虎ノ門ニュースでの有本香氏と小野寺まさる氏のアイヌに関するやり取り
Twitterで検索していたら、以下のような発言を見つけました。
有本香「先住民である縄文系の日本人を北方から来た人達が侵略し、男達を中心に殺戮し女を残して混血していったのであれば、当然アイヌの人達には縄文のDNAが多く残っている」
小野寺まさる「この(縄文の)DNAは後天的に獲得したDNAであるのは間違いないと道庁も答えている」
検索してみると、これは虎ノ門ニュースの今月(2020年7月)16日放送分で、まだ公式動画を閲覧できます(今回取り上げるのは1時間9分00秒~1時間11分40秒あたり)。じっさいに視聴したところ、このやり取りは、まず有本香氏が、北海道の礼文島の船泊遺跡で発掘された「縄文人」のDNA解析に関する研究(関連記事)を取り上げた北海道新聞の記事に、以下のように言及したことで始まります。
日本人の中に縄文人のDNAを持っている人と持っていない人がいますが、普通は10%くらいです。北海道と沖縄はやや異なり、アイヌと言われる人々は70%、沖縄の人々は30%ほど縄文人のDNAを持っているそうです。縄文人は日本において最古の民族なので、アイヌも先住民族という印象操作になっています。
これを受けて小野寺まさる(秀)氏が
鎌倉時代後期に北海道に南下してきた好戦的な民族が、縄文時代から北海道にいた人々を征服しましたが、このアイヌの人々は女性と子供は殺さず、女性たちに自分たちの子供を産ませた結果、アイヌに縄文人のDNAが継承された、という可能性がひじょうに高く、学術的にも、この(縄文人の)DNAは後天的に獲得したのは間違いない、と道庁は答えています。
という趣旨の発言をしており、有本氏が
そうならば、アイヌと言われる人々に縄文人のDNAが多く残っていても不思議ではありません。
とまとめています。まず問題となるのが、船泊遺跡の「縄文人」の研究についての有本氏の理解です。このやり取りからは、(北海道と沖縄を除く)日本人のうち、「縄文人」のDNAを有しているのは10%程度、と有本氏が理解しているように思います。もちろんそうではなく、(北海道と沖縄を除く)日本人のゲノムには、平均して10%(論文では9~15%とされています)ほど「縄文人」由来の領域があると推定される、ということです。
次に小野寺氏の発言ですが、鎌倉時代後期に北海道に南下してきた好戦的な民族が、縄文時代以来北海道に居住し続けてきた人々を征服し、女性と子供たちは殺さず、女性たちに子供を産ませたとすると、確かに「縄文人」のDNAが現代アイヌに継承されます。しかし、そもそもこのような見解を提示している専門家は、現在ではまず間違いなくいないでしょう。それに、小野寺氏の想定では、現代アイヌ集団に「縄文人」由来のY染色体ハプログループ(YHg)を継承している人はほとんどいないことになります。しかし、「縄文人」由来と考えられるYHg-D(関連記事)の割合は現代アイヌ集団では81.3%と高く(関連記事)、小野寺氏の想定とは矛盾します。これに対しては、アイヌが(琉球列島を除く本州以南の)日本人(「本土」集団)から婿養子を迎えたためだ、といった「反論」もあるかもしれませんが、そうならば、現代「本土」集団で55.1%(関連記事)と多く見られるYHg-Oの割合が、現代アイヌ集団でもっと多くなるはずです。
また、ミトコンドリアDNA(mtDNA)の研究からも、小野寺氏の想定とは逆だった可能性が高い、と考えられます。「本土」では江戸時代(近世)のアイヌ集団のmtDNAが解析されており、近世アイヌ集団のmtDNAハプログループ(mtHg)では、北海道「縄文人」型が30.9%に対して、オホーツク型が35.1%、「本土」型が28.1%、シベリア型が7.3%と推定されています(関連記事)。これらの知見からは、縄文時代以来の北海道在来の集団が前近代において外部集団からかなり女性を迎え入れつつ、縄文時代以来の父系(YHg)を維持していた、と示唆されます。
人類史において、交雑しつつ父系を維持・拡大していくような場合、その集団が外部集団に対して優勢であることが多いと考えられます(関連記事)。その意味で、前近代アイヌ集団は、YHg-Dが一定以上の割合で存在する「本土」集団はさておき、オホーツク文化集団や、オホーツク文化消滅後にもアイヌ集団と関係を持っていたと考えられるシベリア集団に対して、優位に立っていた可能性が高そうです。じっさい考古学では、北海道において縄文文化と続縄文文化を継承した擦文文化集団が、10世紀になってオホーツク文化集団に対して優位に立ったのではないか、と示唆されています(関連記事)。
現代アイヌ集団のゲノムに「縄文人」以外の要素があることは、上述の船泊遺跡「縄文人」の研究でも改めて示されており(約34%)、近世アイヌ集団のmtDNA研究でも確認された、と言えるでしょう。しかし、YHgおよびmtHgの分析と考古学的記録を併せて考えると、アイヌ集団が「本土」の鎌倉時代に南下してきた集団に征服され、本質的には「外来」集団であるというような見解は的外れで、むしろ逆に、縄文時代からの北海道在来集団が、オホーツク文化集団など外部集団に対して優位に立つ傾向にあり、そうした外部集団からの遺伝的・文化的影響を受けつつ、アイヌ集団が形成されていった、と考える方が妥当だと思われます。
では、現代アイヌ集団が縄文人DNAを後天的に獲得したのは間違いない、と道庁が答えた、との小野寺氏の発言はどう考えるべきでしょうか。検索してみたところ、これは2012年の北海道議会第4回予算特別委員会第1分科会でのやり取り(12月18日)に基づいているようです(会議録、P102~108)。まず小野寺議員(当時)が、
縄文文化とアイヌ文化についてお聞きをしたいと思います。
と質問し、文化・スポーツ担当局長(当時)の山田享氏が、
縄文文化とアイヌ文化についてでございますが、縄文文化は、一般的に、1万5000年前から3000年前に日本列島に展開したと言われており、一方、アイヌ文化は、12世紀から13世紀ごろに、北海道を中心とした地域において成立した文化でございまして、両者には、およそ2000年の時間差が存在しております。
その間、北海道に居住している人々と、大陸から北海道に移住してきた北方民族との間に交流があったことが明らかとなっているところでございます。
北海道の縄文文化とアイヌ文化は、北海道という同じ風土の中で、自然と調和しながら、成立、展開したものでございまして、その精神性に共通する要素もあると考えられておりますが、委員が御指摘の見解につきましては、アイヌ文化の成り立ちについていろいろな議論があり、道といたしましては、先ほど申し上げましたとおり、他の民族集団からの影響も考えられるものと認識をしているところでございます。
と答えています。この山田氏の返答に対して小野寺氏が
縄文時代に北海道に居住していた人々が、そのまま世代を重ねてアイヌの人々になったのではないという理解でよろしいか、確認させてください。
と質問し、文化・スポーツ担当局長(当時)の山田享氏が、
縄文の人々とアイヌの人々についてでございますが、DNA分析などの最近の科学的知見によりますと、アイヌの人々は、縄文の人々の単純な子孫ではないとする学説が有力であり、大陸から北海道に移住してきた北方民族に特徴的な遺伝子なども多く受け継いでいることが判明してきているところでございます。
と答えています。これに対して小野寺氏は、
単純な子孫ではないということで、関係ないということだと思います。
と発言しています。さらに小野寺氏はこの質問の意図に関して、
アイヌの方々は縄文人の末裔ではないということを確認したくて、この質問をしたということを皆さんには御理解いただきたいと思います。
と発言しています。山田氏は「アイヌの人々は、縄文の人々の単純な子孫ではないとする学説が有力」と述べていますが、上述の複数の遺伝学的研究からも、これは妥当と言えるでしょう。これに対して、「単純な子孫ではない」から「関係ない」と小野寺氏は述べていますが、あまりにも的外れで呆れてしまいます。山田氏は現代アイヌ集団が北海道「縄文人」の「単純な子孫」ではない、と述べているだけで、「関係ない」とは言っていません。さらに言えば、山田氏の答弁からは、現代アイヌ集団は北海道「縄文人」と関係がある、と解釈するのが妥当でしょう。小野寺氏はTwitterでも以前、
アイヌの縄文のDNAは後天的なDNAと北海道が議会答弁で明らかにしていますよ?
と発言していますが、山田氏の答弁からは、むしろ北海道「縄文人」が外部集団と交雑していったと解釈するのが妥当で、現代アイヌ集団の「縄文のDNA」は、逆に「先天的」にあった、と言うべきでしょう。もっとも、山田氏の答弁にも問題はあり、まず縄文時代を15000~3000年前頃としたことは地域差を無視しており、そもそも弥生時代が九州北部で紀元前10世紀に始まるとの見解も、まだ確定したとはとても言えないでしょう(関連記事)。また、北海道では縄文文化の後に続縄文文化と擦文文化が続き、その後がアイヌ文化期となります。続縄文文化と擦文文化の期間を、「北海道に居住している人々と、大陸から北海道に移住してきた北方民族との間に交流があった」とまとめ、「本土」、それも九州北部というごく一部地域で終わったかもしれない縄文時代の年代(上述のように、これも議論があるわけですが)を根拠に、縄文文化からアイヌ文化まで「およそ2000年の時間差」があると述べたことは、「アイヌの方々は縄文人の末裔ではないということを確認したくて」質問をした小野寺氏に付け入る隙を与えてしまったかもしれないという意味で、やや問題だったと思います。
このように、上述の虎ノ門ニュースでの小野寺氏の発言は的外れですが、有本氏は小野寺氏の発言に肯定的なように見えますし、ネットでも、「アイヌの縄文のDNAは後天的なDNA」との上述の小野寺氏の発言には、65も「いいね」がついています。まあ、「いいね」が賛同を表すとは限りませんし、アカウント数は人数の上限を示しているだけとも言えますが。しかし、小野寺氏のようなアイヌ認識は、現代日本社会では無視できないくらいの影響力があるように思います(定量的調査をする気力も能力もとてもありませんが)。小野寺氏の上記のような発言を真に受けた人々は、自分の情報判断力が自己評価よりずっと低いことを自覚し、今後は慎重になってもらいたものです。とはいっても、そのように自省できる人ならば、そもそも小野寺氏の与太話に引っかかる可能性は低いでしょうから、残念ながら今後も、小野寺氏は一定以上の影響力を及ぼし続けるのでしょう。
今年(2020年)3月、とくに後半がひじょうに多忙だったため、もう与太話をわざわざブログやTwitterで取り上げるのは止めておこうと考え、またその気力もほとんど失ってしまったのですが、たまには無視できない影響力のある与太話を取り上げるべきかな、と思って執筆した次第です。しかし、やはり徒労感は否めず、今後も人類進化に関する研究を中心にブログ記事を執筆していくつもりです。Twitterの方は、今でも自分から情報を発信したり、何かやり取りしたりする気力はなく、今後も情報収集専門になりそうです。
有本香「先住民である縄文系の日本人を北方から来た人達が侵略し、男達を中心に殺戮し女を残して混血していったのであれば、当然アイヌの人達には縄文のDNAが多く残っている」
小野寺まさる「この(縄文の)DNAは後天的に獲得したDNAであるのは間違いないと道庁も答えている」
検索してみると、これは虎ノ門ニュースの今月(2020年7月)16日放送分で、まだ公式動画を閲覧できます(今回取り上げるのは1時間9分00秒~1時間11分40秒あたり)。じっさいに視聴したところ、このやり取りは、まず有本香氏が、北海道の礼文島の船泊遺跡で発掘された「縄文人」のDNA解析に関する研究(関連記事)を取り上げた北海道新聞の記事に、以下のように言及したことで始まります。
日本人の中に縄文人のDNAを持っている人と持っていない人がいますが、普通は10%くらいです。北海道と沖縄はやや異なり、アイヌと言われる人々は70%、沖縄の人々は30%ほど縄文人のDNAを持っているそうです。縄文人は日本において最古の民族なので、アイヌも先住民族という印象操作になっています。
これを受けて小野寺まさる(秀)氏が
鎌倉時代後期に北海道に南下してきた好戦的な民族が、縄文時代から北海道にいた人々を征服しましたが、このアイヌの人々は女性と子供は殺さず、女性たちに自分たちの子供を産ませた結果、アイヌに縄文人のDNAが継承された、という可能性がひじょうに高く、学術的にも、この(縄文人の)DNAは後天的に獲得したのは間違いない、と道庁は答えています。
という趣旨の発言をしており、有本氏が
そうならば、アイヌと言われる人々に縄文人のDNAが多く残っていても不思議ではありません。
とまとめています。まず問題となるのが、船泊遺跡の「縄文人」の研究についての有本氏の理解です。このやり取りからは、(北海道と沖縄を除く)日本人のうち、「縄文人」のDNAを有しているのは10%程度、と有本氏が理解しているように思います。もちろんそうではなく、(北海道と沖縄を除く)日本人のゲノムには、平均して10%(論文では9~15%とされています)ほど「縄文人」由来の領域があると推定される、ということです。
次に小野寺氏の発言ですが、鎌倉時代後期に北海道に南下してきた好戦的な民族が、縄文時代以来北海道に居住し続けてきた人々を征服し、女性と子供たちは殺さず、女性たちに子供を産ませたとすると、確かに「縄文人」のDNAが現代アイヌに継承されます。しかし、そもそもこのような見解を提示している専門家は、現在ではまず間違いなくいないでしょう。それに、小野寺氏の想定では、現代アイヌ集団に「縄文人」由来のY染色体ハプログループ(YHg)を継承している人はほとんどいないことになります。しかし、「縄文人」由来と考えられるYHg-D(関連記事)の割合は現代アイヌ集団では81.3%と高く(関連記事)、小野寺氏の想定とは矛盾します。これに対しては、アイヌが(琉球列島を除く本州以南の)日本人(「本土」集団)から婿養子を迎えたためだ、といった「反論」もあるかもしれませんが、そうならば、現代「本土」集団で55.1%(関連記事)と多く見られるYHg-Oの割合が、現代アイヌ集団でもっと多くなるはずです。
また、ミトコンドリアDNA(mtDNA)の研究からも、小野寺氏の想定とは逆だった可能性が高い、と考えられます。「本土」では江戸時代(近世)のアイヌ集団のmtDNAが解析されており、近世アイヌ集団のmtDNAハプログループ(mtHg)では、北海道「縄文人」型が30.9%に対して、オホーツク型が35.1%、「本土」型が28.1%、シベリア型が7.3%と推定されています(関連記事)。これらの知見からは、縄文時代以来の北海道在来の集団が前近代において外部集団からかなり女性を迎え入れつつ、縄文時代以来の父系(YHg)を維持していた、と示唆されます。
人類史において、交雑しつつ父系を維持・拡大していくような場合、その集団が外部集団に対して優勢であることが多いと考えられます(関連記事)。その意味で、前近代アイヌ集団は、YHg-Dが一定以上の割合で存在する「本土」集団はさておき、オホーツク文化集団や、オホーツク文化消滅後にもアイヌ集団と関係を持っていたと考えられるシベリア集団に対して、優位に立っていた可能性が高そうです。じっさい考古学では、北海道において縄文文化と続縄文文化を継承した擦文文化集団が、10世紀になってオホーツク文化集団に対して優位に立ったのではないか、と示唆されています(関連記事)。
現代アイヌ集団のゲノムに「縄文人」以外の要素があることは、上述の船泊遺跡「縄文人」の研究でも改めて示されており(約34%)、近世アイヌ集団のmtDNA研究でも確認された、と言えるでしょう。しかし、YHgおよびmtHgの分析と考古学的記録を併せて考えると、アイヌ集団が「本土」の鎌倉時代に南下してきた集団に征服され、本質的には「外来」集団であるというような見解は的外れで、むしろ逆に、縄文時代からの北海道在来集団が、オホーツク文化集団など外部集団に対して優位に立つ傾向にあり、そうした外部集団からの遺伝的・文化的影響を受けつつ、アイヌ集団が形成されていった、と考える方が妥当だと思われます。
では、現代アイヌ集団が縄文人DNAを後天的に獲得したのは間違いない、と道庁が答えた、との小野寺氏の発言はどう考えるべきでしょうか。検索してみたところ、これは2012年の北海道議会第4回予算特別委員会第1分科会でのやり取り(12月18日)に基づいているようです(会議録、P102~108)。まず小野寺議員(当時)が、
縄文文化とアイヌ文化についてお聞きをしたいと思います。
と質問し、文化・スポーツ担当局長(当時)の山田享氏が、
縄文文化とアイヌ文化についてでございますが、縄文文化は、一般的に、1万5000年前から3000年前に日本列島に展開したと言われており、一方、アイヌ文化は、12世紀から13世紀ごろに、北海道を中心とした地域において成立した文化でございまして、両者には、およそ2000年の時間差が存在しております。
その間、北海道に居住している人々と、大陸から北海道に移住してきた北方民族との間に交流があったことが明らかとなっているところでございます。
北海道の縄文文化とアイヌ文化は、北海道という同じ風土の中で、自然と調和しながら、成立、展開したものでございまして、その精神性に共通する要素もあると考えられておりますが、委員が御指摘の見解につきましては、アイヌ文化の成り立ちについていろいろな議論があり、道といたしましては、先ほど申し上げましたとおり、他の民族集団からの影響も考えられるものと認識をしているところでございます。
と答えています。この山田氏の返答に対して小野寺氏が
縄文時代に北海道に居住していた人々が、そのまま世代を重ねてアイヌの人々になったのではないという理解でよろしいか、確認させてください。
と質問し、文化・スポーツ担当局長(当時)の山田享氏が、
縄文の人々とアイヌの人々についてでございますが、DNA分析などの最近の科学的知見によりますと、アイヌの人々は、縄文の人々の単純な子孫ではないとする学説が有力であり、大陸から北海道に移住してきた北方民族に特徴的な遺伝子なども多く受け継いでいることが判明してきているところでございます。
と答えています。これに対して小野寺氏は、
単純な子孫ではないということで、関係ないということだと思います。
と発言しています。さらに小野寺氏はこの質問の意図に関して、
アイヌの方々は縄文人の末裔ではないということを確認したくて、この質問をしたということを皆さんには御理解いただきたいと思います。
と発言しています。山田氏は「アイヌの人々は、縄文の人々の単純な子孫ではないとする学説が有力」と述べていますが、上述の複数の遺伝学的研究からも、これは妥当と言えるでしょう。これに対して、「単純な子孫ではない」から「関係ない」と小野寺氏は述べていますが、あまりにも的外れで呆れてしまいます。山田氏は現代アイヌ集団が北海道「縄文人」の「単純な子孫」ではない、と述べているだけで、「関係ない」とは言っていません。さらに言えば、山田氏の答弁からは、現代アイヌ集団は北海道「縄文人」と関係がある、と解釈するのが妥当でしょう。小野寺氏はTwitterでも以前、
アイヌの縄文のDNAは後天的なDNAと北海道が議会答弁で明らかにしていますよ?
と発言していますが、山田氏の答弁からは、むしろ北海道「縄文人」が外部集団と交雑していったと解釈するのが妥当で、現代アイヌ集団の「縄文のDNA」は、逆に「先天的」にあった、と言うべきでしょう。もっとも、山田氏の答弁にも問題はあり、まず縄文時代を15000~3000年前頃としたことは地域差を無視しており、そもそも弥生時代が九州北部で紀元前10世紀に始まるとの見解も、まだ確定したとはとても言えないでしょう(関連記事)。また、北海道では縄文文化の後に続縄文文化と擦文文化が続き、その後がアイヌ文化期となります。続縄文文化と擦文文化の期間を、「北海道に居住している人々と、大陸から北海道に移住してきた北方民族との間に交流があった」とまとめ、「本土」、それも九州北部というごく一部地域で終わったかもしれない縄文時代の年代(上述のように、これも議論があるわけですが)を根拠に、縄文文化からアイヌ文化まで「およそ2000年の時間差」があると述べたことは、「アイヌの方々は縄文人の末裔ではないということを確認したくて」質問をした小野寺氏に付け入る隙を与えてしまったかもしれないという意味で、やや問題だったと思います。
このように、上述の虎ノ門ニュースでの小野寺氏の発言は的外れですが、有本氏は小野寺氏の発言に肯定的なように見えますし、ネットでも、「アイヌの縄文のDNAは後天的なDNA」との上述の小野寺氏の発言には、65も「いいね」がついています。まあ、「いいね」が賛同を表すとは限りませんし、アカウント数は人数の上限を示しているだけとも言えますが。しかし、小野寺氏のようなアイヌ認識は、現代日本社会では無視できないくらいの影響力があるように思います(定量的調査をする気力も能力もとてもありませんが)。小野寺氏の上記のような発言を真に受けた人々は、自分の情報判断力が自己評価よりずっと低いことを自覚し、今後は慎重になってもらいたものです。とはいっても、そのように自省できる人ならば、そもそも小野寺氏の与太話に引っかかる可能性は低いでしょうから、残念ながら今後も、小野寺氏は一定以上の影響力を及ぼし続けるのでしょう。
今年(2020年)3月、とくに後半がひじょうに多忙だったため、もう与太話をわざわざブログやTwitterで取り上げるのは止めておこうと考え、またその気力もほとんど失ってしまったのですが、たまには無視できない影響力のある与太話を取り上げるべきかな、と思って執筆した次第です。しかし、やはり徒労感は否めず、今後も人類進化に関する研究を中心にブログ記事を執筆していくつもりです。Twitterの方は、今でも自分から情報を発信したり、何かやり取りしたりする気力はなく、今後も情報収集専門になりそうです。
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