南パタゴニアの人類の古代ゲノムデータ

 南パタゴニアの人類の古代ゲノムデータを報告した研究(Nakatsuka et al., 2020)が公表されました。南パタゴニアは南アメリカ大陸の南緯49度の南側の地域で、フエゴ島(Isla Grande de Tierra del Fuego)の12600年前頃(以下、全て較正年代です)とされるトレス・アリョイ(Tres Arroyos)岩陰遺跡での痕跡以来現在までずっと、人類が居住していました。ごく一部の遺跡は13000~8500年前頃の前期完新世と8500~3500年前頃の中期完新世にさかのぼりますが、遺跡密度は3500年前頃以降の後期完新世でかなり増加しました。この期間の人々の移動と関連していた可能性のある複数の文化変化に関する証拠が、考古学では提示されてきました。

 最初の変化は、遅くとも6700年前頃となるカヌーと銛の使用を含む航海技術と関連しており、アシカや他の鰭脚類の狩猟が沿岸にいない時期でもできるようになり、フエゴ諸島における遊動的な狩猟採集民集団の定住を可能としました。この技術開発は、在来の陸上狩猟採集民に起源があるか、アイデアの模倣もしくは人々の移動を経由しての北方からの技術拡大を反映している、と仮定されてきました。

 第二の変化は西フエゴ諸島で起き、道具の素材や形態の変化を伴います。おそらくは西フエゴ諸島南部のオトウェイ・サウンド(Otway Sound)からもたらされた緑色の黒曜石は、6700~6300年前頃となるこの最初の期間の特徴的な標識で、5500~3100年前頃となる後期には、異なる素材の大型両面石器投射尖頭器が出現します。緑色黒曜石使用の中断は、産地の場所についての文化的知識の喪失を反映しており、景観に不慣れな新たな人々の到来に起因しているかもしれない、と仮定されてきました。

 第三の変化には、人口増加や技術的革新の証拠を伴う、地域全体の2000年前頃までの変化が含まれています。ビーグル海峡の考古学的記録からは、尖頭器の意匠の多様化が示され、狩猟戦略の変化・再編成・拡大として解釈されてきました。フエゴ島北部では、投擲武器として紐に結びつけられた石の球体であるボレアドラス(boleadoras)の使用が、1500年前頃までに終了します。さらに、投射武器の先端に用いられた有茎尖頭器の新たなタイプが2000年前頃までに出現します。900年前頃にはそのサイズが縮小し、これは弓矢技術の出現と関連していました。これら後期完新世の尖頭器と歴史時代の尖頭器の類似性は、少なくとも2000年前頃からの文化的継続性の要素を記録しますが、技術は模倣でき、類似の環境が並行的な革新につながるかもしれないので、これは遺伝的継続性を証明しません。

 ヨーロッパ人は16世紀に南アメリカ大陸に到来すると、南パタゴニアには異なる地形に最適化された二つの広範な生存戦略を取っていた先住民5集団が存在した、と記録しています。それは、東部と北部の高地および低地と、西部と南部の島々を伴う不規則な海岸です。陸上の狩猟採集民には、本土の東斜面に沿って居住していたアオニケンク(Aónikenk)もしくは南テウェルチェ(Southern Tehuelche)集団と、フエゴ島北部に居住していたセルクナム(Selk’nam)もしくはオナ(Ona)集団が含まれます。これら2集団はおもにラマ属(グアナコ)と鳥の狩猟、および海岸の貝採取に依存していました。ビーグル海峡地域のヤマナ(Yámana)もしくはヤーガン(Yaghan)集団と、西フエゴ諸島のカウェスカル(KawésqarもしくはKawéskar)もしくはアラカルフェ(Alacalufe)集団は、航海用カヌーで容易に入手できる海洋資源に強く依存していました。ミトレ半島(Mitre Peninsula)に位置するフエゴ島南東端のハウシュ(Haush)もしくはマネケンク(Mánekenk)集団は航海技術を有していませんでしたが、考古学的証拠から、陸棲および海棲の獲物を狩っていた、と示唆されます。これら5集団間の関係が議論されてきており、異なる集団間の婚姻は境界では一般的だったとも、それは稀だったとも主張されています。

 ゲノム規模研究は、人々の移動が考古学的記録に明らかな変化を伴うのかどうかに関する、直接的情報を提供できます。母系ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)と父系Y染色体ハプログループ(YHg)という単系統遺伝の分析では、南パタゴニアの人々では、mtHgはCとDしかなく、YHgの多様性は低い、と示されています。これは、強い遺伝的浮動と孤立による創始者集団におけるボトルネック(瓶首効果)と一致します。以前の研究では、パタゴニアの現代人61人と1000年前頃の4人のゲノム規模データが報告され、過去から現代までのかなりの程度の遺伝的連続性が示されました。陸上狩猟採集民のセルクナム集団は、海洋資源に強く依存していたカウェスカル集団およびヤマナ集団と同じ割合でアレル(対立遺伝子)を共有していました。別の研究では、6600年前頃と4700年前頃の2人が、南アメリカ大陸の他地域のあらゆる古代および現代集団よりも、同地域の1000年前頃の個体群および歴史時代集団と密接に関連している、と示されました。

 しかし、いくつかの問題は解決されていません。まず、この地域では過去からずっと遺伝的継続性があったのか、それとも技術的変化と関連する検出可能な変化があったのか、という問題です。その技術的変化は、(1)6700年前頃の海洋食性への特化、(2)5500~3100年前頃の緑色黒曜石の豊富な使用のような技術的変化、(3)2000年前頃のボレアドラスから有茎尖頭器への移行、のどれか、あるいは複数なのかが、問題となります。その他にも問題はあります。(4)隣接する南パタゴニア集団間の遺伝子流動はどの程度でしたか?(5)ミトレ半島の住民は遺伝的に、海洋資源に依存する集団もしくは陸上資源に依存する集団に類似していましたか?(6)古代集団はヨーロッパ人との接触後にどのように関係していますか?

 本論文はこれらの問題に答えるため、ミトレ半島と南アメリカ大陸南部内陸部では最初となるものも含めて、5800~100年前頃の南パタゴニアの19人の新たなゲノム規模データと、アルゼンチンの草原地帯(パンパ)の2400年前頃の1個体のゲノム規模データを報告します。この地域の人々の古代DNAデータ(ヨーロッパ人との接触前が6人、接触後が11人)を報告した以前の研究(関連記事)と比較して、本論文のデータは、とくにフエゴ島の東部と北部において、時空間的間隙を埋めます。I12367とキョウダイの関係にあると判明した1個体(I12365)は分析対象外となります。なお本論文では、先住民との合意の下で研究が行なわれた、と明記されています。以下、南パタゴニアの古代人の標本の位置と年代を示した本論文の図1です。
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●父系および母系の特定と集団規模推定と表現型との関連

 南パタゴニア人のmtHgはCもしくはDのみで、フエゴ諸島北部ではmtHg-D1g5・C1c、ビーグル海峡地域ではmtHg-C1b、ミトレ半島ではmtHg-C1b・D1g5の割合が高い、と示されます。mtHg-D1g5はアルゼンチンとチリの古代人および現代人で広範に見られ、地理的に構造化された内部クレード(単系統群)があるので、おそらくはコーノ・スール(南アメリカ大陸南部)への人類の初期移住段階で分化しました。後期完新世のフエゴ島~区部の1個体ではmtHg-D4h3aが見られ、現在では南北アメリカ大陸両方の太平洋沿岸に集中しています。YHgは全てQ1a2aです。YHg- Q1a2a1aは、ミトレ半島の後期完新世の1個体(YHg-Q1a2a1b)を除く、父系がより詳細に解明された全個体で観察され、現代の南アメリカ大陸全域では類似の構造が見られます。

 条件つきヘテロ接合性分析では、古代パタゴニア集団は、多型部位の変異率が現在世界で最も低い多様性の集団と同じくらいである、と明らかになりました。これは、父系および母系の単系統遺伝分析に基づく以前の推測と一致しており、持続的な集団規模の小ささを示唆します。古代の個体群の高網羅率の全ゲノム配列データが欠如しているので、集団のボトルネックの年代は特定できませんでした。以前に報告された耐寒性と関連するいくつかの多様体が調べられましたが、標本規模が小さいため、経時的な有意なアレル頻度変化を推定するのに不充分で、自然選択の検証はできませんでした。


●遺伝的系統と地理および言語との相関

 対称性f4統計では、最初のパタゴニア人はアルゼンチンの草原地帯の7700年前頃の個体もしくは6800年前頃の個体、あるいはチリ中央部の5100年前頃の個体と比較して、後のパタゴニア人とより多くのアレルを共有していると示されるので、南パタゴニアにおける遺伝的継続性の有意な程度が検出されます。ADMIXTUREや主成分分析など複数の分析と併せると、中期完新世個体群は後期完新世個体群と異なり、重要な例外は、後の西フエゴ諸島個体群へとわずかに移動するチリのアヤエマ(Ayayema)遺跡の4700年前頃の個体で、重要な遺伝的事象を反映した標識です。後期完新世には、南パタゴニアの遺伝的構造は地理・食性および技術・言語集団と相関し、ビーグル海峡地域と西フエゴ諸島と南アメリカ大陸本土南部およびフエゴ諸島北部ではクラスタが大きく分離します。しかし、勾配も存在し、ミトレ半島の個体群は南アメリカ大陸本土南部およびフエゴ諸島北部個体群とビーグル海峡地域個体群との間の勾配を形成し、現代ヤマナ人は西フエゴ諸島個体群とビーグル海峡地域個体群との間に位置します。

 対での遺伝的浮動距離を地理・年代・言語距離・生存戦略の違いと相関させると、4変数全てで有意でした。この相関とヨーロッパ側の南アメリカ大陸侵出初期の記録に基づき、各地域の後期完新世集団は、西フエゴ諸島がカウェスカル、ビーグル海峡地域がヤマナ、ミトレ半島がハウシュ、フエゴ諸島北部がセルクナム、南アメリカ大陸南部本土がアオニケンクと命名されました。1500~500年前頃のこれらの地域の個体群の自己認識がどのようなものだったのか不明なので、これは過度な単純化で、5集団の下位構造も隠されてしまいます。ただ、遺伝的データが伝統的な用語と矛盾せず、じっさいに強く相関するので、本論文ではこれらの用語が使われます。


●4700年前頃の海洋集団と陸上集団の遺伝的分化

 f4統計での最古の個体群ともっと新しい個体群との比較では、チリの6600年前頃のプンタサンタアナ(Punta Santa Ana)個体とアルゼンチンの5800年前頃のラアルシロサ2(La Arcillosa 2)個体は遺伝的に、海洋および陸上両方を含む後の集団と遺伝的に等距離です。さらに、6600年前頃のプンタサンタアナ個体と5800年前頃のラアルシロサ2個体は、この地域外の全てのアメリカ大陸集団と遺伝的に等距離でした。考古学および同位体データに基づくと、西フエゴ諸島のプンタサンタアナ個体は、おもに海洋性食性に依存する南パタゴニア最初の個体ですが、ラアルシロサ2個体は、おもに陸上食性に依存していました。これは上記の問題(1)の回答になります。南パタゴニアにおける海洋適応の最初の出現は、北からの移住事象により説明されません。

 しかし、後期完新世のカウェスカルおよびヤマナ集団は、6600年前頃のプンタサンタアナ個体もしくは5800年前頃のラアルシロサ2個体よりも、チリの4700年前頃のアヤエマ個体に有意に密接に関連しています。古代のセルクナムやアオニケンクやハウシュ個体群が、4700年前頃のアエヤマ個体と有意な類似性を示さないことから、アヤエマ個体の系統は、陸上資源におもに依存したセルクナムやおそらくはアオニケンクのような東部集団よりも、海洋カヌーが利用可能な海洋資源におもに依存した後の集団に大きく貢献している、と示唆されます。これは歴史時代へと持続し、4700年前頃のアエヤマ個体は、100年前頃のセルクナム集団の個体とよりも、100年前頃のヤマナ集団の個体の方とアレルを多く共有しています。

 したがって、海洋資源特化への変化の考古学的証拠とは対照的に、西フエゴ諸島での5500~3100年前頃の緑色黒曜石の使用中断の変化は、本論文の遺伝的知見と相関します。これは、この地域の後期完新世の人々と有意な追加の遺伝的類似性を有している、海洋適応していたアヤエマの4700年前頃の個体の期間に起きました。これは上記の問題(2)の回答となります。南パタゴニア北端のこの個体が南パタゴニアの後の海洋適応した集団と特定の遺伝的類似性を示すことは、この期間の集団変化と一致します。具体的には、南パタゴニア全域での海洋適応集団を接続する遺伝子流動が示唆されますが、そうした遺伝子流動の方向は本論文の遺伝的分析では決定できません。パタゴニア外の全集団はこれら最初のパタゴニア集団と対称的に関連しており、この広範な地域内の重要な移動にも関わらず、これらの変化が南アメリカ大陸南端の地域的な発展に起因することと一致します。


●中期~後期完新世の北パタゴニアから南パタゴニアへの遺伝子流動

 4700年前頃以後のパタゴニアと他地域との間の遺伝的相互作用を検証するため、後期完新世(1500~100年前頃)と中期完新世(4700年前頃)のパタゴニア集団間の対称性が、他のアメリカ大陸集団と比較してf4統計で検証されました。一貫して重要な唯一の標識は、パタゴニアのずっと北方に位置するチリ中央部のコンチャリ(Conchali)の700年前頃の個体が、中期完新世個体群と比較して、アオニケンクやハウシュやヤマナやセルクナムといった後の集団の一部と過剰なアレル共有を示すことです。f4統計では、これが南パタゴニアからチリ中央部への遺伝子流動に起因するという証拠はありません。qpAdmを用いて、チリのコンチャリの700年前頃の個体を、チリの5100年前頃のロスリーレス(Los Rieles)個体と、あらゆる後期完新世パタゴニア集団との混合としてモデル化すると、この遺伝子流動の方向へのさらなる支持が得られます。コンチャリ個体は一貫して、後期完新世パタゴニア系統を有さないとモデル化され、南パタゴニア系統のチリ中央部への大規模な北進の可能性はほとんどありません。

 qpAdmを用いて後期完新世南パタゴニア集団をモデル化すると、海洋適応のカウェスカルおよびヤマナ集団が、700年前頃のコンチャリ個体関連系統45~65%と、残りが4700年前頃のアヤエマ個体関連系統との混合としてモデル化できます。これらのモデルは、qpAdmの外群間でチリの6600年前頃のプンタサンタアナ個体と5800年前頃のアルゼンチンのラアルシロサ2個体とでも連携しますが、対称的に、プンタサンタアナ個体もしくはラアルシロサ2個体をアヤエマ個体の代わりに第2ソースとして用いると、適合しません。これらの結果は、南パタゴニアにおいて6600~5800年前頃の集団から後期完新世海洋適応集団への直接的な遺伝的継続性があったとしても僅かだと示唆しており、中期完新世における南パタゴニア群島のかなりの再移住と一致します。

 対照的に、東部のセルクナム集団はアヤエマ個体関連系統とではモデル化できず、代わりにコンチャリ個体関連系統50~60%と、残りがラアルシロサ2個体関連系統もしくはプンタサンタアナ個体関連系統との混合としてのみ適合します。ハウシュ集団は、コンチャリ個体関連系統50~60%と、残りが中期完新世集団のいずれか(本論文の解像度では特定できません)の混合でモデル化できます。アオニケンク集団は、コンチャリ個体関連系統50~60%と、残りがプンタサンタアナ個体関連系統もしくはアヤエマ個体関連系統とりの混合でモデル化され、ラアルシロサ2個体関連系統は適合しません。後述の追加分析では、アオニケンク集団がセルクナム集団と最も類似した系統を有しているので、コンチャリ個体関連系統とプンタサンタアナ個体関連系統との混合の方がモデル化として適しているようです。

 これらの結果から言えるのは、後期完新世の南パタゴニア人のqpAdmモデルは全て、チリの700年前頃のコンチャリ個体関連系統から約半分を、残りは中期完新世の南パタゴニア系統(チリの6600年前頃のプンタサンタアナ個体関連系統もしくはチリの4700年前頃のアヤエマ個体関連系統)を継承し、南パタゴニア系統は遅くとも6600年前頃には相互に分岐した、ということです。これは、この地域全体の分岐した集団相互へと混合する、チリの700年前頃のコンチャリ個体関連系統から南パタゴニアへの遺伝子流動により説明できますが、逆方向では説明できず、チリの700年前頃のコンチャリ個体関連系統が、チリの6600年前頃のプンタサンタアナ個体関連系統もしくはチリの4700年前頃のアヤエマ個体関連系統を有するとモデル化できることを予測しますが、これはf4統計でもqpAdmでもqpGraphでも支持されません。

 まとめると、本論文の分析から、南パタゴニアに影響を及ぼした3回の主要な北から南への遺伝子流動が示唆されます。最初はチリの6600年前頃のプンタサンタアナ個体関連系統を遅くとも6600年前頃までに、2回目はチリの4700年前頃のアヤエマ個体関連系統を南パタゴニア群島に遅くとも2000年前頃までに、3回目はチリの700年前頃のコンチャリ個体関連系統を遅くとも2000年前頃までに南パタゴニア全域にもたらしました。

 アルゼンチンの2400年前頃のラグナトロ(Laguna Toro)個体のようなパタゴニア外の集団の遺伝的類似性を共有する過剰なアレルは検出されませんでした。しかし、参照データは少なく、とくに弱点となるのは、おそらくはアオニケンクやセルクナム集団と遺伝的に相互作用しただろう、アルゼンチン草原地帯と南パタゴニア地域との間のさらに南の個体群のデータが欠けていることです。将来の古代DNA標本抽出により、このような集団が中期~後期完新世に南パタゴニアの人々と交雑したのか、検証できるようになるでしょう。非アメリカ人と特異に関連する集団からの系統は、あらゆる個体群で見つからず、南パタゴニア個体群の以前の分析と一致します。


●隣接する南パタゴニア集団間の遺伝的混合

 後期完新世パタゴニア集団間の遺伝的関係が、対称性f4統計で調べられました。これは上記の問題(4)の回答となります。セルクナム集団は遺伝的に近隣集団の中間に位置し、その北方のアオニケンク集団は、その東方および南方のハウシュおよびヤマナ集団よりも、セルクナム集団と多くのアレルを共有しています。同様に、ハウシュおよびヤマナ集団は、アオニケンク集団よりもセルクナム集団の方とアレルを多く共有しています。したがって、qpAdmを用いて、セルクナム集団は63.8±9.2%のアオニケンク集団関連系統と、36.2%のヤマナ集団関連系統の混合としてモデル化できます。DATESを用いると、この混合年代は1902±282年前と推定されます。

 ミトレ半島のハウシュ集団も遺伝的には近隣集団間の中間に位置し、ヤマナ集団はセルクナム集団と比較してハウシュ集団に近く、セルクナム集団はヤマナ集団と比較してハウシュ集団に近くなっています。ハウシュ集団が混合と直接的に確認され、これは上記の問題(5)の回答となります。qpAdmを用いての各系統の個別モデル化では、ヤマナ集団関連系統が10.2~44.8%と推定されます。ハウシュ集団間でかなりの系統の違いがあることから、集団間の混合が標本抽出期間に活発だったかもしれない、と示唆されます。平均的な推定混合年代は1334±171年前です。

 ヤマナ集団も近隣集団間で遺伝的に中間に位置し、セルクナム集団はカウェスカル集団と比較してヤマナ集団に近く、カウェスカル集団はセルクナム集団と比較してヤマナ集団に近くなっています。これは、セルクナム集団がカウェスカル集団およびヤマナ集団と等しく関連している、と報告した過去の研究では検出されませんでした。これは、以前の研究が単一のセルクナム集団個体の100塩基対の配列に依存していたからと考えられます。ヤマナ集団は、カウェスカル集団関連系統54.2±14.4%とセルクナム集団関連系統44.2%の混合としてモデル化できます。ヤマナ集団の1個体はカウェスカル集団関連系統が83.3±16.7%と推定されますが、他の個体はカウェスカル集団関連系統が51~56%と推定されます。DATESでは、混合年代が1627±313年前と推定されます。

 これらの結果から、2200~1200年前頃に南パタゴニア集団間で活発な混合があり、一方の端であるアオニケンク集団からもう一方の端であるカウェスカル集団にわたる勾配があり、その時以来遺伝子流動は緩やかになった、と示されます。最近になって遺伝子流動が緩やかになったことは、文化的分化が最近になるほど大きくなった可能性を示唆します。


●混合図モデル

 本論文はqpGraphを用いて、データに混合図を適合させ、異なる南パタゴニア集団および他の南アメリカ大陸集団との相互関係をモデル化しました(図3)。このモデルは、本論文の個々の知見の多くを把握しています。アルゼンチン草原地帯集団であるラグナトロの2400年前頃の個体は、全ての南パタゴニア個体群と等しく関連しています。チリの4700年前頃のアヤエマ個体関連系統は、海洋適応集団である1500~100万年前頃のヤマナと800年前頃のカウェスカルに遺伝的影響を及ぼしたものの、他の南パタゴニア集団には影響を及ぼさなかった、とモデル化され、これは後の海洋適応集団特有の遺伝的多様性が4700年前頃までに発達した事実を反映しています。アエヤマは南パタゴニア西部に位置しますが、他のより古い中期完新世パタゴニア人は違うので、アエヤマ個体関連系統の移住がより古い系統を置換した、と示唆されます。

 南パタゴニア人は、4700年前の後にチリ中央部の700年前頃のコンチャリ個体と関連する集団からの遺伝子流動を受け、これは後期完新世の主要な北から南の遺伝子流動を反映しています。これは上記の問題(3)の回答です。このモデルは、一方の端ではカウェスカル集団、もう一方の端ではアオニケンク集団との相互の混合として、系統の混合を反映しています。これは上記の問題(4)の回答です。このモデルにより、陸上および海洋適応集団との文化的特徴の混在を有する400年前頃のハウシュ集団が、500年前頃の陸上適応セルクナム集団と、1500~100年前頃の海洋適応ヤマナ集団との間の混合としてモデル化できる、と確証されます。これは上記の問題(5)の回答です。以下、この混合図モデルを示した本論文の図3です。
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●同地域の現代と古代の個体群との関連性

 現代のヤマナ集団とカウェスカル集団が古代集団と比較され、各地域の現代の個体群は同地域の古代集団の構成員と集団化すると明らかになり、以前の知見と一致します。本論文はこの知見を、カウェスカルのすぐ北に住む、カウェスカル集団と遺伝的に最も類似しているチョノ(Chono)やチロート(Chilote)やウィジチェ(Huilliche)集団に拡大しました。また本論文は、現代パタゴニア集団の追加のデータセットを、混合図の古代集団とともに分析しました。

 本論文は、現代のヤマナとカウェスカルとウィジチェとそのすぐ北に位置するヒュイリチェ(Pehuenche)集団を、植民地期の混合を反映しているヨーロッパ人系統と、ヨーロッパ人との接触前の在来のアメリカ大陸先住民系統と、チリ中央部の700年前頃のコンチャリ個体関連系統の混合としてモデル化できました。その結果、コンチャリからの距離に沿って、ヒュイリチェとウィジチェとカウェスカルからヤマナ集団へのチリ中央部(コンチャリ)関連系統の減少勾配が観察されます。したがって、古代DNAは、パタゴニアにおけるコンチャリ個体関連系統の地理的勾配の南部のみを把握しています。将来の古代DNA標本抽出により、この勾配の発展の起源と年代について追加の詳細が提供できるでしょう。


●まとめ

 本論文の結果は、南パタゴニアにおける最初の海洋適応が、すでに海洋適応戦略を用いていた人々による北方から南パタゴニアへの大規模な移民に起因する、という仮説は間違いだと立証します。これは上記の問題(1)の回答です。そうではなく、在来の人々がこの技術を採用するか、独自に開発しました。しかし本論文の結果は、後の北西からの人々の流入を示唆します。この最初の植民は、中期完新世個体群の祖先をもたらした波に続いて起きたかもしれません。これは、海洋適応していたチリの4700年前頃のアヤエマ個体関連系統をもたらし、以前に南パタゴニアで確立されていたチリの6600年前頃のプンタサンタアナ個体関連系統と5800年前頃のラアルシロサ個体関連系統を置換しました。

 この新たな移民の到来は、西フエゴ諸島とビーグル海峡地域において、緑色黒曜石の使用の中断と大型両面尖頭器の導入により特徴づけられる、5500~3100年前頃の石器技術の変化と関連しているかもしれません。これは上記の問題(2)の回答です。さらに、チリ中央部からの第三の系統が4700~2000年前頃に拡大しました。これは、人口増加の標識としての遺跡密度の増加や、2000年前頃以降に出現した、投擲武器の先端としての有茎尖頭器の使用に特徴づけられる新たな狩猟技術(槍や矢)により置換されたボレアドラスの使用中止のような、後期完新世に起きた様々な過程と関連しているかもしれません。これは上記の問題(3)の回答です。歴史時代と現代において北部・中央部・南部パタゴニア集団間で共有される言語族は、この標識と関連しているかもしれません。

 後期完新世では、とくに2200~1200年前頃から、隣接集団間の遺伝子流動が検出され、その後は減少します。これは上記の問題(4)の回答です。もっともらしい想定は、ハウシュ集団が遺伝的に混合した人々から海洋および陸上適応技術のいくつかを採用した、というものです。遺伝的データは、ハウシュ集団が社会的にこの時期に仲間の交換を通じてつながっていた、と示します。ハウシュ集団はセルクナムやアオニケンク集団と同じチョン(Chon)語族の言語を話しますが、ヤマナ集団の言語は孤立しているか、カウェスカル集団と関連しています。しかし、それにも関わらず、言語の境界を越えての遺伝子流動がありました。ヨーロッパ人到来後の南パタゴニアにおける集団継続性は、現代のヤマナおよびカウェスカル集団と同地域の古代の個体群との遺伝的類似性により支持されます。これは上記の問題(6)の回答です。

 パタゴニア以外のアルゼンチン集団との遺伝的交換の証拠は見つかりませんでした。これは、アルゼンチン草原地帯の2400年前頃となるラグナトロ個体もしくは現代チェイン(Chane)人との遺伝的類似性の欠如に基づきます。しかし、数千年にわたるチリ中央部から、およびアルゼンチン草原地帯内の人々の大規模な移動の証拠は見つかっています。さらなる研究の重要な目標は、パタゴニアでも南部(とくに西海岸)だけではなく、中央部・北部における追加の古代DNA標本抽出の実行です。本論文では、中央および西パタゴニアでの現代人集団の分析により、北から南への遺伝子流動を反映するチリ中央部関連系統の勾配が検出されており、世界でも独特なこの地域の先住民文化を形成した人々の間の、相互作用へのより高い解像度と追加の洞察を提供します。


参考文献:
Nakatsuka N. et al.(2020): Ancient genomes in South Patagonia reveal population movements associated with technological shifts and geography. Nature Communications, 11, 3868.
https://doi.org/10.1038/s41467-020-17656-w

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