200万年前頃のアフリカ南部における3系統の人類の共存(追記有)
200万年前頃のアフリカ南部における3系統の人類の共存に関する研究(Herries et al., 2020)が報道されました。日本語の解説記事もあります。南アフリカ共和国北東部の世界遺産登録地域では、初期人類化石が豊富に発見されています。その中には、アウストラロピテクス・アフリカヌス(Australopithecus africanus)、アウストラロピテクス・セディバ(Australopithecus sediba)、パラントロプス・ロブストス(Paranthropus robustus)、早期ホモ属が含まれます。このうち早期ホモ属は同種がアフリカ東部に存在したかもしれませんが、その他の種はアフリカ南部固有です。
しかし、アフリカ南部の早期ホモ属標本(StW 53やSK 15やSK 847)は断片的なので、アフリカ東部の早期ホモ属との関係は不明です。ホモ属の出現はアフリカ東部において280万年前頃までさかのぼるかもしれない、と指摘されていますが(関連記事)、197万7000年±7000年前頃のアウストラロピテクス・セディバがホモ属の祖先との見解も提示されています(関連記事)。アフリカ南部の早期人類とアフリカ東部の早期人類との比較の難しさは、アフリカ南部の早期人類遺跡の層序の複雑さと、アフリカ東部では利用可能な火山性物質がないことに起因する、年代測定の不確実性に起因します。アフリカ南部でも複数の手法で早期人類の年代が測定されていますが、相互に矛盾することも珍しくありません。
しかし、この200万年前頃の前後の期間は、アウストラロピテクス属が絶滅し、新たにパラントロプス属とホモ属が出現して、石器と骨器も新たに出現していることと、生態系が変わって動物相にも大きな変化が見られることから、人類進化史においてたいへん注目されます。本論文は、この世界遺産登録地域のドリモレン(Drimolen)古洞窟遺跡群を対象に、流華石のウラン・鉛年代測定と、歯のウラン系列電子スピン共鳴(US-ESR)年代測定と、堆積物の古地磁気を組み合わせて、この重要な時期のより正確な推定年代を提示しています。
本論文は、ドリモレン遺跡で発見された部分的な人類頭蓋2点(DNH 134およびDNH 152)を分析しました。DNH 134は融合の状態から2~3歳の未成体と推測されています。DNH 134の頭蓋容量は514~564㎤と推定されており、アウストラロピテクス属との比較では、成体の上限と重なりますが、未成体の範囲を明確に超えます。DNH 134が成体まで成長した場合の推定脳容量は、ヒトを基準にすると588~661㎤、チンパンジーを基準にすると551~577㎤です。DNH 134の頭蓋冠は長くて低く、形態学的にはホモ・エルガスター(Homo ergaster)を含む広義のホモ・エレクトス(Homo erectus)と明確な類似性を共有しており、とくに、ジャワ島東部のプルニン(Perning)遺跡のモジョケルト(Mojokerto)で発見されたエレクトス頭蓋と全体的によく類似しています。
DNH 152頭蓋には4本の歯も保存されており、その形態からパラントロプス・ロブストス(Paranthropus robustus)に分類されます。また、ロブストスでの使用が確認されている骨器も発見されました。流華石のウラン・鉛年代測定と、歯のUS-ESR年代測定と、堆積物の古地磁気の組み合わせから、ドリモレン遺跡の年代は204万~195万年前頃と推定されます。ドリモレン遺跡の動物相の分析から、この期間に生態系変化が見られ、在来のアフリカ南部種は絶滅していき、ホモ・エレクトスも含むかもしれない新たな種がアフリカの他地域から移動してきた、と推測されています。
アフリカ南部におけるアウストラロピテクス属の下限年代は、マラパ(Malapa)で200万年前頃(セディバ)、スタークフォンテン(Sterkfontein)では207万年前頃(アフリカヌス)です。アウストラロピテクス属は、アフリカ東部で絶滅してから約50万年間、アフリカ南部で存続しました。これまで、ホモ属とパラントロプス属の出現年代が曖昧だったため、アフリカ南部においてこれら2属とアウストラロピテクス属とが共存していたのか、不明でした。しかし本論文は、195万年以上前のDNH 152はアフリカ南部における最古のパラントロプス・ロブストスとなり、それよりもやや古いDNH 134はアフリカ南部で最古のホモ属となることを明らかにしました。アフリカ南端において、200万年前頃には、アウストラロピテクス属とパラントロプス属と早期ホモ属が共存していたわけです。ただ、これら3属がじっさいに遭遇したのか、確証はありません。
DNH 134は、広義のホモ・エレクトスとして最古級となりそうなジョージア(グルジア)のドマニシ(Dmanisi)遺跡の人類遺骸よりも少なくとも10万~15万年は古く、現時点では最古となる広義のエレクトス化石です。ただ本論文は、アフリカ東部における280万年前頃のホモ属の出現を指摘する見解も考慮して、広義のホモ・エレクトスがアフリカ南部で進化した、との見解には慎重な姿勢を示しますが、エレクトスのアフリカ外における進化の可能性は低くなった、と指摘しています。
アウストラロピテクス・セディバは、ホモ属の祖先である可能性も指摘されていますが、本論文は、セディバがDNH 134よりも前に出現していた場合のみにその可能性が残る、と指摘します。また本論文は、セディバに関して異なる可能性も提示しています。それは、セディバのホモ属的特徴は、アフリカ南部の地域的な環境圧への適応としてのアウストラロピテクス・アフリカヌス(Australopithecus africanus)からの収斂進化だったかもしれない、という仮説です。
それはともかくとして、200万年前頃の前後数十万年間のアフリカ南部における環境変化により、アウストラロピテクス属は絶滅し、ホモ属とパラントロプス属の系統が進化していきました。この気候変動は地球規模で起きており、300万~250万年前頃の急速な寒冷化と、熱帯気流および降雨パターンと関連する200万~150万年前頃に始まったウォーカー循環です。人類の進化に関しては、長期的な乾燥化の影響を受けている、との見解もありますが、短期間のきょくたん気候変動を重視する見解もあります。アフリカ南部の動物相化石の研究からは、230万~200万年前頃にアフリカ南部で大きな生態系と動物相の変化があった、と指摘されています。アウストラロピテクス属の絶滅が生物学的もしくは行動学的適応の結果なのか、ホモ属およびパラントロプス属との競合のためなのか、まだ確定していませんが、アフリカ南部におけるこれら3属の共存が確定したことから、その可能性はある、と本論文は指摘します。
本論文は、アフリカ南部における200万年前頃のアウストラロピテクス属とパラントロプス属と早期ホモ属の共存(上述のように、これら3属がじっさいに遭遇したのか、確証はありませんが)を明らかにした点で、たいへん注目されます。本論文が指摘するように、広義のホモ・エレクトスがアフリカで進化した可能性は高いものの、それが現時点では最古となる広義のエレクトスであるDNH 134が出現したアフリカ南部ではなく、アフリカの他地域、とくに東部であった可能性は低くないように思います。おそらく、ホモ属の起源はアフリカ東部で、広義のエレクトスも東部で進化し、そこから南部も含めてアフリカの他地域に拡散したのでしょう。この拡散には、気候変動も大きく関わっていると考えられますが、本論文が指摘するように、長期的な寒冷化・乾燥化というよりも、短期的な気候変動の激しさが選択圧となり、それがアウストラロピテクス属絶滅の要因だったのかもしれません。この気候変動に上手く対処できたのがパラントロプス属と早期ホモ属で、アウストラロピテクス属はそうではなかった、というわけです。
本論文の見解は、パラントロプス属をめぐる議論(関連記事)との関連でも注目されます。日本ではよく「頑丈型猿人」と呼ばれるパラントロプス属はアフリカでのみ確認されており、東部のエチオピクス(Paranthropus aethiopicus)とボイセイ(Paranthropus boisei)および南部のロブストス(Paranthropus robustus)の3種に分類されています。エチオピクスは270万~230万年前頃、ボイセイは230万~140万年前頃、ロブストスは180万~100万年前頃に存在し、身長は110~140cm、脳容量は500ml程度と推定されています(Lewin.,2002,P123)。本論文は、ロブストスの年代が195万年以上前にさかのぼることを明らかにしました。
これら3種のパラントロプス属については、アファレンシス(Australopithecus afarensis)やアフリカヌスなどと同じくアウストラロピテクス属とする見解も提示されており、分類をめぐって見解が一致しているとは言えない状況です。さらに、エチオピクスからボイセイとロブストスが派生したとの見解が一般的には有力ですが、アフリカ南部のアウストラロピテクス・アフリカヌス→ロブストスの系統と、アフリカ東部のアウストラロピテクス・アファレンシス→エチオピクス→ボイセイの系統に分かれる、との見解もあります(諏訪.,2006)。つまり、一般的にパラントロプス属と分類されている3種は単系統群を形成しないかもしれない、というわけです。もしそうならば、少なくとも、これら3種を包含したパラントロプス属という単系統群(クレード)は成立しません。
しかし、本論文が指摘するように、230万~200万年前頃にアフリカ南部で大きな生態系と動物相の変化があり、広義のホモ・エレクトスもこの期間にアフリカの他地域、おそらくは東部から南部に拡散してきたとすると、ロブストスがエチオピクスから派生した一部系統で、東部から南部に拡散してきた、とも考えられます。そうすると、パラントロプス属は単系統群として成立するわけですが、この問題に関しては、やはり形態学が重要になるので、今後の研究の進展と新たな化石の発見が期待されます。また、近年飛躍的に発展しつつあるタンパク質解析では、200万年以上前の個体でも可能であることから(関連記事)、こちらがアフリカの前期更新世の人類の系統関係を解明できる可能性もあり、大いに期待されます。
参考文献:
Herries AIR. et al.(2020): Contemporaneity of Australopithecus, Paranthropus, and early Homo erectus in South Africa. Science, 368, 6486, eaaw7293.
https://doi.org/10.1126/science.aaw7293
Lewin R.著(2002)、保志宏訳『ここまでわかった人類の起源と進化』(てらぺいあ、原書の刊行は1999年)
諏訪元(2006)「化石からみた人類の進化」『シリーズ進化学5 ヒトの進化』(岩波書店)
追記(2020年4月7日)
ナショナルジオグラフィックでも報道されました。
しかし、アフリカ南部の早期ホモ属標本(StW 53やSK 15やSK 847)は断片的なので、アフリカ東部の早期ホモ属との関係は不明です。ホモ属の出現はアフリカ東部において280万年前頃までさかのぼるかもしれない、と指摘されていますが(関連記事)、197万7000年±7000年前頃のアウストラロピテクス・セディバがホモ属の祖先との見解も提示されています(関連記事)。アフリカ南部の早期人類とアフリカ東部の早期人類との比較の難しさは、アフリカ南部の早期人類遺跡の層序の複雑さと、アフリカ東部では利用可能な火山性物質がないことに起因する、年代測定の不確実性に起因します。アフリカ南部でも複数の手法で早期人類の年代が測定されていますが、相互に矛盾することも珍しくありません。
しかし、この200万年前頃の前後の期間は、アウストラロピテクス属が絶滅し、新たにパラントロプス属とホモ属が出現して、石器と骨器も新たに出現していることと、生態系が変わって動物相にも大きな変化が見られることから、人類進化史においてたいへん注目されます。本論文は、この世界遺産登録地域のドリモレン(Drimolen)古洞窟遺跡群を対象に、流華石のウラン・鉛年代測定と、歯のウラン系列電子スピン共鳴(US-ESR)年代測定と、堆積物の古地磁気を組み合わせて、この重要な時期のより正確な推定年代を提示しています。
本論文は、ドリモレン遺跡で発見された部分的な人類頭蓋2点(DNH 134およびDNH 152)を分析しました。DNH 134は融合の状態から2~3歳の未成体と推測されています。DNH 134の頭蓋容量は514~564㎤と推定されており、アウストラロピテクス属との比較では、成体の上限と重なりますが、未成体の範囲を明確に超えます。DNH 134が成体まで成長した場合の推定脳容量は、ヒトを基準にすると588~661㎤、チンパンジーを基準にすると551~577㎤です。DNH 134の頭蓋冠は長くて低く、形態学的にはホモ・エルガスター(Homo ergaster)を含む広義のホモ・エレクトス(Homo erectus)と明確な類似性を共有しており、とくに、ジャワ島東部のプルニン(Perning)遺跡のモジョケルト(Mojokerto)で発見されたエレクトス頭蓋と全体的によく類似しています。
DNH 152頭蓋には4本の歯も保存されており、その形態からパラントロプス・ロブストス(Paranthropus robustus)に分類されます。また、ロブストスでの使用が確認されている骨器も発見されました。流華石のウラン・鉛年代測定と、歯のUS-ESR年代測定と、堆積物の古地磁気の組み合わせから、ドリモレン遺跡の年代は204万~195万年前頃と推定されます。ドリモレン遺跡の動物相の分析から、この期間に生態系変化が見られ、在来のアフリカ南部種は絶滅していき、ホモ・エレクトスも含むかもしれない新たな種がアフリカの他地域から移動してきた、と推測されています。
アフリカ南部におけるアウストラロピテクス属の下限年代は、マラパ(Malapa)で200万年前頃(セディバ)、スタークフォンテン(Sterkfontein)では207万年前頃(アフリカヌス)です。アウストラロピテクス属は、アフリカ東部で絶滅してから約50万年間、アフリカ南部で存続しました。これまで、ホモ属とパラントロプス属の出現年代が曖昧だったため、アフリカ南部においてこれら2属とアウストラロピテクス属とが共存していたのか、不明でした。しかし本論文は、195万年以上前のDNH 152はアフリカ南部における最古のパラントロプス・ロブストスとなり、それよりもやや古いDNH 134はアフリカ南部で最古のホモ属となることを明らかにしました。アフリカ南端において、200万年前頃には、アウストラロピテクス属とパラントロプス属と早期ホモ属が共存していたわけです。ただ、これら3属がじっさいに遭遇したのか、確証はありません。
DNH 134は、広義のホモ・エレクトスとして最古級となりそうなジョージア(グルジア)のドマニシ(Dmanisi)遺跡の人類遺骸よりも少なくとも10万~15万年は古く、現時点では最古となる広義のエレクトス化石です。ただ本論文は、アフリカ東部における280万年前頃のホモ属の出現を指摘する見解も考慮して、広義のホモ・エレクトスがアフリカ南部で進化した、との見解には慎重な姿勢を示しますが、エレクトスのアフリカ外における進化の可能性は低くなった、と指摘しています。
アウストラロピテクス・セディバは、ホモ属の祖先である可能性も指摘されていますが、本論文は、セディバがDNH 134よりも前に出現していた場合のみにその可能性が残る、と指摘します。また本論文は、セディバに関して異なる可能性も提示しています。それは、セディバのホモ属的特徴は、アフリカ南部の地域的な環境圧への適応としてのアウストラロピテクス・アフリカヌス(Australopithecus africanus)からの収斂進化だったかもしれない、という仮説です。
それはともかくとして、200万年前頃の前後数十万年間のアフリカ南部における環境変化により、アウストラロピテクス属は絶滅し、ホモ属とパラントロプス属の系統が進化していきました。この気候変動は地球規模で起きており、300万~250万年前頃の急速な寒冷化と、熱帯気流および降雨パターンと関連する200万~150万年前頃に始まったウォーカー循環です。人類の進化に関しては、長期的な乾燥化の影響を受けている、との見解もありますが、短期間のきょくたん気候変動を重視する見解もあります。アフリカ南部の動物相化石の研究からは、230万~200万年前頃にアフリカ南部で大きな生態系と動物相の変化があった、と指摘されています。アウストラロピテクス属の絶滅が生物学的もしくは行動学的適応の結果なのか、ホモ属およびパラントロプス属との競合のためなのか、まだ確定していませんが、アフリカ南部におけるこれら3属の共存が確定したことから、その可能性はある、と本論文は指摘します。
本論文は、アフリカ南部における200万年前頃のアウストラロピテクス属とパラントロプス属と早期ホモ属の共存(上述のように、これら3属がじっさいに遭遇したのか、確証はありませんが)を明らかにした点で、たいへん注目されます。本論文が指摘するように、広義のホモ・エレクトスがアフリカで進化した可能性は高いものの、それが現時点では最古となる広義のエレクトスであるDNH 134が出現したアフリカ南部ではなく、アフリカの他地域、とくに東部であった可能性は低くないように思います。おそらく、ホモ属の起源はアフリカ東部で、広義のエレクトスも東部で進化し、そこから南部も含めてアフリカの他地域に拡散したのでしょう。この拡散には、気候変動も大きく関わっていると考えられますが、本論文が指摘するように、長期的な寒冷化・乾燥化というよりも、短期的な気候変動の激しさが選択圧となり、それがアウストラロピテクス属絶滅の要因だったのかもしれません。この気候変動に上手く対処できたのがパラントロプス属と早期ホモ属で、アウストラロピテクス属はそうではなかった、というわけです。
本論文の見解は、パラントロプス属をめぐる議論(関連記事)との関連でも注目されます。日本ではよく「頑丈型猿人」と呼ばれるパラントロプス属はアフリカでのみ確認されており、東部のエチオピクス(Paranthropus aethiopicus)とボイセイ(Paranthropus boisei)および南部のロブストス(Paranthropus robustus)の3種に分類されています。エチオピクスは270万~230万年前頃、ボイセイは230万~140万年前頃、ロブストスは180万~100万年前頃に存在し、身長は110~140cm、脳容量は500ml程度と推定されています(Lewin.,2002,P123)。本論文は、ロブストスの年代が195万年以上前にさかのぼることを明らかにしました。
これら3種のパラントロプス属については、アファレンシス(Australopithecus afarensis)やアフリカヌスなどと同じくアウストラロピテクス属とする見解も提示されており、分類をめぐって見解が一致しているとは言えない状況です。さらに、エチオピクスからボイセイとロブストスが派生したとの見解が一般的には有力ですが、アフリカ南部のアウストラロピテクス・アフリカヌス→ロブストスの系統と、アフリカ東部のアウストラロピテクス・アファレンシス→エチオピクス→ボイセイの系統に分かれる、との見解もあります(諏訪.,2006)。つまり、一般的にパラントロプス属と分類されている3種は単系統群を形成しないかもしれない、というわけです。もしそうならば、少なくとも、これら3種を包含したパラントロプス属という単系統群(クレード)は成立しません。
しかし、本論文が指摘するように、230万~200万年前頃にアフリカ南部で大きな生態系と動物相の変化があり、広義のホモ・エレクトスもこの期間にアフリカの他地域、おそらくは東部から南部に拡散してきたとすると、ロブストスがエチオピクスから派生した一部系統で、東部から南部に拡散してきた、とも考えられます。そうすると、パラントロプス属は単系統群として成立するわけですが、この問題に関しては、やはり形態学が重要になるので、今後の研究の進展と新たな化石の発見が期待されます。また、近年飛躍的に発展しつつあるタンパク質解析では、200万年以上前の個体でも可能であることから(関連記事)、こちらがアフリカの前期更新世の人類の系統関係を解明できる可能性もあり、大いに期待されます。
参考文献:
Herries AIR. et al.(2020): Contemporaneity of Australopithecus, Paranthropus, and early Homo erectus in South Africa. Science, 368, 6486, eaaw7293.
https://doi.org/10.1126/science.aaw7293
Lewin R.著(2002)、保志宏訳『ここまでわかった人類の起源と進化』(てらぺいあ、原書の刊行は1999年)
諏訪元(2006)「化石からみた人類の進化」『シリーズ進化学5 ヒトの進化』(岩波書店)
追記(2020年4月7日)
ナショナルジオグラフィックでも報道されました。
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