先コロンブス期カリブ海における2回の大きな人類集団の移動(追記有)

 先コロンブス期カリブ海における2回の大きな人類集団の移動に関する研究(Fernandes et al., 2020)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。ヨーロッパ勢力による植民地化より前(先コロンブス期)には、カリブ海は考古学的に異なる共同体のモザイク状でした。これらの共同体は、相互作用のネットワークにより接続されており、それはキューバやイスパニョーラ島やプエルトリコにおける6000年前頃となる最初の人類の定住以降のことでした。

 先コロンブス期のカリブ海の時代は考古学的に3区分されており、物質文化複合体の変化を示します。石器時代と「古代(以下、カリブ海の考古学的時代区分を指す場合は「」で括ります)」は異なる石器技術により定義され、2500~2300年前頃に始まった土器時代は、農業経済と集約的な土器製作を特徴としていました。これらの時代にまたがる物質文化における技術と様式の変化は、接続されたカリブ海の人々による地域的発展と、アメリカ大陸からの移住を反映していますが、その地理的起源や経路や移住の波の回数に関しては、議論が続いています。

 この研究は、195人の古代個体群から174人のゲノム規模データを生成しました。45の新たな放射性炭素年代に基づいて、バハマとイスパニョーラ島とプエルトリコとキュラソーとベネズエラのこれらの個体群は、較正年代で3100~400年前頃と推定されました。これらの個体群の標的領域の平均網羅率は2.2倍で、一塩基多型の数の中央値は700689個(20063~977658個の範囲)です。この新たに生成されたデータは、既知の89人の個体群(関連記事)とともに分析されました。

 以下、集約的な土器使用より前の、石器を伴うか放射性炭素年代が得られている遺跡を「古代(Archaic)」、土器が優勢な時代を「土器時代(Ceramic)」と表記します。本論文では、遺伝的系統を表す場合は「-related」、考古学的帰属を表す場合は「-associated」と表記されていますが、私の見識では上手く使い分ける名案が思い浮かばなかったので、以下の記事ではともに「関連」と表記します。なお、本論文では、研究にさいしての先住民との合意が示されており、今後の古代DNA研究ではこうした倫理面への配慮が必須になるでしょう。以下、古代の各標本の場所と遺伝的構造を示した本論文の図1です。
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●先コロンブス期カリブ海の遺伝的構造

 主成分分析が実行され、現代のアメリカ大陸先住民のゲノムデータを用いて古代の個体群が投影されました(拡張図1b)。土器時代と「古代」の個体群は別々のクラスタで投影されますが、古代のベネズエラ個体群は、カベカル(Cabécar)語のような現代のチブチャ語(Chibchan)話者と関連しています(拡張図1b・c)。キュラソーとハイチの個体群は、ほとんどが土器時代関連クラスタと重なっています。遺跡内の遺伝的均質性の例外は、ドミニカ共和国のおもに土器時代と関連した遺跡であるアンドレス(Andrés)で、そのうち1個体(I10126)は、年代(以下、基本的に較正年代です)が3140~2950年前頃となる「古代」ですが、遺伝的には他の「古代」関連個体群と類似しています(拡張図1b・c)。その後の分析から、低網羅率(0.05倍未満)で、他の「古代」関連個体群と質的に類似している1900年前頃となるドミニカ共和国のロジャ洞窟(Cueva Roja)の「古代」関連3個体と、1親等の3組から1個体が除外されました。

 考古学的分類とは独立した遺伝的構造を研究するため、アレル(対立遺伝子)共有、および主要な「クレード(単系統群)」と次に「下位クレード」に基づいて解像度を上げる個体群が集団化されました。遺伝学を用いて定義された集団は星印(*)で示されます。これらの遺伝的集団の命名法は、クラスタの遺跡と時代区分(「古代」および土器時代)を含む地理的位置を組み合わせたものです。

 その結果、有意に分化した主要な3クレードが識別されました(図1bおよび図2)。大アンティル諸島「古代」クレード(*GreaterAntilles_Archaic、以下では*GAA)は、3200~700年前頃となるキューバの50個体と、アンドレス遺跡の1個体(I10126)を含みます。カリブ海土器時代クレード(*Caribbean_Ceramic、以下では*CC)は、1700~400年前頃となる土器時代関連遺跡の194個体を含みます。ベネズエラ土器時代クレード(*Venezuela_Ceramic、以下では*VC)は、2350年前頃の8個体で構成されます。2個体のハイチ土器時代クレード(*Haiti_Ceramic、以下では*HC)と5個体のキュラソー土器時代クレード(*Curacao_Ceramic、以下では*CurC)は、主要なクレードの混合として適合します。

 次に、これらクレード内の下位クレードと下位構造が特定されました。*CC内では、ドミニカ共和国南東部沿岸土器時代クレード(*SECoastDR_Ceramic、以下では*SECDRC)が、沿岸50kmの4遺跡から構成されます。この4遺跡は、西から東へ、ラカレタ(La Caleta)、アンドレス、ジュアンドリオ(Juan Dolio)、エルソコ(El Soco)となります。これらの遺跡は1400年間居住されており、土器様式の変化にまたがる遺伝的連続性を記録します。バハマとキューバの約700年にわたる全ての土器時代関連遺跡は、バハマ・キューバ土器時代(*BahamasCuba_ Ceramic、以下では*BCC)として集団化され、さらなる下位構造がそれぞれ、バハマ諸島の遺跡5ヶ所とキューバの遺跡2ヶ所に存在します。小アンティル諸島の遺跡2ヶ所は、小アンティル諸島土器時代(*LesserAntilles_Ceramic、以下では*LAC)として、残りの*CC遺跡は大アンティル諸島東部土器時代(*EasternGreaterAntilles_Ceramic、以下では*EGAC)として集団化されます。遺伝的違いの値が低い場合(Pairwise FST<0.01)は、*CC下位クレード内での顕著な均質性が示唆され(土器時代関連クレードと「古代」関連クレードとの間ではFST=0.1)、島々の間の高い移住率を反映しています。

 各下位クレード内における他と比較しての「古代」関連系統の過剰を有する*CC個体群を特定するため、f4統計が用いられました。ラカレタ遺跡の1個体(I16539)と、*HCを構成する2個体は、土器時代関連および古代関連の混合の有意な証拠を示します。以前の見解(関連記事)とは対照的に、プエルトリコのパスコデルインディオ(Paso del Indio)遺跡の1個体(PDI009)では有意な「古代」関連系統は検出されませんでした。以下、本論文の拡張図1です。
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●「古代」関連のカリブ海の人々

 *GAAクレードは、アラワク語(Arawak)、カリブ語(Cariban)、チブチャ語(Chibchan)、チョコアン語(Chocoan)、グオジバン語(Guajiboan)、マタコ・グァイクルー語(Mataco–Guaicuru)、トゥピ語(Tupian)という7語族に区分される、中央アメリカおよび南アメリカ大陸北部の先住民と最も遺伝的浮動を共有します(図2a)。他の語族と比較しての、1語族の人々との過剰なアレル共有の証拠、もしくはメソアメリカあるいは北アメリカの現代人集団と特に共有される遺伝的浮動の証拠はありません。キューバの「古代」関連個体群は、ドミニカ共和国のアンドレス遺跡の1個体(I10126)とよりも、相互に多くのアレルを共有しており、これは「古代」関連下位構造を示します(図2a・b)。一部の分析では、この1個体(I10126)はドミニカ共和国アンドレス「古代」(*Dominican_Andres_ Archaic、以下では*DAA)として分離されます。

 北アメリカ大陸の個体群との類似性を有する人々による移住も、カリブ海の「古代」の一部個体群に影響を及ぼした、との以前の主張(関連記事)は再現できませんでした。この主張は、2700~2500年前頃となるキューバのグアヤボブランコ(Guayabo Blanco)遺跡の1個体(GUY002)と比較しての、4900年前頃となるカリフォルニア州チャンネル諸島の前期サンニコラス(Early San Nicolas)の個体群と、キューバのペリコ洞窟(Cueva del Perico)遺跡の1個体(CIP009)との間の類似性に基づいていました。

 まず、対称性検証f4(GUY002、CIP009、前期サンニコラス、バハマのタイノ人)では、偏差は有意ではありませんでした。第二に、この主張の根底にある重要な統計は、CIP009とグアヤボブランコ遺跡の3個体を含むqpWaveに基づく対称性検証に基づいていましたが、検証された標本ペアの数を補正した後には有意ではありませんでした。第三に、f4(外群、CIP009、前期サンニコラス、バハマのタイノ人)では、以前には負の値がCIP009と前期サンニコラスとの間の類似性として解釈されました。有意ではない統計も再現されましたが、外群としてムブティ人を多様なユーラシア個体群、もしくはこの研究で新たに生成された古代ゲノムデータを有するバハマのタイノ人(Taino)に置換すると正の値になりましたが、本来ならば質的に類似した結果が得られるはずです。第四に、南アメリカ大陸の古代ゲノムデータを前期サンニコラスの場所に置くと、CIP009への吸引の有意ではないZ得点は同じくらい強く、北アメリカ大陸固有の関係の証拠はない、と示されます。第五に、CIP009は、他の「古代」関連個体群と同じ結節点上の本論文のqpGraph系統樹の簡略版に最適です。したがって、アレル共有手法の解決の限界まで、全ての「古代」関連カリブ海系統は単一起源からの派生と一致します。

 qpGraphにおいて*GAAは、最古のカリブ海とベリーズとブラジルとアルゼンチンの集団と初期に分岐した系統として適合します(図2c)。混合事象を示す最尤系統樹では、*GAAは分岐するアメリカ大陸先住民集団として適合します(拡張図3)。qpAdmもしくはf4統計を用いると、大陸部集団との特定の類似性のさらなる証拠は得られませんでした。土器使用者の到来は、カリブ海のほとんどにおいて「古代」関連系統を置換しました。例外はキューバ西部で、「古代」関連系統が最小限の混合で2500年存続し、この地域は別の言語および文化的伝統を有する人々がヨーロッパ人との接触の時期まで存在した、という考古学的および歴史学的説明と整合的です。以下、本論文の図2です。
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●土器使用者の拡大

 以前の分析では、*CC(カリブ海土器時代クレード)関連の人々は、南アメリカ大陸北東部のアラワク語話者との遺伝的類似性を有する、と示されています(関連記事)。本論文の対称性f4統計では、この結論を裏づけられません。カリブ語もしくはトゥピ語話者集団よりもアラワク語話者とのより密接な関連性の有意な証拠は示されません。しかし、ADMIXTURE分析が示唆するのは、*CCの下位クレードはほぼ完全に、現代アラワク語話者では最高の割合で見つかる成分で構成されている、ということです。また、混合事象を示す最尤系統樹におけるアラワク語話者のつながりへの裏づけも見つかり、これにより全ての*CCの下位クレードはアラワク語話者のピアポコ人(Piapoco)やパリクール人(Palikur)と同じ枝に配置されます(拡張図3)。さらなる証拠は、qpAdmにおける*CCの単一起源として、ピアポコ人との適合の成功から得られます(図2c)。

 *LAC(小アンティル諸島土器時代クレード)と*DAA(ドミニカ共和国アンドレス「古代」クレード)の混合としてqpAdmで*モデル化すると、大アンティル諸島とバハマ諸島の土器時代関連の人々における「古代」関連系統は約0.5~2.0%と推定されます。*CCの下位クレードのいずれかに*LACが由来する、という逆モデルは却下され、「古代」関連の人々が参照セットに含まれると失敗します。これらの観察の最も簡素な説明は、土器を使用していた祖先の南から北に向けてのカリブ海への移動というシナリオです。このシナリオでは、1000~650年前頃の小アンティル諸島の個体群(おそらくは小アンティル諸島の最初の土器使用者の子孫)と類似した系統が、大アンティル諸島とバハマ諸島に拡大して先住の人々を置換し、先住の人々の系統は2.0%以下しか残らなかった、と想定されます。

 イスパニョーラ島の土器時代関連遺跡2ヶ所の3個体のみが、有意な「古代」関連混合を有する、と明らかになりました。qpAdmを用いたこの3個体の「古代」関連系統の割合は、ドミニカ共和国のラカレタ遺跡の1個体(I16539)で11.8±1.9%(ラカレタ遺跡の個体I16539)、ディエイル1(Diale 1)遺跡とハイチの各1個体で18.5±2.1%です。DATESソフトウェアを用いると、ハイチのこれら3個体の16±3世代前(約350~500年前)に混合が起きた、と推定されます。

 ADMIXTUREおよびf統計におけるチブチャ語話者と*VC(ベネズエラ土器時代クレード)の類似性はqpAdmで確認され、*VCはカベカル語話者とのクレードとして適合します。したがって、ラスロカス(Las Locas)遺跡は、土器時代開始の頃に近い、土器関連文化とその担い手の拡大の仮定された起源地域に位置しますが、本論文の分析は、この拡大はより東方に起源がある、という証拠の重みを増加させます。キュラソーの土器使用者は、*LAC関連系統74.5±3.7%と、*VC関連系統25.5±3.7%の混合としてモデル化されます。このモデル化から、キュラソーの土器時代集団は2集団の混合に由来する、と示唆されます。一方は、土器時代の始まりにカリブ海のアンティル諸島へと拡大した集団と関連しており、もう一方はラスロカスのような遺跡をキュラソーへとつなぐダバジュロイド(Dabajuroid)土器様式と関連しています。

 頭蓋形態の研究では、1150年前頃となるベネズエラ西部からのカリブ人の移住の可能性を示唆しますが(関連記事)、そうした事象で予測されるような、この時の新たな系統の証拠はみつかりません。*VCや*LACやカリブ人の代理としての現代カリブ語話者アララ人(Arara)を用いてのシミュレーションでは、そのような集団からのわずか2~8%の系統を検出できます。遺伝的データは別々の移住の証拠を示しませんが、シミュレーションに用いた代理よりも*CC関連の人々と遺伝的に類似するか、もしくは2%未満しか系統を寄与していないような、標本抽出されていない大陸部集団からの移住の可能性は除外できません。以下、本論文の拡張図3です。
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●社会的構造と集団規模の推定

 4cM(センチモルガン)を超えるホモ接合連続領域(ROH;両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じ対立遺伝子のそろった状態が連続するゲノム領域)を含む、40万以上の一塩基多型を有する本論文の共分析データセットから、202個体が検査されました。20 cM以上の長いROHが多いことは、過去数世代内の親の関連性を示唆しますが、短いROHの兆候が豊富なことは、遠い親族の関連性と制約された配偶プールを示唆します。202個体のうち2個体のみが、20 cM以上のROH領域において、 100 cM以上を有しており(約135 cMがイトコの子供の平均です)、これは近親交配が稀であることを示唆します。対照的に、48個体が少なくとも1ヶ所の20 cM以上ROHを有しており、多くの配偶がマタイトコもしくはミイトコのような近親関係の個体間で起きたことと、限定的な地域の人口規模を示唆します。

 小さな人口規模のさらなる証拠として、カリブ海全域の豊富な短~中規模のROHが検出されました。ほぼ過去50世代以内の共有系統から生じる、4~20 cMの全てのROHの長さ分布を用いて、有効人口規模(Ne)が推定されました。Neの推定は、じっさいの人口規模の推定に用いることができ、ヒトでは通常3倍で、最大で10倍です。土器時代と関連するカリブ海の遺跡のNe値(以前の推定値と類似した約500~1000)は、「古代」関連遺跡のNe値(約200~300)より大きく、農耕発展に伴う人口密度の増加を示します。これは、「古代」関連集団よりも土器時代関連集団の方で、ヘテロ接合性が高いことにも反映されています。

 ROH兆候からのNeの推定は、それが相互接続された遺伝子プールというよりもむしろ、遺跡の住民の限られた遺伝子プールを表しているので、カリブ海全域のNeの下限を表しています。したがって、男性の組み合わせのX染色体間の長い共有された断片、つまり同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD。かつて共通祖先を有していた2個体のDNAの一部が同一であることを示し、IBD領域の長さは2個体が共通祖先を有していた期間に依存し、たとえばキョウダイよりもハトコの方が短くなります)領域も分析されました。およそ過去20世代以内の過去から共有された遺伝子プールの規模を反映する、12~20cMの長いIBDの共有された断片に焦点を当てると、人々がより近くの人々とより多くの遺伝子を交換した場合に予想されるように、そのような断片の割合は地理的距離とともに減少する、と明らかになりました。

 しかし、島嶼部全域で少なくとも8.7 cMの断片を共有する個体群19組が依然として検出され、これは、検証対象となったカリブ海全域の人々がその数百年前に祖先を共有していた、と明らかにします。イスパニョーラ島とプエルトリコの2つの主要なクレード間の比較から、3082という推定Ne(95%信頼区間で1530~8150)が得られます。これは、限られた移住により遺跡間での遠い親戚とIBD共有の割合が減少するので、共有されるイスパニョーラ島とプエルトリコの共同集団の最近の有効規模の上限を提供します。Neの推定を3~10倍すると、じっさいの人口規模が得られるので、先コロンブス期の人口規模は数十万もしくは百万という、古い報告もしくはあまり文書化されていない人口調査に基づく以前の推定は多すぎる、と推測されます。

 3~4親等程度の、密接に関連する57組の個体群も検出されました。そのほとんどはラカレタ遺跡で発見され、ラカレタ遺跡では63個体のうち37個体に1人もしくは数人の親族がいましたが、検証された組み合わせごとの割合は、他の遺跡内よりも有意に大きいわけではなく、95%信頼区間で、ラカレタ遺跡では1.5~2.8%なのに対して、他の遺跡では1.4~4.6%でした。相互に接続する集団のさらなる証拠として、ドミニカ共和国南部で約75km離れて埋葬された男性親族が特定されました。それは、アタジャディゾ(Atajadizo)遺跡の父子の組み合わせと、ラカレタ遺跡で発見されたその2~3親等の親族でした。


●現代人集団における先コロンブス期の系統と古代の母系および父系

 F4(ヨーロッパ人、検証集団、キューバ「古代」人、*CC)の計算により、現代と古代のカリブ海の人々で見られる在来系統間の遺伝的類似性が検証され、プエルトリコの個体群と土器時代関連個体群との間の関連性の兆候が得られました。この結果は、完全に土器時代関連系統ではあるものの、完全には「古代」関連系統ではないことと一致します。同じ検証をキューバの15州で個別に実行し、土器時代関連系統の弱い有意な証拠を有する2州および8自治体と、「古代」関連系統のわずかに有意な証拠を有するキューバ西部のグイネス(Guines)という1自治体が明らかになりました。したがって、入手可能な古代のデータは、過去1000年にわたってキューバの一部で混合されていない「古代」関連系統の持続を示しますが、現代までに土器時代関連系統と大いに混合されていました。

 以前の報告では、父系・母系での単系統遺伝となるハプログループでは、現代のカリブ海の人々における先コロンブス期の在来系統が報告されてきました。これらの報告に基づいて、以前には報告されていなかった、ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)の深い分岐となるC1dが特定されました。mtHg-C1dはカリブ海の土器時代関連下位クレード全体と、プエルトリコの現代人では約7%の頻度で存在します。これは、先住民の母方系統がカリブ海で先コロンブス期から持続してきており、アメリカ大陸からの植民地期の移動により説明できない、という直接的証拠を提供します。

 カリブ海の古代人の主要なmtHgはA2・B2・C1・D1です。「古代」関連個体群ではmtHg-D1の頻度が高く、土器時代の個体群ではより多様になる傾向があります。「古代」関連系統と土器時代関連系統との混合と推測される*HC(ハイチ土器時代クラスタ)の2個体はいずれもmtHg-D1で、同じく混合と推測される*CurC(キュラソー土器時代クラスタ)でもmtHg-D1の個体が確認されているので、mtHg-D1は「古代」関連系統個体群に由来するかもしれません。

 一方、Y染色体ハプログループ(YHg)では、本論文で新たに報告された96個体のうち87個体がYHg-Q1b1a1a(M3)で、そのうち57個体はさらにQ1b1a1a1に区分されています。*BCC(バハマ・キューバ土器時代クレード)個体群のうち2個体はYHg-Q1b1a2(M971)で、そのうち1個体はアメリカ合衆国モンタナ州西部のアンジック(Anzick)遺跡で発見された男児(関連記事)と同じ派生的変異を有します。アンジック関連系統はカリブ海にも拡散したわけです。YHg-Q1b1a2はキューバでも3個体で確認されていますが、いずれも時代区分は「古代」です。


●まとめ

 本論文は、先コロンブス期カリブ海の人々に関する複数の議論に取り組んでいます。まず、「古代」に大アンティル諸島に存在した系統は単一起源の由来と一致し、2500年に及ぶ「古代」関連系統個体群間の違いはわずかなだけです。「古代」関連系統の人々の起源集団が中央アメリカなのか南アメリカなのか、本論文では区別できませんが、北アメリカ起源の可能性は低い、と明らかになりました。ただ、北アメリカの比較遺伝データは不足しています。

 第二に、本論文のデータは、カリブ海における集約的な土器使用の導入と拡大を伴う移動と一致します。土器時代関連個体群は、現代のアラワク語話者との遺伝的類似性を示し、これは南アメリカ大陸北東部起源を説く考古学および言語学の証拠と一致します。アラワク語話者集団は、南アメリカ大陸アマゾン地域から北東へ移住した時(一部集団はさらにオリノコ川沿いに移動してアンティル諸島に達し、他の集団はベネズエラ西部海岸へと移動しました)に分岐した、という仮説と一致して、キュラソーの個体群は*LAC(小アンティル諸島土器時代クレード)の系統と関連する系統を有します。カリブ海で最初の土器時代遺跡はプエルトリコと小アンティル諸島北部に存在し、小アンティル諸島のウィンドワード諸島(Windward Islands)は1800年前頃までに定住された、という考古学的証拠はありませんが、大アンティル諸島ではなく、キュラソーと小アンティル諸島の個体群間の一部系統の共有は、カリブ海への南から北への経路を裏づけます。

 第三に、*CC(カリブ海土器時代)下位クレードと、サラドイド(Saladoid)期・オスティノイド期(Ostionoid)・メイラコイド(Meillacoid)期・チコイド(Chicoid)期といった伝統的なカリブ海の土器類型論との間の関連は見つからず、これらの土器様式伝統は新たな人々の大きな移動の結果だった、とする文化史モデルは支持されません。代わりに、ドミニカ共和国南東部沿岸などの地域における系統構成は、物質文化の様式変化にまたがって千年以上続きます。カリブ海の人々と遺伝的に類似したアメリカ大陸の集団の移住が文化的変化の一部を引き起こした可能性は除外できませんが、本論文の知見は、カリブ海内の土器使用集団間の接続が様式移行を触媒した、という証拠の重みを高めます。

 第四に、イスパニョーラ島の3個体において、「古代」関連系統と土器時代関連系統との間の混合の最初の証拠を提供します。またこの発見は、カリブ海における「古代」関連系統と土器時代関連系統との間の混合がひじょうに稀だった(本論文ではカリブ海の土器を使用する201個体のうち3個体のみ)、という以前の推論(関連記事)を確認します。

 第五に、カリブ海の一部、とくにプエルトリコとキューバの現代人は先コロンブス期在来系統を有する、と確認されました。キューバでは、「古代」関連系統がほぼヨーロッパ人勢力との接触まで持続しましたが、キューバの在来系統は現在、ほぼこの系統に由来しません。これは、先住民の植民地後の移動を反映しているかもしれませんが、その少なくとも一部は、土器時代関連系統が500年前頃のキューバ西部および中央部の個体群に存在するように、先コロンブス期の事象を反映しています。

 第六に、本論文のデータは社会構造と人口統計への洞察を提供します。本論文はROHの分析により、「古代」および土器時代の両方で親族間の配偶回避を報告し、カリブ海の大半で蓄積されたROHの大きな割合を検出しますが、これは小さな集団規模を反映します。本論文では、75km離れて埋葬された男性親族が特定され、これは別の実態として分析された遺跡間の接続ネットワークを示唆します。接続のさらなる証拠として、島嶼部全域で共有されるハプロタイプが観察されました。それは、イスパニョーラ島とプエルトリコの大きな島々の全域において、3082という推定Ne(95%信頼区間で1530~8150)で予想される値です。これらの推定は、分析された個体群のおよそ過去20世代を表していますが、これらの大きな島々全域のじっさいの人口が、ヨーロッパ人との接触が始まった時期には数十万から百万だった、という一部の文献で示唆されている規模よりはかなり少なかったことを示唆します。本論文の人口規模推定は、歴史的記録や人口計算よりずっと小さく、せいぜい数万人程度と推定されますが、ヨーロッパ人による植民地化と先住民の搾取と体系的殺害がカリブ海集団に与えた破壊的影響は明白です。

 先コロンブス期のカリブ海の人々の系統と遺産は現在まで続いており、古代DNA研究はこれをよりよく理解するのに役立ちます。現代のカリブ海の人々は、さまざまな割合で遺伝的系統の混合を有しています。それはおもに、先コロンブス期先住民集団系統(本論文のqpAdmによる推定では、キューバでは平均約4%、ドミニカ共和国では約6%、プエルトリコでは約14%)と、コロンブス期に移住してきたヨーロッパ個体群系統(キューバでは約70%、ドミニカ共和国では約56%、プエルトリコでは約68%)と、カリブ海に大西洋奴隷貿易で連行されたアフリカ個体群系統(キューバでは約26%、ドミニカ共和国では約38%、プエルトリコでは約18%)です。これら3集団は全て、カリブ海の現代人に遺伝的に寄与し、相互接続されたカリブ海世界の遺産を形成し続けています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


遺伝学:カリブ海沿岸地域の人類集団史には2つの大きな移動の波があった

 ヨーロッパ人が到来する前のカリブ海沿岸地域での人類の定住は、2つの大きな移動の波によるものだったことを報告する論文が、今週、Nature に掲載される。今回の研究では、古代カリブ海沿岸地域の人類集団史の詳細な分析が行われ、こうした先住民の子孫がカリブ海沿岸地域に現存していることが明らかになった。

 カリブ海沿岸地域に人類が初めて定住してからヨーロッパ人の到来(今から約500年前)までの間のカリブ海沿岸地域の人類集団史に関して、解明されていることは比較的少ない。今回、David Reichたちの研究グループは、約3000年前〜400年前にカリブ海沿岸地域に住んでいた174人の古代人のゲノムを分析し、このデータや他の公開データを用いて、古代人の集団のサイズや移動を調べた。この地域には、約3000年前までに、中米または南米北部の人々が定住し、石器技術をもたらした。その後、この集団の大部分は、移民の第2波に遺伝的に取って代わられた。移民の第2波は、南米北東部から小アンティル諸島を経由して大アンティル諸島に渡り、少なくとも1700年前にカリブ海沿岸地域に到来した。この第2波により定住した人々は、陶磁器の使用と農業経済を特徴とする独自の文化をもたらした。

 以前の研究では、ヨーロッパ人による植民地化が始まるまでのカリブ海沿岸地域に数十万人から数百万人が居住していたと推定されていたが、今回の研究では、全体の集団サイズははるかに小さく、数万人だったことが示唆された。こうした先住民の遺産は存続しており、カリブ海沿岸の一部の地域の住民は、ヨーロッパ人が到来する前の先住民に由来する遺伝子塩基配列を持っているだけでなく、ヨーロッパ系移民と大西洋横断奴隷貿易が行われていた時にカリブ海沿岸地域に連れてこられたアフリカ人から受け継いだDNAも保有している。



参考文献:
Fernandes DM. et al.(2021): A genetic history of the pre-contact Caribbean. Nature, 590, 7844, 103–110.
https://doi.org/10.1038/s41586-020-03053-2


追記(2021年2月4日)
 本論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。



集団遺伝学:ヨーロッパ人到来以前のカリブ海地域の遺伝史

集団遺伝学:古いDNAから推測されるカリブ海地域の集団史

 カリブ海地域の集団史については、約6000年前に最初に人類が定着してからヨーロッパ人航海者と接触するまでの期間の多くの側面が、激しい議論の対象となってきた。今回D Reichたちは、カリブ海地域各地の遺跡から出土した計174体の人骨から得たゲノム規模のデータを、既報の89人分のゲノムデータセットと共に解析することで、コロンブス以前の時代の集団サイズや人類の移動に関する知見を得ている。カリブ海地域への人類の移動には、2つの大きな波があったことを示す証拠が見いだされた。第一の波は、約3000年前の古期の石器を使用する人々の到達で、第二の波は、それまでの集団にほぼ完全に取って代わるような、約2000年前以前の土器時代の人々の到来だった。これらの波をもたらした集団は、中米や南米の人々を起源としていた。また、一帯の全体的な集団サイズはこの時代を通じて比較的小さかったことが推測された他、現在のカリブ海地域の人々が古期の人々ではなく土器時代の人々に由来することも見いだされた。

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