ジャワ島のホモ・エレクトスに関するまとめ(3)

 ジャワ島のホモ・エレクトス(Homo erectus)に関しては、2014年(関連記事)と2018年(関連記事)にまとめました。その後、エレクトスに関する重要な研究が多く公表されていますが、当ブログではわずかしか取り上げられていません。しかし、少しずつまとめないと大変なので、ここで一度まとめることにします。今回は、基本的にはジャワ島のエレクトスを対象としつつ、他地域の広義のエレクトスについても少し言及します。

 ジャワ島のエレクトスに関する新たな基本的情報としては、年代の見直しがあります。ジャワ島におけるエレクトスの出現年代は、サンギラン(Sangiran)遺跡の人類遺骸に基づき、アルゴン-アルゴン法により150万年以上前と推定されていました(関連記事)。しかし、今年(2020年)公表された研究では、サンギラン遺跡における最初の人類の出現は、フィッショントラック法とウラン-鉛年代測定法により、127万年前頃もしくは145万年前頃以降、と推定されています(関連記事)。

 サンギラン遺跡のエレクトス遺骸は、形態学的にバパン(Bapang)層とその下のより古いサンギラン層で区分されます。サンギラン層の個体群はひじょうに多様で、アフリカの170万~140万年前頃のエレクトスもしくはエルガスター(Homo ergaster)と類似した比較的祖先的な特徴を示します。バパン層の個体群は比較的派生的で、アジア東部の中期更新世のエレクトスに匹敵する、より大きな神経頭蓋と縮小した歯顎を有しています。この変化は、気候変動によりジャワ島のエレクトス集団内で起きたとも、アフリカから東進してきたか、アジア東部から南下してきた(広義の)エレクトス集団の影響によるものとも考えられます。

 もっとも、これはあくまでもサンギラン遺跡のエレクトスの推定年代なので、ジャワ島の他の遺跡でもっと古いエレクトス遺骸が確認される可能性もあります。また、中国北部の陝西省藍田県(Lantian County)公王嶺(Gongwangling)近くの尚晨(Shangchen)で発見された石器群の年代は212万年前頃までさかのぼる、と推定されています(関連記事)。広義のホモ・エレクトスがアフリカ南部において200万年前頃までさかのぼること(関連記事)から、ジャワ島で200万年前頃に広義のホモ・エレクトス、もしくはエレクトスの祖先ときわめて近縁なホモ属が存在していたとしても不思議ではないかもしれません。

 ただ、中国北部の212万年前頃の人類が、広義のホモ・エレクトス、もしくはエレクトスの祖先ときわめて近縁なホモ属だとしても、アフリカからユーラシア南部を東進して、現在のミャンマーとラオスとベトナムを通って中国を北上したのだとすると、ジャワ島(もしくはスンダランド)には、200万年以上前には人類が存在しなかったかもしれません。また、中国北部の212万年前頃の人類が、温暖な時期のユーラシア中緯度草原地帯を東進してきた可能性も考えられ、その場合もジャワ島まで拡散しなかった可能性があります。

 ジャワ島における最後のエレクトスの年代については、以前から大きく異なる見解が提示され、議論されてきましたが、昨年公表された研究では、ンガンドン(Ngandong)遺跡の最後のエレクトス遺骸の年代が、117000~108000年前頃と推定されています(関連記事)。物相の分析から、ンガンドン一帯は13万年前頃に、エレクトスの起源地であるアフリカのサバンナと類似した、開けた森林が点在する草原地帯から、熱帯雨林へと変わっていきます。そのため、ジャワ島のエレクトスは適応できずに絶滅したかもしれません。もちろん、ジャワ島の近隣のフローレス島において、ジャワ島のエレクトスの子孫と考えられるホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)が5万年前頃まで存在していたこと(関連記事)や、ルソン島における67000~50000年以上前の新種ホモ属ルゾネンシス(Homo luzonensis)の存在(関連記事)からも、ジャワ島において10万年前頃もエレクトスが存在していた可能性も想定されます。

 近年、現生人類(Homo sapiens)だけではなく、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)のような非現生人類ホモ属(古代型ホモ属)のDNA研究が盛んですが、ジャワ島のエレクトスのDNA解析は、10万年以上前という年代と低緯度に位置するジャワ島の地理からして、ほぼ不可能でしょう。そこで注目されるのが、タンパク質解析から遺伝情報を得る手法です(関連記事)。これは、DNA解析よりも時空間的に適用範囲がずっと広く、人類史におけるジャワ島のエレクトスの系統的位置づけの、有力な根拠となるかもしれません。ただ、古代型ホモ属のタンパク質配列をかなり容易に推定できたのは、すでにゲノム配列の得られている現生人類とネアンデルタール人と種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)が対象だったからで、ゲノム配列の得られていない人類に関しては、タンパク質配列は困難となります。そのため、エレクトス標本からタンパク質の配列を決定できても、現生人類や他のホモ属との関係について判断できるほどの充分な情報は得られないかもしれません。

 しかし、まだDNAが解析されていない、スペイン北部で発見された949000~772000年前頃のホモ・アンテセッサー(Homo antecessor)遺骸でも、タンパク質解析に成功しており、アンテセッサーは現生人類とネアンデルタール人とデニソワ人の最終共通祖先ときわめて近縁な姉妹系統と推測されます(関連記事)。その意味では、ジャワ島のエレクトス遺骸のタンパク質解析も期待できそうです。ただ、ジョージア(グルジア)のドマニシ(Dmanisi)遺跡の177万年前頃の人類遺骸のタンパク質も解析されたものの、平均的なペプチドの長さが短く、中程度の解像度しか得られず、特有の分離した単一アミノ酸多型が欠如しているため、アンテセッサーも含めての系統樹には明確に位置づけられず、ジャワ島のエレクトス遺骸のタンパク質解析は容易ではないかもしれません。なお、ドマニシ遺跡の177万年前頃の人類広義のホモ・エレクトス(Homo erectus)とも、新種のホモ・ゲオルギクス(Homo georgicus)とも分類されています。

 もっとも、人類ではありませんが、190万±20万年前と推定されている大型類人猿(ヒト科)のギガントピテクス・ブラッキー(Gigantopithecus blacki)では、中国南部の亜熱帯地域で発見されたにも関わらず、タンパク質解析に成功しています(関連記事)。ギガントピテクス・ブラッキーよりも低緯度地域となるものの、それよりも新しいジャワ島のエレクトス遺骸に関しては、今後タンパク質解析を期待してもよいのではないか、と思います。さらに、後期更新世のアジア南東部のホモ属で、その系統関係について議論が続いている、フロレシエンシスやルゾネンシスのタンパク質解析も期待されます。フロレシエンシスとルゾネンシスがジャワ島のエレクトスの子孫なのかどうか、またジャワ島の新旧のエレクトスが祖先・子孫関係にあるのか、といった問題もタンパク質解析により解決されるかもしれません。

 エレクトスの性的二形については、アウストラロピテクス・アファレンシス(Australopithecus afarensis)並に大きかった、との見解もあり(関連記事)、今年公表されたアフリカ東部のエレクトスに関する研究でも、エレクトスの性的二形は顕著に大きかった、と指摘されています(関連記事)。ただ、足跡に関する昨年の研究では、エレクトスの性的二形はゴリラのように顕著に強くはないものの、現代人よりはやや強く、エレクトスの性的二形の大きさは、ドマニシ遺跡の177万年前頃の小柄なホモ属化石を含めてしまったことが原因だろう、と指摘されています(関連記事)。エレクトスの性的二形については、標本数の少なさのため評価が難しく、今後も議論が続いていきそうですが、現代人より大きかった可能性は高そうです。

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