ゲノムおよび同位体分析から推測されるアイルランド新石器時代の社会構造
ゲノムおよび安定同位体分析からアイルランド島における新石器時代の社会構造を推測した研究(Cassidy et al., 2020)が報道(Sheridan., 2020)されました。古代ゲノムの以前の分析では、新石器時代大西洋沿岸社会間の共通系統が示されてきましたが(関連記事)、放射性炭素年代測定法による最近の研究では、フランス北西部からの巨石建造物の繰り返しの拡大が指摘されており、この地域の航海技術は以前の推定よりも発展していた、と示唆されています(関連記事)。これは、他の明確な巨石伝統とともにアイルランドに農耕が到来した、紀元前四千年紀の大西洋沿岸の羨道墳の拡大を含みます。これらの構造物はアイルランド島に関して、ヨーロッパでは既知の最高の密度と多様性に達しました。しかし、在来の中石器時代狩猟採集民からの遺伝的影響と同様に、これらの社会の土台となっている政治体制は曖昧なままです。
これらの問題を調査するため、本論文はアイルランドの中石器時代2人と新石器時代42人のゲノムデータを提示します(平均網羅率は1.14倍)。この44人のうち43人を関連する古代ゲノムに帰属させ、これには追加の20人のブリテン島とアイルランドの個体が含まれます。本論文は次に、これらの個体群を既知の古代遺伝子型のデータセットと組み合わせ、集団構造の精細なハプロタイプおよび近親交配の推定を可能にしました。その後、主要な4人がより高い網羅率(13~20倍)で配列されました。
本論文は、紀元前4000年頃に始まるアイルランドにおける新石器時代の主要な葬祭伝統から遺骸を標本抽出しました。それは、宮廷墓(分割された玄室と前庭がある建造物)と支石墓(巨大な岩石と高い入口のある1部屋の建造物)と羨道墳とリンカーズタウン(Linkardstown)型埋葬と自然遺跡です。このデータセット内で、アイルランド最初の新石器時代人類遺骸はプルナブロン(Poulnabrone)の支石墓に埋葬されており、おもに「早期農耕民」系統で構成され、近親交配の証拠は見られません。これは、農耕がその当初から大規模な海上植民を伴っていた、と示唆します。ADMIXTUREおよびChromoPainter分析は、アイルランドとブリテン島の新石器時代集団を区別しません。両分析はまた、スペインの前期新石器時代標本群が、アイルランドの早期農耕民の最良の代理起源である、という以前の報告を確認し、それは祖先の拡大において大西洋と地中海の海路の重要性を強調します。ヨーロッパ大陸部やブリテン島と同様に、アイルランドでも農耕をもたらしたのは外来農耕民集団(その起源はアナトリア半島)だった、というわけです。
全体的に、新石器時代アイルランドでは近親交配の増加は経時的には見られず、それは共同体が充分な規模と、5親等もしくはそれより近い親族間の配偶を避ける意思伝達を維持していた、と示唆します。しかし本論文は、ブルーナボーニャ(Brú na Bóinne)遺跡群のニューグレンジ羨道墳における、単一の極端な外れ値を報告します。20万トンを超えるつとと石を組み合わせたこの巨石墳墓は、ヨーロッパの類似した既知の墳墓の中で、最も壮観なものの一つです。外面的には公共消費用に設計されていますが、墓地の内部単一の狭い通路で構成され、特別な儀式的目的を有しており、冬至には選ばれた数人のみが太陽を見られました。この支配層は、太陽の動きを「制御」することにより、神の力を有していると主張した、と推測されています。火葬されず、関節の外れた人類の骨が、最奥の十字形玄室最も精巧に装飾された奥まった場所内で集中して見つかり、成人男性の頭蓋(NG10)を含みます。NG10はホモ接合性の複数の長い領域を有しており、それぞれが個々の染色体の大規模な断片を構成し、合計でゲノムの1/4になります(近交係数=0.25)。この結果は、NG10が1親等(英語では親子だけではなくキョウダイ関係も含みます)の近親相姦による子だと示します。近親相姦は、生物学的および文化的理由が絡んでいるため、ほぼ普遍的な禁忌です。しかし、埋葬の性質を考えると、この男性が社会的に認められた可能性はひじょうに高そうです。
シミュレーションでは、この男性の両親が全キョウダイ(両親が同じキョウダイ)なのか親子関係なのか区別できませんが、そうした配偶の唯一の既知の容認は、「王室」または「王朝」近親相姦として知られる稀に観察される現象として、とくに一夫多妻のエリート内で起きます。たとえばヨーロッパ勢力との接触前のハワイやインカ帝国や古代エジプトなど、これらの記録された事例では、近親婚は政治指導者の神格化と同時に発生し、通常はその神性から社会習慣を免除される支配者家族に限定されます。全キョウダイおよび半キョウダイ(両親のどちらか一方のみを共有するキョウダイ)間の結婚は、複雑な首長制および初期国家で最も一般的に見られます。研究者たちは一般的に、より発展した官僚制度の欠如における、豪壮な記念碑的建築や公的儀式などの方策とともに、近親婚を階層強化および権力正当化の手段とみなしてきました。本論文は、比較可能な一連の社会的動態が中期新石器時代までにアイルランドで運用されており、ニューグレンジと類似した夏至もしくは冬至に沿った羨道墳がウェールズやオークニー諸島やブルターニュで建造されていたことを考えると、この社会的動態はアイルランド外でも同様に起きていたかもしれない、と提案します。とくに親族関係の水準は、本論文の古代ゲノムのより広範なデータセット全体で、一貫して低く、経時的に減少します。検出された近親交配の他の1事例は、スウェーデンの巨石で発見された2親等もしくは3親等の親族間の子供です。
ブルーナボーニャ羨道墳は中世の神話で現れ、神話の部族による太陽周期の魔法操作の解釈と関連しており、数千年にわたる口承伝統の持続性に関する未解決の推測につながってきました。そのような長期の持続はなさそうですが、本論文の結果は、紀元後11世紀に最初に記録された、建築者の王が妹との性交により日々の太陽周期を再開する、という神話と強く共鳴します。ファータエ・チャイル(Fertae Chuile)というニューグレンジに隣接するドウス(Dowth)羨道墳のアイルランド中央部の地名は、この伝承に基づいており、「罪の丘」もしくは「近親相姦の丘」と訳されます。
羨道墳の第二の中心はニューグレンジの西方150kmの、大西洋沿岸近くに位置します。この中心はスライゴ(Sligo)州のキャロウモア(Carrowmore)遺跡とキャロウキール(Carrowkeel)遺跡の巨大墓地で構成され、ニューグレンジの羨道墳に数世紀先行します。キャロウキールでの堆積は少なくとも新石器時代末まで続きました。一塩基多型とハプロタイプに基づく分析では、これらの遺跡群とニューグレンジ遺跡および北東部沿岸の非定形的なミリンベイ(Millin Bay)遺跡の巨石をつなぐ、関連性の網が明かされました。それは以前には、手工芸品と形態的特徴に基づき、より広範な羨道墳伝統の一部として認識されてきました。
まず、lcMLkinにより、キャロウモアで埋葬された、データセットの最初の羨道墳ゲノムで、NG10と遠い親族関係が検出され、これはキャロウキールとミリンベイの後の個体群でも同様でした。NG10とキャロウキールの他の個体との間でも、類似の親族関係(6親等以上)が見られ、いくつかの家族関係が示されます。次に、主要な早期農耕民系統の大西洋沿岸のゲノム分析で、ニューグレンジとキャロウキールとミリンベイの標本群は、より大きなブリテン島およびアイルランドの分類と分岐する異なるクラスタを形成します。古代ゲノムのより大きなデータセットにより、このクラスタの堅牢性が確認されました。本論文のChromoPainter分析でも、過剰な相互ハプロタイプが、とくにニューグレンジ遺跡のNG10個体とキャロウキール遺跡のCAK532との間で特定され、その親族関係が確認されます。より遠い親族関係の証拠が、キャロウモア遺跡のcar004個体の推定される親族間で見つかり、相互に長いハプロタイプを共有しています。これは最近の共有された系統の痕跡で、キャロウキール遺跡のCAK530個体と同遺跡のCAK533個体およびニューグレンジ遺跡のNG10個体とのつながりが示されます。
car004個体の以前のゲノム配列は低網羅率(0.04倍)なので、本論文のChromoPainter分析では除外されました。しかしD統計では、car004個体が、より大きなブリテン島およびアイルランドのクラスタの標本群の大半と年代的に近いにも関わらず、羨道墳クラスタと優先的にクレード(単系統群)を形成する、と示します。これは、上述の親族関係によってのみ駆動されます。より大きなデータセットのダウンサンプリング(標本数を減らして再度標本抽出すること)検定では、car004個体のD統計結果がひじょうに有意だと示されます。
まとめると、本論文のデータセット内のハプロタイプ構造の分析は、羨道墳標本群間の過剰な同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD。かつて共通祖先を有していた2個体のDNAの一部が同一であることを示し、IBD領域の長さは2個体が共通祖先を有していた期間に依存し、たとえばキョウダイよりもハトコの方が短くなります)に起因し、それはアイルランド島の広範な領域での非ランダムな配偶を示唆する、との解釈が支持されます。NG10の血統により予測されるように、高度な社会的複雑さにはこれが要求されます。しかし、本論文における非羨道墳被葬者のゲノムは、大半がより早い年代で、精細な構造クラスタ化への時間的浮動の寄与を評価するには、後期新石器時代の多様な遺跡からのより高密度な標本抽出が必要です。安定同位体値も、羨道墳被葬者を他のアイルランドおよびブリテン島の新石器時代標本群とは区別します。羨道墳遺骸における高い窒素15値と低い炭素13値は、特権に関連づけられる肉および動物由来の食品で最もよく説明できますが、これがこの期間のより広範な食性変化とどのように関連しているのか、まだ不明です。
単純な宮廷墓および支石墓には、羨道墳の手工芸品や権威を示す副葬品が欠けており、おそらくはより小規模で血統に基づく社会の現れです。これらの建物は通常、例外もあるとはいえ羨道墳の墓地内では見られず、遺跡間の親族関係の事例として報告された、キャロウモアの近くで建設された宮廷墓を含みます。プルナブロン遺跡の支石墓とパークナビニア遺跡の宮廷墓という、異なるものの10kmほど離れた別の組み合わせの間の、両方の遠い親族関係証拠と社会的構造の証拠が見つかりました。その標本群は、Y染色体ハプログループ(YHg)の頻度における有意な違いが、食性の違いと同様に示されます。どちらの墓にも親族関係が欠如していることを考えると、単独所有者としての小さな家族集団は除外され、父系に重点を置いたより広範な社会的分化の結果として解釈されます。アイルランド南東部リンカーズタウン遺跡の男性被葬者間で稀なYHg-H2aが二重に出現することは、これらの社会における父系の重要性のさらなる証拠を提供し、それはアイルランドとブリテン島の新石器時代集団において単一のYHg-I2a1b1a1a(M284)が支配的であることでも示されます。
ブリテン島およびアイルランドへの農耕拡大は、地中海で発展した既存の海上のつながりにより進展した、と以前には仮定されていました。しかし、本論文の結果は、アイリッシュ海が新石器時代前には遺伝子流動への大きな障壁だったことを示唆します。アイルランドの狩猟採集民のゲノムデータは、北西部のリムリック(Limerick)州のキルラ洞窟(Killuragh Cave)で発見された紀元前4700年頃の個体と、西部のゴールウェイ(Galway)州のスラモア洞窟(Sramore Cave)で発見された紀元前4100年頃の個体から得られました。アイルランドの狩猟採集民は、ヨーロッパ北西部の中石器時代狩猟採集民のより広範な分類内で異なるクラスタを形成し、500年以上の分離にも関わらず、相互に過剰な水準の浮動を共有します。対照的に、ブリテン島の狩猟採集民はヨーロッパ大陸部どの同時代の狩猟採集民との違いを示しません(関連記事)。これは、中石器時代のほとんどの期間において、ブリテン島とヨーロッパ大陸部との間のドッガーランド(Doggerland)陸橋を想定する古地理モデルと一致しますが、完新世の前にアイルラン島は分離していました。
またアイルランドの狩猟採集民は、報告されている古代人もしくは現代人と比較して、ホモ接合性の短い連続の最大程度を示し、これはアイルランド島の長い孤立期間を支持する祖先の収縮の痕跡です。これにより、ヨーロッパ大陸部とブリテン島の狩猟採集民には、アイルランド島との頻繁な接触維持を要求される技術もしくは刺激が欠如しており、中石器時代におけるアイルランド島の比較的遅い海上植民(8000年前頃)とその後の石器群の急激な分岐を反映している、と示唆されます。それにも関わらず、アイルランドの狩猟採集民は近い世代での近親交配の痕跡を示さず、3000~10000人のみと推定される人口にも関わらず、島内だけで異系交配ネットワークを維持できていたようです。一部の考古学者の見解とは異なり、アイルランドの人々がブリテン島やヨーロッパ大陸部に渡って配偶者を得てアイルランドに戻ることはなかったか少なかった、というわけです。したがって、中石器時代集団が新石器時代農耕生活様式をアイルランドに導入した、という一部の考古学者の見解を支持する証拠はありません。
究極的には、アイルランドの狩猟採集民の起源はイタリア半島の上部旧石器時代の個体群と関連する集団にあり、イベリア半島で存続したより早期の西部系統、つまりベルギーのゴイエット(Goyet)遺跡で発見された 19000年前頃の個体(Goyet Q-2)からの遺伝的寄与の証拠は示されません(関連記事)。しかし、アイルランドとブリテン島の狩猟採集民と比較して、ルクセンブルクの中石器時代狩猟採集民においてゴイエットQ2系統の有意な過剰が検出され、イベリア半島外のこの系統の存続が示されます。イベリア半島外のゴイエットQ2系統は、フランスの新石器時代個体群でも確認されています(関連記事)。
また、アイルランド狩猟採集民の遺伝的影響が新石器時代アイルランド集団にも残されているのか調べられ、直接的な痕跡が見つかりました。在来狩猟採集民集団に対するヨーロッパ農耕民間の高いハプロタイプ類似性のより広範なパターン内で、パークナビニア遺跡の宮廷墓個体(PB675)が、不均衡、具体的にはアイルランド狩猟採集民系統を示す外れ値である、と明らかになりました。PB675における、ゲノム全体の狩猟採集民系統の高い分散と、長いアイルランド狩猟採集民ハプロタイプの過剰は、4世代以内と推定される最近の遺伝子移入を支持します。
この知見は、スコットランドの新石器時代集団への在来の狩猟採集民からの遺伝子流動の証拠と組み合わされ、ブリテン島とアイルランドにおける侵入してくる農耕民と在来集団との間で繰り返される相互作用を示唆します。とくに、PB675個体の4親等程度の親族が同じ墓に埋葬されたことは、この遺伝的外れ値個体が共同体内に統合されたことを示唆します。巨石被葬者に選ばれた個体群の多様性の代替的事例は、プルナブロン遺跡の男児個体(PN07)で見られ、母乳育児の食性痕跡を示します。PN07は明確な21番染色体トリソミーを有しており、紀元後5~6世紀の個体で見つかっていたダウン症候群の事例より大きくさかのぼり、最古の事例となります。
全体的に、本論文の結果は、集団移動だけではなく、記録が存在しない政治体制や社会的価値にも光を当てる、古代ゲノムの能力を示します。これはとくに、帰属およびハプロタイプ分析の使用時に当てはまり、古代の集団構造の解決において、一塩基多型に基づく一般的な手法よりも優れていることを確認します。近親交配と親族の推定とともに、これらの手法は、小さな首長制から文明までの農耕社会の発展を研究できる範囲を広げます。具体的には、本論文の知見は、大西洋沿岸の巨石文化における社会的階層化と政治的統合の再評価を支持し、アイルランドの羨道墳を建てる社会は、初期国家とその先駆者内で見られるいくつかの属性を有している、と示唆します。
以上、本論文についてざっと見てきました。本論文は最近では珍しく、紀元前をBCE(Before Common Era)ではなくBC(Before Christ)、紀元後をCE(Common Era)ではなくAD(Anno Domini)と表記しています。おそらく著者たちの意図とは違うでしょうが、私はこの使用を強く支持します(関連記事)。BCEやCEと言い換えたところで、しょせんキリスト教起源であることは否定できず、むしろ、「Common」と言い換えること自体がたいへん傲慢であるように思えるからです。
本論文は、ゲノムと安定同位体の分析から新石器時代の社会構造を推測しており、たいへん興味深い結果です。ただ、上記報道では、ブルーナボーニャ遺跡の巨大な羨道墳から、初期国家社会およびその先駆者に見られる属性を認めることには疑問も呈されている、と指摘されています。また本論文では、新石器時代のアイルランドとブリテン島やイベリア半島との間の遺伝的類似性が強調され、アイルランド初期農耕民がイベリア半島から渡海してきた、と示唆する内容になっていますが、その考古学的証拠はない、と上記報道では指摘されています。その代わりに、考古学ではフランス北部起源でブリテン島を経由してアイルランドに初期農耕民が到来した、と想定されており、フランスの中石器時代と新石器時代に関する最近の研究(関連記事)でも支持されています。しかし、多くはまだ解明されておらず、アイルランド最初の農耕民の起源に関しては、フランスの新石器時代個体群の分析がさらに必要になる、と上記報道は指摘します。
本論文で注目されるのは、支配層に属すると思われる男性の両親が1親等と推定されることです。人類史における近親交配については以前まとめました(関連記事)。本論文が指摘するように、こうした近親交配は人類社会において普遍的に禁忌とされているものの、エジプトやハワイやインカなど広範な地域の一部の支配層でよく見られます。近親交配の忌避は、人類社会において普遍的に見られ、それは他の哺乳類種でも広く確認されることから、古い進化的基盤があると考えられます。近親交配回避の具体的な仕組みは、現代人も含む多くの霊長類系統においては育児や共に育った経験です(関連記事)。したがって、人類系統においては、チンパンジー属系統や、さらにさかのぼってオナガザル科系統との分岐前から現代までずっと、この近親交配回避の生得的な認知的仕組みが備わっていたことは、まず間違いないでしょう。
つまり、人類の「原始社会」は親子きょうだいの区別なく乱婚状態だった、と想定する通俗的な唯物史観的見解は的外れで、現代ではとても通用しない、というわけです。現代人と他の霊長類種とで共通する近親交配の回避は、人類系統において独自に起きた生得的な認知的仕組みの収斂進化ではなく、近親交配の弊害に気づいた文化的(後天的)禁忌のみで説明できる可能性も、無視してまったく問題ないと思います。人類社会に見られる近親交配の禁忌は、ひじょうに古い進化的基盤に由来し、人類史をずっと制約してきたのでしょう。
しかし、本論文でも示されたアイルランドのニューグレンジ遺跡の男性のように、人類史における近親交配の証拠は文献記録でも遺伝学でも提示されています。これはどう説明されるべきかというと、そもそも近親交配を回避する生得的な認知的仕組み自体が、さほど強力ではないからでしょう。じっさい、現代人と最近縁な現生系統であるチンパンジー属やゴリラ属でも、親子間の近親交配はしばしば見られます(関連記事)。人口密度と社会的流動性の低い社会では、近親交配を回避しない配偶行動の方が、適応度を高めると考えられます。おそらく、両親だけではなく近い世代での近親交配が推測されているアルタイ地域のネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)が、その具体的事例となるでしょう(関連記事)。
近親交配を推進する要因としてもう一つ考えられるのは、本論文でも示されている、支配層の特権性です。支配層では、人口密度などの点では近親交配の必要性がありません。もっとも、こうした近親交配は社会的階層の上下に関わらず、何らかの要因で閉鎖性を志向するもしくは強制される集団で起き得る、と考えるのがより妥当だと思われます。支配層の事例は分かりやすく、神性・権威性を認められ、「劣った」人々の「血」を入れたくない、といった観念に基づくものでもあるでしょう。より即物的な側面で言えば、財産(穀類など食糧や武器・神器・美術品など)の分散を避ける、という意味もあったと思います。財産の分散は、一子(しばしば長男もしくは嫡男)相続制の採用でも避けられますが、複数の子供がいる場合、できるだけ多くの子供を優遇したいと思うのが人情です。こうした「えこひいき(ネポチズム)」も、人類の生得的な認知的仕組みで、他の霊長類と共通する古い進化的基盤に由来します(関連記事)。
生得的な認知的仕組みが相反するような状況で、その利害得失を判断した結果、支配層で近親交配が制度に組み込まれたのではないか、というわけです。近親交配の制度的採用という点では、財産の継承も重要になってくると思います。その意味で、新石器時代以降、とくに保存性の高い穀類を基盤とする社会の支配層において、とくに近親交配の頻度が高くなるのではないか、と予想されます。もっとも、農耕社会における食糧の貯蔵の先駆的事例はすでに更新世に存在し、上部旧石器時代となるヨーロッパのグラヴェティアン(Gravettian)が画期になった、との見解もあるので(関連記事)、更新世の時点で、財産の継承を目的とした近親交配もある程度起きていたのかもしれません。
もちろん、近親交配回避の認知的仕組みは比較的弱いので、支配層における制度的な近親交配だけではなく、社会背景にほとんど起因しないような個別の近親交配も、人類史において低頻度で発生し続けた、と思われます。近親交配の忌避は、ある程度以上の規模と社会的流動性(他集団との接触機会)を維持できている社会においては、適応度を上げる仕組みとして選択され続けるでしょう。しかし、人口密度や社会的流動性が低い社会では、時として近親交配が短期的には適応度を上げることもあり、これが、人類も含めて霊長類社会において近親交配回避の生得的な認知的仕組みが比較的緩やかなままだった要因なのでしょう。現生人類(Homo sapiens)においては、安定的な財産の継承ができるごく一部の特権的な社会階層で、「えこひいき(ネポチズム)」という生得的な認知的仕組みに基づき、近親交配が選択されることもあり得ます。その意味で、人類社会において近親交配は、今後も広く禁忌とされつつ、維持されていく可能性が高そうです。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
古代DNA:新石器時代の墳墓建造社会における王家支配層
Cover Story:家族の絆:新石器時代のアイルランドの王家支配層の近親交配
表紙は、冬至の後にアイルランド・ミース州にあるニューグレンジ羨道墳に差し込む太陽光である。今回D Bradleyたちは、この遺跡や他の巨石遺跡から得られた遺骸のゲノムを調べた結果を報告している。この結果は、5000年以上前のアイルランドの社会組織に新たな光を当てている。著者たちは、44人の全ゲノムを採取して、ニューグレンジ羨道墳の地位の高い成人男性の遺骸が、親子か兄弟姉妹間の近親交配の所産であることを発見した。さらに、他の2か所の主要な遺跡ではこの男性の遠い親類も見つかった。羨道墳で得られたゲノムと他のゲノムの間には食餌と遺伝子に大きな差異が見られた。これは、この男性たちがおそらく支配階級に属しており、その指導者は王家内で近親交配を行うことで他の住民との違いを維持していたことを示している。
参考文献:
Cassidy LM. et al.(2020): A dynastic elite in monumental Neolithic society. Nature, 582, 7812, 384–388.
https://doi.org/10.1038/s41586-020-2378-6
Sheridan A.(2020): Incest uncovered at the elite prehistoric Newgrange monument in Ireland. Nature, 582, 7812, 347–349.
https://doi.org/10.1038/d41586-020-01655-4
これらの問題を調査するため、本論文はアイルランドの中石器時代2人と新石器時代42人のゲノムデータを提示します(平均網羅率は1.14倍)。この44人のうち43人を関連する古代ゲノムに帰属させ、これには追加の20人のブリテン島とアイルランドの個体が含まれます。本論文は次に、これらの個体群を既知の古代遺伝子型のデータセットと組み合わせ、集団構造の精細なハプロタイプおよび近親交配の推定を可能にしました。その後、主要な4人がより高い網羅率(13~20倍)で配列されました。
本論文は、紀元前4000年頃に始まるアイルランドにおける新石器時代の主要な葬祭伝統から遺骸を標本抽出しました。それは、宮廷墓(分割された玄室と前庭がある建造物)と支石墓(巨大な岩石と高い入口のある1部屋の建造物)と羨道墳とリンカーズタウン(Linkardstown)型埋葬と自然遺跡です。このデータセット内で、アイルランド最初の新石器時代人類遺骸はプルナブロン(Poulnabrone)の支石墓に埋葬されており、おもに「早期農耕民」系統で構成され、近親交配の証拠は見られません。これは、農耕がその当初から大規模な海上植民を伴っていた、と示唆します。ADMIXTUREおよびChromoPainter分析は、アイルランドとブリテン島の新石器時代集団を区別しません。両分析はまた、スペインの前期新石器時代標本群が、アイルランドの早期農耕民の最良の代理起源である、という以前の報告を確認し、それは祖先の拡大において大西洋と地中海の海路の重要性を強調します。ヨーロッパ大陸部やブリテン島と同様に、アイルランドでも農耕をもたらしたのは外来農耕民集団(その起源はアナトリア半島)だった、というわけです。
全体的に、新石器時代アイルランドでは近親交配の増加は経時的には見られず、それは共同体が充分な規模と、5親等もしくはそれより近い親族間の配偶を避ける意思伝達を維持していた、と示唆します。しかし本論文は、ブルーナボーニャ(Brú na Bóinne)遺跡群のニューグレンジ羨道墳における、単一の極端な外れ値を報告します。20万トンを超えるつとと石を組み合わせたこの巨石墳墓は、ヨーロッパの類似した既知の墳墓の中で、最も壮観なものの一つです。外面的には公共消費用に設計されていますが、墓地の内部単一の狭い通路で構成され、特別な儀式的目的を有しており、冬至には選ばれた数人のみが太陽を見られました。この支配層は、太陽の動きを「制御」することにより、神の力を有していると主張した、と推測されています。火葬されず、関節の外れた人類の骨が、最奥の十字形玄室最も精巧に装飾された奥まった場所内で集中して見つかり、成人男性の頭蓋(NG10)を含みます。NG10はホモ接合性の複数の長い領域を有しており、それぞれが個々の染色体の大規模な断片を構成し、合計でゲノムの1/4になります(近交係数=0.25)。この結果は、NG10が1親等(英語では親子だけではなくキョウダイ関係も含みます)の近親相姦による子だと示します。近親相姦は、生物学的および文化的理由が絡んでいるため、ほぼ普遍的な禁忌です。しかし、埋葬の性質を考えると、この男性が社会的に認められた可能性はひじょうに高そうです。
シミュレーションでは、この男性の両親が全キョウダイ(両親が同じキョウダイ)なのか親子関係なのか区別できませんが、そうした配偶の唯一の既知の容認は、「王室」または「王朝」近親相姦として知られる稀に観察される現象として、とくに一夫多妻のエリート内で起きます。たとえばヨーロッパ勢力との接触前のハワイやインカ帝国や古代エジプトなど、これらの記録された事例では、近親婚は政治指導者の神格化と同時に発生し、通常はその神性から社会習慣を免除される支配者家族に限定されます。全キョウダイおよび半キョウダイ(両親のどちらか一方のみを共有するキョウダイ)間の結婚は、複雑な首長制および初期国家で最も一般的に見られます。研究者たちは一般的に、より発展した官僚制度の欠如における、豪壮な記念碑的建築や公的儀式などの方策とともに、近親婚を階層強化および権力正当化の手段とみなしてきました。本論文は、比較可能な一連の社会的動態が中期新石器時代までにアイルランドで運用されており、ニューグレンジと類似した夏至もしくは冬至に沿った羨道墳がウェールズやオークニー諸島やブルターニュで建造されていたことを考えると、この社会的動態はアイルランド外でも同様に起きていたかもしれない、と提案します。とくに親族関係の水準は、本論文の古代ゲノムのより広範なデータセット全体で、一貫して低く、経時的に減少します。検出された近親交配の他の1事例は、スウェーデンの巨石で発見された2親等もしくは3親等の親族間の子供です。
ブルーナボーニャ羨道墳は中世の神話で現れ、神話の部族による太陽周期の魔法操作の解釈と関連しており、数千年にわたる口承伝統の持続性に関する未解決の推測につながってきました。そのような長期の持続はなさそうですが、本論文の結果は、紀元後11世紀に最初に記録された、建築者の王が妹との性交により日々の太陽周期を再開する、という神話と強く共鳴します。ファータエ・チャイル(Fertae Chuile)というニューグレンジに隣接するドウス(Dowth)羨道墳のアイルランド中央部の地名は、この伝承に基づいており、「罪の丘」もしくは「近親相姦の丘」と訳されます。
羨道墳の第二の中心はニューグレンジの西方150kmの、大西洋沿岸近くに位置します。この中心はスライゴ(Sligo)州のキャロウモア(Carrowmore)遺跡とキャロウキール(Carrowkeel)遺跡の巨大墓地で構成され、ニューグレンジの羨道墳に数世紀先行します。キャロウキールでの堆積は少なくとも新石器時代末まで続きました。一塩基多型とハプロタイプに基づく分析では、これらの遺跡群とニューグレンジ遺跡および北東部沿岸の非定形的なミリンベイ(Millin Bay)遺跡の巨石をつなぐ、関連性の網が明かされました。それは以前には、手工芸品と形態的特徴に基づき、より広範な羨道墳伝統の一部として認識されてきました。
まず、lcMLkinにより、キャロウモアで埋葬された、データセットの最初の羨道墳ゲノムで、NG10と遠い親族関係が検出され、これはキャロウキールとミリンベイの後の個体群でも同様でした。NG10とキャロウキールの他の個体との間でも、類似の親族関係(6親等以上)が見られ、いくつかの家族関係が示されます。次に、主要な早期農耕民系統の大西洋沿岸のゲノム分析で、ニューグレンジとキャロウキールとミリンベイの標本群は、より大きなブリテン島およびアイルランドの分類と分岐する異なるクラスタを形成します。古代ゲノムのより大きなデータセットにより、このクラスタの堅牢性が確認されました。本論文のChromoPainter分析でも、過剰な相互ハプロタイプが、とくにニューグレンジ遺跡のNG10個体とキャロウキール遺跡のCAK532との間で特定され、その親族関係が確認されます。より遠い親族関係の証拠が、キャロウモア遺跡のcar004個体の推定される親族間で見つかり、相互に長いハプロタイプを共有しています。これは最近の共有された系統の痕跡で、キャロウキール遺跡のCAK530個体と同遺跡のCAK533個体およびニューグレンジ遺跡のNG10個体とのつながりが示されます。
car004個体の以前のゲノム配列は低網羅率(0.04倍)なので、本論文のChromoPainter分析では除外されました。しかしD統計では、car004個体が、より大きなブリテン島およびアイルランドのクラスタの標本群の大半と年代的に近いにも関わらず、羨道墳クラスタと優先的にクレード(単系統群)を形成する、と示します。これは、上述の親族関係によってのみ駆動されます。より大きなデータセットのダウンサンプリング(標本数を減らして再度標本抽出すること)検定では、car004個体のD統計結果がひじょうに有意だと示されます。
まとめると、本論文のデータセット内のハプロタイプ構造の分析は、羨道墳標本群間の過剰な同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD。かつて共通祖先を有していた2個体のDNAの一部が同一であることを示し、IBD領域の長さは2個体が共通祖先を有していた期間に依存し、たとえばキョウダイよりもハトコの方が短くなります)に起因し、それはアイルランド島の広範な領域での非ランダムな配偶を示唆する、との解釈が支持されます。NG10の血統により予測されるように、高度な社会的複雑さにはこれが要求されます。しかし、本論文における非羨道墳被葬者のゲノムは、大半がより早い年代で、精細な構造クラスタ化への時間的浮動の寄与を評価するには、後期新石器時代の多様な遺跡からのより高密度な標本抽出が必要です。安定同位体値も、羨道墳被葬者を他のアイルランドおよびブリテン島の新石器時代標本群とは区別します。羨道墳遺骸における高い窒素15値と低い炭素13値は、特権に関連づけられる肉および動物由来の食品で最もよく説明できますが、これがこの期間のより広範な食性変化とどのように関連しているのか、まだ不明です。
単純な宮廷墓および支石墓には、羨道墳の手工芸品や権威を示す副葬品が欠けており、おそらくはより小規模で血統に基づく社会の現れです。これらの建物は通常、例外もあるとはいえ羨道墳の墓地内では見られず、遺跡間の親族関係の事例として報告された、キャロウモアの近くで建設された宮廷墓を含みます。プルナブロン遺跡の支石墓とパークナビニア遺跡の宮廷墓という、異なるものの10kmほど離れた別の組み合わせの間の、両方の遠い親族関係証拠と社会的構造の証拠が見つかりました。その標本群は、Y染色体ハプログループ(YHg)の頻度における有意な違いが、食性の違いと同様に示されます。どちらの墓にも親族関係が欠如していることを考えると、単独所有者としての小さな家族集団は除外され、父系に重点を置いたより広範な社会的分化の結果として解釈されます。アイルランド南東部リンカーズタウン遺跡の男性被葬者間で稀なYHg-H2aが二重に出現することは、これらの社会における父系の重要性のさらなる証拠を提供し、それはアイルランドとブリテン島の新石器時代集団において単一のYHg-I2a1b1a1a(M284)が支配的であることでも示されます。
ブリテン島およびアイルランドへの農耕拡大は、地中海で発展した既存の海上のつながりにより進展した、と以前には仮定されていました。しかし、本論文の結果は、アイリッシュ海が新石器時代前には遺伝子流動への大きな障壁だったことを示唆します。アイルランドの狩猟採集民のゲノムデータは、北西部のリムリック(Limerick)州のキルラ洞窟(Killuragh Cave)で発見された紀元前4700年頃の個体と、西部のゴールウェイ(Galway)州のスラモア洞窟(Sramore Cave)で発見された紀元前4100年頃の個体から得られました。アイルランドの狩猟採集民は、ヨーロッパ北西部の中石器時代狩猟採集民のより広範な分類内で異なるクラスタを形成し、500年以上の分離にも関わらず、相互に過剰な水準の浮動を共有します。対照的に、ブリテン島の狩猟採集民はヨーロッパ大陸部どの同時代の狩猟採集民との違いを示しません(関連記事)。これは、中石器時代のほとんどの期間において、ブリテン島とヨーロッパ大陸部との間のドッガーランド(Doggerland)陸橋を想定する古地理モデルと一致しますが、完新世の前にアイルラン島は分離していました。
またアイルランドの狩猟採集民は、報告されている古代人もしくは現代人と比較して、ホモ接合性の短い連続の最大程度を示し、これはアイルランド島の長い孤立期間を支持する祖先の収縮の痕跡です。これにより、ヨーロッパ大陸部とブリテン島の狩猟採集民には、アイルランド島との頻繁な接触維持を要求される技術もしくは刺激が欠如しており、中石器時代におけるアイルランド島の比較的遅い海上植民(8000年前頃)とその後の石器群の急激な分岐を反映している、と示唆されます。それにも関わらず、アイルランドの狩猟採集民は近い世代での近親交配の痕跡を示さず、3000~10000人のみと推定される人口にも関わらず、島内だけで異系交配ネットワークを維持できていたようです。一部の考古学者の見解とは異なり、アイルランドの人々がブリテン島やヨーロッパ大陸部に渡って配偶者を得てアイルランドに戻ることはなかったか少なかった、というわけです。したがって、中石器時代集団が新石器時代農耕生活様式をアイルランドに導入した、という一部の考古学者の見解を支持する証拠はありません。
究極的には、アイルランドの狩猟採集民の起源はイタリア半島の上部旧石器時代の個体群と関連する集団にあり、イベリア半島で存続したより早期の西部系統、つまりベルギーのゴイエット(Goyet)遺跡で発見された 19000年前頃の個体(Goyet Q-2)からの遺伝的寄与の証拠は示されません(関連記事)。しかし、アイルランドとブリテン島の狩猟採集民と比較して、ルクセンブルクの中石器時代狩猟採集民においてゴイエットQ2系統の有意な過剰が検出され、イベリア半島外のこの系統の存続が示されます。イベリア半島外のゴイエットQ2系統は、フランスの新石器時代個体群でも確認されています(関連記事)。
また、アイルランド狩猟採集民の遺伝的影響が新石器時代アイルランド集団にも残されているのか調べられ、直接的な痕跡が見つかりました。在来狩猟採集民集団に対するヨーロッパ農耕民間の高いハプロタイプ類似性のより広範なパターン内で、パークナビニア遺跡の宮廷墓個体(PB675)が、不均衡、具体的にはアイルランド狩猟採集民系統を示す外れ値である、と明らかになりました。PB675における、ゲノム全体の狩猟採集民系統の高い分散と、長いアイルランド狩猟採集民ハプロタイプの過剰は、4世代以内と推定される最近の遺伝子移入を支持します。
この知見は、スコットランドの新石器時代集団への在来の狩猟採集民からの遺伝子流動の証拠と組み合わされ、ブリテン島とアイルランドにおける侵入してくる農耕民と在来集団との間で繰り返される相互作用を示唆します。とくに、PB675個体の4親等程度の親族が同じ墓に埋葬されたことは、この遺伝的外れ値個体が共同体内に統合されたことを示唆します。巨石被葬者に選ばれた個体群の多様性の代替的事例は、プルナブロン遺跡の男児個体(PN07)で見られ、母乳育児の食性痕跡を示します。PN07は明確な21番染色体トリソミーを有しており、紀元後5~6世紀の個体で見つかっていたダウン症候群の事例より大きくさかのぼり、最古の事例となります。
全体的に、本論文の結果は、集団移動だけではなく、記録が存在しない政治体制や社会的価値にも光を当てる、古代ゲノムの能力を示します。これはとくに、帰属およびハプロタイプ分析の使用時に当てはまり、古代の集団構造の解決において、一塩基多型に基づく一般的な手法よりも優れていることを確認します。近親交配と親族の推定とともに、これらの手法は、小さな首長制から文明までの農耕社会の発展を研究できる範囲を広げます。具体的には、本論文の知見は、大西洋沿岸の巨石文化における社会的階層化と政治的統合の再評価を支持し、アイルランドの羨道墳を建てる社会は、初期国家とその先駆者内で見られるいくつかの属性を有している、と示唆します。
以上、本論文についてざっと見てきました。本論文は最近では珍しく、紀元前をBCE(Before Common Era)ではなくBC(Before Christ)、紀元後をCE(Common Era)ではなくAD(Anno Domini)と表記しています。おそらく著者たちの意図とは違うでしょうが、私はこの使用を強く支持します(関連記事)。BCEやCEと言い換えたところで、しょせんキリスト教起源であることは否定できず、むしろ、「Common」と言い換えること自体がたいへん傲慢であるように思えるからです。
本論文は、ゲノムと安定同位体の分析から新石器時代の社会構造を推測しており、たいへん興味深い結果です。ただ、上記報道では、ブルーナボーニャ遺跡の巨大な羨道墳から、初期国家社会およびその先駆者に見られる属性を認めることには疑問も呈されている、と指摘されています。また本論文では、新石器時代のアイルランドとブリテン島やイベリア半島との間の遺伝的類似性が強調され、アイルランド初期農耕民がイベリア半島から渡海してきた、と示唆する内容になっていますが、その考古学的証拠はない、と上記報道では指摘されています。その代わりに、考古学ではフランス北部起源でブリテン島を経由してアイルランドに初期農耕民が到来した、と想定されており、フランスの中石器時代と新石器時代に関する最近の研究(関連記事)でも支持されています。しかし、多くはまだ解明されておらず、アイルランド最初の農耕民の起源に関しては、フランスの新石器時代個体群の分析がさらに必要になる、と上記報道は指摘します。
本論文で注目されるのは、支配層に属すると思われる男性の両親が1親等と推定されることです。人類史における近親交配については以前まとめました(関連記事)。本論文が指摘するように、こうした近親交配は人類社会において普遍的に禁忌とされているものの、エジプトやハワイやインカなど広範な地域の一部の支配層でよく見られます。近親交配の忌避は、人類社会において普遍的に見られ、それは他の哺乳類種でも広く確認されることから、古い進化的基盤があると考えられます。近親交配回避の具体的な仕組みは、現代人も含む多くの霊長類系統においては育児や共に育った経験です(関連記事)。したがって、人類系統においては、チンパンジー属系統や、さらにさかのぼってオナガザル科系統との分岐前から現代までずっと、この近親交配回避の生得的な認知的仕組みが備わっていたことは、まず間違いないでしょう。
つまり、人類の「原始社会」は親子きょうだいの区別なく乱婚状態だった、と想定する通俗的な唯物史観的見解は的外れで、現代ではとても通用しない、というわけです。現代人と他の霊長類種とで共通する近親交配の回避は、人類系統において独自に起きた生得的な認知的仕組みの収斂進化ではなく、近親交配の弊害に気づいた文化的(後天的)禁忌のみで説明できる可能性も、無視してまったく問題ないと思います。人類社会に見られる近親交配の禁忌は、ひじょうに古い進化的基盤に由来し、人類史をずっと制約してきたのでしょう。
しかし、本論文でも示されたアイルランドのニューグレンジ遺跡の男性のように、人類史における近親交配の証拠は文献記録でも遺伝学でも提示されています。これはどう説明されるべきかというと、そもそも近親交配を回避する生得的な認知的仕組み自体が、さほど強力ではないからでしょう。じっさい、現代人と最近縁な現生系統であるチンパンジー属やゴリラ属でも、親子間の近親交配はしばしば見られます(関連記事)。人口密度と社会的流動性の低い社会では、近親交配を回避しない配偶行動の方が、適応度を高めると考えられます。おそらく、両親だけではなく近い世代での近親交配が推測されているアルタイ地域のネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)が、その具体的事例となるでしょう(関連記事)。
近親交配を推進する要因としてもう一つ考えられるのは、本論文でも示されている、支配層の特権性です。支配層では、人口密度などの点では近親交配の必要性がありません。もっとも、こうした近親交配は社会的階層の上下に関わらず、何らかの要因で閉鎖性を志向するもしくは強制される集団で起き得る、と考えるのがより妥当だと思われます。支配層の事例は分かりやすく、神性・権威性を認められ、「劣った」人々の「血」を入れたくない、といった観念に基づくものでもあるでしょう。より即物的な側面で言えば、財産(穀類など食糧や武器・神器・美術品など)の分散を避ける、という意味もあったと思います。財産の分散は、一子(しばしば長男もしくは嫡男)相続制の採用でも避けられますが、複数の子供がいる場合、できるだけ多くの子供を優遇したいと思うのが人情です。こうした「えこひいき(ネポチズム)」も、人類の生得的な認知的仕組みで、他の霊長類と共通する古い進化的基盤に由来します(関連記事)。
生得的な認知的仕組みが相反するような状況で、その利害得失を判断した結果、支配層で近親交配が制度に組み込まれたのではないか、というわけです。近親交配の制度的採用という点では、財産の継承も重要になってくると思います。その意味で、新石器時代以降、とくに保存性の高い穀類を基盤とする社会の支配層において、とくに近親交配の頻度が高くなるのではないか、と予想されます。もっとも、農耕社会における食糧の貯蔵の先駆的事例はすでに更新世に存在し、上部旧石器時代となるヨーロッパのグラヴェティアン(Gravettian)が画期になった、との見解もあるので(関連記事)、更新世の時点で、財産の継承を目的とした近親交配もある程度起きていたのかもしれません。
もちろん、近親交配回避の認知的仕組みは比較的弱いので、支配層における制度的な近親交配だけではなく、社会背景にほとんど起因しないような個別の近親交配も、人類史において低頻度で発生し続けた、と思われます。近親交配の忌避は、ある程度以上の規模と社会的流動性(他集団との接触機会)を維持できている社会においては、適応度を上げる仕組みとして選択され続けるでしょう。しかし、人口密度や社会的流動性が低い社会では、時として近親交配が短期的には適応度を上げることもあり、これが、人類も含めて霊長類社会において近親交配回避の生得的な認知的仕組みが比較的緩やかなままだった要因なのでしょう。現生人類(Homo sapiens)においては、安定的な財産の継承ができるごく一部の特権的な社会階層で、「えこひいき(ネポチズム)」という生得的な認知的仕組みに基づき、近親交配が選択されることもあり得ます。その意味で、人類社会において近親交配は、今後も広く禁忌とされつつ、維持されていく可能性が高そうです。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
古代DNA:新石器時代の墳墓建造社会における王家支配層
Cover Story:家族の絆:新石器時代のアイルランドの王家支配層の近親交配
表紙は、冬至の後にアイルランド・ミース州にあるニューグレンジ羨道墳に差し込む太陽光である。今回D Bradleyたちは、この遺跡や他の巨石遺跡から得られた遺骸のゲノムを調べた結果を報告している。この結果は、5000年以上前のアイルランドの社会組織に新たな光を当てている。著者たちは、44人の全ゲノムを採取して、ニューグレンジ羨道墳の地位の高い成人男性の遺骸が、親子か兄弟姉妹間の近親交配の所産であることを発見した。さらに、他の2か所の主要な遺跡ではこの男性の遠い親類も見つかった。羨道墳で得られたゲノムと他のゲノムの間には食餌と遺伝子に大きな差異が見られた。これは、この男性たちがおそらく支配階級に属しており、その指導者は王家内で近親交配を行うことで他の住民との違いを維持していたことを示している。
参考文献:
Cassidy LM. et al.(2020): A dynastic elite in monumental Neolithic society. Nature, 582, 7812, 384–388.
https://doi.org/10.1038/s41586-020-2378-6
Sheridan A.(2020): Incest uncovered at the elite prehistoric Newgrange monument in Ireland. Nature, 582, 7812, 347–349.
https://doi.org/10.1038/d41586-020-01655-4
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