アジア東部の早期現生人類におけるデニソワ人の遺伝的痕跡(追記有)

 アジア東部の早期現生人類(Homo sapiens)における、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)の遺伝的痕跡に関する研究(Massilani et al., 2020)が公表されました。本論文は査読前なので、あるいは今後かなり修正されるかもしれませんが、ひじょうに興味深い内容なので取り上げます。現生人類はアジア東部に8万年前頃に存在していた可能性がありますが(関連記事)、最終的にどのようにアジア東部に定住したのか、ほとんど分かっていません。また、アジア東部における8万年前頃の現生人類の存在との見解には、疑問も呈されています(関連記事)。

 これまで、アジア東部における更新世人類の核ゲノムデータは、北京の南西56kmにある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の現生人類男性1個体でしか得られていませんでした。田园個体は遺伝的に、古代ヨーロッパ人よりも現代アジア東部人の方と密接に関連していましたが、他の古代ヨーロッパ人よりも、ベルギーのゴイエット(Goyet)遺跡で発見された35000年前頃の1個体(Goyet Q116-1)の方と、アレル(対立遺伝子)を多く共有していました(関連記事)。

 アジア東部がその北方で隣接するシベリアでは、2万年以上前の現生人類の核ゲノムデータが4個体分得られています。まず、45000年前頃となるシベリア西部のウスチイシム(Ust’-Ishim)近郊のイルティシ川(Irtysh River)の土手で発見された個体で、現代人への遺伝的寄与はなかった、と推測されています(関連記事)。次に、24000年前頃となるシベリア南部中央のマリタ(Mal’ta)遺跡の少年(Mal’ta 1)で、アジア東部人よりもヨーロッパ西部人の方と遺伝的に関連しており、現代アメリカ大陸先住民集団の系統に1/3ほどの遺伝的影響を残した、と推定されています(関連記事)。31600年前頃となる残りの2個体は、シベリア北東部のヤナRHS(Yana Rhinoceros Horn Site)で発見され、ユーラシア東西両方の早期現生人類との遺伝的類似性を示します(関連記事)。マリタ遺跡少年は「古代北ユーラシア人(ANE)」を表し、31600年前頃のヤナRHS個体に表される広範に拡散していた「古代シベリア北部集団(ANS)」の子孫と考えられます。

 2006年に、モンゴル北東部のサルキート渓谷(Salkhit Valley)で採掘作業中に人類の頭蓋冠が発見されました。その現生人類としては異常な形態から、以前には、この個体はネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)もしくはホモ・エレクトス(Homo erectus)に分類される、という可能性が示唆されました。最近、この頭蓋冠の年代は放射性炭素年代測定法により較正年代で34950~33900年前と推定され、そのミトコンドリアDNA(mtDNA)はユーラシア現代人集団で広範に存在するハプログループ(mtHg)に分類される、と示されました(関連記事)。

 本論文は、このサルキート頭蓋冠の核ゲノムデータを報告します。常染色体とX染色体の平均網羅率はさほど変わらないため、頭蓋冠の頑丈な形態にも関わらず、サルキート個体は女性と推測されます。サルキート個体と、エチオピアのムブティ(Mbuti)の現代人、ネアンデルタール人、デニソワ人(関連記事)との間で共有される派生的アレルの割合が推定されました。その結果、現代人では32%、ネアンデルタール人では5%、デニソワ人では7%との結果が得られました。これは、現代ユーラシア人で見られる範囲内に収まり、サルキート個体は現生人類と示唆され、最近の形態学的分析と一致します。

 核ゲノムデータに基づき、サルキート個体と、2万年以上前の現生人類と、現代人131集団との間の、遺伝的類似性の程度が推定されました。サルキート個体は、4万年前頃の田园個体と類似しており、ユーラシア西部人よりもユーラシア東部人やアメリカ大陸先住民の方と密接に関連しています。サルキート個体と田园個体との比較では、どちらもほとんどの現代ユーラシア東部人およびアメリカ大陸先住民との遺伝的類似性は同等ですが、ユーラシア西部人との類似性では、田园個体よりもサルキート個体の方がアレルをより多く共有しています。さらに、サルキート個体は31600年前頃となるシベリア北東部のヤナRHSの2個体と同じくらいのアレルを4万年前頃の田园個体と共有していますが、田园個体とヤナRHSの2個体は相互にサルキート個体とよりもアレルの共有が少なくなっています。

 これらの結果は、サルキート個体とヤナRHSの2個体の祖先集団間の遺伝子流動が34000年前頃以前に起きた、と示唆します。つまり、ユーラシア東西早期現生人類集団の分岐に続いて、アジア東部とシベリアの早期現生人類集団間の遺伝子流動が起きた、ということです。ベルギーのゴイエット遺跡で発見された35000年前頃の1個体(Goyet Q116-1)は、これまでに分析された他のヨーロッパ人よりも、田园個体およびサルキート個体と多くのアレルを共有しています。サルキート個体は田园個体よりもゴイエットQ116-1個体とアレルを多く共有していることから、サルキート個体の祖先へユーラシア西部系統をもたらした遺伝子流動が起きた、と推測されます。

 2万年以上前の現生人類個体のゲノムデータを用いて、集団間の混合モデルが推定されました。本論文のモデルでは、田园個体が混合していない早期ユーラシア東部集団を表し、ヨーロッパロシアにあるコステンキ-ボルシェヴォ(Kostenki-Borshchevo)遺跡群の一つであるコステンキ14(Kostenki 14)遺跡で1954年に発見された38700~36200年前頃となる若い男性個体(関連記事)と、装飾品など豪華な副葬品で知られるロシアのスンギール(Sunghir)遺跡で発見された34000年前頃の1個体(Sunghir 3)と(関連記事)、チェコのドルニー・ヴェストニツェ(Dolni Vestonice)遺跡で発見された1個体とが、早期ユーラシア西部現生人類集団を表している、とされました。

 4万年前頃となる田园個体の6000年ほど後のサルキート個体は、田园個体関連アジア東部集団から75%、サルキート個体の3000年ほど後となるヤナRHSの2個体で表される古代シベリア北部集団(ANS)から25%の系統を受け継いでいる、とモデル化できます。以前の研究(関連記事)と一致して、ヤナRHSの2個体は早期ユーラシア東部人から1/3、早期ユーラシア西部人から2/3の系統を受け継いでいる、と推定されます。ユーラシア西部早期現生人類集団とサルキート個体との関係は複雑です。サルキート個体および田园個体、もしくはサルキート個体に限定されるアジア東部早期現生人類集団と、ANSとの間の双方向的遺伝子流動なしのモデルは、データと適合しません。したがって、34000年前頃以前に、ユーラシア東西の早期現生人類集団間の遺伝子流動が起き、それはおそらく、シベリアの早期植民者だったANSにより媒介されたのでしょう。以下、ユーラシアの早期現生人類集団間の混合モデルを示した本論文の図2です。
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 サルキート個体のゲノムにおけるネアンデルタール人系統の割合は1.7%で、他の早期ユーラシア人と類似しています。他のユーラシア全個体と同様に、サルキート個体のネアンデルタール人系統は遺伝的に、南シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)遺跡のネアンデルタール人(関連記事)よりも、クロアチアのヴィンディヤ洞窟(Vindija Cave)遺跡で発見されたネアンデルタール人(関連記事)の方と類似しています。前者のネアンデルタール人を東方系、後者のネアンデルタール人を西方系とすると、現時点では、非アフリカ系現代人のゲノムに見られるネアンデルタール人系統のほとんどは、西方系との1回の交雑に由来すると推測されます。

 アジア東部の現代人は、ネアンデルタール人だけではなくデニソワ人のDNAも受け継いでいますが、アジア本土現代人集団のゲノムにおけるデニソワ人系統の割合は、ネアンデルタール人系統の割合と比較して10倍以上低くなっています。そのため、アジア本土現生人類集団に関しては、現代人よりも低網羅率のゲノムデータしか得られていない古代人において、デニソワ人系統が見られるのか、決定できませんでした。本論文は、汚染を組み込んだ遺伝子型尤度手法を用いて、低網羅率の古代ゲノムでも遺伝子移入されたネアンデルタール人およびデニソワ人のゲノム断片を識別できる、新たな隠れマルコフモデルを適用しました。

 本論文は、ネアンデルタール人および/もしくはデニソワ人のゲノムで現代アフリカ人のゲノムと異なる170万ヶ所の一塩基多型のデータを用いて、0.2 cM(センチモルガン)以上となるデニソワ人系統の断片を、サルキート個体で18ヶ所、田园個体で20ヶ所検出しました。シベリア早期現生人類であるヤナRHSの2個体とマリタ遺跡個体(Mal’ta 1)のゲノムでは、アジア東部の古代現生人類(田园個体とサルキート個体)と比較して、デニソワ人のDNAは1/3程度で、ANS(およびその子孫であるANE)のゲノムにおけるアジア東部系統のより低い割合と一致します。対照的に、45000年前頃となるシベリア西部のウスチイシム個体でも、2万年以上前となるヨーロッパのどの現生人類個体でも、ゲノムにはデニソワ人系統が検出されませんでした。したがって、サルキート個体と田园個体のゲノムは、アジア東部の現生人類の祖先が4万年前頃にはデニソワ人と(1回もしくは複数回)遭遇し、交雑した直接的証拠を提供します。サルキート個体と田园個体のゲノムにおけるデニソワ人系統の断片は少ないため、遺伝子移入の年代を推定するじゅうぶんな証拠とはなりません。しかし、サルキート個体と田园個体のゲノムにおけるデニソワ人系統の断片は1.3 cM以下なので、この2個体の祖先とデニソワ人との交雑は、この2個体の少なくとも1万年前に起きた可能性が高い、と推測されます。

 古代ゲノムから系統断片を推測する危険性の一つは、ゲノムの品質が遺伝子移入された断片を検出する能力に影響を与えるかもしれない、ということです。デニソワ人DNAの検出に影響を与える要因の多くが、ネアンデルタール人DNAの検出にも同様に影響を与えるという仮定のもとでは、AdmixFrogにより検出されたデニソワ人とネアンデルタール人の系統断片の比率が、デニソワ人系統の相対的な量のかなり堅牢な測定系(metric)になるかもしれません。サルキート個体と田园個体のゲノムでは、これらの比率はそれぞれ7.5%と8.1%です。シベリア北東部のヤナRHSの2個体では、3.9%(Yana 1)と4.7%(Yana 2)です。アジア東部早期現生人類2個体(サルキート個体と田园個体)とANSを表すシベリア北東部のヤナRHSの2個体のゲノムでは、ネアンデルタール人のDNA量に実質的な違いがないので、ANSのゲノムにはアジア東部早期現生人類2個体よりもデニソワ人のDNAが少ない、と示唆されます。

 さらに、サルキート個体と田园個体のゲノムにおけるデニソワ人断片が現代人のそれと比較され、ゲノム間の遺伝子移入された断片が偶然で予想されるよりも多く重複しているのか、推定されました。アジア東部古代人(サルキート個体と田园個体)のゲノムにおけるデニソワ人DNA断片は、いくつかの現代アジア人集団およびハワイ人のようなアジア人系統をある程度有する集団のゲノムで検出されるデニソワ人断片と、予想されるよりも多く重複します。対照的に、パプア人もしくはオーストラリア先住民で検出されるデニソワ断片との有意な重複は検出されませんでしたが、パプア人とオーストラリア先住民のゲノムにはアジア本土集団よりも20倍以上のデニソワ人DNAが存在します。

 少なくとも2つのデニソワ人集団が、アジア東部の現代人集団に遺伝的影響を及ぼし、オセアニアの現代人集団におけるデニソワ人系統は、そのうち1集団にのみ由来する、との見解が提示されています(関連記事)。デニソワ人のDNA断片の重複はこの見解と一致しており、サルキート個体および田园個体の祖先集団が、アジアの大半の現代人集団に遺伝的影響を残したデニソワ人と交雑した、と示唆されます。オーストラリア先住民およびパプア人とはそうした有意な重複が欠けており、オセアニア人集団がデニソワ人系統を有する契機となった交雑事象が、アジアの大半の現代人集団のそれとは異なっていた、と示唆されます。なお、オセアニア現代人集団とは異なるデニソワ人との交雑により、アジア東部集団にデニソワ人DNAがもたらされた、という点では同じながら、オセアニア現代人の祖先集団においても、デニソワ人との複数回の交雑があった、と推測する研究もあります(関連記事)。

 まとめると、34000年前頃となるモンゴル北東部のサルキート個体は、4万年前頃となる北京郊外の田园個体よりもユーラシア西部人系統をより多く有している、と示されます。これは、ユーラシア東西の現生人類集団の主要な分岐後に、ユーラシア西部からアジア東部への遺伝子流動が34000年前頃以前に起き、おそらくはシベリア北東部のヤナRHS遺跡2個体と関連したANS集団により媒介されたことを示唆します。また本論文は、これらの早期アジア東部人がデニソワ人のDNA断片を有しており、それはデニソワ人のDNAを、現在のアジア本土全域の集団にもたらしたものの、現代パプア人およびオーストラリア先住民にはもたらさなかった、早期現生人類とデニソワ人(1集団もしくは複数集団)との交雑事象に由来する、と示します。


参考文献:
Massilani D. et al.(2020): Denisovan ancestry and population history of early East Asians. bioRxiv.
https://doi.org/10.1101/2020.06.03.131995


追記(2020年10月30日)
 本論文が『サイエンス』本誌に掲載されました。ざっと確認したところ、査読前の公開論文から内容はほとんど変わっていないようなので、とくに補足はしません。なお、本論文の図2は、遺伝子流動の割合が多少修正されているので、以下に改めて引用します。

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参考文献:
Massilani D. et al.(2020): Denisovan ancestry and population history of early East Asians. Science, 370, 6516, 579–583.
https://doi.org/10.1126/science.abc1166

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