注意欠陥・多動性障害への選択圧

 注意欠陥・多動性障害(ADHD)への選択圧に関する研究(Esteller-Cucala et al., 2020)が報道されました。ADHDは、注意欠陥・多動性・衝動性を特徴とする一般的な神経発達状態です。ADHDの世界的な有病率は子供と青年において約5%で、成人期まで持続することもよくあります。双生児研究では、ADHDは70~80%の高い遺伝率を示しており、そのかなりの割合は一塩基多型により説明されます。しかし、ゲノムワイド関連研究(GWAS)でADHDと関連する有意な多様体が報告されたのは最近になってからです。ADHDは、精神障害の並存・社会的機能不全・交通事故による負傷・早期死亡などの危険性が高い障害とされています。ADHDは、発症者だけではなく、その家族の生活の質も低下させます。

 そのため、ADHDが現在でも一般的に見られることは、進化的観点からは直観に反しているように思われます。これに関しては、ADHDが攻撃的行動として現れ、現生人類(Homo sapiens)によるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の虐殺をもたらした、つまり現生人類によるネアンデルタール人の置換に有効だった、という理論や、過酷で変化する条件で暮らしていた狩猟採集民においてはADHDの特徴が有利に作用した、という理論や、それとも関連して、定住的な農耕社会ではADHDが不利に作用した、という理論などが提唱されています。ADHDは過去の環境では適応的だったものの、過去1万年の定住的な社会では適応度が下がり、そうした社会的変化は文化的なもので急速だったので、ADHDはまだ淘汰されていない、というわけです。これは、人類は現在の主要な環境にじゅうぶん適応していたわけではなく(ミスマッチ)、それが腰痛や糖尿病など以前にはあまり(もしくはほとんど)見られなかった現代人のさまざまな健康問題を惹起している、というミスマッチ理論的な見解です(関連記事)。ミスマッチ理論に基づくと、ADHD関連遺伝的多様体は更新世において現代よりも高頻度と予測されます。

 また、自然選択に加えて、現代人集団で見られる、ネアンデルタール人や種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)といった非現生人類ホモ属(古代型ホモ属)からの遺伝子移入も、現代人における一定以上のADHD有病率を説明できるかもしれません。現代人におけるネアンデルタール人由来のアレル(対立遺伝子)の中には、過去には有利であったものの、現代では有害になったものもあり(関連記事)、これもミスマッチ理論で説明できます。本論文は、現代人および古代の現生人類とともに、ネアンデルタール人のゲノムデータも使用して、ADHD関連の遺伝的負荷の進化を経時的に分析します。

 本論文は、ADHDと診断された2万人以上と対照群35000人から構成される最大のGWASメタ分析を利用し、古代型ホモ属と古代および現代の現生人類標本群を用いて、ヨーロッパ人集団のADHD関連アレルを評価します。また本論文は、深層学習分析と、淘汰を受けてきた可能性が高い遺伝子の最近の変化を検出できる単一ヌクレオチド変異濃度得点(singleton density scores)とを組み合わせた近似ベイズ計算により、ADHD関連アレルに選択圧が作用していたことを示します。

 本論文は、新石器時代前(16人)と近東(151人)と新石器時代(84人)の個体群のゲノムデータからそれぞれデータセットを作成し、ADHD関連アレルの平均頻度の経時的な変化を推定しました。その結果、近東と新石器時代のデータセットでは、時間の経過に伴い発症危険性を高めるADHD関連アレルの平均頻度が顕著に低下していき、新石器時代前でも、顕著ではないものの、低下していく傾向が見られました。これに関して、自然選択に加えて、アフリカからの移住の継続によりADHD関連アレルの平均頻度が低下していった、とも考えられます。しかし、アフリカ人の古代標本群ではADHD関連アレルの平均頻度はヨーロッパ人よりも高く、それは現代人のデータセットでも確認されます。

 また本論文は、ヨーロッパにおけるADHD関連アレルの平均頻度の低下が、新石器時代における近東(より具体的にはアナトリア半島)からの移民や、後期新石器時代から青銅器時代にかけてのポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)起源の集団の移動による希釈では説明できないことを示します。新石器時代の近東(肥沃な三日月地帯)と比較して、旧石器時代ヨーロッパにおいて、ADHD関連アレルの平均頻度は着実に低下しました。また、現代人におけるネアンデルタール人起源の多様体では、ADHD関連アレルが多く見られるので、ネアンデルタール人からの遺伝子移入により発症危険性を高めるような現代人のADHD関連アレルの平均頻度が低下したわけではない、と示されます。

 これらの知見を踏まえると、発症危険性を高めるようなADHD関連アレルの平均頻度が現生人類系統において低下した理由は、上述したネアンデルタール人に対する攻撃性の高さによるものではない、と考えられます。また、ADHDを過去の狩猟採集生活環境と関連させる理論では、新石器時代前におけるADHD関連アレルの平均頻度低下を説明できません。新石器時代における顕著なADHD関連アレル平均頻度の低下を示す本論文の知見は、ミスマッチ理論と適合的ですが、新石器時代標本群のゲノムにおける狩猟採集民系統の量とADHD関連アレル平均頻度との間の負の関連を説明できません。また、新石器時代前からADHD関連アレルの平均頻度低下傾向が見られることをどう説明するのか、という問題が残ります。

 本論文の結果は、ADHDに選択圧が作用している場合、新石器時代革命が転換期だった、との仮説に疑問を呈し、もっと長期にわたるものだった可能性を指摘します。ADHDに対する負の選択圧は現生人類系統において存在していたようですが、その正確な遺伝的および環境的要因はまだ不明である、と本論文は示します。ADHDは、大鬱病性障害や体重や繁殖力との相関も示されており、その中には負の選択だけではなく正の選択もあると考えられ、その進化は単純化できないように思われます。新石器時代は確かに人類史における一大転機でしたが、上部旧石器時代あるいは中部旧石器時代から新石器時代へと続く傾向もあった、と想定しておくべきなのでしょう。


参考文献:
Esteller-Cucala P. et al.(2020): Genomic analysis of the natural history of attention-deficit/hyperactivity disorder using Neanderthal and ancient Homo sapiens samples. Scientific Reports, 10, 8622.
https://doi.org/10.1038/s41598-020-65322-4

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