岡本隆司『シリーズ中国の歴史5 「中国」の形成 現代への展望』
岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2020年7月に刊行されました。本書はいわゆる明清交代から現代までを扱っています。本書は、17世紀の混乱期に対して、アジア東部ではダイチン・グルン(大清国)が広範な地域の安定化をもたらした一方で、ヨーロッパでは諸勢力の競合がもたらされ、これが近代における東西の違いにつながった、との見通しを提示しています。これは、オスマン帝国による広範な地域の平和がもたらされた同時代のアジア南西部とも通ずるかもしれません。
マンジュ(満洲、元は漢字文化圏で女真と表記されたジュシェン)起源のダイチン・グルンは、人口・経済力ともに明に遠く及ばない勢力で、明の領域を支配できたのも、明が反乱で首都を陥落させられ、明の将軍による手引きがあったからで、その覇権は多分に僥倖だった、と本書は指摘します。ダイチン・グルンの支配は、基本的に在来勢力による統治の承認で、直接的に干渉しようとはしませんでした。これは藩部についてで、本部18省は直接統治だった、と一般的には認識されているかもしれませんが、本書は、漢字文化圏(漢人)の本部18省に関しても、その基層社会は明代の統治を踏襲した、と評価しています。明代の統治が集権的だったので、ダイチン・グルンの本部18省の統治も集権的・直接的に見えるというわけですが、本書は、そもそも明代の統治が集権的だったのか、疑問を呈しています。明代も、基層社会を確実に把握できていたのか、疑わしいからです。
こうしたダイチン・グルンの支配方式は外交関係にも現れており、朝鮮は明代の冊封体制のまま属国とされましたが、東進してきたロシアとは比較的対等な関係を築いています。これは、華夷秩序に基づく一元体制を志向し続けた明との大きな違いですが、ダイチン・グルンの支配層は自らが弱小勢力だったことを強く自覚していたからなのでしょう。日本など交易のみを認める互市関係も、そうした自己認識に基づいているとともに、武装商業集団として勃興したダイチン・グルンは、交易の統制が16~17世紀のような不安定な状況をもたらす、とよく理解していたのでしょう。
こうしたダイチン・グルンの支配は、18世紀には安定しますが、不安定要因も現れます。それは漢人社会の急速な人口増加と経済成長で、元々基層社会を把握できていなかったダイチン・グルンは、官と民との分離傾向に悩まされようになり、18世紀後半以降は反乱が続いて不安定になります。また本書は、漢人社会の経済成長が、急速な人口増加により相殺され、庶民個々の生活水準が向上しなかったことを指摘します。さらに本書は、ヨーロッパとは異なり大規模な金融の信用体制をダイチン・グルン(というかアジア東部)は構築できず、これが産業革命・近代化を達成したヨーロッパと、遅れたアジア東部との違いになった、と指摘します。
「中国」の近代は、西洋列強(日清戦争後は日本も)の侵略と共に、官と民との分離をいかに克服していくのか、という苦闘の歴史となります。この状況で、漢人知識層の間で、モンゴルや新疆やチベットも含めて一体的な「中国」を目指す機運が高まります。しかし、とくに非漢人地域では独立への機運が高まり、この問題は現代にも尾を引いています。「中国」の一体化を目指す立場からさらに厄介だったのは、この両問題が結びつき、各地域が独自に列強との経済的結びつきを深めていったことでした。通貨制度も一元化されず、「銀銭二貨制」から「雑種幣制」へと移行します。この状況は、単に外国の侵略によるのではなく、「中国」の一体化を主張した知識層自体が、社会・経済的につながりの深い在地勢力の支持に傾いていたからでした。
蒋介石も打開できなかったこの状況が大きく変わる契機となったのは、日本の侵略が本格化したことでした。これにより国民党側も共産党側も総力戦体制の構築を進めねばならなくなり、日本の敗戦後の国共内戦でその傾向はさらに強化されました。内戦に勝った共産党政権(中華人民共和国)下で、通貨制度も含めた社会の一元化と中央権力の基層社会への浸透が進展しました。これは、冷戦下で中国が西側世界と切り離されたことも大きかったようです。
共産党政権下の中国は、大躍進と文化大革命の混乱の後、「社会主義市場経済」に移行しますが、これは毛沢東が克服できなかった官と民との二元構造に適合していました。そのため中国では、経済大国となった今も、格差と腐敗というこの二元構造の弊害が大きな問題となっています。また本書は、習近平政権で強調されるようになった「中国の夢」の根幹にある「中華民族の偉大な復興」に疑問を呈します。「中華民族」は「多元一体」と定義されますが、そんな「一体」の「中華民族」は存在したことがない、と本書は指摘します。存在しなかったものを回復させることはあり得ず、復興も現実ではなく「夢」である、というわけです。ずっと以前から思っていましたが、「中華民族」という概念にはやはり無理がある、と言うべきでしょう。
本書で『シリーズ中国の歴史』は完結となります。他の巻を取り上げた記事は以下の通りです。
渡辺信一郎『シリーズ中国の歴史1 中華の成立 唐代まで』
https://sicambre.seesaa.net/article/202004article_26.html
丸橋充拓『シリーズ中国の歴史2 江南の発展 南宋まで』
https://sicambre.seesaa.net/article/202005article_23.html
古松崇志『シリーズ中国の歴史3 草原の制覇 大モンゴルまで』
https://sicambre.seesaa.net/article/202005article_43.html
檀上寛『シリーズ中国の歴史4 陸海の交錯 明朝の興亡』
https://sicambre.seesaa.net/article/202007article_28.html
マンジュ(満洲、元は漢字文化圏で女真と表記されたジュシェン)起源のダイチン・グルンは、人口・経済力ともに明に遠く及ばない勢力で、明の領域を支配できたのも、明が反乱で首都を陥落させられ、明の将軍による手引きがあったからで、その覇権は多分に僥倖だった、と本書は指摘します。ダイチン・グルンの支配は、基本的に在来勢力による統治の承認で、直接的に干渉しようとはしませんでした。これは藩部についてで、本部18省は直接統治だった、と一般的には認識されているかもしれませんが、本書は、漢字文化圏(漢人)の本部18省に関しても、その基層社会は明代の統治を踏襲した、と評価しています。明代の統治が集権的だったので、ダイチン・グルンの本部18省の統治も集権的・直接的に見えるというわけですが、本書は、そもそも明代の統治が集権的だったのか、疑問を呈しています。明代も、基層社会を確実に把握できていたのか、疑わしいからです。
こうしたダイチン・グルンの支配方式は外交関係にも現れており、朝鮮は明代の冊封体制のまま属国とされましたが、東進してきたロシアとは比較的対等な関係を築いています。これは、華夷秩序に基づく一元体制を志向し続けた明との大きな違いですが、ダイチン・グルンの支配層は自らが弱小勢力だったことを強く自覚していたからなのでしょう。日本など交易のみを認める互市関係も、そうした自己認識に基づいているとともに、武装商業集団として勃興したダイチン・グルンは、交易の統制が16~17世紀のような不安定な状況をもたらす、とよく理解していたのでしょう。
こうしたダイチン・グルンの支配は、18世紀には安定しますが、不安定要因も現れます。それは漢人社会の急速な人口増加と経済成長で、元々基層社会を把握できていなかったダイチン・グルンは、官と民との分離傾向に悩まされようになり、18世紀後半以降は反乱が続いて不安定になります。また本書は、漢人社会の経済成長が、急速な人口増加により相殺され、庶民個々の生活水準が向上しなかったことを指摘します。さらに本書は、ヨーロッパとは異なり大規模な金融の信用体制をダイチン・グルン(というかアジア東部)は構築できず、これが産業革命・近代化を達成したヨーロッパと、遅れたアジア東部との違いになった、と指摘します。
「中国」の近代は、西洋列強(日清戦争後は日本も)の侵略と共に、官と民との分離をいかに克服していくのか、という苦闘の歴史となります。この状況で、漢人知識層の間で、モンゴルや新疆やチベットも含めて一体的な「中国」を目指す機運が高まります。しかし、とくに非漢人地域では独立への機運が高まり、この問題は現代にも尾を引いています。「中国」の一体化を目指す立場からさらに厄介だったのは、この両問題が結びつき、各地域が独自に列強との経済的結びつきを深めていったことでした。通貨制度も一元化されず、「銀銭二貨制」から「雑種幣制」へと移行します。この状況は、単に外国の侵略によるのではなく、「中国」の一体化を主張した知識層自体が、社会・経済的につながりの深い在地勢力の支持に傾いていたからでした。
蒋介石も打開できなかったこの状況が大きく変わる契機となったのは、日本の侵略が本格化したことでした。これにより国民党側も共産党側も総力戦体制の構築を進めねばならなくなり、日本の敗戦後の国共内戦でその傾向はさらに強化されました。内戦に勝った共産党政権(中華人民共和国)下で、通貨制度も含めた社会の一元化と中央権力の基層社会への浸透が進展しました。これは、冷戦下で中国が西側世界と切り離されたことも大きかったようです。
共産党政権下の中国は、大躍進と文化大革命の混乱の後、「社会主義市場経済」に移行しますが、これは毛沢東が克服できなかった官と民との二元構造に適合していました。そのため中国では、経済大国となった今も、格差と腐敗というこの二元構造の弊害が大きな問題となっています。また本書は、習近平政権で強調されるようになった「中国の夢」の根幹にある「中華民族の偉大な復興」に疑問を呈します。「中華民族」は「多元一体」と定義されますが、そんな「一体」の「中華民族」は存在したことがない、と本書は指摘します。存在しなかったものを回復させることはあり得ず、復興も現実ではなく「夢」である、というわけです。ずっと以前から思っていましたが、「中華民族」という概念にはやはり無理がある、と言うべきでしょう。
本書で『シリーズ中国の歴史』は完結となります。他の巻を取り上げた記事は以下の通りです。
渡辺信一郎『シリーズ中国の歴史1 中華の成立 唐代まで』
https://sicambre.seesaa.net/article/202004article_26.html
丸橋充拓『シリーズ中国の歴史2 江南の発展 南宋まで』
https://sicambre.seesaa.net/article/202005article_23.html
古松崇志『シリーズ中国の歴史3 草原の制覇 大モンゴルまで』
https://sicambre.seesaa.net/article/202005article_43.html
檀上寛『シリーズ中国の歴史4 陸海の交錯 明朝の興亡』
https://sicambre.seesaa.net/article/202007article_28.html
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