ウマ遺骸の性比の変化

 ウマ遺骸の性比の変化に関する研究(Fages et al., 2020)が公表されました。5500年前頃のウマの家畜化は人類史の転機となりました。最古となる馬の家畜化の確実な証拠はカザフスタン北部のボタイ(Botai)文化で得られており、年代は5500年前頃です(関連記事)。ウマの家畜化により高速輸送が可能となり、青銅器時代となる4000年前頃の戦車(チャリオット)開発と、その1200年後となる鉄器時代の騎兵の出現は、戦争に革命をもたらしました。鉄器時代の前にはウマの形態に明確な変化がないことから、古典的な動物考古学的手法によるウマの家畜化過程の初期段階の復元に関しては、議論となってきました。また、ウマの遺骸はしばしば断片的なので、雑種と性別の決定は困難です。

 近年飛躍的に進展した古代DNA研究の適用により、ウマの家畜化過程の理解に関する理解は大きく進展しました。その結果、遅くとも紀元前三千年紀には、イベリア半島とシベリアで異なる家畜ウマの系統が存在したものの、現生家畜ウマの遺伝的構成には大きな影響を及ぼしていない、と明らかになりました。とくに、ボタイ文化の家畜ウマは、現代の家畜ウマとは異なる系統で野生種とされていたモウコノウマ(Equus ferus przewalskii)の祖先で、現生家畜ウマにほとんど遺伝的影響をおよぼしていない(2.7%程度)、と明らかになりました(関連記事)。現時点での古代ゲノムデータからは、家畜ウマは紀元前三千年紀に異なる系統に由来するか、あるいは別の独立した家畜化もしくは遺伝子移入を通じて形成されていった、と推測されます。遺伝子移入を通じて、本来の遺伝的構成は希釈されていった、というわけです。また最近の研究は、特定の種牡馬の系統、とくに東洋種が好まれて選択されてきたことを指摘します(関連記事)。

 しかし、古代DNA研究でも性比に関しては軽視されてきました。家畜化の過程で、たとえばウシでは、雄の仔の大半が殺されるなど、性により異なる生存パターンも想定され、スキタイ文化の儀式では、雄ウマが優先的に犠牲とされました。本論文は、ウマの群における性比を経時的に検証しました。そのため、ヨーロッパの上部旧石器時代の19頭のDNAデータが新たに生成され、既知のデータと統合されました。これにより、合計249頭の古代ウマのDNAデータが得られました。これらのデータに基づいて、性比(雄:雌)が推定されました。性別の推定は、X染色体の網羅率に基づいています。これが常染色体の網羅率とほぼ同じであれば雌、その半分程度であれば雄というわけです。

 上部旧石器時代の性比は0.92で、シベリア北部のタイミル半島の上部旧石器時代遺跡で報告された性比0.43よりも均衡しています。シベリア南西部の上部旧石器時代遺跡では、性比が0.71です。これらから、家畜化前となる上部旧石器時代のウマ遺骸において性差はない、と示唆されます。新石器時代と銅器時代においては、最初期のウマの家畜化の証拠が得られているボタイ文化でも、性比は1.15となり、偏りは見られません。ロシアとイランの新石器時代および銅器時代の遺跡群でも、性比は1.17と偏りはありませんでした。4700年前頃までは、ウマ遺骸(62頭)の性比に大きな偏りはないようです。この状況は過去4600年(187頭)では大きく変わり、性比は3.48となります。とくに、3900年前頃が大きな転機と推定されます。この性比が偏った状況は3900年前頃以後も経時的に大きくは変わらず、地理的な違いも確認されませんでした。

 上部旧石器時代から3900年前頃まで、ウマ遺骸の性比に大きな偏りはなく、この期間には、ウマが狩猟対象とされ、家畜化されてもいた銅器時代も含まれます。これは、狩猟でも飼育でも一方の性が選好されていなかったことを示唆します。また、バイソンやケナガマンモスの遺骸が雄に偏っていたことと対照的です。こうした不均衡な性比は、狩猟における危険性低下の意図、および/もしくは雄の分散率の増加との関連が指摘されています。これらの遺骸が雄に偏っている種では、性的に成熟した雄が分散する一方で、雌は出生集団に留まっているため、狩猟でも雄が選好されたのではないか、というわけです。一方、1頭の種牡馬が優先的地位を占めるウマの社会構造は、遺骸の性比に影響を及ぼさなかった、と示唆されます。

 ウマの家畜化としては最初期となるボタイ文化では、輸送および搾乳と、肉や皮の利用との混合としてウマが飼育されていた、と推測されています。しかし、上述のようにボタイ文化ではウマ遺骸の性比に大きな偏りはなく、搾乳があったにも関わらず、雄の仔が屠殺されていたわけではない、と示唆されます。ミトコンドリアDNA(mtDNA)分析では、銅器時代に家畜ウマが減少している、と示唆されました。これは、ウマの飼育に必要な資源の獲得を維持するため、ウマが管理され始めた可能性を示唆します。ボタイ文化のウマ遺骸における性比の偏りの欠如は、性に関係なく飼育されていたウマが消費されていたことを示唆します。

 3900年前以後のウマ遺骸における雄への偏りは、儀式的埋葬地を除外しても変わりません。これは、青銅器時代にウマに関して雌雄の扱いが劇的に変化したことを示唆します。ヴォルガ・ウラル地域の後期青銅器時代の遺跡では、埋葬で雄の比率が高くなっています。このパターンは人類の状況を反映しているかもしれません。埋葬や衣服や装飾品などで、新石器時代には見られなかった明確な性差が、新石器時代から青銅器時代の移行期に観察されるようになります。

 さらに、過去3000年の埋葬における雄ウマの優勢は、種牡馬もしくは去勢馬が犠牲的儀式で高い価値を与えられた、と示唆します。これは、力・保護・強さといった男らしさや騎士と関連づけられていた象徴的属性に起因するかもしれません。とくに、二輪により特徴づけられる車両と関連する彫刻画像は、紀元前三千年紀後半から紀元前二千年紀前半にかけて典型的になりました。それらは一般的に、男性戦士および機動戦の出現、もしくはとくに埋葬における儀式の必要性、と関連づけられています。

 これは、種牡馬の本質的なイデオロギー的役割と、エリートの戦争および儀式的行為における種牡馬の使用を示唆します。これらの知見は、青銅器時代に人類社会で拡大した性差が、家畜にまで及んだ可能性を示唆します。青銅器時代における人類社会の性差の拡大は、アジア東部でも指摘されています(関連記事)。こうした雄ウマ(種牡馬)の特権的地位が、卓越した名声を与えられた動物としてウマにのみ適用されるのか、あるいはイヌやブタやウシなど他の家畜にも適用されるのか、まだ明確ではなく、今後の研究の進展が期待されます。


参考文献:
Fages A. et al.(2020): Horse males became over-represented in archaeological assemblages during the Bronze Age. Journal of Archaeological Science: Reports, 31, 102364.
https://doi.org/10.1016/j.jasrep.2020.102364

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