アラビア半島内陸部におけるMIS5の現生人類の足跡(追記有)
アラビア半島内陸部における海洋酸素同位体ステージ(MIS)5の現生人類(Homo sapiens)の足跡に関する研究(Stewart et al., 2020)が報道されました。アジア南西部はアフリカとユーラシアの間の重要な生物地理学的出入口なので、アフリカとユーラシア全域における人類と動物相の拡散および進化の理解に重要です。アフリカ外の現生人類(Homo sapiens)化石の年代は、ギリシアで21万年前頃(関連記事)、レヴァントで18万年前頃(関連記事)までさかのぼり、現生人類はアラビア半島内陸部に遅くとも85000年前頃には到来していた、と示されています(関連記事)。しかし、早期現生人類の出アフリカの性質を理解することは、最初の非アフリカ現生人類遺骸と直接的に関連する古環境および古生態系のデータの解像度が低いため、困難なままです。
本論文は、サウジアラビアのネフド砂漠西部のアルアトハル(Alathar)湖堆積物で発見された、人類および非人類哺乳類の足跡と化石を報告します。本論文の主張は、それらの足跡の年代は最終氷期で、アフリカ外の初期現生人類と同年代なので、アラビア半島における現生人類の最初の証拠を表している可能性が高い、というものです。足跡の長期保存に影響を与える特有の環境と化石生成論的要因は、足跡の集団、とくに保存状態が類似しているものは、ひじょうに短い時間、通常は数時間か数日以内に形成されたと想定できる、と意味します。干潟における現生人類の足跡の実験的研究により、2日以内に細部が失われ、足跡は4日以内に認識できなくなり、類似の観察は他の非人類哺乳類の足跡でも見られる、と明らかになりました。したがって、本論文の調査結果は、現生人類がユーラシアに拡散し始めた時、後期更新世の現生人類と動物とその環境の間の密接な生態学的相互作用を調べる特有の機会を提供します。
古アルアトハル湖は、ネフド砂漠南西部の砂丘の窪み内に位置します。堆積物の厚さは約1.8mです。光刺激ルミネッセンス法(OSL)では、足跡や化石の下層は121000±11000年前、上層は112000±10000年前と推定されています。珪藻の古生態学と堆積物分析から、アルアトハルはその大半の期間において貧栄養環境で浅い淡水湖だった、と示唆されます。これはMIS5となる近隣の淡水古湖堆積物の年代と一致しており、レヴァントとアフリカ北東部をつなぐ「淡水回廊」の南部に位置しています。ネフド砂漠西部の淡水湖の存在は、人類と動物にとって重要な資源と生息可能な景観を提供しました。
人類・ゾウ・ウマ・ウシの足跡や化石に示されるように、アルアトハル淡水湖にはさまざまな大型哺乳類が集まりました。湖面は踏みつけられており、水不足から草食動物が集まる乾季を反映しているようで、その時点で湖が干上がっていた、という堆積物の証拠と一致します。足跡は376個が報告され、7個が人類のものと特定されました。MIS5のレヴァントとアラビア半島における現生人類拡大の化石および考古学的証拠と、この頃のレヴァントにはネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)が存在しないこと(と本論文は主張しますが、これはまだ断定できないように思います)から、アルアトハル湖の足跡を残したのは現生人類と考えられます。さらに、アルアトハル湖の人類の足跡のサイズは、ネアンデルタール人よりも早期現生人類の方と一致します。
人類の足跡のうち4個は、アルアトハル湖の南西端に沿って互いに隣接していました。その類似した方向と相互の距離とサイズの違いから、2~3人の足跡と推測されます。人類の足跡は僅かですが、足跡と化石から3点の重要な観察ができます。まず、足跡は古アルアトハル湖全体に散在しており、方向はさまざまなので、単純に方向性の決まった湖を横断する移動ではなかった、ということです。次に、とはいえ、人類の足跡は多くの非人類動物と同様に、ほぼ南方への移動を示唆していることです。最後に、古アルアトハル湖では、動物化石に屠殺の証拠が見られず、石器も発見されていませんが、屠殺の証拠の欠如に関しては、化石表面の保存状態が悪いためかもしれません。これは、後期更新世人類による湖畔生息地の集中的かつ繰り返しの使用が記録されている、ネフド砂漠西部の他の古湖堆積物とは対照的です。これらの観察から、現生人類はアルアトハル湖を一時的に訪れただけと推測されます。それは、おそらく乾季の到来と水資源の減少により始まった、長距離移動中の飲料水と狩猟採集のための一時的な滞在場所として使われたかもしれません。
足跡ではゾウ(7個)とラクダ(107個)が多く、成体と仔がいる群だった、と推測されます。非人類動物の足跡は全体的に方向性がなく、湖近くの移動が地理的もしくは地質的に制約されていないことを示唆し、おそらくは開けた景観だったことを反映しています。一部の足跡は湖岸への出入りを示します。足跡の北から南への傾向はおそらく、水資源獲得とは対照的に、降水量の季節的な変化と関連する移動とより一致しており、これは草食動物間の湖岸への垂直的な移動を伴います。これは南方へと向かうゾウの足跡でとくに明白で、類似の北から南への季節性の移動がアフリカ東部の現代ゾウ集団で観察されてきました。ゾウはとくに、淡水資源とかなりの植物バイオマスの地域的存在を示唆しますが、足跡のサイズは他のあらゆる現生分類群よりも大きな種であることを示唆します。ゾウは近隣のレヴァントでは40万年前頃以降存在せず、更新世人類の食性における重要性を考慮すると、アラビア半島におけるゾウの存在は拡散する現生人類にとってとくに魅力的だったかもしれません。有蹄類の足跡の一部は、巨大なウシ、おそらくはMISに近くの遺跡で確認されているアフリカスイギュウ属の形態およびサイズと一致します。1個の小さなウマの足跡は、後期更新世のアジア南西部で一般的だった野生ロバを表しているかもしれませんが、有蹄類の足跡の一組は、おそらく中間サイズのウシのものです。
足跡に加えて233個の化石が発見され、オリックスとゾウが含まれています。足跡のある堆積物から侵食される化石の発見と、足跡および化石全体の類似の分類群から、足跡の形成と骨の堆積が同年代だったと示唆されます。しかし、いくつかの歯の化石の直接的なウラン系列法分析は、化石標本における予期せぬもっと複雑な化石生成史を示しているようです。歯の跡のある骨から肉食動物の存在が推測され、現代のアフリカのサバンナ生態系のように、肉食動物は草食動物の集中によりアルアトハル湖に近づいた可能性が高そうです。化石の歯のエナメル質の炭素13分析から、草食動物の植生におけるC4草本のかなりの割合が示唆されますが、近隣の中期更新世遺跡よりも青草の消費は少ないようです。ゾウの歯のエナメル質の連続同位体分析からは、季節性移動により説明できるかもしれない水と植生の持続的な供給源が示唆され、類似の結果は近隣の中期更新世遺跡でも報告されています。
まとめると、アルアトハル湖の堆積物と足跡のデータは、乾季における水資源の充分な半乾燥環境と一致します。湖や川は大型哺乳類にとって景観の中心として機能します。資源が不足し、草食動物が小さな水飲み場の周りに集まる乾季には、湖や川は狩猟採集民にとっても魅力的です。また湖や川は、季節性の移動にさいして効果的な回廊として機能するかもしれず、考古学的データからは、後期更新世のアラビア半島のホモ属はひじょうに遊動的で、中期更新世のホモ属よりもアラビア半島内陸部へと深く拡散しました。本論文は、後期更新世の現生人類と中型および大型草食動物との間の直接的な時空間の関連を示し、アラビア半島における現生人類と非人類哺乳類による移動と景観利用は強く関連していた、と示唆されます。考古学的証拠の欠如から、現生人類はアルアトハル湖を短期間訪れただけだった、と示唆されます。これらの知見から、最終間氷期の乾季における現生人類の一時的な湖畔の利用は、おもに飲料水の必要性と結びついていた、と示唆されます。また、これらの足跡を残した現生人類と現代人との関係は不明で、現代人には殆ど若しくは全く遺伝的影響を残していない集団だった可能性もじゅうぶん考えられます。
参考文献:
Stewart M. et al.(2020): Human footprints provide snapshot of last interglacial ecology in the Arabian interior. Science Advances, 6, 38, eaba8940.
https://doi.org/10.1126/sciadv.aba8940
追記(2020年9月26日)
ナショナルジオグラフィックでも報道されました。
本論文は、サウジアラビアのネフド砂漠西部のアルアトハル(Alathar)湖堆積物で発見された、人類および非人類哺乳類の足跡と化石を報告します。本論文の主張は、それらの足跡の年代は最終氷期で、アフリカ外の初期現生人類と同年代なので、アラビア半島における現生人類の最初の証拠を表している可能性が高い、というものです。足跡の長期保存に影響を与える特有の環境と化石生成論的要因は、足跡の集団、とくに保存状態が類似しているものは、ひじょうに短い時間、通常は数時間か数日以内に形成されたと想定できる、と意味します。干潟における現生人類の足跡の実験的研究により、2日以内に細部が失われ、足跡は4日以内に認識できなくなり、類似の観察は他の非人類哺乳類の足跡でも見られる、と明らかになりました。したがって、本論文の調査結果は、現生人類がユーラシアに拡散し始めた時、後期更新世の現生人類と動物とその環境の間の密接な生態学的相互作用を調べる特有の機会を提供します。
古アルアトハル湖は、ネフド砂漠南西部の砂丘の窪み内に位置します。堆積物の厚さは約1.8mです。光刺激ルミネッセンス法(OSL)では、足跡や化石の下層は121000±11000年前、上層は112000±10000年前と推定されています。珪藻の古生態学と堆積物分析から、アルアトハルはその大半の期間において貧栄養環境で浅い淡水湖だった、と示唆されます。これはMIS5となる近隣の淡水古湖堆積物の年代と一致しており、レヴァントとアフリカ北東部をつなぐ「淡水回廊」の南部に位置しています。ネフド砂漠西部の淡水湖の存在は、人類と動物にとって重要な資源と生息可能な景観を提供しました。
人類・ゾウ・ウマ・ウシの足跡や化石に示されるように、アルアトハル淡水湖にはさまざまな大型哺乳類が集まりました。湖面は踏みつけられており、水不足から草食動物が集まる乾季を反映しているようで、その時点で湖が干上がっていた、という堆積物の証拠と一致します。足跡は376個が報告され、7個が人類のものと特定されました。MIS5のレヴァントとアラビア半島における現生人類拡大の化石および考古学的証拠と、この頃のレヴァントにはネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)が存在しないこと(と本論文は主張しますが、これはまだ断定できないように思います)から、アルアトハル湖の足跡を残したのは現生人類と考えられます。さらに、アルアトハル湖の人類の足跡のサイズは、ネアンデルタール人よりも早期現生人類の方と一致します。
人類の足跡のうち4個は、アルアトハル湖の南西端に沿って互いに隣接していました。その類似した方向と相互の距離とサイズの違いから、2~3人の足跡と推測されます。人類の足跡は僅かですが、足跡と化石から3点の重要な観察ができます。まず、足跡は古アルアトハル湖全体に散在しており、方向はさまざまなので、単純に方向性の決まった湖を横断する移動ではなかった、ということです。次に、とはいえ、人類の足跡は多くの非人類動物と同様に、ほぼ南方への移動を示唆していることです。最後に、古アルアトハル湖では、動物化石に屠殺の証拠が見られず、石器も発見されていませんが、屠殺の証拠の欠如に関しては、化石表面の保存状態が悪いためかもしれません。これは、後期更新世人類による湖畔生息地の集中的かつ繰り返しの使用が記録されている、ネフド砂漠西部の他の古湖堆積物とは対照的です。これらの観察から、現生人類はアルアトハル湖を一時的に訪れただけと推測されます。それは、おそらく乾季の到来と水資源の減少により始まった、長距離移動中の飲料水と狩猟採集のための一時的な滞在場所として使われたかもしれません。
足跡ではゾウ(7個)とラクダ(107個)が多く、成体と仔がいる群だった、と推測されます。非人類動物の足跡は全体的に方向性がなく、湖近くの移動が地理的もしくは地質的に制約されていないことを示唆し、おそらくは開けた景観だったことを反映しています。一部の足跡は湖岸への出入りを示します。足跡の北から南への傾向はおそらく、水資源獲得とは対照的に、降水量の季節的な変化と関連する移動とより一致しており、これは草食動物間の湖岸への垂直的な移動を伴います。これは南方へと向かうゾウの足跡でとくに明白で、類似の北から南への季節性の移動がアフリカ東部の現代ゾウ集団で観察されてきました。ゾウはとくに、淡水資源とかなりの植物バイオマスの地域的存在を示唆しますが、足跡のサイズは他のあらゆる現生分類群よりも大きな種であることを示唆します。ゾウは近隣のレヴァントでは40万年前頃以降存在せず、更新世人類の食性における重要性を考慮すると、アラビア半島におけるゾウの存在は拡散する現生人類にとってとくに魅力的だったかもしれません。有蹄類の足跡の一部は、巨大なウシ、おそらくはMISに近くの遺跡で確認されているアフリカスイギュウ属の形態およびサイズと一致します。1個の小さなウマの足跡は、後期更新世のアジア南西部で一般的だった野生ロバを表しているかもしれませんが、有蹄類の足跡の一組は、おそらく中間サイズのウシのものです。
足跡に加えて233個の化石が発見され、オリックスとゾウが含まれています。足跡のある堆積物から侵食される化石の発見と、足跡および化石全体の類似の分類群から、足跡の形成と骨の堆積が同年代だったと示唆されます。しかし、いくつかの歯の化石の直接的なウラン系列法分析は、化石標本における予期せぬもっと複雑な化石生成史を示しているようです。歯の跡のある骨から肉食動物の存在が推測され、現代のアフリカのサバンナ生態系のように、肉食動物は草食動物の集中によりアルアトハル湖に近づいた可能性が高そうです。化石の歯のエナメル質の炭素13分析から、草食動物の植生におけるC4草本のかなりの割合が示唆されますが、近隣の中期更新世遺跡よりも青草の消費は少ないようです。ゾウの歯のエナメル質の連続同位体分析からは、季節性移動により説明できるかもしれない水と植生の持続的な供給源が示唆され、類似の結果は近隣の中期更新世遺跡でも報告されています。
まとめると、アルアトハル湖の堆積物と足跡のデータは、乾季における水資源の充分な半乾燥環境と一致します。湖や川は大型哺乳類にとって景観の中心として機能します。資源が不足し、草食動物が小さな水飲み場の周りに集まる乾季には、湖や川は狩猟採集民にとっても魅力的です。また湖や川は、季節性の移動にさいして効果的な回廊として機能するかもしれず、考古学的データからは、後期更新世のアラビア半島のホモ属はひじょうに遊動的で、中期更新世のホモ属よりもアラビア半島内陸部へと深く拡散しました。本論文は、後期更新世の現生人類と中型および大型草食動物との間の直接的な時空間の関連を示し、アラビア半島における現生人類と非人類哺乳類による移動と景観利用は強く関連していた、と示唆されます。考古学的証拠の欠如から、現生人類はアルアトハル湖を短期間訪れただけだった、と示唆されます。これらの知見から、最終間氷期の乾季における現生人類の一時的な湖畔の利用は、おもに飲料水の必要性と結びついていた、と示唆されます。また、これらの足跡を残した現生人類と現代人との関係は不明で、現代人には殆ど若しくは全く遺伝的影響を残していない集団だった可能性もじゅうぶん考えられます。
参考文献:
Stewart M. et al.(2020): Human footprints provide snapshot of last interglacial ecology in the Arabian interior. Science Advances, 6, 38, eaba8940.
https://doi.org/10.1126/sciadv.aba8940
追記(2020年9月26日)
ナショナルジオグラフィックでも報道されました。
この記事へのコメント