ヨーロッパ人との接触前のアンデス中央部における親族結合の強化
ヨーロッパ人との接触前のアンデス中央部における親族結合の強化に関する研究(Ringbauer et al., 2020)が公表されました。ROH(runs of homozygosity)とは、両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じアレル(対立遺伝子)のそろった状態が連続するゲノム領域(ホモ接合連続領域)で、長いROHを有する個体の両親は近縁関係にある、と推測されます。本論文は、低網羅率の古代DNAを用いてROHを測定できる手法を適用して、アンデスの人口史に関する研究(関連記事)などで収集された、アンデス中央部の古代人46個体を分析しました。
その結果、46個体のうち13個体で、イトコもしくはマタイトコの子に典型的な水準の長いROHが検出されました。その割合は、紀元後1000年頃以前には22個体のうち2個体でしたが、それ以後では、24個体のうち11個と増加します。現在のアンデスでは、その割合は低くなっており、リマのペルー人では86人のうち2人、多様な他のアンデスの人々では56人のうち11人です。後者はおもにボリビアのベンティージャ(Ventilla)地域のアンデス中央部のアイマラ語(Aymara)話者に由来し、18人のうち6人で長いROHが観察されました。しかし、中間の時代の古代DNAデータがなければ、過去500年間、この地域で密接な親族結合の高い割合が継続的だったのかどうか、識別できません。
ヨーロッパ人との接触前の500年間の密接な親族結合の割合増加が、不均一な標本抽出の結果だった可能性も考慮されました。しかし、親族関係の事例は広範囲で、後期中間期および後期ホライズン(Late Horizon)の遺跡11ヶ所のうち8ヶ所で確認され、4地域にまたがっています。本論文で分析された標本内では親子のような密接な近親者は検出されず、親族結合の痕跡が密接な近親者のクラスタに影響を受けていないことを示します。親族結合の痕跡は、都市支配層で特異的に見つかるわけではなく、本論文で分析された個体はほぼ完全に地方で発見されています。親族の結合はインカ社会の最高層では知られていましたが、配偶慣行はしばしば社会的階層によりひじょうに異なるので、本論文の結果は予測できませんでした。
親族結合の増加期の始まりは、アンデス中央部の大半に広がった中期ホライズン(紀元後700~1050年頃)の主要な2社会であるワリとティワナクの衰退、およびより小規模な政体への移行が起きた後期中間期(紀元後1050~1440年頃)の始まりと一致しています。大規模な国家が再び興隆するのは、後期ホライズン(紀元後1440~1534年)になってからで、インカは南アメリカ大陸西部の大半に拡大しました。本論文の知見は、スペイン植民地期の記録に残るアイユの社会的結合に照らして注目されます。スペイン植民地期の記録では、集団は少なくとも共有される祖先の一部として定義され、共同体内の資源を維持し、核家族を超えた協力を促進するため、集団内の婚姻が選好されました。現在、「アイユ」という言葉は、アンデスにおいてある種の社会的組織を表すために使用されていますが、これらの慣行が古代のアイユにどれだけ類似しているのか、不明です。
考古学では、後期中間期のチュルパ(Chullpa)と呼ばれる墳墓を含む集団埋葬慣行の割合の増加が報告されており、この期間に共通するようになった新たな社会体系の証拠とされます。古代DNA研究では、チュルパにおける父系に基づく集団の発見により、親族ネットワークとチュルパとの関連の証拠が見つかっています。本論文で明らかになったアンデス中央部全域の密接な親族結合の割合増加は、考古学的証拠だけからは収集できないタイプの情報で、後期中間期の始まりにさかのぼる、先史時代アンデス中央部における親族パターンの性質の定量的変化に関する最初の証拠を提供します。後期中間期をそれ以前の時代と区別する、断片化された社会政治的単位や減少した交易距離や激化する集団間暴力は、地域の家族の管理下で資源を維持するための、社会的慣行の変化を選好した可能性があります。インカはしばしば、既存の慣行を取り入れ、それは後期ホライズンへと持続するこの慣行と一致します。アンデス中央部のより多くの地域を含む将来の古代DNA研究と、より多様な時期および埋葬状況は、配偶選択選好における変化の性質と原因の理解を洗練するでしょう。
参考文献:
Ringbauer H. et al.(2020): Increased rate of close-kin unions in the central Andes in the half millennium before European contact. Current Biology, 30, 17, R980–R981.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2020.07.072
その結果、46個体のうち13個体で、イトコもしくはマタイトコの子に典型的な水準の長いROHが検出されました。その割合は、紀元後1000年頃以前には22個体のうち2個体でしたが、それ以後では、24個体のうち11個と増加します。現在のアンデスでは、その割合は低くなっており、リマのペルー人では86人のうち2人、多様な他のアンデスの人々では56人のうち11人です。後者はおもにボリビアのベンティージャ(Ventilla)地域のアンデス中央部のアイマラ語(Aymara)話者に由来し、18人のうち6人で長いROHが観察されました。しかし、中間の時代の古代DNAデータがなければ、過去500年間、この地域で密接な親族結合の高い割合が継続的だったのかどうか、識別できません。
ヨーロッパ人との接触前の500年間の密接な親族結合の割合増加が、不均一な標本抽出の結果だった可能性も考慮されました。しかし、親族関係の事例は広範囲で、後期中間期および後期ホライズン(Late Horizon)の遺跡11ヶ所のうち8ヶ所で確認され、4地域にまたがっています。本論文で分析された標本内では親子のような密接な近親者は検出されず、親族結合の痕跡が密接な近親者のクラスタに影響を受けていないことを示します。親族結合の痕跡は、都市支配層で特異的に見つかるわけではなく、本論文で分析された個体はほぼ完全に地方で発見されています。親族の結合はインカ社会の最高層では知られていましたが、配偶慣行はしばしば社会的階層によりひじょうに異なるので、本論文の結果は予測できませんでした。
親族結合の増加期の始まりは、アンデス中央部の大半に広がった中期ホライズン(紀元後700~1050年頃)の主要な2社会であるワリとティワナクの衰退、およびより小規模な政体への移行が起きた後期中間期(紀元後1050~1440年頃)の始まりと一致しています。大規模な国家が再び興隆するのは、後期ホライズン(紀元後1440~1534年)になってからで、インカは南アメリカ大陸西部の大半に拡大しました。本論文の知見は、スペイン植民地期の記録に残るアイユの社会的結合に照らして注目されます。スペイン植民地期の記録では、集団は少なくとも共有される祖先の一部として定義され、共同体内の資源を維持し、核家族を超えた協力を促進するため、集団内の婚姻が選好されました。現在、「アイユ」という言葉は、アンデスにおいてある種の社会的組織を表すために使用されていますが、これらの慣行が古代のアイユにどれだけ類似しているのか、不明です。
考古学では、後期中間期のチュルパ(Chullpa)と呼ばれる墳墓を含む集団埋葬慣行の割合の増加が報告されており、この期間に共通するようになった新たな社会体系の証拠とされます。古代DNA研究では、チュルパにおける父系に基づく集団の発見により、親族ネットワークとチュルパとの関連の証拠が見つかっています。本論文で明らかになったアンデス中央部全域の密接な親族結合の割合増加は、考古学的証拠だけからは収集できないタイプの情報で、後期中間期の始まりにさかのぼる、先史時代アンデス中央部における親族パターンの性質の定量的変化に関する最初の証拠を提供します。後期中間期をそれ以前の時代と区別する、断片化された社会政治的単位や減少した交易距離や激化する集団間暴力は、地域の家族の管理下で資源を維持するための、社会的慣行の変化を選好した可能性があります。インカはしばしば、既存の慣行を取り入れ、それは後期ホライズンへと持続するこの慣行と一致します。アンデス中央部のより多くの地域を含む将来の古代DNA研究と、より多様な時期および埋葬状況は、配偶選択選好における変化の性質と原因の理解を洗練するでしょう。
参考文献:
Ringbauer H. et al.(2020): Increased rate of close-kin unions in the central Andes in the half millennium before European contact. Current Biology, 30, 17, R980–R981.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2020.07.072
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