完新世ヨーロッパにおけるヒトの拡大と景観の変化との関連

 完新世ヨーロッパにおけるヒトの拡大と景観の変化との関連についての研究(Racimo et al., 2020)が報道されました。8500年前頃まで、ヨーロッパはおもに比較的低密度で暮らす狩猟採集民集団で占められていました。このヨーロッパの人口構造は、新石器時代にアナトリア半島から農耕民が到来したことで変わりました。第二のヨーロッパにおける大規模な移動は、青銅器時代初期に、ポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)のヤムナヤ(Yamnaya)文化と関連した集団が、東方からヨーロッパに到来してきたことです(関連記事)。ヤムナヤ文化と関連した集団は、西方に移動してヨーロッパ中央部および北部の縄目文土器(Corded Ware)文化と関連し、その後にヨーロッパ北西部の鐘状ビーカー(Bell Beaker)現象と関連して、家畜ウマとインド・ヨーロッパ語族祖語をもたらしたかもしれません。

 過去1万年にわたって、ヨーロッパは土地被覆構成で大きな変化を経てきましたが、新石器時代とヤムナヤ文化のヨーロッパへの移住がその変化にどの程度寄与したのか、まだ不明です。最近の花粉に基づく研究では、広葉樹林の劇的な減少が6000年前頃から現在までに起きた、と示唆されます。この森林喪失は2200年前頃から激化し、ヨーロッパ大陸全体で草原や耕作地に置換されていきました。しかし、これらの過程は全地域で均一に進行したわけではありません。たとえば、ヨーロッパ中央部では広葉樹林のかなりの減少が4000年前頃から始まりましたが、大西洋沿岸ではそのずっと前に半開植生で占められていました。一方、スカンジナビア半島南部では、森林の顕著な現象は少なくとも中世までありませんでした。より早期の狩猟採集民集団は、周囲の植物相と動物相に限定的な影響しか及ぼさなかった可能性が高いので、おそらくこれらの現象は、森林伐採や農耕・牧畜の確立を含む新たなヒトの景観利用活動により部分的に影響を受けました。気候変化パターンもまた、植生変化に影響を与えたかもしれません。さらに、植生変化は集団の拡大する新たな領域を開いたかもしれません。しかし今まで、古植生の変化を特定のヒト集団の移動と明示的に関連づける、もしくは因果的役割を仮定して、気候要因とヒトに基づく要因を区別する取り組みはほとんど行なわれていませんでした。

 本論文は、ヨーロッパ大陸全体で主要な完新世の移動が時間の経過とともにどのように展開したのか追跡し、それが植生景観の変化とどう関連しているのか、理解することを目的とします。本論文は、古代ゲノムの系統推論と地球統計学的手法を統合します。これらの手法の使用により、系統移動の詳細な時空間的地図を提供し、農耕の拡大と植生変化の関係を明らかにします。さらに、これらの移動の最前線の速度を推定し、その結果を放射性炭素年代測定された考古学的遺跡から得られた文化的拡散の復元と比較します。広葉樹林の減少と牧草地・自然草原の植生増加は、狩猟採集民系統の現象と同時に発生し、青銅器時代の草原の人々の速い移動と関連していたかもしれません。また、この期間中の気候パターンの自然変動は、これらの土地被覆変化に影響を与えた、と見出します。本論文の手法は、古代DNA研究と考古学的データセットを統合する将来の地球統計学的研究への道を開きます。

 本論文は、ヨーロッパの人類集団の遺伝的構成について、上部旧石器時代~中石器時代の狩猟採集民(HG)、アナトリア半島から拡散してきた新石器時代農耕民(NEOL)、ヤムナヤ文化関連集団(YAM)の3系統の割合の推移をモデル化しました。当然、より多くの系統で詳細なモデル化は可能ですが、本論文は、ボトルネック(瓶首効果)とゴースト集団との交雑による混乱を避けるため、この3系統の推移に基づいて検証しています。NEOLは新石器時代農耕文化と、YAMはヤムナヤ関連文化と密接に関連していますが、系統と文化は常に一致しているとは限らない、と本論文は注意を喚起します。HGはヨーロッパ西部狩猟採集民系統(WHG)とほぼ対応しています。

 本論文はまず、放射性炭素年代測定法による較正年代を利用して、各系統の割合がヨーロッパにおいてどのように推移していったのか、地図化します。これにより、YAMの移動速度はNEOL(1.8km)の2倍以上と明らかになりました。次に本論文は、ヨーロッパ完新世における土地被覆構成の変化を地図化します。その結果、ヨーロッパ全土の水準においては、広葉樹林の減少と牧草地・自然草原の増加は、NEOLの到来後ではなく、YAM到来後に起きた、と明らかになりました。ただ、本論文は地域差もあることを指摘します。フランス中部では、YAMの増加と広葉樹林の減少が一致します。対照的に、ヨーロッパ南東部と南西部では、YAMが増加しても森林被覆は低水準で安定していました。これが人為的なものだとすると、地中海沿岸の農耕牧畜体系の樹木栽培の結果かもしれない、と本論文は推測します。ヨーロッパ全土の水準においては、耕作可能な土地の大幅な増加は、NEOLの到来よりずっと後の完新世後期となります。総合的に、HGと広葉樹林の割合の高さが、またYAMと牧草地・自然草原の高い割合とが相関しますが、NEOLは植生との関連が弱いか存在しない、と本論文は指摘します。

 NEOLの拡大は、放射性炭素年代測定法による年代の得られている新石器時代農耕集団遺跡の拡大とおおむね一致しており、ヨーロッパでは、中央部を北進する方向と、地中海沿岸を西進する方向に二分されます。文化区分では、これは線形陶器(Linear Pottery、Linearbandkeramik、略してLBK)文化とインプレッサ・カルディウム(Impressa/Cardial Pottery)文化に相当し、両文化がおそらくは人々の移動により拡大した、との見解が支持されます。上述のように、YAMの拡大はNEOLの拡大より速く、これはウマの使用を含む多くの理由が考えられます。YAMはヤムナヤ文化および縄目文土器(Corded Ware)文化と関連した個体群に高い割合で見られ、ユーラシア草原地帯からヨーロッパへと拡散した、と推測されます。ただ、縄目文土器文化集団がウマを飼っていた証拠は限定的で、混合農業を営んでいた可能性が指摘されています。

 ヨーロッパにおける各系統と植生景観との関連では、まずHG は広葉樹林と正の相関がある一方で、YAMは広葉樹林植生と負の相関があり、草原および耕作地と正の相関があります。また、気候と土地被覆タイプの間の関連も確認されました。たとえば、気温の上昇は、低木地や牧草地および草原や耕地の増加と関連していました。上述のように、NEOLと植生の変化との強い関連は見いだされませんでした。この理由として、本論文のモデルでは効果を明確に検出するにはあまりにも小規模だったか、局地化されていたことが指摘されています。以前の研究では、少なくともヨーロッパ北西部では、新石器時代共同体がある程度は地域的な環境を変えた、と指摘されています。ヨーロッパ北部や北西部のような地域では、NEOLの増加と一致して広葉樹林がわずかに減少していますが、これはヨーロッパ全土の水準では観察されません。広葉樹林の顕著な減少はヨーロッパ西部および北西部ではずっと後に起き、YAMの増加と一致します。なお、地中海沿岸で栽培されているオリーブやクリやクルミの広葉樹林に含まれるので、これらの栽培種のある地域に関しては、本論文の森林変化を推測する能力は限定的となります。

 6000年前頃に始まる広葉樹林の減少に続いて、ヨーロッパ大陸の一部の地域で草原と攪乱地がわずかに増加します。これらの植生タイプは地中海および黒海地域において完新世初期を通じて自然に存在し、現在までかなり安定していました。対照的にヨーロッパ西部では、これらの植生はYAMが増加し始めた青銅器時代に中間水準に達し、その後も増加し続けました。ヨーロッパ南部と東部では、YAMの増加と草原および攪乱地の増加が一致しませんでした。これは、過去3000年の人口密度の劇的な増加も反映しているかもしれません。そのため土地利用に強い変化が生じ、結果として大陸全体の植生が攪乱されたかもしれない、というわけです。新石器時代と青銅器時代の人口増減も、小規模ではあるものの植生景観に影響を与えたかもしれません。本論文は、将来の研究では人口密度やヒトの活動の他の要素を組み込む必要があるかもしれない、と指摘します。ただ本論文は、遺伝的構成の変化が古代DNA研究に依存しており、それは環境や歴史的な偏りに左右されるものであることに注意を喚起しています。また上述のように、HG・NEOL・YAMの3系統でモデル化していることも本論文は指摘しています。こうして単純化したモデル化は、じっさいの複雑な移動・混合を反映しているのではなく、その近似値になる、というわけです。

 古代DNA研究と植生景観の変化を関連づけた本論文の手法はたいへん注目され、今後発展していく分野だろう、と期待されます。ただ、本論文が指摘するように、ヒトのさまざまな活動も考慮していかねばなりませんし、栽培植物が解析能力を限定的としているところもあります。また、遺伝的構成の変化は古代DNA研究に依存していますが、これは環境や歴史的な偏りに標本が左右され、ヨーロッパ全土のような広範囲での考察のさいに、偏りが生じてしまう危険性もあります。ただ、このような研究が可能なのも、ヨーロッパの古代DNA研究が他地域よりも大きく進展しているためで、この点で日本列島も含めてアジア東部が大きく遅れていることはとても否定できず、日本人の私としては残念です。今後、アジア東部、さらにはユーラシア東部での古代DNA研究の進展が期待されます。


参考文献:
Racimo F. et al.(2020): The spatiotemporal spread of human migrations during the European Holocene. PNAS, 117, 16, 8989–9000.
https://doi.org/10.1073/pnas.1920051117

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