マウスの性決定遺伝子
マウスの性決定遺伝子に関する研究(Miyawaki et al., 2020)が公表されました。日本語の解説記事もあります。哺乳類には雄と雌の性があります。どのように性が決まるのか、古代ギリシア時代より議論されており、性決定の研究分野は生物学の大きな主題の一つです。哺乳類の性は性染色体の組み合わせで決まる、と知られています。XX型は雌になり、XY型は雄になります。1991年に、Y染色体に存在するSryが性決定遺伝子である、と示されました。つまり、Y染色体を有していれば、Sryが活性化することでその個体は雄になります。Sryが発見されて以降の30年間、Sryは、単一のエキソン(真核生物の遺伝子におけるタンパク質の情報に相当する部分)で構成される遺伝子(単一エキソン遺伝子)であり、たった一種類のタンパク質SRYをコードする、と考えられてきました。これは教科書的事実として認知され、疑問は呈されませんでした。
この研究は、マウスを使った実験で、Sryの新たなエキソンを発見しました。すでにSryが発現する細胞を選択的に集める方法が確立されており、その方法を用いて、Sryが発現する細胞の網羅的遺伝子発現解析(RNA-seq)を行なった結果、Sryの近傍に未知の転写産物が存在する、と明らかになりました。マウスのSry遺伝子座には、Sryを挟んで左右で完全に同じ配列が鏡写しに存在するパリンドローム構造があります。通常の解析方法ではパリンドローム構造に隠されて未知の転写産物は表示されません。パリンドローム構造を想定した解析方法により、はじめて未知の転写産物が描出されます。
次に、転写開始点を網羅的に解析する手法(CAGE-seq)や、転写されたRNAを長い状態のまま網羅的に解析する手法(long-read RNA-seq)など最新の手法を用いて解析した結果、この未知の転写産物がSryの第2のエキソン(隠れエキソン)である、と明らかになりました。この発見により、マウスのSry遺伝子の転写産物には、以前から知られていた単一エキソン型Single- exon type Sry(Sry-S)と、新たに発見されたTwo-exon type Sry(Sry-T)が存在する、と明らかになりました。
次に、Sry-Tの性決定における役割を調べるため、Sryの第2エキソンをゲノム編集により削除したSry-T欠損マウスが作製されました。Sry-T欠損マウスはSry-Sを発現しているにもかかわらず雌に性転換しました。ここからも、Sry-Tは雄への性決定に必須である、と明らかになりました。さらに、新たに発見されたSry-Tとこれまでに知られていたSry-SをXX型のマウスで活性化させると、Sry-Tを活性化させたマウスのみが雌から雄へ性転換しました。以上の実験から、生体では、これまでに知られていたSRY-Sではなく、SRY-Tが性決定因子として働いている、と明らかになりました。
次に、Sry-Sは実験的にマウスを雄化する能力を持つにもかかわらず、生体では雄化できない原因が調べられました。SRY-SとSRY-Tのアミノ酸配列を比べると、後方のアミノ酸配列が異なります。この違いを解析した結果として、デグロン(タンパクのC末端に特定の配列が存在すると、その配列を認識してタンパク質を積極的に分解するシステムが存在し、この特定の配列がデグロン配列で、デグロン配列を持つタンパク質は速やかに分解されます)と呼ばれるタンパク質を分解する配列がSRY-Sにのみ存在する、と明らかになりました。デグロンの最後から2番目のアミノ酸をバリンからプロリンに変えると、デグロンは不活性化されます。
そこで、SRY-Tの欠損に加えてSRY-Sの最後から2番目のアミノ酸をバリンからプロリンに置換したマウスを作製したところ、SRY-Sタンパク質の分解が抑えられ、このマウスは雄になりました。以上の実験から、SRY-Sは自身のデグロン配列によりタンパク質が不安定になり、生体でのオス化能力がないことがわかりました。Sry-Sを用いた過去の実験では、タンパク質の不安定化を補えるほど多くのSry-Sを発現させることにより、雄にすることができた、と考えられます。以上の実験から、生体では、これまでに知られていたSRY-Sではなく、新たに同定されたSRY-Tが真の性決定因子として働いている、と明らかになりました。
これらの発見は、性決定遺伝子の進化においても、新しい知見をもたらしました。Sryが存在するY染色体は進化の過程でどんどん遺伝子を失っている、と知られています。これは、Y染色体以外の染色体は互いに修復が可能な対となる染色体を持っているものの、Y染色体は1本しか存在せず、遺伝子の修復ができないためだと考えられています。このように、哺乳類のY染色体は、さまざまな遺伝子の機能が失われていく危機に直面している、と考えられています。
この研究で見つかったSry-Sのデグロンをコードしている配列も、遺伝子の機能が失われる危機の一つと考えられます。Sryの「隠れエキソン」は、レトロトランスポゾン(ゲノム上に多数存在するレトロウイルス由来の配列)由来の配列で構成されています。これは、レトロトランスポゾン由来の配列がエキソン化することでデグロン配列を回避させた、すなわちSryの機能消失の危機を救った、と考えられます。これはウイルスに由来する配列が宿主の遺伝子を進化させ、その種の存亡の危機を救った可能性を示しており、ウイルスと宿主生物との関係について、改めて考えさせる研究結果となりました。
この研究成果により、生物学の大きな主題の一つである性決定において、鍵となる重要な遺伝子Sryの全体像が解明されました。この発見は、哺乳類の性決定の仕組みの解明と、性決定遺伝子の進化の理解につながると期待されます。今後、他の生物におけるSRY-Tや、SRY-Sのデグロンの存在が検証されていく予定で。また、新学術領域「性スペクトラム」では、生物の性を連続する表現型(スペクトラム)として捉え直し、性に関する様々な現象の統一的な説明に挑戦する試みがなされています(公式サイト)。
この研究成果は、マウスの性スペクトラムを規定する因子の再定義につながりました。これまで築きあげられたSry-Sによる研究成果が見直され、今後はSry-Tをキープレイヤーとした性の仕組みの理解が進む、と期待されます。10数年ほど前、Sryを含むY染色体上の遺伝子は退化の一途を辿り、オスはやがていなくなるだろう、との見解が提示されました(関連記事)。この研究の知見は、雄化に関わる最も重要な遺伝子が現在進行形で進化していることを意味しており、そのような見解に一石を投じます。
参考文献:
Miyawaki S. et al.(2020): The mouse Sry locus harbors a cryptic exon that is essential for male sex determination. Science, 370, 6512, 121–124.
https://doi.org/10.1126/science.abb6430
この研究は、マウスを使った実験で、Sryの新たなエキソンを発見しました。すでにSryが発現する細胞を選択的に集める方法が確立されており、その方法を用いて、Sryが発現する細胞の網羅的遺伝子発現解析(RNA-seq)を行なった結果、Sryの近傍に未知の転写産物が存在する、と明らかになりました。マウスのSry遺伝子座には、Sryを挟んで左右で完全に同じ配列が鏡写しに存在するパリンドローム構造があります。通常の解析方法ではパリンドローム構造に隠されて未知の転写産物は表示されません。パリンドローム構造を想定した解析方法により、はじめて未知の転写産物が描出されます。
次に、転写開始点を網羅的に解析する手法(CAGE-seq)や、転写されたRNAを長い状態のまま網羅的に解析する手法(long-read RNA-seq)など最新の手法を用いて解析した結果、この未知の転写産物がSryの第2のエキソン(隠れエキソン)である、と明らかになりました。この発見により、マウスのSry遺伝子の転写産物には、以前から知られていた単一エキソン型Single- exon type Sry(Sry-S)と、新たに発見されたTwo-exon type Sry(Sry-T)が存在する、と明らかになりました。
次に、Sry-Tの性決定における役割を調べるため、Sryの第2エキソンをゲノム編集により削除したSry-T欠損マウスが作製されました。Sry-T欠損マウスはSry-Sを発現しているにもかかわらず雌に性転換しました。ここからも、Sry-Tは雄への性決定に必須である、と明らかになりました。さらに、新たに発見されたSry-Tとこれまでに知られていたSry-SをXX型のマウスで活性化させると、Sry-Tを活性化させたマウスのみが雌から雄へ性転換しました。以上の実験から、生体では、これまでに知られていたSRY-Sではなく、SRY-Tが性決定因子として働いている、と明らかになりました。
次に、Sry-Sは実験的にマウスを雄化する能力を持つにもかかわらず、生体では雄化できない原因が調べられました。SRY-SとSRY-Tのアミノ酸配列を比べると、後方のアミノ酸配列が異なります。この違いを解析した結果として、デグロン(タンパクのC末端に特定の配列が存在すると、その配列を認識してタンパク質を積極的に分解するシステムが存在し、この特定の配列がデグロン配列で、デグロン配列を持つタンパク質は速やかに分解されます)と呼ばれるタンパク質を分解する配列がSRY-Sにのみ存在する、と明らかになりました。デグロンの最後から2番目のアミノ酸をバリンからプロリンに変えると、デグロンは不活性化されます。
そこで、SRY-Tの欠損に加えてSRY-Sの最後から2番目のアミノ酸をバリンからプロリンに置換したマウスを作製したところ、SRY-Sタンパク質の分解が抑えられ、このマウスは雄になりました。以上の実験から、SRY-Sは自身のデグロン配列によりタンパク質が不安定になり、生体でのオス化能力がないことがわかりました。Sry-Sを用いた過去の実験では、タンパク質の不安定化を補えるほど多くのSry-Sを発現させることにより、雄にすることができた、と考えられます。以上の実験から、生体では、これまでに知られていたSRY-Sではなく、新たに同定されたSRY-Tが真の性決定因子として働いている、と明らかになりました。
これらの発見は、性決定遺伝子の進化においても、新しい知見をもたらしました。Sryが存在するY染色体は進化の過程でどんどん遺伝子を失っている、と知られています。これは、Y染色体以外の染色体は互いに修復が可能な対となる染色体を持っているものの、Y染色体は1本しか存在せず、遺伝子の修復ができないためだと考えられています。このように、哺乳類のY染色体は、さまざまな遺伝子の機能が失われていく危機に直面している、と考えられています。
この研究で見つかったSry-Sのデグロンをコードしている配列も、遺伝子の機能が失われる危機の一つと考えられます。Sryの「隠れエキソン」は、レトロトランスポゾン(ゲノム上に多数存在するレトロウイルス由来の配列)由来の配列で構成されています。これは、レトロトランスポゾン由来の配列がエキソン化することでデグロン配列を回避させた、すなわちSryの機能消失の危機を救った、と考えられます。これはウイルスに由来する配列が宿主の遺伝子を進化させ、その種の存亡の危機を救った可能性を示しており、ウイルスと宿主生物との関係について、改めて考えさせる研究結果となりました。
この研究成果により、生物学の大きな主題の一つである性決定において、鍵となる重要な遺伝子Sryの全体像が解明されました。この発見は、哺乳類の性決定の仕組みの解明と、性決定遺伝子の進化の理解につながると期待されます。今後、他の生物におけるSRY-Tや、SRY-Sのデグロンの存在が検証されていく予定で。また、新学術領域「性スペクトラム」では、生物の性を連続する表現型(スペクトラム)として捉え直し、性に関する様々な現象の統一的な説明に挑戦する試みがなされています(公式サイト)。
この研究成果は、マウスの性スペクトラムを規定する因子の再定義につながりました。これまで築きあげられたSry-Sによる研究成果が見直され、今後はSry-Tをキープレイヤーとした性の仕組みの理解が進む、と期待されます。10数年ほど前、Sryを含むY染色体上の遺伝子は退化の一途を辿り、オスはやがていなくなるだろう、との見解が提示されました(関連記事)。この研究の知見は、雄化に関わる最も重要な遺伝子が現在進行形で進化していることを意味しており、そのような見解に一石を投じます。
参考文献:
Miyawaki S. et al.(2020): The mouse Sry locus harbors a cryptic exon that is essential for male sex determination. Science, 370, 6512, 121–124.
https://doi.org/10.1126/science.abb6430
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