横浜市の称名寺貝塚遺跡の人類遺骸のmtDNA解析
取り上げるのがたいへん遅れてしまいましたが、横浜市の称名寺貝塚遺跡の人類遺骸のmtDNA解析に関する研究(Takahashi et al., 2020)が公表されました。称名寺貝塚遺跡は、縄文時代後期初頭の考古学的指標とされる称名寺式土器で有名です。2017年の発掘では、人類遺骸を伴う25の土坑墓が発見されました。これらの人類遺骸には、年代の指標となる副葬品が共伴していなかったので、全標本で放射性炭素年代測定法が用いられました。ほとんどの人類遺骸の年代は、縄文時代後期初頭となる4000年前頃(以下、紀元後1950年を基準と下較正年代)です。縄文時代遺骸の上で発見された2個体の年代は、それぞれ平安時代と古墳時代開始期(ほぼ弥生時代終末期)でした。
最近の研究では、「縄文人(縄文文化の遺跡で発見された人々)」は現代日本人(おもに本州・四国・九州とその近隣の島々から構成される「本土」個体群)を含むどの既知の古代および現代人集団とも遺伝的にかなり異なる、と明らかにされつつあります(関連記事)。これは、日本「本土」の人類集団において、いつ遺伝的構成の劇的な変化が起きたのか、という問題を提起します。縄文時代と古墳時代と平安時代の人類遺骸が発見されている称名寺貝塚遺跡は、この問題の解明に寄与する手がかりを提供できるかもしれません。そこで本論文は、称名寺貝塚遺跡の人類遺骸の放射性炭素年代測定とミトコンドリアDNA(mtDNA)解析の結果を報告します。
土坑墓13基のうち11基は、4417~3712年前と、縄文時代後期(4420~3400年前頃)の範囲に収まりました。土坑墓1は965~823年前の平安時代(紀元後11世紀初頭)、土坑墓2は1694~1544年前の古墳時代(紀元後3~4世紀後半)と推定されました。mtDNA解析は、土坑墓13基のうち9基で発掘された人類遺骸において成功し、mtDNAハプログループ(mtHg)が決定されました。mtHgは、平安時代個体(土坑墓1)がB5b3a、古墳時代個体(土坑墓2)がB4fです。縄文時代の7個体のmtHgは、土坑墓9がD4b2、土坑墓13がM7a1、土坑墓14がM7a2、土坑墓15がM7a2、土坑墓17がN9b、土坑墓21がN9b、土坑墓23がM7a1です。
古墳時代以前の関東地方の人類のmtDNAデータはまだひじょうに限定的なので、これらのデータは有益です。称名寺貝塚の縄文人のmtHgは、D4b2とM7a1とM7a2とN9bです。土坑墓13と23、土坑墓14と15、土坑墓17と21は同じmtHgなので、共通の母系に属していたかもしれませんが、現時点でのデータからはより詳細な親族関係を推測できません。これら称名寺貝塚の縄文人のmtHgは、すでに他の縄文人でも確認されています。
しかし、称名寺貝塚の平安時代個体(土坑墓1)で確認されたmtHg-B5b3aと、古墳時代個体(土坑墓2)で確認されたmtHg-B4fは、これまで縄文人では確認されていません。少なくとも称名寺貝塚の人類遺骸でmtHgが決定された個体に関しては、縄文時代と古墳時代および平安時代とで、母系ではつながっていないことになります。これは、少なくとも称名寺貝塚遺跡では、古墳時代もしくはその前に、本土日本人の遺伝的移行が起きたことを示唆します。ただ、mtHg-B5b3aおよびB4fは、弥生時代および古墳時代の他遺跡の個体でもまだ確認されていません。そのため、称名寺貝塚遺跡の人類遺骸で確認されたmtHg-B5b3aおよびB4fは、現時点ではそれぞれ日本最古の事例となります。mtHg-B5b3aおよびB4fは現代本土日本人では頻度で、それぞれ0.08%と0.03%です。
本論文の知見は、mtHg-B5b3aおよびB4fが、日本列島の人類集団のmtHgの代表ではないことを示唆します。さらに、これらのmtHgは、縄文時代以来日本列島集団において低頻度で存在している可能性もあります。それは、遺伝的に分析された縄文人の個体数が、稀なmtHgを検出するには充分ではないからです。日本列島でmtHg-B5b3aおよびB4fが出現する時期を明らかにするには、より古い人類遺骸を分析する必要があります。さらに、縄文時代と現代との間の遺伝的移行の可能性を確認するために、称名寺貝塚遺跡個体群の核ゲノム解析も行なう必要があります。
本論文は、同じ遺跡の縄文時代と古墳時代と平安時代の人類遺骸のmtDNA解析結果を報告している点で、たいへん注目されます。本論文が指摘するように、称名寺貝塚遺跡において、縄文時代の7個体と古墳時代および平安時代のそれぞれ1個体とがmtHgでは異なることから、縄文時代と現代との間に起きた、日本列島本土における人類集団の大きな遺伝的構成の変化が、関東地方では古墳時代もしくはその前の弥生時代におきた、と示唆されます。一方で、本論文が指摘するように、mtHg-B5b3aおよびB4fは縄文時代の後に日本列島にアジア東部大陸部から到来した系統ではなく、縄文時代から低頻度で存在し続けた可能性も考えられます。称名寺貝塚遺跡の個体群の核ゲノム解析ではどのような結果が得られるのか、たいへん注目されます。
参考文献:
Takahashi R. et al.(2019): Mitochondrial DNA analysis of the human skeletons excavated from the Shomyoji shell midden site, Kanagawa, Japan. Anthropological Science, 127, 1, 65–72.
https://doi.org/10.1537/ase.190307
最近の研究では、「縄文人(縄文文化の遺跡で発見された人々)」は現代日本人(おもに本州・四国・九州とその近隣の島々から構成される「本土」個体群)を含むどの既知の古代および現代人集団とも遺伝的にかなり異なる、と明らかにされつつあります(関連記事)。これは、日本「本土」の人類集団において、いつ遺伝的構成の劇的な変化が起きたのか、という問題を提起します。縄文時代と古墳時代と平安時代の人類遺骸が発見されている称名寺貝塚遺跡は、この問題の解明に寄与する手がかりを提供できるかもしれません。そこで本論文は、称名寺貝塚遺跡の人類遺骸の放射性炭素年代測定とミトコンドリアDNA(mtDNA)解析の結果を報告します。
土坑墓13基のうち11基は、4417~3712年前と、縄文時代後期(4420~3400年前頃)の範囲に収まりました。土坑墓1は965~823年前の平安時代(紀元後11世紀初頭)、土坑墓2は1694~1544年前の古墳時代(紀元後3~4世紀後半)と推定されました。mtDNA解析は、土坑墓13基のうち9基で発掘された人類遺骸において成功し、mtDNAハプログループ(mtHg)が決定されました。mtHgは、平安時代個体(土坑墓1)がB5b3a、古墳時代個体(土坑墓2)がB4fです。縄文時代の7個体のmtHgは、土坑墓9がD4b2、土坑墓13がM7a1、土坑墓14がM7a2、土坑墓15がM7a2、土坑墓17がN9b、土坑墓21がN9b、土坑墓23がM7a1です。
古墳時代以前の関東地方の人類のmtDNAデータはまだひじょうに限定的なので、これらのデータは有益です。称名寺貝塚の縄文人のmtHgは、D4b2とM7a1とM7a2とN9bです。土坑墓13と23、土坑墓14と15、土坑墓17と21は同じmtHgなので、共通の母系に属していたかもしれませんが、現時点でのデータからはより詳細な親族関係を推測できません。これら称名寺貝塚の縄文人のmtHgは、すでに他の縄文人でも確認されています。
しかし、称名寺貝塚の平安時代個体(土坑墓1)で確認されたmtHg-B5b3aと、古墳時代個体(土坑墓2)で確認されたmtHg-B4fは、これまで縄文人では確認されていません。少なくとも称名寺貝塚の人類遺骸でmtHgが決定された個体に関しては、縄文時代と古墳時代および平安時代とで、母系ではつながっていないことになります。これは、少なくとも称名寺貝塚遺跡では、古墳時代もしくはその前に、本土日本人の遺伝的移行が起きたことを示唆します。ただ、mtHg-B5b3aおよびB4fは、弥生時代および古墳時代の他遺跡の個体でもまだ確認されていません。そのため、称名寺貝塚遺跡の人類遺骸で確認されたmtHg-B5b3aおよびB4fは、現時点ではそれぞれ日本最古の事例となります。mtHg-B5b3aおよびB4fは現代本土日本人では頻度で、それぞれ0.08%と0.03%です。
本論文の知見は、mtHg-B5b3aおよびB4fが、日本列島の人類集団のmtHgの代表ではないことを示唆します。さらに、これらのmtHgは、縄文時代以来日本列島集団において低頻度で存在している可能性もあります。それは、遺伝的に分析された縄文人の個体数が、稀なmtHgを検出するには充分ではないからです。日本列島でmtHg-B5b3aおよびB4fが出現する時期を明らかにするには、より古い人類遺骸を分析する必要があります。さらに、縄文時代と現代との間の遺伝的移行の可能性を確認するために、称名寺貝塚遺跡個体群の核ゲノム解析も行なう必要があります。
本論文は、同じ遺跡の縄文時代と古墳時代と平安時代の人類遺骸のmtDNA解析結果を報告している点で、たいへん注目されます。本論文が指摘するように、称名寺貝塚遺跡において、縄文時代の7個体と古墳時代および平安時代のそれぞれ1個体とがmtHgでは異なることから、縄文時代と現代との間に起きた、日本列島本土における人類集団の大きな遺伝的構成の変化が、関東地方では古墳時代もしくはその前の弥生時代におきた、と示唆されます。一方で、本論文が指摘するように、mtHg-B5b3aおよびB4fは縄文時代の後に日本列島にアジア東部大陸部から到来した系統ではなく、縄文時代から低頻度で存在し続けた可能性も考えられます。称名寺貝塚遺跡の個体群の核ゲノム解析ではどのような結果が得られるのか、たいへん注目されます。
参考文献:
Takahashi R. et al.(2019): Mitochondrial DNA analysis of the human skeletons excavated from the Shomyoji shell midden site, Kanagawa, Japan. Anthropological Science, 127, 1, 65–72.
https://doi.org/10.1537/ase.190307
この記事へのコメント