放射性炭素年代測定法の新たな較正曲線
放射性炭素年代測定法の新たな較正曲線に関する研究(Bard et al., 2020)が公表されました。これに関しては日本語の解説記事もあります。放射性炭素年代測定法は過去55000年の年代測定で最も広く使用されています。しかし、大気中の炭素14含有量は一定ではないため、放射性炭素年代測定法による値を暦年代に較正しなければいけません。また、海洋は炭素を大量に吸収するため、海洋面積が広い南半球の方が北半球より大気中炭素14濃度が低く、海中の炭素はより長い時間をかけて循環するため、その炭素14年代は大気中のものより数百年古いなど、事態はさらに複雑です。
そのため、放射性炭素年代測定法では、北半球用の「IntCal」、南半球用の「SHCal」、海洋用の「Marine」と領域ごとに異なる3つの較正曲線が用意されています。最近まで、そのための較正曲線としてIntCal13が用いられていましたが、今回、IntCal20、SHCal20、Marine20に改訂されました。この改訂により、較正の適用限界は55000年前まで延長されます。ほとんどの場合、再較正により変化する年代の幅はわずかですが、事象の年代を狭い時間枠内に特定しようとする考古学者や古生態学者にとっては、微小な調整も大きな違いとなり得るので、たいへん重要な改訂となります。
本論文では、具体的な成果として、ヨーロッパを中心としてユーラシアの48000~40000年前頃の著名な人類遺跡の年代が提示されています。この期間は、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)から現生人類(Homo sapiens)への置換が起きたことから、とくに注目されています。ヨーロッパで最古の現生人類遺骸はブルガリアのバチョキロ洞窟(Bacho Kiro Cave)で4個発見されており、その較正年代は46790~42810年前とされました(関連記事)。本論文はこの4個のIntCal20による較正年代を報告しており、最古のものが45120(45430~44640)年前、最新のものが43110(43240~42700)年前と推定されています。
一方、ヨーロッパのネアンデルタール人遺骸で最新の年代となるのは、フランスのサンセザール(Saint-Césaire)遺跡で発見された個体で、IntCal20では41160(41860~40690)年前と推定されています。その次に新しいネアンデルタール人遺骸はベルギーのスピ(Spy)洞窟で発見されており、IntCal20では41280(41750~40930)年前と推定されています。本論文は、ヨーロッパにおけるネアンデルタール人と現生人類との共存期間が、IntCal13では5000±860年、IntCal20では3960±710年であることを報告しており、IntCal20では両者の共存期間がより絞り込めています。ただ本論文は、両者の文化的および遺伝的交換の可能性を調べるには、両集団の隣接する遺跡が対象とされねばならない、とも指摘しています。
その他の注目される個体では、4~6代前にネアンデルタール人がいると推定されている、ルーマニア南西部の「骨の洞窟(Peştera cu Oase)」で発見された現生人類遺骸(関連記事)が、IntCal20では39980(41180~39190)年前と推定されています。1世代20~30年とすると、サンセザール遺跡のネアンデルタール人より1000年ほど新しく、少なくともこの頃までヨーロッパにはネアンデルタール人が存在したのかもしれません。もっとも、骨の洞窟の現生人類の祖先がヨーロッパでネアンデルタール人と交雑したとは限らないので、他地域かもしれませんが。
シベリア西部のウスチイシム(Ust'-Ishim)近郊のイルティシ川(Irtysh River)の土手で発見された人類遺骸は、現時点ではシベリアで最古の現生人類となり、またDNAが解析された現生人類としても最古となります(関連記事)。ウスチイシム個体は、IntCal20では44380(44970~43340)年前と推定されています。アジア東部でDNAが解析された最古の現生人類個体は北京の南西56kmにある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見されましたが(関連記事)、IntCal20では39560(40330~39130)年前と推定されています。IntCal20により、ネアンデルタール人の絶滅と現生人類のユーラシアにおける拡散に関して、さらに精緻な検証が可能になるでしょうから、今後の研究が大いに期待されます。
参考文献:
Bard E. et al.(2020): Extended dilation of the radiocarbon time scale between 40,000 and 48,000 y BP and the overlap between Neanderthals and Homo sapiens. PNAS, 117, 35, 21005–21007.
https://doi.org/10.1073/pnas.2012307117
そのため、放射性炭素年代測定法では、北半球用の「IntCal」、南半球用の「SHCal」、海洋用の「Marine」と領域ごとに異なる3つの較正曲線が用意されています。最近まで、そのための較正曲線としてIntCal13が用いられていましたが、今回、IntCal20、SHCal20、Marine20に改訂されました。この改訂により、較正の適用限界は55000年前まで延長されます。ほとんどの場合、再較正により変化する年代の幅はわずかですが、事象の年代を狭い時間枠内に特定しようとする考古学者や古生態学者にとっては、微小な調整も大きな違いとなり得るので、たいへん重要な改訂となります。
本論文では、具体的な成果として、ヨーロッパを中心としてユーラシアの48000~40000年前頃の著名な人類遺跡の年代が提示されています。この期間は、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)から現生人類(Homo sapiens)への置換が起きたことから、とくに注目されています。ヨーロッパで最古の現生人類遺骸はブルガリアのバチョキロ洞窟(Bacho Kiro Cave)で4個発見されており、その較正年代は46790~42810年前とされました(関連記事)。本論文はこの4個のIntCal20による較正年代を報告しており、最古のものが45120(45430~44640)年前、最新のものが43110(43240~42700)年前と推定されています。
一方、ヨーロッパのネアンデルタール人遺骸で最新の年代となるのは、フランスのサンセザール(Saint-Césaire)遺跡で発見された個体で、IntCal20では41160(41860~40690)年前と推定されています。その次に新しいネアンデルタール人遺骸はベルギーのスピ(Spy)洞窟で発見されており、IntCal20では41280(41750~40930)年前と推定されています。本論文は、ヨーロッパにおけるネアンデルタール人と現生人類との共存期間が、IntCal13では5000±860年、IntCal20では3960±710年であることを報告しており、IntCal20では両者の共存期間がより絞り込めています。ただ本論文は、両者の文化的および遺伝的交換の可能性を調べるには、両集団の隣接する遺跡が対象とされねばならない、とも指摘しています。
その他の注目される個体では、4~6代前にネアンデルタール人がいると推定されている、ルーマニア南西部の「骨の洞窟(Peştera cu Oase)」で発見された現生人類遺骸(関連記事)が、IntCal20では39980(41180~39190)年前と推定されています。1世代20~30年とすると、サンセザール遺跡のネアンデルタール人より1000年ほど新しく、少なくともこの頃までヨーロッパにはネアンデルタール人が存在したのかもしれません。もっとも、骨の洞窟の現生人類の祖先がヨーロッパでネアンデルタール人と交雑したとは限らないので、他地域かもしれませんが。
シベリア西部のウスチイシム(Ust'-Ishim)近郊のイルティシ川(Irtysh River)の土手で発見された人類遺骸は、現時点ではシベリアで最古の現生人類となり、またDNAが解析された現生人類としても最古となります(関連記事)。ウスチイシム個体は、IntCal20では44380(44970~43340)年前と推定されています。アジア東部でDNAが解析された最古の現生人類個体は北京の南西56kmにある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見されましたが(関連記事)、IntCal20では39560(40330~39130)年前と推定されています。IntCal20により、ネアンデルタール人の絶滅と現生人類のユーラシアにおける拡散に関して、さらに精緻な検証が可能になるでしょうから、今後の研究が大いに期待されます。
参考文献:
Bard E. et al.(2020): Extended dilation of the radiocarbon time scale between 40,000 and 48,000 y BP and the overlap between Neanderthals and Homo sapiens. PNAS, 117, 35, 21005–21007.
https://doi.org/10.1073/pnas.2012307117
この記事へのコメント
田园の方は昔内陸部にも広がっていたパプア系だと思います。チベットもこれらの名残かと。
これだけ見ると北方ルートつい考えてしまいますね。ただ当時Pすらいなかったとしたら、どういうルートなのか?でN2や後のフィンウゴル系の拡散のルートの可能性もないとは言えません。
ただそれを言うと今度は私が北方ルート否定に意固地になってるように見えなくもないので、本当に厄介な人骨ですね。
私が考えるところ、北方系の分岐は、逆に南から北上したときに生じたと見てるんですよ。今のアムール集団などと中国南北集団の分布を見ればそう見えるからです。
北から南下によって分岐したのではなく、南から北上によって分岐したと見ています。スンダランドが一番古くて、中国南部に残ったものが新しく分岐したものになったかと。
南部は何かしらの事情で、古い集団が消えてしまったのじゃないかと。一部の集団だけが拡大しがちだったという事かと。
K、NOなどと共に新アジア集団としてヒマラヤ南麓ルートで拡大して、東南アジアで分岐したか?または、先行集団じゃなかったのか?と見ています。どちらにしろ、系統が後の中国集団と近く古層であるアジア東南部系とは遠かったと見ています。
どう考えても北から南下の方がすっきりするのですが、Y染色体だけじゃなくて、mtDNAも現代集団のハプロの関係は海岸ルート北上を示してるからです。
田园個体はユーラシア東部北方系統に位置づけられており、そこから早期に分布した、おそらく現代にはほとんど遺伝的影響を残していない系統とされています。ユーラシア東部北方系統から分岐したアジア東部系統が、アジア東部現代人集団の主要な祖先と考えられます。
現代チベット人も基本的にはユーラシア東部北方系統から派生したアジア東部系統ですが、その「古層」は現代人ではパプア人やアンダマン諸島人などが分類されるユーラシア東部南方系統で、現代日本人も含めてYHg-Dはこのユーラシア東部南方系に由来すると推測されます。
ユーラシア東部北方系がどのような経路で拡散してきたか不明ですが、私は当分、これらを前提に調べていくつもりです。
なるほど東西が先ですか。私の中で東部南方系が独立的に先行ってイメージがありそれが邪魔してますね。最近分かったのですが、出アフリカの早かった集団はおそらくほとんど現代人に大きな影響を与えてないって点です。確か中東のゴーストも怪しくなってきたとの記事があったと思います。
今でも東部は時間差があったと見ています。ただそれは東部への移住の問題で出アフリカの問題ではない。どうもこの先行の癖が抜けないです。
> 田园個体はユーラシア東部北方系統に位置づけられており
〇南アメリカ大陸のアマゾン地域の先住民集団は、田园男性やパプアニューギニア人の祖先集団と関連する古代集団から9~15%ほど遺伝的影響を受けているのではないか、と推定されています。
リンク先から飛んだ記事はこうなっていました。
確かに最近の情報からは北方系になっていたので、ちょっと矛盾ぽくなってるので、良く分からなくなっています。
ただなんとなくこうかな?と言うのもあります。南北の分岐が曖昧な時期の集団かな?と東部としては西部とは離れた集団だと出ていたのですが、南北の分岐はまた別だと思います。南北が先で東西が後だとイメージしてる私の根底の問題じゃないかな?とは思います。それでもこの記事からはもやもやしてるのは確かです。
> ユーラシア東部北方系がどのような経路で拡散してきたか不明ですが、私は当分、これらを前提に調べていくつもりです。
現代人と古代人のハプロからの推測で北方ルートは無いとの見解を出してる学者さんを私は支持してますが、そのハプロが大きな問題ですね。ハプロ的にはウスチイシムのNOはもろ東アジア系統ですよね。これ困ったなとは思っています。
後アムール集団はスンダランドから北上との見方があるのですが、私はこれ東部北方集団との距離の近さから、他の北方集団と同じく中国南部から北上したのじゃないか?と見ています。ただ他の集団が内陸部で内陸ルートに対して海岸寄りの北上だっただけで、近い集団だったけど、位置が少しずれていたのと北上が早かったのとルートが違ったので中国系とは異質な集団になったかなと。
普通は元居た集団が古い集団になりますが、まれに古い集団が辺縁部に残るって現象があって、これは日本のネズミもそうだったと思います。そして日本人も。アムール集団に古代シベリア系と日本人に近い古層集団が残ってるとの話なので似たケースじゃないかなと。北方ルートじゃなくてもこの点は自然な説明になるとは思います。
本当にそのハプロでその位置でその年代は私の中で大きな問題です。要するに現代人の南北が逆転してる可能性が十分ある。今私が説明したそのまんまですからね。ただハプロだけじゃなくて、他にも時間差の2回の大きな移住って考えはあるんですよね。根本的にウスチイシムは例外ですしね。
中国系と整合性が取れなくなりますが、多分スンダランド集団と分離後長い時間中国南部にいたんでしょうね。
東西の後南北ならスンダランドからの北上の方がすっきりします。ただ中国系はやっぱりあの時代にインドからだと見ています。2回の大きな移住があったとの研究があるし、確かに中国南部に何かあるんですよね。
私もmtHgとYHgを重視はしますが、本文で言及した個体では、ブルガリアの45000~43000年前頃の2個体がmtHg-Mであるように、mtHgもYHgも、更新世、とくにLGMよりも前の分布は、現在とは大きく違っていたところもあるだろう、と考えています。その意味で、との起源地や拡散経路に関する現在の見解の中には、間違っているものもあるだろう、と予想しています。
アメリカ大陸先住民の一部とパプア人との遺伝的類似性は5年前の研究で、当ブログでも取り上げましたが、当時の指摘は正確には、アンダマン諸島人も含むオーストラレシア人との遺伝的類似性です。その後に大きく蓄積された知見を踏まえると、ユーラシア東部系統でも南北に分岐する前に分岐した古い系統か、南北それぞれの古い年代に分岐した系統の混合集団かもしれませんが、いつどのようにアメリカ大陸先住民の一部にこの系統がもたらされたのかということも含めて、この件は謎めいており、今でもよく分かりません。
パプア人やオーストリア先住民(サフルランド集団)が出アメリカ現生人類で最初に分岐した系統だという見解は近年まで有力だったと思いますが、デニソワ人からの遺伝的影響が考慮されていなかったと指摘されており、現在では否定されている、と認識しています。