メキシコの初期植民地時代の奴隷の起源と生活史
メキシコの初期植民地時代の奴隷の起源と生活史に関する研究(Barquera et al., 2020)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。1518年、スペイン王カルロス1世(神聖ローマ帝国皇帝カール5世)は、アフリカ人奴隷をヌエバ・エスパーニャに移動させる許可を出しました。これは、遺伝的にも文化的にも、現代のメキシコに影響を与えています。1860年代にアメリカ大陸のほとんどの地域で奴隷制が廃止されるまでに、推定で1060万~1940万人のアフリカ人がアメリカ大陸へと強制的に連行されました。このうち、生きてアメリカ大陸に到達したのは960万~1550万人と推定されており、過酷な大西洋航海だったことを示しています。しかも、これらのデータには、密貿易が含まれていません。ヌエバ・エスパーニャでは、奴隷の連行が廃止された1779年までに13万~15万人のアフリカ人が到着しました。このうち、1600~1640年に約7万人が到着しました。
このように奴隷が強制連行されたのは、ヨーロッパ人がアメリカ大陸を征服する過程で、紛争と天然痘など持ち込んだ感染症によりアメリカ大陸先住民の多く(人口が90%減少したとの推定もあります)が死亡し、労働力が不足したからでした。アフリカ人はそうした疾患への耐性が高いと考えられていました。本論文は、遺伝的データ、骨の形態学的分析、同位体分析、民族誌的情報、潜在的な病原体の解析を通じて、1529~1531年に建てられたメキシコシティの病院の埋葬地で発見された、奴隷と考えられる3人(SJN001・SJN002・SJN003)の起源と生活史を調査します。この病院は先住民のために建てられたと記録にありますが、じっさいは非先住民も治療を受け、埋葬されました。
放射性炭素年代測定法では、3人がメキシコ植民地時代初期の16世紀前半頃に死亡した、と推定されます。3人は死亡時に20代後半もしくは30代前半だった、と推定されています。歯の象牙質の同位体分析(炭素13と窒素15)からは、3人はおもにタンパク質を陸上生物から摂取しており、C4植物および/もしくは海洋性タンパク質も摂取していた、と推測されます。これは、アフリカ西部の乾燥内陸地帯もしくは沿岸住民の食性と一致します。歯のエナメル質からのストロンチウム比は、3人がアフリカ西部起源と示します。SJN001には5個の散弾と2個の治療用針と銃創が見つかりました。SJN001とSJN003には、栄養不足や貧血や寄生虫感染症や失血と関連する病理学的変化である、骨萎縮性骨化過剰症と捻転眼窩が見られます。SJN002には、鎖骨と肩甲骨の内膜症や関節輪郭の変形など、過酷な労働と関連する骨格変化がいくつか見られます。またSJN002には、骨折や口腔衛生うえの問題や前頭骨の切り傷や腰椎の変形性関節症が見られます。頭蓋の形態分析からは、3人ともアフリカ集団との強い類似性が示されます。3人の歯の装飾は、アフリカから奴隷として強制連行された人々の文化的慣行と一致し、それは現在では、アフリカ西部の赤道ギニアやガボンやカメルーンなどの地域で見られます。
DNA解析の結果、3人とも男性で、親族関係にはない、と明らかになりました。ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)は、SJN001がL1b2a、SJN002がL3d1a1a、SJN003がL3e1a1a、Y染色体ハプログループ(YHg)は、SJN001がE1b1a1a1a1c1b(M263.2)、SJN002がE1b1a1a1a2a1(M4254)、SJN003がE1b1a1a1a1c1a1a3a1(TS8030)で、3人のヒト白血球抗原(HLA)とともに、サハラ砂漠以南のアフリカ人で見られます。3人のmtHgはアフリカ西部および中央部において最も高い頻度で見られます。SJN001のmtHg-L1bはアフリカ西部中央のとくに沿岸に集中しています。核ゲノムデータからは、3人ともサハラ砂漠以南のアフリカ西部・中央部集団との遺伝的近縁性が推定され、ヨーロッパ系やアメリカ大陸先住民系との混合の痕跡は見られませんでした。より詳細な分析では、3人ともどのアフリカ現代人集団とも有意に密接には関連していませんでした。これは、過去の移住を反映しているか、3人の属する集団がまだ充分にはデータセットで表されていないか、3人と遺伝的に関連する集団がもはや存在しないことを示します。サハラ砂漠以南のアフリカが古代DNA研究に適していない地域であることを考えると、16世紀以降のアメリカ大陸におけるアフリカ人とその子孫のDNA解析は、かつてのアフリカにおける遺伝的構成の研究に重要な役割を果たしそうです。
3人が埋葬された集団墓地では、層状に数人の遺骸が含まれており、墓地の収容能力を超えた伝染病の間の埋葬と推測されます。そこで本論文は、病原体の痕跡を調査しました。その結果、SJN001はB型肝炎ウイルス(HBV)に感染しており、そのDNA解析により、アフリカ西部系統と明らかになりました。SJN003はイチゴ腫(フランベジア)の原因となる梅毒トレポネーマ亜種ペルテニュ(Treponema pallidum sub. pertenue)に感染しており、DNA解析によりアフリカ西部系統と明らかになりました。
本論文は、遺伝的および同位体データ、民族誌的情報、骨の形態を組み合わせ、メキシコシティの早期植民地時代の墓地で発見された3人の起源と生活史を推測しました。これらのデータはすべて、3人全員がアフリカ西部出身と示します。また、歯の修飾や骨に残る過酷な生活の痕跡は、3人が奴隷だったことを示唆します。同位体データからは、3人がメキシコ以外、おそらくはアフリカ西部で生まれ育ち、アメリカ大陸へ奴隷として強制連行された、と推測されます。年代から、この3人はアメリカ大陸で最初期のアフリカ人奴隷だったと考えられます。3人のうち2人には感染症が確認され、ともにアフリカ西部系統だったことから、出身地のアフリカ西部もしくは大西洋を渡る奴隷船で感染したと考えられます。大西洋間奴隷貿易は、アメリカ大陸に新たな病原体を持ち込みました。ただ、3人の男性はこれらの感染症や外傷から生き延びており、その死因はまだ不明です。本論文により、大西洋間奴隷貿易のおぞましい実態が改めて示された、と言えるでしょう。本論文は、文献では明らかにしにくいアメリカ大陸の早期植民地時代の奴隷第一世代のさまざまな情報を、学際的研究により示しており、今後こうした学際的研究がさらに進むのではないか、と期待されます。
参考文献:
Barquera R. et al.(2020): Origin and Health Status of First-Generation Africans from Early Colonial Mexico. Current Biology, 30, 11, 2078–2091.E11.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2020.04.002
このように奴隷が強制連行されたのは、ヨーロッパ人がアメリカ大陸を征服する過程で、紛争と天然痘など持ち込んだ感染症によりアメリカ大陸先住民の多く(人口が90%減少したとの推定もあります)が死亡し、労働力が不足したからでした。アフリカ人はそうした疾患への耐性が高いと考えられていました。本論文は、遺伝的データ、骨の形態学的分析、同位体分析、民族誌的情報、潜在的な病原体の解析を通じて、1529~1531年に建てられたメキシコシティの病院の埋葬地で発見された、奴隷と考えられる3人(SJN001・SJN002・SJN003)の起源と生活史を調査します。この病院は先住民のために建てられたと記録にありますが、じっさいは非先住民も治療を受け、埋葬されました。
放射性炭素年代測定法では、3人がメキシコ植民地時代初期の16世紀前半頃に死亡した、と推定されます。3人は死亡時に20代後半もしくは30代前半だった、と推定されています。歯の象牙質の同位体分析(炭素13と窒素15)からは、3人はおもにタンパク質を陸上生物から摂取しており、C4植物および/もしくは海洋性タンパク質も摂取していた、と推測されます。これは、アフリカ西部の乾燥内陸地帯もしくは沿岸住民の食性と一致します。歯のエナメル質からのストロンチウム比は、3人がアフリカ西部起源と示します。SJN001には5個の散弾と2個の治療用針と銃創が見つかりました。SJN001とSJN003には、栄養不足や貧血や寄生虫感染症や失血と関連する病理学的変化である、骨萎縮性骨化過剰症と捻転眼窩が見られます。SJN002には、鎖骨と肩甲骨の内膜症や関節輪郭の変形など、過酷な労働と関連する骨格変化がいくつか見られます。またSJN002には、骨折や口腔衛生うえの問題や前頭骨の切り傷や腰椎の変形性関節症が見られます。頭蓋の形態分析からは、3人ともアフリカ集団との強い類似性が示されます。3人の歯の装飾は、アフリカから奴隷として強制連行された人々の文化的慣行と一致し、それは現在では、アフリカ西部の赤道ギニアやガボンやカメルーンなどの地域で見られます。
DNA解析の結果、3人とも男性で、親族関係にはない、と明らかになりました。ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)は、SJN001がL1b2a、SJN002がL3d1a1a、SJN003がL3e1a1a、Y染色体ハプログループ(YHg)は、SJN001がE1b1a1a1a1c1b(M263.2)、SJN002がE1b1a1a1a2a1(M4254)、SJN003がE1b1a1a1a1c1a1a3a1(TS8030)で、3人のヒト白血球抗原(HLA)とともに、サハラ砂漠以南のアフリカ人で見られます。3人のmtHgはアフリカ西部および中央部において最も高い頻度で見られます。SJN001のmtHg-L1bはアフリカ西部中央のとくに沿岸に集中しています。核ゲノムデータからは、3人ともサハラ砂漠以南のアフリカ西部・中央部集団との遺伝的近縁性が推定され、ヨーロッパ系やアメリカ大陸先住民系との混合の痕跡は見られませんでした。より詳細な分析では、3人ともどのアフリカ現代人集団とも有意に密接には関連していませんでした。これは、過去の移住を反映しているか、3人の属する集団がまだ充分にはデータセットで表されていないか、3人と遺伝的に関連する集団がもはや存在しないことを示します。サハラ砂漠以南のアフリカが古代DNA研究に適していない地域であることを考えると、16世紀以降のアメリカ大陸におけるアフリカ人とその子孫のDNA解析は、かつてのアフリカにおける遺伝的構成の研究に重要な役割を果たしそうです。
3人が埋葬された集団墓地では、層状に数人の遺骸が含まれており、墓地の収容能力を超えた伝染病の間の埋葬と推測されます。そこで本論文は、病原体の痕跡を調査しました。その結果、SJN001はB型肝炎ウイルス(HBV)に感染しており、そのDNA解析により、アフリカ西部系統と明らかになりました。SJN003はイチゴ腫(フランベジア)の原因となる梅毒トレポネーマ亜種ペルテニュ(Treponema pallidum sub. pertenue)に感染しており、DNA解析によりアフリカ西部系統と明らかになりました。
本論文は、遺伝的および同位体データ、民族誌的情報、骨の形態を組み合わせ、メキシコシティの早期植民地時代の墓地で発見された3人の起源と生活史を推測しました。これらのデータはすべて、3人全員がアフリカ西部出身と示します。また、歯の修飾や骨に残る過酷な生活の痕跡は、3人が奴隷だったことを示唆します。同位体データからは、3人がメキシコ以外、おそらくはアフリカ西部で生まれ育ち、アメリカ大陸へ奴隷として強制連行された、と推測されます。年代から、この3人はアメリカ大陸で最初期のアフリカ人奴隷だったと考えられます。3人のうち2人には感染症が確認され、ともにアフリカ西部系統だったことから、出身地のアフリカ西部もしくは大西洋を渡る奴隷船で感染したと考えられます。大西洋間奴隷貿易は、アメリカ大陸に新たな病原体を持ち込みました。ただ、3人の男性はこれらの感染症や外傷から生き延びており、その死因はまだ不明です。本論文により、大西洋間奴隷貿易のおぞましい実態が改めて示された、と言えるでしょう。本論文は、文献では明らかにしにくいアメリカ大陸の早期植民地時代の奴隷第一世代のさまざまな情報を、学際的研究により示しており、今後こうした学際的研究がさらに進むのではないか、と期待されます。
参考文献:
Barquera R. et al.(2020): Origin and Health Status of First-Generation Africans from Early Colonial Mexico. Current Biology, 30, 11, 2078–2091.E11.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2020.04.002
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