保阪正康『幻の終戦 もしミッドウェー海戦で戦争をやめていたら』

 中公文庫の一冊として、中央公論新社から2001年7月に刊行されました。本書の親本は、同じ題名で柏書房から1997年6月に刊行されました。本書は、ミッドウェー海戦後に太平洋戦争が終結していた可能性を探る、思考実験的な歴史書と言えるでしょうが、小説的な性格も多分にあるように思います。本書はまず第一部にて、ミッドウェー海戦へと至る経緯を、軍部の動向・思惑を中心に解説し、第二部で虚実を往来した「幻の終戦」を描いていきます。第一部での史実認識を前提として、その制約の下で、思考実験としての「幻の終戦」を模索する、という構成になっています。

 本書が「幻の終戦」の最重要人物として挙げているのが吉田茂です。吉田の能力・見識・気概こそ、困難な状況の打開に最も必要だった、というわけです。もちろん、吉田だけで状況を打開できるわけではなく、「同志」も必要になるわけで、宇垣一成や吉田の岳父ですでにほぼ隠居状態だった牧野伸顕なども挙げられていますが、とくに重要となるのが近衛文麿です。本書は、吉田が1942年6月のミッドウェー海戦後に終戦工作に本格的に乗り出し、1942年8月25日に第四次近衛内閣が成立する、という想定でいかに終戦工作が行なわれたのか、思考実験を続けます。

 本書の想定では、「第四次近衛内閣」は米英との講和交渉に乗り出し、1942年12月29日、正式に講和条約が締結される、という流れになります。本書の親本刊行後、当然のことながら、このような想定はあり得なかった、との批判があったようです。じっさい、近衛文麿が「覚醒」したところや、人物描写に勧善懲悪的なところが強いように見えるところなど、やはり本書の想定には無理があるように思います。何よりも、日本軍がミッドウェー海戦で大敗したとはいえ、まだ太平洋戦線で決定的に劣勢とはとても言えなかった状況で、日本側の事情だけを見ても、米英との講和が成立した可能性は限りなく皆無に近かったでしょう。

 また、米英側が対日講和に乗り出す経緯も、米英側の状況がかなり楽観的に想定されているように思います。本書は当時の軍部の情報軽視と楽観主義を批判しますが、米英側の想定に関しては、本書もまた楽観主義に陥っているように思います。本書は、吉田茂と米国駐日大使グルーとの深い信頼関係を、講和交渉開始の重要な前提としていますが、まだ太平洋戦線での圧倒的優位を確立しておらず、ヨーロッパ戦線でもドイツの劣勢が決定的ではないとはいえ、1942年後半の時点で米英側、とくに米国が日本との講和交渉に乗り出すことは、当時の米国世論からして限りなく可能性の低い想定でしょう。そもそも、日本側と米英側との対立の根本的要因とも言える中国問題にしても、本書が想定する、日本側の段階的な撤退や、満洲と日本との10年間の協力を米英は認める、との講和条件は、1942年段階ではかなり非現実的であるように思えます。日本が南方の占領地域から撤退した後、ヨーロッパの宗主国も撤退するという想定も、かなり無理があるでしょう。

 率直に言って、本書で展開された「幻の終戦」には、説得力がありませんでした。ただ、その前提としての史実解説や、思考実験としての「幻の終戦」での各人物のやり取りから見えてくる当時の状況など、日本近現代史に疎い私にとって参考になったところは少なくありませんでした。その意味で、本書を読んだのは無駄だった、とはまったく考えていません。また本書は、1942年時点で「幻の終戦」が実現した後の20世紀後半までの日本にも言及していますが、史実ほどの(世界に占める相対的地位という意味で)経済大国にはならなかった、との想定には基本的に賛同します。ただ本書は、「幻の終戦」後の日本が、時にひどい過ちを犯しつつも、比較的穏健な国家として成長していき、経済も国民生活もさほど悪くない、と想定していますが、私はもっと悪い状況を予想しています。

 仮に、ミッドウェー海戦後の「終戦」が実現するか、あるいは日本が日独伊三国同盟を締結しないなどして、そもそも太平洋戦争が起きないとすると、大日本帝国体制は基本的に維持されることになります。後者の場合、中国問題をどう解決するのか、ひじょうに難しいところです。仮に日本側の撤兵などで日中講和がいつかは成立するとしても、それまでに長い戦いが続く可能性は低くなく、日中ともに史実よりも被害が拡大したかもしれません。また、第二次世界大戦の結末が史実とはかなり異なっていたとしても、植民地独立の大きな流れはもはや止めようがないでしょうが、基本的に旧体制を維持した日本が台湾と朝鮮半島の独立(もしくは台湾に関しては中国への返還)を容易に認める可能性は低そうですから、植民地維持のためかなり疲弊してしまうかもしれません。その結果、20世紀後半の日本は、国民生活・経済力・自由度において、史実よりもかなり劣った水準になる可能性は低くないように思います。まあ、これも日本近現代史に疎い私の的外れな妄想かもしれませんが。

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