加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』第10刷

 朝日出版社より2009年11月に刊行されました。第1刷の刊行は2009年7月です。本書は中学生と高校生を対象とした著者の5日間の講義の書籍化です。対象となるのは日清戦争から太平洋戦争までですが、日清戦争の前史としての日清関係も詳しく取り上げられており、「戦争を選択した」という観点からの大日本帝国史とも言えそうです。本書の特色は、同時代のさまざまな立場からの考察です。これは歴史学において当然とも言えますが、私もそうであるように、非専門家はどうしても現代の自身の観点から勧善懲悪的な物語を望み受け入れやすくなってしまうので、本書のように同時代のさまざまな立場からの考察を強く出した一般向け書籍を読んでいくことが重要になる、とは思います。

 同時代のさまざまな立場に関しては、日本の諸勢力・要人はもちろん、戦争を主題とするだけに、外国政府および要人も対象となります。これにより、たとえば満州事変のさいのリットン調査団の報告書が、日本にとって宥和的なところも多分にあり、それはイギリスなど当時の列強の状況判断に基づくものだった、と了解されます。もっとも、私も同様の見解を他の一般向け書籍で読んだことがあるくらいですし、この見解はすでに、現代日本社会では一般層にもそれなりに浸透しているかもしれませんが。著者はよく松岡洋右に甘いと言われるそうですが、本書でも、松岡が単に粗暴で先見の明のない無能な政治家だったわけではない、と読み取れます。

 同時代の視点で重要となるのは、日清戦争の解釈です。本書は、帝国主義的風潮の時代において、近代化(西洋化)に成功して興隆していく日本が、旧体制に固執する頑迷固陋な落ち目の大清帝国(ダイチン・グルン)を侵略した、という勧善懲悪的な物語にのみ落とし込むのではなく、「東アジア」における日清(日中)の長きにわたる主導権争いの結果として把握しています。また本書は、1880年代半ばの時点では、日本型の発展の可能性も、中国(ダイチン・グルン)型の発展の可能性も充分あった、と指摘します。中国社会の重要な転機として、アヘン戦争よりも日清戦争を重視する見解(アヘン戦争後も強靭な中国伝統経済は根本的には変わりませんでした)をすでに読んでいたので(関連記事)、本書の指摘はとくに意外ではありませんでした。

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