安藤優一郎『渋沢栄一と勝海舟 幕末・明治がわかる!慶喜をめぐる二人の暗闘』

 朝日新書の一冊として、朝日新聞社より2020年8月に刊行されました。本書は、徳川慶喜をめぐる渋沢栄一と勝海舟との関係から、幕末史と明治史を見直します。慶喜に対する渋沢と勝の姿勢は正反対でした。豪農の長男として生まれた渋沢は、慶喜家臣の平岡円四郎と面識があり、無謀な倒幕計画への追及から逃れる目的もあり、平岡の勧めで一橋家に仕えます。渋沢は慶喜の将軍就任に反対しますが、慶喜は将軍に就任し、渋沢は幕臣に取り立てられます。しかし、渋沢は幕府にはもう先がないと考えており、浪人となる覚悟を決めたものの、慶喜に抜擢されてフランスに派遣され、その時の経験は渋沢の生涯に大きな影響を及ぼしました。渋沢はこの時の恩を終生忘れず、慶喜への忠誠心を抱き続けました。

 一方、勝は慶喜の前代の将軍である家茂に抜擢され、家茂とは対立する局面もあった慶喜は、勝を嫌っていたようです。それでも慶喜は、長州征伐の敗戦処理交渉において、有能で諸藩との人脈のある勝を派遣するなど、重要な局面で勝を起用することもありましたが、基本的には冷遇しました。鳥羽伏見の戦いで敗れた慶喜が江戸に逃亡し、徳川宗家の存続が危ぶまれるなか、勝は新政府と交渉して徳川家を存続させることに成功します。慶喜は勝を嫌っていたとはいえ、勝の人脈に頼らざるを得なかった、ということなのでしょう。

 渋沢は勝の功績を高く評価していたようです。しかし、慶喜に冷淡な勝に、渋沢は強い不満を抱きます。慶喜は明治初期に謹慎処分を説かれて従四位に叙せられ、朝敵の汚名を取り除かれた形になりましたが、その後も20年以上、自主謹慎のように静岡に留まります。これは勝の忠告に従ったもので、渋沢はそれに不満でした。一方、勝の側には、徳川家に対する明治政府の警戒心が強くならないよう警戒していた、という事情があり、慶喜もそれを了解していました。

 さらに、存続を許された徳川宗家に渋沢と勝はともに出仕しますが、渋沢は勝に小僧扱いされ、勝に悪感情を抱きます。慶喜への姿勢に対する違いと、個人的な悪感情から、渋沢と勝との関係は悪く、それが勝に対する渋沢のやや低めの評価の要因となったようです。渋沢は勝を、明治維新の三傑(西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允)よりも一段低い人物に位置づけました。一方、勝の渋沢に対する評価は不明です。勝にとって、自分よりも20歳近く年下の渋沢は、「小僧」にすぎなかったのかもしれません。

 慶喜と渋沢や勝との関係はある程度知っていましたが、渋沢と勝との関係は知らなかったというか、とくに考えたこともなかったので、明治時代の慶喜をめぐる渋沢や勝や旧幕臣や政府高官の意向も含めて、本書の視点は私にとって新鮮でした。また本書は、幕府の近代化が進んでおり、徳川宗家が静岡藩として存続を許されると、静岡藩の先進的な教育と優れた人材が全国で注目を集めた、と指摘します。来年(2021年2月)から始まる渋沢栄一が主役の大河ドラマの予習も兼ねて本書を読みましたが、渋沢の近代日本経済への功績は本書の主題ではなく、簡潔な言及になっているので、その側面は他の本か雑誌で知識を得ることにします。来年の大河ドラマでは徳川慶喜が重要人物のようなので、本書で提示された知見がドラマでどのように取り入れられ、渋沢と慶喜の関係が描かれるのか、ということも見所となりそうです。

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