小山俊樹『五・一五事件 海軍青年将校たちの「昭和維新」 』

 中公新書の一冊として、中央公論新社より2020年4月に刊行されました。本書は五・一五事件の具体的な経過とともに、その背景について対象を広くとって考察しています。また、五・一五事件後の首謀者、とくに三上卓の動向が詳しく取り上げられているのも本書の特徴です。そもそも、五・一五事件の具体的な経過を詳しく読んだことがなかったので、本書の簡潔な叙述でも私にとっては有益でした。本書の主題は、五・一五事件の具体的な経過の叙述ではなく、その背景の解明です。第一次世界大戦後の軍縮による軍人の不遇感、第一次世界大戦のような総力戦体制に耐えられるよう日本を「改造」しなければならない、との軍人の焦燥感、それとも関連して、第一次世界大戦後にずっと続き、とくに世界恐慌とともに深刻化した不況により疲弊した農村を顧みようとしない(と認識された)、重臣や政党政治家や財閥など「既得権階層」への不満は軍部のみならず広く共有されていたといったことが、本書では五・一五事件の背景として挙げられています。

 そのため、五・一五事件の実行者たちには軍部のみならず広く国民から同情が集まり、刑も軽かったのに対して、二・二六事件の実行者たちは、五・一五事件の判決から自分たちの量刑について楽観視していたところ、予想以上に重い刑がくだされた、と私は認識していました。しかし、本書を読むと、どうもそのように単純化できないようです。まず、五・一五事件直後には、殺害行為自体への嫌悪感も広く見られ、殺害された犬養毅首相への同情もあり、実行犯への国民的同情が高まったとはとても言えないようです。しかし、事件から1年が経過して陸軍、続いて海軍で公判が始まり、マスコミ報道が始まると、「私心なき青年の純真」という実行者像が形成されていき、減刑運動が盛り上がっていきました。これは、軍部による誘導の側面が多分にあったようです。また本論文は、五・一五事件の被告では、軍人の刑が軽かったのに対して、民間人の刑が重かったことを指摘します。

 また、結果的に五・一五事件で戦前の政党政治は終焉したものの、五・一五事件後しばらくは政党政治復活が模索され、それはある程度以上現実的だった、との見解は知っていましたが、本書で犬養内閣の後に政党政治が継続しなかった過程をより詳しく知ったのも収穫でした。当時、鈴木喜三郎を代表に政友会要人はおおむね、「憲政の常道」から政友会単独政権が続くと確信しており、当時唯一の元老だった西園寺公望も、当初は鈴木喜三郎を後継首相と想定していました。しかし本書は、軍部の暴走とともに政党政治にたいしても不信感を強く抱き、鈴木内閣では犬養内閣の内閣書記官長だった森恪が外交で主導権を握って強硬路線を推進するのではないか、と懸念していた昭和天皇の意向を知らされた西園寺が、当初の構想を断念した、と推測しています。後継首相となった斎藤実を早くから推していたのは木戸幸一でした。なお、森恪が犬養毅殺害の黒幕との説に対して、本書は否定的です。

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