先コロンブス期のポリネシア人とアメリカ大陸住民との接触(追記有)
先コロンブス期のポリネシア人とアメリカ大陸住民との接触に関する研究(Ioannidis et al., 2020)が報道(Wallin., 2020)されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。オセアニア史研究では長年、ポリネシア人とアメリカ大陸先住民との間の先コロンブス期における接触が議論されてきました。この問題に関して遺伝学では、イースター島(Rapa Nui)が注目されてきました。イースター島はポリネシアではアメリカ大陸に最も近く、精巧な巨石文化があることから、南アメリカ大陸の人類集団との接触の可能性が高い、と考えられてきました。
ヒト白血球抗原(HLA)アレル(対立遺伝子)の高解像度分析により、イースター島系統の現代人のゲノムにおけるアメリカ大陸先住民系統が明らかになりました。しかしゲノム研究では、アメリカ大陸先住民との混合の証拠は、イースター島の現代人では見つかったものの、古代人では見つかりませんでした(関連記事)。これまでのゲノム規模研究では、先コロンブス期におけるアメリカ大陸先住民と他のポリネシア人との接触の可能性は検証されていません。
●ポリネシアにおける複数の混合事象
本論文は、ポリネシアの17集団とアメリカ大陸沿岸部の先住民15集団の807人のゲノム規模データを、他地域集団と比較しました。系統分析の全てにおいて、ポリネシア人はポリネシア系統により特徴づけられますが、多くのポリネシア人のゲノムには、植民地時代を反映してヨーロッパ系統も見られます。注目されるのは、独立した分析で、東部ポリネシア人にアメリカ大陸先住民との混合の痕跡が検出されることです。アメリカ大陸先住民系統を2系統(中央系統と南方系統)に区別すると、イースター島などポリネシア東端ではこの2系統が見られます。アメリカ大陸先住民南方系統は、イースター島個体群においては、ヨーロッパ系統の割合に比例して増加します。これは、19世紀後半にイースター島がチリに併合された後、チリでアメリカ大陸先住民と混合したスペイン系ヨーロッパ人のイースター島への移住により、アメリカ大陸先住民南方系統がイースター島個体群にもたらされた、という見解と一致します。
対照的に、メキシコの先住民集団であるミヘー(Mixe)に特徴的なアメリカ大陸先住民中央系統は、イースター島個体群ではポリネシア系統とのみ関連しており、ヨーロッパ系統もしくはアメリカ大陸先住民南方系統(以下、南方系統)とは関連していません。これは、アメリカ大陸先住民中央系統(以下、中央系統)が、ヨーロッパ系統とは独立してイースター島集団に到来したことを示唆します。さらに、南方系統とは対照的に、中央系統はイースター島個体群の間ではほとんど変わらず、古い混合事象に由来することを示唆します。じっさい、イースター島個体群のゲノムにおけるアメリカ大陸先住民系統のDNA断片には、ヨーロッパ人の到来に数世紀先行する接触を示唆する集約長分布があります。興味深いことに、中央系統はマルキーズ諸島など他のポリネシア東部諸島の個体群に見られ、類似した早期の年代を示します。
ポリネシア人におけるヨーロッパ系統を調べると、各島の個体群とヨーロッパの宗主国との対応が明らかになります。たとえば、フランスの植民地だった場合、フランス人の参照パネルとクラスタ化します。イースター島個体群では、スペイン人の参照パネルへと移動します。ヨーロッパ系統を有するものの、南方系統を有さないイースター島個体群は、おもにフランス人参照パネルとクラスタ化し、イースター島で最初のヨーロッパ人がフランス起源だったことと一致します。また本論文は、7 cM(センチモルガン)以上の共有される同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD。かつて共通祖先を有していた2個体のDNAの一部が同一であることを示し、IBD領域の長さは2個体が共通祖先を有していた期間に依存し、たとえばキョウダイよりもハトコの方が短くなります)を分析しました。ヨーロッパ系統のみのゲノム領域の分析では、IBD関係ネットワークはヨーロッパ人の定住パターンを反映しており、多くのフランス領ポリネシア諸島は、イースター島とは別の一つの接続された構成を形成します。イースター島のマンガレヴァ島への単一のヨーロッパ人のつながりは、1871年のイースター島からマンガレヴァ島へのフランスのカトリック宣教師の移動を反映しているかもしれません。
●ポリネシアにおけるアメリカ大陸先住民系統
ポリネシア東部個体群のアメリカ大陸先住民系統は、島間のIBD共有のひじょうに異なるパターンを示し、アメリカ大陸先住民との接触の異なる歴史を示唆します。ポリネシア東部個体群のアメリカ大陸先住民系統は、現代人では、コロンビアの先住民であるゼヌ人(Zenu)もしくはその近隣の人々と遺伝的に最も近縁です。例外はヨーロッパ系統の割合が高いイースター島の個体群で、チリの先住民と遺伝的に近縁です。対照的に、ヨーロッパ系統を有さないイースター島個体群は、コロンビアのゼヌ人と近縁です。
記録上、1888年にチリがイースター島を併合したことと、船員との散発的な相互作用とを除いて、ポリネシア人とアメリカ大陸先住民とを結びつける可能性があるのは、1862~1863年のペルーによる奴隷襲撃だけです。これにより、1407人のイースター島住民を含む数千人のポリネシア人が奴隷としてペルーに連行されました。国際的な抗議の後、奴隷として連行された人々は本国に帰還することになりましたが、航海中の天然痘発生により、生還できた人はわずかでした。本論文のデータセットでは、イースター島の15人とラパ島の9人(他の島々の人々)だけです。ペルーに連行された期間が短いため、異論もあるものの、これによりアメリカ大陸先住民系統がポリネシア人にもたらされた可能性は低そうです。
ポリネシア人のゲノムにおけるアメリカ大陸先住民系統の地理的偏りは、南アメリカ大陸北部の起源を支持する言語・歴史・地理的観察と一致します。ポリネシア東部の島々にのみ見られる一枚岩の彫像と、先コロンブス期コロンビアのそれらとの類似性は以前から指摘されており、より強い証拠は、サツマイモを意味するポリネシア語の「クマラ(kumala)」です。これは南アメリカ大陸北部の料理の名前と関連しています。この関連する名前を使用するアメリカ大陸沿岸地域の言語はペルーの北部に位置し、たとえば「cumal」です。サツマイモも先コロンブス期におけるポリネシア人とアメリカ大陸先住民との接触の有力な証拠とされてきましたが、近年では人為的介在なしにサツマイモがポリネシアに到来した可能性も指摘されています(関連記事)。しかし、本論文の知見からは、自然現象による到来とともに、人為的介在もあった可能性が高い、と考えられます。
南アメリカ大陸沿岸で舟の建造に適した木材が得られるのはペルーの北部で、先コロンブス期のメソアメリカとの交易における南アメリカ大陸の拠点は太平洋沿岸のエクアドルとコロンビアです。アメリカ大陸太平洋沿岸からの風と海流の現在のシミュレーションでは、エクアドルとコロンビアから出発するとポリネシアに到達する可能性が最も高く、ポリネシアではマルキーズ諸島南部に最も高い確率で到達し、その次はトゥアモトゥ諸島とされます。どちらも、コロンビアのアメリカ大陸先住民系統が見つかったポリネシアの島々の中心地域に位置します。またポリネシア側でも、航海によりアメリカ大陸を見つける拠点となりそうなのは、これらの島々です。
●ポリネシア人とアメリカ大陸先住民との接触の年代
アメリカ大陸先住民系統が、イースター島やマンガレヴァ島など本論文で対象とされたポリネシアの各集団にいつ影響を与えたのか、ゲノム断片の長さの分布をモデル化して推定されました。その結果、一つの例外を除いて全ての島の集団について、最も可能性が高いモデルは、まずアメリカ大陸先住民とポリネシア人の混合事象が起き、その数世紀後にヨーロッパ人の遺伝子移入が続いた、というものだと明らかになりました。ヨーロッパ人とポリネシア人との混合年代は、マルキーズ諸島では北部が1820年で南部が1830年、マンガレヴァ島が1750年、パリサー島が1790年頃と推定され、ヨーロッパ人によるポリネシアの植民地化の期間に収まります。対照的に、ポリネシア人とアメリカ大陸先住民との推定混合年代はずっと早く、異なる島々でも類似しており、マンガレヴァ島とパリサー島が1230年頃、マルキーズ諸島では北部が1200年頃、南部が1150年頃です。
このように、ポリネシア人とアメリカ大陸先住民との推定混合年代はおおむね一貫していますが、唯一の例外はイースター島です。植民地支配に由来するヨーロッパ系統を有さないイースター島個体群では、その祖先におけるアメリカ大陸先住民からの遺伝子移入は1380年頃と推定されます。もっとも、上述のように、この推定年代は、チリからのもっと最近のアメリカ大陸先住民系統の遺伝子移入により、実際の混合年代より繰り下がっている可能性があります。ヨーロッパ系統とアメリカ大陸先住民系統を高頻度で有するイースター島個体群では、後者の遺伝子移入はおもに植民地期と推定されます。最適モデルによると、これはまず、おそらくはチリで起きたヨーロッパ系統へのアメリカ大陸先住民系統の遺伝子移入を表し、その後、おそらくはチリ人がイースター島に移住し始めた時に、この混合系統がポリネシア人にもたらされました。後者の年代(1860年頃)はチリによるイースター島併合(1888年)の少し前ですが、この時までに、総人口約100人のうち12人のチリ人がイースター島に居住していた、と記録にあります。
ただ、イースター島の言語は、先ポリネシア東部と呼ばれる早期言語集団から直接分岐した、と推測されており、イースター島に定住した人々はポリネシア東部の他の島々から到来し、紀元後1380年頃に混合事象が起きた可能性も考えられます。つまり、すでに他のポリネシア人により居住されていたイースター島にその頃到来したかもしれない、というわけです。放射性炭素年代測定法では、イースター島における最初の人類の定住は紀元後1200年頃です。しかし、精巧な記念碑的な石造建築は紀元後1300~1400年頃と推定され、ポリネシア東部の中央地域で起きた類似のそうした建築と比較して、早くなっています。この石造建築が文化接触の結果だった場合、南アメリカ大陸先住民との別の独立した接触がその頃にイースター島で起きた、とも考えられます。そうだとすると、イースター島の人々では遅い混合年代が推定される理由を説明できるかもしれません。イースター島はポリネシアで南アメリカ大陸に最も近く、ポリネシア東部における先史時代のアメリカ大陸先住民との接触の研究と年代推定にとって、最も複雑な地域の一つです。
また、ポリネシア人におけるアメリカ大陸先住民系統の遺伝子移入の年代推定のため、連鎖不平衡(複数の遺伝子座の対立遺伝子同士の組み合わせが、それぞれが独立して遺伝された場合の期待値とは有意に異なる現象)に基づく年代測定法(ALDER)も、新たに用いられました。この方法では、1234±90年の混合年代が推定されました。上述の推定混合年代は、この別の方法による推定混合年代の範囲内に収まります。
●まとめ
地理的に広く分かれているポリネシア東部諸島の現代人のゲノムにおいて、現代人ではコロンビアの先住民と遺伝的に最も近縁なアメリカ大陸先住民系統の遺伝子移入の推定年代は類似しており、ポリネシア東部人とアメリカ大陸先住民との間の、先コロンブス期における単一の接触が最も節約的な説明となります。この接触の起きた島はまだ明確ではなく、おそらく本論文のデータセットには含まれておらず、ポリネシア人によるポリネシア東部の発見と定住の最初の期間に起きた可能性が高そうです。この最初の接触の子孫は、航海により新たな島々に定住していき、ポリネシア系統とアメリカ大陸先住民系統とを伝えていきましたが、島間の交易による接触も役割の一部を果たした可能性があります。イースター島の先史時代住民のアメリカ大陸先住民系統は、イースター島での接触ではなく、ポリネシアにおけるイースター島への到達以前の移住過程のどこかで起きた可能性が高そうです。
ポリネシア人とアメリカ大陸先住民との接触の推定年代で最も早いのは、マルキーズ諸島南部のファトゥヒヴァ(Fatu Hiva)島における1150年頃です。この年代は、放射性炭素年代測定法によるファトゥヒバ島における最初のポリネシア人の居住年代に近く、ポリネシア人が到来した時、少数のすでに確立されたアメリカ大陸先住民集団と遭遇した、という興味深い可能性を提起します。赤道付近のポリネシアで最東端となるファトゥヒヴァ島に関しては、祖先が東方からやって来た、という島の伝説に基づいて、アメリカ大陸先住民とポリネシア人が相互に接触したかもしれない、との仮説をトール・ヘイエルダール(Thor Heyerdahl)氏が提示しました。マルキーズ諸島はエクアドルと同緯度に位置し、風向と潮流のシミュレーションからは、赤道の強い東から西への潮流と風により、人々が南アメリカ大陸から到達した島である可能性が最も高い、と示唆されています。
しかし、代替的な説明も無視できません。南アメリカ大陸北部を航海したポリネシア人集団が、アメリカ大陸先住民とともに、もしくはアメリカ大陸先住民と混合してその子孫たちとともにポリネシアに帰還した、という可能性です。本論文では1200年頃の接触が推定され、先行研究では、この年代にポリネシア人がハワイからニュージーランドやイースター島まで太平洋の全ての未踏の島々を発見した、と提案されています。アメリカ大陸先住民系統が見つかったポリネシア諸島の中心に位置するトゥアモトゥ諸島は、ポリネシア人の航海の中心だったと知られており、上述のシミュレーションでは、南アメリカ大陸からの航海でマルキーズ諸島に次いで到達の可能性が高い、と推定されています。これらの代替仮説の解明には、遺伝的にまだ研究されていない島の集団の遺伝的分析が必要です。
本論文は、先コロンブス期となる1200年頃の太平洋におけるポリネシア人とアメリカ大陸先住民との接触の強い遺伝的証拠を提示し、これは太平洋東部におけるポリネシア人の最初の到来とほぼ同時期です。先コロンブス期におけるポリネシア人とアメリカ大陸先住民との接触に関するこれまでの研究は、イースター島に焦点を当ててきました。しかし、イースター島は最近のチリからの混合事象の影響を受けており、現代人のゲノム分析では、混合年代が実際とずれる可能性があります。初期のアメリカ大陸先住民との接触の証拠は、最近のアメリカ大陸先住民との接触の影響を受けていないポリネシア東端全域で広範に見られます。本論文の結果は、大きな標本規模により、複雑な先史時代の問題を明らかにする現代人集団の遺伝的研究の有用性と、これらの問題に答える人類学・数学・生物学的手法の組み合わせの重要性を示します。
以上、ざっと本論文の内容について見てきました。ポリネシア人の起源は新石器時代の台湾(そのさらなる起源は華南でしょうが)集団にあるとの見解が有力で、じっさい、福建省と台湾で発見された新石器時代個体群のゲノムデータにより確認されています(関連記事)。そのため、ポリネシア人の南アメリカ大陸起源を主張したヘイエルダール氏の仮説は最近ではほぼ否定されていました。しかし本論文は、ポリネシアの一部の島において、ポリネシア人よりも前にアメリカ大陸先住民が到来していた可能性も指摘しており、もしそうだとすると、ヘイエルダール氏の仮説が部分的にせよ見直される契機になるかもしれません。とはいえ、ポリネシア人がメラネシア人などとも混合しながらも、主要な起源が新石器時代台湾集団にあったことは否定できそうになく、ヘイエルダール氏の仮説は基本的には間違っていた、と言うべきなのでしょう。また、本論文の見解はかなり説得的ですが、基本的には現代人のゲノムデータに依拠しているので、今後はポリネシアの広範な地域の古代ゲノムデータでの証明が期待されます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
ヒトの進化:遠く離れたポリネシアでのアメリカ先住民との接触
先史時代のアメリカ大陸とポリネシア東部の間の航海に関する新たな証拠を示した論文が、今週、Nature で発表される。今回の研究では、現代人と古代人の遺伝的データの解析が行われ、ポリネシアの歴史を明らかにする手掛かりがもたらされた。この解析結果は、太平洋上の島々におけるヒト集団の形成においてアメリカ先住民が果たした役割に関する長年の議論に決着をつける上で役立つ。
先史時代にポリネシア人とアメリカ先住民が接触していた可能性については、これまでのゲノム研究で得られた結論が矛盾していたため、盛んに議論が交わされている。今回、Andrés Moreno-Estrada、Alexander Ioannidisたちの研究チームは、ポリネシア人とアメリカ先住民(計800人以上)のゲノムを解析し、西暦1200年頃にアメリカ先住民とポリネシア人が交雑したと推論した。ポリネシア東部では、ポリネシア人と、現在のコロンビア沿岸部の先住民に非常に近縁なアメリカ先住民との接触が1回だけあった。しかし、これまでのいくつかの研究で示唆されてきたように、最初の接触点はイースター島ではなかった。
これまでのゲノム研究は、イースター島での接触に着目していた。これは、イースター島がヒトが居住するポリネシア諸島の中で南米に最も近かったことによる。しかし、今回の研究は、ポリネシア東部の諸島の1つ(例えば、マルキーズ諸島)で最初の接触があったとするノルウェー人探検家の故トール・ヘイエルダールの学説を裏付けている(ヘイエルダールは、1947年に大型木製いかだのコンティキ号に乗って、ペルーからポリネシアへの漂流航海を行った)。今回の研究で得られた知見は、接触事象が、これまで考えられていた時期よりも前に起こり、ポリネシアの複数の島に広がったことを示している。このことから、アメリカ先住民は、ヨーロッパ人が到着する5世紀以上前からポリネシアに遺伝的影響と文化的影響を及ぼしていたことが示唆される。
参考文献:
Ioannidis AG. et al.(2020): Native American gene flow into Polynesia predating Easter Island settlement. Nature, 583, 7817, 572–577.
https://doi.org/10.1038/s41586-020-2487-2
Wallin P.(2020): Native South Americans were early inhabitants of Polynesia. Nature, 583, 7817, 524–525.
https://doi.org/10.1038/d41586-020-01983-5
追記(2020年7月13日)
ナショナルジオグラフィックでも報道されました。
追記(2020年7月23日)
本論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。
人類の移動:アメリカ先住民からポリネシア人への遺伝子流動はイースター島の人類定着より前だった
人類の移動:日の目を見たコンティキ号
今回、ポリネシア全域の島民に由来するゲノムデータから、南北アメリカからの遺伝子流動が、リモートオセアニアの人類定着と同時期の紀元1200年頃に起きていたことを示す証拠が得られた。こうしたアメリカ先住民とポリネシア人との接触は1回限りで、ラパ・ヌイ(イースター島)の人類定着よりも前に起こった可能性がある。この結果は、先史時代の南米人とポリネシア人とが航海を介してつながっていた可能性を示すために自作のいかだ「コンティキ号」で実際に航海を行った探検家、故トール・ヘイエルダールの勝利を意味している。
ヒト白血球抗原(HLA)アレル(対立遺伝子)の高解像度分析により、イースター島系統の現代人のゲノムにおけるアメリカ大陸先住民系統が明らかになりました。しかしゲノム研究では、アメリカ大陸先住民との混合の証拠は、イースター島の現代人では見つかったものの、古代人では見つかりませんでした(関連記事)。これまでのゲノム規模研究では、先コロンブス期におけるアメリカ大陸先住民と他のポリネシア人との接触の可能性は検証されていません。
●ポリネシアにおける複数の混合事象
本論文は、ポリネシアの17集団とアメリカ大陸沿岸部の先住民15集団の807人のゲノム規模データを、他地域集団と比較しました。系統分析の全てにおいて、ポリネシア人はポリネシア系統により特徴づけられますが、多くのポリネシア人のゲノムには、植民地時代を反映してヨーロッパ系統も見られます。注目されるのは、独立した分析で、東部ポリネシア人にアメリカ大陸先住民との混合の痕跡が検出されることです。アメリカ大陸先住民系統を2系統(中央系統と南方系統)に区別すると、イースター島などポリネシア東端ではこの2系統が見られます。アメリカ大陸先住民南方系統は、イースター島個体群においては、ヨーロッパ系統の割合に比例して増加します。これは、19世紀後半にイースター島がチリに併合された後、チリでアメリカ大陸先住民と混合したスペイン系ヨーロッパ人のイースター島への移住により、アメリカ大陸先住民南方系統がイースター島個体群にもたらされた、という見解と一致します。
対照的に、メキシコの先住民集団であるミヘー(Mixe)に特徴的なアメリカ大陸先住民中央系統は、イースター島個体群ではポリネシア系統とのみ関連しており、ヨーロッパ系統もしくはアメリカ大陸先住民南方系統(以下、南方系統)とは関連していません。これは、アメリカ大陸先住民中央系統(以下、中央系統)が、ヨーロッパ系統とは独立してイースター島集団に到来したことを示唆します。さらに、南方系統とは対照的に、中央系統はイースター島個体群の間ではほとんど変わらず、古い混合事象に由来することを示唆します。じっさい、イースター島個体群のゲノムにおけるアメリカ大陸先住民系統のDNA断片には、ヨーロッパ人の到来に数世紀先行する接触を示唆する集約長分布があります。興味深いことに、中央系統はマルキーズ諸島など他のポリネシア東部諸島の個体群に見られ、類似した早期の年代を示します。
ポリネシア人におけるヨーロッパ系統を調べると、各島の個体群とヨーロッパの宗主国との対応が明らかになります。たとえば、フランスの植民地だった場合、フランス人の参照パネルとクラスタ化します。イースター島個体群では、スペイン人の参照パネルへと移動します。ヨーロッパ系統を有するものの、南方系統を有さないイースター島個体群は、おもにフランス人参照パネルとクラスタ化し、イースター島で最初のヨーロッパ人がフランス起源だったことと一致します。また本論文は、7 cM(センチモルガン)以上の共有される同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD。かつて共通祖先を有していた2個体のDNAの一部が同一であることを示し、IBD領域の長さは2個体が共通祖先を有していた期間に依存し、たとえばキョウダイよりもハトコの方が短くなります)を分析しました。ヨーロッパ系統のみのゲノム領域の分析では、IBD関係ネットワークはヨーロッパ人の定住パターンを反映しており、多くのフランス領ポリネシア諸島は、イースター島とは別の一つの接続された構成を形成します。イースター島のマンガレヴァ島への単一のヨーロッパ人のつながりは、1871年のイースター島からマンガレヴァ島へのフランスのカトリック宣教師の移動を反映しているかもしれません。
●ポリネシアにおけるアメリカ大陸先住民系統
ポリネシア東部個体群のアメリカ大陸先住民系統は、島間のIBD共有のひじょうに異なるパターンを示し、アメリカ大陸先住民との接触の異なる歴史を示唆します。ポリネシア東部個体群のアメリカ大陸先住民系統は、現代人では、コロンビアの先住民であるゼヌ人(Zenu)もしくはその近隣の人々と遺伝的に最も近縁です。例外はヨーロッパ系統の割合が高いイースター島の個体群で、チリの先住民と遺伝的に近縁です。対照的に、ヨーロッパ系統を有さないイースター島個体群は、コロンビアのゼヌ人と近縁です。
記録上、1888年にチリがイースター島を併合したことと、船員との散発的な相互作用とを除いて、ポリネシア人とアメリカ大陸先住民とを結びつける可能性があるのは、1862~1863年のペルーによる奴隷襲撃だけです。これにより、1407人のイースター島住民を含む数千人のポリネシア人が奴隷としてペルーに連行されました。国際的な抗議の後、奴隷として連行された人々は本国に帰還することになりましたが、航海中の天然痘発生により、生還できた人はわずかでした。本論文のデータセットでは、イースター島の15人とラパ島の9人(他の島々の人々)だけです。ペルーに連行された期間が短いため、異論もあるものの、これによりアメリカ大陸先住民系統がポリネシア人にもたらされた可能性は低そうです。
ポリネシア人のゲノムにおけるアメリカ大陸先住民系統の地理的偏りは、南アメリカ大陸北部の起源を支持する言語・歴史・地理的観察と一致します。ポリネシア東部の島々にのみ見られる一枚岩の彫像と、先コロンブス期コロンビアのそれらとの類似性は以前から指摘されており、より強い証拠は、サツマイモを意味するポリネシア語の「クマラ(kumala)」です。これは南アメリカ大陸北部の料理の名前と関連しています。この関連する名前を使用するアメリカ大陸沿岸地域の言語はペルーの北部に位置し、たとえば「cumal」です。サツマイモも先コロンブス期におけるポリネシア人とアメリカ大陸先住民との接触の有力な証拠とされてきましたが、近年では人為的介在なしにサツマイモがポリネシアに到来した可能性も指摘されています(関連記事)。しかし、本論文の知見からは、自然現象による到来とともに、人為的介在もあった可能性が高い、と考えられます。
南アメリカ大陸沿岸で舟の建造に適した木材が得られるのはペルーの北部で、先コロンブス期のメソアメリカとの交易における南アメリカ大陸の拠点は太平洋沿岸のエクアドルとコロンビアです。アメリカ大陸太平洋沿岸からの風と海流の現在のシミュレーションでは、エクアドルとコロンビアから出発するとポリネシアに到達する可能性が最も高く、ポリネシアではマルキーズ諸島南部に最も高い確率で到達し、その次はトゥアモトゥ諸島とされます。どちらも、コロンビアのアメリカ大陸先住民系統が見つかったポリネシアの島々の中心地域に位置します。またポリネシア側でも、航海によりアメリカ大陸を見つける拠点となりそうなのは、これらの島々です。
●ポリネシア人とアメリカ大陸先住民との接触の年代
アメリカ大陸先住民系統が、イースター島やマンガレヴァ島など本論文で対象とされたポリネシアの各集団にいつ影響を与えたのか、ゲノム断片の長さの分布をモデル化して推定されました。その結果、一つの例外を除いて全ての島の集団について、最も可能性が高いモデルは、まずアメリカ大陸先住民とポリネシア人の混合事象が起き、その数世紀後にヨーロッパ人の遺伝子移入が続いた、というものだと明らかになりました。ヨーロッパ人とポリネシア人との混合年代は、マルキーズ諸島では北部が1820年で南部が1830年、マンガレヴァ島が1750年、パリサー島が1790年頃と推定され、ヨーロッパ人によるポリネシアの植民地化の期間に収まります。対照的に、ポリネシア人とアメリカ大陸先住民との推定混合年代はずっと早く、異なる島々でも類似しており、マンガレヴァ島とパリサー島が1230年頃、マルキーズ諸島では北部が1200年頃、南部が1150年頃です。
このように、ポリネシア人とアメリカ大陸先住民との推定混合年代はおおむね一貫していますが、唯一の例外はイースター島です。植民地支配に由来するヨーロッパ系統を有さないイースター島個体群では、その祖先におけるアメリカ大陸先住民からの遺伝子移入は1380年頃と推定されます。もっとも、上述のように、この推定年代は、チリからのもっと最近のアメリカ大陸先住民系統の遺伝子移入により、実際の混合年代より繰り下がっている可能性があります。ヨーロッパ系統とアメリカ大陸先住民系統を高頻度で有するイースター島個体群では、後者の遺伝子移入はおもに植民地期と推定されます。最適モデルによると、これはまず、おそらくはチリで起きたヨーロッパ系統へのアメリカ大陸先住民系統の遺伝子移入を表し、その後、おそらくはチリ人がイースター島に移住し始めた時に、この混合系統がポリネシア人にもたらされました。後者の年代(1860年頃)はチリによるイースター島併合(1888年)の少し前ですが、この時までに、総人口約100人のうち12人のチリ人がイースター島に居住していた、と記録にあります。
ただ、イースター島の言語は、先ポリネシア東部と呼ばれる早期言語集団から直接分岐した、と推測されており、イースター島に定住した人々はポリネシア東部の他の島々から到来し、紀元後1380年頃に混合事象が起きた可能性も考えられます。つまり、すでに他のポリネシア人により居住されていたイースター島にその頃到来したかもしれない、というわけです。放射性炭素年代測定法では、イースター島における最初の人類の定住は紀元後1200年頃です。しかし、精巧な記念碑的な石造建築は紀元後1300~1400年頃と推定され、ポリネシア東部の中央地域で起きた類似のそうした建築と比較して、早くなっています。この石造建築が文化接触の結果だった場合、南アメリカ大陸先住民との別の独立した接触がその頃にイースター島で起きた、とも考えられます。そうだとすると、イースター島の人々では遅い混合年代が推定される理由を説明できるかもしれません。イースター島はポリネシアで南アメリカ大陸に最も近く、ポリネシア東部における先史時代のアメリカ大陸先住民との接触の研究と年代推定にとって、最も複雑な地域の一つです。
また、ポリネシア人におけるアメリカ大陸先住民系統の遺伝子移入の年代推定のため、連鎖不平衡(複数の遺伝子座の対立遺伝子同士の組み合わせが、それぞれが独立して遺伝された場合の期待値とは有意に異なる現象)に基づく年代測定法(ALDER)も、新たに用いられました。この方法では、1234±90年の混合年代が推定されました。上述の推定混合年代は、この別の方法による推定混合年代の範囲内に収まります。
●まとめ
地理的に広く分かれているポリネシア東部諸島の現代人のゲノムにおいて、現代人ではコロンビアの先住民と遺伝的に最も近縁なアメリカ大陸先住民系統の遺伝子移入の推定年代は類似しており、ポリネシア東部人とアメリカ大陸先住民との間の、先コロンブス期における単一の接触が最も節約的な説明となります。この接触の起きた島はまだ明確ではなく、おそらく本論文のデータセットには含まれておらず、ポリネシア人によるポリネシア東部の発見と定住の最初の期間に起きた可能性が高そうです。この最初の接触の子孫は、航海により新たな島々に定住していき、ポリネシア系統とアメリカ大陸先住民系統とを伝えていきましたが、島間の交易による接触も役割の一部を果たした可能性があります。イースター島の先史時代住民のアメリカ大陸先住民系統は、イースター島での接触ではなく、ポリネシアにおけるイースター島への到達以前の移住過程のどこかで起きた可能性が高そうです。
ポリネシア人とアメリカ大陸先住民との接触の推定年代で最も早いのは、マルキーズ諸島南部のファトゥヒヴァ(Fatu Hiva)島における1150年頃です。この年代は、放射性炭素年代測定法によるファトゥヒバ島における最初のポリネシア人の居住年代に近く、ポリネシア人が到来した時、少数のすでに確立されたアメリカ大陸先住民集団と遭遇した、という興味深い可能性を提起します。赤道付近のポリネシアで最東端となるファトゥヒヴァ島に関しては、祖先が東方からやって来た、という島の伝説に基づいて、アメリカ大陸先住民とポリネシア人が相互に接触したかもしれない、との仮説をトール・ヘイエルダール(Thor Heyerdahl)氏が提示しました。マルキーズ諸島はエクアドルと同緯度に位置し、風向と潮流のシミュレーションからは、赤道の強い東から西への潮流と風により、人々が南アメリカ大陸から到達した島である可能性が最も高い、と示唆されています。
しかし、代替的な説明も無視できません。南アメリカ大陸北部を航海したポリネシア人集団が、アメリカ大陸先住民とともに、もしくはアメリカ大陸先住民と混合してその子孫たちとともにポリネシアに帰還した、という可能性です。本論文では1200年頃の接触が推定され、先行研究では、この年代にポリネシア人がハワイからニュージーランドやイースター島まで太平洋の全ての未踏の島々を発見した、と提案されています。アメリカ大陸先住民系統が見つかったポリネシア諸島の中心に位置するトゥアモトゥ諸島は、ポリネシア人の航海の中心だったと知られており、上述のシミュレーションでは、南アメリカ大陸からの航海でマルキーズ諸島に次いで到達の可能性が高い、と推定されています。これらの代替仮説の解明には、遺伝的にまだ研究されていない島の集団の遺伝的分析が必要です。
本論文は、先コロンブス期となる1200年頃の太平洋におけるポリネシア人とアメリカ大陸先住民との接触の強い遺伝的証拠を提示し、これは太平洋東部におけるポリネシア人の最初の到来とほぼ同時期です。先コロンブス期におけるポリネシア人とアメリカ大陸先住民との接触に関するこれまでの研究は、イースター島に焦点を当ててきました。しかし、イースター島は最近のチリからの混合事象の影響を受けており、現代人のゲノム分析では、混合年代が実際とずれる可能性があります。初期のアメリカ大陸先住民との接触の証拠は、最近のアメリカ大陸先住民との接触の影響を受けていないポリネシア東端全域で広範に見られます。本論文の結果は、大きな標本規模により、複雑な先史時代の問題を明らかにする現代人集団の遺伝的研究の有用性と、これらの問題に答える人類学・数学・生物学的手法の組み合わせの重要性を示します。
以上、ざっと本論文の内容について見てきました。ポリネシア人の起源は新石器時代の台湾(そのさらなる起源は華南でしょうが)集団にあるとの見解が有力で、じっさい、福建省と台湾で発見された新石器時代個体群のゲノムデータにより確認されています(関連記事)。そのため、ポリネシア人の南アメリカ大陸起源を主張したヘイエルダール氏の仮説は最近ではほぼ否定されていました。しかし本論文は、ポリネシアの一部の島において、ポリネシア人よりも前にアメリカ大陸先住民が到来していた可能性も指摘しており、もしそうだとすると、ヘイエルダール氏の仮説が部分的にせよ見直される契機になるかもしれません。とはいえ、ポリネシア人がメラネシア人などとも混合しながらも、主要な起源が新石器時代台湾集団にあったことは否定できそうになく、ヘイエルダール氏の仮説は基本的には間違っていた、と言うべきなのでしょう。また、本論文の見解はかなり説得的ですが、基本的には現代人のゲノムデータに依拠しているので、今後はポリネシアの広範な地域の古代ゲノムデータでの証明が期待されます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
ヒトの進化:遠く離れたポリネシアでのアメリカ先住民との接触
先史時代のアメリカ大陸とポリネシア東部の間の航海に関する新たな証拠を示した論文が、今週、Nature で発表される。今回の研究では、現代人と古代人の遺伝的データの解析が行われ、ポリネシアの歴史を明らかにする手掛かりがもたらされた。この解析結果は、太平洋上の島々におけるヒト集団の形成においてアメリカ先住民が果たした役割に関する長年の議論に決着をつける上で役立つ。
先史時代にポリネシア人とアメリカ先住民が接触していた可能性については、これまでのゲノム研究で得られた結論が矛盾していたため、盛んに議論が交わされている。今回、Andrés Moreno-Estrada、Alexander Ioannidisたちの研究チームは、ポリネシア人とアメリカ先住民(計800人以上)のゲノムを解析し、西暦1200年頃にアメリカ先住民とポリネシア人が交雑したと推論した。ポリネシア東部では、ポリネシア人と、現在のコロンビア沿岸部の先住民に非常に近縁なアメリカ先住民との接触が1回だけあった。しかし、これまでのいくつかの研究で示唆されてきたように、最初の接触点はイースター島ではなかった。
これまでのゲノム研究は、イースター島での接触に着目していた。これは、イースター島がヒトが居住するポリネシア諸島の中で南米に最も近かったことによる。しかし、今回の研究は、ポリネシア東部の諸島の1つ(例えば、マルキーズ諸島)で最初の接触があったとするノルウェー人探検家の故トール・ヘイエルダールの学説を裏付けている(ヘイエルダールは、1947年に大型木製いかだのコンティキ号に乗って、ペルーからポリネシアへの漂流航海を行った)。今回の研究で得られた知見は、接触事象が、これまで考えられていた時期よりも前に起こり、ポリネシアの複数の島に広がったことを示している。このことから、アメリカ先住民は、ヨーロッパ人が到着する5世紀以上前からポリネシアに遺伝的影響と文化的影響を及ぼしていたことが示唆される。
参考文献:
Ioannidis AG. et al.(2020): Native American gene flow into Polynesia predating Easter Island settlement. Nature, 583, 7817, 572–577.
https://doi.org/10.1038/s41586-020-2487-2
Wallin P.(2020): Native South Americans were early inhabitants of Polynesia. Nature, 583, 7817, 524–525.
https://doi.org/10.1038/d41586-020-01983-5
追記(2020年7月13日)
ナショナルジオグラフィックでも報道されました。
追記(2020年7月23日)
本論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。
人類の移動:アメリカ先住民からポリネシア人への遺伝子流動はイースター島の人類定着より前だった
人類の移動:日の目を見たコンティキ号
今回、ポリネシア全域の島民に由来するゲノムデータから、南北アメリカからの遺伝子流動が、リモートオセアニアの人類定着と同時期の紀元1200年頃に起きていたことを示す証拠が得られた。こうしたアメリカ先住民とポリネシア人との接触は1回限りで、ラパ・ヌイ(イースター島)の人類定着よりも前に起こった可能性がある。この結果は、先史時代の南米人とポリネシア人とが航海を介してつながっていた可能性を示すために自作のいかだ「コンティキ号」で実際に航海を行った探検家、故トール・ヘイエルダールの勝利を意味している。
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