ユダヤ砂漠南部の上部旧石器時代
ユダヤ砂漠南部の上部旧石器時代に関する研究(Barzilai et al., 2020)が公表されました。ユダヤ砂漠地域の上部旧石器時代は、いくつかの洞窟および岩陰遺跡で知られています。20世紀前半の発掘では、アータバン(Taban)遺跡B層やエルクエルアフマール(Erq el-Ahmar)遺跡F~B層やエルハイム(el-Khiam)遺跡F~E層における上部旧石器時代の痕跡が明らかになりました。これらの遺跡の層序組成と石器群の研究では、ユダヤ砂漠上部旧石器時代の年代文化的6段階が定義されました。
1970年代から1980年代におけるネゲヴおよびシナイ地域の新たな上部旧石器時代遺跡の発見により、レヴァントの上部旧石器時代の地理的分布と文化的用語は再定義されました。したがってレヴァントの上部旧石器時代は、エミリアン(Emirian)やアハマリアン(Ahmarian)やオーリナシアン(Aurignacian)などいくつかの伝統を含んでおり、それらの中には、アハマリアン(関連記事)とオーリナシアンのように同時代のものもあります。
新用語は、ユダヤ砂漠の上部旧石器時代遺跡を新たな文化的分類に組み込み、割り当て直しました。それにも関わらず、ユダヤ砂漠の遺跡の分類された遺物群の中には、いくつかの上部旧石器時代文化に特徴的な技術類型論的要素を含んでいるので、混合されているように見えます。たとえば、オーリナシアンとして提案されたエルクエルアフマールD~B層は、アハマリアンに特徴的な直線石刃を含みます。これは、当時の発掘が詳細に記録されていなかったので、意外ではありません。堆積物は篩にかけられず、計画は一般的で、回収された人工物全てが保管されたわけではありません。さらに、暦年代の欠如と古環境の性質に関する情報不足により、ユダヤ砂漠の遺跡と近隣地域の遺跡との比較、および上部旧石器時代の年代文化系列内にそれらを正確に統合することが困難でした。
ネゲヴとシナイとヨルダン南部の乾燥地域における上部旧石器時代の調査から、エミリアンとアハマリアンの遺跡群の存在が示唆されました。また一部の研究者は石器の特徴に基づいて、この地域におけるアハマリアンの存在も示唆しました。しかし、それらの遺跡には、地中海森林地域のオーリナシアンを特徴づける骨角器や貝殻製ビーズや人工物が欠如していました。その後の包括的な石器研究により、竜骨型掻器(carinated endscraper)や彫器や湾曲石刃や小型石刃など、砂漠の遺跡群におけるオーリナシアン的特徴の存在が確証されました。それでも、技術と年代の違いにより、ネゲヴ地域の遺跡群は、最初「竜骨型インダストリー」と定義され、後には「アルコヴディヴション(Arqov-Divshon)」文化と呼ばれた異なる相に分けられました。アルコヴディヴションは、おもにネゲヴ砂漠に限定された地域的異形と理解されていますが、地溝帯を越えてヨルダン南部まで広がっています。その暦年代は明確ではなく、現在では、ネゲヴ砂漠においてアハマリアンよりも新しいと推定されています。このアルコヴディヴション文化はまだ、ネゲヴ砂漠に地理的に近いにも関わらず、ユダヤ砂漠では特定されていません。
2017年に発見されたナハルラハフ2(Nahal Rahaf 2)は、エルハイム台地から南方に約50kmの、ユダヤ砂漠南部に位置する岩陰遺跡です。ナハルラハフ2遺跡では、上部旧石器時代の燧石製の石器や骨器や木炭が発見され、保存状態は優れています。ナハルラハフ2遺跡の中央発掘区では、8堆積層が確認されました。1~2層は現代、3層は立坑、4層は河川洪水堆積物に覆われた落石、5~8層は上部旧石器時代石器群や動物遺骸や木炭や貝殻を含む考古学的層です。5~8層の石器群は、側面竜骨型からの湾曲石刃の製作により特徴づけられ、掻器や彫器や再加工された小型石刃が一般的です。突き錐やおそらくは角で作られた尖頭器や穿孔された貝殻を含む骨角器は、石器の側で見つかりました、動物遺骸には、この地域に現存しているヤギとガゼルを含まれますが、そうではないウマやシカやレイヨウも含まれます。ヤギは通常、岩の多い崖のような場所に生息しますが、シカは稀ではあるものの、現在では少なくとも25km離れている地中海植生地理地帯に比較的近いことを示します。他の分類群は草原に典型的で、遺跡が使用された少なくとも季節ごとにおそらくは砂漠の高地に存在し、住民により狩猟対象とされました。
上部旧石器時代の遺跡は、おもにユダヤ砂漠北部で知られています。現在まで、ユダヤ砂漠南部の上部旧石器時代遺跡は、エルクエルアフマール遺跡F~E層のようなアハマリアン、およびエルクエルアフマール遺跡D・B層やエルハイム遺跡F層のようなレヴァントオーリナシアン(Levantine Aurignacian)伝統と結びついています。本論文の予備的分析からは、ナハルラハフ2遺跡の物質文化は、アインアケヴ(Ein Aqev)やハーホーレシャー(Har Horesha)遺跡のようなネゲヴ砂漠中央部のアルコヴディヴション文化と特徴を共有しており、おもに側面竜骨型や湾曲小型石刃の存在により証明されます。しかし、ナハルラハフ2遺跡の骨と貝殻の遺物群は、マノット(Manot)洞窟やケバラ(Kebara)洞窟のようなレヴァントオーリナシアン期の地中海性森林地域との関連を示します。将来の発掘では、ユダヤ砂漠の上部旧石器時代と、最終氷期のネゲヴ砂漠中央部および地中海地域との関係をより詳細に定義することが期待されます。
参考文献:
Barzilai O. et al.(2020): The Early Upper Palaeolithic in the south Judean Desert, Israel: preliminary excavation results from Nahal Rahaf 2 rockshelter. Antiquity, 94, 377, e27.
https://doi.org/10.15184/aqy.2020.160
1970年代から1980年代におけるネゲヴおよびシナイ地域の新たな上部旧石器時代遺跡の発見により、レヴァントの上部旧石器時代の地理的分布と文化的用語は再定義されました。したがってレヴァントの上部旧石器時代は、エミリアン(Emirian)やアハマリアン(Ahmarian)やオーリナシアン(Aurignacian)などいくつかの伝統を含んでおり、それらの中には、アハマリアン(関連記事)とオーリナシアンのように同時代のものもあります。
新用語は、ユダヤ砂漠の上部旧石器時代遺跡を新たな文化的分類に組み込み、割り当て直しました。それにも関わらず、ユダヤ砂漠の遺跡の分類された遺物群の中には、いくつかの上部旧石器時代文化に特徴的な技術類型論的要素を含んでいるので、混合されているように見えます。たとえば、オーリナシアンとして提案されたエルクエルアフマールD~B層は、アハマリアンに特徴的な直線石刃を含みます。これは、当時の発掘が詳細に記録されていなかったので、意外ではありません。堆積物は篩にかけられず、計画は一般的で、回収された人工物全てが保管されたわけではありません。さらに、暦年代の欠如と古環境の性質に関する情報不足により、ユダヤ砂漠の遺跡と近隣地域の遺跡との比較、および上部旧石器時代の年代文化系列内にそれらを正確に統合することが困難でした。
ネゲヴとシナイとヨルダン南部の乾燥地域における上部旧石器時代の調査から、エミリアンとアハマリアンの遺跡群の存在が示唆されました。また一部の研究者は石器の特徴に基づいて、この地域におけるアハマリアンの存在も示唆しました。しかし、それらの遺跡には、地中海森林地域のオーリナシアンを特徴づける骨角器や貝殻製ビーズや人工物が欠如していました。その後の包括的な石器研究により、竜骨型掻器(carinated endscraper)や彫器や湾曲石刃や小型石刃など、砂漠の遺跡群におけるオーリナシアン的特徴の存在が確証されました。それでも、技術と年代の違いにより、ネゲヴ地域の遺跡群は、最初「竜骨型インダストリー」と定義され、後には「アルコヴディヴション(Arqov-Divshon)」文化と呼ばれた異なる相に分けられました。アルコヴディヴションは、おもにネゲヴ砂漠に限定された地域的異形と理解されていますが、地溝帯を越えてヨルダン南部まで広がっています。その暦年代は明確ではなく、現在では、ネゲヴ砂漠においてアハマリアンよりも新しいと推定されています。このアルコヴディヴション文化はまだ、ネゲヴ砂漠に地理的に近いにも関わらず、ユダヤ砂漠では特定されていません。
2017年に発見されたナハルラハフ2(Nahal Rahaf 2)は、エルハイム台地から南方に約50kmの、ユダヤ砂漠南部に位置する岩陰遺跡です。ナハルラハフ2遺跡では、上部旧石器時代の燧石製の石器や骨器や木炭が発見され、保存状態は優れています。ナハルラハフ2遺跡の中央発掘区では、8堆積層が確認されました。1~2層は現代、3層は立坑、4層は河川洪水堆積物に覆われた落石、5~8層は上部旧石器時代石器群や動物遺骸や木炭や貝殻を含む考古学的層です。5~8層の石器群は、側面竜骨型からの湾曲石刃の製作により特徴づけられ、掻器や彫器や再加工された小型石刃が一般的です。突き錐やおそらくは角で作られた尖頭器や穿孔された貝殻を含む骨角器は、石器の側で見つかりました、動物遺骸には、この地域に現存しているヤギとガゼルを含まれますが、そうではないウマやシカやレイヨウも含まれます。ヤギは通常、岩の多い崖のような場所に生息しますが、シカは稀ではあるものの、現在では少なくとも25km離れている地中海植生地理地帯に比較的近いことを示します。他の分類群は草原に典型的で、遺跡が使用された少なくとも季節ごとにおそらくは砂漠の高地に存在し、住民により狩猟対象とされました。
上部旧石器時代の遺跡は、おもにユダヤ砂漠北部で知られています。現在まで、ユダヤ砂漠南部の上部旧石器時代遺跡は、エルクエルアフマール遺跡F~E層のようなアハマリアン、およびエルクエルアフマール遺跡D・B層やエルハイム遺跡F層のようなレヴァントオーリナシアン(Levantine Aurignacian)伝統と結びついています。本論文の予備的分析からは、ナハルラハフ2遺跡の物質文化は、アインアケヴ(Ein Aqev)やハーホーレシャー(Har Horesha)遺跡のようなネゲヴ砂漠中央部のアルコヴディヴション文化と特徴を共有しており、おもに側面竜骨型や湾曲小型石刃の存在により証明されます。しかし、ナハルラハフ2遺跡の骨と貝殻の遺物群は、マノット(Manot)洞窟やケバラ(Kebara)洞窟のようなレヴァントオーリナシアン期の地中海性森林地域との関連を示します。将来の発掘では、ユダヤ砂漠の上部旧石器時代と、最終氷期のネゲヴ砂漠中央部および地中海地域との関係をより詳細に定義することが期待されます。
参考文献:
Barzilai O. et al.(2020): The Early Upper Palaeolithic in the south Judean Desert, Israel: preliminary excavation results from Nahal Rahaf 2 rockshelter. Antiquity, 94, 377, e27.
https://doi.org/10.15184/aqy.2020.160
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