旧石器時代ヨーロッパの女性像の意味
旧石器時代ヨーロッパの女性像の意味に関する研究(Johnson et al., 2021)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。狩猟採集社会では肥満は稀ですが、農耕開始前の後期更新世となる38000~14000年前頃のヨーロッパでは、肥満の女性の小像が数十個も確認されています。これらの小像は、しばしば現実的な肥満を表しており、全裸かほぼ裸です。これらの小像は胴と性的特徴に焦点を当てており、頭部は通常顔がなく、腕は小さく足はありません。しかし、こうした特徴は技術の欠如に起因するわけではなく、フランスのブラセンプイ(Brassempouy)で発見された26000~25000年前頃の小像では、顔の細かい特徴が表現されています。多くの小像は出産可能年齢もしくはその前後と推測され、妊娠中のように見えるものもあれば、腹部肥満もしくは臀部脂肪膨張(脂臀)を示しているものもあり、栄養過剰を示唆します。女性小像には思春期に入る頃のものもあり、中年女性のものもあります。しかし、肥満は女性の小像に限定されており、既知の男性の小像はほっそりとしています。
肥満の小像は常に女性で、そのうちいくつかは妊娠中であるため、これらは繁殖能力もしくは美しさを表す、と以前より解釈されており、「ヴィーナス」像と一般には言われてきました。しかし、この仮説の検証は困難でした。本論文は、これら女性小像の意味が、当時の気候および環境変化と、それらに影響される栄養と生存により最もよく説明できる、と提案します。具体的には、小像は狩猟採集民バンドの生存率向上を目的としていた、という仮説です。とくに妊娠中、肥満は深刻な食料不足期の生存保障に役立ちました。本論文はこの仮説を検証するため、旧石器時代ヨーロッパの気候変動と、それが初期現生人類の栄養にどのような影響を及ぼしたのか、調べます。
●上部旧石器時代のヨーロッパにおける気候変動
(狭義の)現生人類(Homo sapiens)のヨーロッパへの拡散は47000年前頃までさかのぼる可能性があり(関連記事)、明確な現生人類の文化と考えられている(広義の)オーリナシアン(Aurignacian)は、43000年前頃にはイベリア半島南部にまで到達し、ヨーロッパに広く拡散していました(関連記事)。東方からヨーロッパに到来したオーリナシアン集団は、ヨーロッパ北部全域の1600mの高さに及ぶ氷河のすぐ下のドナウ川沿いに移動しました。この海洋酸素同位体ステージ(MIS)3間氷期において、新たに出現した平原に分布したマンモスやウマやトナカイが初期現生人類の狩猟対象となり、夏から秋にかけては、魚やベリーやナッツなどが肉の多い食事を補いました。現生人類がヨーロッパに到達した当初、気候は穏やかでしたが、38000年前頃には気温が低下して氷床が再び発達し、新たな生存戦略が要求されるようになりました。イタリア半島やヨーロッパ南西部(現在のフランスやスペイン)に退避した人々もいましたが、オーリナシアンの担い手は34000~26000年前頃にグラヴェティアン(Gravettian)の担い手に置換された、とも推測されています(関連記事)。
グラヴェティアンは、オーリナシアンよりも高品質の「背付き」尖頭器により、環境悪化のなか技術的な優位性をもたらしました。グラヴェティアン集団は、ウマやトナカイの群に続いて北緯50度を超えて拡散し、季節ごとに800km移動しました。MIS2となる28000年前頃前後から、気温は4度~8度と大幅に低下し、22000年前頃となる最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)に達しました。この頃には、最も寒い月には-10度~-15度に達した可能性があり、降雨量が減って植物の成長期が短くなりました。こうした極端な寒冷期には、氷河の近くの一部集団は絶滅しましたが、他集団は南方の森林地帯へと移動しました。大型動物が過剰に狩られたので、人類はウサギやマーモットや鳥類など小型動物に依存していきました。
1年のうち食料が不足する時期には人口が劇的に減少し、29000~25000年前頃には、33000~29000年前頃と比較して人口は1/3に減少した、との推定もあります。栄養摂取量を反映して、身長は22000年前頃までに平均7.6~10.2cm低下しました。また、栄養ストレスを示唆する、歯の横縞(エナメル質形成不全)は、上部旧石器時代早期の16%から22000年前頃までには29%にまで増加しました。38000~14000年前頃となるこの厳しい環境の最終氷期の24000年間に、肥満の女性小像のほとんどが作られました。そこで本論文は、小像の肥満の程度が、栄養ストレスと氷期に最大になるかもしれない、という仮説を検証しました。
●気候変動と相関する女性小像の肥満度
枝角など寸法が制限されている素材で作られた女性小像や、未完成もしくは断片的な小像を除いて、既知の全ての女性小像のウエストとヒップおよびショルダーの比率(それぞれWH比とWS比)を測定することで肥満の程度が推定され、氷河からの距離との関係が検証されました。女性小像は、氷河の前進期(38000~22000年前頃)または後退期(21000~14000年前頃)、氷河に近接していた(ヨーロッパ北部およびロシア草原地帯の川沿い)か離れていた(イベリア半島やフランス南部やイタリアを含むヨーロッパ南部)かにより、4クラスタに区分されました。
第1集団には、フランス北部とヨーロッパ中央部とロシアで発見された、氷河前進期の17体の女性小像が含まれます。第2集団には、ヨーロッパ南部で発見された、氷河前進期の5体の女性小像が含まれます。第3集団には、ロシアで発見された、氷河後退期の8体の女性小像が含まれます。第4集団には、ヨーロッパ南で発見された、氷河後退期の11体の女性小像が含まれます。氷河前進期には、氷河近く(ヨーロッパ北部および中央部とロシア)の女性小像はWH比とWS比の両方で、氷河から離れた地域(ヨーロッパ南部)の女性小像よりも大きい、と示されます。同様に、氷河前進期の女性小像は、氷河後退期(LGM後)の女性小像よりも、WH比とWS比が大きい、と示されます。個々の女性小像におけるWH比とWS比との間にも、正の相関がありました。
●考察
ヴィーナス像とも呼ばれる旧石器時代ヨーロッパの女性小像は、人類の最初期の芸術的表現の一つです。女性小像は、その強調された性的特徴により、一般的には繁殖能力と美の象徴として、またより想像力豊かに女神として解釈されます。女性小像の顔の特徴は、とくに強調されていません。ほとんどの女性小像は長さが6~16cmで、マンモスの牙や角や石や稀に粘土で作られました。女性小像のいくつかは、お守りとして糸を通して着用されていた、と推測されます。牙や石の女性小像の表面の輝きは、何世代にもわたって扱われてきたことを示唆します。本論文は、女性小像が、若い女性、とくに氷河の近くに住む人々のために体の理想的大きさを伝えた、と提案します。
この仮説を検証すべく、本論文では、上部旧石器時代ヨーロッパの既知の女性小像を体系的に測定し、氷河からの距離との関係が考慮されました。その結果、氷河に近い女性小像が、氷河から遠い女性小像と比較して肥満度が大きい、と示されました。また、氷河前進期が終わって氷河後退期に入ると、肥満度が減少することも示されました。こうした知見から、人々は栄養ストレスを経験するにつれて、より肥満度の大きい女性小像を制作し、食料確保がより予測可能になると、よりほっそりした女性小像を制作した、と考えられます。
これらの比較は、飢餓と栄養ストレスが女性小像の表現方法に直接関係していることを示唆します。体脂肪の蓄積により栄養ストレスをどのように軽減できるのか伝えることも、精神的もしくは神秘的意味合いを有していたかもしれません。出産期の女性は、繁殖の成功に必要な体重増加のために、女性小像を扱っていたのでしょう。女性小像は女性の望ましい肖像を表しており、その印象には、受胎や不安定な妊娠や出産や育児にまたがる、より健康な母子をもたらす力があります。脂肪の増加は、離乳を通じての妊娠期のエネルギー源と、育児に必要なエネルギー源の両方を提供します。
体脂肪の増加は、氷河に近い北緯49度から北緯52度の旧石器時代ヨーロッパでは、適応的戦略だった可能性があります。肥満の促進により、小さな狩猟採集民のバンドの生存可能性が高まりました。子供を離乳させるには、子供1人あたり2回の北極圏のような冬に耐える必要があります。女性は男性よりも多くの脂肪を必要とし、その体脂肪率は、月経を支える場合は約17%、理想的な妊娠を支える場合は約22%です。食料がない場合、平均的な身体サイズの女性は、子供の出産と3ヶ月以上の母乳育児に必要なカロリーのために、16kgの脂肪を必要とします。体脂肪が少ないと無月経を引き起こす可能性があるだけではなく、母親が母乳育児の能力を失うと、新生児の死亡につながる可能性があります。
ただ、本論文には限界もあり、測定が写真から行なわれ、円周測定を含められませんでした。さらに、女性小像全ての正確な年代が明らかになっているわけではなく、関連する発見物や考古学的背景に基づいての推測もあります。よりほっそりした女性小像への移行は、南方への移動を表しているかもしれず、とくにスペインでは、気候ストレスと関連しない、文化的変化や民族的下位集団や他の変化を表している可能性もあります。
まとめると、上部旧石器時代ヨーロッパの環境および栄養ストレスは、肥満の女性小像の出現と相関しています。これは、ヨーロッパの狩猟採集民が、人口を減少させ、身長を低下させ、一部地域では完全な絶滅をもたらした環境ストレス要因に適応したからです。この時期に、女性小像はイデオロギー的道具として出現し、母親の繁殖能力および母親と新生児の生存率を改善するのに役立ちました。したがって、芸術の美意識は、ますます厳しくなる気候条件に順応するために、健康と生存の強調において重要な機能を有していました。
参考文献:
Johnson RJ, Lanaspa MA, and Fox JW.(2021): Upper Paleolithic Figurines Showing Women with Obesity may Represent Survival Symbols of Climatic Change. Obesity, 29, 1, 11–15.
https://doi.org/10.1002/oby.23028
肥満の小像は常に女性で、そのうちいくつかは妊娠中であるため、これらは繁殖能力もしくは美しさを表す、と以前より解釈されており、「ヴィーナス」像と一般には言われてきました。しかし、この仮説の検証は困難でした。本論文は、これら女性小像の意味が、当時の気候および環境変化と、それらに影響される栄養と生存により最もよく説明できる、と提案します。具体的には、小像は狩猟採集民バンドの生存率向上を目的としていた、という仮説です。とくに妊娠中、肥満は深刻な食料不足期の生存保障に役立ちました。本論文はこの仮説を検証するため、旧石器時代ヨーロッパの気候変動と、それが初期現生人類の栄養にどのような影響を及ぼしたのか、調べます。
●上部旧石器時代のヨーロッパにおける気候変動
(狭義の)現生人類(Homo sapiens)のヨーロッパへの拡散は47000年前頃までさかのぼる可能性があり(関連記事)、明確な現生人類の文化と考えられている(広義の)オーリナシアン(Aurignacian)は、43000年前頃にはイベリア半島南部にまで到達し、ヨーロッパに広く拡散していました(関連記事)。東方からヨーロッパに到来したオーリナシアン集団は、ヨーロッパ北部全域の1600mの高さに及ぶ氷河のすぐ下のドナウ川沿いに移動しました。この海洋酸素同位体ステージ(MIS)3間氷期において、新たに出現した平原に分布したマンモスやウマやトナカイが初期現生人類の狩猟対象となり、夏から秋にかけては、魚やベリーやナッツなどが肉の多い食事を補いました。現生人類がヨーロッパに到達した当初、気候は穏やかでしたが、38000年前頃には気温が低下して氷床が再び発達し、新たな生存戦略が要求されるようになりました。イタリア半島やヨーロッパ南西部(現在のフランスやスペイン)に退避した人々もいましたが、オーリナシアンの担い手は34000~26000年前頃にグラヴェティアン(Gravettian)の担い手に置換された、とも推測されています(関連記事)。
グラヴェティアンは、オーリナシアンよりも高品質の「背付き」尖頭器により、環境悪化のなか技術的な優位性をもたらしました。グラヴェティアン集団は、ウマやトナカイの群に続いて北緯50度を超えて拡散し、季節ごとに800km移動しました。MIS2となる28000年前頃前後から、気温は4度~8度と大幅に低下し、22000年前頃となる最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)に達しました。この頃には、最も寒い月には-10度~-15度に達した可能性があり、降雨量が減って植物の成長期が短くなりました。こうした極端な寒冷期には、氷河の近くの一部集団は絶滅しましたが、他集団は南方の森林地帯へと移動しました。大型動物が過剰に狩られたので、人類はウサギやマーモットや鳥類など小型動物に依存していきました。
1年のうち食料が不足する時期には人口が劇的に減少し、29000~25000年前頃には、33000~29000年前頃と比較して人口は1/3に減少した、との推定もあります。栄養摂取量を反映して、身長は22000年前頃までに平均7.6~10.2cm低下しました。また、栄養ストレスを示唆する、歯の横縞(エナメル質形成不全)は、上部旧石器時代早期の16%から22000年前頃までには29%にまで増加しました。38000~14000年前頃となるこの厳しい環境の最終氷期の24000年間に、肥満の女性小像のほとんどが作られました。そこで本論文は、小像の肥満の程度が、栄養ストレスと氷期に最大になるかもしれない、という仮説を検証しました。
●気候変動と相関する女性小像の肥満度
枝角など寸法が制限されている素材で作られた女性小像や、未完成もしくは断片的な小像を除いて、既知の全ての女性小像のウエストとヒップおよびショルダーの比率(それぞれWH比とWS比)を測定することで肥満の程度が推定され、氷河からの距離との関係が検証されました。女性小像は、氷河の前進期(38000~22000年前頃)または後退期(21000~14000年前頃)、氷河に近接していた(ヨーロッパ北部およびロシア草原地帯の川沿い)か離れていた(イベリア半島やフランス南部やイタリアを含むヨーロッパ南部)かにより、4クラスタに区分されました。
第1集団には、フランス北部とヨーロッパ中央部とロシアで発見された、氷河前進期の17体の女性小像が含まれます。第2集団には、ヨーロッパ南部で発見された、氷河前進期の5体の女性小像が含まれます。第3集団には、ロシアで発見された、氷河後退期の8体の女性小像が含まれます。第4集団には、ヨーロッパ南で発見された、氷河後退期の11体の女性小像が含まれます。氷河前進期には、氷河近く(ヨーロッパ北部および中央部とロシア)の女性小像はWH比とWS比の両方で、氷河から離れた地域(ヨーロッパ南部)の女性小像よりも大きい、と示されます。同様に、氷河前進期の女性小像は、氷河後退期(LGM後)の女性小像よりも、WH比とWS比が大きい、と示されます。個々の女性小像におけるWH比とWS比との間にも、正の相関がありました。
●考察
ヴィーナス像とも呼ばれる旧石器時代ヨーロッパの女性小像は、人類の最初期の芸術的表現の一つです。女性小像は、その強調された性的特徴により、一般的には繁殖能力と美の象徴として、またより想像力豊かに女神として解釈されます。女性小像の顔の特徴は、とくに強調されていません。ほとんどの女性小像は長さが6~16cmで、マンモスの牙や角や石や稀に粘土で作られました。女性小像のいくつかは、お守りとして糸を通して着用されていた、と推測されます。牙や石の女性小像の表面の輝きは、何世代にもわたって扱われてきたことを示唆します。本論文は、女性小像が、若い女性、とくに氷河の近くに住む人々のために体の理想的大きさを伝えた、と提案します。
この仮説を検証すべく、本論文では、上部旧石器時代ヨーロッパの既知の女性小像を体系的に測定し、氷河からの距離との関係が考慮されました。その結果、氷河に近い女性小像が、氷河から遠い女性小像と比較して肥満度が大きい、と示されました。また、氷河前進期が終わって氷河後退期に入ると、肥満度が減少することも示されました。こうした知見から、人々は栄養ストレスを経験するにつれて、より肥満度の大きい女性小像を制作し、食料確保がより予測可能になると、よりほっそりした女性小像を制作した、と考えられます。
これらの比較は、飢餓と栄養ストレスが女性小像の表現方法に直接関係していることを示唆します。体脂肪の蓄積により栄養ストレスをどのように軽減できるのか伝えることも、精神的もしくは神秘的意味合いを有していたかもしれません。出産期の女性は、繁殖の成功に必要な体重増加のために、女性小像を扱っていたのでしょう。女性小像は女性の望ましい肖像を表しており、その印象には、受胎や不安定な妊娠や出産や育児にまたがる、より健康な母子をもたらす力があります。脂肪の増加は、離乳を通じての妊娠期のエネルギー源と、育児に必要なエネルギー源の両方を提供します。
体脂肪の増加は、氷河に近い北緯49度から北緯52度の旧石器時代ヨーロッパでは、適応的戦略だった可能性があります。肥満の促進により、小さな狩猟採集民のバンドの生存可能性が高まりました。子供を離乳させるには、子供1人あたり2回の北極圏のような冬に耐える必要があります。女性は男性よりも多くの脂肪を必要とし、その体脂肪率は、月経を支える場合は約17%、理想的な妊娠を支える場合は約22%です。食料がない場合、平均的な身体サイズの女性は、子供の出産と3ヶ月以上の母乳育児に必要なカロリーのために、16kgの脂肪を必要とします。体脂肪が少ないと無月経を引き起こす可能性があるだけではなく、母親が母乳育児の能力を失うと、新生児の死亡につながる可能性があります。
ただ、本論文には限界もあり、測定が写真から行なわれ、円周測定を含められませんでした。さらに、女性小像全ての正確な年代が明らかになっているわけではなく、関連する発見物や考古学的背景に基づいての推測もあります。よりほっそりした女性小像への移行は、南方への移動を表しているかもしれず、とくにスペインでは、気候ストレスと関連しない、文化的変化や民族的下位集団や他の変化を表している可能性もあります。
まとめると、上部旧石器時代ヨーロッパの環境および栄養ストレスは、肥満の女性小像の出現と相関しています。これは、ヨーロッパの狩猟採集民が、人口を減少させ、身長を低下させ、一部地域では完全な絶滅をもたらした環境ストレス要因に適応したからです。この時期に、女性小像はイデオロギー的道具として出現し、母親の繁殖能力および母親と新生児の生存率を改善するのに役立ちました。したがって、芸術の美意識は、ますます厳しくなる気候条件に順応するために、健康と生存の強調において重要な機能を有していました。
参考文献:
Johnson RJ, Lanaspa MA, and Fox JW.(2021): Upper Paleolithic Figurines Showing Women with Obesity may Represent Survival Symbols of Climatic Change. Obesity, 29, 1, 11–15.
https://doi.org/10.1002/oby.23028
この記事へのコメント