アメリカ大陸最古の人類の痕跡(追記有)

 アメリカ大陸最古の人類の痕跡に関する二つの研究が報道(Gruhn., 2020)されました。これらの研究はオンライン版での先行公開となります。一方の研究(Ardelean et al., 2020)は、アメリカ大陸における最古級の人類の痕跡を報告しています。アメリカ大陸における人類最初の到達はひじょうに注目されており、激しい議論が続いていますが、メキシコの人類最初期の痕跡はほとんど知られておらず、研究が遅れていました。そこで本論文は、メキシコのチキウイテ洞窟(Chiquihuite Cave)の調査結果を報告しています。

 チキウイテ洞窟はメキシコのサカテカス (Zacatecas)にあり、海抜2740m、渓谷からは約1000mの地点に位置します。放射性炭素年代測定法に基づく骨・炭・堆積物46点と、光刺激ルミネッセンス法(OSL)に基づく標本6点から年代が得られました。チキウイテ洞窟の層位は1223層から1201層へと新しくなり、古い方からC→B→Aと区分されています。C層は1223層~1212層までで、1212層は最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)に堆積した、と推測されています。1210層はC層とB層の境界となり、LGMの末期となります。B 層はその上で1210層から1203層まで、A層は1201層で、ほぼ歴史時代です。C層は放射性炭素年代測定法による較正年代(以下、基本的には紀元後1950年を基準と下較正年代です)で33150~31405年前に始まり、B層は16605~15615年前と13705~12200年前の間となり、12900~11700年前頃のヤンガードライアス期に近接しています。これらチキウイテ洞窟の年代値は、層序とよく一致します。

 石器1930点が全ての層で発見されましたが、B層が87.2%(1684個)と圧倒的に多く、C層は12.3%(239個)です。これは、発掘堆積物量の少なさに起因すると考えられます。C最下層でも石器が発見されています。剥片石器は未知の技術伝統を反映しており、年代による変化はほとんど見られません。石器はほぼ(90%以上)緑色か黒味がかかっており、意図的に選択されたようです。主要な石器製作技術は直接的打撃で、石核・剥片・石刃・小型石刃(bladelet)・掻器・尖頭器などに分類されます。総合的に、チキウイテ洞窟の石器群は、アメリカ大陸の更新世もしくは前期完新世の既知の文化のどれとも明確な類似性を示しません。

 環境DNA研究の応用により、更新世の堆積物のDNA解析が試みられました。LGM前からLGM末期までとなる1223層~1210層では、セイヨウネズやモミやマツやトウヒなど森林性植物と、ドクムギ属やイチゴツナギ亜科やオオムギ属やバラ類といった草本植物との混在を示すDNA証拠が得られました。LGM前からLGM期までの1223層~1212層では、後の期間よりも森林性の環境を示す証拠が得られ、樹木と広葉草本が豊富でした。植物相の明確な変化はLGM後からヤンガードライアス期(1207A層~1204層)前に起きました。この変化でマツやセイヨウネズはほぼ消滅し、キジカクシ科やマツの亜集団のストローブマツやモロコシ属などが優占するようになります。

 プラントオパールと花粉も分析され、環境DNAと類似した分類群だけではなく、異なる分類群も特定されました。注目されるのは、LGMも含めて全標本で検出されたヤシ科のプラントオパールで、現在チキウイテ洞窟一帯では海抜2000m以下に1種(Brahea berlandieri)しか自生しておらず、LGMは今よりもずっと寒冷だったので、人類が食資源などとして持ち込んだ、と考えられます。プラントオパールの中には加熱されたものもあり、これも人類が持ち込んだ傍証となりそうです。

 動物相では、コウモリが全ての層で見つかっており、クビワコウモリ属とホオヒゲコウモリ属とヒナコウモリ属が1204層までは優占しており、その後はヘラコウモリ科や新たなコウモリ亜目種に置換されました。クマのDNAはLGMに確認されますが、最も豊富に存在するのは末期で、考古学的記録と一致します。齧歯類の存在はずっと確認されますが、いくつかの層でより高頻度です。ヤギやヒツジや鳥類のDNAも確認されました。更新世の堆積物における人類(ホモ属)のDNAの検出も1204・1210・1212・1218の各層で試みられましたが、その証拠は見つかりませんでした。当然これは、チキウイテ洞窟における人類の存在を否定する証拠にはなりません。

 チキウイテ洞窟の堆積物におけるDNA浸透の検証には、ウマ属が用いられました。現代のウマ属(ほぼロバ)のDNAは1201層に限定され、古代のウマ属のDNAは1204C層以下で確認されました。また、DNAの損傷は同じ層の他の動物と類似していました。これらの知見から、DNAの浸透は大きな影響を及ぼさない、と考えられます。骨の分析では、全体的には小型動物が多いものの、LGMには大型動物がより多く見られます。

 本論文は、チキウイテ洞窟における少なくともLGM末期からヤンガードライアス期の始まりまでの人類の存在を示します。LGMとLGMよりも前における人類の存在は、1212層より下のC層の人工物で示されます。この段階の文化的証拠は後代よりも少なく、訪問・居住が短くて低頻度だったことを反映していると考えられますが、以前の想定よりずっと早いアメリカ大陸への人類の到来を示唆します。チキウイテ洞窟における各層の長さから、人類はチキウイテ洞窟を一貫した基準で利用し、おそらくは大きな移住周期の一部として季節単位で再利用していた、と考えられます。

 更新世のアメリカ大陸において、人類がチキウイテ洞窟のような高地を利用したことは異例ですが、13000年前頃以降となると、アンデス高地において海抜4480m地点まで人類が拡散していた証拠も得られています(関連記事)。チキウイテ洞窟の石器群はアメリカ大陸において類似のものが見つかっておらず、その定量的特徴は発達した技術を示唆し、おそらくはLGMよりも前にどこかから持ち込まれました。チキウイテ洞窟住民の起源、他のクローヴィス(Clovis)文化集団よりも古い集団との生物文化的関係、その祖先がアメリカ大陸へと到来した経路をよりよく解明するには、さらなる考古学および環境DNA研究が必要です。


 もう一方の研究(Becerra-Valdivia, and Higham., 2020)は、北アメリカ大陸とベーリンジア(ベーリング陸橋)の更新遺跡群の年代を報告しています。最近まで、人類のアメリカ大陸への最初の拡散に関する有力説は、13000年前頃にアジア(シベリア)北東部からベーリンジアを経由して初めて人類はアメリカ大陸に入り、ローレンタイド氷床とコルディエラ氷床との間の無氷回廊を通って南方へ移動した、というものでした。このアメリカ大陸最初の人類集団は、北緯48度以南に移動すると、北アメリカ大陸全域に広がった較正年代(紀元後1950年基準)で13250~12800年頃のクローヴィス文化を開発しました。この「クローヴィス最古説」は、アメリカ大陸への人類拡散の時期・理由・経路に関わる問題のほとんどに上手く答えられたため、20世紀の大半で広く受け入れられました。しかし、クローヴィス最古説は、アメリカ大陸におけるそれ以前の年代の遺跡の報告例が蓄積されてきたことにより、今では有力説の地位を失った、と言えるでしょう(関連記事)。その結果、アメリカ大陸における最初の人類集団は太平洋沿岸を南下した、という見解が有力になりつつありますが、まだ確定したとまでは言えない状況です。

 本論文は、アメリカ大陸における初期人類の拡散パターンをより洗練された方法で理解するため、ベイジアン統計手法を用いて、北アメリカ大陸とベーリンジアの42ヶ所の遺跡から得られた考古学的および年代測定データを分析しました。これにより、放射性炭素年代とルミネッセンス年代を、層序学的および他の相対的年代情報と結合できます。本論文の分析対象の遺跡は、考古学的には、クローヴィスか西方有茎かベーリンジアン(Beringian)の3技術伝統、もしくは先クローヴィスと「クローヴィスと同年代」に区分されます。またグリーンランド氷床年代が用いられ、とくにグリーンランド亜間氷期1(GI-1)とグリーンランド間氷期1 (GS-1)が重要な期間となり、紀元後2000年を基準として、14700~11700年前頃となります。

 先クローヴィス遺跡群の始まりは、上述のメキシコ北部に位置するチキウイテ洞窟C層の文化遺物が最古となり、26500~19000年前頃となるLGMよりも古い33150~31405年前頃となります。いくつかの遺跡の年代は、もっと後のLGMの期間内もしくはLGM後すぐのようです。たとえば、アメリカ合衆国の、テキサス州のゴールト(Gault)遺跡(26435~17385年前頃)や、ペンシルベニア州のメドウクラフト岩陰(Meadowcroft Rockshelter)遺跡(24335~18620年前頃)や、サボテン丘(Cactus Hill)遺跡(20585~18970年前頃)です。ベーリンジア東部では、カナダのユーコン準州北部のブルーフィッシュ洞窟群(Bluefish Caves)遺跡において、人為的に加工された骨からLGM期間の年代(24035~23310年前頃)が得られています。

 チキウイテ洞窟B層の始まりは16560~15285年前頃で、アイダホ州西部のクーパーズフェリー(Cooper's Ferry)遺跡(16315~14660年前頃)やテキサス州のデブラ・L・フリードキン(Debra L. Friedkin)遺跡(16315~14660年前頃)とともに、突然の短期間の気候変動の温暖な時期である、GI-1に近いLGM後の始まりにこれらの遺跡で人類の居住が始まったことを示唆します。これらの遺跡に続いて、オレゴン州のペイズリー洞窟群(Paisley Caves)遺跡(14755~13780年前頃)などがGI-1期間もしくはその近い年だとなります。これら14ヶ所の先クローヴィス遺跡の年代測定データ(171点)は、14250年前頃を中心に分布しています。もっと後の石器伝統であるベーリンジアンと西方有茎とクローヴィスの始まりはそれぞれ、14955~13895年前頃、14860~13065年前頃、14210~13495年前頃と示唆されます。

 なお、本論文では南アメリカ大陸は対象外ですが、チリのモンテヴェルデ2(Monte Verde II)遺跡の較正年代は、18500~14500年前頃と推定されています(関連記事)。ブラジルの6遺跡は2万年以上前となり、そのうち5か所は北東部のピアウイ(Piauí)州に存在し、もう1ヶ所は中西部のマットグロッソ(Mato Grosso)州にあるサンタエリナ(Santa Elina)岩陰遺跡です。しかし、これらの遺跡の年代は古すぎるため、ほとんどの考古学者は疑問を呈したり無視したりしています。これら疑わしい遺跡群を除いても、南アメリカ大陸における13000年前頃以前となりそうな初期人類の痕跡は、太平洋沿岸、アンデス山脈北部および中央部、アルゼンチンのパタゴニア草原などで報告されており、南アメリカ大陸の主要な環境地帯すべてに人類は13000年以上前から居住し、多様な生態系適応と技術を有していた、と示唆されます。以下、アメリカ大陸における先クローヴィス期候補の遺跡の位置と年代を示した上記報道の図1です。
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 本論文の分析からは、現時点ではチキウイテ洞窟C層に限定されるLGM以前の証拠を除くと、ブルーフィッシュ洞窟群など北アメリカ大陸のいくつかの遺跡では、人類の痕跡がLGMもしくはその直後に始まり、北緯48度の南側東部に集中する、と示されます。LGMには地球の気候は一般的に寒冷で乾燥していましたが、北アメリカ大陸氷床の南部は比較的開けており温暖で、生態系の変動が高かった証拠もあります。北アメリカ大陸の初期の中緯度遺跡の分布から、北アメリカ大陸最初の人類はLGMにヨーロッパ南西部から大西洋氷床経由で到来した、というソリュートレアン(Solutrean)仮説も提示されていました。その根拠は、北アメリカ大陸中緯度の早期遺跡群の石器技術がソリュートレアンと類似していたこと、およびアメリカ大陸先住民とユーラシア西部集団との間の遺伝的混合の証拠でした。しかし、ソリュートレアン仮説は、技術と遺伝(関連記事)の両方から否定されました。

 アメリカ大陸最初の人類について、大西洋横断説はさておき、アジア起源を想定する場合、早期遺跡群の古さと分布から、北緯48度の最初の横断に関しては、以下のような可能性が示唆されます。(1)57000~29000年前頃となる海洋酸素同位体ステージ(MIS)3の後半に起き、その時には推定される氷床と海水準から、ベーリンジアを通過しての陸路は可能性が低いか遮られ、ローレンタイド氷床とコルディエラ氷床との間の無氷回廊はおそらく存在した、と推定されます。(2)LGM末期に起き、その時にはベーリンジアが存在していたものの、無氷回廊は利用できませんでした。

 どちらの可能性も、北アメリカ大陸への最初の到着にはある程度の沿岸適応があった、と示唆されます。(2)では、おそらくコルディエラ氷床が最大だった時期(20000~17000年前頃)の前に、太平洋沿岸での移動が必要となるでしょう。これは現在の遺伝的知見とも適合的で、アメリカ大陸先住民の祖先集団は、LGMにベーリンジア東部で遺伝的孤立を経ており、古代ベーリンジア人とは22000~18100年前頃に分岐した、と推測されています(関連記事)。これは、ゴールトやメドウクラフト岩陰やサボテン丘といった先クローヴィス期遺跡の住民がアメリカ大陸先住民系統だった、と想定します。チキウイテ洞窟C層の証拠からは、より早期の人類集団の存在が示唆されますが、上述のもう一方の研究で示されるように、その遺伝的系統はまだ不明です。北アメリカ大陸中緯度地帯では先クローヴィス期の証拠が少なく、その分布と特徴から、この時期の人類集団は独特の適応行動を有し、広く拡散していた、と示唆されます。たとえば、チキウイテ洞窟とゴールトとメドウクラフト岩陰の石器インダストリーは、完全にではないとしても、大半は無関係です。

 ベイジアン年代モデリングでは、ベーリンジアンと西方有茎とクローヴィスという3文化の始まりは統計的に区別できず、おおむねGI-1と一致してほぼ同時に始まった、と示されます。これは、この時点での人口密度増加の可能性を示唆します。この16000~15000年前頃の人口密度増加は、ミトコンドリア(関連記事)やY染色体(関連記事)や常染色体(関連記事)で支持されます。さらに、この推定年代は、アメリカ大陸先住民系統の南北の分岐とも一致し(関連記事)、それはおそらく17500~14600年前頃にベーリンジア東部外と北アメリカ大陸氷床の南側で起きた(関連記事)、と推測されます。

 技術的には、先クローヴィス期文化とクローヴィス文化との間の関係は不確かですが、西方有茎文化は以前に、有茎尖頭器技術の類似性から、いくつかの先クローヴィス期や環太平洋地域遺跡との関連が指摘されています(関連記事)。しかし最近の研究では、有茎尖頭器からクローヴィス文化の有溝尖頭石器技術への発展が主張されています。遺伝的には、先クローヴィス期集団とクローヴィス文化および西方有茎文化集団との間のつながりに関しては、今後の研究が必要です。これは、クローヴィス文化と同時期の他文化もしくは先クローヴィス期の遺跡からの遺伝的情報がまだ得られていないためです。例外はペイズリー洞窟群で発見された人類の糞石から得られたミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)で、アメリカ大陸先住民系統に収まります(関連記事)。また、クローヴィス文化のアンジック(Anzick)遺跡で発見された男児からゲノムデータが得られており、アメリカ大陸先住民系統に収まります(関連記事)。

 これらの集団とアメリカ大陸最初の人類集団との間には何らかの関係があったか、さもなければ更新世における最低2回の移動が予想されます。本論文の知見からは、アメリカ大陸への後の拡散事象があった場合、GI-1に先行した可能性が最も高く、無氷回廊の最初の生物学的利用能の推定年代は13000年前頃で、おそらくは17000年前頃までの北太平洋沿岸における生産的な生態系確立と同様に、18000~17000年前頃となるコルディエラ氷床の西方の後退と、17000年前頃のアラスカ半島氷河後複合の後退後に起きました。

 北アメリカ大陸における人類の到達は、以前には動物37属の絶滅と関連づけられており、大虐殺説として知られます。近年の研究では、これを支持するものも(関連記事)、気候や生態系などの要因を重視するもの(関連記事)もあります。本論文の知見からは、人類の存在が、ラクダやウマやマストドンやマンモスなど北アメリカ大陸の絶滅動物の最後の確認年代の大半に先行する、と示されます。これを確率密度分布にまとめると、ピークはGI-1とGS-1の間の境界で発生し、クローヴィス文化と西方有茎文化の始まりの境界と重なります。これは、人類の集団規模および地理的拡大が、大型陸生動物絶滅の主因だった可能性を提示します。この時期の人類到来と動物絶滅と気候変化の間の関係をよりよく理解するには、各絶滅動物の集団史の改善と、ベイジアンモデルを改良するためのより堅牢な年代測定データが必要です。

 ベーリンジアと北アメリカ大陸への最初の人類拡散の時期に関する本論文の知見からは、GI-1に人類集団がより広範に拡散して人口が増加する前に、LGMよりも前とLGMとその直後に人々が異なる環境にいた、と示唆されます。LGMよりも前の証拠は、現時点ではチキウイテ洞窟遺跡に限定されます。集団の連続性を想定する場合、このパターンは人類の探索および植民の段階、およびGI-1までに北アメリカ大陸存在した遺伝的構造の程度と一致します。しかし、先クローヴィス期遺跡群とその後の北アメリカ大陸およびベーリンジアの文化の人々の間の生物文化的関係はほとんど分かっていません。環境DNA研究の古代DNA研究への応用により、堆積物から古代人のDNA解析が可能になっているので(関連記事)、上記研究では失敗したものの、これが問題解明に役立つかもしれません。本論文の対象はベーリンジアと北アメリカ大陸に焦点を当てていますが、後期更新世のデータが比較的限定されている中央および南アメリカ大陸の継続的調査により、年代推定と大陸規模の時空間的モデルの開発が可能となるでしょう。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


考古学:ヒトが早くから北米大陸に到達していたことを示す証拠

 ヒトが3万年前から北米に住んでいたことを明らかにした2編の論文が、今週、Nature に掲載される。これら2つの研究は、アメリカ大陸への居住というかなり議論のある論点を解明するための手掛かりをもたらしており、アメリカ大陸でのヒトの歴史が、これまで考えられていたよりもずっと以前までさかのぼることを暗示している。

 ヒトがアメリカ大陸に到達したことは、地球上でヒトの居住域が大きく広がったことを意味する。従来の学説では、ヒトが初めてアメリカ大陸に到達したのは約1万3000年前で、特徴的な石器で知られるクローヴィス文化に関連していたとされる。しかし、アメリカ大陸への移住の時期とパターンは、議論の的になっている。

 Ciprian Ardeleanたちの論文では、メキシコ中部のサカテカスの洞窟での石器、植物遺物、環境DNAなどの発掘結果が記述されている。これらの発掘知見は、年代を示す証拠と合わせて、この高地の洞窟に約3万~1万3000年前にヒトが居住していたことを示唆している。Lorena Becerra-ValdiviaとThomas Highamの論文では、北米とベーリンジア(過去にロシアと米国をつないでいた地域)の遺跡42か所の放射性炭素年代測定とルミネセンス年代測定の結果を用いて、ヒトの分散パターンが決定された。彼らが作成した統計モデルから、クローヴィス文化以前にヒトが存在していたことを示すロバストなシグナルが明らかになり、その年代が、遅くとも最終氷期極大期(約2万6000~1万9000年前)とその直後であることが分かった。

 以上の研究結果は、北米には、これまで考えられていたよりもずっと早い時期(最終氷期極大期よりも前の可能性もある)から、少なくともわずかな移住者がいたことを暗示している。この知見は、ヒトがアジアからベーリンジア経由で初めて北米に入り、南に向かって移動して、クローヴィス文化を発展させたというシナリオとは整合性がない。新たに年代決定されたのはクローヴィス文化以前であり、これはヒトが初めてアメリカ大陸に入ったのが太平洋岸沿いの経路だったことを示唆している。



参考文献:
Ardelean CF. et al.(2020): Evidence of human occupation in Mexico around the Last Glacial Maximum. Nature, 584, 7819, 87–92.
https://doi.org/10.1038/s41586-020-2509-0

Becerra-Valdivia L, and Higham T.(2020): The timing and effect of the earliest human arrivals in North America. Nature, 584, 7819, 93–97.
https://doi.org/10.1038/s41586-020-2491-6

Gruhn R.(2020): Evidence grows that peopling of the Americas began more than 20,000 years ago. Nature, 584, 7819, 47–48.
https://doi.org/10.1038/d41586-020-02137-3


追記(2020年7月30日)
 ナショナルジオグラフィックでも報道されました。



追記(2020年8月6日)
 本論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します(引用1および引用2)。



考古学:最終氷期極大期の頃にメキシコに人類が居住していたことを示す証拠

考古学:3万年前までさかのぼるメキシコでの人類の居住年代

 クローヴィス伝統以前、つまり約1万5000~1万3000年前以前に、人類がローレンタイド氷床より南の南米アメリカ大陸に居住していたことを示す証拠が増えているが、これについては激しい議論が交わされることも多い。今回C Ardeleanたちは、メキシコ・サカテカス州の高地の洞窟で発見された、約3万〜1万年前にこの地域に人類が居住していたことを示す証拠を提示している。これらの証拠には、石器、環境DNA、タンパク質、植物遺物、放射性炭素年代およびルミネッセンス年代が含まれる。メキシコにおける更新世の記録はほとんど知られていないことから、今回の研究によって、クローヴィス以前の南北アメリカ大陸に人類が居住していたことを示す証拠がさらに明らかになる可能性がある。


考古学:北米大陸への最初の人類到達の時期と影響

考古学:人類は2万6500年前には北米大陸に定着していた

 人類が南北アメリカ大陸に定着した年代については、大いに議論が続いている。今回L Becerra-ValdiviaとT Highamは、新たな統計解析によって、北米大陸での人類の広範な居住が1万4700~1万2700年前に始まったとする以前の見方を裏付けている。しかし今回の解析ではさらに、北米およびベーリンジアの42の考古学的遺跡の年代の解析から、小規模ではあるものの、2万6500~1万9000年前にはすでに人類が北米大陸に定着していたことも明らかになった。

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