エイズウイルスの異種間伝播
エイズウイルスの異種間伝播に関する研究(Nakano et al., 2020)が公表されました。日本語の解説記事もあります。レトロウイルス科レンチウイルス属のエイズウイルスは、後天性免疫不全症候群(エイズ)の原因となり、ヒト免疫不全ウイルス(human immunodeficiency virus、略してHIV)と呼ばれます。ウイルスが異なる種の宿主に感染する(異種間伝播)には、さまざまな障壁を乗り越える必要があります。ウイルスはまず、元の宿主から新たな宿主へと「暴露(spillover)」される必要があります。次に、ウイルスは新たな宿主で複製する中で、新しい宿主の中で複製するために有利になる変異を獲得して、新たな宿主の個体の中で伝播し、新たなウイルスとして適応進化します。
しかし、ウイルスが異なる種の宿主に適応進化し、異種間伝播を達成するためには、「種の壁(species barrier)」を乗り越える必要があります。哺乳類は宿主の「種の壁」の一つとして、ウイルス複製を阻害する「内因性免疫(intrinsic immunity)」を進化的に獲得してきた、と知られています。内因性免疫は、哺乳類が進化する過程において、ウイルスなどの外来の病原体から生体を守るために獲得した防御機構で、レンチウイルス(レトロウイルス科レンチウイルス属に属するウイルスの総称で、ヒトではHIVが、チンパンジーではSIVcpzが、ゴリラではSIVgorが分離・同定されており、ネコやウシやウマなどでも病原性ウイルスとしてレンチウイルスが分離・同定されています)の感染を防御する因子として、APOBEC3Gやtetherinなどの細胞性タンパク質が同定されています。
エイズウイルスはじめとするレンチウイルスの感染を阻害する内因性免疫の一つとして、細胞性シチジン脱アミノ化酵素であるAPOBEC3G(霊長類が有する内因性免疫の一つであるシチジン脱アミノ化酵素で、放出されるレンチウイルスの粒子に取り込まれ、新規感染細胞で合成されるウイルスゲノムに変異を挿入することにより、レンチウイルスの複製を強力に抑制する機能を有します)が知られています。ウイルス感染細胞に発現するAPOBEC3Gは、放出されるウイルス粒子に取り込まれ、新規感染細胞で合成されるウイルスゲノムに変異を挿入することにより、ウイルスの複製を強力に抑制します。
一方、多くのレンチウイルスは、viral infectivity factor(Vif)(注8)というウイルスタンパク質を保有しています。Vifは、エイズウイルスをはじめとするほとんどのレンチウイルスがもつウイルスタンパク質の一つで、細胞のユビキチン・プロテアソーム系を動員することにより、感染細胞で発現するAPOBEC3Gタンパク質を分解して、APOBEC3Gによるウイルス複製阻害機能を拮抗阻害します。レンチウイルスのVifと宿主のAPOBEC3Gの相互作用は、種特異性が極めて高い、と知られています。すなわち、レンチウイルスが新たな宿主へと異種間伝播するためには、APOBEC3Gという「種の壁」を乗り越える必要があります。
分子系統学とウイルス分離場所の地理情報の統合解析(系統地理学的解析、biogeography)から、エイズウイルスは、約100年前に中央アフリカで誕生した、と推察されています。エイズウイルスは系統学的に、グループM(major)、N(non-M-non-O)、O(outlier)、Pの4つの集団に分類されます。また、分子系統学的解析から、グループMとNのエイズウイルスはチンパンジーのレンチウイルスSIVcpzが、グループOとPのエイズウイルスはゴリラのレンチウイルスSIVgorが、それぞれヒトへと異種間伝播することで誕生した、と示唆されています。また、ゴリラのレンチウイルスSIVgorも、チンパンジーのレンチウイルスSIVcpzが、ゴリラへと異種間伝播することで誕生した、と推察されています。
このように、ウイルスの配列情報を用いた分子系統学的解析により、エイズウイルスの誕生につながる、類人猿の中でのレンチウイルスの異種間伝播の経路については詳細が明らかとなっています。しかし、それぞれのレンチウイルスがどのようにして新しい宿主の「種の壁」を乗り越え、新しいレンチウイルス(ヒトにとってのエイズウイルス)へと適応進化したのか、その分子メカニズムについてはほとんど明らかとなっていませんでした。
興味深いことに、チンパンジーのレンチウイルスSIVcpzのVifタンパク質は、ゴリラの内因性免疫APOBEC3Gを拮抗阻害できない、と知られていました。一方、ゴリラのレンチウイルスSIVgorのVifタンパク質は、ゴリラのAPOBEC3Gを拮抗阻害することができます。これらの事実は、ゴリラの内因性免疫APOBEC3Gが、チンパンジーからゴリラへのSIVcpzの異種間伝播を妨げる「種の壁」となっていること、また、SIVcpzのVifタンパク質は、ゴリラのAPOBEC3Gを拮抗阻害する機能を獲得することにより、SIVgorとして適応進化した、と推察されます。しかし、ウイルス種間でのvif遺伝子の配列相同性はきわめて低く、SIVcpz Vifがどのような変異を獲得することによってゴリラのAPOBEC3Gを拮抗阻害する機能を獲得したのかは明らかとなっていませんでした。
この研究は、分子系統学情報とウイルス配列情報に基づいたさまざまなVifタンパク質変異体を作出し、ウイルス学と細胞生物学に基づく詳細な分子スクリーニング実験を行ないました。その結果、M16Eというたった一つのアミノ酸変異により、ゴリラのAPOBEC3Gを拮抗阻害する機能が獲得される、と明らかになりました。すなわち、チンパンジーのレンチウイルスSIVcpzは、Vifタンパク質のM16Eという変異を獲得することにより、ゴリラの内因性免疫APOBEC3Gという「種の壁」を乗り越え、SIVgorという新しいレンチウイルスへと適応進化した、というわけです。
この研究は、実世界で起こったレンチウイルスの種間伝播の原理を、分子系統学と実験ウイルス学の学際融合研究により解明した初めての成果です。チンパンジーのウイルスSIVcpzを祖先とするグループMのエイズウイルスは、誕生から現在に至るまで全世界で流行し、7000万人以上の感染者を生み出しているのに対して、ゴリラのウイルスSIVgorを祖先とするグループOのエイズウイルスは、アフリカで限局的に流行し、感染者数も数十万人に留まっています。この研究の成果とこれらの事実から、レンチウイルスがゴリラを経由することにより独自の進化を遂げ、ヒトへの異種間伝播にも影響を与えた、と示唆されます。今後の研究により、レンチウイルスの異種間伝播の分子メカニズムと、「種の壁」としてのヒトの内因性免疫の解明が期待されます。
参考文献:
Nakano Y, Yamamoto K, Ueda MT, Soper A, Konno Y, Kimura I, et al. (2020) A role for gorilla APOBEC3G in shaping lentivirus evolution including transmission to humans. PLoS Pathog 16(9): e1008812.
https://doi.org/10.1371/journal.ppat.1008812
しかし、ウイルスが異なる種の宿主に適応進化し、異種間伝播を達成するためには、「種の壁(species barrier)」を乗り越える必要があります。哺乳類は宿主の「種の壁」の一つとして、ウイルス複製を阻害する「内因性免疫(intrinsic immunity)」を進化的に獲得してきた、と知られています。内因性免疫は、哺乳類が進化する過程において、ウイルスなどの外来の病原体から生体を守るために獲得した防御機構で、レンチウイルス(レトロウイルス科レンチウイルス属に属するウイルスの総称で、ヒトではHIVが、チンパンジーではSIVcpzが、ゴリラではSIVgorが分離・同定されており、ネコやウシやウマなどでも病原性ウイルスとしてレンチウイルスが分離・同定されています)の感染を防御する因子として、APOBEC3Gやtetherinなどの細胞性タンパク質が同定されています。
エイズウイルスはじめとするレンチウイルスの感染を阻害する内因性免疫の一つとして、細胞性シチジン脱アミノ化酵素であるAPOBEC3G(霊長類が有する内因性免疫の一つであるシチジン脱アミノ化酵素で、放出されるレンチウイルスの粒子に取り込まれ、新規感染細胞で合成されるウイルスゲノムに変異を挿入することにより、レンチウイルスの複製を強力に抑制する機能を有します)が知られています。ウイルス感染細胞に発現するAPOBEC3Gは、放出されるウイルス粒子に取り込まれ、新規感染細胞で合成されるウイルスゲノムに変異を挿入することにより、ウイルスの複製を強力に抑制します。
一方、多くのレンチウイルスは、viral infectivity factor(Vif)(注8)というウイルスタンパク質を保有しています。Vifは、エイズウイルスをはじめとするほとんどのレンチウイルスがもつウイルスタンパク質の一つで、細胞のユビキチン・プロテアソーム系を動員することにより、感染細胞で発現するAPOBEC3Gタンパク質を分解して、APOBEC3Gによるウイルス複製阻害機能を拮抗阻害します。レンチウイルスのVifと宿主のAPOBEC3Gの相互作用は、種特異性が極めて高い、と知られています。すなわち、レンチウイルスが新たな宿主へと異種間伝播するためには、APOBEC3Gという「種の壁」を乗り越える必要があります。
分子系統学とウイルス分離場所の地理情報の統合解析(系統地理学的解析、biogeography)から、エイズウイルスは、約100年前に中央アフリカで誕生した、と推察されています。エイズウイルスは系統学的に、グループM(major)、N(non-M-non-O)、O(outlier)、Pの4つの集団に分類されます。また、分子系統学的解析から、グループMとNのエイズウイルスはチンパンジーのレンチウイルスSIVcpzが、グループOとPのエイズウイルスはゴリラのレンチウイルスSIVgorが、それぞれヒトへと異種間伝播することで誕生した、と示唆されています。また、ゴリラのレンチウイルスSIVgorも、チンパンジーのレンチウイルスSIVcpzが、ゴリラへと異種間伝播することで誕生した、と推察されています。
このように、ウイルスの配列情報を用いた分子系統学的解析により、エイズウイルスの誕生につながる、類人猿の中でのレンチウイルスの異種間伝播の経路については詳細が明らかとなっています。しかし、それぞれのレンチウイルスがどのようにして新しい宿主の「種の壁」を乗り越え、新しいレンチウイルス(ヒトにとってのエイズウイルス)へと適応進化したのか、その分子メカニズムについてはほとんど明らかとなっていませんでした。
興味深いことに、チンパンジーのレンチウイルスSIVcpzのVifタンパク質は、ゴリラの内因性免疫APOBEC3Gを拮抗阻害できない、と知られていました。一方、ゴリラのレンチウイルスSIVgorのVifタンパク質は、ゴリラのAPOBEC3Gを拮抗阻害することができます。これらの事実は、ゴリラの内因性免疫APOBEC3Gが、チンパンジーからゴリラへのSIVcpzの異種間伝播を妨げる「種の壁」となっていること、また、SIVcpzのVifタンパク質は、ゴリラのAPOBEC3Gを拮抗阻害する機能を獲得することにより、SIVgorとして適応進化した、と推察されます。しかし、ウイルス種間でのvif遺伝子の配列相同性はきわめて低く、SIVcpz Vifがどのような変異を獲得することによってゴリラのAPOBEC3Gを拮抗阻害する機能を獲得したのかは明らかとなっていませんでした。
この研究は、分子系統学情報とウイルス配列情報に基づいたさまざまなVifタンパク質変異体を作出し、ウイルス学と細胞生物学に基づく詳細な分子スクリーニング実験を行ないました。その結果、M16Eというたった一つのアミノ酸変異により、ゴリラのAPOBEC3Gを拮抗阻害する機能が獲得される、と明らかになりました。すなわち、チンパンジーのレンチウイルスSIVcpzは、Vifタンパク質のM16Eという変異を獲得することにより、ゴリラの内因性免疫APOBEC3Gという「種の壁」を乗り越え、SIVgorという新しいレンチウイルスへと適応進化した、というわけです。
この研究は、実世界で起こったレンチウイルスの種間伝播の原理を、分子系統学と実験ウイルス学の学際融合研究により解明した初めての成果です。チンパンジーのウイルスSIVcpzを祖先とするグループMのエイズウイルスは、誕生から現在に至るまで全世界で流行し、7000万人以上の感染者を生み出しているのに対して、ゴリラのウイルスSIVgorを祖先とするグループOのエイズウイルスは、アフリカで限局的に流行し、感染者数も数十万人に留まっています。この研究の成果とこれらの事実から、レンチウイルスがゴリラを経由することにより独自の進化を遂げ、ヒトへの異種間伝播にも影響を与えた、と示唆されます。今後の研究により、レンチウイルスの異種間伝播の分子メカニズムと、「種の壁」としてのヒトの内因性免疫の解明が期待されます。
参考文献:
Nakano Y, Yamamoto K, Ueda MT, Soper A, Konno Y, Kimura I, et al. (2020) A role for gorilla APOBEC3G in shaping lentivirus evolution including transmission to humans. PLoS Pathog 16(9): e1008812.
https://doi.org/10.1371/journal.ppat.1008812
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