カリブ海諸島への人類の拡散
カリブ海諸島への人類の拡散に関する研究(Nägele et al., 2020)が報道されました。日本語の解説記事もあります。この研究はオンライン版での先行公開となります。考古学的証拠では、カリブ海諸島への最初の人類の移住は8000年前頃と推定されています。アメリカ大陸本土に近いトリニダード(Trinidad)島を別にすると、カリブ海諸島で確実な年代が得られている最古の遺跡群は5000年前頃で、バルバドス(Barbados)島やキューバ(Cuba)島やキュラソー(Curaçao)島やセント・マーチン(St. Martin)島に存在し、イスパニョーラ(Hispaniola)島とプエルトリコ(Puerto Rico)がそれに続きます。これらの遺跡の位置は、早期移住者がカリブ海全域にわたって長距離を急速に移動した、と示唆します。その結果、起源地を示すような漸進的な移住の波はありません。明確な考古学的手がかりの欠如のため、考古学者たちはカリブ海諸島と周辺地域の間のあり得る繋がりを示唆する人工物の様式比較に依拠してきました。一方、あり得る拡散経路を示唆する風向きや潮流も研究されてきました。
2800年前頃以降、カリブ海諸島への新たな移住が始まりました。その到来は、カリブ海諸島における土器時代の始まりの指標となり、土器の明確な新様式が、永続的な居住と農耕に伴って始まるようです。考古学および遺伝学的証拠は、新たな到来者が南アメリカ大陸起源と示唆していますが、どのようにカリブ海諸島に到達したのか、議論になっています。この議論に関しては、2モデルが提案されてきました。一方は伝統的なモデルで、プエルトリコに到達するまで小アンティル諸島経由で北方へと漸進的に移動し、最終的にはさらに西方のイスパニョーラ島とキューバ島へと移動した、と想定されます。代替モデルでは、新たな移住者はまずプエルトリコに到達し、南方に拡大する前に小アンティル諸島を迂回した、と想定されます。この新たな拡大がどの経路で起きたにしても、新たな到来者はカリブ海諸島の在来の共同体と遭遇した可能性が高そうですが、その相互作用の性質は不明確です。
カリブ海諸島の人口史解明のため、カリブ海諸島の16遺跡で発見された3200~400年前頃となる93人のゲノム規模データが生成されました。これらの人類遺骸は、「古代型」と「土器型」という2つの異なる考古学的区分に由来します。3200~700年前頃となる52人の古代型関連個体群はキューバ島の7遺跡で、1500~400年前頃となる41人の土器型関連個体群は、キューバ島とバハマ諸島(Bahamas)とプエルトリコとグアドループ(Guadeloupe)島とセントルシア(St. Lucia)島の9遺跡で発見されました。DNAの保存状態がよくないため、120万ヶ所のゲノム規模一塩基多型を標的とした方法が用いられました。
さらに、93人のうち89人でミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)が、47人の男性のうち40人でY染色体ハプログループ(YHg)が報告されます。mtHg頻度では、古代型個体群と土器型個体群とで、明確な違いが明らかになりました。キューバ島の3200~700年前頃となる個体群のほとんどがmtHg-D1(47%)とC1d(30%)だった一方で、以前に報告された個体群も含む土器型関連個体群では共通して、mtHg-D1とC1dが少なくなっています。全体的に、mtDNAの多様性は土器型関連個体群においてより高く、mtHg- B2・C1b・C1cが土器型関連個体群に特有です。
これらの違いゲノム規模で調べるため、現代のアメリカ大陸先住民12集団を参照として、主成分分析が行なわれ、古代カリブ海諸島個体群は考古学的区分と一致して異なる2クラスタに分かれる、と明らかになりました。古代カリブ海諸島個体群は、古代および現代の先住民集団に対して、キューバ島の個体群も含めて土器型の年代の個体群は、南アメリカ大陸の現代の個体群とクラスタ化し、既知のバハマ諸島の個体群と同様でした(関連記事)。対照的に、キューバ島の3200~700年前頃となる古代型関連個体群は、現代アメリカ大陸先住民の多様性の範囲外に位置します。
観察されたクラスタリングが異なる遺伝的類似性を反映しているのかどうか評価するため、遺跡単位で個体群を集団化してf4統計が実施され、検証された集団と、1000年前頃となるバハマ諸島の伝道師洞窟(Preacher’s Cave)個体群、および中央・南アメリカ大陸の古代人の分岐に先行する主要なアメリカ大陸先住民系統を表す、4900年前頃となるカリフォルニア州チャンネル諸島の前期サンニコラス(Early San Nicolas)の個体群(関連記事)との間の共有アレル(対立遺伝子)量が測定されました。予想されたように、伝道師洞窟(Preacher’s Cave)個体群は、同じ遺跡の個体群と最高の類似性を示し、それに続くのが土器型関連集団です。対照的に、キューバ島の3200~700年前頃となる個体群は全員、バハマ諸島集団のゲノムとは少ない類似性しか示さず、ペリコ洞窟(Cueva del Perico)遺跡の1個体(CIP009)はわずかにカリフォルニア州チャンネル諸島個体群と近くなります。これらの違いはおもに、土器型関連集団の現代南アメリカ大陸北東部集団とのより大きな類似性に起因します。
この2集団が同じ祖先集団もしくは異なる祖先集団に由来するのか検証するため、qpWaveが用いられ、1個体もしくは個体群の1集団の遺伝的構成を説明する必要のある起源集団の最小数が推定されました。この分析は、祖先の少なくとも2つの分離した波に由来する集団と一致し、主成分分析で観察された層位が、遺伝的浮動だけでは説明できないことを示します。これはまた、クラスタリング分析でも反映されており、2つの分離した構成の結果です。
93人の個体群と関連した放射性炭素年代測定結果は、両集団がカリブ海諸島に同時代に存在したことを示唆します。しかし、qpAdmを用いても、交雑のあらゆる顕著な水準は検出されず、例外は土器時代の1060~910年前頃となるプエルトリコのパスコデルインディオ(Paso del Indio)遺跡の1個体(PDI009)で、古代型関連系統をわずかに(13±7.7%)有しています。後のカリブ海諸島共同体の発展に関する古代型時代共同体の高まっていく影響を考えると、2集団間の混合の証拠がほとんどないのは驚くべきことです。しかし、この結果は本論文の移行期およびイスパニョーラ島のような大アンティル諸島の限定的な標本抽出に影響を受けているかもしれません。
キューバ島では、最古級の2700~2500年前頃となる、ペリコ洞窟1個体(PDI009)とグアヤボブランコ(Guayabo Blanco)遺跡1個体(GUY002)に表される、2つの異なる系統も検出されました。これは、土器時代集団の到来前になる、カリブ海諸島西部への複数の早期拡散を示唆します。qpWaveでは、たとえばCIP009とグアヤボブランコ個体群という本論文のデータセットでは、最古級の個体群のうち何人かは、同じ祖先集団の子孫としてモデル化できません。qpGraphを用いて他の古代アメリカ大陸先住民ゲノムでCIP009をモデル化しようとすると、CIP009は、カリフォルニア州チャンネル諸島個体群を有する主要なアメリカ大陸先住民系統から分岐し、南・中央アメリカ大陸古代人が拡散する前のモデル、データが最もよく適合します。対照的に、全ての他の古代型関連個体群は、2500年前頃となるGUY002も含めて、モデルを改善するには南アメリカ大陸古代人から追加の遺伝子流動が必要です。まとめると、これらの結果は、土器時代集団の到来前に、カリブ海諸島西部への複数の拡散があったことを支持します。これらの早期拡散の起源地の決定は困難ですが、そのうち少なくとも1回は、南・中央アメリカ大陸古代人の多様化に先行する、北アメリカ大陸の放散事象と関連していたようです。
2800年前頃以後、南アメリカ大陸起源の別の拡大が続き、それは考古学でよく証明されています。本論文のデータセットにおける土器時代のゲノムを用いてこの拡大をモデル化すると、小アンティル諸島経由で北方へと漸進的に移動する、南アメリカ大陸起源の人々の飛び石モデルが、プエルトリコからの南方への拡大を想定するモデルよりも適している、と分かります。しかし、2800~2200年前頃となる土器時代拡大の最初期から、土器関連系統を有する個体群はまだ見つかっていないので、この過程を正確にモデル化することは困難です。土器時代集団の拡大は、1500年前頃以後のいつかの時点で再開する前に、プエルトリコで少なくとも1000年は停滞し、一般的に、イスパニョーラ島とキューバ島の古代型時代共同体の存在により発展が停止されていた、と想定されています。本論文の結果は、キューバ島で500年前頃まで土器関連系統が検出されないことに見られるように、時間的間隙と一致します。しかし、これらの知見が、遺伝的転換期、もしくは世界の他地域で観察されてきた事例と類似した、混合の断絶的な事象を伴う相互作用のより複雑な歴史を表しているのか、まだ明確ではありません。
本論文の新たな遺伝的証拠は、カリブ海諸島がアメリカ大陸本土起源の連続した集団により定住と再定住された、という見解を支持します。これは、頭蓋に基づく最近の研究(関連記事)とも整合的です。本論文は、カリブ海諸島への少なくとも3回の区別される拡散を支持し、それには2回の早期拡散が含まれ、そのうち1回は北アメリカ大陸における放散事象と関連しているようです。明らかに、土器時代の人々はカリブ海諸島を征服する航海能力を有していました。じっさい、カリブ海は「海の高速道路」として機能し、時折の予測不可能性にも関わらず、人々は頻繁に横断しました。カリブ海諸島の最初の植民の後、南アメリカ大陸からの別の拡大が続きました。新たな移住民はカリブ海諸島に到達すると、早期定住者の子孫と遭遇したに違いありませんが、驚くべきことに、交雑の証拠はほとんど見られず、その相互作用の性質と、後のカリブ海諸島共同体の発展における早期居住者の役割に関する問題を提起します。追加のデータと複数の証拠が、これらの問題をさらに調査し、カリブ海諸島の複雑な人口史に光を当てるために必要となるでしょう。
参考文献:
Nägele K. et al.(2020): Genomic insights into the early peopling of the Caribbean. Science, 369, 6502, 456–460.
https://doi.org/10.1126/science.aba8697
2800年前頃以降、カリブ海諸島への新たな移住が始まりました。その到来は、カリブ海諸島における土器時代の始まりの指標となり、土器の明確な新様式が、永続的な居住と農耕に伴って始まるようです。考古学および遺伝学的証拠は、新たな到来者が南アメリカ大陸起源と示唆していますが、どのようにカリブ海諸島に到達したのか、議論になっています。この議論に関しては、2モデルが提案されてきました。一方は伝統的なモデルで、プエルトリコに到達するまで小アンティル諸島経由で北方へと漸進的に移動し、最終的にはさらに西方のイスパニョーラ島とキューバ島へと移動した、と想定されます。代替モデルでは、新たな移住者はまずプエルトリコに到達し、南方に拡大する前に小アンティル諸島を迂回した、と想定されます。この新たな拡大がどの経路で起きたにしても、新たな到来者はカリブ海諸島の在来の共同体と遭遇した可能性が高そうですが、その相互作用の性質は不明確です。
カリブ海諸島の人口史解明のため、カリブ海諸島の16遺跡で発見された3200~400年前頃となる93人のゲノム規模データが生成されました。これらの人類遺骸は、「古代型」と「土器型」という2つの異なる考古学的区分に由来します。3200~700年前頃となる52人の古代型関連個体群はキューバ島の7遺跡で、1500~400年前頃となる41人の土器型関連個体群は、キューバ島とバハマ諸島(Bahamas)とプエルトリコとグアドループ(Guadeloupe)島とセントルシア(St. Lucia)島の9遺跡で発見されました。DNAの保存状態がよくないため、120万ヶ所のゲノム規模一塩基多型を標的とした方法が用いられました。
さらに、93人のうち89人でミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)が、47人の男性のうち40人でY染色体ハプログループ(YHg)が報告されます。mtHg頻度では、古代型個体群と土器型個体群とで、明確な違いが明らかになりました。キューバ島の3200~700年前頃となる個体群のほとんどがmtHg-D1(47%)とC1d(30%)だった一方で、以前に報告された個体群も含む土器型関連個体群では共通して、mtHg-D1とC1dが少なくなっています。全体的に、mtDNAの多様性は土器型関連個体群においてより高く、mtHg- B2・C1b・C1cが土器型関連個体群に特有です。
これらの違いゲノム規模で調べるため、現代のアメリカ大陸先住民12集団を参照として、主成分分析が行なわれ、古代カリブ海諸島個体群は考古学的区分と一致して異なる2クラスタに分かれる、と明らかになりました。古代カリブ海諸島個体群は、古代および現代の先住民集団に対して、キューバ島の個体群も含めて土器型の年代の個体群は、南アメリカ大陸の現代の個体群とクラスタ化し、既知のバハマ諸島の個体群と同様でした(関連記事)。対照的に、キューバ島の3200~700年前頃となる古代型関連個体群は、現代アメリカ大陸先住民の多様性の範囲外に位置します。
観察されたクラスタリングが異なる遺伝的類似性を反映しているのかどうか評価するため、遺跡単位で個体群を集団化してf4統計が実施され、検証された集団と、1000年前頃となるバハマ諸島の伝道師洞窟(Preacher’s Cave)個体群、および中央・南アメリカ大陸の古代人の分岐に先行する主要なアメリカ大陸先住民系統を表す、4900年前頃となるカリフォルニア州チャンネル諸島の前期サンニコラス(Early San Nicolas)の個体群(関連記事)との間の共有アレル(対立遺伝子)量が測定されました。予想されたように、伝道師洞窟(Preacher’s Cave)個体群は、同じ遺跡の個体群と最高の類似性を示し、それに続くのが土器型関連集団です。対照的に、キューバ島の3200~700年前頃となる個体群は全員、バハマ諸島集団のゲノムとは少ない類似性しか示さず、ペリコ洞窟(Cueva del Perico)遺跡の1個体(CIP009)はわずかにカリフォルニア州チャンネル諸島個体群と近くなります。これらの違いはおもに、土器型関連集団の現代南アメリカ大陸北東部集団とのより大きな類似性に起因します。
この2集団が同じ祖先集団もしくは異なる祖先集団に由来するのか検証するため、qpWaveが用いられ、1個体もしくは個体群の1集団の遺伝的構成を説明する必要のある起源集団の最小数が推定されました。この分析は、祖先の少なくとも2つの分離した波に由来する集団と一致し、主成分分析で観察された層位が、遺伝的浮動だけでは説明できないことを示します。これはまた、クラスタリング分析でも反映されており、2つの分離した構成の結果です。
93人の個体群と関連した放射性炭素年代測定結果は、両集団がカリブ海諸島に同時代に存在したことを示唆します。しかし、qpAdmを用いても、交雑のあらゆる顕著な水準は検出されず、例外は土器時代の1060~910年前頃となるプエルトリコのパスコデルインディオ(Paso del Indio)遺跡の1個体(PDI009)で、古代型関連系統をわずかに(13±7.7%)有しています。後のカリブ海諸島共同体の発展に関する古代型時代共同体の高まっていく影響を考えると、2集団間の混合の証拠がほとんどないのは驚くべきことです。しかし、この結果は本論文の移行期およびイスパニョーラ島のような大アンティル諸島の限定的な標本抽出に影響を受けているかもしれません。
キューバ島では、最古級の2700~2500年前頃となる、ペリコ洞窟1個体(PDI009)とグアヤボブランコ(Guayabo Blanco)遺跡1個体(GUY002)に表される、2つの異なる系統も検出されました。これは、土器時代集団の到来前になる、カリブ海諸島西部への複数の早期拡散を示唆します。qpWaveでは、たとえばCIP009とグアヤボブランコ個体群という本論文のデータセットでは、最古級の個体群のうち何人かは、同じ祖先集団の子孫としてモデル化できません。qpGraphを用いて他の古代アメリカ大陸先住民ゲノムでCIP009をモデル化しようとすると、CIP009は、カリフォルニア州チャンネル諸島個体群を有する主要なアメリカ大陸先住民系統から分岐し、南・中央アメリカ大陸古代人が拡散する前のモデル、データが最もよく適合します。対照的に、全ての他の古代型関連個体群は、2500年前頃となるGUY002も含めて、モデルを改善するには南アメリカ大陸古代人から追加の遺伝子流動が必要です。まとめると、これらの結果は、土器時代集団の到来前に、カリブ海諸島西部への複数の拡散があったことを支持します。これらの早期拡散の起源地の決定は困難ですが、そのうち少なくとも1回は、南・中央アメリカ大陸古代人の多様化に先行する、北アメリカ大陸の放散事象と関連していたようです。
2800年前頃以後、南アメリカ大陸起源の別の拡大が続き、それは考古学でよく証明されています。本論文のデータセットにおける土器時代のゲノムを用いてこの拡大をモデル化すると、小アンティル諸島経由で北方へと漸進的に移動する、南アメリカ大陸起源の人々の飛び石モデルが、プエルトリコからの南方への拡大を想定するモデルよりも適している、と分かります。しかし、2800~2200年前頃となる土器時代拡大の最初期から、土器関連系統を有する個体群はまだ見つかっていないので、この過程を正確にモデル化することは困難です。土器時代集団の拡大は、1500年前頃以後のいつかの時点で再開する前に、プエルトリコで少なくとも1000年は停滞し、一般的に、イスパニョーラ島とキューバ島の古代型時代共同体の存在により発展が停止されていた、と想定されています。本論文の結果は、キューバ島で500年前頃まで土器関連系統が検出されないことに見られるように、時間的間隙と一致します。しかし、これらの知見が、遺伝的転換期、もしくは世界の他地域で観察されてきた事例と類似した、混合の断絶的な事象を伴う相互作用のより複雑な歴史を表しているのか、まだ明確ではありません。
本論文の新たな遺伝的証拠は、カリブ海諸島がアメリカ大陸本土起源の連続した集団により定住と再定住された、という見解を支持します。これは、頭蓋に基づく最近の研究(関連記事)とも整合的です。本論文は、カリブ海諸島への少なくとも3回の区別される拡散を支持し、それには2回の早期拡散が含まれ、そのうち1回は北アメリカ大陸における放散事象と関連しているようです。明らかに、土器時代の人々はカリブ海諸島を征服する航海能力を有していました。じっさい、カリブ海は「海の高速道路」として機能し、時折の予測不可能性にも関わらず、人々は頻繁に横断しました。カリブ海諸島の最初の植民の後、南アメリカ大陸からの別の拡大が続きました。新たな移住民はカリブ海諸島に到達すると、早期定住者の子孫と遭遇したに違いありませんが、驚くべきことに、交雑の証拠はほとんど見られず、その相互作用の性質と、後のカリブ海諸島共同体の発展における早期居住者の役割に関する問題を提起します。追加のデータと複数の証拠が、これらの問題をさらに調査し、カリブ海諸島の複雑な人口史に光を当てるために必要となるでしょう。
参考文献:
Nägele K. et al.(2020): Genomic insights into the early peopling of the Caribbean. Science, 369, 6502, 456–460.
https://doi.org/10.1126/science.aba8697
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