古松崇志『シリーズ中国の歴史3 草原の制覇 大モンゴルまで』

 岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2020年3月に刊行されました。本書はおもに、紀元後4~14世紀のユーラシア内陸部東方を対象としています。比較的乾燥した「中央ユーラシア」は、文字記録の多く残るアジア東部および南西部やヨーロッパよりも軽視されてきたところがありますが、前近代、とくに海域交流が比重を増してくる16世紀以前において、世界を結びつける枢要な位置を占めており、歴史上ひじょう重要な地域でした。

 本書は、中央ユーラシア史を踏まえつつ、それを東アジア史・中国史と接合すべく、「ユーラシア東方」という概念を提示し、ユーラシア東部の乾燥地帯勢力の推移と農耕を主要な基盤とする中華王朝との攻防という南北構造を提示するとともに、草原を中心とする乾燥地帯勢力がしばしば農耕社会を征服して統治したことも重視しています。中央ユーラシアの観点からは、ヨーロッパも視野に入れた東西の交流が注目されますが、本書は中央ユーラシアにおける東西のみならず南北の交通路も重視しています。これは、北の草原地帯と南のオアシス地帯もしくは農耕地帯との交通路です。

 ユーラシア東方草原地帯の諸勢力は、部族の連合体的性格が強いため、強力な指導者の下では短期間で勢力を拡大するものの、優秀な指導者がいなければ、短期間で崩壊してしまう危険性を孕んでいます。その点で本書が画期として重視しているのはキタイ(契丹、遼)で、君主(カガン)直属の軍事力を強化するとともに、軍事力の核となる遊牧社会と経済力の核となる農耕社会を共存させたうえで統治する機構を整備し、後の遊牧社会を基盤とする巨大国家の先駆けとなりました。また本書は、キタイと北宋との澶淵の盟が100年に及ぶ長期的な和平をもたらしたことも重視しています。こちらも、この後のユーラシア東方の国家間の関係の先例となっていきました。また本書は、澶淵の盟の源流として、けっきょくは和平に至らなかったものの、キタイと沙陀勢力(李克用)との交渉を挙げています。

 モンゴル帝国も、キタイに始まる遊牧社会と農耕社会の両方を統治するユーラシア東方大勢力の一つと言えますが、本書は、その版図の各大規模が破格だったことと、有力者の縁故だけではなく、個人的能力・才覚も重視され、出身による区別・差別が希薄だったことを特徴として挙げています。またモンゴル帝国は、版図を拡大する過程で自分たちの信仰とは異なる異質の宗教に接していきましたが、特定の宗教に肩入れする姿勢は希薄でした。しかし、統治のために有力な宗教勢力に特権と自治を認めたことで、モンゴル帝国の支配地では政権とつながりのある特定の指導者を中核とする教団化・集権化が進展し、結果としてユーラシア各地宗教勢力が再編されていきました。

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