桐野作人『明智光秀と斎藤利三』

 宝島社新書の一冊として、宝島社から2020年3月に刊行されました。表題にあるように、本書は本能寺の変における斎藤利三の役割を重視しています。まず不明な点の多い明智光秀の前半生ですが、やはり確実な史料はないようで、本書も後世の編纂史料などから推測するに留まっています。本書から窺えるのは、光秀は美濃土岐氏もしくは土岐明智氏のなかなか有力な家柄だったものの、没落して流浪し、越前で一定期間以上過ごして朝倉義景に仕えていた可能性が高い、ということです。今後も光秀の出自と前半生を詳細に解明することはできないでしょうが、本書の推測は大きく外れていないように思います。

 光秀は足利義昭に仕え、義昭を織田信長と結びつけるのに重要な役割を果たしたことから、信長にも重用されるようになったのだろう、と本書は推測します。信長家臣になってからの光秀の急激な出世を考えると、本書の推測は妥当だと思います。信長の重臣となった光秀は、都の周辺に所領を有し、「天下」守護として織田政権第二位の地位にある、との自負を抱いていたのではないか、と本書は推測します。本書は光秀のこの意識が、本能寺の変の一因になった可能性を指摘します。信長家臣団として別格の地位にある自分こそ、信長に代わって「天下」を掌握できる、というわけです。

 ただ、光秀の「天下」は、都・畿内を中心とした足利将軍の支配領域という当時の観念で、信長の「天下」観念が勢力拡大とともに、日本列島的な意味合い、さらには「東アジア」へと肥大化していったとすると、信長と光秀の間には齟齬が生じていたことになり、それも本能寺の変の一因になったかもしれない、と本書は推測します。さらに、畿内に勢力を有していた信長古参の重臣である佐久間信盛が、本願寺が信長に服従した直後の1580年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)に追放されたことも、光秀が信長家臣でいることへの不安を抱き、謀反を起こす動機になったかもしれない、と本書は推測します。また、信長晩年には、有力家臣は畿内より遠方に追いやられ、それは信長の息子を養子に迎えていた羽柴秀吉でも同様だった、と本書は指摘します。これも、光秀の将来への不安を醸成したのではないか、というわけです。

 本能寺の変の直接的要因として本書が重視するのは、信長の対長宗我部方針の転換と、斎藤利三をめぐる稲葉良通(一鉄)との対立です。長宗我部氏は信長と誼を通じて、光秀と利三が取次を務めるようになりました。これは、利三の兄の頼辰が石谷光政の養子となり、光政の娘が長宗我部元親の正室になった、という縁戚関係があったからでした。信長と元親の関係は当初良好でしたが、信長は息子の信孝を「四国管領」的な地位に就けることを前提として、1582年初頭には、信孝の後見的存在とした三好氏を重視し、長宗我部氏の軽視、さらには排除の可能性さえ否定しなくなります。信長は長宗我部領に関して、阿波のみならず土佐さえ保証しなくなります。これに対して元親は強く反発し、織田と長宗我部の関係は悪化して、長宗我部の取次だった光秀と利三は苦慮しますが、本能寺の変の直前に、元親は織田との宥和方針へと変更します。しかし、それを伝える書状は、その日付からして光秀と利三、さらには信長には届かなかっただろう、と本書は指摘します。また本書は、元親が信長との宥和方針に変わったのは、その直前に織田が短期間で大勢力だった武田を滅ぼしたからだろう、と推測しています。

 本書は、複数の史料から、1582年5月に光秀が安土城で徳川家康を接待した頃に信長に折檻され、それが本能寺の変の直接的な一因になった可能性を指摘します。信長が光秀を折檻した理由の一つとして、本書は上述の対長宗我部(四国)政策の転換を挙げます。もう一つ本書が挙げているのが、以前には稲葉良通(一鉄)の家臣だった利三をめぐる、稲葉良通と光秀との相論です。信長はこの相論で一鉄に有利な判断をくだし、光秀がそれを不満に思い、信長と光秀の間で衝突が生じたのではないか、というわけです。本書はこれを信長の家臣団統制の矛盾の表れと評価しています。光秀は、佐久間信盛のような有力家臣に対する信長の処遇から「天下」守護としての織田政権第二の地位を追われることに不安を抱き、さらに対長宗我部政策や利三の帰属をめぐる問題で信長に折檻されたことで、謀反を起こそうと決意した、というのが本書の見通しです。

 ただ本書は、光秀から伯耆の国衆への書状から、光秀は本能寺の変の3日前の時点でも謀反を起こすと決断していなかった、と推測します。信長への叛意自体はすでにあったとしても、勝算を考えて謀反の決意を固めていなかった、あるいはいつ謀反を起こすか決めていなかった、というわけです。それが急遽謀反を決めたのは、信長とその後継者としてすでに家督も継承していた息子の信忠が、ともにわずかな兵とともに都におり、両者を討ち取れる可能性が高いと明らかになったからだ、と本書は推測します。光秀は都に屋敷を持ち、信長と信忠の動向を容易に把握できたのだろう、と本書は指摘します。本書は、関心の高い本能寺の変に関する一般向け書籍として、現時点で強く勧められる一冊だと思います。大河ドラマと関連して本能寺の変関連本が多数刊行されていますが、本書は大当たりでした。

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