大河ドラマ『麒麟がくる』第25回「羽運を運ぶ蟻」
1566年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)、覚慶(足利義昭)は還俗しますが、越前には入れません。足利義栄が将軍に任ぜられるのではないか、と焦る細川藤孝は朝倉義景に面会に行きますが、会えませんでした。1567年、織田信長は美濃を平定し、藤田伝吾からの手紙により、光秀たちも安心して美濃に帰れると分かり、光秀は母とともに美濃に一時的に帰国しますが、まだ流浪の身である自分に忸怩たる思いがあることを母に打ち明けます。
光秀は稲葉山(岐阜)城で稲葉良通(一鉄)と再会します。信長と面会した光秀は、信長から自分に仕官するよう誘われたものの断り、足利義輝殺害後どうすればよいか悩んでいる、と答えます。信長も、自分が今後どうすべきか悩んでいる、と光秀に打ち明けますが、同時に、戦は嫌いではない、皆に喜ばれるのが好きなので、そのような戦をしたいが、周囲には敵も多く、どこを攻めればよいのか悩んでいると光秀に尋ね、光秀は信長に上洛して大きな国を作るよう勧めます。しかし、次の将軍に擁立すべき義昭の器量を問われた光秀は返答に窮します。光秀が越前に戻ると、細川藤孝と足利義昭が光秀邸を訪れていました。義昭は、助けがあれば将軍を務められ、一人の僧侶としてよりも貧しい人々を救える、と光秀に打ち明け、義景への助力働きかけを光秀に依頼します。光秀は義昭の器量を見直し、義景に義昭を推戴するよう、進言します。松永久秀からも義昭支援を依頼されていた義景は、義昭を受け入れると決断します。しかし、光秀は息子が飼っていた鼠を探すために大事な話を中断する義景を見て、改めて義景の器量に不安を抱いたようです。
今回は、今後の展開、さらには本能寺の変へと至る光秀と信長との関係で、ひじょうに重要と思われるやり取りが描かれました。本作の信長は、子供の頃に母親から愛されず、愛情を求める人物として描かれてきました。その意味で、皆に喜ばれるために戦をする、という信長の行動原理はよく分かります。さらに、斎藤道三から光秀への遺言とも考えられる「大きな国」を伝えられた信長は、まだ漠然としているとはいえ、遠い将来の目標を見つけたようにも思います。あるいは、信長の征服戦争がいつまでも続きそうだと悟った光秀が、それを阻止するため本能寺の変を起こした、という話になるのかもしれません(非道阻止説)。
光秀は稲葉山(岐阜)城で稲葉良通(一鉄)と再会します。信長と面会した光秀は、信長から自分に仕官するよう誘われたものの断り、足利義輝殺害後どうすればよいか悩んでいる、と答えます。信長も、自分が今後どうすべきか悩んでいる、と光秀に打ち明けますが、同時に、戦は嫌いではない、皆に喜ばれるのが好きなので、そのような戦をしたいが、周囲には敵も多く、どこを攻めればよいのか悩んでいると光秀に尋ね、光秀は信長に上洛して大きな国を作るよう勧めます。しかし、次の将軍に擁立すべき義昭の器量を問われた光秀は返答に窮します。光秀が越前に戻ると、細川藤孝と足利義昭が光秀邸を訪れていました。義昭は、助けがあれば将軍を務められ、一人の僧侶としてよりも貧しい人々を救える、と光秀に打ち明け、義景への助力働きかけを光秀に依頼します。光秀は義昭の器量を見直し、義景に義昭を推戴するよう、進言します。松永久秀からも義昭支援を依頼されていた義景は、義昭を受け入れると決断します。しかし、光秀は息子が飼っていた鼠を探すために大事な話を中断する義景を見て、改めて義景の器量に不安を抱いたようです。
今回は、今後の展開、さらには本能寺の変へと至る光秀と信長との関係で、ひじょうに重要と思われるやり取りが描かれました。本作の信長は、子供の頃に母親から愛されず、愛情を求める人物として描かれてきました。その意味で、皆に喜ばれるために戦をする、という信長の行動原理はよく分かります。さらに、斎藤道三から光秀への遺言とも考えられる「大きな国」を伝えられた信長は、まだ漠然としているとはいえ、遠い将来の目標を見つけたようにも思います。あるいは、信長の征服戦争がいつまでも続きそうだと悟った光秀が、それを阻止するため本能寺の変を起こした、という話になるのかもしれません(非道阻止説)。
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