古代DNAデータから推測されるバヌアツにおける複数の移住
古代DNAデータからバヌアツにおける複数の移住を推測した研究(Lipson et al., 2020)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。太平洋の人類史研究における重要な違いは、ニアオセアニアとリモートオセアニアとの間にあります。ニアオセアニアは西太平洋の一部で、ニューギニアやビスマルク諸島(ニューブリテン島やニューアイルランド島など)やソロモン諸島を含み、現生人類(Homo sapiens)は5万年前頃に到来しました。リモートオセアニアはミクロネシアおよびポリネシアの全域と、バヌアツやニューカレドニアやフィジーや岩礁の散在する島々やソロモン諸島南東部のサンタクルーズ諸島といった、メラネシアの島々を含みます。
バヌアツは、リモートオセアニア南部において人類が居住した最初の島嶼集団で、それに続く3000年の重要な地域的交差点になったという意味において、太平洋の移民史における重要な群島です。バヌアツの遺伝的歴史は、定住過程の個体群からのゲノム規模データにより明らかにされてきました(関連記事)。バヌアツへの最初の移民(M1)は、ラピタ文化複合の初期段階と関連しており、オセアニアへのオーストロネシア語族の最初の拡大と関連していた可能性が高そうです。オーストロネシア語族集団は今では、もっと広範に拡大しています。オーストロネシア語族は台湾に起源があり、ほぼ完全なアジア東部関連系統を有しており、「最初のオセアニア人(FRO)」と呼ばれてきました。
対照的に「先住現地バヌアツ人」として識別される現代人を含む後の個体群はおもに、ニューブリテン島起源の可能性が高いパプア人系統を有しており、2800年前頃以後、最後のラピタ文化期もしくはラピタ文化期後にサンタクルーズ諸島とバヌアツへ到達しました。本論文は、ニアオセアニアの現代人集団で見られる系統の大半に寄与した深い祖先的系統を「パプア人」と呼びます。以前の研究では、この2回目の移住(M2)が、短期間に起きたのか、一定以上の時間を要した漸進的な遺伝的交換だったのか、議論になりました(関連記事)。
以前の研究でも、過去1000年に起き、バヌアツにおける「ポリネシア人外れ値」の確立と関連した、第三の異なる移住の波(M3)の詳細な兆候については、言及されたものの深くは扱われませんでした。そうした「ポリネシア人の外れ値」は、ポリネシア人の下位集団の言語が話され、ポリネシア人の物質および非物質文化が見られる島々のことです。バヌアツにおけるポリネシア人の影響は、完全な言語置換を伴わない外れ値共同体に隣接する多くの島々にも拡大しました。しかし、これらのポリネシア人に由来する文化的および言語的変化を伴う人口移動の程度については、ほとんど知られていません。
そうしたポリネシア人影響を受けた島の一つがバヌアツ諸島中央部のエファテで、ポリネシア語話者の2共同体が現在存在しており、一方は小さな沖合の島であるイフィラ(Ifira)、もう一方はバヌアツ諸島南西部の島であるメレ(Mele)です。エファテ島とその隣接するエレトク(Eretok)島およびレレパ(Lelepa)島に位置する「ロイマタ首長の領地」は、口承伝統と1960年代に発掘された壮大な埋葬遺跡との間のつながりに基づいて、2008年にユネスコ世界遺産に登録されました。地元の口承伝統と関連する物質文化の側面のいくつかの異形は、エファテ島および隣接する羊飼い集団の島々におけるロイマタ首長およびその政治的役割についての物語に示されるように、強いポリネシア人の影響を示唆します。エレトク島の埋葬遺跡は、当初紀元後13世紀と考えられていましたが、エレトク島およびロイマタ首長およびその最も密接な従者たちの故地と言われてきたエファテ島のマンガース(Mangaas)村遺跡の放射性炭素年代測定から、今では紀元後1600年頃と推定されています。
ロイマタ首長の領地の歴史、より一般的にはバヌアツにおけるポリネシア人の影響の歴史に関する遺伝的視点を得るため、伝承によるとロイマタが埋葬されたエレトク(レトカもしくはハット)島の3個体と、マンガース村の床下埋葬の2個体がともに、古代DNA分析のために標本抽出されました。また、公開されたデータを補完する、追加の6個体のゲノム規模古代DNAデータが新たに報告されます。このうち4個体はテオウマ遺跡のラピタ文化共同墓地(3000~2750年前頃)から、1個体はタプリンズ(Taplins、メレ)1岩陰から、1個体はバナナ湾から得られました。
これら11個体が、既知のバヌアツの古代人26個体、他の古代オセアニア人8個体、多様な現代人集団と組み合わされ、上記の人類集団の移動(M1・M2・M3)に関する以下の主要な問題に光が当てられました。M1に関しては、テオウマ遺跡のラピタ文化期の埋葬の標本増加は他の遺跡と組み合わされて、以前の報告よりも多様な創始者集団を明らかにしますか?M2に関しては、バヌアツへのパプア人の移住の起源地・年代・期間をよりよく解明できますか?M3に関しては、ロイマタ首長の領地の世界遺産地域内のエレトク島とマンガース村から新たに報告された個体群は、一部の口承伝統と考古学的記録の特徴が示唆するように、ポリネシア人との特別な関連性を示しますか?以下、本論文で取り上げられた島々や遺跡の位置を示した図1です。
●主成分分析
主成分分析(図2)は、PC1軸が最初のリモートオセアニア人(FRO)の相対的比率(左側ほど低く、右側ほど高くなります)、PC2軸がソロモン諸島人(上側)とニューギニア人(下側)との類似性に対応します。ニューブリテン島とバヌアツの現代人集団は、PC2軸に沿って比較的均一な値でクラスタを形成しますが、PC1軸に沿って適度な広がりを形成し、ポリネシア人およびポリネシア人外れ値集団がさらに右側に位置します。古代の個体群はほとんど同じ島の連鎖からの現代人集団と重なりますが、バヌアツのエファテ島のテオウマ遺跡およびトンガのタラシウ(Talasiu)遺跡のラピタ文化関連個体群と、マラクラ(Malakula)島の古代個体群、エレトク島およびエファテ島マンガース遺跡の一部個体群は、さらに右側に位置します。
主成分分析(図2)のバヌアツ内における最大の変異の方向性はほぼ左から右(異なるFROとパプア人の混合比率を反映している可能性が高そうです)で、ニューブリテン島やバヌアツやポリネシアや古代のラピタ文化関連個体群と関連する変異の主要な方向とよく一致します。このパターンは、この拡張された勾配に沿った集団の多くもしくは全てが、異なる割合の系統構成の一対の共有として単純な方向でモデル化できる、という可能性を示唆します。一方は、ニューブリテン島とバヌアツの一部で100%近く見られる系統と関連したパプア人系統により表され、もう一方はラピタ文化関連個体群で100%近く見られる系統と関連するFRO系統により表されます。以下、主成分分析結果を示した図2です。
●明白な混合モデル化
主成分分析の結果に基づいて、qpAdmを用いて候補となる混合モデルが検証されました。以前の研究や本論文の主成分分析(図2)は、ニアオセアニアにおける高度な地域的集団構造を示唆し、それにはニューギニアやニューブリテン島やニューアイルランド島で見られるパプア人系統のほぼ異なるクラスタを伴いますが、ニューアイルランド島など多くの集団は、複数のパプア人系統構成の混合を有するとモデル化できます。以下の分析では、ソロモン諸島とニューブリテン島のクラスタを表すため、それぞれ、ブーゲンビル島の非オーストロネシア語族話者であるナシオイ(Nasioi)人と、ニューブリテン島の非オーストロネシア語族話者であるバイニング(Baining)人がしばしば用いられます。それは、ナシオイ人(20%以下)とバイニング人(5%以下)が、最も低いFRO系統の割合を有している一方で、本論文のデータセットのクラスタから特有の在来パプア人系統の最も高い割合を有しているからです。
古代バヌアツ個体群はほぼ全て、マラブ(Marabu)の下位集団であるバイニング人と、フィリピンのオーストロネシア語族話者であるカンカナイ人(Kankanaey)を用いて、外群集団としてナシオイ人を伴っても、2代理起源集団としてqpAdmでモデル化できます。逆に、バイニング人の代わりにナシオイ人を代理起源集団として用いると、ほとんどのモデルが成功しません。ただ、適合性が低いのは、外群と検証集団もしくは代理起源集団との間の、モデル化されず共有されていない系統に由来するかもしれません。たとえば、古代の個体群にとっての小量の汚染や、外群としてのナシオイ人におけるFRO関連系統が、カンカナイ人におけるFRO関連系統よりも優れた起源集団であるような場合です。ポリネシア人とポリネシア人外れ値にとって、異なる系統間を区別する本論文の能力は、パプア人系統のより低い割合によって制限されますが、代理起源集団としてナシオイ人よりもむしろバイニング人を用いると、より適合した類似の結果が観察されます。以前に報告されたように、ナシオイ人の代わりに一部のニューブリテン島関連系統を有するソロモン諸島集団であるマライタ島人で適合性は改善しますが、バイニング人とよりは悪化し、ほとんどの集団で棄却されます。
qpAdmからの定量的な混合割合の推定(図3)は、主成分分析ともよく一致します。FRO系統の最も低い割合はラピタ文化後の個体群で見られ、エファテ島で0~3.6%、タンナ(Tanna)島で0.6~6.6%です。FRO系統の最も高い割合はラピタ文化関連個体群で見られ、テオウマ遺跡で96.4~99.2%、トンガのタラシウ遺跡で96.4~100%、マラクラ島で87.4~100%です。ロイマタ首長の領地の個体群ではFRO系統の割合は比較的多様で、マンガース遺跡の個体(I10966)では17.3~22.0%、エレトク島の個体(I10969)では38.3~44.2%です。
また、常染色体とX染色体の系統割合の推定を比較し、性的に偏った混合があったのか、検証されました。その結果、性的に偏った兆候が観察され、現代ポリネシア人および古代マラクラ島人で以前報告された事例が確認されました。なお新たに報告された11個体に関しては、ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)では、3000年前頃のテオウマ遺跡の1個体がB4a1a1、2600~2200年前頃のメレの1個体がQ1b、マンガース遺跡では、500~200年前頃の1個体がQ1、180±20年前頃の1個体がQ2a3、エレトク島の500~200年前頃の2個体はB4a1a1とP2、490~310年前頃の1個体はP2、エファテ島のバナナ湾地区の234±19年前頃の1個体はP1d2です。Y染色体ハプログループ(YHg)は、テオウマ遺跡の3000~2750年前頃の2個体がともにO、2600~2200年前頃のメレの1個体とエレトク島の500~200年前頃の1個体とエレトク島の490~310年前頃の1個体とバナナ湾地区の234±19年前頃の1個体は、いずれもC1b2aです。mtHgでもYHgでも、ほぼFRO系統のみからパプア人系統の流入が示唆されます。以下、古代バヌアツ個体群におけるパプア人系統の割合を示した図3です。
●混合年代
以前の研究では、バヌアツの現代人集団の大半は、他のオセアニア人と一致して、平均して2000年前頃を中心とする混合年代を有する、と示されましたが、一部の集団、とくにポリネシア人関連系統を有する集団は、たとえば1075±225年前となるフツナ(Futuna)島のように、より最近の年代を示します。本論文は、MALDERとDATESの両方を用いて、エレトク島とマンガース遺跡の個体群の混合年代を推定し、平均して個体群の約20~30世代前もしくは550~850年前頃、つまり1400~700年前頃と示されました。
この年代範囲は、考古学的証拠に基づく、1000~750年前頃に起きた西進してきたポリネシア人の到来の可能性よりも、やや早くなっています。しかし、ポリネシア人流入の想定では、ポリネシア人と在来集団の両方がすでに混合していたことを考慮すると、予想される平均混合年代は、最近とより古い混合事象の組み合わせを反映しているでしょう。MALDERから混合の複数の波の有意な証拠は検出されませんでしたが、両方の代理起源集団が系統の同じ混合タイプ(パプア人とFRO)を有しているでしょうから、異なる混合事象を解明するのは困難です。それでも、エレトク島とマンガース遺跡の比較的最近の混合年代は、混合割合で観察された不均質性とともに、より最近の混合過程の証拠を提供します。
●パプア人系統とFRO系統の起源
アレル(対立遺伝子)共有対称性検証を通じて、リモートオセアニアにおけるパプア人系統とFRO系統の勾配がより詳しく調べられました。まずf4統計(X、傣人、ナシオイ人、ニューギニア高地人)で、検証対象の集団Xとソロモン諸島およびニューギニアの集団との間で共有される相対的なアレルが検証されました。検証対象の2集団は、パプア人系統の異なる起源集団を有する場合(たとえば、一方はニューブリテン島で、他方がニューギニアやニューアイルランド島やソロモン諸島)、FR系統の割合を補正した後では、異なる値を示すと予想されます。エロマンガ(Erromango)島やテオウマ遺跡やツツバ(Tutuba)島などいくつかの例外を除いて、現代および古代のリモートオセアニア人はひじょうに均一な結果を示し、そのパプア人系統の共通起源と一致します。
パプアニューギニアの祖先の起源が異なる場合(たとえば、1つはニューブリテン島から、もう1つはニューギニア、ニューアイルランド、またはソロモン諸島から)、コプラ(ココヤシを乾燥させたヤシ油や石鹸の原料)の大農園で知られるツツバ島は、おそらく在来バヌアツ人とメラネシアの他地域から到来した大農園労働者間の最近の混合を受けました。エロマンガ島が例外である理由は不明ですが、19世紀に白檀を購入して伐採する集団が多数訪れており、そうした接触の結果として、持ち込まれた疾患により人口減少に悩みました。
ニアオセアニア人の間では、予想されたように、ニューギニアの集団は一般的にリモートオセアニア人の線の下に位置し、ソロモン諸島の集団はその上に位置します。しかし、ニューブリテン島の下位集団はリモートオセアニア人を密接に追っており、(おもに)バヌアツとポリネシアへ寄与したパプア人系統の起源集団の適切な代理を表している、と示唆されます。この結果はqpWaveの使用で確認されました。現代バヌアツ集団は、4系統の起源集団を必要としており、おそらくエロマンガ島やツツバ島のように異なるパプア人系統、もしくは最近の接触に由来する、アジア東部人やヨーロッパ人のような他の系統の小さな割合に起因します。
次に、FRO系統の異なる起源集団の可能性について同様の検証が行なわれました。まずf4統計(X、ニューギニア高地人、テオウマ遺跡個体群、カンカナイ人)で、テオウマ島個体群と現代カンカナイ人への、オセアニア全域のFRO系統の関連性が検証されました。全集団はFRO系統の水準と高度に相関する正の値を示し、この系統がテオウマ遺跡個体群と密接に関連している、と示唆されます。次のf4統計(X、ニューギニア高地人、テオウマ遺跡個体群、タラシウ遺跡個体群)では、FRO系統がラピタ文化関連個体群でもバヌアツとトンガのどちらとより密接に関連しているのか、検証されました。本論文の統計的能力は、このラピタ文化関連2集団間の密接な関係により制限されますが、エファテ島のテオウマ遺跡個体群よりもトンガのタラシウ遺跡個体群の方と、より大きな類似性を示唆する有意な結果が示されました。しかし、わずかな偏差しか観察されません。したがって、標本抽出された古代および現代のオセアニア集団で見つかったFRO系統は、バヌアツとトンガのラピタ文化関連個体群との関係では比較的均一で、わずかにトンガに近いようです。
●ポリネシア人の遺伝的遺産
同様の手法で、f4統計(X、ニューブリテン島のトライ人、カンカナイ人、トンガ人)によりとくにポリネシア人関連系統の存在が検証されました。予想通り、他のポリネシア人はトンガ人と共有されるひじょうに強いアレルを示します。バヌアツ内では、ほとんどの集団はニアオセアニア人により確立された基準線水準と一致しますが、一般的にFRO系統より高い割合を有する一部の集団は、トンガ人と共有される過剰なアレルを示します。これらには、150年前頃のエファテ島のイフリア(Ifira)遺跡の1個体や、現代のアネイチュム(Aneityum)島やバンクス諸島やエファテ島やフツナ島やマクラ(Makura)島やトンガや、エファテ島でも高いFRO系統を示すメレの下位集団が含まれます。本論文で新たに報告された古代の個体群では、マンガース遺跡個体群とエレトク島の3個体のうち2額の両方が、ポリネシア人との類似性の強い兆候を有します。
より正確にこのポリネシア人との類似性の起源を決定するために、f4統計(X、トライ人、ポリネシア人1、ポリネシア人2)が用いられました。トンガとサモアの比較では、共有されるアレルに有意な違いは検出されませんでしたが、バヌアツにおけるポリネシア人の影響を受けた多くの集団では、トンガとポリネシア人の外れ値との比較で、やや過剰な共有されるアレルが観察されました。例外の一つは、ペンテコスト(Pentecost)島のナマラム(Namaram)とオントンジャワ(Ontong Java)との間の過剰な関連性でした。しかし、ほとんどの場合、バヌアツ集団におけるポリネシア人関連系統の起源集団は、メラネシアにおける他のポリネシア人外れ値共同体よりも、ポリネシア集団の方とわずかに密接に関連しているようです。
次に、エレトク島およびマンガース遺跡の個体群と他のバヌアツ集団との間で共有される過剰なアレルが検証されました。その結果、いくつかの有意な兆候が検出されました。それは、古代の5個体とエファテ島現代人と、とくにエファテ島のメレ地区の高いFRO系統の現代人下位集団との間、次にエレトク島の2個体(I10968とI10969)とエファテ島イフリア地区の150年前頃の1個体との間、最後に、5個体のエレトク島個体群とマンガース遺跡個体群との間です。フツナ島現代人と共有されるアレルに関する別の統計検定は、アネイチュム島人との強い関係を特定しましたが、エレトク島もしくはマンガース遺跡個体群との特別な関係性は確認されませんでした。また追跡調査分析から、エレトク島の個体(I14493)とマンガース遺跡の個体(I10967)はおそらく2親等の近親者と示唆され、この特別に高いアレル共有を説明し、ロイマタの物語における両遺跡と直接的に関連する口承伝統を確証します。
●混合グラフ分析
混合グラフが作成され、現代のタンナ(Tanna)島およびフツナ島人、エファテ島の600年前頃の1個体(I5259)、エレトク島とマンガース遺跡の個体群、ポリネシア人、多様なニアオセアニア人を含む、複数集団間の関係が同時に調べられました。最終的なモデルでは、ニューギニア集団とソロモン諸島集団とニューブリテン島の2集団と関連する祖先的パプア人系統間の、2回の混合事象が推測されます。そのうち1回は、ニューブリテン島のメラメラ(Melamela)とバヌアツとトンガにおけるパプア人系統を節約的に特徴づけられます。
バヌアツ内では、このモデルはバヌアツ諸島の南部および中央部における別々の2段階の混合史を含みます。現代のフツナ島集団は、タンナ島の個体群(12%のFRO系統と88%のパプア人系統と推定されます)と関連する56%の系統と、ポリネシア人と関連する44%の系統の混合としてモデル化できます。エファテ島では、マンガース遺跡で発見されたものの、必ずしもロイマタ首長の領地遺跡とは関連していない1個体(I5259)が、11%のFRO系統と88%のパプア人系統の混合と推定され、エレトク島とマンガース遺跡の集団は、I5259関連系統63%とポリネシア人関連系統37%の混合としてモデル化できます(全体では33%のFRO系統)。エレトク島およびマンガース遺跡の集団とフツナ島集団を、過剰な(とくにポリネシア人関連ではない)FRO系統を有するとモデル化すると、予測不充分なf統計が残ります。タンナ島個体群とI5259は、真の起源集団の正確な代表ではないかもしれないので、ポリネシア人関連系統の推定割合はわずかに不正確かもしれませんが、地域の遺伝的状況と最終モデルの適合品質の両方に基づく、尤もな代理です。以下、諸集団間の混合を示した本論文の図5です(緑色がFRO系統でその他の色がパプア人系統)。
●まとめ
バヌアツ諸島の人類集団の遺伝的歴史は複雑で、多様な起源を有する複数集団間の相互作用が特徴です。この複雑さは、バヌアツ諸島が1000km以上にわたり、ソロモン諸島の東端に位置する岩礁およびサンタクルーズ諸島からニューカレドニアまでの南西太平洋において重要な相互に見える関連を形成していることを考えると、驚くべきではありません。さらに、現代のバヌアツを特徴づける大きな文化的多様性に照らすと、バヌアツ諸島のさまざまな部分が過去に異なる人口動態を経てきたとしても、驚くことではありません。本論文の結果は、いくつかの未解決の問題に関連する新たな証拠とともに、経時的にバヌアツの遺伝的構成に実質的に寄与した上記の3つの集団移動(M1~M3)に関する理解を深めます。
エファテ島のテオウマ遺跡の新たに報告された4個体が既知のデータに加わり、ラピタ文化関連では、リモートオセアニアの3000~2500年前頃の合計12個体(テオウマ遺跡の8個体、タラシウ遺跡の3個体、マラクラ島の1個体)のゲノムデータが得られ、その全個体はほぼ完全にFRO関連系統を有していました。したがって、将来の標本抽出ではこの時期のより大きな遺伝的多様性が明らかになる可能性も依然としてありますが、現時点での古代DNA研究の結果が支持する仮説は、ラピタ文化複合の拡大をもたらしたリモートオセアニアの最初の人々(上記のM1)は、ほぼアジア東部および南東部の起源を有する集団の子孫だった、というものです。
2500年前頃以後、ラピタ文化期後の標本抽出された個体群はパプア人系統の流入(M2)を示しますが、バヌアツの異なる地域でさまざまな軌跡を伴っています。バヌアツ中央部および南部のこの時期最初の3個体は、本論文のデータセットではFRO系統の割合が最も低く、大きな地域的な遺伝的変化を示します。同じ島々からのもっと後の集団におけるFRO系統の増加は、ラピタ文化期の後の混合の推定年代と組み合わされて、混合はFRO系統とパプア人系統のさまざまな割合を有する集団間でその後に起きた、と示します。バヌアツ北部のマラクラ島における既知の後期ラピタ文化期およびラピタ文化期後(2500~2000年前頃)の個体群は、最近の推定混合年代とともに大きく異なる個体水準での系統割合に反映されているように、そのような混合過程の直接的証拠を提供します。他の古代の個体群とは異なりマラクラ島の個体群は、ラピタ文化集団の創始者から2000年前頃までの1000年間、継続的に居住された1遺跡に由来します。ラピタ文化の要素が、この地域でバヌアツ中央部および南部よりも長く続いた兆候もあります。
古代と現代のデータの再分析は、2500年前頃から現代までのバヌアツで見られるパプア人系統の主要な構成が単一起源だったことを支持し、いくつかの例外のほとんどは、ヨーロッパ人との接触後の移動と関連している可能性があります。とくに、ニアオセアニアからの利用可能な同時代の古代DNAデータはありませんが、この起源集団の位置は、強い現代の地域的な遺伝的構造に基づくと、ニューブリテン島だった可能性が高く、地理的により近いソロモン諸島からの遺伝子流動の孤立した証拠以上のものは検出されません。
バヌアツ全域の経時的なこの相対的な均質性は、後期ラピタ文化期の頃に始まるパプア人系統の流入をもたらしたのは短期間での移住事象だった、という仮説を支持します。ポリネシア人の影響を受けた集団を除いて、バヌアツにおける推定混合年代も、FRO系統とパプア人系統のこの頃の混合を示します。先験的に、最も可能性の高い移動と相互作用は、遠方の島々よりもむしろ、近隣の群島間と予想されます。つまり、ソロモン諸島から岩礁およびサンタクルーズ諸島を経てバヌアツ諸島へと至る経路です。しかし、これは考古学的および言語学的理由でM1には当てはまらないようで、またソロモン諸島を除いて、バヌアツ諸島とニューブリテン島との間の直接的な遺伝的つながりに基づくと、M2にも当てはまらないようです。
遺伝学と考古学両方の結果に照らすと、節約的な説明は、後期ラピタ文化期においてM2が事実上M1の継続だったものの、ほぼ異なる系統を有する移民を含んでいた、というものになるかもしれません。ニューブリテン島とバヌアツとの間の文化的つながりは、バヌアツの最初のラピタ文化期の堆積物におけるニューブリテン島の黒曜石の存在や、このラピタ文化期の最初の段階に続く、食性と埋葬行動と骨格形態の変化や、頭部結合および完全に円形のブタの牙の製作といった、これらの場所に限定された(どの年代までさかのぼるのか不明な)独特の慣行を含みます。また、以前の研究でのより複雑な提案とは異なり、バヌアツに同じニューブリテン島関連起源集団を用いることにより、ポリネシア人で見られるパプア人系統をモデル化でき、両者が移住の同じ段階からおもに派生した可能性が提起されます。しかし、FRO構成と同様に、この系統を有する人々がポリネシアへの経路でバヌアツを通過したのかどうか判断するには、将来の研究を俟たねばなりません。
過去数世紀のエファテ島におけるポリネシア人の文化的影響の考古学的および人類学的証拠と一致して、ロイマタ首長の領地の5個体の分析は、より高いFRO系統の割合の兆候と、混合の比較的最近の年代と、ポリネシア人と共有されるとくに高いアレルにより、ポリネシア人関連系統の流入(M3)を示します。エファテ島のメレ地区の現在のポリネシア人の外れ値共同体や、他の現在および比較的近い過去のエファテ島の個体群も、エレトク島とマンガース遺跡の個体群と共有される系統を示します。バヌアツ南部におけるフツナ島とその近隣諸島のポリネシア人外れ値集団は、ポリネシア人の影響の別の例を表しているかもしれませんが、比較するためのデータが不足しています。したがって、現代のバヌアツ先住集団の系統はおもにバヌアツ諸島の初期の人類史にたどれるものの、後の移住、とくにポリネシア人の移住もまた、現代のバヌアツ諸島集団の遺伝的多様性に寄与しました。以下、諸集団間の混合とその割合を示した本論文の図S5です。
以上、本論文についてざっと見てきました。本論文は、バヌアツ諸島の複雑な人類史を以前よりも詳しく明らかにしましたが、今後の研究によりさらに詳細に解明されることが期待されるとともに、本論文の見解もある程度は修正されていく可能性も想定されます。上記の図4や図S5に関しては、最近の古代DNA研究(関連記事)を踏まえると、現代のオーストロネシア語族の台湾先住民であるタイヤル(Atayal)人も含まれる、FROの主要な祖先系統はアジア東部南方系統に位置づけられます。これは、ユーラシア東部北方系統より派生したアジア東部系統からさらに分岐した系統で、FRO系統の直接的な起源は台湾でしょうが、さらにさかのぼると現代の福建省などアジア東部南方沿岸部地域になりそうです。これは、福建省新石器時代集団の古代DNA研究でも確認されています(関連記事)。アジア東部現代人集団では、同じくアジア東部系統から派生したアジア東部北方系統の方が、アジア東部南方系統よりも遺伝的影響は強くなっています。
一方、バヌアツ諸島の現代人で大きな遺伝的影響を有しているパプア人系統は、ユーラシア東部南方系統に位置づけられます。ユーラシア東部世界は、ユーラシア東部北方系統から派生したアジア東部系統内における南北間の遺伝的構造の違いとともに、それよりも大きな遺伝的違いとして、ユーラシア東部北方系統とユーラシア東部南方系統という南北間の構造も見られ、その複雑な相互作用と混合割合の解明が今後進んでいくのではないか、と期待されます。日本列島の人類集団も、ユーラシア東部北方系統から派生したアジア東部系統内の南北両系統と、ユーラシア東部南方系統との複雑な相互作用により形成された、と考えられます。
参考文献:
Lipson M. et al.(2020): Three Phases of Ancient Migration Shaped the Ancestry of Human Populations in Vanuatu. Current Biology, 30, 24, 4846–4856.E6.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2020.09.035
バヌアツは、リモートオセアニア南部において人類が居住した最初の島嶼集団で、それに続く3000年の重要な地域的交差点になったという意味において、太平洋の移民史における重要な群島です。バヌアツの遺伝的歴史は、定住過程の個体群からのゲノム規模データにより明らかにされてきました(関連記事)。バヌアツへの最初の移民(M1)は、ラピタ文化複合の初期段階と関連しており、オセアニアへのオーストロネシア語族の最初の拡大と関連していた可能性が高そうです。オーストロネシア語族集団は今では、もっと広範に拡大しています。オーストロネシア語族は台湾に起源があり、ほぼ完全なアジア東部関連系統を有しており、「最初のオセアニア人(FRO)」と呼ばれてきました。
対照的に「先住現地バヌアツ人」として識別される現代人を含む後の個体群はおもに、ニューブリテン島起源の可能性が高いパプア人系統を有しており、2800年前頃以後、最後のラピタ文化期もしくはラピタ文化期後にサンタクルーズ諸島とバヌアツへ到達しました。本論文は、ニアオセアニアの現代人集団で見られる系統の大半に寄与した深い祖先的系統を「パプア人」と呼びます。以前の研究では、この2回目の移住(M2)が、短期間に起きたのか、一定以上の時間を要した漸進的な遺伝的交換だったのか、議論になりました(関連記事)。
以前の研究でも、過去1000年に起き、バヌアツにおける「ポリネシア人外れ値」の確立と関連した、第三の異なる移住の波(M3)の詳細な兆候については、言及されたものの深くは扱われませんでした。そうした「ポリネシア人の外れ値」は、ポリネシア人の下位集団の言語が話され、ポリネシア人の物質および非物質文化が見られる島々のことです。バヌアツにおけるポリネシア人の影響は、完全な言語置換を伴わない外れ値共同体に隣接する多くの島々にも拡大しました。しかし、これらのポリネシア人に由来する文化的および言語的変化を伴う人口移動の程度については、ほとんど知られていません。
そうしたポリネシア人影響を受けた島の一つがバヌアツ諸島中央部のエファテで、ポリネシア語話者の2共同体が現在存在しており、一方は小さな沖合の島であるイフィラ(Ifira)、もう一方はバヌアツ諸島南西部の島であるメレ(Mele)です。エファテ島とその隣接するエレトク(Eretok)島およびレレパ(Lelepa)島に位置する「ロイマタ首長の領地」は、口承伝統と1960年代に発掘された壮大な埋葬遺跡との間のつながりに基づいて、2008年にユネスコ世界遺産に登録されました。地元の口承伝統と関連する物質文化の側面のいくつかの異形は、エファテ島および隣接する羊飼い集団の島々におけるロイマタ首長およびその政治的役割についての物語に示されるように、強いポリネシア人の影響を示唆します。エレトク島の埋葬遺跡は、当初紀元後13世紀と考えられていましたが、エレトク島およびロイマタ首長およびその最も密接な従者たちの故地と言われてきたエファテ島のマンガース(Mangaas)村遺跡の放射性炭素年代測定から、今では紀元後1600年頃と推定されています。
ロイマタ首長の領地の歴史、より一般的にはバヌアツにおけるポリネシア人の影響の歴史に関する遺伝的視点を得るため、伝承によるとロイマタが埋葬されたエレトク(レトカもしくはハット)島の3個体と、マンガース村の床下埋葬の2個体がともに、古代DNA分析のために標本抽出されました。また、公開されたデータを補完する、追加の6個体のゲノム規模古代DNAデータが新たに報告されます。このうち4個体はテオウマ遺跡のラピタ文化共同墓地(3000~2750年前頃)から、1個体はタプリンズ(Taplins、メレ)1岩陰から、1個体はバナナ湾から得られました。
これら11個体が、既知のバヌアツの古代人26個体、他の古代オセアニア人8個体、多様な現代人集団と組み合わされ、上記の人類集団の移動(M1・M2・M3)に関する以下の主要な問題に光が当てられました。M1に関しては、テオウマ遺跡のラピタ文化期の埋葬の標本増加は他の遺跡と組み合わされて、以前の報告よりも多様な創始者集団を明らかにしますか?M2に関しては、バヌアツへのパプア人の移住の起源地・年代・期間をよりよく解明できますか?M3に関しては、ロイマタ首長の領地の世界遺産地域内のエレトク島とマンガース村から新たに報告された個体群は、一部の口承伝統と考古学的記録の特徴が示唆するように、ポリネシア人との特別な関連性を示しますか?以下、本論文で取り上げられた島々や遺跡の位置を示した図1です。
●主成分分析
主成分分析(図2)は、PC1軸が最初のリモートオセアニア人(FRO)の相対的比率(左側ほど低く、右側ほど高くなります)、PC2軸がソロモン諸島人(上側)とニューギニア人(下側)との類似性に対応します。ニューブリテン島とバヌアツの現代人集団は、PC2軸に沿って比較的均一な値でクラスタを形成しますが、PC1軸に沿って適度な広がりを形成し、ポリネシア人およびポリネシア人外れ値集団がさらに右側に位置します。古代の個体群はほとんど同じ島の連鎖からの現代人集団と重なりますが、バヌアツのエファテ島のテオウマ遺跡およびトンガのタラシウ(Talasiu)遺跡のラピタ文化関連個体群と、マラクラ(Malakula)島の古代個体群、エレトク島およびエファテ島マンガース遺跡の一部個体群は、さらに右側に位置します。
主成分分析(図2)のバヌアツ内における最大の変異の方向性はほぼ左から右(異なるFROとパプア人の混合比率を反映している可能性が高そうです)で、ニューブリテン島やバヌアツやポリネシアや古代のラピタ文化関連個体群と関連する変異の主要な方向とよく一致します。このパターンは、この拡張された勾配に沿った集団の多くもしくは全てが、異なる割合の系統構成の一対の共有として単純な方向でモデル化できる、という可能性を示唆します。一方は、ニューブリテン島とバヌアツの一部で100%近く見られる系統と関連したパプア人系統により表され、もう一方はラピタ文化関連個体群で100%近く見られる系統と関連するFRO系統により表されます。以下、主成分分析結果を示した図2です。
●明白な混合モデル化
主成分分析の結果に基づいて、qpAdmを用いて候補となる混合モデルが検証されました。以前の研究や本論文の主成分分析(図2)は、ニアオセアニアにおける高度な地域的集団構造を示唆し、それにはニューギニアやニューブリテン島やニューアイルランド島で見られるパプア人系統のほぼ異なるクラスタを伴いますが、ニューアイルランド島など多くの集団は、複数のパプア人系統構成の混合を有するとモデル化できます。以下の分析では、ソロモン諸島とニューブリテン島のクラスタを表すため、それぞれ、ブーゲンビル島の非オーストロネシア語族話者であるナシオイ(Nasioi)人と、ニューブリテン島の非オーストロネシア語族話者であるバイニング(Baining)人がしばしば用いられます。それは、ナシオイ人(20%以下)とバイニング人(5%以下)が、最も低いFRO系統の割合を有している一方で、本論文のデータセットのクラスタから特有の在来パプア人系統の最も高い割合を有しているからです。
古代バヌアツ個体群はほぼ全て、マラブ(Marabu)の下位集団であるバイニング人と、フィリピンのオーストロネシア語族話者であるカンカナイ人(Kankanaey)を用いて、外群集団としてナシオイ人を伴っても、2代理起源集団としてqpAdmでモデル化できます。逆に、バイニング人の代わりにナシオイ人を代理起源集団として用いると、ほとんどのモデルが成功しません。ただ、適合性が低いのは、外群と検証集団もしくは代理起源集団との間の、モデル化されず共有されていない系統に由来するかもしれません。たとえば、古代の個体群にとっての小量の汚染や、外群としてのナシオイ人におけるFRO関連系統が、カンカナイ人におけるFRO関連系統よりも優れた起源集団であるような場合です。ポリネシア人とポリネシア人外れ値にとって、異なる系統間を区別する本論文の能力は、パプア人系統のより低い割合によって制限されますが、代理起源集団としてナシオイ人よりもむしろバイニング人を用いると、より適合した類似の結果が観察されます。以前に報告されたように、ナシオイ人の代わりに一部のニューブリテン島関連系統を有するソロモン諸島集団であるマライタ島人で適合性は改善しますが、バイニング人とよりは悪化し、ほとんどの集団で棄却されます。
qpAdmからの定量的な混合割合の推定(図3)は、主成分分析ともよく一致します。FRO系統の最も低い割合はラピタ文化後の個体群で見られ、エファテ島で0~3.6%、タンナ(Tanna)島で0.6~6.6%です。FRO系統の最も高い割合はラピタ文化関連個体群で見られ、テオウマ遺跡で96.4~99.2%、トンガのタラシウ遺跡で96.4~100%、マラクラ島で87.4~100%です。ロイマタ首長の領地の個体群ではFRO系統の割合は比較的多様で、マンガース遺跡の個体(I10966)では17.3~22.0%、エレトク島の個体(I10969)では38.3~44.2%です。
また、常染色体とX染色体の系統割合の推定を比較し、性的に偏った混合があったのか、検証されました。その結果、性的に偏った兆候が観察され、現代ポリネシア人および古代マラクラ島人で以前報告された事例が確認されました。なお新たに報告された11個体に関しては、ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)では、3000年前頃のテオウマ遺跡の1個体がB4a1a1、2600~2200年前頃のメレの1個体がQ1b、マンガース遺跡では、500~200年前頃の1個体がQ1、180±20年前頃の1個体がQ2a3、エレトク島の500~200年前頃の2個体はB4a1a1とP2、490~310年前頃の1個体はP2、エファテ島のバナナ湾地区の234±19年前頃の1個体はP1d2です。Y染色体ハプログループ(YHg)は、テオウマ遺跡の3000~2750年前頃の2個体がともにO、2600~2200年前頃のメレの1個体とエレトク島の500~200年前頃の1個体とエレトク島の490~310年前頃の1個体とバナナ湾地区の234±19年前頃の1個体は、いずれもC1b2aです。mtHgでもYHgでも、ほぼFRO系統のみからパプア人系統の流入が示唆されます。以下、古代バヌアツ個体群におけるパプア人系統の割合を示した図3です。
●混合年代
以前の研究では、バヌアツの現代人集団の大半は、他のオセアニア人と一致して、平均して2000年前頃を中心とする混合年代を有する、と示されましたが、一部の集団、とくにポリネシア人関連系統を有する集団は、たとえば1075±225年前となるフツナ(Futuna)島のように、より最近の年代を示します。本論文は、MALDERとDATESの両方を用いて、エレトク島とマンガース遺跡の個体群の混合年代を推定し、平均して個体群の約20~30世代前もしくは550~850年前頃、つまり1400~700年前頃と示されました。
この年代範囲は、考古学的証拠に基づく、1000~750年前頃に起きた西進してきたポリネシア人の到来の可能性よりも、やや早くなっています。しかし、ポリネシア人流入の想定では、ポリネシア人と在来集団の両方がすでに混合していたことを考慮すると、予想される平均混合年代は、最近とより古い混合事象の組み合わせを反映しているでしょう。MALDERから混合の複数の波の有意な証拠は検出されませんでしたが、両方の代理起源集団が系統の同じ混合タイプ(パプア人とFRO)を有しているでしょうから、異なる混合事象を解明するのは困難です。それでも、エレトク島とマンガース遺跡の比較的最近の混合年代は、混合割合で観察された不均質性とともに、より最近の混合過程の証拠を提供します。
●パプア人系統とFRO系統の起源
アレル(対立遺伝子)共有対称性検証を通じて、リモートオセアニアにおけるパプア人系統とFRO系統の勾配がより詳しく調べられました。まずf4統計(X、傣人、ナシオイ人、ニューギニア高地人)で、検証対象の集団Xとソロモン諸島およびニューギニアの集団との間で共有される相対的なアレルが検証されました。検証対象の2集団は、パプア人系統の異なる起源集団を有する場合(たとえば、一方はニューブリテン島で、他方がニューギニアやニューアイルランド島やソロモン諸島)、FR系統の割合を補正した後では、異なる値を示すと予想されます。エロマンガ(Erromango)島やテオウマ遺跡やツツバ(Tutuba)島などいくつかの例外を除いて、現代および古代のリモートオセアニア人はひじょうに均一な結果を示し、そのパプア人系統の共通起源と一致します。
パプアニューギニアの祖先の起源が異なる場合(たとえば、1つはニューブリテン島から、もう1つはニューギニア、ニューアイルランド、またはソロモン諸島から)、コプラ(ココヤシを乾燥させたヤシ油や石鹸の原料)の大農園で知られるツツバ島は、おそらく在来バヌアツ人とメラネシアの他地域から到来した大農園労働者間の最近の混合を受けました。エロマンガ島が例外である理由は不明ですが、19世紀に白檀を購入して伐採する集団が多数訪れており、そうした接触の結果として、持ち込まれた疾患により人口減少に悩みました。
ニアオセアニア人の間では、予想されたように、ニューギニアの集団は一般的にリモートオセアニア人の線の下に位置し、ソロモン諸島の集団はその上に位置します。しかし、ニューブリテン島の下位集団はリモートオセアニア人を密接に追っており、(おもに)バヌアツとポリネシアへ寄与したパプア人系統の起源集団の適切な代理を表している、と示唆されます。この結果はqpWaveの使用で確認されました。現代バヌアツ集団は、4系統の起源集団を必要としており、おそらくエロマンガ島やツツバ島のように異なるパプア人系統、もしくは最近の接触に由来する、アジア東部人やヨーロッパ人のような他の系統の小さな割合に起因します。
次に、FRO系統の異なる起源集団の可能性について同様の検証が行なわれました。まずf4統計(X、ニューギニア高地人、テオウマ遺跡個体群、カンカナイ人)で、テオウマ島個体群と現代カンカナイ人への、オセアニア全域のFRO系統の関連性が検証されました。全集団はFRO系統の水準と高度に相関する正の値を示し、この系統がテオウマ遺跡個体群と密接に関連している、と示唆されます。次のf4統計(X、ニューギニア高地人、テオウマ遺跡個体群、タラシウ遺跡個体群)では、FRO系統がラピタ文化関連個体群でもバヌアツとトンガのどちらとより密接に関連しているのか、検証されました。本論文の統計的能力は、このラピタ文化関連2集団間の密接な関係により制限されますが、エファテ島のテオウマ遺跡個体群よりもトンガのタラシウ遺跡個体群の方と、より大きな類似性を示唆する有意な結果が示されました。しかし、わずかな偏差しか観察されません。したがって、標本抽出された古代および現代のオセアニア集団で見つかったFRO系統は、バヌアツとトンガのラピタ文化関連個体群との関係では比較的均一で、わずかにトンガに近いようです。
●ポリネシア人の遺伝的遺産
同様の手法で、f4統計(X、ニューブリテン島のトライ人、カンカナイ人、トンガ人)によりとくにポリネシア人関連系統の存在が検証されました。予想通り、他のポリネシア人はトンガ人と共有されるひじょうに強いアレルを示します。バヌアツ内では、ほとんどの集団はニアオセアニア人により確立された基準線水準と一致しますが、一般的にFRO系統より高い割合を有する一部の集団は、トンガ人と共有される過剰なアレルを示します。これらには、150年前頃のエファテ島のイフリア(Ifira)遺跡の1個体や、現代のアネイチュム(Aneityum)島やバンクス諸島やエファテ島やフツナ島やマクラ(Makura)島やトンガや、エファテ島でも高いFRO系統を示すメレの下位集団が含まれます。本論文で新たに報告された古代の個体群では、マンガース遺跡個体群とエレトク島の3個体のうち2額の両方が、ポリネシア人との類似性の強い兆候を有します。
より正確にこのポリネシア人との類似性の起源を決定するために、f4統計(X、トライ人、ポリネシア人1、ポリネシア人2)が用いられました。トンガとサモアの比較では、共有されるアレルに有意な違いは検出されませんでしたが、バヌアツにおけるポリネシア人の影響を受けた多くの集団では、トンガとポリネシア人の外れ値との比較で、やや過剰な共有されるアレルが観察されました。例外の一つは、ペンテコスト(Pentecost)島のナマラム(Namaram)とオントンジャワ(Ontong Java)との間の過剰な関連性でした。しかし、ほとんどの場合、バヌアツ集団におけるポリネシア人関連系統の起源集団は、メラネシアにおける他のポリネシア人外れ値共同体よりも、ポリネシア集団の方とわずかに密接に関連しているようです。
次に、エレトク島およびマンガース遺跡の個体群と他のバヌアツ集団との間で共有される過剰なアレルが検証されました。その結果、いくつかの有意な兆候が検出されました。それは、古代の5個体とエファテ島現代人と、とくにエファテ島のメレ地区の高いFRO系統の現代人下位集団との間、次にエレトク島の2個体(I10968とI10969)とエファテ島イフリア地区の150年前頃の1個体との間、最後に、5個体のエレトク島個体群とマンガース遺跡個体群との間です。フツナ島現代人と共有されるアレルに関する別の統計検定は、アネイチュム島人との強い関係を特定しましたが、エレトク島もしくはマンガース遺跡個体群との特別な関係性は確認されませんでした。また追跡調査分析から、エレトク島の個体(I14493)とマンガース遺跡の個体(I10967)はおそらく2親等の近親者と示唆され、この特別に高いアレル共有を説明し、ロイマタの物語における両遺跡と直接的に関連する口承伝統を確証します。
●混合グラフ分析
混合グラフが作成され、現代のタンナ(Tanna)島およびフツナ島人、エファテ島の600年前頃の1個体(I5259)、エレトク島とマンガース遺跡の個体群、ポリネシア人、多様なニアオセアニア人を含む、複数集団間の関係が同時に調べられました。最終的なモデルでは、ニューギニア集団とソロモン諸島集団とニューブリテン島の2集団と関連する祖先的パプア人系統間の、2回の混合事象が推測されます。そのうち1回は、ニューブリテン島のメラメラ(Melamela)とバヌアツとトンガにおけるパプア人系統を節約的に特徴づけられます。
バヌアツ内では、このモデルはバヌアツ諸島の南部および中央部における別々の2段階の混合史を含みます。現代のフツナ島集団は、タンナ島の個体群(12%のFRO系統と88%のパプア人系統と推定されます)と関連する56%の系統と、ポリネシア人と関連する44%の系統の混合としてモデル化できます。エファテ島では、マンガース遺跡で発見されたものの、必ずしもロイマタ首長の領地遺跡とは関連していない1個体(I5259)が、11%のFRO系統と88%のパプア人系統の混合と推定され、エレトク島とマンガース遺跡の集団は、I5259関連系統63%とポリネシア人関連系統37%の混合としてモデル化できます(全体では33%のFRO系統)。エレトク島およびマンガース遺跡の集団とフツナ島集団を、過剰な(とくにポリネシア人関連ではない)FRO系統を有するとモデル化すると、予測不充分なf統計が残ります。タンナ島個体群とI5259は、真の起源集団の正確な代表ではないかもしれないので、ポリネシア人関連系統の推定割合はわずかに不正確かもしれませんが、地域の遺伝的状況と最終モデルの適合品質の両方に基づく、尤もな代理です。以下、諸集団間の混合を示した本論文の図5です(緑色がFRO系統でその他の色がパプア人系統)。
●まとめ
バヌアツ諸島の人類集団の遺伝的歴史は複雑で、多様な起源を有する複数集団間の相互作用が特徴です。この複雑さは、バヌアツ諸島が1000km以上にわたり、ソロモン諸島の東端に位置する岩礁およびサンタクルーズ諸島からニューカレドニアまでの南西太平洋において重要な相互に見える関連を形成していることを考えると、驚くべきではありません。さらに、現代のバヌアツを特徴づける大きな文化的多様性に照らすと、バヌアツ諸島のさまざまな部分が過去に異なる人口動態を経てきたとしても、驚くことではありません。本論文の結果は、いくつかの未解決の問題に関連する新たな証拠とともに、経時的にバヌアツの遺伝的構成に実質的に寄与した上記の3つの集団移動(M1~M3)に関する理解を深めます。
エファテ島のテオウマ遺跡の新たに報告された4個体が既知のデータに加わり、ラピタ文化関連では、リモートオセアニアの3000~2500年前頃の合計12個体(テオウマ遺跡の8個体、タラシウ遺跡の3個体、マラクラ島の1個体)のゲノムデータが得られ、その全個体はほぼ完全にFRO関連系統を有していました。したがって、将来の標本抽出ではこの時期のより大きな遺伝的多様性が明らかになる可能性も依然としてありますが、現時点での古代DNA研究の結果が支持する仮説は、ラピタ文化複合の拡大をもたらしたリモートオセアニアの最初の人々(上記のM1)は、ほぼアジア東部および南東部の起源を有する集団の子孫だった、というものです。
2500年前頃以後、ラピタ文化期後の標本抽出された個体群はパプア人系統の流入(M2)を示しますが、バヌアツの異なる地域でさまざまな軌跡を伴っています。バヌアツ中央部および南部のこの時期最初の3個体は、本論文のデータセットではFRO系統の割合が最も低く、大きな地域的な遺伝的変化を示します。同じ島々からのもっと後の集団におけるFRO系統の増加は、ラピタ文化期の後の混合の推定年代と組み合わされて、混合はFRO系統とパプア人系統のさまざまな割合を有する集団間でその後に起きた、と示します。バヌアツ北部のマラクラ島における既知の後期ラピタ文化期およびラピタ文化期後(2500~2000年前頃)の個体群は、最近の推定混合年代とともに大きく異なる個体水準での系統割合に反映されているように、そのような混合過程の直接的証拠を提供します。他の古代の個体群とは異なりマラクラ島の個体群は、ラピタ文化集団の創始者から2000年前頃までの1000年間、継続的に居住された1遺跡に由来します。ラピタ文化の要素が、この地域でバヌアツ中央部および南部よりも長く続いた兆候もあります。
古代と現代のデータの再分析は、2500年前頃から現代までのバヌアツで見られるパプア人系統の主要な構成が単一起源だったことを支持し、いくつかの例外のほとんどは、ヨーロッパ人との接触後の移動と関連している可能性があります。とくに、ニアオセアニアからの利用可能な同時代の古代DNAデータはありませんが、この起源集団の位置は、強い現代の地域的な遺伝的構造に基づくと、ニューブリテン島だった可能性が高く、地理的により近いソロモン諸島からの遺伝子流動の孤立した証拠以上のものは検出されません。
バヌアツ全域の経時的なこの相対的な均質性は、後期ラピタ文化期の頃に始まるパプア人系統の流入をもたらしたのは短期間での移住事象だった、という仮説を支持します。ポリネシア人の影響を受けた集団を除いて、バヌアツにおける推定混合年代も、FRO系統とパプア人系統のこの頃の混合を示します。先験的に、最も可能性の高い移動と相互作用は、遠方の島々よりもむしろ、近隣の群島間と予想されます。つまり、ソロモン諸島から岩礁およびサンタクルーズ諸島を経てバヌアツ諸島へと至る経路です。しかし、これは考古学的および言語学的理由でM1には当てはまらないようで、またソロモン諸島を除いて、バヌアツ諸島とニューブリテン島との間の直接的な遺伝的つながりに基づくと、M2にも当てはまらないようです。
遺伝学と考古学両方の結果に照らすと、節約的な説明は、後期ラピタ文化期においてM2が事実上M1の継続だったものの、ほぼ異なる系統を有する移民を含んでいた、というものになるかもしれません。ニューブリテン島とバヌアツとの間の文化的つながりは、バヌアツの最初のラピタ文化期の堆積物におけるニューブリテン島の黒曜石の存在や、このラピタ文化期の最初の段階に続く、食性と埋葬行動と骨格形態の変化や、頭部結合および完全に円形のブタの牙の製作といった、これらの場所に限定された(どの年代までさかのぼるのか不明な)独特の慣行を含みます。また、以前の研究でのより複雑な提案とは異なり、バヌアツに同じニューブリテン島関連起源集団を用いることにより、ポリネシア人で見られるパプア人系統をモデル化でき、両者が移住の同じ段階からおもに派生した可能性が提起されます。しかし、FRO構成と同様に、この系統を有する人々がポリネシアへの経路でバヌアツを通過したのかどうか判断するには、将来の研究を俟たねばなりません。
過去数世紀のエファテ島におけるポリネシア人の文化的影響の考古学的および人類学的証拠と一致して、ロイマタ首長の領地の5個体の分析は、より高いFRO系統の割合の兆候と、混合の比較的最近の年代と、ポリネシア人と共有されるとくに高いアレルにより、ポリネシア人関連系統の流入(M3)を示します。エファテ島のメレ地区の現在のポリネシア人の外れ値共同体や、他の現在および比較的近い過去のエファテ島の個体群も、エレトク島とマンガース遺跡の個体群と共有される系統を示します。バヌアツ南部におけるフツナ島とその近隣諸島のポリネシア人外れ値集団は、ポリネシア人の影響の別の例を表しているかもしれませんが、比較するためのデータが不足しています。したがって、現代のバヌアツ先住集団の系統はおもにバヌアツ諸島の初期の人類史にたどれるものの、後の移住、とくにポリネシア人の移住もまた、現代のバヌアツ諸島集団の遺伝的多様性に寄与しました。以下、諸集団間の混合とその割合を示した本論文の図S5です。
以上、本論文についてざっと見てきました。本論文は、バヌアツ諸島の複雑な人類史を以前よりも詳しく明らかにしましたが、今後の研究によりさらに詳細に解明されることが期待されるとともに、本論文の見解もある程度は修正されていく可能性も想定されます。上記の図4や図S5に関しては、最近の古代DNA研究(関連記事)を踏まえると、現代のオーストロネシア語族の台湾先住民であるタイヤル(Atayal)人も含まれる、FROの主要な祖先系統はアジア東部南方系統に位置づけられます。これは、ユーラシア東部北方系統より派生したアジア東部系統からさらに分岐した系統で、FRO系統の直接的な起源は台湾でしょうが、さらにさかのぼると現代の福建省などアジア東部南方沿岸部地域になりそうです。これは、福建省新石器時代集団の古代DNA研究でも確認されています(関連記事)。アジア東部現代人集団では、同じくアジア東部系統から派生したアジア東部北方系統の方が、アジア東部南方系統よりも遺伝的影響は強くなっています。
一方、バヌアツ諸島の現代人で大きな遺伝的影響を有しているパプア人系統は、ユーラシア東部南方系統に位置づけられます。ユーラシア東部世界は、ユーラシア東部北方系統から派生したアジア東部系統内における南北間の遺伝的構造の違いとともに、それよりも大きな遺伝的違いとして、ユーラシア東部北方系統とユーラシア東部南方系統という南北間の構造も見られ、その複雑な相互作用と混合割合の解明が今後進んでいくのではないか、と期待されます。日本列島の人類集団も、ユーラシア東部北方系統から派生したアジア東部系統内の南北両系統と、ユーラシア東部南方系統との複雑な相互作用により形成された、と考えられます。
参考文献:
Lipson M. et al.(2020): Three Phases of Ancient Migration Shaped the Ancestry of Human Populations in Vanuatu. Current Biology, 30, 24, 4846–4856.E6.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2020.09.035
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