ヴァイキングのゲノム解析

 ヴァイキングのゲノム解析に関する研究(Margaryan et al., 2020)が報道されました。ヴァイキング(Viking)は、襲撃・探検・略奪などを意味する「víking」という古ノルド語(古北欧語)に由来します。紀元後750~1050年頃となるヴァイキング時代の事象は、ヨーロッパの政治・文化・人口地図を変えました。スカンジナビア半島からのヴァイキングの拡散は、アメリカ大陸からアジアの草原地帯へと広がる交易と植民を確立しました。ヴァイキングは着想・技術・言語・信念・慣行をこれらの地域に輸出し、新たな社会経済的構造を発展させ、文化的影響を同化させました。

 本論文では、ヴァイキング時代のゲノムの歴史を調べるため、紀元前2400年頃の青銅器時代から紀元後1600年頃の近世までの遺跡で発見された442人の遺骸から抽出されたDNAのショットガン配列が提示されます。これらの古代DNAデータは、3855人の現代人および1118人の古代人の既知のデータとともに分析されました。以下、本論文で取り上げられた標本の位置と年代を示した本論文の図1です。
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●スカンジナビア人の系統とヴァイキング時代の起源

 ヴァイキング時代のスカンジナビア人集団は共通の文化的背景を有していましたが、この時点ではスカンジナビア人の自己認識を表す共通の言葉はありませんでした。単一の「ヴァイキング世界」が存在するというよりはむしろ、スカンジナビア半島とバルト海周辺地域の沿岸部集団間での遠洋航海の採用に続く、急速に成長する海洋探検・交易・戦争・植民から、一連の相互に関連するヴァイキング世界が出現しました。したがって、ヴァイキング現象が、最近になって共有された遺伝的背景を有する人々にどの程度当てはまるのか、あるいはスカンジナビア半島において集団変化が鉄器時代(紀元前500~紀元後700年頃)からヴァイキング時代の移行とどの程度つながっているのか、不明です。

 本論文で取り上げられたヴァイキング時代のスカンジナビア半島の個体群は大まかには、青銅器時代以降の古代ヨーロッパ個体群の多様性内に収まりますが、複雑な微細構造を示唆する集団間の微妙な違いもあります。たとえば、ゴットランド島の多くのヴァイキング時代個体群は、バルト海地域の青銅器時代個体群とクラスタ化し、バルト海全域の移動性を示唆します。f4統計を用いて草原地帯牧畜民および新石器時代農耕民と対比させると、ノルウェーのヴァイキング時代の個体群がそれ以前となる鉄器時代個体群と類似した分布を示すのに対して、スウェーデンとデンマークのヴァイキング時代個体群は、アナトリア半島の新石器時代農耕民へのより強い類似性を示します。

 qpAdmを用いると、集団の大半は、狩猟採集民・農耕民・草原地帯関連系統の3者混合としてモデル化できる、と明らかになります。3者モデルは、スウェーデンとノルウェーとバルト海地域の一部集団では却下され、コーカサス狩猟採集民もしくはアジア東部人関連系統を含む4者モデルで適合できます。アジア東部人関連系統は、以前に報告されたシベリアからの遺伝子流動と一致します(関連記事1および関連記事2)。

 ヴァイキング時代のスカンジナビア集団と年代的に最も近い鉄器時代集団との遺伝的連続性を調べると、ほとんどのヴァイキング時代集団は、単一の鉄器時代系統を起源として用いると適合でき、大まかにはさらに2区分される、と明らかになりました。一方はイングランドの鉄器時代系統で、ブリテン諸島とデンマークのヴァイキング時代個体群のほとんどとなり、もう一方はスカンジナビア半島の鉄器時代系統で、ノルウェーとスウェーデンとバルト海地域に由来します。

 注目すべき例外はスウェーデン南部に位置するケルダ(Kärda)の個体群で、中世前期となるハンガリーのロンゴバルド個体群のみが、単一の祖先集団として適合します。一方の適合性の低い集団は、追加の北東部系統、たとえばラドガ(Ladoga)のヴァイキング時代個体群か、あるいは追加の南東部系統、たとえばユトランド半島のヴァイキング時代個体群を含めると、モデル化できます。本論文の分析からは全体的に、ヴァイキング時代スカンジナビア半島集団の遺伝的構成はおもに、先行する鉄器時代集団の系統に由来するものの、系統の微妙な違いと、南と東の両方からの遺伝子流動も明らかになる、と示唆されます。これらの観察は考古学的知見とほぼ一致します。


●スカンジナビア半島におけるヴァイキング時代の遺伝的構造

 ヴァイキング時代のスカンジナビア半島の精細な集団構造を解明するため、網羅率0.5倍以上となる298人(新たな289人と既知の9人)の遺伝子型補完が行なわれ、同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD。かつて共通祖先を有していた2個体のDNAの一部が同一であることを示します。IBD領域の長さは2個体が共通祖先を有していた期間に依存し、たとえばキョウダイよりもハトコの方が短くなります)により現代ヨーロッパ人個体群の参照パネルと共有されるゲノム断片が推定されました。

 多次元尺度構成法とUMAP(機械学習による非線形次元削減手法)を用いての遺伝的クラスタ化から、ヴァイキング時代のスカンジナビア半島個体群は、地理的起源により3集団にクラスタ化し、それぞれ現代の同地域集団と密接な類似性を有する、と示されます。一部の個体、とくにゴットランド島とスウェーデン東部の個体群は、ヨーロッパ東部人との強い類似性を有しています。これはおそらく、バルト海系統を有する個体群を反映しており、バルト海地域の青銅器時代個体群とのクラスタ化は、UMAP分析とf4統計で明らかです。

 ChromoPainterと参照パネルの使用により、長くて共有されたハプロタイプが識別され、微妙な集団構造が検出されます。現代人集団との類似性を有するスカンジナビア半島の系統構成が明らかになり、本論文ではこれらが「デンマーク的」・「スウェーデン的」・「ノルウェー的」・「北大西洋的」と呼ばれます。つまり、ブリテン諸島からスカンジナビア半島に及ぶ可能性がある個体群です。

 ノルウェー的およびスウェーデン的構成はそれぞれ、ノルウェーとスウェーデンでクラスタ化しますが、デンマーク的および北大西洋的構成は広く見られます。意外なことに、ユトランド半島(デンマーク)のヴァイキング時代個体群には、スウェーデン的およびノルウェー的遺伝的構成が欠けています。また、スカンジナビア半島内の遺伝子流動は、大まかには南から北の方向で、デンマークからノルウェーおよびスウェーデンへの移動が支配的だった、と明らかになります。

 ノルウェーとスウェーデンの現代サーミ人集団との類似性を有する、ノルウェー北部の古代人2個体(VK518およびVK519)が特定されました。VK519はおそらく、ノルウェー的祖先も有しており、サーミ人集団と他のスカンジナビア半島集団との間の遺伝的接触を示唆します。

 遺伝的データは、現代の国境よりもむしろ、地形的境界により構造化されています。したがって、ヴァイキング時代のスウェーデン南西部は遺伝的に、スウェーデン本土中央部よりもデンマークのヴァイキング時代集団とより類似しており、おそらくは遺伝子流動を妨げた地理的障壁に起因します。

 遺伝的多様性は、条件付きヌクレオチド多様性と、ChromoPainterの結果に基づく推定系統の多様性により定量化されました。この多様性は、以下に示す本論文の図3で視覚化されました(図3b)。
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 遺伝的多様性は、均質なスカンジナビア半島の内陸部および北部から、多様なカテガット海峡地域(デンマーク東部およびスウェーデン西部)およびバルト海地域まで顕著に異なっており、ヴァイキング時代の相互作用と交易におけるこれらの海域の重要な役割を示唆します。ゴットランド島では、スウェーデン的構成よりも、多くのデンマーク的および北大西洋的、さらに追加の「フィンランド的」系統の遺伝的構成があり、ヴァイキング時代のゴットランド島への広範な海上接触が示唆されます。

 ゴットランド島とエーランド島に関する本論文の結果は、これらがローマ期(紀元後1~400年)から続く重要な海洋共同体だった、と指摘する考古学的知見と一致します。類似のパターンはランゲラン島のようなデンマーク諸島中央部でも見られますが、より低水準です。本論文のデータからは、これらの島々における遺伝的多様性がヴァイキング時代の前期(紀元後8世紀頃)から後期(紀元後9~11世紀頃)にかけて増加し、それは経時的な地域間の相互作用の増加を反映している、と示唆されます。ヴァイキング時代のスカンジナビア半島内の遺伝的構造の証拠は、スカラ(Skara)のような「国際的」中心地の多様性と、ゴットランド島のような交易志向の島々を伴っており、この時期の海路の重要性を強調します。


●ヴァイキングの移住

 本論文のゲノムデータの精細な系統分析は、歴史学と考古学で報告されてきたパターンと一致します。それは、東方への移動がおもにスウェーデン的系統を含む一方で、ノルウェー的系統を有する個体群はアイスランドやグリーンランドやアイルランドやマン島に移動した、というものです。アイスランドとグリーンランドにおける最初の入植も、北大西洋的系統を有する個体群を含んでいました(関連記事)。デンマーク的系統はイングランド現代人で見られ、歴史的記録・地名・姓・現代人の遺伝的構成と一致しますが、ブリテン諸島におけるヴァイキング時代のデンマーク的系統は、ユトランド半島およびドイツ北部から紀元後5~6世紀にかけて移住してきたアングロサクソン系統とは区別できません。

 イングランドのドーセットとオクスフォードのヴァイキング時代遺跡個体群では、デンマーク的およびノルウェー的系統とともに北大西洋的系統も含まれます。これらの遺跡が敗れて捕虜となったヴァイキング時代の襲撃隊を表しているならば、これらの襲撃は異なる起源の個体群から構成されていたことになります。このパターンは、デンマークのトレルボルグ(Trelleborg)の戦士墓地の同位体データからも示唆されます。同様に、現在のロシアにあるグニェズドヴォ(Gnezdovo)の古代人標本におけるデンマーク的系統の存在は、東方への移住がスウェーデンからのヴァイキング個体群で完全には構成されていなかったことを示唆します。

 本論文の結果は、「ヴァイキング」の自己認識がスカンジナビア半島の遺伝的系統の個体群に限定されていなかったことを示します。スカンジナビア半島様式で埋葬されたオークニー諸島の2個体は、遺伝的に現代のアイルランドおよびスコットランド集団と類似しており、おそらくは最初に刊行されたことになるピクト人のゲノムです。オークニー諸島の他の1個体は50%のスカンジナビア半島人系統を有しており、そのような5個体がスカンジナビア半島で発見されました。これは、ピクト人集団がヴァイキング時代までにスカンジナビア半島の文化へと統合された可能性を示唆します。


●スカンジナビア半島へのヴァイキング時代の遺伝子流動

 デンマークとノルウェーとスウェーデンの標本における非スカンジナビア半島系統は、既知の交易経路と一致します。たとえば、フィンランドおよびバルト海系統は現代のスウェーデンに達しましたが、デンマークとノルウェーのほとんどの個体には見られません。対照的に、スカンジナビア半島西部集団はブリテン諸島集団からの系統を受け継いでいます。スカンジナビア半島におけるヨーロッパ南部系統(50%以上)の最初の証拠はデンマークとスウェーデン南部のヴァイキング時代で見られます。


●グリーンランドからの消滅

 グリーンランド南西部では紀元後980~1440年に、おそらくはアイルランドから到来したスカンジナビア半島系統を有する人々が定住していました。グリーンランドにおけるこれらの集団の運命については議論されていますが、その消滅の原因はおそらく、ヨーロッパにおける社会的もしくは経済的過程(たとえばスカンジナビア半島内の政治的関係や交易体系の変化)と気候変動を含む自然的過程でした。

 データに基づくと、グリーンランドのヴァイキング集団は、スカンジナビア半島人(ほぼノルウェー起源)とブリテン諸島の個体群との間の混合で、アイスランドの最初の定住者と類似していました。グリーンランドのヴァイキング個体群のゲノムにおける長期の近親交配の証拠は見つかっていませんが、グリーンランドにおける居住の後期の高網羅率ゲノムの1個体で確認されています。この結果は、比較的短期の人口減少説を支持するかもしれず、以前の人口統計学的モデルおよび考古学的知見と一致します。また、グリーンランドのヴァイキングのゲノムにおける古エスキモーやイヌイットやアメリカ大陸先住民といった他集団からの系統の証拠の欠如は、骨格遺骸と一致します。これは、グリーンランドのヴァイキング集団と他の集団間の性的接触がなかったか、ひじょうに小規模でのみ起きたことを示唆します。


●最初のヴァイキング航海集団の遺伝的構成

 海上襲撃は数千年にわたる航海文化で普遍でしたが、ヴァイキング時代はとくにこの活動により部分的に定義されています。しかし、ヴァイキングの戦争の正確な性質と構成は不明です。襲撃もしくは外征の1例が直接的な考古学的痕跡を残しました。エストニアのサルメ(Salme)では、スウェーデンからの41人の暴行死の男性が2隻の船に埋葬され、高い社会的地位を与えられていた武器が共伴していました。重要なことに、サルメ遺跡の船の埋葬は、最初に文献に見える襲撃(イングランドでの紀元後793年の事例)よりも半世紀近く先行します。

 サルメ遺跡の被葬者のうち34人のゲノムの親族分析により、並んで埋葬された4兄弟と、4兄弟のうち1人の3親等程度の親戚が明らかになりました。サルメ遺跡個体群の系統は、ヴァイキング時代の他の被葬者と比較して相互に類似しており、親族も含む高位の人々の比較的遺伝的に均質な集団が示唆されます。サルメ遺跡の5人の親族は、本論文のデータセットにおける唯一の親族ではありません。その他にこの親族2組が特定され、相互に数百km離れた場所で発見されており、ヴァイキング時代の個体群の移動性を明確に示します。


●ヨーロッパ北部における正の選択

 系統だけの経時的変化で説明できる以上の、過去1万年に顕著に変化したアレル(対立遺伝子)頻度を有する一塩基多型が調べられました。予想されたように、選択の最有力候補はラクターゼ(乳糖分解酵素)をコードするLCT遺伝子領域近くの一塩基多型で、その頻度は青銅器時代の後に増加しました(関連記事)。本論文のデータセットでは、乳糖分解酵素活性持続(LP)アレル(rs4988235)の頻度と青銅器時代以降の進化が調べられました。ヴァイキング時代集団はLCTのLP一塩基多型において、現代のヨーロッパ北部集団とひじょうに類似した頻度を有しています。逆に、青銅器時代スカンジナビア半島個体群では、紀元前2700~紀元前2200年頃の縄目文土器(Corded Ware)文化や紀元前2500~紀元前1900年頃の鐘状ビーカー(Bell Beaker)文化と関連するヨーロッパ中央部個体群と同様に、乳消費の証拠にも関わらず、この一塩基多型は低頻度でした。本論文の鉄器時代標本ではその中間の頻度で、この時期に乳糖分解酵素活性持続の頻度が上昇した、と示唆されます。乳糖分解酵素活性持続の頻度は、青銅器時代ではスカンジナビア半島よりもバルト海地域の方で高く、スカンジナビア半島における乳糖分解酵素活性持続の頻度増加を説明する、2地域間の遺伝子流動と一致します。

 以前に特定された他の選択候補領域としては、先天性免疫に関わるToll様受容体のうち3つ(TLR6・TLR1・TLR10)の関連遺伝子や、ヒト白血球抗原(HLA)領域や、色素沈着と関連するSLC45A2およびSLC22A4遺伝子があります。本論文で明らかになった、ヴァイキング時代の前に始まる選択の追加の候補も明らかになりました。これは、古代のヴァイキングと現代のスカンジナビア半島集団の間で共有されている表現型を示唆します。これらの領域には、癌抑制遺伝子DCCと重なるものや、結腸直腸との関連が示唆されるものや、免疫応答のAKNAタンパク質関連遺伝子と重なるものや、二次免疫反応と関連するものが含まれます。


●スカンジナビア半島における複雑な形質の進化

 複雑な形質と関連する一塩基多型指標における最近の集団分化の痕跡を調べるため、ヴァイキング時代の個体群の遺伝子型とデンマーク現代人の遺伝子型が比較されました。ヴァイキング時代の多因子遺伝スコアは3つの形質で異なっていました。それは、黒髪と直毛と統合失調症です。ただ、直毛と統合失調症は、検査数を考慮した後では有意ではありませんでした。現時点では、アレル頻度で観察された違いが、ヴァイキング時代と現代との間のこれらアレルに作用する選択と、ヴァイキング時代標本の民族的多様性が高いといったような他の要因のどちらに起因するのか、決定できません。ヴァイキング時代と現代の標本における高頻度の黒髪関連アレルの数の二項検定も有意で、この痕跡がいくつかの大きな効果の遺伝子座により完全に駆動されているわけではない、と示唆されます。


●現代の集団におけるヴァイキングの遺伝的遺産

 現代スカンジナビア半島集団がヴァイキング時代の該当地域個体群と増加した系統を共有しているのかどうか検証するため、D統計が実行され、古代の個体が現代の2集団のどちらとより多くのアレルを共有するのか、検証されました。ヴァイキング時代の個体群は、スカンジナビア半島系統から微妙に現代の該当地域集団に移動しています。

 さらに、fineSTRUCTUREを用いて、現代人集団における古代系統が調べられました。スカンジナビア半島内では、ほとんどの現代人集団はヴァイキング時代の該当地域個体群と類似しています。例外はスウェーデン的系統で、現代のスウェーデン人内では15~30%しか存在しません。スウェーデンの一方のクラスタは古代フィンランド集団とより密接で、もう一方のクラスタはデンマークおよびノルウェー集団とより密接に関連しています。デンマーク的系統は今では、地域全体で高くなっています。

 スカンジナビア半島外では、ヴァイキング時代集団の遺伝的遺産は一貫して限定的です。小さなスカンジナビア半島系統構成はポーランドに存在します(最大5%)。ブリテン諸島内では、デンマーク的系統がどの程度、先行するアングロサクソン系統に起因するのか、評価は困難ですが、ヴァイキング時代の寄与はイングランドでは6%を超えません。遺伝的効果は他の方向でより強くなります。オークニー諸島の一部の北大西洋的個体群は文化的にスカンジナビア半島人になりましたが、アイスランドやノルウェーや他地域でも発見され、現代にも遺伝的影響を残しています。現代ノルウェーの個体群では、北大西洋的系統が12~15%で、この系統はスウェーデンではより均一で10%程度です。


●まとめ

 本論文のゲノム分析は、ヴァイキング時代の歴史記録と考古学的証拠により提起された長年の問題に光を当てます。大まかには、スカンジナビア半島外のヴァイキングの長く議論されてきた移動が確認されました。ヴァイキングは現代のデンマークとノルウェーとスウェーデンからブリテンと北大西洋諸島へと向かい、またバルト海地域を越えて東方へと航海していきました。しかし、ヨーロッパの西端で古代のスウェーデン的およびフィンランド的系統が、東方ではデンマーク的系統が見られ、現代の歴史的集団とは異なります。そうした個体群の多くは、文化と大陸をまたがる複雑な交易・襲撃・植民ネットワークとともに形成された混合系統を有する共同体の出身である可能性が高そうです。

 ヴァイキング時代には、スカンジナビア半島の異なる地域が均一にはつながっておらず、この地域の明確な遺伝的構造が形成されました。スカンジナビア半島はおそらく、限定的な数の輸送地帯と海上の飛び地から構成され、活発な外部との接触と、スカンジナビア半島の残りの陸地への限定的な遺伝子流動を伴っていました。ヴァイキング時代のスカンジナビア半島の一部地域は、とくにノルウェー中央部とユトランド半島と大西洋の集落で、比較的均一でした。これは、ゴットランド島やエーランド島のような、人口が多い南部の交易共同体の強い遺伝的多様性とは対照的です。沿岸部共同体の高い遺伝的異質性は集団規模の増大を示唆し、後期ヴァイキング時代の町であるシグトゥーナ(Sigtuna)に関して以前に提案された都市化モデルを、時空間的に拡張します。シグトゥーナは、ヨーロッパ北部のヴァイキング時代の終わりにすでに存在していた、「国際的」交易中心地と示唆されています。人々と商品と戦争を広げる大規模な交易と文化のネットワーク形成は、スカンジナビア半島の中心地に影響を与えるのに時間がかかり、それは中世へと既存の遺伝的差異を保持しました。

 本論文の知見から、ヴァイキング時代は単純にスカンジナビア半島鉄器時代集団の直接的な継続だったわけではない、と示されます。代わりに、南方と東方からスカンジナビア半島への遺伝子流動が観察され、それは鉄器時代に始まり、ヴァイキング時代を通じて継続し、起源集団は増加し続けました。スカンジナビア半島の内外を問わず、多くのヴァイキング個体は非スカンジナビア半島系統を高水準で有しており、それはヨーロッパ全域で継続する遺伝子流動を示唆します。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


遺伝学:ヨーロッパでのバイキングの海外遠征に関する遺伝学的知見

 このほど行われた古代人のゲノムの解析で、ヨーロッパ各地の住民の遺伝的構成にそれぞれ特定のバイキングの集団が影響を与えていたことが明らかになったことを報告する論文が、今週、Nature に掲載される。

 バイキング時代(西暦750~1050年頃)のスカンジナビア人集団の海外遠征によって、ヨーロッパの政治的、文化的、人口統計学的な地図が塗り変わった。今回、Eske Willerslevたちの研究チームは、その時代のゲノム史を突き止めるため、青銅器時代(紀元前2400年頃)から近代初期(西暦1600年頃)までのヨーロッパとグリーンランドの古代人類442人のゲノムの塩基配列を解読した。

 今回の研究で、Willerslevたちは、バイキング時代における南方と東方からスカンジナビアへの外来遺伝子の流動を観察し、またバイキングがスカンジナビアから外の世界に確かに移動していたことの証拠を得た。つまり、デンマークのバイキングが英国に向かい、スウェーデンのバイキングが東方のバルト海へと航行し、ノルウェーのバイキングがアイルランド、アイスランド、グリーンランドへ渡ったのだ。その一方で、今回の解析では、現代のスウェーデン人集団との類似性が認められる祖先の実例がヨーロッパの西端域で、また現代のデンマーク人集団との類似性が認められる祖先の実例がヨーロッパの東部で見つかった。Willerslevたちは、これらの祖先が、さまざまな文化と大陸を結ぶ複雑な取引、襲撃、定住のネットワークによって集まった、祖先が混在する地域集団の出身者だと考えている。

 今回の解析の一環として、Willerslevたちは、エストニアのサルメにある埋葬地で採取したバイキング34個体のゲノム塩基配列を解析し、海外遠征に近親者が同行していたことを示す証拠を得た。4人の兄弟が並んで埋葬されていることが確認されたのだ。また、今回の研究で得られたデータセットには、この家族の近親者がさらに2人含まれており、それぞれ数百キロメートル離れた場所で見つかった。このことはバイキング時代における個人の移動性を示していると、Willerslevたちは指摘している。


集団遺伝学:バイキング世界の集団ゲノミクス

Cover Story:バイキングの旅路:ゲノム塩基配列から描き出された大昔の船旅の地図

 表紙は、世界最大級のバイキング復元船『シー・スタリオン号』である。バイキング時代(紀元750~1050年頃)におけるスカンジナビア人集団の海洋進出は、ヨーロッパの政治地図、文化地図、人口地図を一変させた。今回E Willerslevたちは、この期間のゲノム史を調べている。彼らは、ヨーロッパおよびグリーンランド各地の考古学的遺跡に由来する、青銅器時代(紀元前2400年頃)から近世(紀元1600年頃)までの442個体のゲノム塩基配列を解読した。その結果、スカンジナビアでは南方と東方からかなりの遺伝子流動があったことが見いだされた。また、大陸各地でのバイキングの異なる移動の様子も明らかになった。すなわち、デンマークのバイキングはイングランドへ向かい、スウェーデンのバイキングは東へ進んでバルト地域へ行き、ノルウェーのバイキングはアイルランド、アイスランド、グリーンランドへ移動し、その一方でスカンジナビアへも新たな人々が西方から流入していたのである。さらに著者たちは、エストニアのサルメにあるバイキングの墓地遺跡から出土した34個体のゲノム塩基配列を解読し、4人の兄弟が並んで埋葬されているのを発見した。数百キロメートル離れた場所ではこの家族の近縁者も発見されており、バイキング時代を特徴付ける集団の移動性が浮き彫りになった。



参考文献:
Margaryan A. et al.(2020): Population genomics of the Viking world. Nature, 585, 7825, 390–396.
https://doi.org/10.1038/s41586-020-2688-8

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