日本語とオーストロネシア語族との関係

 日本語とオーストロネシア語族との関係を指摘した研究(崎山., 2001)を読みました。もう20年近く前(2001年)の論文となるので、あるいは近年の言語学の知見を踏まえてかなりの修正が必要になるかもしれませんが、近年大きく発展した古代DNA研究、とくに、今年(2020年)になって飛躍的に進展したアジア東部の古代DNA研究(関連記事)の観点からもと興味深い内容なので、取り上げます。


 複数の言語が接触すると、接触したそれぞれの言語の文法部分に変化が現われる場合もあれば、各言語の文法部分が提供され、新たな一つの言語が生みだされる場合もあります。後者は混合語と呼ばれ、ピジンあるいはクリオール(母語となったピジン)はその一例です。混合のため文法のどの部分が提供されるかは、接触した各言語ごとに異なりますが、あらゆる部分からの供出が起こるこ、と明らかになっています。また、接触する言語の特徴により、ピジン化や混合の仕方も一様ではありません。したがって、言語混合は先住民に匹敵する量の外来者がないと不可能とか、文法と単語が別の系統から来るのは難しいとかいった見解は成立しない、と本論文は指摘します。

 ピジンは言語混合の一つのあり方で、言語混合と同義で論じるべきではありません。ピジンには横浜ピジンのような一世代的(片言的)な形態からオセアニアのメラネシア・ピジンのように約300万人により使用される国家語まで多様です。元の言語の話し手にとって、ピジン化した新しい言語は、元の言語が単純化した(舌足らずの)ように聞こえます。ピジンは元の言語の非体系的部分の合理化を行なっている場合も少なくありません。ピジンは表現可能な内容が限定された不完全な言語である、との見解は言語学でも根強く存在します。これまで比較言語学では、一言語における歴史的な混合という現象が原則として認められてきませんでした。混合言語を認めることは、比較言語学の依拠する「語族」という概念の成立基盤を揺るがしかねない危険思想でもあるからです。したがって言語学では今でも、混合の事実は認めるとしても、「混合はピジン英語や隠語にみられる程度」との見解もあります。

 本論文は、日本語とオーストロネシア語族など他言語との比較から、日本語は混合言語として形成された、と主張します。そのさいに重要な影響を与えたのがオーストロネシア語族で、そのうち、語彙面では西部マレー・ポリネシア語派の要素が多く残る一方で、文法面ではオセアニア語派の特徴が顕著である、と本書は指摘します。本論文はこれに関して、縄文時代中期から古墳時代までの3000年間、オーストロネシア語族が波状的に渡来したことに起因する、と推測します。

 日本語の形成に関与したもう一方の言語として本論文が想定するのは、ツングース語族です。古代日本語は動詞・形容詞の活用語尾の多くをツングース語族に負っている、と本論文は指摘します。上代および現代日本語では連体修飾に二つの語順が存在しますが、これは言語混合の可能性がある、と本論文は指摘します。日本語において、原オーストロネシア語の人称代名詞一人称複数の包括・排除の区別が失われたのは言語接触に基づき、これは日本語の形成における深い混合の跡を反映している、と本論文は推測します。ただ本論文は、民族学的にツングース民族は、紀元前千年紀にアジア東部に拡散した、いわゆるアルタイ化の担い手で、日本列島が本格的にアルタイ化するのは弥生時代からと推定されているので、縄文後晩期とは約3000年の間隙があり、言語混合の開始の時期など今後解明すべき問題はまだ残っている、と指摘します。


 本論文はこのように主張しますが、近年の古代DNA研究の進展を踏まえると、日本語とオーストロネシア語族との関係はたいへん注目されます。日本列島の現代人集団は、大別すると、北海道のアイヌ、本州・四国・九州を中心とする「本土」、南方諸島の琉球に三区分されます。このうち、日本語と琉球語は、方言なのか同じ語族の別言語なのか、まだ決定的になっていませんが、同一系統の言語であることは間違いないでしょう。以下、まとめて日本語として扱います。一方アイヌ語は、日本語とは大きく異なる系統の言語です。日本語とオーストロネシア語族との関係で注目される古代DNA研究に関しては、アジア東部現代人集団がどのように形成されてきたのか、現時点で最も優れていると私が考えているモデルの概要を以下に述べます(関連記事)。

 非アフリカ系現代人の主要な遺伝的祖先となった出アフリカ現生人類(Homo sapiens)集団はまず、ユーラシア東部系統と西部系統に分岐し、ユーラシア東部系統は南方系統と北方系統に分岐します。ユーラシア東部南方系統に位置づけられるのは、現代人ではパプア人やオーストラリア先住民やアンダマン諸島人、古代人ではアジア南東部狩猟採集民のホアビン文化(Hòabìnhian)集団です。一方、ユーラシア東部北方系統からはアジア東部系統が分岐し、アジア東部系統はさらに南方系統と北方系統に分岐します。アジア南東部北方系統は新石器時代黄河地域集団、アジア東部南方系統は新石器時代の福建省や台湾の集団(おそらくは長江流域新石器時代集団も)に代表され、オーストロネシア語族現代人の主要な祖先集団(祖型オーストロネシア語族集団)です(関連記事)。現代において、日本列島「本土集団」や漢人やチベット人などアジア東部現代人集団の主要な遺伝的祖先はアジア東部北方系統ですが、漢人は北部から南部への遺伝的勾配で特徴づけられ、チベット人はユーラシア東部南方系統との、日本列島「本土集団」は「縄文人(縄文文化関連個体群)」との混合により形成されました。「縄文人」は、ユーラシア東部南方系統(45%)とアジア東部南方系統(55%)との混合と推定されています。

 これらの古代DNA研究の成果を踏まえると、縄文人はアジア東部南方系統の共有という点で、祖型オーストロネシア語族集団と遺伝的に近い関係にある、と言えます。つまり、縄文人の言語が祖型オーストロネシア語族と近縁だった、あるいは一定以上の影響を受けた可能性があるわけです。縄文人がどのように形成されたのか不明ですが、縄文人の大まかな形態は、細かな地域差・時期差が指摘されているとはいえ、地域では北海道から九州まで、年代は早期から晩期前半までほとんど同一で、縄文人と同じ形態の人類集団は日本列島以外に存在しないことから、日本列島における独自の混合により形成された可能性が高そうです(関連記事)。

 そこで問題となるのが、日本列島現代人において最も縄文人の遺伝的影響が強く残っていると推定されているアイヌ集団(関連記事)の言語(アイヌ語)とオーストロネシア語族との関係です。これについて、近年の言語学の知見をまったく知らないので、的外れな発言になるかもしれませんが、2005年の論文(橋尾., 2005)でも、アイヌ語とオーストロネシア語族が同系かもしれないと指摘されていることから、アイヌ語がオーストロネシア語族と近縁な関係にあるというか、祖型オーストロネシア語族の影響を一定以上残している、とも考えられます。その意味でも、縄文人の言語が祖型オーストロネシア語族と近縁だった、あるいは一定以上の影響を受けた可能性は、真剣に検証すべきではないか、と思います。

 日本語とアイヌ語が大きく異なることに関しては、日本語もアイヌ語も祖型オーストロネシア語族と別系統の言語との混合により形成され、分岐してから長い時間が経ったことにより説明できるように思いますが、言語学の知見は皆無に近いので、的外れなことを言っているかもしれません。さらに、アジア東部南方系統でも、アイヌ集団の主要な祖先と祖型オーストロネシア語族集団の主要な祖先との分岐が更新世だとしたら、言語学で指摘されているアイヌ語とオーストロネシア語族の共通性が検出されるには古すぎるかもしれない、という問題もあります。ただ、言語学でも議論が分かれるくらいの共通性となると、更新世の分岐でも不思議ではないかもしれませんが、門外漢の思いつきにすぎません。

 上述のように、日本語がオーストロネシア語族とツングース語族との混合により形成されたとすると、その融合がいつだったのかが問題となりますが、日本列島にツングース語族をもたらしたのは、弥生時代以降に日本列島にアジア東部北方系統をもたらした集団である可能性が高いように思います。しかし、シナ・チベット語族はアジア東部北方系統集団に由来する可能性が高い、と指摘されています(関連記事)。この問題をどう説明すべきか、以前にも一度試みたものの(関連記事)、とても確信は持てません。それでも、以下で改めて私見を述べます。

 この問題で参考になりそうなのは、バヌアツの事例です(関連記事)。遺伝的には、バヌアツの最初期の住民はオーストロネシア系集団でしたが、現代バヌアツ人はパプア系集団の影響力がたいへん大きくなっています。しかし、現代バヌアツ人の言語は、パプア諸語ではなくオーストロネシア諸語のままです。アジア東部北方系統集団は、拡散の過程で朝鮮半島や日本列島などにおいて大きな遺伝的影響を現代人集団に残しましたが、その過程で先住民の言語が置換されず、基本的には継承されたかもしれない、というわけです。この想定が妥当だとすると、アジア東部北方系統集団はアジア北東部への拡散の過程で、ツングース語族集団と混合し、その言語を継承して日本列島へと到来した、と考えられます。日本列島でも、先住の縄文人よりもこのツングース語族集団の方が現代「本土集団」には大きな遺伝的影響を残していますが、だからといって遺伝的に優勢な集団の言語により置換されたのではなく、独自の混合言語が成立した、というわけです。これを基盤に、漢字文化の導入にともなって漢語の影響も受けつつ、日本語が成立していった、と考えられます。

 あるいは、アジア東部北方系統集団の言語は、後にはシナ・チベット語族におおむね一元化されたものの、新石器時代のある時点までは多様だった、とも考えられます。集団の遺伝的構造と言語が相関しているとは限りませんから、最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)による分断・孤立で言語が多様化していき、その後の融合過程で遺伝的にはアジア東部北方系が成立したものの、その言語は均質ではなく、日本語や朝鮮語に影響を与えた諸言語も含まれていた、という想定です。チベットに拡散したアジア東部北方系統集団の言語はシナ・チベット語族で、朝鮮半島やさらに日本列島に向かった集団の言語は大きく異なっていた、というわけです。

 別の可能性として考えられるのは、日本語の形成にさいしてオーストロネシア語族の影響をもたらしたのは、弥生時代以降に日本列島に到来した稲作農耕民集団だった、という想定です。黄河中下流域集団では、中期~後期新石器時代に、稲作農耕の痕跡顕著な増加とともに、遺伝的にはアジア東部南方系統の割合の上昇が指摘されています(関連記事)。黄河中下流域への稲作の導入が、長江流域など中国南部のアジア東部南方系統集団の一定以上の移住を伴っていたとすると、日本列島に稲作をもたらした集団の言語に祖型オーストロネシア語族の影響が残り、それが弥生時代以降に日本列島に到来した可能性も考えられます。縄文人の言語とは別の経路で、日本語に祖型オーストロネシア語族の影響が伝わっている、というわけです。

 ここまで色々と憶測してきましたが、言語学の知見が皆無に近いので、最近の研究を踏まえておらず、的外れな見解になってしまったかもしれません。ただ、今となってはやや古いとはいえ、言語学の見解と最近の古代DNA研究とが符合するところもあるのではないかと考え、一度私見を述べておこうと思い立った次第です。縄文人の言語に祖型オーストロネシア語族の影響があるとして、では縄文人のもう一方の主要な祖先であるユーラシア東部南方系統の言語はどのようなもので、縄文時代、あるいは現代に影響を残しているのかなど、調べねばならないことはまだ多いものの、それは今後の課題とします。


参考文献:
崎山理(2001)「オーストロネシア語族と日本語の系統関係」『国立民族学博物館研究報告誌』第25巻第4号P465-485
https://doi.org/10.15021/00004071

橋尾直和 (2005)「琉球語・アイヌ語・日本語諸方言とオーストロネシア語の若干の比較」『高知女子大学文化論叢』第7号P39-51
https://ci.nii.ac.jp/naid/120006541555

この記事へのコメント

チェンジ
2020年09月23日 06:48
日本語混合言語ならこのサイトが面白いですよ。

http://www.jojikanehira.com/

ヤフー掲示板で教えてもらった比較言語学の人にはかなり不評でしたが。些細なところで間違いも多いらしくてそれで憤慨してましたが、管理人さんが文中でも触れたように混合言語と比較言語学って水と油っぽいですね。

稲作に関してはタミル語とのコメに関して類似性が指摘されてて、オースロアジア言語じゃないか?と見ています。このサイトの人もベトナムごとの類似性で語っています。

シナチベット語もう上手く解釈してて、歴史時代の漢字の導入の前に渤海辺りでウラルアルタイ系の言語と接触したのでは?と見ています。シナチベット語が日本に移住する前の弥生人に深く入り込んでいるって事です。

ただこの人北方ルート派なのでちょっと私は抵抗ありますが、逆に管理人さんには相性がいいかもしれません。

ただハプロではQじゃなくて、CD系が石刃石器の担い手だと見ています。まだ多分Q生まれてない。ウスチイシムのNOじゃないか?なら、困ったものです。あれ本当に無視できません。基本的には北方ルート主要集団ではないと見てますが、QだろうがCDだろうが、でも、NOなら話は違ってきます。

あれなんだろう?ってすごく不思議です。
チェンジ
2020年09月23日 07:01
シナチベットに関しては他にも私の書いていた寒冷適応がものすごく重要になってきます。ヴァイキングでも黒髪や乳糖分解酵素の淘汰があったような話がありましたが、あれらのように、遺伝的はちょっとズレる集団で、特定の遺伝子だけが同じように増えるって現象があると見ています。

紅山文化も、石器から農業系と狩猟採取系の両方の関与が指摘されてて、ちょうど中間地点に弥生人はルーツを持つと見ています。いわゆる遼河系集団と黄河集団の接触地域。

北方ルートと寒冷適応が私の中で大きく残った謎となっています。縄文人も中国南方系が農業をもたらしたのか?ははっきり知りたいと思っています。小豆や大豆さといもってのは怪しいんですよね。
チェンジ
2020年09月23日 07:07
後オーストロアジアの影響が小さい点ですが、渤海付近山東省北部のこめの限界を超えた地域での古い遺跡が見つかっていて、これが温帯ジャポニカじゃないか?って指摘してる人が居ます。

稲作集団がかなり早くに遼河集団に接触したため南方系の言語が消えてしまったのじゃないか?と見ています。じゃ日本にある熱帯ジャポニカはなんなんだ?となると、これ系統が異なる集団が持ってきたのでは?と見ています。

これも稲の北方ルートと直接海ルートってのがあり、この分岐が原因じゃないか?と見ています。ちなみに熱帯ジャポニカ遺伝的に日本のものは韓国には残っていません。
管理人
2020年09月24日 03:17
これは、ありがとうございます。バスク語のように遺伝的構造と言語が相関しない場合もあるので、私の言語学の知見があまりにも不足している現時点では、言語の分布・系統関係と遺伝学の知見を安易に関連づけないよう、自戒しなければならない、と改めて思った次第です。

稲に関しては、2016年の研究で、日本列島でも朝鮮半島でも、紀元前には後世よりもずっと遺伝的に多様だった、と示唆されているので、この観点から今後詳しく追いかけていかねばならないな、とは思っています。
チェンジ
2020年09月24日 05:31
ttps://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-16251004/
(直アドレス張りは多少マナー違反かとH取っておきました)

代表の宮本さん、この人日本と絡むアジア古代農業なら多分私が知ってる中では一番詳しい人じゃないかと思います。東アジア全体で考古学的遺物をまとめて日本の農業の源流を探っています。稲に関しては古い情報がネットでは氾濫してて、この人だけ別格だと言うぐらい知見が最新のものばかりです。あまりにとがっているため逆に突飛な学者さんなのか?と言うと全然違います。ネットの情報は大半が古すぎるんです。

バスクはかなりやっかいです。私個人的には母系農業集団に男性草原集団が置換したと見ています。これは管理人さんも母親の言葉って話をしていたと思います。だからアナトリア農耕民だろうなと見ています。

かなり異端ですが、バスクとシナチベット語と同グループとする考えもあるようで、アナトリア農耕民の拡散みたいに私は見ています。ただ、管理人さんも指摘したように河南省に多い中央アジアハプロは回族のものかなと思い始めてもいます。

中央アジアの一部にバスクやシナチベット語と同グループだとする言語があって綺麗につながるんですよね。

日本語における遺伝と中国語の問題ってのは、多分遼河文明ですっきりするので、そんな難しい話だとは思ってないんですよ。何故寒冷適応が重要なのか?と言うと、単純な混血じゃなくて一部の混血で寒冷に適した遺伝子が適応的に後から広がったからだろうと見ています。

そのため元の中国北部に近い遺伝子が遼河の集団には色濃く残ったと見ています。そもそも遼河地域の集団の遺伝子がアムールと中国北部の中間にあると管理人さんも書いてましたよね。

遺伝的には近くても文化的にはアムール集団に近かったと見てるんですよ。細石器がちょうどこうなっていて、遼河の遺跡で東に行くほどアムール集団と近い細石器ばかりになっていきます。いわゆる西から東に向けて勾配する関係になっています。

じゃ何が難しいか?と言うと古代の遺跡ではN1Bが黄河文明では出ていて、他もNばかりなんですよ。今主流のO2は竜山文化で大量に出てきます。

人骨から西の集団がかなり東と比べて大柄なモンゴロイドの人骨だと分かっていて、中国人の平均的な身長の高さからもこの集団がO2集団だったのじゃないか?と見ています。じゃ遺伝的に差がでるだろう?なるのですが、だからこそアムール集団がどう広がったのか?が知りたいとずっと書いてたわけです。西部にいただろうO2もアムール集団との混血だったのじゃないかな?と。O2が古い時代に見つかるのは西部が多いんですよね。
チェンジ
2020年09月24日 05:54
ちょい分かりにくいですね。結局は管理人さんと同じで、遼河のとなりの黄河で黄河文明は大きな別の言語があったのじゃないか?と見てて、黄河文明ってとても範囲が広くて、山西省あたりにO2が多数出るのですが、河南省あたりだと人骨も小さくて多分違った集団だったと見ています。

同じと言うのはだから、言語として複数あったが統一されてしまったという事じゃないかと。遼河と黄河の間で大きな言語群があったけど、丸ごと消えてしまった可能性があるかと。シナチベットとウラルアルタイの隔絶した異質性みたいのはこれで多少は解けるのかな?

まあ新石器早期で黄河下流でO2が頻繁に見つかってないだけで、これから発見されてるのかもしれませんけど。O2がでないわけじゃないですよ。現代の割合からは全く違った様相だっただけです。

再度書きますが、紹介したHPでは、漢字の影響ではない中国語の影響が感じ取れるとあります。ロロ語と言う古い中国と日本語に高い語彙類似性を示すって研究もあって、私は複合語としてなら中国語も重要な源流の1つだと見ています。
チェンジ
2020年09月24日 06:06
ついでにもうちょっと持論を述べたいと思います。

寒冷適応に関係して、何故アメリカ先住民は中途半端な寒冷適応になったのか?で彼らの移動性の生活のせいじゃないか?とアムール集団は森林においての定住型で河川で漁労も組み合わせた生活を送っていたと思います。

寒くなってもそのまま住み続けた。それに対して古代シベリア系の生活は遺跡が寒さに対して移動しています。多分季節的にも動物に合わせて移住していただろうと予想されていて、黄河住民も多分こういった生活に近かったと見ています。

移動性草原狩猟民と定住性森林狩猟採集民じゃ寒冷適応をする度合いが全く違ったと見ています。黄河住民は寒冷適応してなかったと見てて、じゃ何故今アジア東部は皆アムール住人みたいな顔なのか?

それで遼河は適応的に後から増えたで、黄河流域に関してはアムール集団または遼河集団との混血だろうと見ています。遼河集団には少数のアムール集団との混血があるはずなので、間接的にアムール集団との混血とみなすこともできます。

黄河流域でも寒冷適応の適応的変化があったならすべて破綻するのですけどね。

生活スタイルの違い=文化の違いが遺伝的には近くても言語的な隔離を生んだと見ています。
管理人
2020年09月25日 02:57
宮本氏の見解はTwitterでよく見かけますが、体系的に読んだわけでも理解しているわけでもないので、今後の課題です。現時点で、アジア東部の古代DNA研究の解像度がまだ低いことは否定できないので、標本数が増えていけば、考古学とも整合的な集団形成史を提示できるかもしれません。まあ、遺伝学と考古学が相関するとは限らないので、難しいところですが。

私は、アジア東部における現在の言語分布状況を、完新世ユーラシアにおける遺伝的均質化という大きな動向の中で位置づけられないだろうか、という見通しを立ています。
チェンジ
2020年09月25日 06:06
> 宮本氏の見解

これ続きがあるのですが、山東省北部の早期新石器時代の遺跡はぱたっと稲作の姿を消します。時期的に縄文時代に海岸線が大きく後退した時期の後の寒冷化と一致すると思います。

その後の過程はじわじわとアワキビ耕作に稲が取り入れられていくという形で、どうも民族の移動って感じがしません。おそらくこれがオーストロアジアが日本にあまり影響を与えてない理由かと。

日本の稲作民のルーツが山東省であると言うのはよく言われています。その構成員はあまり遼河地方と変わらない集団だったのじゃないか?と見ています。竜山文化でも山東省だけは異色で黄河文明というより南北の別文化がまざったような部分があったとか。

じわじわ増えてなんと50%まで稲作が占めます。明らかにこれは黄河文明だけじゃないです。

古代核DNAの調査はされてませんが、弥生人のmtDNAと現代の山東省のmtDNAの構成はそれなりに似ています。山東半島の位置によっては遼河集団に近い遺伝子構成だったのじゃないか?と見ています。

春秋戦国時代に流民が日本にやってきたってシナリオが多いのですが、有名な太公望の支配の時おいだれた異民族が多いってのが歴史に残っています。時代的にも朝鮮半島でぐだぐだとやってる期間がありちょうどこれぐらいが都合がいいです。

温帯ジャポニカが一度ほろんだ地域にどうやって戻ってきたか?が難しいのですけどね。温帯ジャポニカをもって寒冷化の時期南部に移動したのかな?とか考えています。何故温帯ジャポニカと判断したのか?がしっかり把握できてないです。要するにその後の北上がゆっくりすぎて温帯ジャポニカじゃないのでは?と言う感じですが、じゃ温帯ジャポニカいつ朝鮮半島に来たのか?が良く分からない。まさかずっと種もみだけ維持していたとか?ないと思いますし。

とにかく一度稲作が滅んでいて、複合的な雑穀農業になっていた時期があったようです。そのため50%まで引き上げた民族は特に稲作民族ではなかったって事です。数千年前に温帯ジャポニカを育てていた民族化もしれませんけど。その記憶が民族として残っていたとか都合がいいですしね…。どっちにしても現地化したあのあたりに多い普通の山東省の住民にすぎなかったと。これで言語が違っていたとかないでしょうし。太公望が来るまでは明らかに中国語じゃない異民族だったのは確かなので、中国語圏の真っただ中にあって中国語じゃないってのはそれほど難しい話じゃないとは思います。

> 遺伝学と考古学が相関するとは限らないので、難しいところですが。

北方ルートあるかなと思い始めていますが、主流じゃないだろうとは考えています。滅んでしまった古層としてC1D系ってのがその候補でDはアマンダンの関係からやっぱり海岸ルートかと思います。よってC1系じゃないかなと。シベリアでぼちぼちC1系後の時代で見つかっています。移動時期はさすがにないからなんとも言えませんが。ハプロじゃなくて遺伝子全体なら、海岸ルートと近い集団がインド北上からあっちこっち行っていたなと。こすてんき辺りがその西方集団の代表かと。

問題はNOなどを含む集団が北方ルートだったのか?ですが、あれはやっぱり南方からの北上だと見ています。ウスチイシムもその過大な延長ルートじゃないかと。

自説にもなってるO2を含む集団の西部説ですが、あれ北方ルートだとすごく都合が良いのですが、どうもチベットから流れる川のルートを昔から人類が使ってるって話があり、このルートじゃないのか?って人もいます。

ただならチベットから古いDNAが取れたのか?ならさっぱりで、D系を含む集団を除き後から東から侵入したことしかわかってないです。

> 私は、アジア東部における現在の言語分布状況を、完新世ユーラシアにおける遺伝的均質化という大きな動向の中で位置づけられないだろうか、という見通しを立ています。

かなり難しいでしょうね。遺伝子は簡単にミトコンドリアイブ仮説を出せますが、人類すべての言語を統一するってのはまず無理っぽいです。比較言語学の手法じゃミッシングリンクが多すぎてまず無理だろうなと。

遺伝子も似てますが、系統に対して絶対の確証がある点が全く違うと思います。じゃ新たな言語学がとなるとこれがさっぱり。

学問と言えるレベルの知的さが無い。その点知と呼べるレベルなのが、比較言語学だけと。でも、遺伝子が探る時間のスパンと強烈に相性が悪いので比較言語学じゃダメでしょうね。

むしろ人類の歴史の中で草原集団の言語の歴史が異常に分かりやすすぎるってだけだと思います。
一ファン(元通りがかり)
2020年09月25日 22:54
いつも楽しく読ませてもらってます。崎山論文の「縄文時代中期から古墳時代までの3000年間、オーストロネシア語族が波状的に渡来」という話、およびツングース語族との混合によるアルタイ語化という話、どちらも興味深いです。以前にいつかこのブログにコメントさせていただいたときも、西日本縄文人には江南からの断続的な渡来あったのではないかというお話をしましたが、その時も話題になった『日本人の源流』(斎藤成也)の三重構造モデル(二重構造の修正)とかとも相性がよさそうです。オーストロネシア語族の波が波状的にあり、当初は稲をもっておらず、照葉樹林文化的な文化の担い手であったのが、途中から稲作文化の担い手になっていったとすると、形態学的な観点から(縄文人の後裔たる)土着系弥生人と渡来系弥生人を単純に区分する(特に一昔前のように前者を古モンゴロイド、後者を新モンゴロイドとするような)考古学のモデルは破綻するかもしれませんね。形態学的に土着系と考えられていたタイプはオーストロネシア系の渡来系かもしれず混合が起こったのも西日本においてとは限らないですし(その意味でも西日本縄文人の遺伝子解明が待たれますが)。むしろ山東半島や、遼東半島(燕や古朝鮮)でオーストロネシア系と華北系が混合したり、沿海州のあたり(のちの高句麗)でツングース系とオーストロネシア系が混合したりした可能性が気になります。高句麗語とか百済語、新羅語が意外と倭人の言葉と近かった可能性も出てきます。倭人ネットワークが現在考えられているより相当広かったことになりますが(濊狛系に対して粛慎系はオーストロネシア系との混合の度合いが違った可能性も出てくるでしょうか)。半島に華北系の人たちが入ってきたことで(のちの楽浪郡とか)韓人の言葉が倭人系の言葉から分岐していった可能性もあるかと思います。(そしてツングース系とモンゴル系・チュルク系の分岐も混合を考慮に入れると結構ぐちゃぐちゃしてくる気がします。匈奴とかぐちゃぐちゃだったでしょうし)。もちろん西日本縄文人と東日本縄文人の混血もあったでしょうし、その混合の度合いの違いからのちの日本語とアイヌ語の違いが生まれた可能性も?
チェンジ
2020年09月26日 05:30
横レスですが、現時点である程度分かってる点で、西日本以外の渡来人の流入はあまり考えなくていいと思います。

篠田さんの最新の研究で、九州の渡来系弥生人のDNAはほぼ現代人と変わらなかったようです。本来大陸に近い弥生人が本土に広がっていく中で混血して現代人が出来上がったってシナリオですが、これ多分違います。九州の上陸直後に現代の縄文弥生の混血が完成していて、後の広がりは地域差を生んだ程度だって事です。東北とか島根とか多少地域差がありますからね。


どこで大陸で言語的混合があったか?で渤海を超えて山東半島北部まで突っ込んでいいと思います。4000年前ごろの寒冷化で北部地域の住民が南下してますが、これ考古学的には海岸部は遼河のあたりからだったと聞きます。

他はたまつきしきに黄河住民が南下していったと。DNAは管理人さんも話してますが、中国南部の詳細な調査が足りないとの事でこの南下現象まだわかっていません。

ただ人骨などの形態などの調査ではこうなってると。そのため遼河の地域の影響は渤海の北部だけじゃなくて山東半島北部まで含めて良いと思います。

中国の東夷の判断は確か山東省と遼河セットで日本までまとめたものだったと思います。ただ山東省は太公望のころにその対象から外れてしまっただけかと。

もし黄河住民が南下したのなら、山東省の東夷が言語の違う異民族というのがおかしくなります。だから遼河の住民が南下したのだろうなと。
チェンジ
2020年09月26日 05:35
ただ確かに山陰への直接ルートありますね。北陸の差異もその繋がりかと。

沿海州との関係は意外にも山陽辺りが起源じゃないか?とは言われています。これは調査した人が奇妙だと思ったほど唐突に痕跡があるそうです。何故山陰じゃなくて山陽なのか?

この辺りは分からないです。それでも、沿海州の影響は九州が窓口じゃなかったのは確かです。
管理人
2020年09月26日 05:35
山東省では現時点で新石器時代集団の公表されているゲノムデータは前期分だけだと思いますが、同じ黄河流域のアジア東部北方系統集団でも河南省では、中期~後期新石器時代にかけて、稲作の痕跡の増加に伴い、アジア東部南方系統の割合の増加が示されています。

今後、アジア東部の古代ゲノムデータが蓄積されていけば、考古学的変化にどの程度人の移動が伴っていたのか、ずっと正確に推定できるようになるでしょうし、日本人の形成に関しても今よりずっと明らかになっていくでしょう。現時点では、重要な長江流域新石器時代集団のゲノムデータが欠けていると思いますが、中国の21世紀になってからの国力増大を考えると、今後5年以内に、アジア東部の古代ゲノム研究が飛躍的に発展する可能性は低くない、と予想しています。

オーストロネシア系(アジア東部南方系統)と華北系統(アジア東部北方系統)の混合は、中期~後期新石器時代にかけて現在の河南省で確認されているので、山東省でも同様だった可能性は高いように思います。

縄文人に関しては、まだ西日本集団のゲノムデータが公表されていませんし、経時的変化をたどるところまではとてもいかないので、日本列島外からの継続的な遺伝的影響があったのかどうかという点が、今後の研究により明かされていくのではないか、と楽しみです。
チェンジ
2020年09月26日 05:43
ああ、沿海州の影響ですが韓国の研究者さんのものですが、あれ韓国起源が日本と沿海州に広がっただけで、沿海州から日本に来たわけじゃないって話です。

ただ右っぽい人が聞くとまた韓国のなんでも自国起源の病気だとなるのですが、まあ丁寧な土器の比較調査なのでそういうたぐいのものじゃないかと。
チェンジ
2020年09月26日 05:52
後ちょっと追加で、遼河が多分ウラル語の源流だったのではないか?は言語学的には正しいと思います。

遺伝的には大きく中国北方集団とくくれますが、言語的には大きく違った集団だと見ています。

これについては前回書いた森林型狩猟採集と草原型狩猟の新石器前の生活スタイルの違いだと見ています。
チェンジ
2020年09月26日 06:49
モデルとしては、黄河西部にO2集団、黄河東部にN1B、遼河に勾配的にN1BとN1Aが混合した集団だったのじゃないかと。これにちらほらC2が絡んできます。

ハプロの解釈はまずいのですが、母系じゃない限り言語学と父系ハプロは相性がいいです。

ただしヤンシャオ文化は母系だったと思います。ただ言語のもとになったのはその前の狩猟生活だと思います。そのため一応父系の言語体系だったのじゃないかなと。

ヤンシャオ集団が低身長だったというのは、遼河よりの集団であるN1BとN1Aの集団が黄河よりの寒冷適応してないN1Bと混血したためだと考えています。

で、N1Bはシナチベット語族だったのか?これは怪しいと思っています。だからって遼河黄河どちらの言語が主流だったのか?不明であるためウラルだとは思いません。

シナチベットの起源は中国北部の黄河流域なので、明確に西部か東部か?なんて分かるはずないです。そのため早期にO2系の言語に統一されたんだろうなと見て今う。また狩猟民族であるN1BはO2に近い言語を使っていた可能性もあります。そのため影響が残らなかったかと。

どちらにしても森林性のウラル系の言語は残らなかったのかと。
一ファン(元通りがかり)
2020年09月26日 14:53
私は言語学も考古学も古人類学も勉強不足なので(自説とまでは全然行かないのですが)、蓋然性がより高く、つまり抽象度がある程度低くて、かつ分野の垣根をある程度横断可能な素軽さのあるモデルがあるとありがたいのです。

オーストロネシア系の拡散の日本への到達を、弥生以降ではなく、縄文中期に置くことが、崎山論文の面白い(あってるかどうかは別にして)ところだと(私は)思います。

例えば、チェンジさんが挙げておられる篠田謙一さんの研究だと、確かに北部九州の弥生人が現代日本人の範疇に収まってしまうので、その後その弥生人が単純に東進していって土着系をとりこんでいくというモデルが成り立たないとされています(『新版・日本人になった祖先たち』p183)。そのため篠田さんは古墳時代以降の新たな渡来人の流入を想定することによって、東進によるバランスの変化が中和されるようなシナリオを想定しているようです。

篠田さんの研究にはとても勉強させられますし、特に縄文人の地域的多様性、弥生人の地域的多様性へ注目することで多元的構造を取り出す方向性は首肯させられます。

ただその縄文系と弥生系の混血を土着系と渡来系と単純に切ってしまうところに、崎山論文のオーストロネシア系流入説や、斎藤成也の三重構造説をぶつけてみると、別の景色が見えてきそうで、いろいろ期待してしまいます。

たとえば篠田さんの研究では九州弥生人の多様性を渡来系弥生(甕棺墓)と土着系弥生に分けたうえで、土着系を西北九州弥生(長崎あたりで支石墓に埋葬されている)と南九州弥生(広田遺跡)に区別していますが、西北九州弥生人と南九州弥生人の区別を土着系内部の違いとしながら、渡来系の中にも土着系の遺伝子流入があり、西北九州弥生人の中にも渡来系の遺伝子流入があるなどという記述の仕方になっています(同書p178-180)。

これがもしオーストロネシア流入説で記述すると、同じ現象が別の仕方で記述できる可能性が出てきます(仮定に仮定を重ねることになるので、仮説というより期待というに過ぎないですが)。

例えば、長崎の西北九州弥生人が断続的なオーストロネシア系渡来人ネットワークの一部を構成し、縄文時代中期以来土着系縄文人と交雑しながら西日本縄文人となった人々で、朝鮮半島と行き来を繰り返しながら支石墓文化を西北九州に伝えるとともに、縄文的遺伝子を半島に伝える役割(同時にオーストロネシア系の遺伝子を東日本縄文人に伝える役割)を果たしたことになりそうです。それに対して「渡来系弥生人」と篠田さんが呼んだ人々は、そのようなオーストロネシア系遺伝子流動が華北系の遺伝子を受け入れながら「漢化」していくさ中にあった人々だった可能性が出てきます。渡来系vs土着系という対立軸が崩れるので、青谷上寺地遺跡などの解釈もかわってきそうです。

いずれにしても(崎山説がもし正しいなら)縄文時代から交雑が始まっていたことになるので、弥生時代に入ってすぐに現代日本人が形成されたと想定しなくて済みます。倭人ネットワークが南では縄文人の遺伝子を取り込み、北からは華北系やツングース系の遺伝子を取り込むような人の移動があったと想定すると、別のシナリオが見えてくるのではないか?日本語の形成史も東アジアの人口移動の中で考えた方が楽しそうに感じます(高句麗とか渤海とか)。モンゴル系、ツングース系、韓系、倭系などのイデオロギーをより流動的な要素の合成として細やかに記述できるようになると、見通しが広がる気がしてわくわくします。まあ現段階ではただの期待ですが。
チェンジ
2020年09月27日 05:41
> そのため篠田さんは古墳時代以降の新たな渡来人の流入を想定することによって、東進によるバランスの変化が中和されるようなシナリオを想定しているようです。

これ私もネットの記事でも読みましたが、なんかつじつま合わせって感じで強引だなと。関東と関西で弥生色が強くて島根東北では縄文色がってなるのですが、この程度の地域差で良いと思うのですけどね。後の古墳時代の大陸色の増加って関東と関西への流入が歴史に残されていて。些細な地域差が生まれた。この程度を語るものでしかないと思います。

斎藤氏が述べるような3段階モデルは、やはり古墳時代の大陸からの流入じゃなくて、縄文時代の中国南部なんじゃないか?と思います。遺伝的にほぼ均一とされる集団の中で地域で多少クラスターが異なります。この程度の差は敢えて論じるほど?と思うんですよね。

3段階モデルは時代が確定じゃなくて、縄文後期と弥生。弥生と古墳って2つのケースを想定してて、時代は特定できないが、大きな集団の変化がもう1つあったって話です。現代の遺伝子から時代特定ってのはかなりずれるのが当たり前なので1000年ぐらいのズレは当たり前なので、これは仕方ないと思います。

3段階モデルで縄文後期を支持するのに日本ネズミの2系統ってのがあります。ネズミは基本農作物とともに移動するようで、時代的に3000から4000年前と2000年前ごろってのが特定されてて、これじゃないか?とは見ています。縄文時代に稲作は大げさとしても、何かしらの農業をやっていた痕跡があります。

古墳時代の流入はそんな大げさなものじゃなかったのじゃないか?とは見ています。地域でクラスター化する程度は影響があったと思いますけど。関東だけ特別大陸寄りになるのは東に行くほど縄文色が濃くなるに奇妙な現象で古墳時代の半島の3国統一の影響だろうなとは思いますけどね。

後関東って船で先に稲作向きの平野に弥生人が流入したって話があり、時代的に長野などの遺跡より先行するって話があるんですよ。その影響かもしれません。

篠田さんの言及はあくまで弥生後なのでその前に関しては別の話なので問題ないとは思います。縄文後期から弥生の間のかなり限定的な期間の縄文人に遺伝的な変化はなかったのか?これが気にはなります。

おそらく中国南部からは何度も流入があったと考えられますが、南方系のネズミの流入の時期に他とは違う大きな流れがあったのじゃないか?とは見ています。

> ネットワーク

ネットワークは否定的です。貿易などはあったと思いますが文化圏のような密接な関係は考古学的には否定されています。この絶妙のさじ加減が遺伝的にはどうなのか?は気になりますけどね。早くから混血していた弥生人は半島ですでに混血していたのでは?ってのが篠田さんが近いことを話しています。

ようはウリチ、アミなどに残っているホアビン文化系の集団が半島にもいたんだろうと。だが半島の場合日本から行ったんじゃないか?の方が自然だなと。ウリチもそばやヒエなどが日本海ルートで入ってきたんじゃないか?と言われてて、そっちが自然かなと。アミはさすがにないかと。

台湾と日本って本当に遺伝的につながりが薄い。中国南方系なら台湾から日本はあると思いますが、日本から大半はどうなのかな?と。
チェンジ
2020年09月27日 05:52
うりちの話でややこしいのは、アメリカ先住民のパプアやアボリジニと近い遺伝子が残ってる事です。

シベリアであっちこっちそういう系統の遺伝子が見つかっていて、今とはつながってないけどとなります。ただそれでも縄文人がアメリカに行ったってのはあったんじゃないかな?と見ています。

ネットワーク支持?なら違うんですよ。行って戻ってくる交流や交易などじゃなくて、行ったきりの移住が主だったろうなと。
チェンジ
2020年09月27日 06:30
よく見たら矛盾していますね…。

考えに対しての変遷があるって事です。以前から3段階モデルは、辺縁部と中心部に遺伝子の差があるって点でそうか?って見ていました。だから半信半疑だったのですが、最近分かった縄文系は中国南方系もルーツであるって点です。

以前はY染色体からアマンダン諸島に近い系統だけと思っていました。でもずっと、なんで大陸系のmtDNAがこんなにも古代人骨でみつかるの?って疑問がありました。

それがすべて納得できるわけです。

今でも辺縁部と中心部に差があるは胡散臭いと思っています。実際地域でクラスター化できるのは知ってますが、起源の違いなど大げさなものじゃなくて、歴史時代の些細な差だと感じています。

3段階仮説の仮説自体は支持するが、その根拠となった辺縁部と中心部の遺伝の差はどうなのかな?と最初から疑問があったからです。だから今は篠田氏の話でやっぱりかと否定したけど、縄文人の中国南方系起源から3段階仮説の仮説自体は間違ってないのかもと相変わらず肯定的です。
チェンジ
2020年09月27日 06:53
ああ3段階モデル全否定ではないです。北海道のアイヌには中国南方系の影響が少ないかも?って解釈ができます。

これについてはちょっと気になります。

礼文島のDNAの記事があったと思うのですが、中国南方の割合がどうだったのか?は知りたいところです。愛知のかなり弥生期に近いものが中国南方との混血の縄文人となってますが、北海道の縄文人も同様だったのか?までは記事では分からなかったような。

縄文人は均一だったってのに、これがかなり重要なんですよね。北海道だけ例外かも?って提唱したのが3段階モデルのキーで当然アイヌでしょう。
チェンジ
2020年09月27日 09:28
明確な遺伝的差異の問題で、弥生時代の中国南方系の影響と縄文時代の中国南方系の影響の区別ができるか?ちょっと怪しいですね。

私は言語的には縄文時代がオーストロネシアで、弥生がオーストロアジアだったと見ていますけど。ただインドネシアあたりとか、タミル語と深くかかわってるO1B1などもしっかり出ます。そのためO1B=オーストロアジアなんて単純なものじゃないってのは確かです。

大きく遺伝的に中国南方系ってくくりではどっちも変わらんと見ています。でも言語的なら多分この話弥生と縄文じゃ分けて考えないといけないんだろうなと思います。後オーストロアジアとオーストロネシアがどう違うのか?良く分かってないですけどね。

管理人さんの記事を読んでいて稲作民族の北上に関して遺伝的な変化を伴うってものがありました。ただその記事にその前の時代の寒冷化で北方民族の南下にも触れてあったので。

山東省ですでにウラルアルタイ化していたかも?って見方はなりたつと思います。シナチベットじゃないのはまあ歴史的に異民族だったと残ってるからです。それがオーストロアジア、ネシアなのか?ウラルアルタイなのか?は分かりませんけど。

この場合のウラルアルタイはウラルアルタイが統一された系統って意味じゃないです。ウラルとかアルタイ系のシナチベットじゃない言語って程度です。
管理人
2020年09月27日 09:46
古代DNA研究では、Y染色体DNAはmtDNAや常染色体DNAよりもデータを蓄積しにくいという構造的問題があり、またYHgは置換・消滅が起きやすいので、現時点で精度の高い推測は困難でしょうが、近年の古代DNA研究の飛躍的な進展を見ると、頻度の経時的変化や地域差も含めて、解像度の向上を期待できるかな、とも思います。

備忘録として一度まとめておくと、現時点でアジア東部北方の古代DNA研究で確認されているYHgは、アムール川流域鉄器時代ではC2b1aのみ(4個体)、西遼河流域では中期および後期新石器時代でO2aが1個体ずつ、青銅器時代でC2b1aが1個体です。黄河上流域では後期新石器時代(斉家文化)がO2a2b1aのみ(4個体)、黄河流域でも仰韶文化ではO1b1a2とQ1a1a1が1個体ずつ、龍山文化ではO2a2b1とO2a1a2とC2e2が1個体ずつ、青銅器時代にはO2a2b1aが2個体です。データが蓄積されていけば、父系での移動や文化との関連も見えてくるかな、と思います。

私が現時点で有力と考えているモデルにおいて縄文人は、アンダマン諸島人やパプア人やオーストラリア先住民やホアビン文化集団と近縁な系統と、オーストロネシア語族の主要な祖先集団と近縁な系統との、遺伝的にはほぼ同等の影響の混合と推測されていますが、これは、北海道礼文島の個体と千葉市の個体に、福島県相馬郡新地町と愛知県知県田原市の個体を含めたデータ分析に基づいており、これまでにゲノムデータが得られている東日本の縄文人が他の現代および古代の集団との比較で遺伝的には相互にひじょうに密接な関係にある、という推測は変わらないので、北海道の縄文人だけ例外だった、という証拠はまだ得られていません。縄文人の遺伝的な地域差と年代差がどの程度のものだったのか、今後の論点になると思います。
チェンジ
2020年09月27日 09:48
D1B1が日本でもきちんとあった点でD1B1説はむつかしくなたっと思いますが、半島の南部に縄文人に近い遺伝子が残ってるのは確かで、人骨も出ています。

ただ難しい点で、韓国人のルーツとして中国南部があるのは当たり前で、中国南部なのか?ホビアン文化集団なのか?だといまいち良く分からないんですよね。

日本と沿海州あたりまえ海岸部に中国南方系の遺伝的影響があるのは雑記帳の記事にもありました。ただひとつ前のホアビン文化系のもも多分絡んでいます。

丸木舟に使用する石斧文化圏って事で、日本には南方からですが、日本からだと沿海州当たりにそれらの影響があり、遺伝的にもかぶります。

このあたりごちゃごちゃになってるのでまた今度整理してみます。

交易はそれなりにはあっただろう。文化圏と言う共通性はない。で、私の中では、縄文集団が韓国南部に移住したのはあったのじゃないか?と見ています。それとも中国南部系なのか?またはホアビン文化を含む日本によく似た別集団がいたのか?このあたりは不明です。

ただ日本のY染色体Dってアマンダンを除くと日本の中で完結できるレベルの多様性の無さが指摘されてて、偶然にD1B1が一致するのか?と言うと怪しいので。縄文人が移住したのじゃないかな?とは見ています。

その点私も弥生で混血したじゃなくて、弥生前から混血していたと見ています。管理人さんも書いてますが、すべては韓国の古代人骨がでないと全く分からないのは確かかと。
チェンジ
2020年09月27日 10:03
> 備忘録として一度まとめておくと

Nが一つもないですね…。私が見た中国の調査はN*が仰韶文化で3体出ています。今見ると南方系ですね。でも私が見たのはNだし、明確に寒冷適応した頭蓋骨とあります。南方系と混血した?なら身長が低くなったのが分かる気がします。

これは中国の農業の起源がややこしくなりますね。南方の農業化が圧倒的に古いのは確かで、その技術が北方に伝達した可能性が出てきましたね。

やはりO1B2はそういった初期に移住した南方民の気がします。以前からO1B2北方起源説があったのですが、単に移住が分岐後早期だった気もします。

悪魔の門までアムールじゃなくて中国北方系の影響が強いなら、やはりN集団とO集団は遺伝的に近いが、文化が違ったのが大きいなと思います。子孫であるうりちにもC2が多いですがNもしっかりでます。

N集団が黄河文化系とアムール文化系に分かれるような気がします。遼河は両者の中間だとしても、やはり大きく分けると遼河と黄河はアムールとは別の中国北方系という遺伝集団だと思います。

> 北海道礼文島

3段階モデルで、北海道が2段階目の影響を受けてないとあったのですが、これ記事見ましたが、大半千葉の人骨でした。北海道も中国南方系と混血と言うのは苦しいと思いました。確か7体のうち6体が千葉のもので。当時縄文文化の発展していたのが関東だったと思います。そこに中国南方系がたまってるのは当然かと。
管理人
2020年09月27日 10:21
上記の中国北方のYHgは、あくまでも一定以上の品質がゲノムデータの提示されている私が直接読んだ論文に基づいているだけなので、これが全てではありませんが、1個体でも情報量の豊富なゲノムデータと比較すると、古代DNA研究で移動を推測するには、YHgのデータにはある程度以上の個体数が必要で、現時点ではまだそこまで蓄積されていないように思います。

縄文人の系統分析は、千葉市だけではなく、北海道と福島と愛知の縄文人のゲノムデータも組み合わせたものなので、北海道が例外というわけではありません。それから、縄文人の遺伝的構成の半分ほどがアジア東部南方系統とはいっても、その混合がいつ起きたのかは不明で、私は更新世だと推測しています。
チェンジ
2020年09月27日 11:06
> 千葉市だけではなく、

これはちょっと雑に読んでしまいました。ええーっと、ただ重要なのは北海道とそれ以外の日本って分け方なので、他のデータが入っても特に問題は無くて、北海道だけのものが南方系が半分もあったのか?は疑問があるって事です。

> 私は更新世だと推測しています。

これは、何度も来てる気がしています。3段階モデルに都合が悪い点として、もっと古い時期のmtDNAがかなりあって大陸に多いハプロタイプがかなり出ています。

重要なのは日本全国に広まったようなものは弥生期に近い時期だったのじゃないか?って話です。

私の場合ネズミの系統が大きな根拠になっています。いくらなんでも更新世にその場合さかのぼることは無いです。

後新石器に入ってからのものだと思うのに縄文における農業の痕跡ですね。

早い時期に更新世にすでに流入があったとは思いますが、重要な人口比率をうごかすほどのものは弥生期に近かったのでは?と考えています。
管理人
2020年09月27日 11:16
北海道の個体も含めてゲノムデータが得られている縄文人は、他の既知の現代および古代集団と比較して相互に遺伝的にひじょうに密接な関係にあり、1集団・系統としてまとめられる、という前提でのモデル化なので、北海道だけ他地域の縄文人個体と異なっている、とは解釈できないと思います。

アジア東部南方系統との混合が何度か起きていてる可能性はありますが、縄文時代の通時的データが得られていないので、判断の難しいところです。これに関しては、今後データが蓄積されていく、と期待しています。
チェンジ
2020年09月27日 11:25
> 北海道だけ他地域の縄文人個体と異なっている、とは解釈できないと思います。

ああ、失礼な物言いになってないか?とか考えてるのですが、これちょっとまずいですね。すみません。あくまで可能性として北海道の個体だけで考えると南方系も含まれてるか?分からないって意味で書いたんですよ。

その意図が読み取れない文章になっていたと思います。そう考えるとなんて馬鹿な事を書いてしまったんだと思っています。本当に失礼しました。あくまで可能性として北海道単独なら南方系が混血してるか?判断できる記事ではないなという意図がありましたが、それが分かるようになっていませんね。本当に申し訳ありません。
管理人
2020年09月27日 13:34
ゲノムデータが得られている縄文人は、他の既知の現代および古代集団と比較して相互に遺伝的にひじょうに密接な関係にあるので、仮に北海道縄文人だけでモデル化しても、同様の分析結果が得られると思います。
チェンジ
2020年09月27日 15:22
ttps://www.ims.riken.jp/pdf/20080926_1.pdf

現代人の地域データがあったので貼っておきます。関東に多様性があるのは地方からの流入者が多いのもあると思います。そのため関東への3国統一後の難民が住み着いたってのはちと分からないかなと思います。

ttps://zhuanlan.zhihu.com/p/26698329

後中国の古代人ハプロについて貼っておきます。中国のサイトですが、翻訳でかろうじて読めるのとアルファベットは分かるかなと。
チェンジ
2020年09月27日 15:51
私は生のデータを知らないので、愛知のものと礼文島のものが非常によく似ているとの記事が過去雑記帳にありました。

なるほどそれなら礼文島のものだけ分離して考えるのは意味が無いですね。

どうも3段階モデル怪しくなってきましたね。これだけ綺麗に混ざってると管理人さんが言うように更世記に中国南方系が来たというのがありそうです。なんかどっと疲れてる気分になっています。

3段階モデルに振り回されてしまったかなと。ただ弥生前の縄文後期に何かしらの集団がそれなりの影響を残してる可能性は高いです。でも全体の中の重要性はそれほど高くない気がしてきました。

どのみち縄文人がオーストロネシアの影響を受けた言語を話していた可能性については変わらないので、良いのですけどね。
管理人
2020年09月27日 17:08
そのサイトを見ると、中国の古代人YHgも蓄積されつつあるようなので、認識を改めねばなりません。上のコメントではアジア東部北方と言いながら中国を意識して省略してしまいましたが、最近の研究でモンゴルや極東ロシアのかなりの個体数のYHgが報告されていますし、アジア東部でもYHgによる人類集団の形成や移動の推定が一定以上の精度で可能になってきたのかもしれません。
チェンジ
2020年09月27日 18:18
ttp://takeda-foundation.jp/seminar/pdf/2020-01-18_seminar_report.pdf

ここに礼文と他の地区の比較できるデータありました。全く変わりませんね。ついでに3段階モデルの詳しいのもあります。やはり北海道は別になっています。

後篠田さんの研究が面白い。

韓国の南部の人骨が弥生人とかなり近いです。縄文人が移住したのか?それとも縄文人に近い集団が韓国南部にもいたのか?とにかくこれで弥生人がすでに混血していたかも?が進んだ感じです。
管理人
2020年09月28日 03:24
今年公表された、古代ゲノムデータも用いて朝鮮人の起源を検証した論文でも、朝鮮半島の古代ゲノムデータは用いられておらず、分析は進められているものの、まだ予備的な段階なのかもしれません。中国とその周辺地域の大規模な古代ゲノム研究も、一般書(翻訳本ではなく原書基準で)で予備的な成果が言及されてから公表まで2年くらいかかっているようです。日本人起源論で朝鮮半島の古代ゲノムデータは必須だと思うので、研究の進展を期待しています。
チェンジ
2020年09月28日 05:45
ttps://www.nishinippon.co.jp/item/n/591652/

〇国立科学博物館の篠田謙一人類研究部長が示した韓国・釜山沖の加徳島で見つかった人骨のゲノム解析だ。「この人たちが渡来したとするならば、混血なしで今の日本人になる」と篠田さん。時期は縄文時代まっただ中の6千年前。

言葉足らずだったかもしれません。まさにそのゲノムが見つかったって話なのですけど。最新すぎてあまり広まってないだけです。

ハプロ的にはNが北方系なのか?O1B2が北方系なのか?は分かりません。ただ可能性としてO1B2が稲作と共に来なくてもいいんですよ。

O1B2は日本人型と韓国人が他の2タイプあったと思います。稲作が半島北部から南下したなら日本人に偏るO1B2がその中心だったのはおかしいです。

日本人に多いO1B2は私は半島南部に偏っていて九州に移住したのじゃないか?と見ています。ここで新石器時代のヤンシャオのハプロが役に立ちます。稲作が新石器時代早期に南部の住人を伴ってかなり北部まで北上してたって点です。後李遺跡の水田に温帯ジャポニカがあったのでは?もその候補の1つです。
管理人
2020年09月29日 03:06
それと思われる情報をネットで見かけた記憶がありますが、出所が明らかではなくひじょうに断片的な情報だったので、とくに気にかけていませんでした。公開シンポジウムでの情報開示とのことで、より詳しい情報を知ることができ、ありがとうございます。私が言いたいのは、「ゲノムが見つかった」のか否かではなく、まだ論文として発表できるほど分析(他の現代および古代の個体との比較など)が進んでおらず、予備的なのではないか、ということです。

縄文時代の日本列島と朝鮮半島との交流が考古学で指摘されているので、縄文人が朝鮮半島に渡って交雑しても不思議ではありません。ただ、考古学では縄文時代の日本列島と同時代の朝鮮半島との交流は限定的だったと示唆されているので、この6000年前頃らしい釜山沖加徳島個体の集団が現代日本人の主要な祖先集団になったのか、レヴァントで鉄器時代初期に一時的に見られたヨーロッパ系統の増加と類似の事例なのか、この記事の情報だけでは定かではありません。論文としての公表が楽しみです。あるいはすでに、この個体を含めて朝鮮半島の古代DNAに関する論文がかなり公表されているかもしれませんが。

また、朝鮮半島の少なくとも一部に縄文人的な遺伝的構成の集団が長期間存在し、西方から到来したアジア東部北方系統集団と交雑した可能性も想定されます。その他にも色々と可能性は考えられますが、この記事の情報だけでは推測の難しいところです。日本列島も古代DNA研究が進展している地域とは言えませんが、朝鮮半島は日本列島以上に遅れていると思いますので、今後の研究の進展に期待したいところです。朝鮮半島の古代ゲノムデータが蓄積されていけば、日本人の起源も解明も進むでしょう。
チェンジ
2020年09月29日 05:32
> 予備的なのではないか、ということです。

ああ私の場合そうじゃないんですよ。もっと突っ込んだ結論を言いたいから慎重に調査を進めてると見ています。それは政治的な部分もあると思います。雑にやってしまうと韓国政府の協力が否定的になるかもって感じもあります。

突っ込んだ結論と言うのは篠田さんはこれまで慎重に韓国南部の現代人のDNAはホアビン文化集団が日本海に向かって北進した名残としてきました。ウリチはなんとも言えませんが、アミとかはその見方で良いと思うんですよ。

沖縄と台湾の遺伝的断絶のようなものはよく言われてるのですが、これ多分過去南西諸島に東南アジアの文化圏があったのが遺物で分かっていますが、遺伝的にはさっぱりです。私はおそらくこの集団は本土まで広がって消えてしまったんだろうなと見ています。だが台湾を使ったルートと言う視点は間違ってないと思います。そのためホアビン集団か?がそういった海の道のルートに残る可能性は高い。ですが、縄文人が中国南方を含むのならそっちかもしれません。

突っ込んだというのは、そのまま縄文人が韓国人になったです。これについて慎重に確信できるまで発表を遅らせるのは当然かと思います。

> 考古学では縄文時代の日本列島と同時代の朝鮮半島との交流は限定的だったと示唆されているので、

私もそれはネットワークの否定で同様な感じを持っています。

> この記事の情報だけでは定かではありません。

私はM7Aの事があるので行けるだろうと見ています。元々これが日本発であるのは公式な見解だと思います。ならそれがいつだったのか?の時期の話になるだけかと。

後それと更世記の人骨もそうですがいつまで待てばいいのか?で集まらないだろう人骨の時期の結論ってのは大体見切り発車でされると思います。私は同じ人骨でさらに突っ込んだ結論を述べるために調査してるだけなんじゃないか?と見てるんですけどね。

他の人骨が発見されるまで待ってるとはちょっと思えないのですけどどうなんですかね…。Y染色体かmtDNAハプロを調べれば日本の下位系統であるか?分かると思うのですけどね。

後考古学程度なら可能性があるって結論も論文としては十分ありですよ。ただ問題は韓国と日本の関係がね…。今後何か支障が出るのじゃないか?ぐらい重要な発見だと思います。
チェンジ
2020年09月29日 06:14
この先どう展開するか?分かりませんが、3段階モデルは苦しいと思えてきました。海の民じゃなくてもう1つの古墳時代までの流入かと思います。それである程度説明が付きます。

縄文後期に何かしらの大きな移住はあったが、日本全体に影響を与えるほどじゃなかったというかと。

そもそも半島ですでに日本人は完成したって結論なしでも、弥生人がすでに完成した日本人になっていた点で、それが全国に広がるときに地方にいた縄文人との混血で辺縁部の縄文色が濃くなったのと、後から入ってきた古墳時代までの大陸の影響で中央部が大陸色が強い遺伝子になったのかと。

3段階モデルは弥生後に3段階目があったになるかなと。

見事に東北が縄文側にズレていて、近畿九州が大陸側に寄っています。これで十分説明がつくかと。
管理人
2020年09月30日 03:23
私が今後の研究の進展に期待していると言っているのは、あくまでもDNA解析であり、新たな人類遺骸の発見ではありません。これまでの古代DNA解析も、多くはかなり前に発見されていた遺骸からでしょう。当然、新たな遺骸の発見は望まれますが。日本列島では(おそらく朝鮮半島も)更新世の人類遺骸はひじょうに少なく、今後も発見は期待薄だと思いますので、完新世遺骸からの推測に依拠せざるを得ないでしょう。私は、堆積物からのDNA解析の発展に期待していますが。

日本列島も含めてアジア東部沿岸部集団とホアビン文化集団との遺伝的類似性は、アンダマン諸島人やパプア人も含まれるユーラシア東部南方系統の北上を表しており、ホアビン文化集団系統とは早期に分岐したと考えていますが、先史時代朝鮮半島の人類集団の遺伝的構成の年代・地域差も含めて、もっと多くの古代ゲノムデータが公表されるまではよく分からない、というのが正直なところです。
一ファン(元通りすがり)
2020年10月31日 16:33
すでに議論が落ち着いたところに混ぜ返すこといなったらすみません。私はもともと、斎藤成也の三段階モデルが縄文‐弥生二分法モデルを壊してくれるという点では面白いと思っていたのですが、そもそもモデルとして(今後の発見次第で可変できるように)ゆるくマイナーチェンジできる余地を残して設計されてる感じで、現段階であまり細かいところを決定しようとそもそもしていない気もしました。その上でいくつか疑問点があったのです。第一に、第二派の到来を4400年前としている点。もっと古そうな気がしますが、なぜこんなに新しい想定なのか?第二に、第二派を「海の民」か「園耕民」(あるいは両者の混合か以降形態?)と規定するのはいいとしても、それを西日本縄文人と切り離して考えることができるか?(p171 で太田博樹のコメントとしてですが切り離している)第三に、第二派が仮に中国南部から来ているとしたら、北方中国人には10%程度見られるのに、南方中国人にはなぜ現れないのか?などなどが謎でした。

その立場からすると、そもそも縄文人をホアビン文化やパプア系などと連なるユーラシア南方系と、原オーストロネシア系と連なる東アジア南方系の混合としたうえで、両者の混合を更新世と仮定する管理人さんの立場は面白いものでした。

ただ、その話を遺伝学上の話だけではなく、言語の話とつなげた時にどうなるのかというのがこの話題の面白いポイントで、普通に考えたらなかなか難しいことだと思いますが、刺激的です。

最近書店で偶然見つけて長田俊樹編『日本語の「起源」論の歴史と展望』三省堂(2020)という本を買って(勉強不足ということもあり)ちらちら読んでいます。日文研の共同研究の成果だそうです。

収録されている中では伊藤英人「古代朝鮮半島諸言語に関する河野六郎の整理と倭濊同系の可能性」という論文が面白かったです。
管理人
2020年10月31日 17:17
仮に3段階モデルがかなりのところ妥当だとすると、第2段階の渡来民系統が南方中国人にほとんど見えないのは、この系統が現在の中国沿岸部では山東半島よりも南にはほとんどおらず、南下しなかったから、とも想定できると思います。到来年代や西日本「縄文人」との関係については、西日本の縄文時代の古代ゲノムデータが明らかにならないと、推測の難しいところです。『日本語「起源」論の歴史と展望』は、目次を見ると面白そうですが、言語学に疎いこともあり、他の未読の論文や本よりも優先しようという気にはなかなかなりません。
一ファン(元通りすがり)
2020年10月31日 21:04
私も言語学についての知識がなく、特に比較言語学や系統論における枠組み設定の技術論的な議論になるともう完全にお手上げで、やれ語順は関与しないだとか、語彙はどうだとか言われても(インドヨーロッパ語研究によって形成された優先順位を踏まえたうえで、それを批判的に乗り越えるためのさらなる言語間の距離の議論がされてるのだと思うのですが)ちんぷんかんぷんです。でもおそらく当人たちにとっては、そこの細やかな技術論に命をかけているのでしょうね?

ただ上記の「濊倭同系」論は素人でもわかる楽しさがありました。『三国志史記』の「高句麗地名」から「倭人の痕跡」を読み取り、「大陸倭語」の存在を仮説し、百済語新羅語にも影響を与えたとすると、その言語の担い手は誰か?歴史書の中で言うどの集団がその言語の担い手でありうるかを、推論的に追いかけていきます。

「高句麗地名」では単に現地語の音訳がされてるだけではなく、意訳もされてるそうで、紀元前に漢字を使えた現地民として濊人に候補を絞ります。

私は濊と貊は何となく北方系の同族と思っていたのですが、著者は濊人を華北山東省あたりの内陸水系民で、中国東海岸を海民であった倭人と共に東へ移動していったと仮定します。濊人は漁労、遠隔地への海産物の輸送販売を生業としていたといいます。中期朝鮮語では倭と濊は同音だったと言います。濊は朝鮮半島全域に広がっていたといいますが特に水田適地ではない東海岸を根拠地とし、ナレズシなど広義の百越系文化要素を半島にもたらしたと推測します。現在でも水田不適地にナレズシ文化が残り、かつての濊の分布と重なるそうです。

問題は濊倭語系の中国東岸北上と朝鮮半島の南下をいつごろと見積もるかでしょうか。著者はそれほど古い時代を想定していなさそうです。この論文が私にとって面白かったのは、この濊と倭の人口の流れの中で、著者のいう広義の百越系(おそらくオーストロネシア系でしょうか?)の言語がアルタイ語化したと想定せざるを得ないことです。著者は韓語の影響といってますが、貊などのツングース系の影響と考えることもできるかもしれません。

時代がどこまでさかのぼるかは議論されておらず、紀元前に漢字文化を身につけていたことが「大陸倭語」の具体的候補が濊語である根拠とされています。

もし著者の意図を超えて時代をさかのぼるなら悪魔の門遺跡ぐらいまではツングース系と濊系の混合のもるれあった歴史をさかのぼることはできるようになるかもしれませんが、更新世は難しいでしょうか。

管理人さんのご関心とは異なるかもですが、そんなお話でした。
一ファン(元通りすがり)
2020年11月01日 06:34
たびたび失礼します。更新世は難しいかもと書きましたが、悪魔の門について韓国人起源論的な立場から(ナショナリスティックな側面を多分に含むことは以前このコメント欄で別の方がご指摘された通りでしょうが)言及しています。

https://s.japanese.joins.com/JArticle/225352

どの程度「まともな」研究なのかはわかりかねます。ただ、従来の韓国人起源論は南方の農耕民と北方の狩猟民の合成とされることが多かったと思いますが、それを「3万~4万年前に東南アジア~中国東部海岸を経て極東地方に流入して北方人になった南方系狩猟採集民」と、「新石器時代が始まった1万年前に同じルートで入ってきた南方系農耕民」の合成ととらえなおした視点は興味深いと思いました。

3~4万年前と1万年前だと更新世ということにもなてきます。

この前提の上に(無理やり)前述の伊藤論文を乗せると、南方からの北上の流れの中で濊とか倭が(生業や移動ルートによって)分化していったことになるでしょうか。河野六郎によると『三国志』夫余上の記述から、濊には後に(匈奴の圧力によって東遷した)貊族の夫余が侵入し、濊人を支配し、「濊王」の称を受け継いだと伊藤論文で(学説史的に)紹介されています。3~4万年前以降、南方系のながれと北方系のの流れが合流してきたと考えると、このあたりでの(原)濊語(=大陸倭語)のアルタイ語化や、そこからの百済語新羅語、(列島)倭語の分化などが想定されるのかもしれません。実際、伊藤論文によると、兪昌均という研究者は濊語の研究を通して、濊が斯羅、韓、倭、高句麗へと分化していった可能性について述べているそうです。

また「ツングース」という言葉はもともと、遊牧民側から定住民を見て「豚を飼っている者」という別称であったという(俗?)説もありますが、3~4万年前以来の南方系との混淆の中で、中国東北部においてモンゴル系とツングース系の分化が起こっていった可能性もあるかとおもいます。より北方系的(あるいはチュルク系よりの)モンゴル系と、より南方系と混淆したツングース系という分化です。

ただ伊藤論文によると濊語は後により貊のインパクトを受け濊狛が一体化し、さらに靺鞨語になっていったとされますし、伊藤論文とは関係ないですが一般にモンゴル系ともされる柔然や狭義のモンゴル族(チンギスハーンの祖先=蒙兀室韋)も靺鞨・勿吉とアムール川上流で混ざっていたとも言われます。

要するに、モンゴルやツングース系、濊と倭、高句麗と韓などの分化をこの南方系の長期にわたる流入の歴史の中で考えられたら面白いんじゃないか?それは日本語の形成(アルタイ語化)ともかかわるでしょうし、西日本縄文人と東日本縄文人の関係、斎藤成也のいう第二派、伊藤英人のいう大陸倭語(濊語)の存在などを一緒に考えてみたいと思ったのです。

言語学にも遺伝学にも素人のたわごとですが。そういう観点から、管理人さんの記述を面白いと思った次第です。しつこい説明で申し訳ありません。
管理人
2020年11月01日 09:48
黄河流域新石器時代集団のゲノムにおいて、稲作の痕跡の増加とともにアジア東部南方系統の割合の増加が確認されているので、百越(的な集団)が山東半島新石器時代集団に文化的な影響を与え、その集団が北上した後に朝鮮半島へと南下し、ツングース語族に近い言語との融合により祖型日本語が成立した、と想定することもできるように思います。あくまでも、古代DNA研究を当てはめて何とか解釈してみたにすぎませんが。

悪魔の門遺跡集団に関して最近の研究では、アジア東部北方系統を基調としながらもアジア東部南方系統との混合が指摘されていますが、断定は今後の研究の進展を俟つべきと考えています。
チェンジ
2020年11月02日 06:24
横レスですが、ツングースってのはモンゴルより北方だと分布的には思います。

ツングース語族全体の広がりと海岸部への南方系北上との流れは分けてみるべきかと思います。ツングースは海岸より、モンゴルはその内陸、トルコはもっと内陸って感じです。

そのためツングースは南方系の北上と重なる部分が多いですが、全くの偶然じゃないかと。

後それと中国南方系の日本への流入は起源は分かるが時期とルートが良く分からないってなると思います。そのため南方系の北上は日本とはとりあえず分けて考えます。

さて南方系の北上ですが、私は2回大きな波があったと見ています。ただし新石器時代だけです。この点は最近の管理人さんが扱った研究が新石器後しかほぼ分からないからです。田園洞人とかありますが、旧石器のデータは例外に近い。参考にできるのはANS系統だけかと。日本の場合縄文時代にっ父系Dが出てるので、それである程度片方は推測できます。

管理人さんに聞いたわけじゃないですが記事を見てると2回あったのが読み取れるような気がします。何度も読んだのですがただ分かりにくい。

はっきり分かるのは稲作の北上が起きた寒冷期の後の弱い温暖化です。ただ、実際こっちより有名なヒプシサーマル期にも多分北上しています。どこかで管理人さんも触れていたと思うのですが、こっちは明確には思い出せません。

有名なのは、買湖遺跡での稲作で、あまり知られてませんが、山東省北部の遺跡でも水田後が見つかっています。この2つは違うイベントなのでそこは気を付けた方が良いと思っています。

言語の成立として新石器時代早期の北上は南部系の影響が全く消えてしまってる可能性が有るからです。
管理人
2020年11月03日 05:43
悪魔の門遺跡の古代DNA研究に関しては、その後大きく進展したアジア南東部・東部の古代DNA研究を踏まえる必要があると考えていますが、現時点で私には名案がありません。堆積物の古代DNA解析により研究が大きく進展するかもしれない、と期待しています。
チェンジ
2020年11月03日 06:02
悪魔の門ですが、子孫であるウリチ族はアイヌとの混血があるみたいです。悪魔の門の記事覚えてないのですが、あの地域に縄文人と同じ系統のDNAが見つかるのは、いつの時代だったから?明確じゃないのですが、ウリチ族に関しては近代にアイヌの血がかなり混ざったことが原因っぽいです。

歴史として残ってるので、これが原因かな?と解決としたいのですけど。

旧石器時代に何かしらのアジア南方古層集団の形跡があった可能性が有るですが。こういった近代のアイヌの活動も絡んでるとかなりややこしいです。

今回新石器時代の中国南方系の北上についてがメインですが、根本的には旧石器時代の狩猟採集民の北上がベースになってると思います。

ハプロで申し訳ないのですが、韓国のベースと言うのはC2系と言うよりC2系を伴ったmtDNA=D系の北上なんじゃないか?と思います。

そこでC1やD系はどうだったのか?がひっかかるわけです。あのあたりにアメリカ先住民と同系のATLウイルスの発生があったと思います。
チェンジ
2020年11月03日 06:08
後大きな流れにはかなりどうでも良いのですが、ルート的に中国に多いQM120がペルーでも見つかるのですが、これ中国人の移住とかじゃないです。分岐が中国人のものより古い。

ただM120自体が旧石器に誕生はないだろうと見られていて、そうなると新石器時代にアメリカに移住した可能性が有ると、親系統がエスキモーなのでM120が旭東北部で生まれたとすると簡単なのですが、南米でヒスイが見つかったのがあり、殷のものや縄文人のものとよく似たデザインと言うのを聞きます。

ソースがしっかりしないのですが、mtDNAが山東省のものだったとか。アメリカのD4と中国のD4は区別付きますからね。

全然関係ないだろうってものですが、まあ北上話でついでに。
チェンジ
2020年11月03日 06:23
> 2019年06月01日
北海道の「縄文人」の高品質なゲノム配列

〇船泊縄文人と遺伝的に比較的近縁な地域集団は、(省略)古代人では7700年前頃の朝鮮半島に近いロシア沿岸地域の悪魔の門(Devil’s Gate)遺跡集団(関連記事)です。

ええーっと、うーん、すみませんでした。ちゃんと記事に古代から縄文人と近縁だとありました。

これなんでしょうね。C2を伴ったD4系の北上では説明できないと思います。

考えられるのはC1D系の北上と、単純に縄文人の沿岸地域への移住ですね。

アメリカ先住民のアボリジニに近い遺伝子が見つけるのもあり、かつATLの日本に近いインド型が見つかるのもあります。ただし、カリブ海にあるATLウイルスはアフリカ人の奴隷によるものだそうです。ウイルスの系統が違う。

韓国人の旧石器時代の狩猟採集民の北上は悪魔の門の系統の話だと思います。ただ、そこに先行する形でC1D系統のアジア南方古層集団の北上は無かったのか?がいまいちよく分からない。

分からない原因に縄文人の移住が強く絡んでいます。
チェンジ
2020年11月03日 07:04
ごちゃごちゃしてるのですが、管理人さんは縄文時代の中国南方系がオーストロネシア語の融合と関係してるのじゃないか?と過去書いてたようなきがしたのですが、私の勘違いだったかもしれません。

今回見たら、稲作民の北上と北方言語民族との融合が日本語祖語の元になったとなっていました。

うーん…。

言語の中で言葉は変わっても音が残りやすいってのがあるかと思います。そこから縄文=オーストロネシア、弥生アルタイってのを想像していました。

何か読み間違いましたかね。その管理人さんの過去発言に同意して書いたので、そこが変化したとなるとなんとも良く分からない発言に私の発言なってると思います。

日本語の南方要素と沿岸地域の南方要素は土台部分が全く違うって点で書いたのですが、すでに渤海付近で北方南方が融合していたというなら、確かに通りすがりさんの話と繋がりますね。

ただ私はツングース全体はエヴぇんきの当たりまで含めると南方ツングースと北方ツングースに分かれるので、モンゴルよりはどっちかといえば北方集団だと思います。そのため南方ツングースに影響を与えたかもしれませんが、ツングース語の元みたいなものはあくまで旧石器からいるアジア北方東海岸の原住民の言語から派生したものだと見ています。
管理人
2020年11月03日 07:41
現時点での私の認識は以下のようなものです。

日本語が祖型オーストロネシア語族と広義のツングース語族的言語との融合により成立したならば、「縄文人」はオーストロネシア語族集団の主要な祖先であるアジア東部南方系統を一方の主要な祖先としているので、「縄文人」の言語に祖型オーストロネシア語族的要素が濃くあっても不思議ではないでしょう。この(おそらくは西日本)縄文人のオーストロネシア語族的要素のある言語と、縄文時代晩期以降に日本列島に到来した遺伝的にアジア東部北方系統の影響の強い集団の、おそらくは広義のツングース語族的言語が融合して日本語祖語になった、と想定できます。

一方、日本語が祖型オーストロネシア語族と広義のツングース語族的言語との融合により成立したとの前提は同じでも、上記とは異なる想定も可能です。稲作の北上に伴って黄河流域新石器時代集団のゲノムで(おそらくは長江流域新石器時代集団に由来する)アジア東部南方系統の割合が増加しており、このアジア東部南方系統集団の言語が祖型オーストロネシア語族で、縄文時代晩期以降に日本列島に到来した集団に遺伝的・文化的影響を及ぼしたとすると、すでにアジア東部大陸部で、日本語祖語となる祖型オーストロネシア語族と広義のツングース語族的言語との融合が起きていたかもしれません。

私は現時点では、前者の可能性の方が高いと考えています。
チェンジ
2020年11月03日 08:51
なるほどなら私は第3のパターンと言えますね。

縄文期に中国南方系の渡来の影響でオーストロネシア化した縄文語とツングース系の弥生後が混合した言語。

稲作の北上による南方系の言語の影響はほぼなしと見ています。日本語以外で南方系の影響について語られる言語がほぼ無いんですよね。今回通りすがりさんの意見を見て新鮮だったので刺激を受けたのがあります。

ひょっとしたらアイヌは南方言語の影響が少なくホアビン文化系が残ったか?または、旧石器のツングース系の影響。これは管理人さんと同じですね。かつオホーツク文化の影響などなど。

何かオホーツクの大陸側の母体じゃないかと予想されるニウブってツングースとも違う特殊言語らしいです。あのあたりに特異なPが含まれてるためエスキモーアリュートに近い可能性が有ります。

私の考えが独特なのはやはり篠田さんの最新の研究の影響でしょうね。6000年前の韓国南部でほぼ日本人と同じクラスターに位置する集団がいたなら、その後の稲作の北上集団とはあまり混血してないんですよ。

おそらく稲作は遺伝集団ではなくて文化伝達。私と管理人さんだといつもここが大きくずれますね。私は考古学的証拠を軽視するケースが圧倒的に管理人さんより多いです。遺伝子を調べて覆るパターンが多すぎて、文化伝達は良くあることだと見ています。人はすぐパクる。
チェンジ
2020年11月03日 11:23
ワイ族についてですが、父系O1b2がワイと倭の共通性だと見ています。

その点で見ると、わいこそが倭の大きな母集団だと見ています。ただ分岐が古くて集団の自意識としては同じ集団だと思ってなかったのじゃないかと思います。漁労を中心とするので勝手に他国人が同一視してただけじゃないかと。

日本に多い特殊なO1B2、その他のO1b2すべてがワイ族かと。

じゃ稲作民はだれが担い手か?でこの点父系が良く分からない集団にO1B2が混じってだけだと見ています。

私は南方民の言語的影響は縄文人にだけで、北方のアルタイ語族には影響を与えていないと見ています。そういう研究もないですし。

ワイと倭が関係があったとしても言語的に南方系がどうたらはかなり薄いかと。日本に南方言語を持ち込んだのはあくまで縄文人への影響で弥生的にはないだろうと見ています。

それと言うのもO1Aも確かに多いのですが、同じぐらいO1Bも数多くあります。O1Bは有名なオーストロアジアです。

タミル語との関係で稲作だけ関係してるかもしれないって研究は面白いと思います。言語学者の大野氏のアイデアから一部だけ拝借したものです。

ヒプシサーマル期の南方系の北上で曹操の先祖系統が中原に来ています。でも中国語に対する南方系の影響は昨今はあまり言われないです。以前はタイ語との関係が言われましたけど。

続いての温暖化による稲作の北上。これが無文土器文化とかかわっています。無文土器も稲作民がもってきたものだとか、遼河西方の文化からだとか分かれますが、私は遼河西方のものに傾いています。

これらの南方系の影響ってほとんどないという見方に傾いています。稲作だけがぽつんと突出してるだけで、すべてが北方スタイルになっています。ドルメンもそうです。

根本的に縄文人に与えた中国南方系の影響と渤海東側に与えた影響じゃ大きく異なると見ています。

ワイ族は稲作民と言うより漁労民として有名なようなのならヒプシサーマル期の北上の方じゃないかと。

後稲作北上期についても、その前の寒冷化で北方民族の南下があります。そのころには中国南方系の住民は北方系の住民とほぼ変わらない容姿になっています。現在の中国南方民に近づいています。

言語的に山東省のあたりなら中国語かアルタイ諸語の影響を受けた言語になっていてもおかしくはない。

私の中で倭の中国南方要素は縄文人だと見てて、正直渤海辺りの海の民が必要が無いです。何故ツングースなのか?となる部分があるのですが、日本の北方要素は、N系のウラルに近い謎言語だと見ています。

ただウラル語だとはっきり言えないのは、ウラル語がN父系がしっかりしてるのに対して、古代Nが父系として多かった地域は見事に他の移住した父系にすり替わっています。そして母系D4だけが確実に残っていきます。

母系じゃないですが、家父長制度がしっかりしてなかったのは間違いない言語なので、ウラル語とはちょっと違っていたと見ています。

ツングースが大きな影響を受けたのならこれだと見ています。北方のエヴェンキもやクート族との混血が多いようですし。まあこっちは父系Nがしっかりしてるんですけどね。

中国も含めて母系D4の謎言語があったと見ています。
管理人
2020年11月03日 11:33
文化とDNAの関係については、相関している場合(ヨーロッパの初期農耕拡大)も、そうではない側面が多い場合(アジア南西部の初期農耕)もあるので、個別に判断しなければならない、と考えています。
チェンジ
2020年11月03日 11:34
もうちょい書くとオーストロネシアの拡散と稲作の北上の時期ってズレます。そもそも稲作民の拡散ってO1Bが主体でオーストロネシアの拡散とは、微妙に集団が違います。

時期も、北上と南下は全く違います。タミル語などに影響を与えた稲作民の南下はオーストロネシアの拡散とほぼ同じ時期。ですが北上はその後のちょい温暖化の時期に広がります。

なおかつ、ヒプシサーマル期の北上ともまた違います。

縄文人に影響を与えたのはどの時期なのか?分からないです。後石刃石器の流れもあり、旧石器ならその頃だろうなと。私はヒプシサーマル期だと見ています。これはオーストロネシアの拡散時期になら、今調査されてる縄文人の核DNAに変化が出るからです。新石器時代=縄文時代に大きな変化はありません。そのため早期のヒプシサーマル期の時期かな?と見ています。
チェンジ
2020年11月03日 11:38
確かにそうですが、

> ヨーロッパの初期農耕拡大

これもイギリスに入るころに父系がアイスマンのG系からクロマニオンのI2系に変わっていたの管理人さんの記事で見ましたよ。

核DNAとしてはあくまで中東系なんでしょうけど。

イギリスの巨石文明の担い手で中東に多いG系じゃなくてI2系になってるのは、なかなかいやらしい変化だと感じます。母系は中東系なんでしょうけど。
管理人
2020年11月03日 12:02
新石器時代ヨーロッパ農耕民集団において、在来の狩猟採集民男性に偏ったアナトリア半島起源の農耕民との交雑が想定されていますが、系統構成の分析でもアナトリア半島起源系統の方が割合はずっと高くなっており、ヨーロッパの新石器化が集団の移動に伴う文化伝播だった、との見解は変わらないと思います。
一ファン(元通りすがり)
2020年11月03日 13:09
(チェンジさんへ)ツングースについてややこしい書き方をしてしまいました。すいません。

私は(このブログの一ファンにすぎないので)チェンジさんのようにY染色体のハプロタイプに特化?した議論をする自信がそもそもないのですが、少しだけチェンジさんに話を合わせてお返事してみます。

確かに(民族として)北方ツングースと南方ツングースを分けるならば、私の話はほとんど南方ツングースの話と言っても過言ないと思います。そして南方ツングースは清代以降その大半がほぼ女真・滿洲系に統合されているので、話を現代に限ればシベリア系の北方集団はほとんど関与しないかもです。

ただ北方ツングースの形成について一言だけ述べておくと、私はシベリアには古アジア系集団(現代人だとユカギールとかチュクチ)が先にいて、そのあとから北方ツングースやチュルク系が入ってきて、最後のモンゴル系(ブリヤートなど)が入ってきたと考えています(旧石器時代の北方系の南下とは別にアルタイ系の北上があったのではないか?と想定しています)。

ウィキペディアの荒い情報でのYハプロタイプ統計(すみません)で言うと、(古アジア系の)ユカギールはQ(31%)という基層の上に(西から)N(31%)がかぶさって、そのうえに(北上した)C2(31%)がのっかっていると思います(順序根拠もないですが、そう推測しています。軽い想定ですが)。

一方、北方ツングース系のエヴェンキだとN(19.7%)とC2(67.7%)が、チュルク系のサハ(旧ヤクート)だとNがメイン(88%)です(ただしヤクートはもともとウラル系だったのが急速にアルタイか下とも考えられます)。まあ遺伝子分類と民族など文化的分類はそもそも別の流れの上にあるので一致はしないでしょうが、おおまかに人の移動についていえば、古シベリア系に対して、西からN、南からC2(アルタイ系)が北上という理解でいます。

ツングース系に話しを戻すと、古代であれば濊貊や夫余、(夫余系が建国としたという)高句麗が漢化した南方系ツングースであるのに対して、粛慎が北方系でしょうか。北方系の粛慎は『日本書紀』に、蝦夷(おそらくアイヌ系)と敵対する勢力として描かれています。おそらくオホーツク文化の担い手だったのではないかと想定しています(自信はないですが)。

ずっと後の清朝時代には、南方ツングースが女真・滿洲系に統合され、満州になれなかった他の(つまり北方)ツングース系(黒竜江流域の)も例えばウリチなど、アイヌと山丹交易を行い、さらにのちにはアイヌ松前藩経由で、江戸とも交易を行ったことが知られています。ツングース系の族長には清朝の官服や、なかには皇帝を示す龍の紋章が入った下賜された滿洲服までが「蝦夷錦」の名で江戸にまで来てたというので、アイヌと北方ツングースのネットワークはかなり近代まで長期的ないしは断続的に続いていたことは間違いないと思います。

ただ繰り返しますが、ここでの私の話は南方ツングースの形成にしか関わりません。古代で言えば濊狛が漢化し、粛慎と区別された分岐と言えばいいでしょうか。あるいは現代のY染色体ハプロタイプの分布(同様にウィキの荒い情報ですみません)で言うと滿洲人はC2が16.8(25.7)%、O2が42.6(37.1)%、O1bが33.7(14.3)%、Nが「-」(14.3)%で、データによって偏りがあるということはおそらく近代化の中で多様化してしまってるのだと思いますが、構成の割合が基本的に朝鮮人と非常に近いんですよね(データによっては満州人にNが出てくるのは大きく違いますが)。一方ナナイやオロチョンなど北方ツングースはO1bがそれぞれ6.7、6.5と満州族と比較すると圧倒的に少ないです。モンゴル人になるとさらに少ないです(ほとんどゼロ)。

最初に書いたようにY染色体のハプロタイプの議論に特化できるほどの知識を私は持っていないですが、現在の分布が形成される過程で南方ツングースが漢化していった要素を無視することはできないとは思います。Oをめぐる動きと漢化の関係と言えばいいでしょうか。

遼河文明の担い手が基層のNの上にCやOが乗っかってきたり、長江文明や黄河文明との相互交通の問題であったり、長江流域からの長期的な沿岸地域での人(海民?園耕民?)の北上であったり、という問題と、倭人の形成、大陸倭語の形成=アルタイ語化という問題を一緒に考えて見たら面白いのではないか?というのが私の提案です。

もちろん、チェンジさんみたいにそれは別の問題だと区別することもできますし(むしろ区別するのが普通でしょうし)、管理人さんのように、その(日本語形成の)場所をどこに想定するかという問題もあるとは思いますが。
一ファン(元通りすがり)
2020年11月03日 13:11
(管理人さんへ)
論理的には管理人さんが整理してくださった区別はとても分かりやすかったです。確かに私は後者に近く、管理人さんは前者に近いのかもしれないです。ただ実際には人の流れが継続していた場合、言語の形成がどこで起こったのかを特定するのは、私の立場では難しいかもしれないです。仮に影響(融合?)の開始は河北や遼東から半島地域で始まっていたとしても、融合の過程で分化も起こり、それが濊語、倭語、(濊狛から)高句麗語、百済語、新羅語と分化していったとすると、当然人(遺伝子)も混ざりながら南下していくでしょうし、理念型としては前者と後者ははっきり違いますが、現実的には連続的な気もします。つまり融合・分化の完成(基層部分)は人の移動を伴いつつ(東日本縄文人の言語の影響もうけつつ)列島で起こっていったと想定されるからです。人の移動は遺伝子的に言えばあとになるほど斎藤成也の言う「第二派」から「第三派」に近づいていくでしょうし、形態学的には「大陸系(渡来系)弥生人」の形態が相対的に増えていくであろうからです。だとすると人の移動と共に列島で言語変化が起こったという状況と本質的な区分はできない気もします。少なくとも見た目上は連続的になってしまいそうです。

融合の開始を大陸に置くことの意義は朝鮮語のアルタイ語化と日本語のアルタイ語化をどうとらえるかと関わっています。古代朝鮮語がアルタイ語化してその影響で日本語がアルタイ語化したと考えるには、日本語と朝鮮語はあまりに語彙が離れている気がするからです。その割にあまりに文法的に近すぎる。モンゴル語と日本語も非常に近いですが日本語と朝鮮語はそれよりもさらに近い気がします。

伊藤論文の「大陸倭語」説の利点はまず大陸倭語(理論的には「大陸倭語」ですが現実的には濊語を想定)が成立し、それがアルタイ語化して行く過程で倭語系が分岐し、その中で新羅語をベースに漢語の影響を多分に受けながら朝鮮語が形成されていったと考えることができる点です(その過程で語彙が離れていった)。別の言い方をすれば濊語から高句麗語、韓語、列島倭語が分岐し、韓語のうちの新羅語をベースに朝鮮語が形成されていったとも言えそうです。

一方、崎山論文ではオーストロネシア語を基層として古代日本語の成立を縄文後晩期と仮設したうえで、アルタイ化を(ツングースが広がった)紀元前一千年(ほぼ弥生時代)に置き、その間の3千年の間隙をどう接続するかを今後の課題としています。(その3千年の間に北方ツングースから南方ツングースが区別されたり、遼河文明が変遷していったりしたのだと思います。)日本語と朝鮮語について崎山は、朝鮮語も「『アジア大陸部で』行われた混合語である可能性も否定できない。したがって系統論的に縄文時代に両言語の祖語が存在するというような『次元を超える』現象が、両言語に発生していたとみる方がよい」(二重鍵括弧は引用者)と言っています。朝鮮語は「アジア大陸部で」ということは(それとは対照的に)日本語は日本列島でと想定しているかもしれないですが、他方で共通の祖語の存在も想定しています。

個人的には日本語の形成にも関心ありますが、弥生人の形態学的な分類(土着系弥生人=縄文系弥生人と渡来系弥生人=大陸系弥生人の区別)と遺伝子的な分類が従来の想定と一致しないことも、斎藤成也のいう「第二派」の到来や、この大陸倭語の想定と一緒に考えることでいろんな解釈ができるようになるのではないか?と考えています。

そして結論としてはいつも西日本縄文人(先日の記事では静岡の縄文人の核ゲノムを分析した時一緒にやったんでしたっけ?途中まで)がとても気になるということでいつも終わるのですが。
一ファン(元通りすがり)
2020年11月03日 13:14
管理人さん。申し訳ないですがお二人へのお返事を分けて書きました。ここでしていいことなのか分からないですが、もし控えた方がいいなら以後気をつけますのでご指摘ください。失礼しました。
管理人
2020年11月03日 14:05
率直に言うと、ブログで収入を得ているわけではなく、管理負担を増やしたくないので、この記事のように多くのコメントがついて、第三者同士でやり取りが続くのは困ります。

続きは商用の掲示板やサイトのコメント欄などでお願いします。場所を教えていただければ私も拝見する予定ですが、面倒なら放置でもかまいません。
チェンジ
2020年11月03日 14:20
> Y染色体のハプロタイプに特化?

これは誤解を受ける可能性が有ると思っています。最重要は核DNAの調査です。ただY染色体はとても分かりやすいってのがあります。それに大きな問題として、稲作に関する民族は基本南だろうが北だろうがD4にmtDNAはなってしまうためY染色体の方がその集団を示すものとしては分かりやすい。Y染色体ハプロタイプに決して特化した見方じゃないってのは書いておかないと思いまして。

> 私の話はほとんど南方ツングースの話と言っても過言ないと思います。

そうなりますよね。

> 女真・滿洲系

これなら確かにモンゴルより南ってのが分かります。

> 私はシベリア

私は違いますね。チュクチの問題は父系にNが多いです。このN集団はアメリカ先住民にいないため後から北上したのが分かります。そういった関係でANSが先行してとなりますが、極東の海岸部に限ってなら、C2を中心としたおそらく祖ツングース集団はかなり北方に最初からいると思います。

あくまでANSが北方集団ってのはロシアも含めた広い範囲の話で海岸部だけに特化するならツングース集団もかなり北方です。ただし、さすがにエスキモーアリュート語族のいる地域はあまりいませんけどね。どっちが先か?ならC2集団に関しては同時期って感じです。

旧石器時代のDNAがほとんど無いので新石器の分布から想像で話す部分が多くなってしまいます。そもそもモンゴルも海岸部よりの無い陸地だろうと予想できます。トルコ自体もモンゴル高原より内陸で、最初のモンゴル高原の集団はNを中心としたウラル集団です。そこにQを中心としたANSがいたのか?は不明です。バイカル湖はQー>Nの順で、ここからエベンキなどが混じってる感じです。扱いが難しいのは、次にQ集団であろう匈奴が来て、トルコが来て、かなり後になってブリヤートぶりやーと人が来てチンギスハンのモンゴルが来ます。

匈奴と元からいたANSはどう違う?と言われるととても困りますけどね…。エベンキがモンゴルより先だったってのはちょっと適当です。やくーと人と混血が多いため、バイカル湖までいって東に戻ったのか?または、バイカル湖から移住したやくーととサハ地区で混血したのか?がかなり適当ですが、サハ地区の辺りまでいたのは確かでしょうね。

まあ南ツングースって点ならその通りなのですが、問題はそこじゃなくて、ツングース言語と言うまとまりが、シベリア海岸部で広がったのを示唆してると見てるんですよ。そこに新石器時代以後に広がった中国南方系の影響は必要ないと見てるからです。

> そのうえに(北上した)C2(31%)がのっかっていると思います

ああ今わかりました。それは北上じゃないです。西進です。多分このセンスが私と全く違うためだと思います。元々トルコが遊牧民になるまえはトルコモンゴルツングースは、すべて海岸部によってたんですよ。トルコモンゴルツングースはアムール川を挟んで、西に向かって進んだと見ればいいかと。トルコはアムール川の北側を通ってバイカル湖に言った可能性はありますが、モンゴルは多分違います。

どちらにしろシベリアじゃなくて、トルコモンゴルってのはモンゴル高原にどちらが先に来たか?って集団で、シベリアだと圧倒的にツングースだと思います。最もすべてにおいて先行者はウラルなんですけどね。トルコはおそらく北側を通ってますが、基本的にはシベリアには進出してないです。ヤクートはかなり後の時代でトルコ語になったか?バイカル湖でトルコかしたか?かと思います。

ツングース系に話しを戻すと、古代であれば濊貊や夫余、(夫余系が建国としたという)高句麗が漢化した南方系ツングースであるのに対して、

> 粛慎が北方系でしょうか。

一応アムール川の南側なので南方系です。ただ女真の前身はかなり海岸部よりに住んでいたはずです。高句麗の誕生と新羅の誕生で西に広がったようですけど。女真はC2A系だけど、扶余高句麗はおそらくC2B系(王族はカザフなどに多いO2の可能性もあります)です。このC2Bはそもそもアルタイ系ですらないです。中国を中心とした南に分布した系統で、これはやっかいなんですよね。

父系ハプロで語るときかなり問題になる部分です。あくまで分かりやすくするために使うので、逆にこのように分かりにくくなるケースもあります。正直C2Bは遊牧民で語るのは不適当だと思います。ただモンゴル高原でもたっぷり出ますけど。

> ここでの私の話は南方ツングースの形成にしか関わりません。

考え自体はすごく分かりますよ。南方ツングースに関してはまさにその通りなので。ただね言語としての成立過程で中国南方系の集団が影響を及ぼしたとなると、北方ツングースも語族なんだけどそれはすでに南方系と接触前に言語としては分岐してたのでは?って疑問が生じるわけです。

> 古代で言えば濊狛が漢化し、

この点満州に残った濊狛と、半島に移動した濊狛は分けられるのかと思います。この移動を見てるともろO1B2の分布と被るため、はくじゃなくてわいは南方から北上した漁労をしていたO1B2の集団だろうと見ています。

> O1bがそれぞれ6.7、6.5

渤海から広がったと見ています。だから周辺部は当然減っていくかと。

> Oをめぐる動きと漢化の関係と言えばいいでしょうか。

これもっとややこしいですよ。O2が漢民族を示すか?と言うと、宮本さんと言う農業を中心にこの付近の民族の移動を調べてる人が、黄河文明の雑穀文化を伝播した集団がいるだろうと見ています。大体紀元前3000か4000年あたりだと思います。漢民族の歴史時代の移住よりこっちが大きいと見ています。それは漢化と呼ぶのとはちと違うと思います。

> アルタイ語化という問題を一緒に考えて見たら面白いのではないか?というのが私の提案です。

この辺りはアルタイ諸語の南方とのつながりが分かれば面白いですね。日本語は散々それをやってるのですが、アルタイ諸語はどうなんでしょうね。

> もちろん、チェンジさんみたいにそれは別の問題だと区別することもできますし

根本の部分で、私が異色だと分かりました。管理人さんとも違うとは思いませんでした。管理人さんが旧石器の日本で接触したって考えで、私が縄文時代に半島南部で中国南方系に影響を受けた縄文系が接触したです。曽畑式土器の誕生が実際に混血を伴ったものだったのじゃないか?って見方です。通りすがりさんが、渤海や満州辺りでツングース全体に影響を及ぼしたと。

アルタイ諸語が統一できないって考えがあり、その点からC2の祖言語からの分岐ってのが苦しいってのがあります。だから3言語が近代にそれぞれ成立したって考えがあり、それならかなり私の考えは問題になります。

実際のところどうなんでしょうね。ツングースに南方言語の影響あるのか?または南方系ツングースだけに南方言語の影響があるならもっと分かりやすいものになるかと、これは専門家じゃないと分からないですね。


ちょっと長くなりました…。
チェンジ
2020年11月03日 14:37
> 第三者同士でやり取りが続くのは困ります。

了解しました。迷惑かけてしまって申し訳ありません。私が横レスしたのが最初なので全面的に私の問題です。

書き込んだ後レスがあったので、そうなのかと後でしったため長いコメントしてしまい、本当に申し訳ありません。

通りすがりさんにも、レスはスルーしてくれるとありがたいです。今後横レスには気を付けます。
一ファン(元通りすがり)
2020年11月03日 14:41
了解しました。ご迷惑をかけてすみませんでした。ということで、私はこの記事の議論については一旦おります。また別の記事などで機会がありましたら、よろしくお願いします。失礼しました。また、ありがとうございました。
チェンジ
2020年11月03日 14:55
管理人さんに直接ですけど、批判的ってわけじゃなくて、縄文時代に北方系の流入が日本語のベースになってる部分ですが。

これは言語とは別に、明らかにmtDNAが北方系を示す流入があるのに、何故核DNAではそれが全く現れないか?について疑問にはなりませんか?

私は微量にしかDNA的に影響を与えてない可能性を考えています。そうなると言語の基礎になったというのは難しいのじゃないか?と見ています。

後ですね、Y染色体ハプロタイプでC2a2 (C-Z31698) こういった系統があるのですが、細石器なら当然アムール集団の北部系になると思うので、C2Aの系統が残ってるのじゃないか?と考えています

古い分岐でこういうのがあるのですが、管理人さんこれについて何か知りませんか?
管理人
2020年11月03日 17:39
YHg-C2aに関しては、調べてみたら日本のC-Z31698は現在ではC2a1bのようですが、勉強不足なのでとくに有益なことは述べられず、申し訳ありません。

「縄文時代に北方系の流入が日本語のベース」以下は、申し訳ありませんが、意味をよく読み取れませんでした。現代日本人の主要な遺伝的祖先となった縄文人の後に到来した集団のことならば、現代および古代アムール川流域集団には現代漢人よりも現代日本人の方が近いので、現代日本人の遺伝的に主要な祖先集団は、おそらく黄河流域新石器時代集団とアムール川新石器時代集団の中間的存在で、遼河流域新石器時代集団が最も近いかもしれず、私の認識では基本的には北方系です。質問の意味を読みとれていなかったら申し訳ありませんが。

今朝の、私が複数の想定を提示したことに対して、貴殿に変化と受け止められたのでわざわざ説明したことなどもありますが、率直に言って、私の能力・見識の問題もあってやり取りに負担を感じるので、自説の展開に関しては自身のサイトか他の掲示板でやってもらえないでしょうか。
チェンジ
2020年11月03日 18:48
> 自説の展開に関しては自身のサイトか他の掲示板でやってもらえないでしょうか。

そうですね、確かに自説の展開をちとやりすぎたと思います。以後注意します。また新たな情報があれば事実を基に話せたらいいですね。

事実を超えた憶測が過ぎました、申し訳ありませんでした。

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