古代ゲノムデータに基づくイヌの進化史
古代ゲノムデータに基づくイヌの進化史に関する研究(Bergström et al., 2020)が報道されました。オオカミは、ヒトが相利共生関係を築いた最初の動物でした。イヌの家畜化の年代・起源地・回数について、ほとんど合意はありませんが、考古学的記録はヒトとの長期にわたる密接な関係を証明します。現代のイヌのゲノムは複雑な集団構造を明らかにしましたが、古代ゲノムで利用できるのは6頭のイヌとオオカミだけなので、この集団構造が出現した仮定はほとんど不明のままです。
以前のミトコンドリアDNA(mtDNA)およびゲノム研究では、イヌの遺伝的痕跡とその考古学的背景との間の関連が示唆されてきました。しかし、イヌの集団史が、ヒトの人口史と関連したか、あるいは、交易や、特定のタイプのイヌへのヒトの選好や、感染症感受性の多様性や、ヒト集団間のイヌの移動の結果として分離したのか、という程度の評価のために、イヌとヒトのゲノムが定量的に分析されてきたことはありません。
本論文では、イヌの集団史を再構築するために、最古で10900年前頃となるヨーロッパや近東やシベリア古代のイヌ27頭のゲノムが、中央値1.5倍の網羅率(0.1~11倍)で配列されました。ヒト人口史との関連を検証するため、古代のイヌの年代と地理的位置と文化的背景が合致するヒトのゲノム規模データが17組集められ、イヌとヒトの間で直接的に遺伝的関係が比較されました。
●更新世に起源がある世界のイヌ集団の構造
主成分分析(図1B)では、PC1軸で東西系統が示され、西端は現代および古代のユーラシア西部および現代アフリカのイヌで構成され、東端は先コロンブス期の北アメリカ大陸のイヌと、シベリアのバイカル湖地域の7000年前頃のイヌと、ニューギニア・シンギング・ドッグとオーストラリアのディンゴを含む現代のアジア東部のイヌにより表されます。しかし、f4検定に基づくと、古代および現代のヨーロッパイヌは全頭、古代近東のイヌよりも強い東方系統との類似性を示します。古代ヨーロッパのイヌはユーラシア東部のイヌと近東のイヌとの間で遺伝的勾配を示して広く分布しており、外群f3統計を用いて、バイカル湖地域やレヴァント(7000年前頃のイスラエル)のイヌとの共有された遺伝的浮動を比較すると、対角線に沿った線形傾斜として現れます(図1C)。シミュレーションからは、この線形の傾斜勾配は、長期の継続的な遺伝子流動もしくは系統樹のような歴史で説明することは困難で、中石器時代および新石器時代のヨーロッパのイヌは大きな混合事象により特徴づけられた、と示唆されます(図1D)。
主要な系統を表す5集団の構造の根底にある遺伝的歴史がモデル化され、最大2回の混合事象を伴うあらゆる混合グラフモデル135285通りが検証されました。このうち1モデルだけがデータに適合し、10900年前頃となる中石器時代のフィンランドのカレリア地方のイヌは、その一部を、東方のイヌと関連する系統と、レヴァント系統から受け継いだ、と特徴づけられます(図1E)。モデルを拡張して、7000年前頃となる最初期の新石器時代のヨーロッパのイヌを、カレリア系統とレヴァント系統の混合として特徴づけることができ、古代系統の勾配(図1C)により示唆されるヨーロッパのイヌへの二重系統モデルが支持されます。観察された系統構造から、全部で5つの祖先系統(新石器時代レヴァント、中石器時代カレリア、中石器時代バイカル湖、ニューギニア)が10900年前頃までには存在したに違いなく、したがって、11600年前頃となる更新世から完新世への移行期に先行して存在していた可能性が高い、と示唆されます。以下は本論文の図1です。
●イヌの複数起源もしくは野生イヌ科からの広範な遺伝子流動の証拠は検出されません
これまでの研究では、ヨーロッパや中東やアジア中央部やシベリアやアジア東部、もしくはこれらのうちの1地域以上で、オオカミ集団が初期のイヌの多様性に寄与した、と指摘されました。しかし、現代のオオカミとイヌは相互に単系統で、双方向の遺伝子流動があった、と指摘する研究もあります。そこで、各地のイヌの間でオオカミとの類似性において非対称性を特定すると、遺伝子流動が起きたに違いない、と確認されました。しかし、現代および古代のすべてのイヌと対称的に関連する一部のハイイロオオカミを特定したので、イヌからオオカミへの遺伝子流動は単方向だった可能性が高そうです。
オオカミから特定のイヌ集団への過去の遺伝子流動は、これらの検証において現代のハイイロオオカミのあらゆる個体と類似性を示すので、イヌへの持続的な遺伝子流動は、データの現在の解像度では検出できないほど制限されている、と示唆されます。さらにこの結果は、全てのイヌが単一の今では絶滅した古代のオオカミ集団、もしくは複数の密接に関連しているかもしれないオオカミ集団に由来する、という想定と一致します。他の、まだ標本抽出されていない古代オオカミ集団が初期の家畜化と独立して関わっている可能性はまだありますが、本論文のデータからは、そうしたオオカミ集団は後のイヌには実質的に寄与していない、と示唆されます。
イヌへのオオカミの混合の欠如とは対照的に、ほぼ全ての分析された現代のオオカミへのイヌの混合が特定され、それは通常、ヨーロッパや近東やアジア東部において、イヌから地理的に近接しているオオカミ集団への遺伝子流動の強い痕跡を伴います。また、古代アメリカ大陸のイヌとコヨーテとの間、アフリカにおけるイヌとゴールデン・ウルフとの間での類似性が再現されましたが、両者の遺伝子流動の方向は不明であり、それは小規模なので、イヌと関係するほとんどの分析に影響を与える可能性は低そうです。高地への適応に関連するEPAS1遺伝子周辺のオオカミ系統の証拠にも関わらず、チベットオオカミからチベットのイヌへの遺伝子流動のゲノム規模の証拠は見つかりませんでした。したがってイヌは、ブタやヤギやウマやヒツジやウシに見られるような、野生近縁種からの遺伝子移入の類似の証拠を示しません。
●イヌの集団史とヒトの集団史との関係
イヌで観察された集団の関係が、ヒト集団の関係と定量的に比較され、両者の集団構造が互いに類似している、と明らかになりました。最大の違いは銅器時代イランで観察され、ヒト集団は新石器時代レヴァント集団とは異なりますが、イランとレヴァントのイヌ集団は類似しています。新石器時代のドイツとアイルランドでは、ヒトはレヴァント集団へと近づいていますが、イヌはヨーロッパ北部狩猟採集民と関連する集団へと近づいています。青銅器時代のユーラシア草原地帯と、ドイツの縄目文土器(Corded Ware)文化では、ヒトはイヌと同様に新石器時代ヨーロッパクラスタから離れています。
次に、一方の種の混合形態がもう一方の種の集団関係も説明できるのか、評価されました。完全に一致する事例は見つかりませんでしたが、ほぼ一致する事例は見つかりました。しかし、イヌとヒトとの集団の時間の長さは考慮されていません。ヒト集団のユーラシア東西の分岐は43100年前頃と推定されており(関連記事)、14500年前頃の化石記録で確認されているイヌの形態の出現よりも著しく古くなっています。ただ、イヌの形態の出現はもっとさかのぼる、との見解もあります。全体的に、イヌとヒトの集団史がどの程度一致するのか不明ですが、系統関係では全体的な特徴を共有しているものの、時空間全体では同一ではなく、いくつかの分離されたに違いない事例もあります。
イヌとヒトの集団史の一致事例として注目されるのは、アジア東部のイヌとヒトは両方、近東集団よりもヨーロッパ集団の方と近いことです。イヌのヨーロッパ系統は、近東およびアジア東部系統の混合として最適にモデル化されます。しかし、ヒトでは近東の「基底部ユーラシア」系統の分岐が45000年以上前と推定されており、イヌ集団の動態がヒトの初期の過程を模倣した可能性が示唆されます。次に注目されるのは、全てのヨーロッパのイヌが、ニューギニア・シンギング・ドッグに対してよりも、アメリカ大陸およびシベリアのイヌの方と強い類似性を有することで、これは混合されていないアジア東部のイヌを表しており、ヨーロッパとアメリカ大陸のヒト集団との間の極地付近の類似性を反映しています。
24000~18000年前頃のバイカル湖地域のヒト集団はユーラシア西部人との類似性を有しており、その近縁集団がアメリカ大陸先住民の祖先になったものの(関連記事)、完新世には完全ではないとしても他系統に置換された、と推測されています(関連記事)。7000年前頃のバイカル湖地域のイヌはアメリカ大陸およびヨーロッパとの間の類似の関連を構成していますが、この関連は1万年前の後に起きました。したがって、ユーラシア北部で共有されている極地付近の系統は、イヌとヒト両方の集団構造の重要な特徴ですが、同じ移動事象に由来していない可能性が高そうです。
●ヨーロッパへの新石器時代の拡大
古代ヒトゲノム研究は、近東からヨーロッパへの新石器時代農耕民の拡大と関連した、大きな系統変化を明らかにしており、古代のイヌのmtDNA研究は、新石器時代農耕民が近東からヨーロッパへとイヌを導入した、と示唆します(関連記事)。古代ヨーロッパのイヌで観察されたゲノム系統の勾配(図1C)は、少なくとも部分的には、中石器時代狩猟採集民および到来してきた新石器時代農耕民と関連するイヌの間の混合に起因する、と仮定されます。これは、三つの観察結果により支持されます。まず、この勾配の仮定的な狩猟採集民関連のイヌの端は、10900年前頃の中石器時代カレリア地方のイヌと、4800年前頃となるスウェーデンの狩猟採集民の円洞尖底陶文化(Pitted Ware Culture)遺跡のイヌとで占められています。次に、スウェーデンの狩猟採集民のイヌと比較して、同時代となるスウェーデンの新石器時代農耕文化のイヌは、同じ遺跡のヒトを反映して、勾配のレヴァント側の端へと移動しています。最後に、新石器時代レヴァントのイヌ集団との類似性は南方に向かって増加しており、新石器時代ヒト集団の範囲拡大と一致します。中石器時代のヨーロッパの「西方狩猟採集民」ヒト集団と明確に関連するイヌはまだ特定されていませんが、本論文の結果から、そうしたイヌはヨーロッパ勾配のシベリアの端へと向かって強い類似性を有する、と示唆されます。全体的にこれらの結果から、新石器時代におけるヨーロッパへの農耕民の拡大も、イヌの系統変化と関連していた、と示唆されます。
デンプン消化に関連するAMY2B遺伝子のコピー数増加は、農耕移行期におけるイヌの食性適応と関連してきました。パラログ(遺伝子重複により生じた類似の機能を有する遺伝子)なAMY1遺伝子は、ヒトでは適応的進化を受けてきましたが、これは農耕と明確に関連していないようです。中石器時代のカレリア地方のイヌは、すでにオオカミと比較してより多くのコピー数を有していたかもしれませんが、ヒト狩猟採集民文化のイヌでは、少ないコピー数が観察されます。5800年前頃のイランのイヌや6200年前頃のスペインのイヌなど新石器時代のイヌの一部は、現代のイヌと同じくらい多くのコピー数を有しますが、レヴァントの7000年前頃の個体のように、他の新石器時代のイヌは少ないコピー数を有しています。これらの結果から、AMY2B遺伝子のコピー数増加は家畜化の初期段階では起きず、ヒトとは対照的に、中石器時代狩猟採集民文化では発達しなかったものの、初期農耕集団では変動的で、デンプンが豊富な農耕生活様式の最初の出現から数千年経過するまで拡大しなかった、と示唆されます。
●アフリカと近東
現代アフリカのイヌはレヴァントとイランの古代のイヌ、とくに7000年前頃となる本論文のデータセットでは最古のレヴァント個体とクラスタ化し、近東起源を示唆します。肥沃な三日月地帯の西部(アナトリア半島およびレヴァント)と東部(イランのザグロス山脈)のヒト集団は遺伝的に大きく異なっており、西部集団は新石器時代においてヨーロッパとアフリカへの遺伝子流動の主要な供給源でした(関連記事)。アフリカのイヌ系統の起源は、5800年前頃のイランよりも7000年前頃のレヴァントの方とより適合しており、ウシの場合(関連記事)と同様に、ヒトの移住を反映しています。対照的にヨーロッパの新石器時代のイヌの系統に関しては、レヴァントとイランのどちらが起源集団として適切なのか、区別できません。本論文の結果は、レヴァント関連集団からのサハラ砂漠以南のアフリカ集団の単一起源を示唆し、過去数百年までアフリカ大陸外からの遺伝子流動は限定的でした。
アフリカとは対照的に、7000年前頃となる新石器時代レヴァント集団は、近東の現代のイヌへの遺伝的寄与があったとしても、多くはなかったようです。代わりに、レヴァントの2300年前頃のイヌは、イラン関連系統(81%)と新石器時代ヨーロッパ関連系統(19%)の混合としてモデル化できます。レヴァントではこの時期までに、イランからのヒトの遺伝子流動(関連記事)と、ヨーロッパからの一時的な遺伝子流動(関連記事)がありました。しかし、本論文の結果は、レヴァントではイヌの系統が2300年前頃までにほぼ完全に置換されたことを示唆します。現代近東のイヌは、2300年前頃のレヴァントのイヌと、現代ヨーロッパのイヌの混合として最適にモデル化されます。
●草原地帯牧畜民の拡大
ヤムナヤ(Yamnaya)文化および縄目文土器文化と関連したユーラシア草原地帯牧畜民の後期新石器時代および青銅器時代ヨーロッパへの拡大は、ヒト集団の系統を変えました(関連記事)。イヌの系統が同様に影響を受けたのか検証するため、青銅器時代のスルブナヤ(Srubnaya)文化と関連したヨーロッパ東部草原地帯の3800年前頃のイヌが分析されました。その系統はヨーロッパ西部のイヌと類似していますが、主成分分析(図1B)の中間に位置する外れ値です。ドイツの縄目文土器文化関連の4700年前頃となるイヌは、草原地帯関連系統を有すると仮定され、その51%はスルブナヤ草原地帯関連系統に、残りは新石器時代ヨーロッパ系統に由来する、と推定されています。青銅器時代の3100年前頃となるスウェーデンのイヌでも同様の結果が得られますが、青銅器時代の4000年前頃となるイタリアのイヌでは同様の結果は得られません。
草原地帯と縄目文土器文化のイヌの間の潜在的なつながりにも関わらず、ほとんどの後のヨーロッパのイヌは、スルブナヤのイヌとの特別な類似性を示しません。現代のヨーロッパのイヌは代わりに、新石器時代ヨーロッパのイヌとクラスタ化し、牧畜民拡大後のヒトで見られた永続的な系統変化を反映していません。この過程をよりよく理解するには、より早期となる追加の草原地帯のイヌのゲノムが必要ですが、新石器時代と現代の個体群との間の相対的連続性からは、草原地帯牧畜民の到来は、ヨーロッパのイヌの系統に持続的な大規模な変化をもたらさなかった、と示唆されます。
草原地帯牧畜民は東方にも拡大しましたが、アジア東部の現代人には多くの遺伝的影響を残さなかったようです。多くの現代中国のイヌは、ニューギニア・シンギング・ドッグと関連した集団と、ユーラシア西部関連集団との間の混合の、明確な証拠を示します。最近の研究では、過去数千年に中国のイヌでmtDNAの置換が起きたことも明らかになっています。最適なモデルでは、現代ヨーロッパの品種からだけではなく、3800年前頃となるスルブナヤの草原地帯関連のイヌからのかなりの遺伝子流動も含まれます。一部の集団、とくにシベリア集団は、7000年前頃となるバイカル湖地域のイヌと関連した追加の起源集団を必要としますが、ニューギニア・シンギング・ドッグと関連する系統はないか最小限です。したがって本論文の結果からは、草原地帯牧畜民の東方への移動が、アジア東部のヒトよりもイヌの系統において、大きな遺伝的影響を与えた可能性が高い、と示されます。
●ヨーロッパにおけるイヌの系統の均質化
現代ヨーロッパのイヌは全て、データセット内の古代のイヌと対称的に関連しているので、初期のヨーロッパのイヌにおける系統多様性の広大な範囲は、現在では保存されていません。これは、ヨーロッパのイヌにおける現在の多様性に、ほとんどの在来の中石器時代および新石器時代集団がわずかか、全く寄与していないことを示唆します。代わりに、スウェーデン南西部のフレールセガーデン(Frälsegården)遺跡の5000年前頃となる新石器時代巨石文化のイヌ1個体が、ほとんどの現代ヨーロッパのイヌの系統の90~100%の起源集団としてモデル化でき、他の全ての古代のイヌは除外される、と明らかになりました。この知見から、必ずしもスカンジナビア半島起源とは限らない、このフレールセガーデン遺跡の1個体と類似の系統を有する集団が、他の集団を置換し、大陸規模の遺伝的勾配を消し去った、と示唆されます。この系統は勾配の真ん中にあったので(図1C)、現代ヨーロッパのイヌは、カレリア地方関連系統とレヴァント関連系統のほぼ等しい割合としてモデル化できます。
またフレールセガーデン遺跡のイヌは、4000年前頃となる青銅器時代イタリアのイヌや、トルコやビザンツ帝国(東ローマ帝国)や中世の1500年前頃となるイヌの部分的祖先としても好適ですが、レヴァントのより早期のイヌには当てはまらず、この系統の拡大の年代を限定します。しかし、現代の品種の表現型多様性や遺伝的分化を含む、ヨーロッパ新石器時代に存在した遺伝的構成から、ヨーロッパにおけるイヌの系統の均質化を開始もしくは促進した環境は不明のままです。
最近では、近代化におけるヨーロッパ勢力の拡大と関連していると考えられますが、この現代ヨーロッパのイヌ系統は広く拡大しており、現在では世界中のほとんどのイヌ集団の主要な構成となっています。しかし、本論文の系統モデルは、一部の植民地期以前の系統が、メキシコのチワワ(4%以下)やメキシカン・ヘアレス・ドッグ(3%以下)や南アフリカ共和国のローデシアン・リッジバック(4%以下)に残っていることを明らかにします。以下は、世界各地の現代のイヌの系統の割合(図5A)と、イヌの推定拡散経路(図5B)を示した本論文の図5です。
●まとめ
完新世の始まりまでに起きた少なくとも5つのイヌ系統の多様化の後に、動的なイヌの集団史が続き、それは多くの場合ヒトの集団史を追跡したもので、イヌがヒト集団とともにどのように移動したのか、ということを反映している可能性が高そうです。しかし、ヨーロッパにおける草原地帯集団の移動などいくつかの事例では、イヌとヒトの集団史は一致しておらず、ヒトがイヌを伴わずに移動したこともあり、イヌがヒト集団間で移動したか、イヌが文化的および/もしくは経済的交易商品だったことを示唆します。
東西ユーラシアの分化や、極地のつながりや、近東における潜在的な基底部系統のような、イヌ集団間の遺伝的関係の特定の側面は、イヌの最初の家畜化の前に起きたヒト集団史の特徴と類似しています。したがって、イヌとヒトの間のこの表面的な反映は代わりに、まだ理解されていない生物地理的もしくは人類学的要因により繰り返し起きた集団動態を示しているかもしれません。重要な問題は、イヌが完新世までにユーラシアとアメリカ大陸全域にどのような拡大したのか、ということです。これは、主要なヒト集団の移動が、地球規模の拡大をもたらした最初の出アフリカに伴う拡大の後には、特定されていないからです。
現代および古代のゲノムデータはイヌの単一起源と一致する、と明らかになりましたが、複数の密接に関連するオオカミ集団を含む想定は依然として可能です。しかし本論文では、イヌの地理的起源は不明のままです。ゲノム多様性もしくは現代のオオカミ集団との類似性に基づくイヌの起源に関する以前の研究は、より最近の集団動態や遺伝子流動の不明瞭な影響に敏感です。本論文で分析された個体よりも古いイヌやオオカミのDNAを、考古学や人類学や動物行動学やその他の分野と統合することは、どこのどのような環境と文化的背景で最初のイヌが生まれたのか、決定するのに必要です。
参考文献:
Bergström A. et al.(2020): Origins and genetic legacy of prehistoric dogs. Science, 370, 6516, 557–564.
https://doi.org/10.1126/science.aba9572
以前のミトコンドリアDNA(mtDNA)およびゲノム研究では、イヌの遺伝的痕跡とその考古学的背景との間の関連が示唆されてきました。しかし、イヌの集団史が、ヒトの人口史と関連したか、あるいは、交易や、特定のタイプのイヌへのヒトの選好や、感染症感受性の多様性や、ヒト集団間のイヌの移動の結果として分離したのか、という程度の評価のために、イヌとヒトのゲノムが定量的に分析されてきたことはありません。
本論文では、イヌの集団史を再構築するために、最古で10900年前頃となるヨーロッパや近東やシベリア古代のイヌ27頭のゲノムが、中央値1.5倍の網羅率(0.1~11倍)で配列されました。ヒト人口史との関連を検証するため、古代のイヌの年代と地理的位置と文化的背景が合致するヒトのゲノム規模データが17組集められ、イヌとヒトの間で直接的に遺伝的関係が比較されました。
●更新世に起源がある世界のイヌ集団の構造
主成分分析(図1B)では、PC1軸で東西系統が示され、西端は現代および古代のユーラシア西部および現代アフリカのイヌで構成され、東端は先コロンブス期の北アメリカ大陸のイヌと、シベリアのバイカル湖地域の7000年前頃のイヌと、ニューギニア・シンギング・ドッグとオーストラリアのディンゴを含む現代のアジア東部のイヌにより表されます。しかし、f4検定に基づくと、古代および現代のヨーロッパイヌは全頭、古代近東のイヌよりも強い東方系統との類似性を示します。古代ヨーロッパのイヌはユーラシア東部のイヌと近東のイヌとの間で遺伝的勾配を示して広く分布しており、外群f3統計を用いて、バイカル湖地域やレヴァント(7000年前頃のイスラエル)のイヌとの共有された遺伝的浮動を比較すると、対角線に沿った線形傾斜として現れます(図1C)。シミュレーションからは、この線形の傾斜勾配は、長期の継続的な遺伝子流動もしくは系統樹のような歴史で説明することは困難で、中石器時代および新石器時代のヨーロッパのイヌは大きな混合事象により特徴づけられた、と示唆されます(図1D)。
主要な系統を表す5集団の構造の根底にある遺伝的歴史がモデル化され、最大2回の混合事象を伴うあらゆる混合グラフモデル135285通りが検証されました。このうち1モデルだけがデータに適合し、10900年前頃となる中石器時代のフィンランドのカレリア地方のイヌは、その一部を、東方のイヌと関連する系統と、レヴァント系統から受け継いだ、と特徴づけられます(図1E)。モデルを拡張して、7000年前頃となる最初期の新石器時代のヨーロッパのイヌを、カレリア系統とレヴァント系統の混合として特徴づけることができ、古代系統の勾配(図1C)により示唆されるヨーロッパのイヌへの二重系統モデルが支持されます。観察された系統構造から、全部で5つの祖先系統(新石器時代レヴァント、中石器時代カレリア、中石器時代バイカル湖、ニューギニア)が10900年前頃までには存在したに違いなく、したがって、11600年前頃となる更新世から完新世への移行期に先行して存在していた可能性が高い、と示唆されます。以下は本論文の図1です。
●イヌの複数起源もしくは野生イヌ科からの広範な遺伝子流動の証拠は検出されません
これまでの研究では、ヨーロッパや中東やアジア中央部やシベリアやアジア東部、もしくはこれらのうちの1地域以上で、オオカミ集団が初期のイヌの多様性に寄与した、と指摘されました。しかし、現代のオオカミとイヌは相互に単系統で、双方向の遺伝子流動があった、と指摘する研究もあります。そこで、各地のイヌの間でオオカミとの類似性において非対称性を特定すると、遺伝子流動が起きたに違いない、と確認されました。しかし、現代および古代のすべてのイヌと対称的に関連する一部のハイイロオオカミを特定したので、イヌからオオカミへの遺伝子流動は単方向だった可能性が高そうです。
オオカミから特定のイヌ集団への過去の遺伝子流動は、これらの検証において現代のハイイロオオカミのあらゆる個体と類似性を示すので、イヌへの持続的な遺伝子流動は、データの現在の解像度では検出できないほど制限されている、と示唆されます。さらにこの結果は、全てのイヌが単一の今では絶滅した古代のオオカミ集団、もしくは複数の密接に関連しているかもしれないオオカミ集団に由来する、という想定と一致します。他の、まだ標本抽出されていない古代オオカミ集団が初期の家畜化と独立して関わっている可能性はまだありますが、本論文のデータからは、そうしたオオカミ集団は後のイヌには実質的に寄与していない、と示唆されます。
イヌへのオオカミの混合の欠如とは対照的に、ほぼ全ての分析された現代のオオカミへのイヌの混合が特定され、それは通常、ヨーロッパや近東やアジア東部において、イヌから地理的に近接しているオオカミ集団への遺伝子流動の強い痕跡を伴います。また、古代アメリカ大陸のイヌとコヨーテとの間、アフリカにおけるイヌとゴールデン・ウルフとの間での類似性が再現されましたが、両者の遺伝子流動の方向は不明であり、それは小規模なので、イヌと関係するほとんどの分析に影響を与える可能性は低そうです。高地への適応に関連するEPAS1遺伝子周辺のオオカミ系統の証拠にも関わらず、チベットオオカミからチベットのイヌへの遺伝子流動のゲノム規模の証拠は見つかりませんでした。したがってイヌは、ブタやヤギやウマやヒツジやウシに見られるような、野生近縁種からの遺伝子移入の類似の証拠を示しません。
●イヌの集団史とヒトの集団史との関係
イヌで観察された集団の関係が、ヒト集団の関係と定量的に比較され、両者の集団構造が互いに類似している、と明らかになりました。最大の違いは銅器時代イランで観察され、ヒト集団は新石器時代レヴァント集団とは異なりますが、イランとレヴァントのイヌ集団は類似しています。新石器時代のドイツとアイルランドでは、ヒトはレヴァント集団へと近づいていますが、イヌはヨーロッパ北部狩猟採集民と関連する集団へと近づいています。青銅器時代のユーラシア草原地帯と、ドイツの縄目文土器(Corded Ware)文化では、ヒトはイヌと同様に新石器時代ヨーロッパクラスタから離れています。
次に、一方の種の混合形態がもう一方の種の集団関係も説明できるのか、評価されました。完全に一致する事例は見つかりませんでしたが、ほぼ一致する事例は見つかりました。しかし、イヌとヒトとの集団の時間の長さは考慮されていません。ヒト集団のユーラシア東西の分岐は43100年前頃と推定されており(関連記事)、14500年前頃の化石記録で確認されているイヌの形態の出現よりも著しく古くなっています。ただ、イヌの形態の出現はもっとさかのぼる、との見解もあります。全体的に、イヌとヒトの集団史がどの程度一致するのか不明ですが、系統関係では全体的な特徴を共有しているものの、時空間全体では同一ではなく、いくつかの分離されたに違いない事例もあります。
イヌとヒトの集団史の一致事例として注目されるのは、アジア東部のイヌとヒトは両方、近東集団よりもヨーロッパ集団の方と近いことです。イヌのヨーロッパ系統は、近東およびアジア東部系統の混合として最適にモデル化されます。しかし、ヒトでは近東の「基底部ユーラシア」系統の分岐が45000年以上前と推定されており、イヌ集団の動態がヒトの初期の過程を模倣した可能性が示唆されます。次に注目されるのは、全てのヨーロッパのイヌが、ニューギニア・シンギング・ドッグに対してよりも、アメリカ大陸およびシベリアのイヌの方と強い類似性を有することで、これは混合されていないアジア東部のイヌを表しており、ヨーロッパとアメリカ大陸のヒト集団との間の極地付近の類似性を反映しています。
24000~18000年前頃のバイカル湖地域のヒト集団はユーラシア西部人との類似性を有しており、その近縁集団がアメリカ大陸先住民の祖先になったものの(関連記事)、完新世には完全ではないとしても他系統に置換された、と推測されています(関連記事)。7000年前頃のバイカル湖地域のイヌはアメリカ大陸およびヨーロッパとの間の類似の関連を構成していますが、この関連は1万年前の後に起きました。したがって、ユーラシア北部で共有されている極地付近の系統は、イヌとヒト両方の集団構造の重要な特徴ですが、同じ移動事象に由来していない可能性が高そうです。
●ヨーロッパへの新石器時代の拡大
古代ヒトゲノム研究は、近東からヨーロッパへの新石器時代農耕民の拡大と関連した、大きな系統変化を明らかにしており、古代のイヌのmtDNA研究は、新石器時代農耕民が近東からヨーロッパへとイヌを導入した、と示唆します(関連記事)。古代ヨーロッパのイヌで観察されたゲノム系統の勾配(図1C)は、少なくとも部分的には、中石器時代狩猟採集民および到来してきた新石器時代農耕民と関連するイヌの間の混合に起因する、と仮定されます。これは、三つの観察結果により支持されます。まず、この勾配の仮定的な狩猟採集民関連のイヌの端は、10900年前頃の中石器時代カレリア地方のイヌと、4800年前頃となるスウェーデンの狩猟採集民の円洞尖底陶文化(Pitted Ware Culture)遺跡のイヌとで占められています。次に、スウェーデンの狩猟採集民のイヌと比較して、同時代となるスウェーデンの新石器時代農耕文化のイヌは、同じ遺跡のヒトを反映して、勾配のレヴァント側の端へと移動しています。最後に、新石器時代レヴァントのイヌ集団との類似性は南方に向かって増加しており、新石器時代ヒト集団の範囲拡大と一致します。中石器時代のヨーロッパの「西方狩猟採集民」ヒト集団と明確に関連するイヌはまだ特定されていませんが、本論文の結果から、そうしたイヌはヨーロッパ勾配のシベリアの端へと向かって強い類似性を有する、と示唆されます。全体的にこれらの結果から、新石器時代におけるヨーロッパへの農耕民の拡大も、イヌの系統変化と関連していた、と示唆されます。
デンプン消化に関連するAMY2B遺伝子のコピー数増加は、農耕移行期におけるイヌの食性適応と関連してきました。パラログ(遺伝子重複により生じた類似の機能を有する遺伝子)なAMY1遺伝子は、ヒトでは適応的進化を受けてきましたが、これは農耕と明確に関連していないようです。中石器時代のカレリア地方のイヌは、すでにオオカミと比較してより多くのコピー数を有していたかもしれませんが、ヒト狩猟採集民文化のイヌでは、少ないコピー数が観察されます。5800年前頃のイランのイヌや6200年前頃のスペインのイヌなど新石器時代のイヌの一部は、現代のイヌと同じくらい多くのコピー数を有しますが、レヴァントの7000年前頃の個体のように、他の新石器時代のイヌは少ないコピー数を有しています。これらの結果から、AMY2B遺伝子のコピー数増加は家畜化の初期段階では起きず、ヒトとは対照的に、中石器時代狩猟採集民文化では発達しなかったものの、初期農耕集団では変動的で、デンプンが豊富な農耕生活様式の最初の出現から数千年経過するまで拡大しなかった、と示唆されます。
●アフリカと近東
現代アフリカのイヌはレヴァントとイランの古代のイヌ、とくに7000年前頃となる本論文のデータセットでは最古のレヴァント個体とクラスタ化し、近東起源を示唆します。肥沃な三日月地帯の西部(アナトリア半島およびレヴァント)と東部(イランのザグロス山脈)のヒト集団は遺伝的に大きく異なっており、西部集団は新石器時代においてヨーロッパとアフリカへの遺伝子流動の主要な供給源でした(関連記事)。アフリカのイヌ系統の起源は、5800年前頃のイランよりも7000年前頃のレヴァントの方とより適合しており、ウシの場合(関連記事)と同様に、ヒトの移住を反映しています。対照的にヨーロッパの新石器時代のイヌの系統に関しては、レヴァントとイランのどちらが起源集団として適切なのか、区別できません。本論文の結果は、レヴァント関連集団からのサハラ砂漠以南のアフリカ集団の単一起源を示唆し、過去数百年までアフリカ大陸外からの遺伝子流動は限定的でした。
アフリカとは対照的に、7000年前頃となる新石器時代レヴァント集団は、近東の現代のイヌへの遺伝的寄与があったとしても、多くはなかったようです。代わりに、レヴァントの2300年前頃のイヌは、イラン関連系統(81%)と新石器時代ヨーロッパ関連系統(19%)の混合としてモデル化できます。レヴァントではこの時期までに、イランからのヒトの遺伝子流動(関連記事)と、ヨーロッパからの一時的な遺伝子流動(関連記事)がありました。しかし、本論文の結果は、レヴァントではイヌの系統が2300年前頃までにほぼ完全に置換されたことを示唆します。現代近東のイヌは、2300年前頃のレヴァントのイヌと、現代ヨーロッパのイヌの混合として最適にモデル化されます。
●草原地帯牧畜民の拡大
ヤムナヤ(Yamnaya)文化および縄目文土器文化と関連したユーラシア草原地帯牧畜民の後期新石器時代および青銅器時代ヨーロッパへの拡大は、ヒト集団の系統を変えました(関連記事)。イヌの系統が同様に影響を受けたのか検証するため、青銅器時代のスルブナヤ(Srubnaya)文化と関連したヨーロッパ東部草原地帯の3800年前頃のイヌが分析されました。その系統はヨーロッパ西部のイヌと類似していますが、主成分分析(図1B)の中間に位置する外れ値です。ドイツの縄目文土器文化関連の4700年前頃となるイヌは、草原地帯関連系統を有すると仮定され、その51%はスルブナヤ草原地帯関連系統に、残りは新石器時代ヨーロッパ系統に由来する、と推定されています。青銅器時代の3100年前頃となるスウェーデンのイヌでも同様の結果が得られますが、青銅器時代の4000年前頃となるイタリアのイヌでは同様の結果は得られません。
草原地帯と縄目文土器文化のイヌの間の潜在的なつながりにも関わらず、ほとんどの後のヨーロッパのイヌは、スルブナヤのイヌとの特別な類似性を示しません。現代のヨーロッパのイヌは代わりに、新石器時代ヨーロッパのイヌとクラスタ化し、牧畜民拡大後のヒトで見られた永続的な系統変化を反映していません。この過程をよりよく理解するには、より早期となる追加の草原地帯のイヌのゲノムが必要ですが、新石器時代と現代の個体群との間の相対的連続性からは、草原地帯牧畜民の到来は、ヨーロッパのイヌの系統に持続的な大規模な変化をもたらさなかった、と示唆されます。
草原地帯牧畜民は東方にも拡大しましたが、アジア東部の現代人には多くの遺伝的影響を残さなかったようです。多くの現代中国のイヌは、ニューギニア・シンギング・ドッグと関連した集団と、ユーラシア西部関連集団との間の混合の、明確な証拠を示します。最近の研究では、過去数千年に中国のイヌでmtDNAの置換が起きたことも明らかになっています。最適なモデルでは、現代ヨーロッパの品種からだけではなく、3800年前頃となるスルブナヤの草原地帯関連のイヌからのかなりの遺伝子流動も含まれます。一部の集団、とくにシベリア集団は、7000年前頃となるバイカル湖地域のイヌと関連した追加の起源集団を必要としますが、ニューギニア・シンギング・ドッグと関連する系統はないか最小限です。したがって本論文の結果からは、草原地帯牧畜民の東方への移動が、アジア東部のヒトよりもイヌの系統において、大きな遺伝的影響を与えた可能性が高い、と示されます。
●ヨーロッパにおけるイヌの系統の均質化
現代ヨーロッパのイヌは全て、データセット内の古代のイヌと対称的に関連しているので、初期のヨーロッパのイヌにおける系統多様性の広大な範囲は、現在では保存されていません。これは、ヨーロッパのイヌにおける現在の多様性に、ほとんどの在来の中石器時代および新石器時代集団がわずかか、全く寄与していないことを示唆します。代わりに、スウェーデン南西部のフレールセガーデン(Frälsegården)遺跡の5000年前頃となる新石器時代巨石文化のイヌ1個体が、ほとんどの現代ヨーロッパのイヌの系統の90~100%の起源集団としてモデル化でき、他の全ての古代のイヌは除外される、と明らかになりました。この知見から、必ずしもスカンジナビア半島起源とは限らない、このフレールセガーデン遺跡の1個体と類似の系統を有する集団が、他の集団を置換し、大陸規模の遺伝的勾配を消し去った、と示唆されます。この系統は勾配の真ん中にあったので(図1C)、現代ヨーロッパのイヌは、カレリア地方関連系統とレヴァント関連系統のほぼ等しい割合としてモデル化できます。
またフレールセガーデン遺跡のイヌは、4000年前頃となる青銅器時代イタリアのイヌや、トルコやビザンツ帝国(東ローマ帝国)や中世の1500年前頃となるイヌの部分的祖先としても好適ですが、レヴァントのより早期のイヌには当てはまらず、この系統の拡大の年代を限定します。しかし、現代の品種の表現型多様性や遺伝的分化を含む、ヨーロッパ新石器時代に存在した遺伝的構成から、ヨーロッパにおけるイヌの系統の均質化を開始もしくは促進した環境は不明のままです。
最近では、近代化におけるヨーロッパ勢力の拡大と関連していると考えられますが、この現代ヨーロッパのイヌ系統は広く拡大しており、現在では世界中のほとんどのイヌ集団の主要な構成となっています。しかし、本論文の系統モデルは、一部の植民地期以前の系統が、メキシコのチワワ(4%以下)やメキシカン・ヘアレス・ドッグ(3%以下)や南アフリカ共和国のローデシアン・リッジバック(4%以下)に残っていることを明らかにします。以下は、世界各地の現代のイヌの系統の割合(図5A)と、イヌの推定拡散経路(図5B)を示した本論文の図5です。
●まとめ
完新世の始まりまでに起きた少なくとも5つのイヌ系統の多様化の後に、動的なイヌの集団史が続き、それは多くの場合ヒトの集団史を追跡したもので、イヌがヒト集団とともにどのように移動したのか、ということを反映している可能性が高そうです。しかし、ヨーロッパにおける草原地帯集団の移動などいくつかの事例では、イヌとヒトの集団史は一致しておらず、ヒトがイヌを伴わずに移動したこともあり、イヌがヒト集団間で移動したか、イヌが文化的および/もしくは経済的交易商品だったことを示唆します。
東西ユーラシアの分化や、極地のつながりや、近東における潜在的な基底部系統のような、イヌ集団間の遺伝的関係の特定の側面は、イヌの最初の家畜化の前に起きたヒト集団史の特徴と類似しています。したがって、イヌとヒトの間のこの表面的な反映は代わりに、まだ理解されていない生物地理的もしくは人類学的要因により繰り返し起きた集団動態を示しているかもしれません。重要な問題は、イヌが完新世までにユーラシアとアメリカ大陸全域にどのような拡大したのか、ということです。これは、主要なヒト集団の移動が、地球規模の拡大をもたらした最初の出アフリカに伴う拡大の後には、特定されていないからです。
現代および古代のゲノムデータはイヌの単一起源と一致する、と明らかになりましたが、複数の密接に関連するオオカミ集団を含む想定は依然として可能です。しかし本論文では、イヌの地理的起源は不明のままです。ゲノム多様性もしくは現代のオオカミ集団との類似性に基づくイヌの起源に関する以前の研究は、より最近の集団動態や遺伝子流動の不明瞭な影響に敏感です。本論文で分析された個体よりも古いイヌやオオカミのDNAを、考古学や人類学や動物行動学やその他の分野と統合することは、どこのどのような環境と文化的背景で最初のイヌが生まれたのか、決定するのに必要です。
参考文献:
Bergström A. et al.(2020): Origins and genetic legacy of prehistoric dogs. Science, 370, 6516, 557–564.
https://doi.org/10.1126/science.aba9572
この記事へのコメント
だが同時にウラル語族の移住に青銅器に来たものだって研究もあります。ボトルネックによるものか、近代の変異の拡大があるため歴史が浅いだろうと。同時に歴史時代だと変異が古いので考えにくいと。
だが東アジアの犬を欧州に運んだ人はだれか?でANS系統ならすごく納得できます。しかもスウエーデンの辺りにQの分布とJCウイルスのアメリカ先住民に多いMYが出ます。
ものすごく古い時期にごく狭い地域にQが来ていた可能性はあるのかも?と思えてきました。
まあ犬の話もっと複雑なものがあるのかもしれませんが。