愛知県の縄文時代の人骨のゲノム解析
愛知県田原市の伊川津貝塚遺跡の人骨(IK002)のゲノム解析に関する研究(Gakuhari et al., 2020)が公表されました。日本語の解説記事もあります。本論文は、すでに昨年(2019年)、査読前に公開されていました(関連記事)。その時と内容は基本的に変わっていないようなので、今回は昨年の記事で言及していなかったことや、査読前の論文公開後の関連研究などを中心に簡単に取り上げます。
昨年の記事では省略しましたが、下書きを読み返して思い出したのが、伊川津貝塚遺跡だけではなく、同じく愛知県田原市の保美町貝塚遺跡と、大分県中津市本邪馬渓町の枌洞穴遺跡の、縄文時代の合計12人からのDNA抽出が試みられた、ということです。このうちIK002と枌洞穴遺跡の1個体(HG02)のみ、内因性DNA含量が1.0%以上でしたが、典型的な古代DNA損傷パターンを示したのはIK002だけでした。昨年、査読前論文を読んだ時にはとくに意識しませんでしたが、大分県の縄文時代遺跡の人類遺骸からの古代DNA解析に成功していたら、西日本では最初になるだろう「縄文人(縄文文化関連個体)」のゲノムデータが得られていたわけで、残念です。おそらく、西日本の「縄文人」のDNA解析の試みは続けられているでしょうから、今後の研究の進展に期待しています。また、昨年の記事では言及していませんが、性染色体の比率に基づく方法では、IK002は女性と推定されています。
本論文は、IK002も含めて東日本の縄文人の密接な遺伝的近縁性を示すとともに、縄文人の祖先集団の拡散経路を検証しています。縄文人以外でIK002と遺伝的に比較的近縁なのは、現代人ではアイヌ集団で、古代人ではラオスの8000年前頃のホアビン文化(Hòabìnhian)狩猟採集民個体(La368)です(関連記事)。バイカル湖地域の24000年前頃のマリタ(Mal’ta)遺跡の1個体(MA-1)は、遺伝的にはユーラシア西部系と近縁ながら、アメリカ大陸先住民とのつながりも指摘されています(関連記事)。このMA-1の系統は、シベリア北東部のヤナRHS(Yana Rhinoceros Horn Site)で発見された31600年前頃の2個体に代表される、古代シベリア北部集団(ANS)の子孫と推測されています(関連記事)。ANS はヨーロッパ人関連系統(71%)とアジア東部人関連系統(29%)との混合と推定され、ヨーロッパ人関連系統との推定分岐年代は39000年前頃です。
IK002には、MA-1系統からの遺伝子流動の痕跡はほとんど検出されず、これはアジア東部および南東部の現代人も同様です。そのため本論文は、IK002にはユーラシア大陸を北方経路(ヒマラヤ山脈の北側)で東進してきた現生人類(Homo sapiens)の遺伝的影響は見られず、南方経路で東進してきた集団の子孫だろう、と推測します。ただ本論文は、他の縄文人個体では北方経路集団の遺伝的痕跡が見つかる可能性も指摘しています。本論文は、縄文人がユーラシア東部でもひじょうに古い系統で、南方経路で拡散してきた可能性を指摘し、現代人でもアメリカ大陸先住民やアジア東部および北東部集団は、おもに南方経路で東進してきた現生人類集団の子孫だろう、と推測しています。以下、昨年の記事でも掲載しましたが、より高画質なので、改めてIK002の系統関係を示した本論文の図4を掲載します。
以上、本論文についてごく簡単に見てきましたが、今年になって大きく進展した中国の古代DNA研究を踏まえると(関連記事)、本論文とはやや異なる想定も可能ではないか、と思います。とくに重要だと思われるのは、中国陝西省やロシア極東地域や台湾など広範な地域の新石器時代個体群を中心とした研究(Wang et al., 2020)です(関連記事)。この研究では、出アフリカ現生人類集団は、まずユーラシア東西両系統に分岐します。ユーラシア西部系の影響を強く受けたのがANSで、アメリカ大陸先住民にも一定以上の影響を残し、アジア北東部(シベリア東部)の現代人も同様ですが、縄文人も含めてアジア東部集団は基本的にユーラシア東部系統に位置づけられます。
ユーラシア東部系統は南北に分岐し、ユーラシア東部南方系統に分類されるのは、現代人ではアンダマン諸島のオンゲ人、古代人ではホアビン文化個体のLa368です。ユーラシア東部北方系統からアジア東部系統が分岐し、アジア東部系統はさらに北方系統と南方系統に分岐します。北京の南西56kmにある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の現生人類男性1個体(関連記事)は、本論文ではユーラシア東部系統で最も早く分岐した系統と位置づけられていますが、Wang論文では、ユーラシア東部北方系統から早期に分岐した系統と位置づけられます。Wang論文で注目されるのは、縄文人がユーラシア東部南方系統(45%)とユーラシア東部北方系統から派生したアジア東部南方系統(55%)の混合とモデル化されていることです。
一方、本論文では、IK002系統からの遺伝的影響の推定は難しく、かなり幅があるのですが、本州・四国・九州を中心とする「本土日本人集団」に関しては8%程度の可能性が最も高い、と推定されています。しかし、台湾先住民のアミ人(Ami)へのIK002系統からの遺伝的影響は41%と「本土日本人集団」よりずっと高く、統計量で示された、「本土日本人」の方がアミ人よりもIK002と遺伝的類似性が高い、との結果とは逆となります。これは、アミ人がIK002系統から早期に分岐した異なる集団からの強い遺伝的影響を受けたからではないか、と本論文は推測しています。しかし、Wang論文のモデル化を踏まえると、これは台湾先住民であるアミ人と縄文人がともに、アジア東部南方系統から強い遺伝的影響を受けたのに対して、「本土日本人集団」ではアジア東部北方系統からの影響が強い(84~87%)ことを反映している、と整合的に解釈できそうです。もちろん、Wang論文のゲノムデータも充分とはとても言えないでしょうから、今後のゲノムデータの蓄積により、さらに改良されたモデルが提示され、縄文人、さらには現代日本人の起源もより正確に理解できるのではないか、と期待されます。以下、これらの系統関係を示したWang論文の図5です。
また本論文は、アジア東部および北東部(シベリア東部)やアメリカ大陸先住民の主要な祖先が南方経路で東進してきた、と推測していますが、Wang論文を踏まえると、これも異なる可能性が考えられます。これらの地域の現代人の主要な祖先はアジア東部北方系統と推測されますが、これはユーラシア東部北方系統から派生しており、北京近郊の4万年前頃の田园個体の系統もこれに分類されます。ユーラシア東部北方系統は4万年前頃までにはアジア東部沿岸地域まで到達していた可能性が高く、ANS集団のシベリア北東部への到達がそれより遅れたと考えると、アジア東部北方系統も北方経路で拡散してきた可能性が考えられます。ANSはユーラシア西部系統とアジア東部人関連系統との混合により形成されており、これはアジア東部北方系統の南方経路東進説とも矛盾しませんが、北方経路説とも矛盾しません。アジア東部北方系統、さらにはその祖先系統であるユーラシア東部北方系統がどの経路で東進してきたのか、現時点では確定できませんが、初期上部旧石器群(Initial Upper Paleolithic)の分布がユーラシア北方における現生人類拡散の指標だとすると、北方経路説の方が妥当だろう、と私は考えています。
参考文献:
Gakuhari T. et al.(2020): Ancient Jomon genome sequence analysis sheds light on migration patterns of early East Asian populations. Communications Biology, 3, 437.
https://doi.org/10.1038/s42003-020-01162-2
Wang CC. et al.(2020): The Genomic Formation of Human Populations in East Asia. bioRxiv.
https://doi.org/10.1101/2020.03.25.004606
昨年の記事では省略しましたが、下書きを読み返して思い出したのが、伊川津貝塚遺跡だけではなく、同じく愛知県田原市の保美町貝塚遺跡と、大分県中津市本邪馬渓町の枌洞穴遺跡の、縄文時代の合計12人からのDNA抽出が試みられた、ということです。このうちIK002と枌洞穴遺跡の1個体(HG02)のみ、内因性DNA含量が1.0%以上でしたが、典型的な古代DNA損傷パターンを示したのはIK002だけでした。昨年、査読前論文を読んだ時にはとくに意識しませんでしたが、大分県の縄文時代遺跡の人類遺骸からの古代DNA解析に成功していたら、西日本では最初になるだろう「縄文人(縄文文化関連個体)」のゲノムデータが得られていたわけで、残念です。おそらく、西日本の「縄文人」のDNA解析の試みは続けられているでしょうから、今後の研究の進展に期待しています。また、昨年の記事では言及していませんが、性染色体の比率に基づく方法では、IK002は女性と推定されています。
本論文は、IK002も含めて東日本の縄文人の密接な遺伝的近縁性を示すとともに、縄文人の祖先集団の拡散経路を検証しています。縄文人以外でIK002と遺伝的に比較的近縁なのは、現代人ではアイヌ集団で、古代人ではラオスの8000年前頃のホアビン文化(Hòabìnhian)狩猟採集民個体(La368)です(関連記事)。バイカル湖地域の24000年前頃のマリタ(Mal’ta)遺跡の1個体(MA-1)は、遺伝的にはユーラシア西部系と近縁ながら、アメリカ大陸先住民とのつながりも指摘されています(関連記事)。このMA-1の系統は、シベリア北東部のヤナRHS(Yana Rhinoceros Horn Site)で発見された31600年前頃の2個体に代表される、古代シベリア北部集団(ANS)の子孫と推測されています(関連記事)。ANS はヨーロッパ人関連系統(71%)とアジア東部人関連系統(29%)との混合と推定され、ヨーロッパ人関連系統との推定分岐年代は39000年前頃です。
IK002には、MA-1系統からの遺伝子流動の痕跡はほとんど検出されず、これはアジア東部および南東部の現代人も同様です。そのため本論文は、IK002にはユーラシア大陸を北方経路(ヒマラヤ山脈の北側)で東進してきた現生人類(Homo sapiens)の遺伝的影響は見られず、南方経路で東進してきた集団の子孫だろう、と推測します。ただ本論文は、他の縄文人個体では北方経路集団の遺伝的痕跡が見つかる可能性も指摘しています。本論文は、縄文人がユーラシア東部でもひじょうに古い系統で、南方経路で拡散してきた可能性を指摘し、現代人でもアメリカ大陸先住民やアジア東部および北東部集団は、おもに南方経路で東進してきた現生人類集団の子孫だろう、と推測しています。以下、昨年の記事でも掲載しましたが、より高画質なので、改めてIK002の系統関係を示した本論文の図4を掲載します。
以上、本論文についてごく簡単に見てきましたが、今年になって大きく進展した中国の古代DNA研究を踏まえると(関連記事)、本論文とはやや異なる想定も可能ではないか、と思います。とくに重要だと思われるのは、中国陝西省やロシア極東地域や台湾など広範な地域の新石器時代個体群を中心とした研究(Wang et al., 2020)です(関連記事)。この研究では、出アフリカ現生人類集団は、まずユーラシア東西両系統に分岐します。ユーラシア西部系の影響を強く受けたのがANSで、アメリカ大陸先住民にも一定以上の影響を残し、アジア北東部(シベリア東部)の現代人も同様ですが、縄文人も含めてアジア東部集団は基本的にユーラシア東部系統に位置づけられます。
ユーラシア東部系統は南北に分岐し、ユーラシア東部南方系統に分類されるのは、現代人ではアンダマン諸島のオンゲ人、古代人ではホアビン文化個体のLa368です。ユーラシア東部北方系統からアジア東部系統が分岐し、アジア東部系統はさらに北方系統と南方系統に分岐します。北京の南西56kmにある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の現生人類男性1個体(関連記事)は、本論文ではユーラシア東部系統で最も早く分岐した系統と位置づけられていますが、Wang論文では、ユーラシア東部北方系統から早期に分岐した系統と位置づけられます。Wang論文で注目されるのは、縄文人がユーラシア東部南方系統(45%)とユーラシア東部北方系統から派生したアジア東部南方系統(55%)の混合とモデル化されていることです。
一方、本論文では、IK002系統からの遺伝的影響の推定は難しく、かなり幅があるのですが、本州・四国・九州を中心とする「本土日本人集団」に関しては8%程度の可能性が最も高い、と推定されています。しかし、台湾先住民のアミ人(Ami)へのIK002系統からの遺伝的影響は41%と「本土日本人集団」よりずっと高く、統計量で示された、「本土日本人」の方がアミ人よりもIK002と遺伝的類似性が高い、との結果とは逆となります。これは、アミ人がIK002系統から早期に分岐した異なる集団からの強い遺伝的影響を受けたからではないか、と本論文は推測しています。しかし、Wang論文のモデル化を踏まえると、これは台湾先住民であるアミ人と縄文人がともに、アジア東部南方系統から強い遺伝的影響を受けたのに対して、「本土日本人集団」ではアジア東部北方系統からの影響が強い(84~87%)ことを反映している、と整合的に解釈できそうです。もちろん、Wang論文のゲノムデータも充分とはとても言えないでしょうから、今後のゲノムデータの蓄積により、さらに改良されたモデルが提示され、縄文人、さらには現代日本人の起源もより正確に理解できるのではないか、と期待されます。以下、これらの系統関係を示したWang論文の図5です。
また本論文は、アジア東部および北東部(シベリア東部)やアメリカ大陸先住民の主要な祖先が南方経路で東進してきた、と推測していますが、Wang論文を踏まえると、これも異なる可能性が考えられます。これらの地域の現代人の主要な祖先はアジア東部北方系統と推測されますが、これはユーラシア東部北方系統から派生しており、北京近郊の4万年前頃の田园個体の系統もこれに分類されます。ユーラシア東部北方系統は4万年前頃までにはアジア東部沿岸地域まで到達していた可能性が高く、ANS集団のシベリア北東部への到達がそれより遅れたと考えると、アジア東部北方系統も北方経路で拡散してきた可能性が考えられます。ANSはユーラシア西部系統とアジア東部人関連系統との混合により形成されており、これはアジア東部北方系統の南方経路東進説とも矛盾しませんが、北方経路説とも矛盾しません。アジア東部北方系統、さらにはその祖先系統であるユーラシア東部北方系統がどの経路で東進してきたのか、現時点では確定できませんが、初期上部旧石器群(Initial Upper Paleolithic)の分布がユーラシア北方における現生人類拡散の指標だとすると、北方経路説の方が妥当だろう、と私は考えています。
参考文献:
Gakuhari T. et al.(2020): Ancient Jomon genome sequence analysis sheds light on migration patterns of early East Asian populations. Communications Biology, 3, 437.
https://doi.org/10.1038/s42003-020-01162-2
Wang CC. et al.(2020): The Genomic Formation of Human Populations in East Asia. bioRxiv.
https://doi.org/10.1101/2020.03.25.004606
この記事へのコメント
父系QRに関してここからインドに西進したことが古代DNA研究で結論付けられています。なら中東から南北に分かれるヒマラヤルート言うのはかなり苦しいと考えられます。
同じNOが逆走したのなら、もっとシベリアに古いDNAでNOが残ってるはずです。氷河期のDNAでは全く出ません。
ウイグル辺りのルートもありうると思いますが、DNAで発見されるのは、基本シベリアルートです。マンモスハンターと言うよりトナカイハンターかなと思います。
未だと存在するルートがどうも氷河期で使ってなかったのでは?と思います。理由は分かりません。見つかってないから否定的ってのがあります。西進したのがQRで東南アジア北部から北上したのがNOかなと見ています。
父系ハプロだけで考えると不味いのですが、明らかにアジアは時代の違う2そう集団があり、その点ハプロの方がそれが分かりやすいのがあります。
CD系が古い集団で、これはほぼ南方ルートでしょう。問題はNOなどですが、これは中東から遅れてやってきたFが、東南アジアの北部に後から拡散したと見ています。ハプロだと分かりやすいのですが、実際の核遺伝子も2段階移住だったと見ています。
2段階移住をハプロで表現するとこうなるだけかと。
Y染色体ハプログループ(YHg)QRが雲南起源と、どの古代DNA研究で確認されたのか分かりませんでしたが、その祖型Pが雲南(あるいはアジア南東部)起源ということでしょうか?現代人の分布からは、その可能性はあると思います。シベリア北東部では3万年以上前の古代シベリア北部集団でYHg-QRの祖型P1が確認されていますが、古代シベリア北部集団の遺伝的構造を考えると、YHg-P1がアジア南東部から北上したとも想定できますから、アジア東部系統南方経路東進説と矛盾しません。
ただ、YHgは偶発系統損失が起きやすく、完新世には多様性が激減したと推定されており、アジア南部・南東部の更新世人類のYHgはまだ決定されていないでしょうから、現時点でYHgから拡散経路を決定するのは難しい、というのが現時点での率直な感想です。YHg-Cは3万年以上前のヨーロッパ個体で確認されていますし、YHg-Pの祖型となるYHg-Kは、ともに4万年以上前の北京近郊の田园個体とシベリア西部の個体で確認されています。YHg-Pやそこから派生したQRの起源にしても、雲南からインドに西進したと確定したわけではない、と思います。
アジア南東部・東部の人類集団に関して、遺伝的にユーラシア東部南方系統と北方系統という2層構造があるのは確かでしょうが、南方系統がいつアジア南東部や東部に到来したのか、現時点では不明です。南方系統はホアビン文化個体で確認されていますが、これは早くとも18000年前頃までしかさかのぼりません(ゲノムデータが得られた個体は完新世)。チベット人の「古層」は南方系統と推測されており、チベットでは3万年以上前の人類の痕跡が確認されていますが、更新世人類と現代人との遺伝的連続性は不明です。一方、田园個体から、ユーラシア東部北方系統は遅くとも4万年前頃にはアジア東部沿岸近くにまで到達していたと確認されています。現時点では、アジア南東部・東部の人類集団の基底的な2層構造を形成するユーラシア東部南方系統と北方系統のどちらが早期にアジア東部に到達したのか、北方系統の拡散経路はどこだったのか、判断に迷う、というのが現時点での私の率直な感想です。
そうなりますね。もうちょっとインドよりでも良いですが、これまでインド西部だと思われていたのですが、インド東北部だと見て良いと思います。これ昔ネイチャーに出ていたと思うのですが、ネットの記事がなくなってしまいました。元の論文のデータを見たのですが、現代のDNAと古代のDNAをミックスした研究です。
そもそもその前のハプロKが別の研究で東南アジアだと明確になってると思います。これを発展させた研究です。
> YHg-P1がアジア南東部から北上したとも想定できますから
正確には東南アジアとインドの間ぐらいの北部からインド西部(海岸ルートかヒマラヤ南麓ルートかは不明)に向かい北上したです。この北上ルートはコステンキ遺跡の人類の移動にも使われてると思います。ここを通った人類は旧石器時代では限られてると見ています。東方系のDNAが見つかってないからです。
> 現時点でYHgから拡散経路を決定するのは難しい
まあ石器よりましだって程度です。
> 現時点では不明です。
そうですね。北方系が後から来たのか?それとも南部から独立したのか?は不明です。ただ遺伝距離から、大きな2回の移住があったのじゃないか?って考える研究者はちらほらいます。それをY染色体で考えるとFとCDの違いじゃないか?と私が独自に見てると言う感じです。
> 南方系統はホアビン文化個体で確認されていますが、これは早くとも18000年前頃までしかさかのぼりません(ゲノムデータが得られた個体は完新世)。
これは推測になりますが、インド、アマンダン諸島、インドネシア、オーストラリアをつなぐオーストラノイドの遺伝的共通性で見てもいけるじゃないですかね。ただインドは混ざりまくってますけどね。ただY染色体ハプロはC1とDで共通する南ルートが見えてきます。だから
オーストラリアの人骨はほぼC1系のアボリジニの祖先だと見て良いのじゃないか?と。あくまで推測ですけどね。
中国の研究でちょっと面白いのがあったのですが、記事があったHP忘れてしまいましたが、ヒマラヤ南麓から中国につながる遺伝的につながる移住が、LGM付近にあったとの研究があり、石器とのつながりも同様に見られて、このルートじゃないのか?と見ています。
時代が違うとこっちの南北じゃないか?と見ています。ヒマラヤ北側で別れたわけじゃないと。
遺跡から、南ルートは貝殻を多く伴っています。それに対してヒマラヤ南麓は草原性のハンターじゃなかったのか?と見ています。東南アジア到達後も生活様式の違いから遺伝的に交雑が少なかったのじゃないか?と見ています。
ただ大きな流れで言えば例外的だと見ています。1つでもあればと言われてしまうとなんとも言えませんけど。
アジア系統は、さらにアンダマン諸島人(アジア南部)系統とアジア南東部および東部系統に分岐し、それぞれのデニソワ人との交雑の場所は、アジア南部とアジア南東部および東部というように異なる事象だったかもしれませんが、いずれにしても、ユーラシア東部南方系統アジア系統とデニソワ人との交雑は、サフルランド系統との分岐後と考えられます。したがって、サフルランド集団が5万年近く前にアジア南東部にまで到達していた事例は、ユーラシア東部南方系統アジア系統のアジア南東部や東部への早期拡散の状況証拠とはならないでしょう。まあ、否定する強い状況証拠にもなりませんが。
ユーラシア東部南方系統アジア系統とデニソワ人との交雑がユーラシア東部南方系統におけるサフルランド系とアジア系の分岐後だとすると、更新世2個体のゲノムでデニソワ人要素が確認されているユーラシア東部北方系統とデニソワ人との交雑は、ユーラシア東部南方系統アジア系統とデニソワ人との交雑とは異なる事象だった可能性が高そうです。そうすると、デニソワ人との関連からは、ユーラシア東部北方系統の拡散経路が南北のどちらなのか、確定できません。
現時点では、現生人類の出アフリカとその後の拡散に関して、形態学・考古学・遺伝学の全てのデータを整合的に解釈するのは難しく、私も自説にはとても確信を持てません。おそらく、遺跡の年代や遺伝学の推定分岐年代などの中に一部誤りがあることも、一因になっていると思います。現時点では、古代DNA研究から、古代の地域集団におけるミトコンドリアとY染色体のハプログループは現代よりもずっと多様で(とくに、偶発系統損失だけではなく、集団間の優劣で置換の起きやすいY染色体ハプログループでは)、現代の分布を大前提にはできないと考えると、もっとすっきり整理できるかな、とも思います。ベルギーのゴイエット(Goyet)遺跡で発見された35000年前頃の1個体(Goyet Q116-1)に関しては、例外ではなく、現代とは異なる地域的な多様性の現れと解釈する方が説得的ではないか、と現時点では考えています。もちろん、1個体が外れ値を表している可能性もありますが。
なるほど見つかった早期の人骨は現存する集団に対しては甘いというわけですね。そうかもしれません。
> 1個体が外れ値を表している可能性もありますが。
欧州でC1A2の古人骨が見つかってるのでこれだとは思いますけどね。CDが比較的早くあっちこっちに移住したしたって私の仮説からですけど。C1A2が今では欧州集団として分類されるので後の混血で重要なアジア要素じゃなくなったって意味で例外と書きました。
あっちこっちでC1系もロシアで見つかってるのでこういうの1パターンかなと。ただコステンキ遺跡のC1は核ゲノムの分析ではベタベタの欧州系だったと聞いています。
石刃技法についてあまりに酷かったので、もうこれ当分考えるのやめておこうかなと思います。逆にしっかりした定説なら続けようかと思ったいたのですが、これじゃ証拠とするには甘すぎると思ったので多分やり取りしても良い発展しないと思います。ホモサピエンス以外の話まで入ってくるのはさすがにうんざりします。
これデニソワ人の話を管理人さんが話したのを指してじゃないですよ。技法が旧人なのか?現人なのか?定かじゃないってのはさすがに考える気にならない。北なのか?南なのか?そんな繊細な話をしてる時にそっちかよってなってもうぐったりしています。
欧州中東などではしっかりした話になるのですが、アジアに関してはちょっと技法による人類の移動は無茶があると思いました。これに関しては研究者も欧州中東のような定説を期待されても困るって感じがうかがえました。
私としてはヒマラヤ南麓ルートと言うのがしっかりしてきたのでこれでいいかと思う部分があります。例えばmtDNAハプロN9Aに関する研究などで中国南部から北上する流れになる研究などがあります。ハプロだとある程度南方ルートで固まってるのじゃないか?と見ています。
これと石器証拠の対決なんですよ。それで私はハプロを取ってるだけです。後欧州人に多いmtDNAハプロHに関しても東南アジア誕生じゃないか?とありました。シベリアルートのP集団の現郷としてY染色体と被るのでほぼここで確定で良いのじゃないか?とは思います。
石器の方があまりにぐだぐだなので、いつかDNAの研究から石器証拠からの北方ルートの説覆るのじゃないか?と期待して待つことにします。
アジア南東部と東部で6万年以上前の早期現生人類の遺骸が報告されていますが、年代への疑問が提示されていることと共に、現代人とはほとんど遺伝的つながりがない可能性もあることを重視しています。現代パプア人に関しては、そのような早期出アフリカ現生人類のわずかな遺伝的影響(2%)が指摘されていますが、アジア東部や南東部の現代人に関してはまだ報告されていないと思います。結局のところ、各地域の現代人集団の祖先集団がいつその地域にどのような経路で到達したのか、確定するには古代DNA研究の進展を俟つしかないでしょう。
ユーラシア東部北方系統は4万年前頃までに華北に拡散したと示されていますが、より厳密に言えば、田园個体系統はアジア東部現代人の少なくとも主要な祖先ではなさそうですから、アジア東部現代人の主要な祖先集団が4万年前頃に華北に存在していたのか、確定していません。田园個体とGoyet Q116-1個体との間に、わずかながら有意な遺伝的類似性が認められることなどからも、更新世の現生人類集団の分布が、現代とは大きく違っていた可能性は低くないと思います。
Y染色体ハプログループ(YHg)とミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)からの推定以外には、更新世におけるアジア南東部からヨーロッパへの現生人類の長距離移動は示唆されていないでしょうから、更新世の地域集団におけるmtHgとYHgは現代よりもずっと多様というか、現代から推測される分布状況とは大きく異なっていた可能性が高いと思います。mtHg-Hの祖型Rアジア南東部起源説などもありますが、現在推定されている各Hgの起源地と推定年代の中には、実際と異なる場合も少なくないと想定する方がより節約的ではないか、と考えています。もちろん、これはまだ思いつきにすぎないので、整合的な想定を提示できる段階にはとてもなく、今後の研究の進展を俟ち、調べていくしかありませんが。
ただ、少し述べると、たとえば、mtHg-Rアジア南東部起源説ではmtHg-R2'JTの合着年代が62900年前頃と推定されていますが、アジア南東部にmtHg-Rが63000年以上前に存在したとすると、非アフリカ系現代人のゲノムにはほぼ同じ割合のネアンデルタール人由来の領域があり、それはおそらくおもに1回というか1地域、具体的にはレヴァントでの交雑事象に由来すると考えられるので、ネアンデルタール人と非アフリカ系現代人全員の主要な祖先集団との推定交雑年代(6万~5万年前頃)・地域と整合的ではないだろう、との疑問が残ります。おそらく、mtHgやYHgや現生人類とネアンデルタール人との交雑などの推定年代や地域の一部もしくは全てが間違っており、現時点での全推定を整合的に解釈できる仮説を提示できないのでしょう。どれを選ぶかは個人の判断ですから、mtHgやYHgに関する近年の見解を採用しても構いませんが、古代DNA研究からは更新世におけるmtHgやYHgの現在とはかなり異なる状況が窺えますし、オセアニアやアジア南東部・南部・南西部・アフリカにおける更新世のDNAデータがアフリカ北部の15000年前頃の個体群のみである以上、mtHgやYHgの起源地と推定年代に関する近年の見解はまだ確定的ではないだろう、と考えています。
いやいや悪いのは安易に石刃技法の拡散をホモサピエンスの拡散と同等に扱う風潮であって、それは管理人さんの独自の見解じゃないですよ。そういうのが管理人さん以外にも確かにあります。ただ西洋においてはネアンデルタール人の人骨とともに出るケースが多くて簡単に判別できるのですが、東洋においてはそうじゃない。
難しい問題で、西洋でも確定ではないのですが、人骨を伴うケースが多いためマシだというのに、ルヴァロア技法を使っていた旧人が新人の影響で石刃技法を使うことになるってケースがあります。
これ中国でもあるのですが、旧人の人骨が伴わないので、ルヴァロア技法を使っていた新人によって石刃技法が自然発生的に発展したのか?が分からないんですよ。そのため技法を持った人類の移動が必ずしも重要じゃないとの見解がある事です。
これに関しては、土器でアンダーソン氏がやらかしてしまった過去もあり。中国当局が大好きなオリジナルである可能性は十分にあります。ただアルタイやモンゴルのものは新人の移動のためでしょうね。この辺り事情が異なると見ています。
> アジア南東部と東部で6万年以上前の早期現生人類の遺骸が報告されていますが、年代への疑問が提示されていることと共に、
これに関しては私が全面的に取り下げます。確かに現代につながる集団全体の問題と、早期の到達を同一視するのは間違ってると思います。
ただ篠田さんだと思うのですが、mtDNAハプロを調査して、インド辺りで急に拡大した時期があると、その拡大によって東南アジア辺りに新しいグループがやってきたのじゃないか?との見解があります。そこがヒンドスタン平原、ヒマラヤ南麓を通ったインド北方ルートじゃないか?と見ています。
> 田园個体系統はアジア東部現代人の少なくとも主要な祖先ではなさそうですから
古代シベリア系統に近いですからね。ホアビン文化集団と違うアジア系集団と混血したのじゃないですかね。その考え方はできると思うんですよね。ホアビン文化集団の人骨が8000年前なので、もう移動が終わってしまった時期なんですよ。その時期だともう別の集団が複数いて、これらの集団の祖が田园個体系統から分岐した一部と混血したならありそうです。
> Y染色体ハプログループ(YHg)とミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)からの推定以外には、更新世におけるアジア南東部からヨーロッパへの現生人類の長距離移動は示唆されていないでしょうから
それは間違いないです。mtDNAはネイチャーの記事にいきなり起源だと書かれていて詳細が不明ですが、Y染色体は見ています。ちょっと強引です…。東南アジアからインド西北に至る間のルートが雑なんですよ。ただ古人骨が豊富にDNAとれるわけないし仕方ないとは見ています。かなりの部分現代人で補って推論を結論付けています。かなり=大半。
> 更新世の地域集団におけるmtHgとYHgは現代よりもずっと多様というか
私も石器よりで話してるだけで、問題は分かってるつもりです。競馬のサイヤーラインの問題ってのを知っていて、遺伝子プール最大の種牡馬はサイヤーラインにほとんど残ってないって問題があります。確か血統の悲劇として有名なセントサイモンだと思います。所詮直系だけなので、そうじゃない方が遺伝的影響が多いのは確かです。
> 確定的ではないだろう、と考えています。
多くの覆されるケースはmtDNAに関してが多いです。これはそもそも組織が全く別なので当然ですが、Y染色体が取れてるなら、核DNAもほぼ使えるんですよね。現代のものから推測するのがかなりまずいだけで、一応古人骨からの調査なので問題は、大半の根拠を現代のハプロで補った点でしょう…。
これに関してはすべて現代のハプロだけでやるよりましだとしか言えません…。
私も現代人のmtHgやYHgを根拠に推定することを否定しているわけではなく、現生人類の拡散経路で重要となるアジア南西部からアジア南部とアジア南東部を経てオセアニアに至るまでの地域の、更新世人類のDNAデータを得ることはかなり難しそうなので、今後も現代人のデータにかなり依拠しなければならないのは仕方ない、と思います。
現時点で、関連分野のデータ・推論の全てを整合的に解釈できる仮説の提示は無理でしょうし(それらの少なくとも一部は間違いでしょうから)、それは今後も変わらないでしょうが、関連諸分野の研究の進展によりずっと整合的な仮説を提示できるようになることは期待できるので、できるだけ多くの分野を追いかけていこう、と考えています。