アシューリアンの拡散におけるトルコの重要性
取り上げるのがたいへん遅れてしまいましたが、アシューリアン(Acheulian)の拡散におけるトルコの重要性を指摘した研究(Taşkıran et al., 2018)が公表されました。トルコ共和国の領土は、アジア側がアナトリア、ヨーロッパ側がトラキアと呼ばれています。かつて小アジアとも呼ばれたアナトリア半島はアジアの南西端に位置し、北は黒海、西はマルマラ海とエーゲ海、南は地中海に囲まれています。アナトリア半島は、ヨーロッパ・アジア・近東・コーカサスの間に位置する戦略的地域のため、先史時代から多くの文化の発祥地となってきました。
考古学的発掘からは、現在のトルコの多くの地域でアシューリアン(アシュール文化)人工物が確認されています。これらの遺物のほとんどは開地遺跡で発見されています。層序学的に検出されたアシューリアンの両面加工石器は、カライン洞窟(Karain Cave)とカレペテデレシ(Kaletepe Deresi)3遺跡(KD3)でのみ発見されています。トルコは7地域で構成されており、アナトリア半島南東部はアシューリアンの分布の観点では、明らかに最も豊富な地域です。アシューリアンが現在のトルコに存在したことを最初に証明した両面加工石器も、この地域で発見されました。
アシューリアン両面加工石器は、アナトリア半島南東部、とくにユーフラテス川流域で多く発見されており、チグリス川流域でも21世紀以降に相次いで発見されています。アシューリアン両面加工石器は現在のトルコ共和国の他地域でも発見されていますが、多くの地域では発見数が少なく、孤立した事例となっています。その中で、アナトリア半島中央部は、南東部とともにアシューリアン両面加工石器が多く発見されている地域です。
アシューリアン両面加工石器は、地中海地域でも発見されています。地中海地域東部は、近東の「レヴァント回廊」に位置しており、旧石器時代人類の移住経路の可能性があるという点で注目されます。この地域のハタイ(Hatay)県でも多くのアシューリアン両面加工石器が発見されています。このレヴァント回廊の終点とも言うべきカフラマンマラシュ(Kahramanmaraş)県のKM43地域でもアシューリアン両面加工石器が発見されています。
KM43地域の西に位置するアンタルヤ(Antalya)県のカライン洞窟(Karain Cave)で発見されたアシューリアン両面加工石器は40万年以上前と推定されています。アシューリアン両面加工石器はハタイ県とアンタルヤ県の間の広範な地域では発見されていませんでしたが、地中海地域はアナトリア半島における両面加工石器分布の観点では重要となります。アナトリア半島東部でもアシューリアン両面加工石器が見つかっていますが、これはコーカサス地域への(広義の)ホモ・エレクトス(Homo erectus)の移住経路という点でも注目されます。一方、トルコの他地域で発見されたアシューリアン両面加工石器は少なく、黒海地域東西やボスポラス海峡地域やマルマラ海地域やエーゲ海地域やアナトリア半島中央部西方などです。エーゲ海地域では、120万年前頃のエレクトス遺骸が発見されています。
これら現在のトルコ共和国におけるアシューリアン両面加工石器の分布状況からは、アシューリアン現在のハタイ県を通ってレヴァント回廊経由でトルコに到達した、と考えられます。しかし、トルコにおけるアシューリアン石器は、開地遺跡での発見が多いこともあり、正確な年代情報が不足しています。その数少ない年代値の得られている遺跡では、ユーフラテス川流域の河岸段丘で、後期アシューリアンとなる30万年前頃の石器や、中期アシューリアンとなる70万年前頃の石器が発見されています。イスラエル北部では、チベリアス湖畔にある ウベイディヤ(Ubeidia)遺跡やジスルバノトヤコブ(Gesher Benot Ya'aqov)遺跡で、それぞれ140万~100万年前頃、90万~68万年前頃のアシューリアン石器が発見されており(関連記事)、レヴァント回廊経由でのトルコへのアシューリアン到来という仮説と整合的です。
現在のトルコ共和国におけるアシューリアン両面加工石器の分布からは、レヴァントからハタイ県を経由してアナトリア半島に拡散してきたエレクトス集団が地中海沿岸を西進し、アンタルヤ県に到達した可能性が想定されます。ただ、ハタイ県とアンタルヤ県との間の地中海地域ではアシューリアン両面加工石器が発見されていません。アンタルヤ県の西北に位置するデニズリ(Denizli)県ではエレクトス遺骸が発見されており、アンタルヤ県からのエレクトス集団拡散の可能性が考えられます。一方、その逆方向の可能性も想定され、その場合、内陸部のドゥルスンル(Dursunlu)遺跡のアシューリアン石器群がアナトリア半島において最古級だとすると、エレクトス集団はハタイ県からトロス山脈の北側を西進した可能性もあります。以下、エレクトス集団の想定される拡散経路を示した本論文の図7です。
図7で示されているように、ハタイ県からトロス山脈を越えて、黒曜石の豊富なアナトリア半島中央部に到達し、ボスポラス海峡の東側に向かう北方経路も想定されます。また、アンタルヤ県を経由して北進し、ボスポラス海峡の東側に到達する経路も考えられます。しかし、現在のトルコ共和国でもトラキア地方、さらにバルカン半島全域ではアシューリアン両面加工石器の痕跡は確認されていません。したがって、ボスポラス海峡東側からトラキア地方へのアシューリアン両面加工石器を有するエレクトス集団の拡散はまだ想定できません。
アシューリアン石器はコーカサス地域でよく発見されています。トルコ共和国におけるアシューリアン両面加工石器の発見場所に基づくと、アシューリアン両面加工石器の拡散経路は、トルコからコーカサス地域だった可能性が最も高そうです。この経路は、アナトリア半島南東部、とくにユーフラテス川流域から始まり、北東へと進んでコーカサス地域へと到達するものです。アフリカからユーラシアへと進出したエレクトスも、レヴァントからアナトリア半島へと拡散し、コーカサス地域にまで到達した可能性が高そうです。
現在のトルコ共和国は、ユーラシアのアシューリアン拡散、つまりホモ・エレクトス集団の拡散において重要な役割を果たしたと考えられます。トルコにおけるアシューリアン両面加工石器の分布状況に基づくと、アシューリアンは近東のレヴァント回廊経由でトルコへと拡散してきた、と推測されます。コーカサス地域へのアシューリアンの拡散経路は、アナトリア半島東部を北西へと進むものだった、と考えられます。しかし、トルコからヨーロッパへのアシューリアンを伴うホモ・エレクトス集団の拡散経路に関しては、まだ不明です。このホモ・エレクトス集団のアフリカからユーラシアへの拡散経路は、現生人類(Homo sapiens)のそれともかなり類似しているかもしれず、両者の比較研究の進展も期待されます。
参考文献:
Taşkıran H.(2018): The distribution of Acheulean culture and its possible routes in Turkey. Comptes Rendus Palevol, 17, 1-2, 99-106.
https://doi.org/10.1016/j.crpv.2016.12.005
考古学的発掘からは、現在のトルコの多くの地域でアシューリアン(アシュール文化)人工物が確認されています。これらの遺物のほとんどは開地遺跡で発見されています。層序学的に検出されたアシューリアンの両面加工石器は、カライン洞窟(Karain Cave)とカレペテデレシ(Kaletepe Deresi)3遺跡(KD3)でのみ発見されています。トルコは7地域で構成されており、アナトリア半島南東部はアシューリアンの分布の観点では、明らかに最も豊富な地域です。アシューリアンが現在のトルコに存在したことを最初に証明した両面加工石器も、この地域で発見されました。
アシューリアン両面加工石器は、アナトリア半島南東部、とくにユーフラテス川流域で多く発見されており、チグリス川流域でも21世紀以降に相次いで発見されています。アシューリアン両面加工石器は現在のトルコ共和国の他地域でも発見されていますが、多くの地域では発見数が少なく、孤立した事例となっています。その中で、アナトリア半島中央部は、南東部とともにアシューリアン両面加工石器が多く発見されている地域です。
アシューリアン両面加工石器は、地中海地域でも発見されています。地中海地域東部は、近東の「レヴァント回廊」に位置しており、旧石器時代人類の移住経路の可能性があるという点で注目されます。この地域のハタイ(Hatay)県でも多くのアシューリアン両面加工石器が発見されています。このレヴァント回廊の終点とも言うべきカフラマンマラシュ(Kahramanmaraş)県のKM43地域でもアシューリアン両面加工石器が発見されています。
KM43地域の西に位置するアンタルヤ(Antalya)県のカライン洞窟(Karain Cave)で発見されたアシューリアン両面加工石器は40万年以上前と推定されています。アシューリアン両面加工石器はハタイ県とアンタルヤ県の間の広範な地域では発見されていませんでしたが、地中海地域はアナトリア半島における両面加工石器分布の観点では重要となります。アナトリア半島東部でもアシューリアン両面加工石器が見つかっていますが、これはコーカサス地域への(広義の)ホモ・エレクトス(Homo erectus)の移住経路という点でも注目されます。一方、トルコの他地域で発見されたアシューリアン両面加工石器は少なく、黒海地域東西やボスポラス海峡地域やマルマラ海地域やエーゲ海地域やアナトリア半島中央部西方などです。エーゲ海地域では、120万年前頃のエレクトス遺骸が発見されています。
これら現在のトルコ共和国におけるアシューリアン両面加工石器の分布状況からは、アシューリアン現在のハタイ県を通ってレヴァント回廊経由でトルコに到達した、と考えられます。しかし、トルコにおけるアシューリアン石器は、開地遺跡での発見が多いこともあり、正確な年代情報が不足しています。その数少ない年代値の得られている遺跡では、ユーフラテス川流域の河岸段丘で、後期アシューリアンとなる30万年前頃の石器や、中期アシューリアンとなる70万年前頃の石器が発見されています。イスラエル北部では、チベリアス湖畔にある ウベイディヤ(Ubeidia)遺跡やジスルバノトヤコブ(Gesher Benot Ya'aqov)遺跡で、それぞれ140万~100万年前頃、90万~68万年前頃のアシューリアン石器が発見されており(関連記事)、レヴァント回廊経由でのトルコへのアシューリアン到来という仮説と整合的です。
現在のトルコ共和国におけるアシューリアン両面加工石器の分布からは、レヴァントからハタイ県を経由してアナトリア半島に拡散してきたエレクトス集団が地中海沿岸を西進し、アンタルヤ県に到達した可能性が想定されます。ただ、ハタイ県とアンタルヤ県との間の地中海地域ではアシューリアン両面加工石器が発見されていません。アンタルヤ県の西北に位置するデニズリ(Denizli)県ではエレクトス遺骸が発見されており、アンタルヤ県からのエレクトス集団拡散の可能性が考えられます。一方、その逆方向の可能性も想定され、その場合、内陸部のドゥルスンル(Dursunlu)遺跡のアシューリアン石器群がアナトリア半島において最古級だとすると、エレクトス集団はハタイ県からトロス山脈の北側を西進した可能性もあります。以下、エレクトス集団の想定される拡散経路を示した本論文の図7です。
図7で示されているように、ハタイ県からトロス山脈を越えて、黒曜石の豊富なアナトリア半島中央部に到達し、ボスポラス海峡の東側に向かう北方経路も想定されます。また、アンタルヤ県を経由して北進し、ボスポラス海峡の東側に到達する経路も考えられます。しかし、現在のトルコ共和国でもトラキア地方、さらにバルカン半島全域ではアシューリアン両面加工石器の痕跡は確認されていません。したがって、ボスポラス海峡東側からトラキア地方へのアシューリアン両面加工石器を有するエレクトス集団の拡散はまだ想定できません。
アシューリアン石器はコーカサス地域でよく発見されています。トルコ共和国におけるアシューリアン両面加工石器の発見場所に基づくと、アシューリアン両面加工石器の拡散経路は、トルコからコーカサス地域だった可能性が最も高そうです。この経路は、アナトリア半島南東部、とくにユーフラテス川流域から始まり、北東へと進んでコーカサス地域へと到達するものです。アフリカからユーラシアへと進出したエレクトスも、レヴァントからアナトリア半島へと拡散し、コーカサス地域にまで到達した可能性が高そうです。
現在のトルコ共和国は、ユーラシアのアシューリアン拡散、つまりホモ・エレクトス集団の拡散において重要な役割を果たしたと考えられます。トルコにおけるアシューリアン両面加工石器の分布状況に基づくと、アシューリアンは近東のレヴァント回廊経由でトルコへと拡散してきた、と推測されます。コーカサス地域へのアシューリアンの拡散経路は、アナトリア半島東部を北西へと進むものだった、と考えられます。しかし、トルコからヨーロッパへのアシューリアンを伴うホモ・エレクトス集団の拡散経路に関しては、まだ不明です。このホモ・エレクトス集団のアフリカからユーラシアへの拡散経路は、現生人類(Homo sapiens)のそれともかなり類似しているかもしれず、両者の比較研究の進展も期待されます。
参考文献:
Taşkıran H.(2018): The distribution of Acheulean culture and its possible routes in Turkey. Comptes Rendus Palevol, 17, 1-2, 99-106.
https://doi.org/10.1016/j.crpv.2016.12.005
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