コーカサス北部のコバン文化の母系と父系

 コーカサス北部のコバン(Koban)文化の母系と父系に関する研究(Boulygina et al., 2020)が公表されました。近年の古代DNA研究の進展は目覚ましく、コーカサスでも銅石器時代~青銅器時代の集団で大きな成果が得られています(関連記事)。しかし、コーカサス北部集団の現代の民族的構成の形成に大きな影響を与えた文化の古代DNAは、まだ詳しく調べられていません。紀元前二千年紀末~紀元前千年紀半ば頃となる後期青銅器時代と前期鉄器時代のコバン(Koban)文化は、古代と現代を架橋するという点で、とくに興味深い存在です。ロシア連邦北オセチア共和国のコバン墓地に因んで名づけられたコバン文化は、大コーカサス山脈の両側に紀元前13/12世紀~紀元前4世紀まで広がっていました。コバン文化は、発展した冶金技術と段々畑農耕でよく知られていますが、コバン文化集団の遺伝的起源と多様性は、これまで調べられてきませんでした。

 本論文は、コバン文化個体群のミトコンドリアDNA(mtDNA)とY染色体DNAの分析結果を報告し、その遺伝的起源を検証します。具体的には、ロシア連邦カバルダ・バルカル共和国のザユコーヴォ3(Zayukovo-3)遺跡(紀元前8~紀元前5世紀)と、ロシア連邦スタヴロポリ地方(Stavropol Krai)キスロヴォツク市(Kislovodsk)のクリンヤール3(Klin-Yar 3)遺跡の個体群です。DNA分析には、サンガー法と次世代シーケンサー(イルミナ)が用いられました。クリンヤール3遺跡では5人、ザユコーヴォ3遺跡では10人のDNAが解析されました。mtDNAハプログループ(mtHg)は、サンガー法ではクリンヤール3遺跡の2人とザユコーヴォ3遺跡の9人で、次世代シーケンサーではクリンヤール3遺跡の1人とザユコーヴォ3遺跡の3人で決定されました。また次世代シーケンサーでは、クリンヤール3遺跡の1人とザユコーヴォ3遺跡の5人でY染色体ハプログループ(YHg)が決定されました。さらに、これら紀元前9~紀元前5世紀頃となるコーカサス北部のコバン文化期個体群との比較用として、サルマタイ(Sarmatian)文化期のザユコーヴォ3遺跡の1個体(紀元後2~3世紀)もDNAが分析されました。

 サンガー法でのmtHgは、クリンヤール3遺跡の2人がH20aとJ1c(次世代シーケンサーではJ1b1)、ザユコーヴォ3遺跡の9人がN・U5a1a1h(次世代シーケンサーではU5a1a2)・HV1(次世代シーケンサーではHV1a1a)・T1a(次世代シーケンサーではT1a1)・H1e・W5a(次世代シーケンサーではN)・R6/H1e・R6・I1です。YHgは、クリンヤール3遺跡の1人がE1a2a1b1b(CTS2361)、ザユコーヴォ3遺跡の5人がG2a1a1a1b(FGC1160)・D1a1b1a(M533)・G2a1a(FGC595/Z6553)・R1b1a1b(M269/PF6517)・R1a(L146/M420/PF6229)です。

 これらのYHgは、E1a2a(CTS246/V1119)・G2a1a・R1b(M343/PF6242)・R1aのように、鉄器時代のコーカサスとヨーロッパでは一般的で、YHg-R1a・R1bは通常、インド・ヨーロッパ語族の移住と関連づけられてきました。既知の考古学的データは、スキタイ人の侵入がコバン文化に大きな影響を与えた、と示します。これは、本論文のYHgで確認されます。YHg-R1a・R1bは、スキタイ人とサルマティア人において高頻度で報告されています。YHg-G1a(CTS11562)は通常、近東の新石器時代個体群と関連づけられていますが、ヨーロッパの新石器時代個体群でも見られます。現在、ヨーロッパ中央部においてYHg-G2a(P15/PF3112)は低頻度ですが、現代のオセチアバルカルやカラチャイでは広範に見られます。YHg-R1a・R1b・E1a2aは、バルカル(Balkar)やカラチャイ(Karachay)やダルギン(Dargin)やレズギ(Lezghin)やアブハズ(Abkhaz)といった他の現代コーカサス北部民族集団でも見られます。ザユコーヴォ3遺跡の1個体のYHgはアジア東部に見られ、ユーラシア西部ではほぼ見られないYHg-D1a1b1aで、この個体のmtHg-HV1は、最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)後にコーカサスを通ってヨーロッパへと拡大しました。

 mtDNA解析では、サンガー法と次世代シーケンサーでmtHgの決定に違いも見られます。これは、サンガー法での配列が超可変領域1(HVR1)に限定されている一方で、次世代シーケンサーでは全配列を分析できることに起因しているかもしれません。コバン文化個体群では、ヨーロッパの旧石器時代および新石器時代文化の人々に見られるmtHgが確認されました。具体的には、mtHg-H・J・N・T・W・I・Uは古代および現代コーカサス北部集団でも確認されており、ユーラシア西部において長期にわたって存在します。本論文のデータは、古代コーカサス地域における相対的な遺伝的継続性を示しますが、時として他文化からの影響も受けました。ザユコーヴォ3遺跡の1個体で確認されたYHg-R1bは、鉄器時代におけるコーカサス北部へのスキタイ人の侵略の遺伝的痕跡かもしれません。

 注目されるのは、ザユコーヴォ3遺跡の1個体で確認されたmtHg-HV1です。mtHg-HV1は、LGM 後におそらくはコーカサスを経由して近東からヨーロッパ西部へと拡散した、と推測されています。この個体のYHgは、アジア東部で見られるD1a1b1aです。本論文で報告されたコバン文化個体群の他のYHgは、現代コーカサス北部の民族集団で一般的です。YHg-Dは現在では、おもにアンダマン諸島とチベットと日本列島とアフリカ西部というように、ひじょうに限定的にしか見られません。このYHg-D1a1b1aがどのような経路でコーカサス北部にまで到達したのか、また、この個体は核ゲノムではどのような遺伝的構成なのか、今後の研究の進展が注目されます。


参考文献:
Boulygina E. et al.(2020): Mitochondrial and Y-chromosome diversity of the prehistoric Koban culture of the North Caucasus. Journal of Archaeological Science: Reports, 31, 102357.
https://doi.org/10.1016/j.jasrep.2020.102357

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