古代DNAに基づくユーラシア東部の人類史

 古代DNAに基づく近年のユーラシア東部の人類史研究を整理した概説(Zhang, and Fu., 2020)が公表されました。古代DNA研究により、人類の歴史と進化に関する知識が増えました。ユーラシア西部での研究により、人類集団の移動と混合に関する既存の仮説を比較して評価し、以前には考慮されていなかった新たな仮説の提唱が可能となりました。古代DNA研究はまだ揺籃期にあり、ユーラシア東部での研究はユーラシア西部、とくにヨーロッパと比較して遅れており、ユーラシア東部に関するほとんどの大規模な古代DNA研究は、ユーラシア草原地帯を対象としていました。多くの問題が未解決ですが、古代DNA研究は前進しており、ユーラシア東部の人類集団史に新たな知見を提供しつつあります。本論文は、ユーラシア東部集団に関する最近のさまざまな古代DNA研究を検証し、異なる系統と移住を論じ、現代人の遺伝的歴史への影響を強調します。


●後期更新世のユーラシア東部における現生人類集団

 最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)以前に、現生人類(Homo sapiens)はシベリア北東部からイベリア半島までユーラシア全域に拡散しました。しかし、ユーラシア東部の後期更新世のゲノム規模データはほとんどなく、ユーラシア東部南方(アジア東部南方とアジア南東部)からはまだ得られていません。本論文はまず、ユーラシア東部北方の後期更新世ゲノム規模データにより明らかになった、ユーラシア東部の現生人類の異なる系統をまとめます。

 ユーラシア東部の後期更新世においては主要な3人類集団が報告されています。まず、現代人への遺伝的寄与は実質的になかったと考えられる、シベリア西部のウスチイシム(Ust'-Ishim)近郊のイルティシ川(Irtysh River)の土手で発見された45000年前頃の個体(関連記事)に代表される集団です。このウスチイシム個体のY染色体ハプログループ(YHg)はユーラシア東部で典型的なNOで、ゲノム規模データからは、ユーラシア西部の古代狩猟採集民とアジア東部の古代人および現代人の双方から同じ遺伝的距離にある、と示されています。これは、ウスチイシム個体がユーラシア東西の現代人の祖先の前、もしくは同時に分岐した集団に区分されることを示唆します。

 次に、アジア東部現代人と関連する現生人類集団で、北京の南西56kmにある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の現生人類男性1個体に代表されます(関連記事)。この田园個体は、ヨーロッパの古代人もしくは現代人よりも、アジア東部現代人・ほとんどのアジア南東部現代人・アメリカ大陸先住民の方と遺伝的に密接で、東方アジア人集団とヨーロッパ人集団が遅くとも4万年前頃までに分岐していたことを明らかにしました。この田园個体は、ベルギーのゴイエット(Goyet)遺跡で発見された35000年前頃の1個体(Goyet Q116-1)との遺伝的つながりを示しており、早期ヨーロッパ人と早期東方アジア人との間の分離は、単一集団の分岐ではなかった、と示唆されます。

 最後に、シベリア北東部のヤナRHS(Yana Rhinoceros Horn Site)で発見された31600年前頃の2個体に代表される、古代シベリア北部集団(ANS)です(関連記事)。ANS はヨーロッパ人関連系統(71%)とアジア東部人関連系統(29%)との混合と推定され、ヨーロッパ人関連系統との推定分岐年代は39000年前頃です。バイカル湖地域の24000年前頃のマリタ(Mal’ta)遺跡の1個体(関連記事)と、17000年前頃のアフォントヴァゴラ(Afontova Gora)遺跡の2個体は、他のユーラシア西部狩猟採集民よりもANSと密接に関連しており、ANS系統の子孫としてモデル化できます。これらの研究から、ANS関連系統は古代シベリア人においてかつて広範に拡散していた、と示唆されます。25000±1100年前頃には、ANS関連系統とアジア東部人関連系統の混合により、アメリカ大陸先住民祖型集団(38%程度がマリタ個体関連系統)が形成されました(関連記事)。これらの異なる系統は、後期更新世のユーラシア東部における現生人類集団の多様性を強調します。

 現生人類の地域的な遺伝的違いと適応を形成するうえで、非現生人類ホモ属(古代型ホモ属)との交雑が重要な役割を果たしてきました(関連記事)。ユーラシア東部では、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)という、2つの異なる分類群の古代型ホモ属が確認されています。非アフリカ系現代人のゲノムに残るネアンデルタール人由来の領域は、おもに6万~5万年前頃の出アフリカ現生人類とネアンデルタール人との間の交雑によりもたらされた、と推測されています。デニソワ人は南シベリアとチベット高原で確認されており(関連記事)、アジア東部現代人もわずかにデニソワ人からDNAを継承している、と推定されています(関連記事)。今後、上部旧石器時代の人類のDNA解析が蓄積されていけば、現代人に見られる古代型ホモ属系統の多様性と、いつどこで交雑が起きたのか、ということもより解明されていくでしょう。


●ユーラシア東部における前期新石器時代の人口構造

 ユーラシア東部の前期新石器時代集団は、遺伝的に異なっていました。本論文はその中で主要な集団として、古代シベリア人(APS)と古代アジア東部北方人(ANEA)と古代アジア東部南方人(ASEA)と異なる基底部アジア人2集団(BA1およびBA2)を取り上げます。

 APSは9800年前頃となるシベリア北東部のコリマ(Kolyma)遺跡の個体(Kolyma1)に代表されます(関連記事)。APSは遺伝的にはおもにアジア東部人関連系統で構成され、ANS関連系統からも多少(16.6%程度)遺伝的影響を受けており、アメリカ大陸先住民と類似した遺伝的構成を示します(アメリカ大陸先住民よりもアジア東部系統の影響をやや強く受けています)。シベリアでは完新世に、現代シベリア人につながる新シベリア集団(NS)が拡散していき、おおむねAPSを置換しましたが、APSの遺伝的影響を強く残している集団も存在します。

 ANEAには、極東ロシア沿岸地域の悪魔の門(Devil’s Gate)遺跡個体群(関連記事)や、淄博(Boshan)遺跡など中国山東省の新石器時代個体群(関連記事)、南シベリアのバイカル湖地域の7100~6300年前頃の15個体(関連記事)が含まれます。これら前期新石器時代個体群はクレード(単系統群)を形成し、アジア東部南方の古代人および現代人集団も含めてアジア他の全人類よりも、東部北方の現代人集団と近縁です。しかし、APS関連系統も淄博遺跡や悪魔の門遺跡やバイカル湖地域の個体群で攪乱されており、APS関連が遅くとも8000年前頃までにはANEAとつながりを有していた、と示唆されます。大規模な集団置換のない完新世に、悪魔の門遺跡地域では高水準の遺伝的連続性が観察されています。対照的にバイカル湖地域では、集団置換的事象があり、上部旧石器時代のAPS関連系統が前期新石器時代にはANEA関連系統を有する集団におおむね置換されましたが、APS、さらには一部がその母体となったANS関連系統が、青銅器時代集団でもわずかに確認されています(関連記事)。これらのパターンは、アジア東部北方全域におけるアジア東部北方系統の共有と、シベリアへの北上を示唆します。

 ASEA系統は、福建省の前期新石器時代個体群に代表されます(関連記事)。ASEA系統はANEAと大きく異なり、4600~4200年前頃の福建省の個体群でも確認されます。ASEA関連系統集団は、アジア南東部のいくつかの集団とオーストロネシア語族集団の主要な祖先となりました。ASEA関連系統の拡大の詳細は後述されます。

 BA1はおもに、8000~4300年前頃のホアビン文化(Hòabìnhian)個体群に代表されます(関連記事)。BA1は現代人ではアンダマン諸島のオンゲ(Onge)人とクラスタ化します。オンゲ人はアジア南部集団の系統の「第1層」となります。BA1は他のユーラシア東部集団と古くに分岐し、おそらくは田园個体に代表される系統と同じ頃で、ほとんどのアジア東部現代人には外群となります。BA2は日本列島の縄文文化の後半期(3800~2500年前頃)の集団と関連しており(関連記事)、アジア東部現代人および古代人の系統とはひじょうに早く分岐した、と推測されます。これら縄文文化関連個体群(縄文人)は、田园個体やホアビン文化狩猟採集民よりもアジア東部の南北の両個体群とより密接な関係にありますが、アメリカ大陸先住民の主要な祖先となった集団より早く、アジア東部の南北両系統と分岐した可能性が高い、と推測されます。

 チベット人系統は、チベット高原の古代人(関連記事)および現代チベット人により表されます。現代チベット人はアジア東部現代人と密接に関連しています。しかし、古代ユーラシア東部人との比較では、チベット人はアジア東部北方人とより密接に関連している、と明らかになります。ミトコンドリアDNA(mtDNA)の研究では、現代チベット人において5200年前頃から部分的な母系継続性がある、と推測されており(関連記事)、まだ検出されていないチベット高原のより古い系統が示唆されます。現時点での証拠から、古代チベット人は以前の想定よりも複雑で多様だった、と示唆されますが、チベット高原の古代DNAはまだ不足しており、さらなる研究が必要です。以下、これらの系統の関係を示した本論文の図1です。
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●完新世のユーラシア東部における南方への移動

 完新世の人類集団の移住も、ユーラシア東部現代人の人口構造の形成に大きな役割を果たしました。完新世において、ユーラシア東部では少なくとも3つの主要な南方への移動があり、アジア東部南方におけるアジア東部北方関連系統の増加、アジア南東部のBA1と現在の中国からのアジア東部系統との混合、中国南部の古代人のゲノムに見られるオーストロネシア語族と密接に関連した系統により証明されます。

 アジア東部南方では、アジア東部北方人関連系統が増加していきました(関連記事)。アジア東部南方の後期新石器時代個体群では、ANEA関連系統の増加が見られます。さらに、アジア東部大陸部の全現代人は、ASEA関連系統よりもANEA関連系統の方と多くの類似性を示します。混合モデルでは、ANEA関連系統がアジア東部南方大陸部現代人に強い影響を与えたものの、ASEA関連系統は依然としてある程度存続している、と示されます。アジア東部北方の前期新石器時代集団では、黄河下流域の山東省集団が、アジア東部現代人全員に見られるANEA系統と最も密接に関連しています。一方、いくつかのアジア東部北方集団では、ASEA関連系統がわずかに見られます。

 アジア東部人関連系統のアジア南東部への拡大は4000年前頃に始まり、アジア東部南方からの遺伝子流動がアジア南東部現代人の遺伝的構成大きな影響を与えた、と示されています(関連記事)。しかし、アジア南東部の狩猟採集民に代表されるBA1の痕跡は、アジア南東部現代人において依然として見られ、アジア東部関連系統集団の複数回の移住とアジア南東部先住民集団との混合により特徴づけられる、複雑な移行が示唆されます。古代DNA研究からは、「第1層」としてのBA1と後に到来した「第2層」のアジア東部南方系の農耕民との混合により、アジア南東部現代人の遺伝的多様性が形成されたと推測され、これは以前の仮説と一致します。

 ASEA関連系統はオーストロネシア語族現代人と最大のつながりを示し、オーストロネシア語族の起源が中国本土南東部沿岸にある、という仮説と一致します。祖型オーストロネシア語族の子孫は台湾へと拡散したかもしれず、台湾先住民系統と漢人系統との最初の分岐は10000~8000年前頃と推定されています。バヌアツの3000年前頃の個体群は、アジア東部南方古代人でも前期新石器時代(8400~7500年前頃)よりも後期新石器時代(4600~4200年前頃)個体群の方と密接に関連しています。

 1900年前頃以降のフィリピンの個体群は、インドネシアの現代人および2300~1800年前頃の個体群とクラスタ化し、オーストロネシア語族関連系統とオーストロアジア語族関連系統の混合としてモデル化できます。これは、アジア南東部へのオーストロネシア語族の拡大が遅くとも、インドネシアでは2100年前頃までに、フィリピンでは1800年前頃までに起きたことを示唆します。全体的に、中国南部とオセアニアの古代DNAデータは、アジア東部南方からアジア南東部と太平洋南西部の島々への南下の波を示唆します。こうした南方への移動はユーラシア東部現代人集団の形成に大きな役割を果たし、遺伝子流動がユーラシア東部集団の歴史に大きな影響を与えた、と強調します。以下、これらの集団移動を示した本論文の図2です。
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●まとめ

 ユーラシア東部の古代DNA研究は進展していますが、アジア東部大陸部の研究はまだ不足しています。最近では、上述のようにアジア南東部やオセアニアの古代DNA研究も進展しており、高温多湿地域での古代DNA解析がますます期待されます。高温多湿地域での更新世遺骸のDNA解析は困難ですが、中国広西チワン族自治区で発見された22000年前頃のジャイアントパンダ(Ailuropoda melanoleuca)の遺骸のmtDNAが解析されており(関連記事)、人類遺骸への応用も可能でしょう。

 将来の研究は多くの未解決の問題に対処し、アジア東部におけるより高密度の標本抽出によって、集団変化と相互作用をより詳細に調べられます。たとえば、狩猟採集から農耕への移行はどのように進んだのか、遺伝的にはかなりの置換があったのか、それとも在来集団が農耕を採用したのか、といった問題です。よく研究されていない地域のデータは、過去の集団拡大への新たな洞察を提供し、現生人類の歴史をより深く解明するのに役立ちます。たとえば、チベット高原の古代DNAデータは、いつどのように農耕集団がチベット高原に拡大してきたのか、証拠を提供するでしょう。古代DNAデータは、古代型ホモ属からの自然選択と適応、たとえば高地適応が、どのように現生人類に影響を及ぼしたのか、解明するのに役立ちます。今後の古代DNA研究はユーラシア東部集団の複雑な歴史の解明に役立つでしょう。


 以上、ざっと本論文を見てきました。本論文は、近年のユーラシア東部の古代DNA研究を整理しており、たいへん有益だと思います。本論文を読めば、後期更新世から完新世にかけてのユーラシア東部の現生人類史に関する、現時点での概略を把握できるでしょう。ただ、おそらく本論文の投稿までに間に合わなかったために、本論文では研究されていない論文が査読前のものも含めてあり、ユーラシア東部関連でも古代DNA研究が急速に進展していることを示しています。

 査読前論文では、中国陝西省やロシア極東地域や台湾など広範な地域の新石器時代個体群を中心とした研究があります(関連記事)。本論文では、「縄文人」はBA2とされましたが、この研究では、本論文の表記を用いると、「縄文人」はBA1関連系統(45%)とASEA関連系統(55%)の混合と推定されています。近縁な分類群間の関係を系統樹で表現することには限界がある、という問題とも言えるでしょう。もちろん、「縄文人」がBA1とASEAの混合という推定もモデル化にすぎず、単純化されているわけで、どこまで妥当なのか、よりよいモデル化があり得るのではないか、といった問題は今後の研究の進展を俟つしかありません。

 新石器時代から鉄器時代の中国北部複数地域の個体群を中心とした研究(関連記事)では、アジア東部北方の黄河地域集団において、新石器時代に稲作農耕の北上に伴ってASEA関連系統が増加する、と示されています。本論文でも指摘された、アジア東部における人類集団の移動は、北方から南方だけではなくその逆もあった、というわけです。チベット人の形成過程に関しても、査読前論文が公開されており(関連記事)、本論文で指摘されたチベット高原のより古い系統がBA1関連系統と推測されています。最近、ヨーロッパと比較すると大きく遅れていたユーラシア東部の古代DNA研究が飛躍的に発展したので、今後の研究の進展にたいへん期待しています。


参考文献:
Zhang M, and Fu Q.(2020): Human evolutionary history in Eastern Eurasia using insights from ancient DNA. Current Opinion in Genetics & Development, 62, 78-84.
https://doi.org/10.1016/j.gde.2020.06.009

この記事へのコメント

チェンジ
2020年08月24日 06:01
やはりこの地域の記事が一番関心があります。ただ1つ気になるのは、この地域の研究で寒冷適応に関する遺伝形質をもった集団の広がりって視点での研究があまりないなって点です。

ANEAのすべてが寒冷地で適応的になったのか?と言うとそれは違うと見てて、中国東北部の集団はそうだと見てるのですが、黄河流域の集団は疑わしいと見ています。

生活スタイルが全く違うと見てて、中国東北部集団は漁労採集集団で、土器の発達もそれに関係してて、半定住生活だったと見ています。

それに対して黄河流域の集団は採集はどうだったのか?良く分からない狩猟集団だったと見ています。そもそも環境が違いすぎて、森林地帯と草原地帯ぐらい違ったと思います。

遺伝的には近い集団でも、東アジア人の特徴と言える寒冷地に適応した集団と言うのは全く違っていたのじゃないか?と考えています。管理人さんはこの点関心があるのか?聞いてみたいと思ってコメントしました。
管理人
2020年08月25日 03:21
正直なところ、アジア東部における寒冷適応についてどう解釈すべきなのか、よく分かりません。




この問題に関しては、アジア東部への現生人類の拡散経路と年代、その後のアジア東部における現生人類の分布範囲が重要になってくるでしょうが、その解明のためには、アジア東部も含めてユーラシア東部の更新世の現生人類遺骸のゲノムデータがもっと蓄積されねばならないでしょう。




現時点では、アジア東部において、更新世人類のゲノムデータは2個体でしか得られていないと思いますので、ANEAとASEAの形成過程も不明です。アジア東部の古代DNA研究も、近いうちに何とか今のヨーロッパ並の水準にまで追いついてもらいたいものです。
チェンジ
2020年08月25日 06:31
> 正直なところ、アジア東部における寒冷適応についてどう解釈すべきなのか、よく分かりません。

2つありますね。実はアメリカ先住民にも寒冷適応ってあるんですよ。だから1段階2段階と分けないといけません。後核ゲノムデータが必要なのは間違いない。ただそれ以前に人骨でもある程度の参考データにはなるのですが、遺伝集団は判別できませんが、どこが一番古い(2段階)寒冷適応した人骨か?が良く分かってないってのがね。

黄河流域がそれなりに古いのですが、人骨が豊富だからってのが大きいというのがかなり問題で、起源だからとは言えないのじゃないかと。

> 更新世人類のゲノムデータは2個体でしか得られていないと思いますので

確かにこれでは果てしない先の事ですね。

更新世ってのが問題で先ほどの2段階の発展になりますが、アメリカ先住民に2段階目の寒冷適応の兆候がないってのは、移住の後だと大まかには考えられるので、人骨の形態からヤンガードリアス期辺りじゃないか?とは見られています。ただ新石器に入ったとはっきりわかるような時期でもない。とても微妙な時期かと。

2段階の説明だけ書いておきますね。アメリカ先住民と東アジア人で共通してるのが、耳垢に関する汗腺の遺伝子です。ただ、これアメリカ先住民南部では圧倒的に少数派になるため集団全体じゃなくて中途半端な適応だったようです。後エスキモーじゃ全く違いますしね。それ以外が第2段階の適応です。エスキモーは例外的にというのは、新石器に入ってからの移住だと判明してるので例外的に扱えばいいかと。
管理人
2020年08月26日 03:55
アジア東部現代人集団の寒冷適応が2段階に区別できるとしたら、アメリカ大陸先住民の主要な祖先集団と、アジア東部現代人の主要な祖先集団との最終的な分岐が25000年前頃と推定されているので、「第2段階」の寒冷適応は最終氷期極大期と関連しているのではないか、と思います。

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