ネアンデルタール人の絶滅における気候変化の役割
ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の絶滅における気候変化の役割を検証した研究(Columbu et al., 2020)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。ヨーロッパにおいて中部旧石器時代~上部旧石器時代の移行期(MUPT)に、現生人類(Homo sapiens)によるネアンデルタール人の置換が起きました。ネアンデルタール人の絶滅に関しては多くの仮説が提示されており(関連記事)、まだ激しい議論が続いています。その中で、気候変動説は有力と考えられてきました。寒冷化・乾燥化によりネアンデルタール人の生息環境が悪化し、分断化されて人口(集団規模)が減少し、絶滅していった、というわけです。
この気候変動の要因として、ハインリッヒイベント(HE)が注目されてきました。とくに、HE6~4(63000~40500年前頃)は、ネアンデルタール人集団に不可逆的な影響を及ぼし、HE4の結果ネアンデルタール人は最終的に絶滅した、と推測されています。しかし、HEが地中海で同じ影響を及ぼしたとする証拠はなく、HEの気候への影響は地域全体にわたって一様ではなかったかもしれません。さらに、ネアンデルタール人の絶滅はHE4の前だった可能性もあります。また、ヨーロッパにおけるネアンデルタール人と現生人類との2600~5400年の共存は地理的に不均一だったため(関連記事)、気候仮説はネアンデルタール人と現生人類が実際に共存した地域の古気候記録に基づくべきですが、そうした記録は不足しています。
そこで注目されるのは、ネアンデルタール人と現生人類がじっさいに共存したイタリア半島です。イタリア半島では北部から南部にかけて両者の遺骸が発見されていますが、本論文が対象としたのは南東部のプッリャ(Apulia)州です。この地域では、ネアンデルタール人は少なくとも海洋酸素同位体ステージ(MIS)5eから42000年前頃まで存在しており、最古の現生人類が45000年前頃には存在していた、と推測されます。したがってプッリャ州は、ネアンデルタール人の絶滅と現生人類への置換に気候が重要な役割を果たしたのか、検証するのに好適な地域です。
本論文は過去50万年間のイタリア半島の石筍の年代を分析し、とくにプッリャ州のムルジェ(Murge)カルスト台地のポッツォ・クク洞窟(Pozzo Cucù Cave)の石筍に焦点を当てています。石筍は雨水の雫により形成され、炭素と酸素の同位体を含む方解石で構成されているので、放射性炭素年代測定法と組み合わせて、当時の気候を復元するのに適しています。ポッツォ・クク洞窟の石筍は、106000~26600年前頃まで途切れることなく成長し、MISでは5~3に相当します。また、高解像度の炭素18と酸素13の分析により、詳細な気候パターンが明らかになりました。これにより、プッリャ州ではHEのように北方地域に大きな気候変動をもたらした証拠があまり見られないことも明らかになりました。
氷期の地中海は一般的に乾燥しており、植生はまばらだったので、連続的な二次生成物の成長は稀でした。たとえばイタリア半島では、氷期に石筍が連続して堆積した証拠がありません。イベリア半島では洞窟の形成も断続的で、トルコと地中海南東部側の洞窟でのみ連続的な堆積が知られています。たとえばイスラエルのマノット洞窟(Manot Cave)では、最終氷期にイスラエル北部で水不足が起きなかったことを示唆する証拠が得られています。継続的な洞窟堆積が、降雨と高水準の土壌生物活性によりもたらされることを考えると、プッリャ州の氷期の気候は地中海西部および中央部よりもおそらく穏やかでした。
とくに重要なのは、ポッツォ・クク洞窟の炭素18と酸素13の分析から、MUPTも含む55000~26600年前頃に、プッリャ州の降水量と土壌の生産性が安定していた、と推測されることです。全体的もしくは部分的な土壌侵食を起こしたかもしれない深刻な旱魃がなかったため、気候悪化の一般的傾向にも関わらず、土壌形成の継続が可能になってのかもしれません。もっとも、これはまだ仮説段階なので、今後の研究での検証が必要です。
ネアンデルタール人はMIS3(59000~29000年前頃)のずっと前にプッリャ州に居住していたので、この地域はネアンデルタール人の退避所とは考えられません。イタリア半島南東部のプッリャ州とは対照的に、イタリア半島北部では、洞窟堆積物の分析から、利用可能な淡水と植生が不足していた、と推測されます。このプッリャ州の安定的な環境条件は、現生人類の到来および現生人類とネアンデルタール人との共存を促進したかもしれません。
プッリャ州におけるネアンデルタール人の消滅は42000年前頃で、比較的安定した環境条件が始まったから13000年以上経過しています。48000年前頃のHE5は、プッリャ州では明らかに強い影響を及ぼしませんでした。これは、プッリャ州の近くのモンティッキオ湖(Monticchio Lake)の樹木花粉記録でも確認されます。対照的に、ギリシアの花粉やティレニア海の浮遊性有孔虫やイベリア半島とトルコの二次生成物の記録からは、HE5の気候悪化が推定され、プッリャ州が近隣他地域と比較してMIS3において好適環境だったことを、さらに示唆します。
最近では、古気候記録からモロッコとより北方の地域との不一致の可能性が指摘されており、北方の寒冷で乾燥した時期にも、モロッコでは比較的湿潤だったかもしれない、と報告されています。地中海全域での寒冷化・乾燥化における、北方地域の役割の再評価が必要かもしれません。イタリア半島南部の後期ネアンデルタール人の存在、たとえば42000年前頃以後を想定しても、プッリャ州における40500年前頃のHE4の影響が無視できるという事実から、MUPTにおけるネアンデルタール人から現生人類への置換の主因としての気候は除外されます
ポッツォ・クク洞窟の記録は、ネアンデルタール人から現生人類への置換が起きたMUPTにおけるプッリャ州の環境安定性への強い証拠となるので、高緯度地帯の急速な気候変化は、プッリャ州におけるネアンデルタール人消滅の主因ではなかった、と考えられます。MUPTにおけるプッリャ州の気候環境条件は、ヨーロッパ中緯度地帯とは異なります。プッリャ州および同様の環境では、ネアンデルタール人から現生人類への置換が両者にとって好適な気候・環境条件で起きた、という観点からの研究が必要です。これは、MUPTにおいて水不足がなかったものの、二次生成物の炭素13分析により、森林からより開けた植生への変化があったレヴァント地域の状況とは異なります。プッリャ州に似た環境では、ヨーロッパに移住して以来となる、ネアンデルタール人と比較しての現生人類集団の発達した狩猟技術が、両者の3000年以内の共存後のネアンデルタール人の絶滅をもたらした、と考えるのが節約的な説明です。
本論文はこのように、イタリア半島南部におけるネアンデルタール人の消滅に気候は重要な役割を果たさなかった、との見解を提示しています。もちろん、本論文ではMUPTにおけるプッリャ州と他地域、とくにより北方のヨーロッパ地域との気候・環境の違いが指摘されており、気候変化がネアンデルタール人の消滅に重要な役割を果たした可能性も考えられます。おそらくほとんどのネアンデルタール人の地域的集団の絶滅要因は複合的で、それぞれ異なった組み合わせだったと思います。
そもそも、ネアンデルタール人も気候変動に応じて拡大・撤退・縮小を繰り返していたことから(関連記事)、気候説はネアンデルタール人絶滅の単独要因というか究極的な要因にはならないと思います。もちろん、現生人類との接触がなく、気候変動などにより絶滅した地域的なネアンデルタール人集団も存在するでしょうが、種(分類群)としてネアンデルタール人が絶滅したのは、現生人類が拡散してある程度の期間の共存の後だったことから、やはり現生人類との競合が究極的な要因だったと考えるのがだとうでしょう。もっとも、現代人はネアンデルタール人からわずかに遺伝的影響を受けているので(関連記事)、ネアンデルタール人の絶滅とはいっても、より正確には、ネアンデルタール人の形態的・遺伝的特徴を一括して有する集団は現在では存在しない、と言うべきかもしれません。
参考文献:
Columbu A. et al.(2020): Speleothem record attests to stable environmental conditions during Neanderthal–modern human turnover in southern Italy. Nature Ecology & Evolution, 4, 9, 1188–1195.
https://doi.org/10.1038/s41559-020-1243-1
この気候変動の要因として、ハインリッヒイベント(HE)が注目されてきました。とくに、HE6~4(63000~40500年前頃)は、ネアンデルタール人集団に不可逆的な影響を及ぼし、HE4の結果ネアンデルタール人は最終的に絶滅した、と推測されています。しかし、HEが地中海で同じ影響を及ぼしたとする証拠はなく、HEの気候への影響は地域全体にわたって一様ではなかったかもしれません。さらに、ネアンデルタール人の絶滅はHE4の前だった可能性もあります。また、ヨーロッパにおけるネアンデルタール人と現生人類との2600~5400年の共存は地理的に不均一だったため(関連記事)、気候仮説はネアンデルタール人と現生人類が実際に共存した地域の古気候記録に基づくべきですが、そうした記録は不足しています。
そこで注目されるのは、ネアンデルタール人と現生人類がじっさいに共存したイタリア半島です。イタリア半島では北部から南部にかけて両者の遺骸が発見されていますが、本論文が対象としたのは南東部のプッリャ(Apulia)州です。この地域では、ネアンデルタール人は少なくとも海洋酸素同位体ステージ(MIS)5eから42000年前頃まで存在しており、最古の現生人類が45000年前頃には存在していた、と推測されます。したがってプッリャ州は、ネアンデルタール人の絶滅と現生人類への置換に気候が重要な役割を果たしたのか、検証するのに好適な地域です。
本論文は過去50万年間のイタリア半島の石筍の年代を分析し、とくにプッリャ州のムルジェ(Murge)カルスト台地のポッツォ・クク洞窟(Pozzo Cucù Cave)の石筍に焦点を当てています。石筍は雨水の雫により形成され、炭素と酸素の同位体を含む方解石で構成されているので、放射性炭素年代測定法と組み合わせて、当時の気候を復元するのに適しています。ポッツォ・クク洞窟の石筍は、106000~26600年前頃まで途切れることなく成長し、MISでは5~3に相当します。また、高解像度の炭素18と酸素13の分析により、詳細な気候パターンが明らかになりました。これにより、プッリャ州ではHEのように北方地域に大きな気候変動をもたらした証拠があまり見られないことも明らかになりました。
氷期の地中海は一般的に乾燥しており、植生はまばらだったので、連続的な二次生成物の成長は稀でした。たとえばイタリア半島では、氷期に石筍が連続して堆積した証拠がありません。イベリア半島では洞窟の形成も断続的で、トルコと地中海南東部側の洞窟でのみ連続的な堆積が知られています。たとえばイスラエルのマノット洞窟(Manot Cave)では、最終氷期にイスラエル北部で水不足が起きなかったことを示唆する証拠が得られています。継続的な洞窟堆積が、降雨と高水準の土壌生物活性によりもたらされることを考えると、プッリャ州の氷期の気候は地中海西部および中央部よりもおそらく穏やかでした。
とくに重要なのは、ポッツォ・クク洞窟の炭素18と酸素13の分析から、MUPTも含む55000~26600年前頃に、プッリャ州の降水量と土壌の生産性が安定していた、と推測されることです。全体的もしくは部分的な土壌侵食を起こしたかもしれない深刻な旱魃がなかったため、気候悪化の一般的傾向にも関わらず、土壌形成の継続が可能になってのかもしれません。もっとも、これはまだ仮説段階なので、今後の研究での検証が必要です。
ネアンデルタール人はMIS3(59000~29000年前頃)のずっと前にプッリャ州に居住していたので、この地域はネアンデルタール人の退避所とは考えられません。イタリア半島南東部のプッリャ州とは対照的に、イタリア半島北部では、洞窟堆積物の分析から、利用可能な淡水と植生が不足していた、と推測されます。このプッリャ州の安定的な環境条件は、現生人類の到来および現生人類とネアンデルタール人との共存を促進したかもしれません。
プッリャ州におけるネアンデルタール人の消滅は42000年前頃で、比較的安定した環境条件が始まったから13000年以上経過しています。48000年前頃のHE5は、プッリャ州では明らかに強い影響を及ぼしませんでした。これは、プッリャ州の近くのモンティッキオ湖(Monticchio Lake)の樹木花粉記録でも確認されます。対照的に、ギリシアの花粉やティレニア海の浮遊性有孔虫やイベリア半島とトルコの二次生成物の記録からは、HE5の気候悪化が推定され、プッリャ州が近隣他地域と比較してMIS3において好適環境だったことを、さらに示唆します。
最近では、古気候記録からモロッコとより北方の地域との不一致の可能性が指摘されており、北方の寒冷で乾燥した時期にも、モロッコでは比較的湿潤だったかもしれない、と報告されています。地中海全域での寒冷化・乾燥化における、北方地域の役割の再評価が必要かもしれません。イタリア半島南部の後期ネアンデルタール人の存在、たとえば42000年前頃以後を想定しても、プッリャ州における40500年前頃のHE4の影響が無視できるという事実から、MUPTにおけるネアンデルタール人から現生人類への置換の主因としての気候は除外されます
ポッツォ・クク洞窟の記録は、ネアンデルタール人から現生人類への置換が起きたMUPTにおけるプッリャ州の環境安定性への強い証拠となるので、高緯度地帯の急速な気候変化は、プッリャ州におけるネアンデルタール人消滅の主因ではなかった、と考えられます。MUPTにおけるプッリャ州の気候環境条件は、ヨーロッパ中緯度地帯とは異なります。プッリャ州および同様の環境では、ネアンデルタール人から現生人類への置換が両者にとって好適な気候・環境条件で起きた、という観点からの研究が必要です。これは、MUPTにおいて水不足がなかったものの、二次生成物の炭素13分析により、森林からより開けた植生への変化があったレヴァント地域の状況とは異なります。プッリャ州に似た環境では、ヨーロッパに移住して以来となる、ネアンデルタール人と比較しての現生人類集団の発達した狩猟技術が、両者の3000年以内の共存後のネアンデルタール人の絶滅をもたらした、と考えるのが節約的な説明です。
本論文はこのように、イタリア半島南部におけるネアンデルタール人の消滅に気候は重要な役割を果たさなかった、との見解を提示しています。もちろん、本論文ではMUPTにおけるプッリャ州と他地域、とくにより北方のヨーロッパ地域との気候・環境の違いが指摘されており、気候変化がネアンデルタール人の消滅に重要な役割を果たした可能性も考えられます。おそらくほとんどのネアンデルタール人の地域的集団の絶滅要因は複合的で、それぞれ異なった組み合わせだったと思います。
そもそも、ネアンデルタール人も気候変動に応じて拡大・撤退・縮小を繰り返していたことから(関連記事)、気候説はネアンデルタール人絶滅の単独要因というか究極的な要因にはならないと思います。もちろん、現生人類との接触がなく、気候変動などにより絶滅した地域的なネアンデルタール人集団も存在するでしょうが、種(分類群)としてネアンデルタール人が絶滅したのは、現生人類が拡散してある程度の期間の共存の後だったことから、やはり現生人類との競合が究極的な要因だったと考えるのがだとうでしょう。もっとも、現代人はネアンデルタール人からわずかに遺伝的影響を受けているので(関連記事)、ネアンデルタール人の絶滅とはいっても、より正確には、ネアンデルタール人の形態的・遺伝的特徴を一括して有する集団は現在では存在しない、と言うべきかもしれません。
参考文献:
Columbu A. et al.(2020): Speleothem record attests to stable environmental conditions during Neanderthal–modern human turnover in southern Italy. Nature Ecology & Evolution, 4, 9, 1188–1195.
https://doi.org/10.1038/s41559-020-1243-1
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