ヨーロッパの最初期現生人類(追記有)

 ヨーロッパの最初期現生人類(Homo sapiens)に関する二つの研究が報道されました。これらの研究はオンライン版での先行公開となります。一方の研究(Hublin et al., 2020)は、ヨーロッパで最古となりそうなブルガリアのバチョキロ洞窟(Bacho Kiro Cave)の現生人類遺骸のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析結果を報告しています。ヨーロッパで最古級の現生人類(Homo sapiens)遺骸は、イギリスのケンツ洞窟(Kent’s Cavern)の較正年代(以下、年代は基本的に較正されたものです)で44200~41500年前頃のもの(関連記事)と、イタリアのカヴァッロ(Cavallo)洞窟で発見された45000~43000年前頃のものです(関連記事)。しかし、両者ともに直接的な年代測定ではなく、現生人類化石の正確な層序については議論されています(関連記事)。そのため、ヨーロッパへの現生人類の拡散年代は、上部旧石器時代の到来における、さまざまな「(中部旧石器時代から上部旧石器時代への)移行期」遺物群の製作者に関する仮説に基づいています。

 バチョキロ洞窟はブルガリア中央部のドリャノヴォ(Dryanovo)の西方5km、バルカン山脈の北斜面に位置し、ドナウ川からは南へ約70kmとなります。バチョキロ洞窟では、中部旧石器時代後期~上部旧石器時代早期にかけての堆積物が確認されています。バチョキロ洞窟での発掘はまず1938年に行なわれ、その後1970年代に再発掘され、2015年には、年代解明を目的として、以前に発掘された主区域とまだ発掘されていなかった壁龕1区域が調査されました。

 底部のK層では中部旧石器時代の遺物が発見されていますが、その密度は低く、その上層のJも人工物の密度は低いままですが、J層の上部には、その上のI層と同じ人工物が含まれています。J層は3000年以上に及ぶと推定されています。I層は45820~43650年前頃で、当初はバチョキリアン(Bachokirian)と報告された石器群が含まれます。バチョキリアンは現在では、初期上部旧石器(Initial Upper Paleolithic、以下IUP)インダストリーの一部とみなされています。I層は考古学的遺物がほとんどない流水堆積物のGおよびH層で覆われています。主区域では、G層の上に低密度の上部旧石器時代人工物を含む1.7mの堆積物が重なっています。

 J層の上部で人類の下顎第二大臼歯(F6-620)が見つかりました。その歯冠寸法はネアンデルタール人と上部旧石器時代現生人類の上限に位置し、形態からはネアンデルタール人ではなく現生人類に分類されます。質量分析法による動物考古学(ZooMS)により、識別不可能な骨と歯1271個で6個の人類の断片的な骨が確認されました。そのうち4個は壁龕1区域I層、1個は主区域B層、1個はB層とC層の境界で発見されました。F6-620を含めて、IUP層から合計5個の人類遺骸が確認されたことになります。ZooMSで確認された4個のIUP層の人類遺骸の年代は46790~42810年前です。これは、45820~43650年前というI層の年代とおおむね一致します。これらは、ヨーロッパでは最古級となる上部旧石器時代の人類遺骸となります。

 F6-620とZooMSで識別された6個の人類遺骸からmtDNAが抽出されました。これら7個の人類遺骸のうち、6個でミトコンドリアゲノムを復元できました。F6-620と別の1標本(AA7-738)は同一なので、同じ個体か、同じ母系に属することになります。これらバチョキロ洞窟のIUPの7人のミトコンドリアゲノムは、現代人54人、12人の古代の現生人類、22人のネアンデルタール人、4人の種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)、スペイン北部の「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡(以下、SHと省略)で発見された1個体と比較されました。

 I層(とJ層上部)の標本群は非アフリカ系現代人のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)MとNおよびNから派生したRに分類され、それぞれ基底部近くに位置します。mtDNAでは、これらの標本群は(出アフリカ系)現生人類に分類されるわけです。ただ、これらの標本は、mtHgでは大きく3系統に区分されますが、mtDNAの配列の違いは最大でも15ヶ所で、相互に近親関係にない現代ヨーロッパ人97.5%で観察されるよりも少なくなっています。この中には、現代ヨーロッパでは基本的に見られないmtHg-Mが存在し、現代人よりも置換が少なくなっています。ベルギーでも、35000年前頃の現生人類個体はmtHg-Mで(関連記事)、上部旧石器時代でも前半にはヨーロッパでもまだmtHg-Mが存在した、と改めて確認されました。これらの遺伝的情報から、I層の標本群の年代は44830~42616年前と推定され、これは放射性炭素年代測定法による較正年代とよく一致します。以下、ミトコンドリアゲノムに基づく本論文の図2です。
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 I層とJ層の現生人類標本群と関連する動物遺骸では23種が確認されており、おもにウマ・ウシ・シカ・ヤギです。これらは、バルカン半島の海洋酸素同位体ステージ(MIS)3に特徴的な、寒冷期と温暖期の両方に適応した分類群から構成されます。また、ホラアナグマ(Ursus spelaeus)を主としてさまざまな肉食動物も存在します。動物考古学的分析では、これらの動物遺骸の蓄積はおもに人為的と強く示唆されます。これら動物遺骸の中には、人為的に加工されたものも多数存在し、その中には、オーカーの使用と一致する赤い染色があります。1個の穿孔された象牙のビーズと、12の穿孔もしくは溝の掘られたペンダントが特定され、そのうち11個はホラアナグマの歯で、1個は有蹄類の歯で作られました。

 I層の現生人類と関連する石器群は当初、中部旧石器もしくはオーリナシアン(Aurignacian)様の上部旧石器技術複合のどれとも適合しなかったので、バチョキリアン技術複合に分類されました。上述のように、現在これらの石器群はIUPに分類されています。IUPの特徴は、石刃と上部旧石器に特徴的な道具ですが、先行する中部旧石器時代やアフリカの中期石器時代を想起させるルヴァロワ(Levallois)要素もいくぶんあります。ヨーロッパ中央部からモンゴルまでユーラシアに広範に存在するIUP石器群は、小型石刃(bladelet)生産を特徴とする上部旧石器時代石器群に先行し、おそらくアジア南西部に起源があります。バチョキロ洞窟のIUPの石器技術や装飾品と類似したものは、たとえばトルコのユチャユズル洞窟(Üçağızlı Cave)で発見されており、年代も近接しています。IUPに関しては、以前当ブログで概説的な論文を取り上げました(関連記事)。

 バチョキロ洞窟遺跡は、この地域のIUPが現生人類の所産であることを示し、現生人類によるユーラシアの大半の拡散はIUPの拡大に伴っていた、というモデルと一致します。IUP石器群の存在は、レヴァントの前期アハマリアン(Early Ahmarian)やバルカン東部の前期コザーニカン(Early Kozarnikan)やヨーロッパ西部および中央部のプロトオーリナシアン(Proto-Aurignacian)のような最初の上部旧石器時代小型石刃技術複合の拡大に数千年先行する、現生人類の移住の波を示します。バチョキロ洞窟では、J層上部の石器群がその上層のI層と同一なので、IUPは45000年前以前に始まり、47000年前に始まった可能性もあります。シベリア西部のウスチイシム(Ust'-Ishim)遺跡からヨーロッパ東部のバチョキロ洞窟遺跡まで、45000年前頃には現生人類がユーラシアに広範に存在したことになります。IUP集団はアジア南西部から急速にユーラシア中緯度地帯に拡散し、オーリナシアン(Aurignacian)集団とは対照的に、現代ヨーロッパ人集団とは遺伝的関係はないようです(関連記事)。

 現生人類とネアンデルタール人との直接的接触は、ヨーロッパでは西部よりも東部で早く起きたに違いなく、ヨーロッパ西部ではネアンデルタール人はおおむね4万年前頃までに絶滅した、と考えられています(関連記事)。ルーマニア南西部の「骨の洞窟(Peştera cu Oase)」で発見された初期現生人類の人骨「Oase 1」のDNA解析では、その4代~6代前の祖先にネアンデルタール人がいた、と推測されています(関連記事)。本論文はバチョキロ洞窟の結果から、「骨の洞窟」の年代を42000~37000年前頃と推定しています。これは、ヨーロッパ東部におけるネアンデルタール人と現生人類の接触期間が以前の推定よりも長かったことを示唆します。ただ、「骨の洞窟」の直接的な年代測定結果は最近の技術改善よりも前なので、その年代は過小評価されているかもしれません。その場合、ヨーロッパ東部でのネアンデルタール人と現生人類の共存期間はより短かったかもしれません。

 バチョキロ洞窟のIUPペンダントは、フランスのトナカイ洞窟(Grotte du Renne)遺跡のシャテルペロニアン(Châtelperronian)層で発見された後期ネアンデルタール人の所産と思われる人工物と類似しています。なお、シャテルペロニアンがネアンデルタール人の所産なのか、議論はありますが、少なくともその一部はネアンデルタール人の所産である可能性が高いと思います(関連記事)。最後のネアンデルタール人の認知的複雑さがどうであろうと、バチョキロ洞窟のペンダントの方がトナカイ洞窟のシャテルペロニアン層の人工物より古いことから、衰退期のネアンデルタール人集団で見られる装飾品の製作のような行動学的新規性は、ヨーロッパに移住してきた現生人類との接触の結果だった、との見解を本論文は支持します。ただ、シャテルペロニアンにおける動物遺骸を用いたペンダントが、現生人類から入手したか、ネアンデルタール人が現生人類を模倣したのだとしても、それはあくまでもシャテルペロニアンの動物遺骸を用いたペンダントに限ることで、ネアンデルタール人所産の装飾品と思われる遺物は、10万年以上前のものがクロアチア(関連記事)やスペイン(関連記事)で発見されているので、ネアンデルタール人が独自に装飾品を製作していた可能性は低くないと思います。


 もう一方の研究(Fewlass et al., 2020)は、バチョキロ洞窟における人類の痕跡の年代を報告しています。バチョキロ洞窟では中部旧石器時代から上部旧石器時代までの考古学的堆積が確認されています。上述のように、I層とJ層上部の人工物は当初バチョキリアンと分類されましたが、今ではIUPの一部と認識されています。本論文は、主区域をA~J、壁龕区域をN1-3a・3b・3e-c層からN1-G・H・I・J・K層に区分しています。N1-G/H・I・J層は、主区域のG・I・J層に明確に対応しています。

 全体的な特徴は、I層およびN1-I層では人工物密度がひじょうに高く、他の層では低いことです。石器と動物の骨の70%以上はI層およびN1-I層で発見されています。N1-J層とN1-K層の境界には曖昧なところもあり、N1-J層底部の石器群は、その下のN1-K層の中部旧石器時代石器群と一致します。D~G層とN1-3a~N1-G層には石器が含まれず、動物の骨も低密度です。主区域で上層となるA1・A2・B・C層には再加工石刃や小型石刃や掻器や彫器や骨器など上部旧石器時代人工物が含まれていますが、上部旧石器でもどのインダストリーなのか、分類は曖昧です。以前の放射性炭素年代測定結果では、年代と層序の不一致も見られました。本論文は、これが不十分な汚染除去などに起因すると推測し、改善された新たな放射性炭素年代測定法を適用しました。本論文は、現生人類と分類された骨の直接的な年代測定を含む、高精度な放射性炭素年代測定結果を提示します。

 6個の現生人類の骨を含む95個の骨で年代値が得られました。動物の骨のうち63%には人為的痕跡が見られます。全体的な年代は、49430~27250年前です。骨のうち9個は放射性炭素年代測定法の範囲を超えており(51000年以上前)、すべてN1-K層、N1-J層とN1-K層の境界、N1-J層下部で発見されました。放射性炭素年代測定法結果からは、N1-J層下部が中部旧石器時代とIUPのどちらに関連しているのか、決定できませんが、中部旧石器時代から上部旧石器時代への移行期ではなさそうだ、と本論文は指摘します。N1-J層の上部は46940~45130年前で、N1-I層と技術類型学的特徴の共通するIUP石器群が低密度で発見されています。主区域のJ層はN1-J層の新しい(上部の)層と年代が重なり、45690~44390年前です。N1-J層におけるIUPの出現は、北半球のさまざまな古気候記録で示唆されている温暖期と一致します。

 N1-I層とI層の年代範囲はひじょうに堅牢です。人類遺骸と人為的痕跡のある動物の骨25個のデータから、年代は45820~43650年と推定されます。N1-J層上部からN1-I層までの人工物密度が高いことから、現生人類はこの期間に洞窟を比較的継続的に利用していた、と示唆されます。I層より上層の人工物が少ないため、バチョキロ洞窟でいつIUPが終了した年代の判断は困難です。N1-H・N1-G・G層は厚い流水堆積物で、底部における人工物密度は低くなっています。E層とF層は厚く、骨の密度が低く、石器は見つかりません。これらの層の年代範囲はI層の最新の年代と重なり、G層からE層にかけて堆積が速かったことを示唆します。1970年代の発掘で発見された低密度の人工物からは、IUP的特徴がJ層上部からD4層まで続いたことを示唆します。その後、C層(42110~36340年前)とB層(39000~34970年前)とA2層(35440~34350年前)になると、人工物密度は増加します。これらの層の人工物はIUPではなく後続の上部旧石器時代人工物と類似しています。主区域では、上部旧石器時代はA2層にまで及びます。A1層の解体痕の見られるウシの骨の年代が27610~27250年前で、グラヴェティアン(Gravettian)の小型石刃によるものと類似しており、バチョキロ洞窟の人為的痕跡では最新のものとなります。バチョキロ洞窟における文化の変遷は、気候変動と対応しているかもしれません。

 本論文は、バチョキロ洞窟における高精度な放射性炭素年代測定結果を提示しました。バチョキロ洞窟におけるIUPの始まりはN1-J層の堆積中で、46940年前頃になりそうです。上述のもう一方の論文では、ブルガリアのバチョキロ洞窟のIUPが現生人類の所産と確認されましたから、ヨーロッパにおける現生人類の拡散は47000年前頃まではさかのぼりそうです。これは現時点では、ヨーロッパにおける最古の確実な現生人類の痕跡となります。そうすると、4万年前頃まではヨーロッパにネアンデルタール人が存在していましたから、ネアンデルタール人が現生人類から何らかの文化的影響を受けても不思議ではなく、上述のルーマニアの早期現生人類の事例からは、交雑も起きたと考えられます。ただ、本論文が指摘するように、IUPの現生人類は現代ヨーロッパ人にほとんど遺伝的影響を与えていないようです。そうすると、IUP現生人類集団は、気候変動やオーリナシアンなど典型的な上部旧石器を有する後続の現生人類集団により、ネアンデルタール人と同様に絶滅に追い込まれたのかもしれません。ただ、この問題の判断は、やはり核ゲノムデータの蓄積を俟つ必要があるとは思います。IUP現生人類集団も、シベリアとヨーロッパでは遺伝的にかなり異なっていた可能性もあるでしょう。また、ヨーロッパにおけるネアンデルタール人と現生人類の接触に伴う文化伝播は、現生人類からネアンデルタール人への一方向だったのではなく、双方向だった可能性も低くないと思います(関連記事)。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。



進化:ヨーロッパ最古の現生人類の証拠

 ヨーロッパ南東部の洞窟から初期の現生人類の骨および関連の人工遺物を発見し、その年代測定を行ったことを報告する2編の論文が、今週、NatureとNature Ecology & Evolution に掲載される。今回発見された化石のヒト族は、後期旧石器時代のホモ・サピエンス(Homo sapiens)の既知最古の例となる。

 ホモ・サピエンスは約4万5000年前までにヨーロッパに入り、間もなくネアンデルタール人と入れ替わった。この集団の入れ替わりの時代は、中期~後期旧石器時代の移行期として知られている。この移行期の事象の正確な時期に関しては、直接的な年代測定が行われた化石遺物がないために、激しい議論が行われている。

 今回、Jean-Jacques HublinたちはNatureに掲載される論文で、ブルガリアのバチョキロ洞窟で発掘されたヒト族の骨と人工遺物について記述している。Hublinたちが発見したのは、ホモ・サピエンスのものと推定される歯1点と、古代のタンパク質およびDNAの内容からヒトのものと特定した骨遺物4点である。また、Helen FewlassたちはNature Ecology & Evolutionに掲載される論文で、放射性炭素年代測定によって、この場所の遺跡の年代範囲が4万6940~4万3650年前であると報告している。これらの骨から抽出したDNAの解析から、4万4830~4万2616年前という年代が推定され、放射性炭素年代の測定結果が支持された。

 今回の発掘では、クマの歯製のペンダントなど、ネアンデルタール人の活動と関連付けられている後代の遺跡で発見されたものと類似した、数多くの装飾品も発見された。こうした知見を総合すると、現生人類は4万5000年前以前に中緯度ユーラシアへ進出してネアンデルタール人と同じ時代を過ごし、その行動に影響を与えた末に、ネアンデルタール人に取って代わったことが示された。



参考文献:
Fewlass H. et al.(2020): A 14C chronology for the Middle to Upper Palaeolithic transition at Bacho Kiro Cave, Bulgaria. Nature Ecology & Evolution, 4, 6, 794–801.
https://doi.org/10.1038/s41559-020-1136-3

Hublin JJ. et al.(2020): Initial Upper Palaeolithic Homo sapiens from Bacho Kiro Cave, Bulgaria. Nature, 581, 7808, 299–302.
https://doi.org/10.1038/s41586-020-2259-z


追記(2020年5月21日)
 本論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。



人類学:ブルガリア・バチョキロ洞窟で出土した後期旧石器時代初頭のホモ・サピエンス

Cover Story:太古の宝飾品:ヨーロッパで最初期の現生人類の証拠となるペンダントとヒトの遺骸

 表紙は、ブルガリアのバチョキロ洞窟における発掘調査で出土した、推定年代が4万6000〜4万3000年前のペンダントである。この宝飾品は、ホラアナグマの歯でできている。今回J Hublinたちは、この洞窟で発掘された人工物とヒト族の遺骸について報告している。1本の歯を含むこれらの遺骸は、ヨーロッパでこれまでに発見された中で最初期の現生人類のものであり、宝飾品のデザインから、ユーラシア大陸を西へ広がったホモ・サピエンス(Homo sapiens)とその地にいたネアンデルタール人の間に文化交流があったことを示すさらなる証拠が得られた。これらの遺骸のDNA分析と放射性炭素年代測定の結果は、現生人類が4万5000年前以前にユーラシア大陸の中緯度域に到達していたことを示唆している。

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