’Huy)氏は、一部ベリョースキン氏とも協働作業しつつ、世界神話の「系統解析(phylogenetic analysis)」に取り組んでいます。世界神話学では、世界の遠く離れた地域同士の神話の類似性を、現生人類(Homo sapiens)拡散の様相から説明しようとしています(関連記事)。
その結果、アジア南東部の神話について新たな知見がもたらされつつあります。たとえばベリョースキン氏は、死の起源神話の分析から、現生人類がアジア南東部および東部に定着した後、その神話における複雑性と多様性は格段に増し、数百とは言わないまでも数十の新しい(アフリカには未知の)モチーフが出現し、近い過去において太平洋東岸と西岸どちらの諸民族にも共有された、と指摘しています。またベリョースキン氏は、シベリアとアジア南東部の両方に典型的な多くの神話モチーフが、アメリカ大陸にも見出され、シベリアとアメリカ大陸、アジア南東部とアメリカ大陸にのみ見られるモチーフもあり、こうした分布は異なるアジアの集団が別々にアメリカ大陸に入ったことを反映している、とも指摘しています。デュイとベリョースキン氏の著論文でも、アジア南東部が一つのクラスターを形成すると示唆されています。このように、現生人類 の移住・拡散に伴う神話・宗教的世界観を考える上で、アジア南東部が一つの重要な地域である、と改めて認識されています。
他方、考古学・遺伝学・古人類学・言語学などの成果を総合しつつ、アジア南東部における人類集団の重層性が指摘されています。ピーター・ベルウッド(Peter Bellwood)氏は、5万年前にはもうアジア南東部に到達していた、古層のオーストラロ=パプアン(Australo-Papuan)と、紀元前3500 年から前1300年の間にオーストロネシア系などの言語とともにより新しく入ってきた「アジアン(Asian)」とを区別した上で、アジア南東部にかつて広く居住していたオーストラロ=パプアンの特徴を比較的よく残しているのがネグリートである、と推測しています。ネグリートとは、低身長で、黒っぽい肌と縮れ毛という身体的特徴を有する人々で、アンダマン諸島、マレー半島(セマン人など)、フィリピン(アエタ人やママヌワ人など)に居住しています。しかし、かつてはアジア南東部全域に居住していた、とベルウッド氏は推測しています。各地の神話に登場する「小人族」は、それを反映しているかもしれません。こうした知見ももとに、やや図式的ではあり、また形質と文化はそのまま対応するわけではないことを前提としつつ、アジア南東部における神話・宗教の多層性をおおまかに示すと、古いネグリート系(オーストラロ=パプアン)→マレー系(アジアン)→新しい仏教・イスラム教・キリスト教・道教となります。
このうちネグリート系の人々に関しては、アジア南東部における古層の住民であるとして、分子人類学者たちがかねてから注目してきました。たとえば尾本恵市氏はかつて、ネグリートは、フィリピンやマレー半島やアンダマン諸島などに残る、スンダランドの生き証人というべき狩猟採集民だと考えている、と述べています。近年、メラネシア人(パプアニューギニアとブーゲンビル島の人々)とオーストラリア先住民の他に、フィリピンのネグリートにも種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)のゲノムがやや高い頻度で伝わっている、と明らかになりました(関連記事)。つまりネグリートの人々は、アジア南東部における現生人類の文化形成過程を知る上で重要な鍵を握る、と改めて認識されつつあります。
ヴィルヘルム・シュミット(Wilhelm Schmidt)は1910年の著書『人類進化史におけるピグミー諸族の位置』において、低身長の狩猟採集民こそが人類の古い文化状態を残している、と推測しました。しかし、とくにアジアのネグリート系について、資料はまだ限られていました。その後、イギリスのアルフレッド・レジナルド・ラドクリフ=ブラウン(Alfred Reginald Radcliffe-Brown)は1922年に『アンダマン諸島民』を発表し、状況は少し改善されましたが、まだ資料は不足していました。シュミットはカトリック教会の神父にフィリピンのアエタ人の調査を依頼するなど、アジア南東部のネグリート系集団に関する資料は増加します。また、これよりも早く、ジョン・M・ガーヴァン(John M Garvan)がアエタ人を調査しています。ジョン・M・クーパー(John Montgomery Cooper)はガーヴァンの手稿に依拠しつつ、アジア南東部のネグリート集団における文化要素がどれだけ重複・共通しているのか、検証しました。
クーパーは、三つのネグリート群のうち、二群以上に共通する文化要素を55 項目挙げました。そのうち9 項目は三群すべてに共通しています。セマン人とアンダマン諸島人に共通するのは11 項目と少ないのに対して、アエタ人とセマン人に共通するのは23 項目、アエタとアンダマンに共通するのは20 項目です。つまり、アエタは両者をつなぐリンクになっていることが示唆された。いずれにしても、この三群は遠い過去からの共通の呪術・宗教的文化を保持している、というのがクーパーの結論です。
この中で興味深いのは、雷やセミが重要な役割を果たすことです。たとえば、雷は天上での石転がしの音、または天神の声とされます。これはミンダナオ島スリガオ州のマヌア・アエタ人とセマン人とアンダマン諸島人に共通し、雷は至高神などの「偉い者(superiorbeing)」により引き起こされる、と考えられています。セマン人とアンダマン諸島人とプレ=テメル(Ple-Temer)とセマイ・サカイにおいて、雷は彼または彼女の声とされ、サンバレス州(Zambales)中西部のアエタ人では至高存在カダイ(Kadai)の声、また北カマリネス州(Camarines)のアエタ人では、至高存在たるカヤイ(Kayai)の声と称されていました。
また、嵐もしくは他の災厄が引き起こされるのは、多数にのぼるタブー行為によってである、ともされていました。アンダマン諸島人では、日没後から日の出まで、つまりセミが鳴いている時は静粛を守り、うるさい仕事をしてはなりませんでした。さもないと、セミとプルガの気分を害し、嵐が来る、とさていました。セミが「歌う(sings)」のは薄明から日の出の間と、日没から夜の暗い時の間とである、と言われていました。セマイ・サカイでも同様に、朝夕セミが鳴いている時は静粛にしなければならない、と言われていました。他方でアエタ人においては、セミと嵐について詳細は記録されていません。しかし多くのアエタ集団についてガーヴァンは、日没時に叫んだり騒音を立てたりしてはならない、と報告しています。プラサ(Plaza)の報告によると、ブラカン州(Bulacan)東部のバルガ(Balúga)のアエタ人では、日の出前と日の入り後に叫んだり、騒がしい仕事をしたりしてはならない、とされていました。ここでの「日の出前と日の入り後」を、シュミットの同僚であったポール・シェベスタ(Paul Schebesta)は、セミの鳴く時間帯と解釈しています。
スズメバチは雷神の使い、という観念もあります。ミンダナオ島スリガオ州のママヌワ(Mamánua)では、特定の大型スズメバチは雷神の使いなので、これに害を与えてはいけない、とされていました。またジャハイ・セマン(DjahaiSemang)では、特定種の黒スズメバチ(blackwasp)を殺してはいけないとされ、その理由は、これが雷神の伴侶ないし従者(companion or attendant)だから、というものでした。セミは高神ないし至高存在の子、という観念も興味深く、これはセマンとセマイとサカイと北アンダマン群すべてに共通しています。セミが鳴いている時に邪魔してはいけないというタブーはこれに基づくのだろう、とクーパーは推測しています。
妊娠・出産についての観念に関しては、ミンダナオ島コルディエラ東部のアエタ人では、生後数ヶ月以内に亡くなった乳児の霊魂は野生ハトの一種の体内に宿り、そこから妊婦の中に入る、とされます。この野生ハトの呼び声を聞くと、夫婦は供え物をまします。この鳥を殺してはいけませんが、時には罠で捕らえ、キャンプ近くの籠で飼うこともあります。このハトにはそこで餌を与え、子供の霊魂に母親の中に入るよう呼びかけます。一方、セマン人における霊魂鳥は、スティーヴンズ(Stevens)によればレンジャクバト(crested dove)の一種、チェカ・セマン(Cheka Semang)によれば緑色の鳥おそらくハチクイ(bee-eater)の一種とされ、体内に未生児の霊魂を持つとされます。霊魂は霊魂樹の上で育ち、そこから霊魂鳥に取って行かれます。妊婦は同種の木を自分の誕生木(birth-tree)として、これを訪れます。霊魂鳥が木にとまっているのを見つけたら殺し、妊婦がこれを食べると、子供の霊魂は彼女の体内に入ります。似た観念はアンダマン北部群にもあります。ここでは赤ん坊の未生魂(unborn souls of babies)と、緑色のハトと、クワ科の木(Ficus laccifera)との間には何らかの関連があり、後二者は同名称です。未生児の霊魂はこの木に住み、緑色のハトが呼ぶと母の体内に入る、とされます。これらは、オーストラリア先住民のいわゆる「霊魂児(spirit children)」とも似ていますが、その比較は今後の課題です。
その他のタブーや観念・儀礼としては、たとえば夜の口笛を忌むものがあります。サンバレス州のアエタ人では、月が昇る時に口笛をふいてはならないとされ、アンダマン諸島人では、日没から日の出までは口笛をふいてならない、とされました。獲物の解体についても、一定の決まりがありました。アエタ人では集団ごとに獲物の解体の仕方が決まっており、別のやり方をするとその後の猟運が悪くなる、と一般に信じられていました。また北カマリネス州のアエタ人では、至高存在たるカヤイが、獲物を特定の仕方で解体するよう求めている、と信じられており、アンダマン諸島人では、ブタの解体の仕方が悪いと、ジャングルの精霊またはプルガが怒る、と言われていました。
さらに共通して見られたのは、雷または嵐の際に自らの身体に傷をつけて血を流し、これを捧げるという行為です。シュミットたちはこれを「供犠」と呼んでいます。たとえば、アエタ人(おそらくミンダナオ島の多くの集団)では雷雨時に指を刺し、雷鳴の方へ向けて血をまく慣習がありました。至高存在たるバヤは雷の所有主であり、雷鳴は何らかの違犯に彼が怒っている徴だからです。またミンダナオ島東部のアエタ数群では、嵐は天の邪霊(死霊?)のせいだと言っていました。それで嵐の時、人によっては体の一部に小さい切り傷をつけ、指で血を天へ散らし、精霊に「さあお前の血だ、飲め」といった何らかの呼びかけをする慣習がありました。
ブラカン州(Bulacan)東部のバルガ・アエタ人でも、雷神カダイが姦通か何かの悪事に怒り、雷が鳴ると、脚に切り傷をつけて血を採り、水と混ぜて雷の方向へ投げる一方、少量の血はカダイの妻へと、地中にやりました。普通、血を捧げるのは女性ですが、嵐がひどくなる場合には男もやりました。このように、アエタ人の「宥和的出血供犠(expiatory blood-off ering)」は全体として、またほぼ細部に至るまで、有名なセマン人とサカイ人の血の供犠に対応しているので、発生上の結びつきがあることは疑えない、とクーパーは指摘します。この際に竹が用いられることもありました。セマン人の場合は、嵐が来ると脚の脛の部分に竹または材質不明のナイフで切り傷をつけ、血を流してこれを水の入った竹筒で受け、血と水を混ぜます。こうして混ぜたものを天に向かってまき散らし、嵐を鎮めようとしました。アフリカのガボン地域「ネグリート」が「人の血を捧げる」ことや、ボルネオ島の狩猟採集民プナンでも、雷神に血を捧げることが行なわれてきた、と報告されています。つまり、雷雨に際して血を捧げる習俗は、古層の狩猟採集文化までさかのぼる可能性もあるわけです。
竹はヒトにとってたいへん有用な植物です。アジア南東部では、環境の中に竹が自生します。67000年前頃にルソン島北部のカラオ洞窟(Callao Cave)では、石器を使わずおそらく竹ナイフにより、人類がシカやブタを屠殺していた、と推測されています。なお、本論文はとくに言及していませんが、この人類は現生人類ではなく、ホモ属の新種ルゾネンシス(Homo luzonensis)かもしれません(関連記事)。そうならば、竹の利用は初期ホモ属までさかのぼる可能性があります。竹の利用は、ブラジルやニューギニア島の先住民でも確認されています。竹製ナイフに関しては、長さが37~40cm、柄の部分は14cm程度で、敵に矢を射当てたあと、その場でこのナイフの刃の部分に石英か貝により刻み目をつけ、そこから新たに鋭利な刃をはがして作り、断首に用いた事例も報告されています。この刃は一度しか使えないので、刻み目の数は取った人頭の数を示していましたが、このナイフは時にジュゴンなどにも利用されたそうです。
こうした竹の利用を物語るかのように、アジア南東部では、竹から人間が発生したという神話も広く知られています。それは、ネグリート系のセマン人にも、台湾先住民のプユマ人やヤミ人にもあります。またさらに広く、竹以外の植物から人間が発生するという事例も含めるならば、それらは採集生活を基礎とする中から生まれた、「植物的心性(Vegetalismus, vegetabilische Mentalität)」と呼べるかもしれません。こうした世界観のあり方は、アジア南東部古層の道具製作・利用のあり方を考える上でも示唆に富みます。
まとめると、まずアジア南東部の神話・宗教的世界観は、さまざまな時代、異なる担い手を背景とする多層的な要素を含みます。そのうちデニソワ人のゲノムを一部継承したとされるネグリート系3集団に共通するのは、雷やセミに注目するような世界観であり、「動物の主」のような大型動物はあまり登場しません。有用植物、とくに竹の利用という伝統の存在が、人類起源神話にも竹などの植物がよく見られることの背景にあるのではないか、と考えられます。この問題を比較の見地からさらに追究することが、今後の課題です。
以上、本論文についてざっと見てきましたが、今年になって大きく進展したアジア東部の古代DNA研究(関連記事)に基づくユーラシア東部への現生人類の拡散の見通しを踏まえると、なかなか興味深いと思います。まず、非アフリカ系現代人の主要な祖先である出アフリカ現生人類集団は、7万~5万年前頃にアフリカからユーラシアへと拡散した後に、ユーラシア東部系統と西部系統に分岐します。ユーラシア東部系統は、北方系統と南方系統に分岐し、南方系統はアジア南部および南東部の先住系統とサフル系統(オーストラリア先住民およびパプア人)に分岐します。サフル系統と分岐した後の残りのユーラシア東部南方系統は、アジア南東部とアジア南部の狩猟採集民系統に分岐しました。
アジア南東部の古代人では、ホアビン文化(Hòabìnhian)関連個体がユーラシア東部南方系統に位置づけられます。アジア南部狩猟採集民系統は、アンダマン諸島の現代人によく残っています。この古代祖型インド南部人関連系統(AASI)が、イラン関連系統やポントス・カスピ海草原(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)系統とさまざまな割合で混合して、現代インド人が形成されました。アジア南東部において、この先住の狩猟採集民と、アジア東部から南下してきた、最初に農耕をもたらした集団、およびその後で南下してきた青銅器技術を有する集団との混合により、アジア南東部現代人が形成されました。
アジア東部に関しては、ユーラシア東部北方系統と南方系統とのさまざまな割合での混合により各地域の現代人が形成された、と推測されます。ユーラシア東部北方系統からアジア東部系統が派生し、アジア東部系統は北方系統と南方系統に分岐しました。現在の中国のうち前近代において主に漢字文化圏だった地域では、新石器時代集団において南北で明確な遺伝的違いが見られ(黄河流域を中心とするアジア東部北方系統と、長江流域を中心とするアジア東部南方系統)、現代よりも遺伝的違いが大きく、その後の混合により均質化が進展していきました。ただ、すでに新石器時代においてある程度の混合があったようです。
また、大きくは中国北部に位置づけられる地域でも、黄河・西遼河・アムール川の流域では、新石器時代の時点ですでに遺伝的構成に違いが見られます。アジア東部南方系統は、オーストロネシア語族およびオーストロアジア語族集団の主要な祖先となり、前者は華南沿岸部、後者は華南内陸部に分布していた、と推測されます。日本列島の「縄文人」は、アジア東部南方系統(55%)とユーラシア東部南方系統(45%)の混合としてモデル化できます。アイヌ集団と琉球集団を除く現代日本人は、「縄文人」系統(10~20%)と、アジア東部系統(80~90%)の混合により形成され、アジア東部系統でも北方系統の方が影響は強い、と考えられます。
もちろん、実際には現代人の各地域集団は複雑な混合により形成されてきたので、過度の単純化には慎重になるべきでしょうが、アンダマン諸島人はサフル系統と同じくユーラシア東部南方系統に位置づけられ、アジア南東部の「ネグリート」とされる集団もユーラシア東部南方系統の遺伝的影響が強いとすると、これらの集団に共通する神話が見られても不思議ではないでしょう。ただ、同じユーラシア東部南方系統とはいっても、アジア南東部への拡散は5万年前頃前後とかなり早そうですから、アジア南部(アンダマン諸島)や南東部の「ネグリート」系統とオセアニアのサフル系統との分岐はかなり早いと考えられ、遺伝的にはかなり分化している可能性が高そうです。
また、アメリカ大陸先住民の一部と「ネグリート」系集団との神話の共通性に関しては、アマゾン地域の一部の現代先住民集団およびブラジルの10400年前頃の1個体でオーストラレシア人と密接に関係するゲノム領域が確認される、との指摘(関連記事)が注目されます。ただ、この件は謎めいており、どのような経緯でアメリカ大陸先住民の一部にオーストラレシア人と密接に関係するゲノム領域がもたらされたのか、現時点ではよく分からないので、神話の共通性と関連があるのか、判断が難しいところです。
参考文献:
山田仁史(2020)「東南アジア古層の神話・世界観と竹利用」『パレオアジア文化史学:アジア新人文化形成プロセスの総合的研究2019年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 28)』P29-34
近年、全世界に分布する神話モチーフのビッグデータ解析が進んでいます。たとえば、ロシアのユーリー・ベリョースキン(Yuri Berezkin)氏は、ヨーロッパの9言語によるテキスト、約5万話のデータベースを自力で作成し、2150 ほどのモチーフを独自に設定して、主成分分析などによる成果を続々と発表しているそうです。またフランスのジュリアン・デュイ(Julien d’Huy)氏は、一部ベリョースキン氏とも協働作業しつつ、世界神話の「系統解析(phylogenetic analysis)」に取り組んでいます。世界神話学では、世界の遠く離れた地域同士の神話の類似性を、現生人類(Homo sapiens)拡散の様相から説明しようとしています(関連記事)。
その結果、アジア南東部の神話について新たな知見がもたらされつつあります。たとえばベリョースキン氏は、死の起源神話の分析から、現生人類がアジア南東部および東部に定着した後、その神話における複雑性と多様性は格段に増し、数百とは言わないまでも数十の新しい(アフリカには未知の)モチーフが出現し、近い過去において太平洋東岸と西岸どちらの諸民族にも共有された、と指摘しています。またベリョースキン氏は、シベリアとアジア南東部の両方に典型的な多くの神話モチーフが、アメリカ大陸にも見出され、シベリアとアメリカ大陸、アジア南東部とアメリカ大陸にのみ見られるモチーフもあり、こうした分布は異なるアジアの集団が別々にアメリカ大陸に入ったことを反映している、とも指摘しています。デュイとベリョースキン氏の著論文でも、アジア南東部が一つのクラスターを形成すると示唆されています。このように、現生人類 の移住・拡散に伴う神話・宗教的世界観を考える上で、アジア南東部が一つの重要な地域である、と改めて認識されています。
他方、考古学・遺伝学・古人類学・言語学などの成果を総合しつつ、アジア南東部における人類集団の重層性が指摘されています。ピーター・ベルウッド(Peter Bellwood)氏は、5万年前にはもうアジア南東部に到達していた、古層のオーストラロ=パプアン(Australo-Papuan)と、紀元前3500 年から前1300年の間にオーストロネシア系などの言語とともにより新しく入ってきた「アジアン(Asian)」とを区別した上で、アジア南東部にかつて広く居住していたオーストラロ=パプアンの特徴を比較的よく残しているのがネグリートである、と推測しています。ネグリートとは、低身長で、黒っぽい肌と縮れ毛という身体的特徴を有する人々で、アンダマン諸島、マレー半島(セマン人など)、フィリピン(アエタ人やママヌワ人など)に居住しています。しかし、かつてはアジア南東部全域に居住していた、とベルウッド氏は推測しています。各地の神話に登場する「小人族」は、それを反映しているかもしれません。こうした知見ももとに、やや図式的ではあり、また形質と文化はそのまま対応するわけではないことを前提としつつ、アジア南東部における神話・宗教の多層性をおおまかに示すと、古いネグリート系(オーストラロ=パプアン)→マレー系(アジアン)→新しい仏教・イスラム教・キリスト教・道教となります。
このうちネグリート系の人々に関しては、アジア南東部における古層の住民であるとして、分子人類学者たちがかねてから注目してきました。たとえば尾本恵市氏はかつて、ネグリートは、フィリピンやマレー半島やアンダマン諸島などに残る、スンダランドの生き証人というべき狩猟採集民だと考えている、と述べています。近年、メラネシア人(パプアニューギニアとブーゲンビル島の人々)とオーストラリア先住民の他に、フィリピンのネグリートにも種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)のゲノムがやや高い頻度で伝わっている、と明らかになりました(関連記事)。つまりネグリートの人々は、アジア南東部における現生人類の文化形成過程を知る上で重要な鍵を握る、と改めて認識されつつあります。
ヴィルヘルム・シュミット(Wilhelm Schmidt)は1910年の著書『人類進化史におけるピグミー諸族の位置』において、低身長の狩猟採集民こそが人類の古い文化状態を残している、と推測しました。しかし、とくにアジアのネグリート系について、資料はまだ限られていました。その後、イギリスのアルフレッド・レジナルド・ラドクリフ=ブラウン(Alfred Reginald Radcliffe-Brown)は1922年に『アンダマン諸島民』を発表し、状況は少し改善されましたが、まだ資料は不足していました。シュミットはカトリック教会の神父にフィリピンのアエタ人の調査を依頼するなど、アジア南東部のネグリート系集団に関する資料は増加します。また、これよりも早く、ジョン・M・ガーヴァン(John M Garvan)がアエタ人を調査しています。ジョン・M・クーパー(John Montgomery Cooper)はガーヴァンの手稿に依拠しつつ、アジア南東部のネグリート集団における文化要素がどれだけ重複・共通しているのか、検証しました。
クーパーは、三つのネグリート群のうち、二群以上に共通する文化要素を55 項目挙げました。そのうち9 項目は三群すべてに共通しています。セマン人とアンダマン諸島人に共通するのは11 項目と少ないのに対して、アエタ人とセマン人に共通するのは23 項目、アエタとアンダマンに共通するのは20 項目です。つまり、アエタは両者をつなぐリンクになっていることが示唆された。いずれにしても、この三群は遠い過去からの共通の呪術・宗教的文化を保持している、というのがクーパーの結論です。
この中で興味深いのは、雷やセミが重要な役割を果たすことです。たとえば、雷は天上での石転がしの音、または天神の声とされます。これはミンダナオ島スリガオ州のマヌア・アエタ人とセマン人とアンダマン諸島人に共通し、雷は至高神などの「偉い者(superiorbeing)」により引き起こされる、と考えられています。セマン人とアンダマン諸島人とプレ=テメル(Ple-Temer)とセマイ・サカイにおいて、雷は彼または彼女の声とされ、サンバレス州(Zambales)中西部のアエタ人では至高存在カダイ(Kadai)の声、また北カマリネス州(Camarines)のアエタ人では、至高存在たるカヤイ(Kayai)の声と称されていました。
また、嵐もしくは他の災厄が引き起こされるのは、多数にのぼるタブー行為によってである、ともされていました。アンダマン諸島人では、日没後から日の出まで、つまりセミが鳴いている時は静粛を守り、うるさい仕事をしてはなりませんでした。さもないと、セミとプルガの気分を害し、嵐が来る、とさていました。セミが「歌う(sings)」のは薄明から日の出の間と、日没から夜の暗い時の間とである、と言われていました。セマイ・サカイでも同様に、朝夕セミが鳴いている時は静粛にしなければならない、と言われていました。他方でアエタ人においては、セミと嵐について詳細は記録されていません。しかし多くのアエタ集団についてガーヴァンは、日没時に叫んだり騒音を立てたりしてはならない、と報告しています。プラサ(Plaza)の報告によると、ブラカン州(Bulacan)東部のバルガ(Balúga)のアエタ人では、日の出前と日の入り後に叫んだり、騒がしい仕事をしたりしてはならない、とされていました。ここでの「日の出前と日の入り後」を、シュミットの同僚であったポール・シェベスタ(Paul Schebesta)は、セミの鳴く時間帯と解釈しています。
スズメバチは雷神の使い、という観念もあります。ミンダナオ島スリガオ州のママヌワ(Mamánua)では、特定の大型スズメバチは雷神の使いなので、これに害を与えてはいけない、とされていました。またジャハイ・セマン(DjahaiSemang)では、特定種の黒スズメバチ(blackwasp)を殺してはいけないとされ、その理由は、これが雷神の伴侶ないし従者(companion or attendant)だから、というものでした。セミは高神ないし至高存在の子、という観念も興味深く、これはセマンとセマイとサカイと北アンダマン群すべてに共通しています。セミが鳴いている時に邪魔してはいけないというタブーはこれに基づくのだろう、とクーパーは推測しています。
妊娠・出産についての観念に関しては、ミンダナオ島コルディエラ東部のアエタ人では、生後数ヶ月以内に亡くなった乳児の霊魂は野生ハトの一種の体内に宿り、そこから妊婦の中に入る、とされます。この野生ハトの呼び声を聞くと、夫婦は供え物をまします。この鳥を殺してはいけませんが、時には罠で捕らえ、キャンプ近くの籠で飼うこともあります。このハトにはそこで餌を与え、子供の霊魂に母親の中に入るよう呼びかけます。一方、セマン人における霊魂鳥は、スティーヴンズ(Stevens)によればレンジャクバト(crested dove)の一種、チェカ・セマン(Cheka Semang)によれば緑色の鳥おそらくハチクイ(bee-eater)の一種とされ、体内に未生児の霊魂を持つとされます。霊魂は霊魂樹の上で育ち、そこから霊魂鳥に取って行かれます。妊婦は同種の木を自分の誕生木(birth-tree)として、これを訪れます。霊魂鳥が木にとまっているのを見つけたら殺し、妊婦がこれを食べると、子供の霊魂は彼女の体内に入ります。似た観念はアンダマン北部群にもあります。ここでは赤ん坊の未生魂(unborn souls of babies)と、緑色のハトと、クワ科の木(Ficus laccifera)との間には何らかの関連があり、後二者は同名称です。未生児の霊魂はこの木に住み、緑色のハトが呼ぶと母の体内に入る、とされます。これらは、オーストラリア先住民のいわゆる「霊魂児(spirit children)」とも似ていますが、その比較は今後の課題です。
その他のタブーや観念・儀礼としては、たとえば夜の口笛を忌むものがあります。サンバレス州のアエタ人では、月が昇る時に口笛をふいてはならないとされ、アンダマン諸島人では、日没から日の出までは口笛をふいてならない、とされました。獲物の解体についても、一定の決まりがありました。アエタ人では集団ごとに獲物の解体の仕方が決まっており、別のやり方をするとその後の猟運が悪くなる、と一般に信じられていました。また北カマリネス州のアエタ人では、至高存在たるカヤイが、獲物を特定の仕方で解体するよう求めている、と信じられており、アンダマン諸島人では、ブタの解体の仕方が悪いと、ジャングルの精霊またはプルガが怒る、と言われていました。
さらに共通して見られたのは、雷または嵐の際に自らの身体に傷をつけて血を流し、これを捧げるという行為です。シュミットたちはこれを「供犠」と呼んでいます。たとえば、アエタ人(おそらくミンダナオ島の多くの集団)では雷雨時に指を刺し、雷鳴の方へ向けて血をまく慣習がありました。至高存在たるバヤは雷の所有主であり、雷鳴は何らかの違犯に彼が怒っている徴だからです。またミンダナオ島東部のアエタ数群では、嵐は天の邪霊(死霊?)のせいだと言っていました。それで嵐の時、人によっては体の一部に小さい切り傷をつけ、指で血を天へ散らし、精霊に「さあお前の血だ、飲め」といった何らかの呼びかけをする慣習がありました。
ブラカン州(Bulacan)東部のバルガ・アエタ人でも、雷神カダイが姦通か何かの悪事に怒り、雷が鳴ると、脚に切り傷をつけて血を採り、水と混ぜて雷の方向へ投げる一方、少量の血はカダイの妻へと、地中にやりました。普通、血を捧げるのは女性ですが、嵐がひどくなる場合には男もやりました。このように、アエタ人の「宥和的出血供犠(expiatory blood-off ering)」は全体として、またほぼ細部に至るまで、有名なセマン人とサカイ人の血の供犠に対応しているので、発生上の結びつきがあることは疑えない、とクーパーは指摘します。この際に竹が用いられることもありました。セマン人の場合は、嵐が来ると脚の脛の部分に竹または材質不明のナイフで切り傷をつけ、血を流してこれを水の入った竹筒で受け、血と水を混ぜます。こうして混ぜたものを天に向かってまき散らし、嵐を鎮めようとしました。アフリカのガボン地域「ネグリート」が「人の血を捧げる」ことや、ボルネオ島の狩猟採集民プナンでも、雷神に血を捧げることが行なわれてきた、と報告されています。つまり、雷雨に際して血を捧げる習俗は、古層の狩猟採集文化までさかのぼる可能性もあるわけです。
竹はヒトにとってたいへん有用な植物です。アジア南東部では、環境の中に竹が自生します。67000年前頃にルソン島北部のカラオ洞窟(Callao Cave)では、石器を使わずおそらく竹ナイフにより、人類がシカやブタを屠殺していた、と推測されています。なお、本論文はとくに言及していませんが、この人類は現生人類ではなく、ホモ属の新種ルゾネンシス(Homo luzonensis)かもしれません(関連記事)。そうならば、竹の利用は初期ホモ属までさかのぼる可能性があります。竹の利用は、ブラジルやニューギニア島の先住民でも確認されています。竹製ナイフに関しては、長さが37~40cm、柄の部分は14cm程度で、敵に矢を射当てたあと、その場でこのナイフの刃の部分に石英か貝により刻み目をつけ、そこから新たに鋭利な刃をはがして作り、断首に用いた事例も報告されています。この刃は一度しか使えないので、刻み目の数は取った人頭の数を示していましたが、このナイフは時にジュゴンなどにも利用されたそうです。
こうした竹の利用を物語るかのように、アジア南東部では、竹から人間が発生したという神話も広く知られています。それは、ネグリート系のセマン人にも、台湾先住民のプユマ人やヤミ人にもあります。またさらに広く、竹以外の植物から人間が発生するという事例も含めるならば、それらは採集生活を基礎とする中から生まれた、「植物的心性(Vegetalismus, vegetabilische Mentalität)」と呼べるかもしれません。こうした世界観のあり方は、アジア南東部古層の道具製作・利用のあり方を考える上でも示唆に富みます。
まとめると、まずアジア南東部の神話・宗教的世界観は、さまざまな時代、異なる担い手を背景とする多層的な要素を含みます。そのうちデニソワ人のゲノムを一部継承したとされるネグリート系3集団に共通するのは、雷やセミに注目するような世界観であり、「動物の主」のような大型動物はあまり登場しません。有用植物、とくに竹の利用という伝統の存在が、人類起源神話にも竹などの植物がよく見られることの背景にあるのではないか、と考えられます。この問題を比較の見地からさらに追究することが、今後の課題です。
以上、本論文についてざっと見てきましたが、今年になって大きく進展したアジア東部の古代DNA研究(関連記事)に基づくユーラシア東部への現生人類の拡散の見通しを踏まえると、なかなか興味深いと思います。まず、非アフリカ系現代人の主要な祖先である出アフリカ現生人類集団は、7万~5万年前頃にアフリカからユーラシアへと拡散した後に、ユーラシア東部系統と西部系統に分岐します。ユーラシア東部系統は、北方系統と南方系統に分岐し、南方系統はアジア南部および南東部の先住系統とサフル系統(オーストラリア先住民およびパプア人)に分岐します。サフル系統と分岐した後の残りのユーラシア東部南方系統は、アジア南東部とアジア南部の狩猟採集民系統に分岐しました。
アジア南東部の古代人では、ホアビン文化(Hòabìnhian)関連個体がユーラシア東部南方系統に位置づけられます。アジア南部狩猟採集民系統は、アンダマン諸島の現代人によく残っています。この古代祖型インド南部人関連系統(AASI)が、イラン関連系統やポントス・カスピ海草原(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)系統とさまざまな割合で混合して、現代インド人が形成されました。アジア南東部において、この先住の狩猟採集民と、アジア東部から南下してきた、最初に農耕をもたらした集団、およびその後で南下してきた青銅器技術を有する集団との混合により、アジア南東部現代人が形成されました。
アジア東部に関しては、ユーラシア東部北方系統と南方系統とのさまざまな割合での混合により各地域の現代人が形成された、と推測されます。ユーラシア東部北方系統からアジア東部系統が派生し、アジア東部系統は北方系統と南方系統に分岐しました。現在の中国のうち前近代において主に漢字文化圏だった地域では、新石器時代集団において南北で明確な遺伝的違いが見られ(黄河流域を中心とするアジア東部北方系統と、長江流域を中心とするアジア東部南方系統)、現代よりも遺伝的違いが大きく、その後の混合により均質化が進展していきました。ただ、すでに新石器時代においてある程度の混合があったようです。
また、大きくは中国北部に位置づけられる地域でも、黄河・西遼河・アムール川の流域では、新石器時代の時点ですでに遺伝的構成に違いが見られます。アジア東部南方系統は、オーストロネシア語族およびオーストロアジア語族集団の主要な祖先となり、前者は華南沿岸部、後者は華南内陸部に分布していた、と推測されます。日本列島の「縄文人」は、アジア東部南方系統(55%)とユーラシア東部南方系統(45%)の混合としてモデル化できます。アイヌ集団と琉球集団を除く現代日本人は、「縄文人」系統(10~20%)と、アジア東部系統(80~90%)の混合により形成され、アジア東部系統でも北方系統の方が影響は強い、と考えられます。
もちろん、実際には現代人の各地域集団は複雑な混合により形成されてきたので、過度の単純化には慎重になるべきでしょうが、アンダマン諸島人はサフル系統と同じくユーラシア東部南方系統に位置づけられ、アジア南東部の「ネグリート」とされる集団もユーラシア東部南方系統の遺伝的影響が強いとすると、これらの集団に共通する神話が見られても不思議ではないでしょう。ただ、同じユーラシア東部南方系統とはいっても、アジア南東部への拡散は5万年前頃前後とかなり早そうですから、アジア南部(アンダマン諸島)や南東部の「ネグリート」系統とオセアニアのサフル系統との分岐はかなり早いと考えられ、遺伝的にはかなり分化している可能性が高そうです。
また、アメリカ大陸先住民の一部と「ネグリート」系集団との神話の共通性に関しては、アマゾン地域の一部の現代先住民集団およびブラジルの10400年前頃の1個体でオーストラレシア人と密接に関係するゲノム領域が確認される、との指摘(関連記事)が注目されます。ただ、この件は謎めいており、どのような経緯でアメリカ大陸先住民の一部にオーストラレシア人と密接に関係するゲノム領域がもたらされたのか、現時点ではよく分からないので、神話の共通性と関連があるのか、判断が難しいところです。
参考文献:
山田仁史(2020)「東南アジア古層の神話・世界観と竹利用」『パレオアジア文化史学:アジア新人文化形成プロセスの総合的研究2019年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 28)』P29-34
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