人類史における投擲能力
人類史において、投擲能力はひじょうに大きな意味を有したのではないか、と思います。人類は一見すると、狩猟に相応しくない特徴を有している、と言えるかもしれません。人類は、狩りを行なう動物の多くよりも素早い動きと力強さの点で劣りますし、狩りを行なう動物のように鋭い牙や鉤爪を有しているわけでもありません。しかし、優れた認知能力・道具を作るのに必要な器用な手・長距離走に適した体形・投擲に適した腕と肩の構造などにより、人類は長期に亘って陸上で最強の狩猟者として君臨してきました(関連記事)。
この中でもとくに重要なのは投擲能力で、人類の狩猟の効率を高め、その危険性を低下させました。また、狩猟でなくとも、襲ってきたり獲物を食べたりしている肉食動物を追い払うのにも投擲はたいへん有効です。人類の投擲能力の高さは、腰が回転すること、上腕骨のねじれが少ないこと、肩関節窩が上向きの非ヒト類人猿とは異なり横向きになっていることに由来します。現時点での化石記録によると、これら三つの特徴は短期間に一括して出現したのではなく、時間的に分散して現れたようです。腰が回転することと、上腕骨のねじれが少ないことはアウストラロピテクス属の化石で確認されており、肩関節窩が横向きになったのは、200万年前頃(~180万年前頃までの間?)に出現したホモ・エレクトス(Homo erectus)以降のようです。現時点では、高い投擲能力を可能とする派生的な解剖学的特徴が最初に一括して認められるのは200万年前頃以降のホモ・エレクトスと考えられています(関連記事)。
人類進化史においては、投擲能力の向上と引き換えに、木登りの能力は低下してしまいましたから、投擲能力の向上をもたらすような形態学的変化には、当初から投擲が選択圧として作用したと考える方が妥当でしょう(関連記事)。この形態的な変化により、人類はより直立二足歩行に特化していき、長距離走の能力が向上しました。あるいは、ホモ属における直立二足歩行への特化に関しては、直立二足歩行よりもむしろ、投擲能力への選択圧の方が重要な役割を果たした可能性も考えられます。四肢の発生に関連する遺伝子群の特定により、この問題が解明されていくかもしれません。
投擲能力の向上が人類史において重要な役割を果たしたかもしれないとはいっても、じっさいの投擲の証拠を提示するのはなかなか困難です。初期ホモ属が投擲を行なっていた証拠となるかもしれないのが、ジョージア(グルジア)にあるドマニシ(Dmanisi)遺跡です。ドマニシ遺跡では、185万年前頃までさかのぼるホモ属遺骸と石器が発見されていますが、峡谷の入口では大量の石が発見されており、ドマニシ人が動物に投石して逃げるか、投石により動物を狩っていた可能性が指摘されています(関連記事)。おそらく、人類はアウストラロピテクス属の頃から投擲を行なっており、捕食圧を減じるとともに、食料獲得の可能性を高め、それがホモ属になって投擲能力の向上によりさらに効率的になったのでしょう。
更新世人類の投擲でとくに威力があったと思われるのは投槍で、やや間接的ではあるものの、投槍の証拠は28万年前頃のアフリカ東部で発見されています(関連記事)。おそらく現生人類(Homo sapiens)は、古くから槍を投げて獲物を仕留めていたのでしょう。また、現生人類は投槍器を用いますが、それはヨーロッパでは少なくとも4万年以上前までさかのぼる、と推測されています(関連記事)。現生人類は投擲能力を活かした道具を使用しており、これが、世界中へと拡散し、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)など先住人類を置換した(一部交雑により現代人にも遺伝子が継承されています)一因になった、と言えそうです。
現生人類に置換されてしまったネアンデルタール人が槍を投げていた確実な証拠はまだ得られていないと思いますが、ヨーロッパでは中期更新世の槍が確認されていますから、ネアンデルタール人が投槍を用いていても不思議ではありません。ネアンデルタール人が投槍器を用いた証拠は得られていませんが、投槍器なしで槍を獲物から20m程度の距離で投げても、獲物を仕留められる、と示されています(関連記事)。ネアンデルタール人は現生人類と比較して、より危険な近接狩猟を行なっていた、との見解が一般的ですが(関連記事)、ネアンデルタール人と更新世の現生人類とでは頭蓋外傷受傷率にあまり違いはない、とも指摘されています(関連記事)。少なくとも一部のネアンデルタール人は日常的に投擲行動を繰り返していた、と推測されていますから(関連記事)、ネアンデルタール人も投擲能力を活用した人類であったことは間違いないでしょう。また、ドイツで発見された30万年前頃木製棒は投擲に用いられた可能性が高い、と指摘されており(関連記事)、これは広義のネアンデルタール人系統か、あるいは別系統のホモ属の道具だったのでしょう。人類、少なくともホモ属が生き延びてきた要因の一つとして、その高い投擲能力は必ず挙げられねばならない、と思います。
この中でもとくに重要なのは投擲能力で、人類の狩猟の効率を高め、その危険性を低下させました。また、狩猟でなくとも、襲ってきたり獲物を食べたりしている肉食動物を追い払うのにも投擲はたいへん有効です。人類の投擲能力の高さは、腰が回転すること、上腕骨のねじれが少ないこと、肩関節窩が上向きの非ヒト類人猿とは異なり横向きになっていることに由来します。現時点での化石記録によると、これら三つの特徴は短期間に一括して出現したのではなく、時間的に分散して現れたようです。腰が回転することと、上腕骨のねじれが少ないことはアウストラロピテクス属の化石で確認されており、肩関節窩が横向きになったのは、200万年前頃(~180万年前頃までの間?)に出現したホモ・エレクトス(Homo erectus)以降のようです。現時点では、高い投擲能力を可能とする派生的な解剖学的特徴が最初に一括して認められるのは200万年前頃以降のホモ・エレクトスと考えられています(関連記事)。
人類進化史においては、投擲能力の向上と引き換えに、木登りの能力は低下してしまいましたから、投擲能力の向上をもたらすような形態学的変化には、当初から投擲が選択圧として作用したと考える方が妥当でしょう(関連記事)。この形態的な変化により、人類はより直立二足歩行に特化していき、長距離走の能力が向上しました。あるいは、ホモ属における直立二足歩行への特化に関しては、直立二足歩行よりもむしろ、投擲能力への選択圧の方が重要な役割を果たした可能性も考えられます。四肢の発生に関連する遺伝子群の特定により、この問題が解明されていくかもしれません。
投擲能力の向上が人類史において重要な役割を果たしたかもしれないとはいっても、じっさいの投擲の証拠を提示するのはなかなか困難です。初期ホモ属が投擲を行なっていた証拠となるかもしれないのが、ジョージア(グルジア)にあるドマニシ(Dmanisi)遺跡です。ドマニシ遺跡では、185万年前頃までさかのぼるホモ属遺骸と石器が発見されていますが、峡谷の入口では大量の石が発見されており、ドマニシ人が動物に投石して逃げるか、投石により動物を狩っていた可能性が指摘されています(関連記事)。おそらく、人類はアウストラロピテクス属の頃から投擲を行なっており、捕食圧を減じるとともに、食料獲得の可能性を高め、それがホモ属になって投擲能力の向上によりさらに効率的になったのでしょう。
更新世人類の投擲でとくに威力があったと思われるのは投槍で、やや間接的ではあるものの、投槍の証拠は28万年前頃のアフリカ東部で発見されています(関連記事)。おそらく現生人類(Homo sapiens)は、古くから槍を投げて獲物を仕留めていたのでしょう。また、現生人類は投槍器を用いますが、それはヨーロッパでは少なくとも4万年以上前までさかのぼる、と推測されています(関連記事)。現生人類は投擲能力を活かした道具を使用しており、これが、世界中へと拡散し、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)など先住人類を置換した(一部交雑により現代人にも遺伝子が継承されています)一因になった、と言えそうです。
現生人類に置換されてしまったネアンデルタール人が槍を投げていた確実な証拠はまだ得られていないと思いますが、ヨーロッパでは中期更新世の槍が確認されていますから、ネアンデルタール人が投槍を用いていても不思議ではありません。ネアンデルタール人が投槍器を用いた証拠は得られていませんが、投槍器なしで槍を獲物から20m程度の距離で投げても、獲物を仕留められる、と示されています(関連記事)。ネアンデルタール人は現生人類と比較して、より危険な近接狩猟を行なっていた、との見解が一般的ですが(関連記事)、ネアンデルタール人と更新世の現生人類とでは頭蓋外傷受傷率にあまり違いはない、とも指摘されています(関連記事)。少なくとも一部のネアンデルタール人は日常的に投擲行動を繰り返していた、と推測されていますから(関連記事)、ネアンデルタール人も投擲能力を活用した人類であったことは間違いないでしょう。また、ドイツで発見された30万年前頃木製棒は投擲に用いられた可能性が高い、と指摘されており(関連記事)、これは広義のネアンデルタール人系統か、あるいは別系統のホモ属の道具だったのでしょう。人類、少なくともホモ属が生き延びてきた要因の一つとして、その高い投擲能力は必ず挙げられねばならない、と思います。
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