ブチハイエナ属とホモ属の進化史の類似性
ブチハイエナ属とホモ属の進化史の類似性に関する研究(Westbury et al., 2020)が報道されました。第四紀後期には地球上で多くの絶滅が起きました。近年では、古代DNA研究の飛躍的な進展により絶滅種のDNAも解析されるようになり、絶滅種とその近縁の現生種との直接的比較が可能になりました。当初、古代DNA研究では解析の容易なミトコンドリアDNA(mtDNA)が主流でしたが、解析技術の発展に伴い、mtDNAよりもずっと多くの情報を含む核DNAの解析が可能となり、核ゲノムデータはmtDNAデータだけでは検出できなかった絶滅種と現生種との関係を明らかにしてきました。
こうして近年飛躍的に発展してきた古代DNA研究の主要な対象は人類でしたが、本論文はブチハイエナ属を対象としています。ブチハイエナ属にはいくつかの絶滅および現生種が含まれており、剣歯虎とともに、アフリカからユーラシアへと拡散したホモ属のような移住・進化史が指摘されています。サハラ砂漠以南のアフリカに現在も生存しているブチハイエナ(Crocuta crocuta)は、ブチハイエナ属で唯一の現生種です。ブチハイエナはしばしば大きな母系制社会と複雑な社会行動を示します。ブチハイエナは狩猟と死肉漁りの両方で食物を獲得しています。ブチハイエナでは、雌が出生集団に留まる一方で、雄は繁殖のために拡散します。
ブチハイエナ属は現在、砂漠以南のアフリカにしか存在しませんが、かつてはブリテン島から極東まで、ユーラシアの大半に分布していました。当初、形態が異なるため、ユーラシアのドウクツハイエナとアフリカのブチハイエナは異なる分類群とみなされました。ドウクツハイエナは現生ブチハイエナよりも遠位肢が短いため、走行能力が劣っている、と考えられていました。またドウクツハイエナは、歯の形態から、狩猟よりも死肉漁りに依存していた、と考えられています。ユーラシアのドウクツハイエナは、ヨーロッパ亜種(Crocuta crocuta spelaea)とアジア亜種(Crocuta crocuta ultima)に区分されています。しかし、この分類には異論があり、異なる気候による表現型の可塑性に起因している、との見解も提示されています。気候要因説は、mtDNAの短い断片の分析により支持を得るようになりました。アフリカのブチハイエナのmtDNAハプログループ(mtHg)が、ユーラシアのドウクツハイエナのmtHg内に見られたからです。その結果、mtDNAの短い断片のみを考慮した場合、ブチハイエナとドウクツハイエナは不可分な分類群のように見えます。
本論文は、サハラ砂漠以南のアフリカの現生ブチハイエナと、ユーラシアの絶滅ドウクツハイエナのDNAを新たに分析することで、ブチハイエナ属の系統関係を改めて検証しています。まず、ドウクツハイエナ7頭とブチハイエナ12頭のミトコンドリアゲノムが解析され、既知のデータとともに系統樹が構築されました。その結果、アフリカのブチハイエナのmtHgはユーラシアのドウクツハイエナのmtHg内に混在しており、これは、mtDNAの短い断片のみに基づく以前の系統樹と同様に、両分類群は互いに多系統と明らかになりました。しかし、主要な単系統群(クレード)間の関係はやや異なります。まず、アジア東部のクレードDが分岐し、続いてヨーロッパ系統のみのクレードBが分岐します。その後で、アフリカのみのクレードCとアフリカとユーラシアの混在するクレードAが分岐します。また、クレードA内では、ヨーロッパ系とアフリカ系が相互にクレードを形成します。mtDNAに基づくこの系統樹とは対照的に、核ゲノムデータに基づく主成分分析では、PC1軸でアフリカのブチハイエナとユーラシアのドウクツハイエナの間の違いが明確に示されます。PC2軸では、ヨーロッパとアジア東部のドウクツハイエナが明確に分離されます。
本論文はさらに、核ゲノムデータに基づいて最尤系統樹を作成しました。この系統樹では、アフリカのブチハイエナとユーラシアのドウクツハイエナとがそれぞれクレードを形成し、両者の分離を示します。ドウクツハイエナの主成分分析では、異なる3クラスタが示されます。PC1軸ではヨーロッパとアジア東部の分離が示され、PC2軸ではヨーロッパのドウクツハイエナが2集団に分れされます。PC2軸の分離は、mtHgのAとBに対応し、時間的もしくは地理的近縁性との明確な対応はありません。これは、地理的に近い集団間の外部障壁を示唆しており、異なるドウクツハイエナの母系にオスが拡散することを妨げているかもしれません。この知見に関しては、ヨーロッパバイソンの事例が参考になるかもしれません。ヨーロッパバイソンでは、mtHgの1系統が5万年以上前の個体群では優性でした。その後、このmtHgは5万~32000年前頃の間に別系統に置換され、その後で元々の系統に戻りました。これは、主成分分析では異なるmtHgと分離したクラスタを示す地理的に近接した個体群という、本論文のデータを説明できるかもしれません。ただ、年代の曖昧な標本もあるため、まだ決定的ではありません。
ブチハイエナの主成分分析では、明確なクラスタリングは示されませんでしたが、距離によりある程度の分離がある可能性を示しています。ペアワイズシーケンシャルマルコフ合体(PSMC)分析では、後期更新世におけるブチハイエナの大きなボトルネック(瓶首効果)が示されます。ガーナ・ナミビア・ソマリアというアフリカの地理的に大きく離れた地域のブチハイエナ個体群でほぼ同一の人口史が見られることから、これら3個体群は単一集団に属すか、ひじょうに類似した要因で人口史が形成されてきた、と示唆されます。このボトルネックの正確な原因は不明ですが、類似した期間のボトルネックは反芻動物のゲノムでも報告されています。これらのボトルネックは現生人類(Homo sapiens)の有効人口規模の増加と一致しており、現生人類の活動と関連していた、と推測されます。獲物の減少を伴う現生人類人口の増加は、ブチハイエナと他の肉食動物種との間の競争を増加させ、ボトルネックにつながったのかもしれません。また、以前の研究では、ユーラシアの反芻動物に関しても、ドウクツハイエナはアフリカのブチハイエナと類似の減少に直面しており、これが更新世末期の絶滅につながったかもしれません。
核ゲノムとmtDNAの対照的な結果は、不完全な系統分類か、ブチハイエナとドウクツハイエナの間の遺伝子流動を示唆しています。本論文の分析は、両者が分岐した後のいくつかの遺伝子流動を明らかにします。ブチハイエナからドウクツハイエナへの遺伝子流動に関して、ロシア極東の個体では最小限なのに対して、ドイツの2頭には類似した遺伝子移入の兆候が見られます。このパターンは比較対象がどのブチハイエナでも同様でした。これは、ドウクツハイエナへの遺伝子流動が、ヨーロッパ系とアジア系が分岐した後で、ヨーロッパ系が分岐する前だったことを示唆します。
逆に、ドウクツハイエナからブチハイエナへの遺伝子流動はもっと複雑だったようで、混合の水準はmtHgもしくはユーラシアとの地理的距離とは相関していないようです。ナミビアのブチハイエナ個体には、ドウクツハイエナからの遺伝子流動の痕跡が最小だったのに対して、ケニアの個体には最も多く含まれており、他のブチハイエナでは類似した水準でした。この交雑パターンに関しては、ブチハイエナへの複数の遺伝子流動事象があったか、単一の交雑事象があり、その後でランダムな組み合わせと遺伝子座の勾配拡散が続いた、と推測されます。
本論文は、ブチハイエナからの遺伝子流動の確認されたドイツのドウクツハイエナ2頭との比較からさらに分析を進め、ブチハイエナとヨーロッパのドウクツハイエナとの間の双方向の遺伝子流動を推測しています。しかし、分析結果は手法により異なり、アフリカからヨーロッパへの遺伝子流動の方がずっと多く、12万年前頃以降である可能性が高い、との結果と、ユーラシアからアフリカへの遺伝子流動の方が多い、との結果が得られています。本論文はこの矛盾した結果について、比較の基礎となる個体がすでに高度な混合個体の場合、交雑の全体的な水準が過小評価されている可能性と、より新しい遺伝子流動では古い遺伝子流動よりも実際の影響が大きく推定される可能性を指摘します。ブチハイエナではドウクツハイエナと比較してより長い混合の痕跡が見つかっており、アフリカのブチハイエナへの遺伝子流動事象が、その逆よりも新しい年代に起きた可能性を示唆します。
本論文はこれらを踏まえて、改めてブチハイエナとドウクツハイエナとの間の双方向の遺伝子流動を提示します。それは、ドウクツハイエナがヨーロッパ系とアジア系に分岐した後のことで、それに続いて北方のブチハイエナへの一方向の遺伝子流動が起き、その後で他のブチハイエナ系内において混合した遺伝子座の勾配拡散が起きました。さらに本論文は、mtHg-Aにおけるドウクツハイエナとブチハイエナの分岐年代に基づいて、遺伝子流動は475000年前よりも前のある時点で起き、それはブチハイエナからドウクツハイエナか、その逆だった、と推測しています。しかし、ブチハイエナのmtHgがいくつかのドウクツハイエナ集団で高頻度であるものの、他の集団ではそうではないか、あるいはドウクツハイエナのmtHgの1系統が高頻度アフリカ北部で高頻度に達していることから、選択とは対照的に偶然起きた可能性が高い、と指摘します。
次に本論文は、この混合事象が適応的な結果をもたらしたのか、検証します。ブチハイエナへの遺伝子移入領域では、75個の推定遺伝子が見つかりました。このうち、グルタミン酸受容体シグナル伝達経路で有意な選択の痕跡が見られました。この経路はさまざまな生物学的過程に関与しており、中枢神経系で重要な役割を果たしています。現生人類では、この経路の異常は統合失調症やアルツハイマー病やパーキンソン病などに関連しています。ドウクツハイエナの遺伝子移入領域では12個の推定遺伝子が見つかりましたが、有意な選択の痕跡は確認されませんでした。
ブチハイエナとドウクツハイエナの分岐年代は、252万もしくは271万年前頃と推定されています。アフリカ外における最古のブチハイエナ属遺骸は、中国の札達(Longdan)盆地で発見された200万年前頃のもの(Crocuta honanensis)で、アフリカで最古のブチハイエナ属は385万~363万年前頃のもの(Crocuta dietrichi)です。本論文は、ブチハイエナ属が分岐して間もなく、ユーラシア、おそらくはアジア東部へと拡散した、と推測しています。ブチハイエナ属は、その後でヨーロッパへと拡散したと考えられ、ヨーロッパで最古となる90万年前頃の遺骸がスペインで発見されています。オナガザル亜科や他のハイエナ科種などの哺乳類も、後期鮮新世~早期更新世にアフリカからユーラシアへと拡散しました。
ブチハイエナ属の出アフリカは、年代的に人類のそれと類似したところがあります。アフリカ外で最古の人類遺骸はジョージア(グルジア)で発見された180万年前頃のものですが、石器のような人類の痕跡は、中国陝西省で最古級となる212万年前頃のものが発見されています(関連記事)。なお、レヴァントでは248万年前頃の石器が発見されています(関連記事)。また後期ホモ属では、mtDNAやY染色体といった単系統遺伝と核ゲノムとの間で不一致が見られ(関連記事)、後期ホモ属の複雑な交雑史もブチハイエナ属と類似したところがあります。たとえば、ネアンデルタール人系統において、mtDNAと核ゲノムでは系統樹が一致しません(関連記事)。
ブチハイエナ属も後期ホモ属も、mtDNAの深い分岐はユーラシアの東西で見られます。ブチハイエナ属ではユーラシア東西集団で、後期ホモ属ではユーラシア東部の種区分未定のデニソワ人(Denisovan)と西部のネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)およびアフリカの現生人類です。一方後期ホモ属の核ゲノムでは、現生人類系統とネアンデルタール人およびデニソワ人系統がそれぞれ単系統群を形成します。ブチハイエナ属の核ゲノムでは、アフリカとユーラシアの集団がそれぞれ単系統群を形成します。ブチハイエナ属も後期ホモ属も、ともにアフリカ起源で、核ゲノムではアフリカ系統とユーラシア系統に大きく分岐しますが、mtDNAでは異なる系統樹が示されます。
本論文は、ブチハイエナ属とホモ属とのこの類似性に注目しますが、その根本的要因は両属で不明なため、この類似性が共通の原因に起因するのか、それとも単なる偶然なのか、判断を保留しています。ただ本論文は、260万~180万年前頃のアフリカ外における森林からサバンナのような環境への移行が、両属の類似した年代の出アフリカに役割を果たしたかもしれない、と指摘します。また本論文は、両属の類似性とともに、相違点も指摘します。ブチハイエナ属とホモ属の最初の出アフリカは同じ頃だったものの、核ゲノムにおいては、ホモ属では子孫を残さなかったのに対して、ブチハイエナ属では子孫を残した可能性があります。また、現代のブチハイエナ属とホモ属の分布は大きく異なり、ホモ属が世界中に拡散しているのに対して、ブチハイエナ属はサハラ砂漠以南のアフリカに留まっています。さらに、上述のように人口史も異なっており、ホモ属の中でも現生人類の人口増加とともに、ブチハイエナ属は個体数が減少していったかもしれません。したがって、種の進化史における類似性とともに、各種の独自性にも注目すべきです。
以上、本論文についてざっと見てきました。ハイエナについてはほとんど知らなかったのですが、ホモ属との類似性について色々と知見を得られて、たいへん興味深い内容でした。ブチハイエナ属もホモ属も、アフリカのサバンナで進化した社会性動物という共通点があります(ホモ属は、初期からある程度多様な環境に適応していたかもしれませんが)。両者の進化史の類似性はこの点に基盤があり、それが気候変動に伴う環境変化のさいに類似した対応を示した要因なのかもしれません。もちろん、本論文が指摘するように、この類似性の基盤には不明なところがまだ多分にあるので、偶然的な要素が大きいのかもしれませんし、また相違点も明らかにあるので、その点も無視できませんが。
参考文献:
Westbury MV. et al.(2020): Hyena paleogenomes reveal a complex evolutionary history of cross-continental gene flow between spotted and cave hyena. Science Advances, 6, 11, eaay0456.
https://doi.org/10.1126/sciadv.aay0456
こうして近年飛躍的に発展してきた古代DNA研究の主要な対象は人類でしたが、本論文はブチハイエナ属を対象としています。ブチハイエナ属にはいくつかの絶滅および現生種が含まれており、剣歯虎とともに、アフリカからユーラシアへと拡散したホモ属のような移住・進化史が指摘されています。サハラ砂漠以南のアフリカに現在も生存しているブチハイエナ(Crocuta crocuta)は、ブチハイエナ属で唯一の現生種です。ブチハイエナはしばしば大きな母系制社会と複雑な社会行動を示します。ブチハイエナは狩猟と死肉漁りの両方で食物を獲得しています。ブチハイエナでは、雌が出生集団に留まる一方で、雄は繁殖のために拡散します。
ブチハイエナ属は現在、砂漠以南のアフリカにしか存在しませんが、かつてはブリテン島から極東まで、ユーラシアの大半に分布していました。当初、形態が異なるため、ユーラシアのドウクツハイエナとアフリカのブチハイエナは異なる分類群とみなされました。ドウクツハイエナは現生ブチハイエナよりも遠位肢が短いため、走行能力が劣っている、と考えられていました。またドウクツハイエナは、歯の形態から、狩猟よりも死肉漁りに依存していた、と考えられています。ユーラシアのドウクツハイエナは、ヨーロッパ亜種(Crocuta crocuta spelaea)とアジア亜種(Crocuta crocuta ultima)に区分されています。しかし、この分類には異論があり、異なる気候による表現型の可塑性に起因している、との見解も提示されています。気候要因説は、mtDNAの短い断片の分析により支持を得るようになりました。アフリカのブチハイエナのmtDNAハプログループ(mtHg)が、ユーラシアのドウクツハイエナのmtHg内に見られたからです。その結果、mtDNAの短い断片のみを考慮した場合、ブチハイエナとドウクツハイエナは不可分な分類群のように見えます。
本論文は、サハラ砂漠以南のアフリカの現生ブチハイエナと、ユーラシアの絶滅ドウクツハイエナのDNAを新たに分析することで、ブチハイエナ属の系統関係を改めて検証しています。まず、ドウクツハイエナ7頭とブチハイエナ12頭のミトコンドリアゲノムが解析され、既知のデータとともに系統樹が構築されました。その結果、アフリカのブチハイエナのmtHgはユーラシアのドウクツハイエナのmtHg内に混在しており、これは、mtDNAの短い断片のみに基づく以前の系統樹と同様に、両分類群は互いに多系統と明らかになりました。しかし、主要な単系統群(クレード)間の関係はやや異なります。まず、アジア東部のクレードDが分岐し、続いてヨーロッパ系統のみのクレードBが分岐します。その後で、アフリカのみのクレードCとアフリカとユーラシアの混在するクレードAが分岐します。また、クレードA内では、ヨーロッパ系とアフリカ系が相互にクレードを形成します。mtDNAに基づくこの系統樹とは対照的に、核ゲノムデータに基づく主成分分析では、PC1軸でアフリカのブチハイエナとユーラシアのドウクツハイエナの間の違いが明確に示されます。PC2軸では、ヨーロッパとアジア東部のドウクツハイエナが明確に分離されます。
本論文はさらに、核ゲノムデータに基づいて最尤系統樹を作成しました。この系統樹では、アフリカのブチハイエナとユーラシアのドウクツハイエナとがそれぞれクレードを形成し、両者の分離を示します。ドウクツハイエナの主成分分析では、異なる3クラスタが示されます。PC1軸ではヨーロッパとアジア東部の分離が示され、PC2軸ではヨーロッパのドウクツハイエナが2集団に分れされます。PC2軸の分離は、mtHgのAとBに対応し、時間的もしくは地理的近縁性との明確な対応はありません。これは、地理的に近い集団間の外部障壁を示唆しており、異なるドウクツハイエナの母系にオスが拡散することを妨げているかもしれません。この知見に関しては、ヨーロッパバイソンの事例が参考になるかもしれません。ヨーロッパバイソンでは、mtHgの1系統が5万年以上前の個体群では優性でした。その後、このmtHgは5万~32000年前頃の間に別系統に置換され、その後で元々の系統に戻りました。これは、主成分分析では異なるmtHgと分離したクラスタを示す地理的に近接した個体群という、本論文のデータを説明できるかもしれません。ただ、年代の曖昧な標本もあるため、まだ決定的ではありません。
ブチハイエナの主成分分析では、明確なクラスタリングは示されませんでしたが、距離によりある程度の分離がある可能性を示しています。ペアワイズシーケンシャルマルコフ合体(PSMC)分析では、後期更新世におけるブチハイエナの大きなボトルネック(瓶首効果)が示されます。ガーナ・ナミビア・ソマリアというアフリカの地理的に大きく離れた地域のブチハイエナ個体群でほぼ同一の人口史が見られることから、これら3個体群は単一集団に属すか、ひじょうに類似した要因で人口史が形成されてきた、と示唆されます。このボトルネックの正確な原因は不明ですが、類似した期間のボトルネックは反芻動物のゲノムでも報告されています。これらのボトルネックは現生人類(Homo sapiens)の有効人口規模の増加と一致しており、現生人類の活動と関連していた、と推測されます。獲物の減少を伴う現生人類人口の増加は、ブチハイエナと他の肉食動物種との間の競争を増加させ、ボトルネックにつながったのかもしれません。また、以前の研究では、ユーラシアの反芻動物に関しても、ドウクツハイエナはアフリカのブチハイエナと類似の減少に直面しており、これが更新世末期の絶滅につながったかもしれません。
核ゲノムとmtDNAの対照的な結果は、不完全な系統分類か、ブチハイエナとドウクツハイエナの間の遺伝子流動を示唆しています。本論文の分析は、両者が分岐した後のいくつかの遺伝子流動を明らかにします。ブチハイエナからドウクツハイエナへの遺伝子流動に関して、ロシア極東の個体では最小限なのに対して、ドイツの2頭には類似した遺伝子移入の兆候が見られます。このパターンは比較対象がどのブチハイエナでも同様でした。これは、ドウクツハイエナへの遺伝子流動が、ヨーロッパ系とアジア系が分岐した後で、ヨーロッパ系が分岐する前だったことを示唆します。
逆に、ドウクツハイエナからブチハイエナへの遺伝子流動はもっと複雑だったようで、混合の水準はmtHgもしくはユーラシアとの地理的距離とは相関していないようです。ナミビアのブチハイエナ個体には、ドウクツハイエナからの遺伝子流動の痕跡が最小だったのに対して、ケニアの個体には最も多く含まれており、他のブチハイエナでは類似した水準でした。この交雑パターンに関しては、ブチハイエナへの複数の遺伝子流動事象があったか、単一の交雑事象があり、その後でランダムな組み合わせと遺伝子座の勾配拡散が続いた、と推測されます。
本論文は、ブチハイエナからの遺伝子流動の確認されたドイツのドウクツハイエナ2頭との比較からさらに分析を進め、ブチハイエナとヨーロッパのドウクツハイエナとの間の双方向の遺伝子流動を推測しています。しかし、分析結果は手法により異なり、アフリカからヨーロッパへの遺伝子流動の方がずっと多く、12万年前頃以降である可能性が高い、との結果と、ユーラシアからアフリカへの遺伝子流動の方が多い、との結果が得られています。本論文はこの矛盾した結果について、比較の基礎となる個体がすでに高度な混合個体の場合、交雑の全体的な水準が過小評価されている可能性と、より新しい遺伝子流動では古い遺伝子流動よりも実際の影響が大きく推定される可能性を指摘します。ブチハイエナではドウクツハイエナと比較してより長い混合の痕跡が見つかっており、アフリカのブチハイエナへの遺伝子流動事象が、その逆よりも新しい年代に起きた可能性を示唆します。
本論文はこれらを踏まえて、改めてブチハイエナとドウクツハイエナとの間の双方向の遺伝子流動を提示します。それは、ドウクツハイエナがヨーロッパ系とアジア系に分岐した後のことで、それに続いて北方のブチハイエナへの一方向の遺伝子流動が起き、その後で他のブチハイエナ系内において混合した遺伝子座の勾配拡散が起きました。さらに本論文は、mtHg-Aにおけるドウクツハイエナとブチハイエナの分岐年代に基づいて、遺伝子流動は475000年前よりも前のある時点で起き、それはブチハイエナからドウクツハイエナか、その逆だった、と推測しています。しかし、ブチハイエナのmtHgがいくつかのドウクツハイエナ集団で高頻度であるものの、他の集団ではそうではないか、あるいはドウクツハイエナのmtHgの1系統が高頻度アフリカ北部で高頻度に達していることから、選択とは対照的に偶然起きた可能性が高い、と指摘します。
次に本論文は、この混合事象が適応的な結果をもたらしたのか、検証します。ブチハイエナへの遺伝子移入領域では、75個の推定遺伝子が見つかりました。このうち、グルタミン酸受容体シグナル伝達経路で有意な選択の痕跡が見られました。この経路はさまざまな生物学的過程に関与しており、中枢神経系で重要な役割を果たしています。現生人類では、この経路の異常は統合失調症やアルツハイマー病やパーキンソン病などに関連しています。ドウクツハイエナの遺伝子移入領域では12個の推定遺伝子が見つかりましたが、有意な選択の痕跡は確認されませんでした。
ブチハイエナとドウクツハイエナの分岐年代は、252万もしくは271万年前頃と推定されています。アフリカ外における最古のブチハイエナ属遺骸は、中国の札達(Longdan)盆地で発見された200万年前頃のもの(Crocuta honanensis)で、アフリカで最古のブチハイエナ属は385万~363万年前頃のもの(Crocuta dietrichi)です。本論文は、ブチハイエナ属が分岐して間もなく、ユーラシア、おそらくはアジア東部へと拡散した、と推測しています。ブチハイエナ属は、その後でヨーロッパへと拡散したと考えられ、ヨーロッパで最古となる90万年前頃の遺骸がスペインで発見されています。オナガザル亜科や他のハイエナ科種などの哺乳類も、後期鮮新世~早期更新世にアフリカからユーラシアへと拡散しました。
ブチハイエナ属の出アフリカは、年代的に人類のそれと類似したところがあります。アフリカ外で最古の人類遺骸はジョージア(グルジア)で発見された180万年前頃のものですが、石器のような人類の痕跡は、中国陝西省で最古級となる212万年前頃のものが発見されています(関連記事)。なお、レヴァントでは248万年前頃の石器が発見されています(関連記事)。また後期ホモ属では、mtDNAやY染色体といった単系統遺伝と核ゲノムとの間で不一致が見られ(関連記事)、後期ホモ属の複雑な交雑史もブチハイエナ属と類似したところがあります。たとえば、ネアンデルタール人系統において、mtDNAと核ゲノムでは系統樹が一致しません(関連記事)。
ブチハイエナ属も後期ホモ属も、mtDNAの深い分岐はユーラシアの東西で見られます。ブチハイエナ属ではユーラシア東西集団で、後期ホモ属ではユーラシア東部の種区分未定のデニソワ人(Denisovan)と西部のネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)およびアフリカの現生人類です。一方後期ホモ属の核ゲノムでは、現生人類系統とネアンデルタール人およびデニソワ人系統がそれぞれ単系統群を形成します。ブチハイエナ属の核ゲノムでは、アフリカとユーラシアの集団がそれぞれ単系統群を形成します。ブチハイエナ属も後期ホモ属も、ともにアフリカ起源で、核ゲノムではアフリカ系統とユーラシア系統に大きく分岐しますが、mtDNAでは異なる系統樹が示されます。
本論文は、ブチハイエナ属とホモ属とのこの類似性に注目しますが、その根本的要因は両属で不明なため、この類似性が共通の原因に起因するのか、それとも単なる偶然なのか、判断を保留しています。ただ本論文は、260万~180万年前頃のアフリカ外における森林からサバンナのような環境への移行が、両属の類似した年代の出アフリカに役割を果たしたかもしれない、と指摘します。また本論文は、両属の類似性とともに、相違点も指摘します。ブチハイエナ属とホモ属の最初の出アフリカは同じ頃だったものの、核ゲノムにおいては、ホモ属では子孫を残さなかったのに対して、ブチハイエナ属では子孫を残した可能性があります。また、現代のブチハイエナ属とホモ属の分布は大きく異なり、ホモ属が世界中に拡散しているのに対して、ブチハイエナ属はサハラ砂漠以南のアフリカに留まっています。さらに、上述のように人口史も異なっており、ホモ属の中でも現生人類の人口増加とともに、ブチハイエナ属は個体数が減少していったかもしれません。したがって、種の進化史における類似性とともに、各種の独自性にも注目すべきです。
以上、本論文についてざっと見てきました。ハイエナについてはほとんど知らなかったのですが、ホモ属との類似性について色々と知見を得られて、たいへん興味深い内容でした。ブチハイエナ属もホモ属も、アフリカのサバンナで進化した社会性動物という共通点があります(ホモ属は、初期からある程度多様な環境に適応していたかもしれませんが)。両者の進化史の類似性はこの点に基盤があり、それが気候変動に伴う環境変化のさいに類似した対応を示した要因なのかもしれません。もちろん、本論文が指摘するように、この類似性の基盤には不明なところがまだ多分にあるので、偶然的な要素が大きいのかもしれませんし、また相違点も明らかにあるので、その点も無視できませんが。
参考文献:
Westbury MV. et al.(2020): Hyena paleogenomes reveal a complex evolutionary history of cross-continental gene flow between spotted and cave hyena. Science Advances, 6, 11, eaay0456.
https://doi.org/10.1126/sciadv.aay0456
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