フランス南部における初期人類の痕跡
取り上げるのがたいへん遅れてしまいましたが、フランス南部における初期人類の痕跡に関する研究(Moncel et al., 2019)が公表されました。過去数十年、石器はヨーロッパ南部の高い河岸段丘で発見されてきました。最近、ベリリウム同位体と電子スピン共鳴の年代測定により、ピレネー山脈東部の段丘で100万年前という年代値が得られ、ヨーロッパ最初の人類の年代を測定し、特徴づけるための考古学的発見に関心が寄せられています。フランス南部では、エロー渓谷(Hérault Valley)で、157万年前頃と推定される石器の発見が報告されています(関連記事)。調査地域は、アルデシュ峡谷(Ardèche Gorges)の末端部に近い、ローヌ渓谷(Rhône Valley)の中央部上の石灰岩台地の東側側面に位置し、標高は160~175mです。以下、調査地域の場所を示した本論文の図1です。
珪岩の7個の大きな剥片(15~20cm)と1個の石核が、沖積堆積物で見つかりました。傷痕は求心性もしくは単極です。厚い打面は自然面もしくは平らです。石核は、打撃の影響を伴う両錐型です。以下、剥片と石核を示した本論文の図4です。
石器はアルデシュ沖積段丘で発見されました。以前の研究では、アルデシュ川の現在の氾濫原(Fz)から、石器が位置する最も高い段丘(Fv)まで、段丘の4段階が示されています。大きな平面はFv段丘に対応しており、山麓緩斜面に隣接しています。以下、アルデシュ川段丘の断面を示した本論文の図3です。
石器は現在の小峡谷により拡張された古小峡谷で部分的に切断された、水平面の岩棚で発見されました。この小峡谷の形成はおそらく多因生成です。その上部は完全に乾燥しており、小さな渓谷が埋められているように見えますが、下部は急勾配で、一時的な流れが交差しています。石器は再加工されておらず、崩積作用と土壌生成により埋められており、わずかに滑らかな端と、薄くて赤みがかった光沢のある輝きをしており、高い移動過程の影響の特徴はありません。地域的に、Fv段丘は200万年前頃となる更新世の放棄面に対応しており、サン=ヴァリエ(Saint-Vallier)の最も新しい化石帯と相関しています。調査地域では、この表面の年代は、絶対年代測定と古地磁気学の組み合わせにより、194万~177万年前頃と推定されました。
一連の石器は、明らかに人類により剥離されています。その技術的特徴は、下部旧石器時代前期の石器群に典型的なものです。過去20年の体系的調査にも関わらず、同じ地域のより新しい沖積層では、同様の発見は報告されていません。この高い段丘の側面にあるこれらの石器の層序学的位置は、それらが自然の過程によりもたらされた可能性がないことを示します。この研究の調査結果は、170万年以上前の沖積層の石器に対応する堆積物にのみ関係しています。
人類の居住の証拠は、Fv段丘の侵食を引き起こした、古小峡谷の最初の下方侵食よりも後です。下方侵食はおそらく、Fv段丘と一緒に石器を破壊したので、人類の居住はおそらく、古小峡谷が埋まるのと同時か、それよりも後でした。本論文で提示された石器の年代は明らかに、見つかった層ほどには早くありませんが、それにも関わらず、その位置は問題を提起します。これらの石器は、大平原に隣接する沖積層のすぐ下の、この地域における170万年前頃からの初期人類の通過の散発的な痕跡を証明します。
この発見の独特な地形的位置と技術的特徴は、高い沖積層の孤立した石器の解釈における難しさを浮き彫りにするだけではなく、ヨーロッパにおける初期人類の居住の年代測定への新たな研究の道を開きます。ヨーロッパにいつ人類が拡散したのか、まだ確定的とは言えませんが、人類の出アフリカが250万年前頃までさかのぼり、ジョージア(グルジア)における人類の存在は185万年前頃までさかのぼりますから(関連記事)、ヨーロッパへの人類の拡散が180万年以上前だとして、も不思議ではないように思います。
参考文献:
Moncel MH. et al.(2019): Discoveries of quartzite artefacts on the highest terrace: Early or Middle Pleistocene occupation of the Rhône Valley? Antiquity, 93, 369, e14.
https://doi.org/10.15184/aqy.2019.55
珪岩の7個の大きな剥片(15~20cm)と1個の石核が、沖積堆積物で見つかりました。傷痕は求心性もしくは単極です。厚い打面は自然面もしくは平らです。石核は、打撃の影響を伴う両錐型です。以下、剥片と石核を示した本論文の図4です。
石器はアルデシュ沖積段丘で発見されました。以前の研究では、アルデシュ川の現在の氾濫原(Fz)から、石器が位置する最も高い段丘(Fv)まで、段丘の4段階が示されています。大きな平面はFv段丘に対応しており、山麓緩斜面に隣接しています。以下、アルデシュ川段丘の断面を示した本論文の図3です。
石器は現在の小峡谷により拡張された古小峡谷で部分的に切断された、水平面の岩棚で発見されました。この小峡谷の形成はおそらく多因生成です。その上部は完全に乾燥しており、小さな渓谷が埋められているように見えますが、下部は急勾配で、一時的な流れが交差しています。石器は再加工されておらず、崩積作用と土壌生成により埋められており、わずかに滑らかな端と、薄くて赤みがかった光沢のある輝きをしており、高い移動過程の影響の特徴はありません。地域的に、Fv段丘は200万年前頃となる更新世の放棄面に対応しており、サン=ヴァリエ(Saint-Vallier)の最も新しい化石帯と相関しています。調査地域では、この表面の年代は、絶対年代測定と古地磁気学の組み合わせにより、194万~177万年前頃と推定されました。
一連の石器は、明らかに人類により剥離されています。その技術的特徴は、下部旧石器時代前期の石器群に典型的なものです。過去20年の体系的調査にも関わらず、同じ地域のより新しい沖積層では、同様の発見は報告されていません。この高い段丘の側面にあるこれらの石器の層序学的位置は、それらが自然の過程によりもたらされた可能性がないことを示します。この研究の調査結果は、170万年以上前の沖積層の石器に対応する堆積物にのみ関係しています。
人類の居住の証拠は、Fv段丘の侵食を引き起こした、古小峡谷の最初の下方侵食よりも後です。下方侵食はおそらく、Fv段丘と一緒に石器を破壊したので、人類の居住はおそらく、古小峡谷が埋まるのと同時か、それよりも後でした。本論文で提示された石器の年代は明らかに、見つかった層ほどには早くありませんが、それにも関わらず、その位置は問題を提起します。これらの石器は、大平原に隣接する沖積層のすぐ下の、この地域における170万年前頃からの初期人類の通過の散発的な痕跡を証明します。
この発見の独特な地形的位置と技術的特徴は、高い沖積層の孤立した石器の解釈における難しさを浮き彫りにするだけではなく、ヨーロッパにおける初期人類の居住の年代測定への新たな研究の道を開きます。ヨーロッパにいつ人類が拡散したのか、まだ確定的とは言えませんが、人類の出アフリカが250万年前頃までさかのぼり、ジョージア(グルジア)における人類の存在は185万年前頃までさかのぼりますから(関連記事)、ヨーロッパへの人類の拡散が180万年以上前だとして、も不思議ではないように思います。
参考文献:
Moncel MH. et al.(2019): Discoveries of quartzite artefacts on the highest terrace: Early or Middle Pleistocene occupation of the Rhône Valley? Antiquity, 93, 369, e14.
https://doi.org/10.15184/aqy.2019.55
この記事へのコメント